頑張る40代!plus

2006年05月31日(水) 音声ブログ

以前から「音声ブログ」というのが気になっている。
まあ、ぼくは『ショートホープブルース♪』という、一種の音声ブログをやっているわけだが、あれはあくまでも歌である。
そうではなくて、日記やエッセイを声に出してやってみるということだ。
ところが、ぼくがそれをやった場合、わりと低い声だし、かといって魅力ある声というわけでもない。
そのため、聞き映えのしない、つまらないものになると思われる。
もし、それでもやろうとするなら、単なる朗読ではだめだということになる。
しゃべりかたを変えてみるとか、方言を入れてみるとかして、特徴あるものにしなければならないだろう。

例えば、『モリタ君』をやる場合、モリタ君の声を真似てやらないと雰囲気が出ない。
だが、モリタ君を知らない人が聞くわけだから、それでは白けてしまう。
そこで、解説やらアドリブやらを入れてやることになるだろうが、それが難しい。
普段なら何でもないのだが、いざ録音するとなると、どうしても構えてしまう。
そのため声に力みが出てしまい、微妙な言い回しが出来なくなるのだ。
そうなると、伝えたいものが伝わらなくなる。

これまで、そういうことを考えていたので出来なかったのだ。
しかし、「音声ブログ」というものがある以上、やってみたい。
ということで、これから試行錯誤しながらもやってみることにする。
やってみると面白いものかもしれないし、そこで新たな表現法が見つかるかもしれない。



2006年05月30日(火) はなむけ

前に触れておいたが、例の酔っ払いのおいちゃんはやはり死んでいたらしい。
死因は凍死だったという。
内心肝臓をやられて死んだと思っていただけに、肩すかしを食らった感じである。
やはり酒飲みは酒飲みらしく、最後は肝硬変か肝臓ガンで花を飾ってもらいたかった。

しかし散々人に迷惑をかけておいて、何の挨拶もないというのは失礼だろう。
迷惑をかけた人すべてに、一言わびを入れて死ぬべきではないのか。
ぼくも寝小便の後始末を何度もやってやったのだ。
幽霊でも何でもいいから、手みやげ下げて、一言わびに来い!



2006年05月29日(月) 『響』のチャンポン

昨日、二軍戦の試合が終わってから、ラーメンを食べに行こうということになった。
どこに行こうかとオナカ君と二、三ピックアップしたが、「せっかくここまできたんだから」ということで、球場の近くにある『東洋軒』に行くことにした。
その店は、「ラーメンのおいしい店」としていつも名前が挙がる店である。

ぼくもラーメンに凝っていた十数年前に、何度か昼食で利用したことがある。
当時市内にあまりなかった『久留米ラーメン』というのがウリだったと思う。
なるほどこってりした豚骨スープだったが、そのわりにあっさりした味だった。

ということで十数年ぶりの『東洋軒』だった。
当時と変わらずお客さんは多かった。
さすがラーメン通をうならせる店である。
味は相変わらずで、おいしいラーメンだった。
が、すでにチャンポンの洗礼を受けているぼくは、物足りなさを感じていた。
それは甘みである。
チャンポンのスープは、その具である野菜のエキスがスープに染み渡っているため、微妙に甘いのだ。
それがチャンポンのうまみに繋がっているというわけだ。

帰り道ぼくはオナカ君に言った。
「おれはやっぱりチャンポンのほうが好きやの」
「そうか。ああそういえば、この間、『響』のチャンポン食いに行ったぞ」
「あそこおいしいやろ」
「おう。かなりおいしかった。普通チェーン店であの味は出せんやろう」
そういう話をしているうちに、ぼくは無性にチャンポンを食べたくなった。

そこで今日、オナカ君との会話に出た『響』に行ってきたのだった。
最高だった。



2006年05月28日(日) オナカ君と二軍戦を見に行く

北九州市民球場

上の写真は北九州市民球場で、バックスクリーン方向から撮ったものである。
実は今日、友人のオナカ君とホークスvs巨人の2軍戦を見に行ったのだ。

2軍戦を見に行くのは、今日で3度目である。
初めて行ったのは福岡市にある雁ノ巣球場で、対阪神戦だった。
まだ現役だった亀山が2軍落ちしていた頃で、阪神ファンの友だちと見に行ったのだ。
掛布2世と呼ばれた萩原や、現在西武にいる平尾もその時来ていた。

二度目はお隣の中間球場だった。
相手チームは忘れた。
印象深かったのは、のちにヤクルトに移籍した広永が、ベンチ横でタバコを吸っていたのを見たことだった。
現役の野球選手がタバコを吸っているのを見たのは、それが初めてだった。
それまでは、タバコを吸うと練習がきつくなるから、「きっと吸わないだろう」と思っていたのだ。
あ、そういえば、高校の頃に野球部に所属していた友人のオナカ君は、その頃『チェリー・オナカ』と呼ばれていたなあ。
野球をする人は人一倍肺が強いのだろうか?

さて、試合のほうだが、8回まで「6−0」とホークスがリードしていたから、先発の高橋秀に最後まで投げさせるものとばかり思っていたら、9回表頭から昨年4月まで守護神であった三瀬に変わった。
ここで大きな拍手が起こる。
が、三瀬は二軍でも不調で、2ランホームランを打たれてしまい、降板。
どうも昨年の阪神戦で金本に死球を与えて以来、三瀬はおかしくなっている。
この状態のままだと、来期は戦力外になってしまうだろう。
どうにか立ち直ってもらいたいものだ。
ということで、締めくくったのは、阪神との日本シリーズで活躍した岡本だった。

結局試合は「6−2」で、ソフトバンクホークスが制したのだった。
試合が終わってしばらくして、一軍戦(対中日)の試合結果が入ってきた。
こちらは「1−9」というふがいない結果に終わったようだ。
「二軍を見習え!」と言いたい。

ところで、ホークスの試合に行くと、入場時にお楽しみ抽選券みたいなのを配っている。
当たるとグッズなどをもらえるようになっているのだ。
ぼくはあまり興味はなかったのだが、オナカ君は興味があったようで、試合後、足早に当たりの確認に行っていた。
が、1番違いでハズレだった。
「1番違いか。ということは…」とぼくの番号を見てみると、思った通りその番号だった。
当たったのは、原監督の刺繍入りバスタオルである。
賞品をもらいに行ったら、係員から「おめでとうございます」と言われた。
が、原監督のグッズをもらっても、別におめでたくないので、そのバスタオルはオナカ君にあげることにした。
オナカ君は「おれは原のファンではなかった」と言いながらも、渋々バスタオルを受けとった。
とはいうものの、オナカ君は大の巨人ファンである。
ぼくの前で強がっただけで、実は心の中で大喜びしていたのかもしれない
次に家に遊びに行った時、額に入れて飾ってあったりして。

原バスタオル



2006年05月27日(土) 5月の風

(1)
今年の5月は、例年に比べて雨の日が多い。
とにかく二日続けて、終日「晴」ということがないのだ。
テレビでも、こういうことは珍しいと言っていた。
気温もなかなか定まらず、午前中20度を超えていた気温が、午後2時には17度まで下がった、ということが何度かあった。

なぜそうなるのか、ぼくにはわからない。
が、そういう日は決まって風が強いのだ。
例えば午前中に生暖かい風が吹いていたと思ったら、午後から冷たい風が吹いている。
これがいつものことなのか、どうなのかはわからない。
なぜなら、25年間、ずっと室内ばかりで働いていたので、外のことを知らないからだ。

(2)
さて、この日記が遅れた理由だが、実は職務経歴書を作っていたのだ。
いよいよ退社する決心がつき、次の就職活動を開始したわけだ。
しかしこの職務経歴書、書いてみると、平凡な人生を送ってきたのがよくわかる。
なぜなら、ずっと家電だけを販売してきただけだからだ。

そのため、実に書くことが少ない。
異動や昇進を書く欄があるのだが、そう大して異動したわけでもないし、昇進だって主任止まりだ。
つまりサラリーマン的には、大した男ではないということになる。
こんなつまらん男を雇ってくれるところなんてあるのだろうか?

と、5月の風は、ぼくに不安を投げかける。
やはり独立しかないんかなあ…。



2006年05月26日(金) カッコいいー

さて、昨日の続きである。
カラオケを出たあとのこと。
まだ交通機関の最終に間に合うのではないかと、駅やバスターミナルをうろうろしていると、そこに髪を金や茶に染めた若い兄ちゃんたちがたむろしていた。
地べたに座り込み、酒か何かを飲みながら騒いでいる。

ちょうどぼくがその前を通りかかった時だった。
その中にいた一人の男が、急に大声で「カッコいいー」と叫んだ。
『何がカッコいいんだろう』と思っていると、その男は「おれもああいう頭になりてー」と言った。
周りを見回したが、誰もいない。
ということは、「ああいう頭」というのは、ぼくの頭のことらしい。

「あんな銀色がいい」とその男が言うと、その男の友だちが「あれ、白髪やろ」と言う。
「白髪やけど…。あんな自然な白髪がいいー」

こんな頭のどこがカッコいいのだろうか?
ただ、そう言われたことに対しては悪い気はしない。



2006年05月25日(木) 午前様は今いずこ

昨日、久しぶりに黒崎で飲んだ。
黒崎は地元だから、時間を気にせずゆっくりと飲むことができる。
慣れた場所だから地理にも詳しいし、ある程度店も把握できている。
また、家から3キロも離れていないので、タクシーで帰っても千円ちょっとです
む。
やはり飲むなら黒崎である。

と思っていたのは、数年前までだった。
最近は黒崎で飲むと、なぜか気にしないはずの時間を気にするようになっている。
以前なら2時3時は平気で、時には飲み屋で一夜を明かしたこともあった。
ところが、最近は11時を過ぎると気が焦ってしまう。
もちろん、すでに若くないので、体力が続かないというのもあるのだが、それが一番の理由というわけではない。
なぜなら、家からだと、黒崎とほとんど同じ距離にある折尾で飲む時は、まったく時間を気にしないのだからだ。

では、何が一番の理由かというと、交通機関である。
黒崎はJRや私鉄、バスといった公共の交通機関がすべて揃っている。
そのため、どうしてもその交通機関を使わないと損したような気になるのだ。
その交通機関の最終が、どれも11時台というわけだ。

ところが、先の折尾の場合だと、帰るのはタクシーと決めてあるのだ。
私鉄は走ってないものの、そこにはちゃんとJRの駅があり、バスもある。
が、そういうものを利用したいとは思わない。
なぜそうなのか、ぼくにはわからない。
同じ郵便番号だからとか、同じ電話の局番だからとかからくるものかもしれない。
タクシー代が黒崎に比べると、100円ほど安くすむせいかもしれない。

案の定、昨日も11時を過ぎるとソワソワしだした。
しかし、普段乗り慣れてないため、JRやバスが何時にあるのかまったくわからない。
実はその時間はカラオケボックスにいたのだが、とても歌をうたっている気分にはなれなかった。

結局カラオケを出たのは11時50分頃で、その頃にはもはやバスはなかった。
かろうじてJRの最終はあったものの、駅から15分かけて歩いて帰るのはまっぴらだ。
ということで、タクシーを利用して帰ったのだった。



2006年05月24日(水) 夢判断

再び夢の話である。
時代はぼくが学生の頃だったと思う。
夢はその時代の風景を映していた。
その頃、ぼくの部屋の前には、高さが10メートルにも満たない小さな山があった。
ぼくが小学生の頃に、よく遊んだ山だ。
まだ高い建物が少なかった時代で、山の上からは若戸大橋が見えていたものだ。
その山の上には防空壕跡があった。
よく他の地区に住んでいる奴らが、ローソク片手に探索に来ていた。

その山の上に2階建てのアパートが建っていたのだが、見晴らしがいいこともあって、ぼくはいつもそのアパートに住みたいと思っていた。
夢はそのアパートを、その頃のままに映していた。
ブロック建てで、少し汚れたクリーム色をしていた。

さて、夢の話である。
ある日のこと、ぼくがそのアパートを眺めていると、周りの木々がえらく揺れている。
「今日は風が強いなあ」と思って見ていると、徐々に風は強くなっていき、そのうちアパ−トを揺らしだした。
時間を追うごとに揺れはひどくなった。
そしてぼくが「もしかしたら」と思った瞬間だった。
バシッと言う音とともに、2階部分が切り離されて、飛ばされてしまった。
そして、そのままうちの2軒先の家に突き刺さった。

あたりは騒然となった。
ぼくも家を飛び出して、現場を見に行った。
そして「住んでいる人はどうなったのだろう」などと思っている時に、目が覚めたのだった。

目が覚めても、そのことがなかなか離れようとしない。
「もしかして、あの夢は何かを暗示しているのではないだろうか」と思ったぼくは、さっそく夢占いのサイトを調べてみた。

まず、『家が壊れる』で調べてみると、「心身の疲労、失敗、家庭崩壊の予感」わ暗示している、とあった。
次に『強風』で調べてみた。
「基礎体力の低下」を暗示する、とあった。
「うーん…」
疲労や体力の低下は、今の仕事ではまず考えられない。
やればやるだけ体力がつき、健康になっているのだから。
失敗…、別に失敗しても咎められるような部署でももないし。

ということは、家庭の崩壊か。
楽しみである。



2006年05月23日(火) 大月祥馬

一昨日のことだが、目が覚める直前の夢に、大月祥馬という名前が出てきた。
どこかで聞いたか見たかしたことがある名前なのだが、どこで聞いたのかどこで
見たのかを思い出せない。
大月祥馬というのは、えらく侍くさい名前である。
ということで、目を覚ましてから、歴史上の人物の名前を当たってみた。
だが、そういう名前は出てこない。

「もしかして」と思い、古いノートをめくってみた。
昔、小説まがいのものを書いていたことがあるのだ。
その時の登場人物の名前か、と思ったである。
が、大月祥馬などという名前はどこにもなかった。

さて、そうなると、大月祥馬が気になってならない。
古い時代の記憶なのか、最近の記憶なのかも定かではない。
しかし、その名前を探そうにも、どこを探していいのかがわからない。

「ここでわかるわけないとは思うけど…」と思いながら最後に当たってみたのが、インターネットでの検索だった。
ところがである。
何とあるではないか。
大月祥馬、それは手塚治虫の『シュマリ』というマンガの登場人物の一人であった。
『シュマリ』とは明治期、混乱の北海道を生き抜いた快男児の話で、ぼくはそれを読んでその生き方に憧れたものだった。
それにあやかって、ハンドルネームに使用したこともあるのだ。

で、大月祥馬というのがどういう男なのかというと、シュマリの妻を奪って北海道に逃げたヤツである。
シュマリはそれを追いかけて、北海道に来たわけだ。
何がともあれ、大月祥馬というのは悪い男なのだ。
いくらシュマリに非があろうとも、人妻を奪ったのだから。

ところで、ぼくに夢に、何でこういう悪い男の名前が出てきたのだろうか。
もしかして、ぼくの潜在意識の中に、人妻に対する憧れでもあるのだろうか?
…うーん、それは考えられない。
今ぼくは、将来のこととブログで手一杯だからである。
毎日毎日、会社を辞めたいとか、今日のネタとか考えている男のどこに人妻の入り込む隙があるだろうか。

ということは、嫁ブーのほうか。
嫁ブーに忍び寄る男の影。
…うーん、これも考えにくい。
仮に嫁ブーに手を出したら、大変なことになりますよ。
何せ、料理が出来ないんだから。(笑)

案外、大月祥馬という名前は、何となくカッコいい名前ということで、ぼくの潜在意識の中に記憶されていただけなのかもしれない。
姓名判断でも、いい名前のようだし。
まさか、守護霊が「ハンドルネームをこれにしろ」と言っているのだろうか?
嫌である。



2006年05月22日(月) あと一回

歯医者に行ってきた。
今日で終わりかと思っていたら、あと一回来てくれということだった。

今日何をやったのかというと、歯に歯石のたまりにくい薬を塗布したのだった。
いや、塗布というより、吹き付けたと言ったほうがいいか。
とにかくジェット噴射してくれるもんだから、痛くて痛くてたまらなかった。
歯だけなら痛くもなかったのだろうが、歯茎にもそれを吹き付けるのだ。
当然歯茎は歯よりも強くないから、ジェット噴射のせいで切れてしまうのだ。
おかげで、うがいするたびに血が出ていた。

で、何であと一回行かなければならないかだが、実は今日やったのは下の歯だけなのだ。
あと一回は上の歯をするらしい。
ということは、あと一回その痛みと出血に耐えなければならないのか。
もう勘弁して欲しい。



2006年05月21日(日) 坂の町(後)

平成16年9月の資料で見ると、八幡東区の全人口に対する65歳以上のお年寄りの割合は27.6%になっている。
全人口が7万6千人ということだから、お年寄りの数は2万1千人ということになる。
若い人でさえ疲れるきつい坂や階段の上に、2万1千人のお年寄りが息を切らして生活しているということになる。

別に歩かなくても、車を使えばいいじゃないか、と思われるかもしれない。
しかし、お年寄りの住んでいるところは、決まって道が狭いのだ。
車一台がやっと通れるところや、車でさえ通れない道も数多くある。
ということで、坂道が社会問題になった背景には、もしかしたら車の普及というのもあるのかもしれない。
つまり、車を買っても、車の入れない地区に住んでいる人は、家に車庫を持てないわけだし、仮に車庫を借りるとしても、家から遠く離れた場所にしか借りることが出来ないので、坂道や階段からは逃れられないということになる。
もしかしたら、そういう事情がわかってから、初めて『不便』というものに気づいたのではないのだろうか。

文明は人にいろいろな便利を与えてくれたが、それによって発生した不便もあるということだ。
その一つがこの坂道と車の因果関係である。

さて、それに関連して見逃せないことがある。
それは家電製品の普及である。
昔に比べて、家電製品は図体のでかいものが増えている。
テレビ、冷蔵庫、全自動洗濯機などなどである。
そういう機械は、図体に比例して、とにかく重い。
中には人の体重よりも重い物もある。
ということで、急坂や階段のあるところに住む人は、買うことを躊躇するのかというと、そうではない。
そういうところに住んでいる人は、けっこうそういう物を好んで買う傾向があるのだ。
経験上それがわかる。

とにかく、配達人泣かせなのだ。
重たい商品を抱えて、「ヒーヒー」と息を切らしながら長い急坂を登り、ようやく登り詰めたと思ったら今度は階段が始まる。
階段も2段3段ではない。
2,30段はざらで、中には100段近い階段もある。
そこを登る頃には、すでに手の感覚は麻痺し、膝は笑ってしまっている状態である。
どうにかこうにかそれを納め、ホッと一息をつく間もなく、今度は古い機械の引き取りである。
何十段もある階段を下り、長い急坂を下りていなかければならない。

ここでようやく5月18日に、なぜまともな更新が出来なかったという理由になる。
実はその日、宅配業務をさせられたのだ。
内容は上に書いているとおりで、家電製品ではなかったものの、けっこう図体のでかい商品を、「ヒーヒー」言いながら運んだのだった。

その際に軽トラで登った坂道は、半端ではなかった。
まるでジェットコースターの登りにも似ていた。
ギアもセコでは後ずさりしてしまうので、ローで登らなければならない。
そして、結局行き詰まっとところに段があり、そこからさらに急な坂道を登らなければならなかった。
そして階段。
また坂道、そしてまた階段。
これで一気に体力を消耗してしまったわけだ。
家に帰ってからも疲れは取れず、結局飯を食ったあと、何も出来ないまま眠ってしまったというわけだ。

八幡は坂の町である。
その町で生活するには、必要以上に体力を消耗してしまう。
これが八幡に生まれた者の宿命なのだ。



2006年05月20日(土) 坂の町(前)

ぼくの本籍地は、ぼくが生まれ育った北九州市八幡西区にあるのではなく、お隣の八幡東区にある。
そこは父がかつて住んでいたそうで、そのまま当時の住所を本籍地にしているそうだ。
そのため、本籍地は旧区画(つまり『大字』表記)で書かれており、そこが現在何町の何丁目何番地何号に当てはまるのか、まったくわからない。

さて、その八幡東区だが、かつて北原白秋が、
「山へ山へと
 八幡はのぼる
 はがねつむように
 家がたつ」
とうたったように、実に山の多いところである。
平地はスペースワールド周辺だけで、人の住むところのほとんどは、坂の途中にある。

まずJR八幡駅を降り、大通りに出るまでは緩やかな坂になっている。
その上の通りに行くには、最初の坂の倍の勾配の坂を登らなければならない。
さらにその上の通りまでは急坂で、その上はすでに山道である。
そして、その山道は最終的に皿倉山山頂に行き着く。
駅から山道までの距離を測ったことはないが、おそらく2キロ程度ではないだろうか。
その2キロ程度の斜面に、家がぎっしり詰まっている。

なぜこういうことになっているのかというと、その昔八幡製鉄所がいいとこ取りをしたためである。
製鉄所の敷地を線路で囲み、平地に人が住めないようにしてしまったのだ。
しかし、そこで働くには住む場所がいる。
そこで、山に向かって家を建てていったわけだ。
おかげで道のないところにも家が建ってしまった。
そこに行くためには、階段を利用しなければならない。
ぼくたちでさえきついのだから、お年寄りにはこの坂や階段はかなり応えるはずだ。

ということで、このことは八幡の町づくりを始めた、明治の昔から問題になっていたものと思われる。
だが、別段騒ぎもしなかったようで、ぼくたちが小学校の頃に習った社会科では、公害問題は書いてあっても、「お年寄りがきつい町」などということはまったく書かれてなかった。
実は、このことが表沙汰になったのは、つい最近のことなのである。
高齢化社会の到来が、問題に火を付けたのだ。
子育てが終わり、定年を迎え、「さあ、これからのんびりと暮らそう」と思っていたら、きつい坂の生活が残っていたというわけだ。

この坂の問題は、『坂の上のマリア』という映画にもなっている。



2006年05月19日(金) 痛そうな病気

いろいろありまして、その日の更新は出来ませんでした。
「いろいろ」って何か?
まあ、いろいろですわ。
一番大きな「いろいろ」は、八幡という土地に生まれた者の宿命です。
どんな宿命なのかというのは、明日の日記にでも書きます。

そういえば、何日か前のラジオで言っていたが、鹿児島には奇病があるということだ。
どんな奇病かというと、睾丸に水がたまる病気だそうだ。
これは風土病らしい。
風土病というのも、その土地に生まれた者の宿命なのか。

それで、いったい睾丸に水がたまると、どうなるのだろうか?
いや、その前にどうやって、その症状を自覚するのだろうか?
触ってわかるのだろうか?
しかし、普段触るところじゃないからなあ…。
痛みを感じるのだろうか?
もしそうだったら、たまらんだろうなあ。
とても痛いところだから。

で、いったい医者には何と言って行くのだろうか?
「先生、睾丸に水がたまって困ってます」と言うのだろうか。
しかし、日常会話で『睾丸』などという言葉は使はないだろう。
また、急所名の『金的』という言葉も使うものではない。
ということは、普通に『キ○タマ』か。
「先生、キン○マに水がたまって困ってます」
うん、普通である。

治療はいったいどうするのだろうか?
薬で散らすのだろうか。
しかし奇病と言うくらいだから、それに効く薬があるとは考えにくい。
となれば、水を抜くのか。
どうやって抜くのだろう。
やはり注射か。
それとも穴を開けて管を通すのか。
針で刺す。
穴を開ける。
…ああ、考えただけでも痛い。



2006年05月18日(木) 更新

いちおう更新だけしておきます。
日にちを開けてしまうと何か嫌だ。



2006年05月17日(水) 着うた

ここ数日、着うた作りにハマっている。
以前ヒロミから、
『携帯を買い換えたから、スマスマの着うたください』という内容のメールをもらったのが、ことの始まりだった。
ぼくは着メロサイトには登録しているが、あいにく着うたサイトには登録してない。
そこで、
『着うたとろうと思ったら、月額300円かかる』と書き、スマスマの着メロを添付して返信した。
ヒロミは、その時はそれで満足したようだった。

しかし、ヒロミは諦めていなかった。
着うたにえらく執着しているようで、どこからともなく無料の着うたサイト見つけてきたのだ
ヒロミに教えられたサイトを開いてみると、なるほど無料である。
試しに一曲ダウンロードしてみたのだが、こちらの情報を一切流さす必要がない。
これは便利である。
ということで、何曲かダウンロードしてみた。

そこで思ったことがある。
「ここは何で無料なのだろうか」ということである。
そういえば、パソコンを使って着うたを作ることが出来ると聞いたことがあるが、もしかしたら自分で着うたを作って流しているのかもしれない。
そう思って、もう一度そのサイトを調べてみようと思った。
ところが、操作ミスで、そのサイトのURLを書いたヒロミからのメールを削除してしまったのだ。
ブックマークにも登録しなかったので、もう調べようがない。

しかし、パソコンで作れるということは、ぼくにも作れるということである。
そこで着うた作りに挑戦してみることにした。
やってみると、これが実に簡単だった。
ソフトをダウンロードして、その使い方さえ覚えれば、30秒で着うたは出来てしまうのだ。

何曲かやってみたのだが、けっこういい音である。
しかし、既成の曲でやるのは面白くない。
何かないかと考えていたところ、20年近く前にヒロミとやっていたことを思い出した。
それは、シンセサイザー(サンプリングマシン)に、『ヒロミ足臭い』と入れることだった。
何も知らないお客さんが、そのシンセサイザーのキーを押すと、『ヒロミ足臭い』と鳴るのだ。
シンセサイザーであるから、もちろん音階がつく。
ぼくは、仕事中にその『ヒロミ足臭い』で「ねこふんじゃった」なんかを弾いて遊んでいたものだ。
そして、その音が聞こえると、ヒロミは血相を変えて飛んできたのだった。

さて、そのことを思い出したぼくは、さっそく『ヒロミ足臭い』を録音した。
そして「懐かしいものを見つけた」とタイトルし、ヒロミに送った。
ヒロミはいたく気に入ったようで、『しんたさんの着信音にする』らしい。

ということで、しばらくこれで遊べそうだ。
ただ、一つ残念なことがある。
それは、携帯ではシンセサイザーのように音階がつかない、ということである。



2006年05月16日(火) まだ歯医者通いが続いている

昨日は今年に入って三度目の歯医者に行った。
4月末の日記に、キャラメルを食べていて被せていた歯が取れたために歯医者に行ったと書いたが、その歯医者通いがまだ続いているのだ。
いや、取れた歯はすぐに治ったのだが、以前治療した歯の半年点検というのがまだ続いているというわけだ。

連休明けの月曜日に二度目に行った。
その時は上の歯の歯石をとった。
そして三度目の昨日は下の歯の歯石をとった。
歯石をとると歯がツルツルするし、歯の隙間から空気が通る感じが実に気持ちいい。

気持ちいいのなら別に何度行ってもいいのだが、問題はそれを取る時にある。
先の尖ったやつで、歯の隙間や歯茎をキンキンやるのだ。
おかげで、鋭い痛みが走るし、歯茎にその先が当たったところからは血が出るしで、大変なのである。
虫歯の治療と何ら変わらない。
いや、これなら虫歯の治療のほうがまだ楽である。
何せ、今の治療は痛くないのだから。

そのメンテだが、あと一回来てくれということだ。
ということで、来週も月曜日が休みだから、その日に予約を入れておいた。
次回は薬を塗るらしい。
おそらく、ソーダのようなものを歯に塗るのだろう。
まあ、それはそれで気持ちいいのだが、そのせいで休みの半分が潰れてしまう。
それが嫌である。

休みの日は、時間に縛られたくないのだ。
しかも時間は午前9時である。
ということは、休みの醍醐味である朝寝坊が、そのせいで消えてしまうということだ。
あ、そうだ!
最近の楽しみにしている、モーニングも食べに行けないのだ。
あーあ、せっかくの休みが台無しじゃないか。



2006年05月15日(月) 新曲はできたものの…

今、一生懸命新曲を作っているところである。
が、なかなか出来なくて困っている。
いや、曲はだいたい出来たのだが、歌詞のほうがどうもうまくいかないのだ。
恋は人を詩人にすると言われるが、出来ない理由はただ一つ、ぼくが恋をしていないからなのだろう。
しかし、恋なんかしたくても出来るものではないし、後々面倒なことになるからしたくもない。
ということで、新曲は当分お預けになると思われる。

とはいえ、せっかくできた曲なのだから、何とか形に持って行きたいものである。
恋がだめなら生活だとか季節だとか、いろいろテーマはあるはずだ。
そのへんに絞っていけば、打開できるのかもしれない。
しかし、である。
今回の曲は、曲調からして恋なのだ。

歌なんて歌詞次第じゃないかと思われるかもしれない。
そう、歌詞次第で恋にも人生にも持っていけないこともない。
それはそうなのだが、曲にも個性があるのだ。

例えば、あの有名な葬送行進曲というのがあるが、例えばあの曲に、
「きみと出会った並木道〜♪」
などとという歌詞を付けても、ピンと来ないと思う。
そういうものなのだ。
曲というのは、それなりの雰囲気を持っているものなのである。
それをこちらの都合で変えていたりしたら、曲に失礼だ。

ぼくが作った曲には、そういうものがかなり多くある。
つまり、歌詞つかずで、ずっと放っているということだ。
よく人から、
「詩を書いているくらいだから、歌詞なんか簡単に書けるだろう」と言われるが、そういうものではない。
詩を書いているからこそ、詰まってしまうものなのだ。
例えば、先の葬送行進曲のような歌詞でいいのなら、すぐにでも出来る。
曲と字数さえ合っていればいいわけだからだ。
しかし、詩を書いているからこそ、その曲の持つ雰囲気というのがよくわかる。
だから、なかなか手を出せないのだ。

さて、この曲どうしようか?
その他の曲と同じように放っておこうか。
それとも、曲の雰囲気に合わない歌詞をつけようか。
しかし、せっかく気に入っている曲だから、何とかしたいものである。



2006年05月14日(日) オナカ君とチャット〜♪

二日酔いで、午前中はずっと気分が優れなかった。
いや、気分が乗らなかったと言ったほうがいいか。
今日は、午後からオナカ君がネットオークションに出品するとかで、その手伝いをやりに行く約束をしていた。
それまでに日記を上げればいいや、と思っていたが、まったくだめだった。
とにかくヤル気が起きないのだ。

しかも、昨日ヤンキースの松井をあざ笑った報いなのか、朝から手首が痛かった。
どうも寝ている時に手首をひねったようだ。
そのせいで、起きあがる時に手をつくことが出来なかった。
もちろんそうなると、ギターを弾くことも出来ない。
せっかく久しぶりに録音しようと思っていたのに、また延びてしまったわけだ。
いや、手首は言い訳で、やはりヤル気がなかったのだろう。
痛くても車は運転できたわけだから。

さて、午後になった。
が、どうも二日酔いが抜けきらない。
それに加えて捜し物が見つからなかったこともあり、出かけるのがかなり遅れてしまった。
しかし、オナカ君といっしょに行ったラーメン屋でチャンポンを食べてから、何とか気分のほうは回復した。

その後、オナカ君の家に行き、活動開始。
何枚かの写真を撮り、何とか出品は成功した。
それにしてもオナカ君のパソコンは動作が鈍い。
高校の頃のオナカ君は、その風貌から『カメさん』と呼ばれていたが、愛称そのものの動きしかしないのだ。
それもそのはず、いまだダイヤル接続なのだ。
オークション用にと、Yahoo!のメッセンジャーを入れようとしたのだが、1秒間にわずか5KBしかダウンロード出来ないから、40分以上もかかってしまう。

以前から、ぼくはオナカ君に「せめてADSLにしろ」と言っていた。
が、オナカ君はぼく以上に面倒くさがり屋のため、なかなか腰を上げなかったのだ。
しかし、今日のことで懲りたのか、「光が安ければ、それに変える」ということになり、今日とうとう光の契約をしたのだった。

さて、これでようやくオナカ君も光の仲間入りをするわけだ。
メッセンジャーも入れたことだし、これから夜はオナカ君とチャットでもやろう。
オナカ君ファンの方、参加しませんか?



2006年05月13日(土) 当たり前やん

二日酔いである。
が、別に頭が痛いとか、下痢をしているとかいうわけではない。
何となく気分が優れずに、思考が散漫になっているのだ。
そのせいで日記が書けないでいる。

なぜ二日酔いになったのかというと、それは酒を飲んだからだ。



2006年05月12日(金) 白髪に効くシャンプー3

ここ最近、以前このブログで紹介した『白髪に効くシャンプー』の記事にアクセスが急増している。
検索等でここにたどり着く人が多いようだ。
皆さん、白髪に苦労されているみたいで、コメントなどを読むと、身につまされる思いがする。
ぼくも長年白髪に泣かされた経験を持つ人間なので、どうも人ごとには思えないのだ。
ということで、お役に立てればと思い、コメントや問い合わせメールにはすぐに返信することにしている。
しかし、その都度コメントやメールを書いてもらうのも大変だと思う。
そこで、そのシャンプーをお知らせしておくことにする。

そのシャンプーは、IASO化粧品というところが出している、『プラチナシャンプー』というシャンプーである。
有名デパートや一部の化粧品店・薬局などで売っている。
またネットでも販売しているので、もし興味があったら検索してみたらいい。
検索ワードは『IASO化粧品』でもいいし、単に『IASO』だけでもいい。

特に『白髪に効く』などとは謳ってないが、実際ぼくや嫁ブー、またぼくの周りの人が使ってみて「白髪が減った」と実感しているわけだから、そこそこは効くのだと思う。
ただ、個人差というのがあるので、誰にでも効くわけではないということは断っておく。
まあ白髪に効かなかったにしても、無添加シャンプーだから、髪や頭皮にダメージを与えることはない。
ということは、安心して使えるということだ。
そこそこ高い値段だが、いろいろ夢見ながら、頭を洗うのも一興かと思う。

以上、お知らせしました。
ただ断っておきますが、ぼくは別にIASO化粧品とは一切無関係な人間です。
それゆえに、買ってくれとは言いません。
あとは自己責任ということで、お願いします。



2006年05月11日(木) ヒロミちゃんのこと

一昨日、テレビでアテンションプリーズを見ている時だった。
ヒロミからメールが届いた。
『アテンションプリーズの美咲(のキャラ)と、わたしってダブる?』
と書いてあった。

テレビでは、ちょうど美咲が放送局の人から取材を受けている場面で、「美咲さんにはオーラが出ている」と言われていた。
そこでぼくは、
『オーラのことか?』
と聞いてみた。
するとヒロミから、
『そう。こんなんやないやろ!?「(このブログのカテゴリの)ヒロミちゃん」を見ている友だちから言われる(絵文字)』
と返ってきた。

その後ヒロミから、
『しんたさんに(美咲とダブるかどうか)聞くって言ったから、詳しく書いて(送って)ね。(その友だちに)転送するけ』
と言ってきた。
急にそういうことを言われても、何と書いていいのかわからない。
そこで、
『ヒロミちゃんは、写真のような人ですよ』
と書いて、例の「ウンモンスズメ」の写真を添付して送った。
するとヒロミから、
『気持ち悪…い』
と返ってきた。

さて、たしかにヒロミは美咲のように、こちらの方言で言うところの『とんぴんはねる(軽率に騒ぐとかいう意味)』ような女性ではない。
いかにも良家のお嬢さんらしく、落ち着いた雰囲気を持っている。
人と話す時も、いつも鼻に笑みを浮かべて静かに聞いている。
が、気がつけば、爪楊枝を持って耳の掃除をしている。
そして、突然変なことを言い出す。
そういうタイプである。


 ※ヒロミちゃんのメールは、彼女独自の感性で書いているので、わかりづらいと思います。()で補足しておきました。



2006年05月10日(水) 昆虫日記

(1)
昨日の蛾だが、『ウンモンスズメ(雲紋雀蛾)』という名らしい。
朝出がけに見てみたのだが、昨日の場所にまだ止まっていた。
しかし、昨夜ほど元気がないようで、葉っぱのような羽の紋が枯れているように見えた。
夕方帰ってみてみると、さすがにもういなかった。
死んだのかと思ってその辺を見回してみたのだが、死骸はなかったので、おそらくどこかへ飛んでいったのだろう。
しかし、インパクトのある蛾だった。

そういえば、このへんに生息する蝶は、モンシロチョウやモンキチョウやアゲハチョウといったオーソドックスな種類しかいないのに比べ、蛾のほうは大きいのから小さいのまで実に種類が多い。
また昨日の蛾のように、デザインも多彩である。
前にぼくは金色の蛾を見たことがある。
金色の紋や帯があるのではなく、羽全体が金色だったのだ。

(2)
そういえば、昨年変な虫の写真を撮ったことがある。
これを撮った時は、ここに載せようと思っていたのだが、ヒロミや中リンに送っているうちに、アップするのを忘れていた。
で、今日アップしておく。

変な虫2

クモのように見えるが、その肌艶がクモのそれと違っていたし、糸を吐いているわけでもない。
その歩くスピードからして、どうも歩いて生活しているように見えるのだ。
そのスピードは半端ではなかった。
「殺さんけ、じっとしとけ」と言うのに、さっさと歩いていく。
そのため、写真に納めるのに苦労したものだった。



2006年05月09日(火) カジュアルな蛾

家に帰ってみると、玄関灯に興奮している蛾がいた。
気にせず玄関の鍵を開けようとすると、突然ぼくに攻撃を仕掛けてきた。
蛾粉を振り撒きながら、ぼくの顔をめがけて飛んでくるのだ。
そのため、その場にいることも出来ず、なかなか鍵を開けられない。
手で振り払うと、逆上するのか、さらに攻撃を仕掛けてくる。

数分後、蛾は疲れたのか、玄関灯の下で休憩モードに入った。
そこでようやく鍵を開けることが出来た。

この蛾、よく見るとカジュアルっぽい柄をしている。
ベージュとグリーン、迷彩服を着ているようにも見える。
嫁ブーと二人してじっとこの蛾を見ていると、嫁ブーがポツリと言った。
「もしかしたら、この蛾はうちの守り神かもしれんね」
後日日記に書くかもしれないが、このところ、あまりいいことがない。
それゆえに、嫁ブーの言葉通りであってほしい、とぼくは思ったのだった。



2006年05月08日(月) 『パパと呼ばないで2』をやってほしい

日曜日に楽しみにしている番組がある。
それは『パパと呼ばないで』である。
もちろん現行のドラマではない。
スカパー!でやっている、再放送だ。
もう何度も見ているので、あらすじも覚えているのだが、それでも見てしまう。
内容はもちろんだが、古いドラマは、それをリアルタイムで見ていた頃の自分をも蘇らせてくれるからだ。

このドラマをやっていたのは、1972年だから、ぼくが中学3年の頃だった。
水曜日の夜にやっていたのだが、その頃、水曜日の夜というのは、面白いドラマが目白押しだった。
8時台がこの『パパと呼ばないで』で、9時台は『時間ですよ』があった。
この二つの作品は、ある共通点がある。
それは、どちらのドラマも脚本に向田邦子が携わっているのだ。

さて、その『パパと呼ばないで』もそろそろ最終回に近づいてきた。
下宿屋の娘の園子(松尾嘉代)がパパの右京(石立鉄男)に、「チー坊(杉田かおる)のママになりたいの」と言い、ハッピーエンドとなるわけだが、その時ぼくは、いつも思うことがある。
それは『パパと呼ばないで2』をやってくれないかなあ、ということである。
その後、右京と園子、そしてチー坊はどうなったのか。
それを知りたいのである。
下宿屋の親父(大阪志郎)と魚屋の親父(花沢徳衛)以外は健在だし、やってくれてもいいのではないか?

成人して『鳥の詩』というヒット曲を持つ歌手になったチー坊だったが、なぜか婚期を逃し、ずっと独身を通してきた。
ところが、30代後半になりあるお金持ちに見初められて電撃結婚。
しかし、すぐに離婚して戻ってきた、というところから物語を始めてもいいじゃないか。
「右京と園子の子が出来て、面白くないチー坊は次第にグレていき、中学で子供を産む」というエピソードを添えても面白いかもしれない。
とにかくやってほしい。



2006年05月07日(日) 世間では連休最後の日だが…

(1)
世間では連休最後の日だが、ぼくにとっては、2連休の最初の日である。
つまり、今日と明日が休みというわけだ。

毎年同じことを書いているようだが、ゴールデンウィークというのは、ぼくのような流通にいる人間にとっては、平日なのである。
それでも店の場合は、普段よりもお客さんの数が多いはずだからから、忙しいだろう。
しかし、今ぼくがやっているような倉庫から物を運ぶ仕事は、暇である。
いや、別に仕事の量が少ないわけではない。
相変わらず仕事はハードである。

では何で暇なのかというと、それは車の量が少ないからだ。
普段なら渋滞などで時間がかかる道が、連休のおかげでスイスイ行ってしまう。
そのために時間が短縮されるというわけだ。
時間が短縮されるなら、その分の時間を他の配達に充てればいいわけだが、配達する場所は限られているし、配達する一日の量も限られている。
そのために時間をもてあましてしまうのだ。

ぼくの場合、暇はストレスに繋がる。
暇だとろくでもないことを考えてしまうからだ。

(2)
夕方のニュースで、天気予報の当たる確率は82%だと言っていた。
確かに、この連休中の天気予報はよく当たった。
だが、今日に関しては外れていたようだ。
今日の天気予報は、午前中まで雨が残り、午後からは晴ということだったが、実際は朝からどんより曇った空で、午後からも同じくどんよりと曇った空だった。
こういう天気の日には外に出る気がしない。
そのため今日は午前中は寝て、午後からはテレビで野球を観戦していた。
野球が終わって外を見ると、相変わらずどんよりと曇っていた。
ま、ホークスが連勝したので、気分的には晴れていたが。

(3)
忘れていた。
明日は歯医者だった。
ということは、今日は徹夜は出来ないということだ。
まあ、歯石を取るだけらしいので、別に行かなければ行かなくてもいいとは思うが、ここで怠けて、また10ヶ月も通うようなことになったらことである。
もう次は治療するところなんかないのだ。
そう、次行く時は、入れ歯になる時なのである。
それだけはどうしても避けたいので、明日は必ず行くことにしよう。

ということで、この日記は、徹夜せずに翌朝書きましたとさ。



2006年05月06日(土) 上履きの臭い(後)

3週間を過ぎた頃だった。
午前中の作業を終えて手袋を外した時、どこからともなく臭いがしてきた。
「ん?何か懐かしい臭いだ」とは思ったが、その時は気にならなかった。

ところが昼食時に、その臭いがだんだん強くなってきた。
そこでいったん食事を中断し、臭いの根源を探ってみることにした。
まず身の回りのものをチェックしてみたのだが、臭いはそこからするのではなかった。
「もしかして足か?」と靴を脱いでみたが、そこでもない。
そうこうしているうちに、臭いは消えた。

「やはり気のせいか」と思い、また箸を持って弁当を食べようとした。
その時だった。
またしても臭いがしだしたのだ。
どうも臭いは手から発しているようだ。
だが、手のひらは臭わない。
「もしかしたら」と、今度は指を嗅いでみた。
ここだった。
それがわかると同時に、懐かしい臭いのことも思い出した。
上履きの臭いである。

「しかし、何で指が臭くなるのだろうか」
考えてみたら、思い当たる節がある。
手袋の素材は綿とゴムである。
そう、上履きの素材と同じなのだ。
汗で蒸れたせいで、小学生の頃と同じように、中が腐ってきたというわけだ。

ということで、食事が終わってからさっそく手を洗い、そのついでに手袋も洗った。
手袋の中に水を入れると、黒いカスが浮いてきた。
手袋を裏返すと、思った通りで、中は思った通りボロボロになっていた。
そこで新しい手袋を買いに行ったのだが、そこには同じ手袋しか置いてなかった。
「これもまた2週間しか持たんよなあ…。結局は高いものについたわい」
と思いながら、ぼくはその手袋を買ったのだった。



2006年05月05日(金) 上履きの臭い(前)

小学生の頃、上履きを裸足で履いたことがあるだろうか?
最初のうちはそうでもないのだが、だんだん蒸れてきて、中が腐っていき、最終的には破れる。
その過程における臭いというのがたまらない。
特に、腐って中がボロボロになった時に、足の指に付着するカスの臭いは強烈である。
よくぼくたちはそのカスを集めて、誰のが一番臭いかという競争をやったり、「これ臭うてみ」と女子の鼻のそばに持っていったりしていたものだ。

そういう臭いも、もう過去の思い出の一つになってしまった。
…と思っていたら、ひょんなことからその臭いに遭遇することになったのだ。
新しい職場、そこは段ボール箱に入った商品が数多く積み上げられている。
その段ボールを積み上げたり、降ろしたりするのが、今やっているぼくの仕事の一つである。
段ボールを素手で触ると、なぜか手が荒れる。
そのため軍手をはめて作業していたのだが、どうも軍手は弱い。
だいたい1週間程度で、指先が破れてしまうのだ。

そこでもっと強いのはないかと探してみると、工事の人がよく使っている、手のひら部分がゴムで覆われた手袋を見つけた。
そこには『強い』と書かれていた。
「これだ」と思い、ぼくは軍手よりもはるかに高いその手袋を買った。

なるほど強度はいいようだ。
1週間経っても2週間経っても破れない。
「これは安い買い物をしたものだ」とぼくはその時思った。
だが、その手袋をすると、えらく汗をかくことに、ぼくはその時気づかなかった。



2006年05月04日(木) モーニング

(1)
嫁ブーと休みがいっしょの時、たまにやっていることがある。
それは、レストランにモーニングを食べに行くことである。
以前は、休みといえば朝遅くまで寝ていたので、そういうことは考えつかなかっ
た。
が、職場を変わってから、早起きが習慣になってしまい、そのせいで、そういう
ことを考えつくようになったというわけだ。

ということで、今日は朝9時に近くのレストランにモーニングを食べに行った。
セットの中身はというと、特に変わったものはない。
コーヒー、トースト、ベーコンエッグ、といった昔ながらのモーニングの定番で
ある。
味も普通なのだが、そういったことよりも、休みの朝という解放された一日の始
まりに、何かやっているという充実感が何となくいい。
今日一日が、いい日のように感じるのだ。

(2)
前の会社にいた時は、よく喫茶店のモーニングサービスを利用していたものだ。
通勤時に駅前の喫茶店に立ち寄り、それから会社に行っていたのだ。
入社間もない頃に、ついコーヒーのにおいに釣られて店に入ったのがきっかけだった。
最初はぼく一人で行っていたが、そのうち嫁ブーなんかも参加するようになった。
後年に昇格してからは、早朝会議に出席しなければならなくなったために、それができなくなったのだが、それまでの数年間は足繁くその喫茶店に通っていた。

(3)
先日、前の会社の近くに行った時に、その喫茶店の前を通ったのだが、すでに店は潰れていた。
そういえば、うちの近くにあった喫茶店もかなり前に潰れている。
以前は街に氾濫していた喫茶店も、そのほとんどが潰れたり、増床してレストラン化したりしている。
もう純喫茶みたいなのは流行らないのだろうか。

(4)
東京にいる時は、よく友人たちとモーニングを食べに行っていた。
そこで、ちょっと驚いたことがある。
その友人たちは、トーストがくると、それに塩をかけだしたのだ。
ぼくが「何で塩をかけるんか?」と訊いてみると、友人は「だってバターだけじゃ味が薄いじゃん」と言っていた。
変なことやるなあと思っていると、店にいた周りのも同じように塩をかけて食べているではないか。
東京人が濃い味を好むことを、ぼくはその時初めて知ったのだった。
で、ぼくも感化されたのか、それ以来トーストには塩をかけるようになった。
しかし、こちらに帰ってからは、また塩をかけなくなった。
なぜなら、こちらの喫茶店のテーブルには、塩が置いてないからだ。



2006年05月03日(水) 皆岡伸太と山原ほうぼう

ぼくはこのブログの他に、『ショートホープブルース♪』と『詩集 吹く風』いうブログをやっている。
その二つのブログは日記として捉えてないので、毎日更新しているわけではない。
気の向いた時に細々とやっている。

さて、その二つのブログには、それぞれ違ったハンドルネームを用いている。
『ショートホープブルース♪』のほうが「皆岡伸太」で、『詩集 吹く風』のほうが「山原ほうぼう」である。
この二つのハンドルネームの由来をよく訊かれる。

「皆岡伸太」については、すでにこのブログに書いているが、これはシャレである。
音楽関係のハンドルネームということで、プレイヤーズ王国でもこのハンドルネームを使っているのだが、以前そこに書いた日記に、

時々「皆岡伸太って本名ですか?」と聞かれることがある。
こういう場所で本名を出せるほどの勇気を、ぼくは持っていない。
皆岡伸太という名前は、いわゆるハンドルネームというヤツである。

ということで、次に来る質問は、当然「このハンドルネームの由来は?」ということになる。
その際ぼくは、こう答えている。
「九州弁です」と。
と書いている。
何が九州弁かというと、「皆岡伸太」というのは名前の読み習わしで「みなおかしんた」となるわけだが、普通に読めば「みんなおかしんたい」である。
つまり「みんな、おかしいんだ」を、九州の人間は「みんな、おかし(い)んたい」と言うというわけだ。
ということで、これは人を舐めた名前である。

もう一つの「山原ほうぼう」は、19〜20歳にかけて、詩の投稿用のペンネームとして使っていたものである。
山原というのは、北原白秋や中原中也のように「原」を使った姓を付けたかったからだ。
いろいろ考えた挙げ句、知り合いにいないという理由から「山原」にしたわけだ。

まあ、それはいいにしろ、いつも訊かれるのは「ほうぼう」のほうである。
これは、ボブ・ディランの『おれはさびしいホーボー(I AM A LONESOME HOBO)』という歌のタイトルからとっている。
『HOBO』というのは辞書を調べてもらったらわかると思うが、放浪者という意味である。
19〜20歳というと、ぼくは浪人していたわけだが、その浪人というのは大学浪人でもなく、就職浪人でもなかった。
浪人という初めての経験に、何をどうしていいのかわからずに、ただ生きていただけの時期だった。
そういう時に、この『おれはさびしいホーボー』という歌に出会ったのだった。
そして、その主人公を自分に置き換えていたというわけである。

ということで、ハンドルネームの説明は以上だが、人を舐めてたり、悲観的だったりと、ろくな名前ではない。
こういうろくでもない名前が定着する前に、新しいハンドルネームを考えないと。



2006年05月02日(火) 通勤時の怪

先月に新しい道が開通してから、通勤時はずっとその道を通っているのだが、あれ以来渋滞を味わったことがない。
新しい道は三菱化学や安川電機、新日鉄といった大きな工場の前を通って行く道なのだが、それまで利用していた国道3号線にしても線路を一つ隔てているだけで、そんなに工場と離れているわけではない。

そういうことから、以前は「そこで働いている人たちの通勤と重なるために渋滞するんだ」と思っていた。
ところがここにきて、その思いは変わった。
道が出来たとはいえ、たった一車線増えただけなのである。
そこに勤めている人たちは、いったい何時に出勤しているのだろう?
いや、いったいどの道を利用しているのだろうか?
今、そういう思いで、新しい道を走っている。



2006年05月01日(月) 早起き日記

(1)早起き
仕事の影響なのか、早起きになっている。
つい2ヶ月前までは朝8時頃に起き出すのが常だったが、最近では6時である。
無理矢理その時間に起きているのではない。
勝手に目が覚めるのだ。
しかも目覚めもいいときているから、もう一度寝る気にもならない。

睡眠時間はというと、寝るのがだいたい11時前になっているから、7時間は寝ていることになる。
まあ、早く寝るのは酒のせいであるが、自然に寝入り、充分に睡眠をとり、自然に目覚めるという健康的な生活を送っているというわけだ。

さて、早起きして何をやっているのかというと、別に散歩したり庭を掃いたりなどといった年寄り臭いことをやっているわけではない。
日記を書いているのだ。
朝のほうが頭が冴えているからという理由からではない。
早く寝るようになったので、夜に日記を書くことが出来ないからだ。
最近、とりとめのない話をこの日記に書くようになったのも、そのせいである。
もちろん、この日記もそうである。

(2)奥様いらっしゃいますか?
職場を変わってから、嫁ブーと休みが合うことが少なくなった。
で、嫁ブーを会社まで送ったあとは、いつも一人である。
一人で家にいると気楽でいいのだが、面倒なこともある。
何が面倒かというと、電話である。
嫁ブーがいる時は、いつも嫁ブーが電話の応対をやっているのだが、一人だと当然ぼくがでなければならない。
勧誘の電話の応対などは、本当に嫌である。

さて、そういう電話の中に、嫁ブー宛の電話もある。
その際、いつもこういうやりとりをやっている。
「しろげさんのお宅ですか?」
「はい、そうですけど」
「奥様いらっしゃいますか?」
「今日は仕事でいませんけど」
「ああ、そうですか」
ここまではいいのだが、その次に決まってこういうことを聞かれるのだ。
それは、
「あのー、失礼ですが、ご家族の方ですか?」である。

あのー、失礼ですが、『ご家族』以外の誰が電話に出るというのでしょうか?
先方は、ぼくの声を聞いて、外部からの侵入者だとでも思っているのだろうか。


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