先日ここに書いた『ザターン』が、とうとう稼働を始めた。 初日の昨日は、朝からザターン目当ての人が多く来場したらしく、午前中のラジオでは「すでに2時間待ちの状況」だと言っていた。 スタートからゴールまで1分もかからないアトラクションで2時間待ちとは、いったいどのくらいの人が並んでいたのだろうか。
さて、そのザターンだが、幹線道路に面して設置してある。 そのおかげで仕事中に試運転を見ることが出来たわけだ。 で、昨日も仕事中にザターンの横を通ったのだが、十数台の車がそこに列をなして停まっていた。 駐車場は別の場所にあるので、別に駐車場待ちをしているのではない。 いったい何をやっているのだろうと見てみると、みな車の窓を開けてザターンの方向を向いている。 どうやらギャラリーらしい。 「こんなところで見るくらいなら、ちゃんと入場して乗ればいいのに」と思ったものだ。 まあ、フリーパス付きのチケットが4200円だから、たった1分のアトラクションのために遣うのはもったいない気もする。 しかし、そこにいた子供たちのゴールデンウィークの想い出は、「ザターンを見学した」ということになるのだから、かわいそうな気がする。
ところで、前に議論を闘わせたザターンのエンジンの件だが、他の絶叫マシン同様にワイヤーで引っ張っていることがわかった。 そうだろう、ロケットエンジンを使うわけがない。 ましてやペットボトルの応用とかありえない。 バネなんてもってのほかだ。 パチンコの玉じゃあるまいし。
それから1ヶ月ほどして、またしてもキューキュー音がしだした。 そして、前回と同じように、キューキュー音が止まったあとでエアコンのランプが点滅し始めた。 またしてもTさんに電話である。
「やっぱりエアコンだめみたい」 「えっ?」 「朝また点滅しだしたんですよ」 「全然効かんと?」 「いや、スイッチを押し直したら効くんですけど…」 「で、その後はいいと?」 「それが、またしばらくすると、点滅するんですよ。それでまたスイッチを押し直す。運転中、ずっとそんなことやってます」 「うーん、困ったねえ…。あっ、近々車検やったねえ」 「ええ」 「じゃあ、その時トヨタに持って行って見てもらおう」 ということで、ぼくは車検の日まで汗をかきながら、エアコンのスイッチを切ったり入れたりしていた。
さて、車検の日、トヨタにぼくの車を持って行ったTさんから、さっそく連絡が入った。 「中の部品がいかれとったみたいやね。その部品を取り替えてもらったけ、もう大丈夫みたい」 「また点滅とかしてないですか?」 「うん。今トヨタから会社に戻ってきたんやけど、ずっと点灯しとったよ。よく冷えてるし」 「そうですか」 「車を預かっとる間、様子見てみる。またおかしかったらトヨタに持って行くことにするけ」 「お願いします」
翌日車検が終わり、車が戻ってきた。 Tさんは開口一番、 「あれから様子見とったけど、エアコン大丈夫やったよ」と言った。 「そうですか。じゃあ、もう汗かいて運転することもなくなるんですね」 「うん」 「ああ、よかった」
ところがである。 それから2週間ほどして、助手席に乗っていた嫁ブーが、突然「クーラー直ったと?」と聞いた。 「この間修理したんぞ」 「何か暑いんよね」 「えっ?」 そこでスイッチを確認すると、またしても点滅しているではないか。 例のごとく、Tさんに電話である。
「また点滅してますよ」 「えーっ!?」 「もうだめなんですかねえ?」 「うーん…」 「仮にエアコン買い直すとしたら、いくらかかりますか?」 「20万円ぐらいするやろうね」 「20万…。中古車が買えるじゃないですか?」 「そうやねえ…」 「どうしたらいいですかねえ?」 「中古車あたってみようか?」 「そっちのほうがいいみたいですね」
その後、Tさんはぼくのところにくるたびに、中古車情報を持ってくるようになったのだった。 しかし、これと言ったものが見つからない。 ということで、今また、汗をかきながら会社に通っている。
車のエアコンの具合が悪くなってから、もう1年が経つ。 家ではエアコンを使わないぼくだが、さすがに車の中では使わずにはおれない。 直接日が当たるものだから、暑くてならないのだ。
そのカーエアコンが壊れたのは昨年の今頃のことだった。 運転中に、突然助手席の前のところから「キューキュー」という音がした。 最初は気にしなかったのだが、だんだんその音が大きくなっていった。 そこでさっそく懇意にしているカーショップのTさんに見てもらったのだが、「何も異常はない」と言う。 何も異常がないなら、別にかまわんと思って乗っていた。 しかし、キューキュー音は相変わらずだった。
それから1ヶ月ほど経ったある日のこと、今度はそのキューキュー音が突然止まった。 そのとたんにエンジンの音が変わった。 「やはりおかしい」と、よく見てみると、エアコンのランプが点滅している。 「たしかここは点滅じゃなく、点灯していたよな」 そう思って、エアコンの吹き出し口に手を当ててみたら、何とそこから温い風が出ているではないか。
再びぼくはTさんに連絡した。 「この間変な音がするんで見てもらったでしょう」 「うん。異常はなかったよ」 「あの後、その音が止まったんですよ」 「それはよかったやん」 「いや、よくないんですよ。音が止まったとたんに、エアコンが効かんようになったんですよ」 「えっ、エアコンが効かん?」 「そうなんですよ」
ということで、すぐにTさんがやってきて、車を点検してくれた。 「どうも配管が詰まっとるみたいやね。ちょっと持って帰って調べてみる」 そう言って、Tさんはぼくの車を会社に持って帰った。
しばらくしてTさんから連絡が入った。 「最近エンジンルームを開け閉めせんかった?」 「ウォッシャー液入れたけど」 「ああ、その時やね。閉める時に他の部品が配管を圧迫しとるんよ。それでガスが通ってないみたいやね。そこを手直ししてみるけ」 「お願いします」
それから2時間後に車は戻ってきた。 「もう大丈夫。会社からここまでずっとエアコン効いとったよ」 「そうですか」 ということで、その日は久しぶりにエアコンの効いた車で帰ったのだった。
ぼくはだいたい1年に一度、携帯を買い換えている。 この1年というのが、結構長く感じる。 新しい物好きであるゆえに、新しい機種が出たらすぐに色気を出してしまう。 しかし、それを買うことが出来ない。 なぜなら、インセンティブの関係で、買い換えてから1年経たないと安くならないからだ。 まあ、インセンティブなんか気にしなければ買うことは出来るのだが、その際は定価で買わなければならない。 前はほとんどただで買えた携帯に、6万円とか7万円とか費やすのも考えものである。 そういうわけで、インセンティブが適用される1年後をひたすら待つことになるのだ。
さて、現在使っているFOMAだが、あと1ヶ月で1年になる。 ということで、今からソワソワしている。 すでに新機種の機能は調べ上げているから、買う機種も決まっている。 今回は前回のようにカメラ機能に重きを置いた機種ではなく、iモード機能に重きを置いた機種を選ぼうと思っている。 なぜなら今使っている機種はインターネット上で使えるテキスト数が500文字と限られているため、携帯でブログの編集をする時に501文字以降の文章がすべて消されてしまうのだ。 これでは使えない。
まあ、前回の買い換えはその前の機種が壊れたという理由もあった。 そのせいでろくに機能を調べもせずに、ただ一番新しい機種という理由から買ったのだった。 だから今回は、その失敗を繰り返さないようにと、機能の細部(インターネットに関してだけだが)まで調べたのだ。
ということで、今回の買い換えは、すべて計画的にやっている。 上記の機種の検討の他、支払いも楽になるようにしている。 昨年ドコモカードに入会し、すべての支払いをこのカードに移行させポイントをためることにした。 そのおかげで、今回の買い直しは手出しが少なくてすみそうだ。 あと1ヶ月ちょっと、待ち遠しい。
配達帰りのこと。 ちょうどスペースワールドの横を通っていた時に、トラックの運転手が、 「あの新しい乗り物(ザターン)、いつからかねえ」と聞いてきた。 「今月の29日からですよ」 「もうすぐやねえ」 「乗りに行かないんですか?」 「行くわけないやない。あんなのに乗ったら気分が悪くなる」 「おれ、乗りたいですよ」 「ああいうの、好きなんね?」 「大好きです。下腹がムズムズするような感覚がいいんですよ」 「うーん、よくわからんなあ…。そりゃそうと、今日は試運転してないねえ」 「雨がパラついているからじゃないですか」 「ああ、そうかもしれん」
そういう話をしている時に、ちょうどザターンの横にさしかかった。 その時だった。 助手席に乗っているぼくの横を、ザターンが「ゴーッ」という音を立てて、走り抜けたのだ。 運転手もそれに気づき、二人で「行ったー」と叫んだ。 その叫び声が終わる前には、ザターンはもう頂上まで上り詰めていた。 そして、急降下して一気に下まで降りてきた。 トラックがザターンの横を通り抜ける、ホンの数秒の出来事だった。
「すごいねえ、あれ」 「速かったですねえ」 「あっという間に頂上やったねえ」 「ええ。エンジン、何を使ってるんですかねえ?」 「ロケットエンジンやろうか?」 「それじゃあ火を噴くじゃないですか」 「ああ、そうか。やっぱりワイヤーみたいなので引っ張るんかねえ?」 「いくら機械で引っ張るとしても、あれだけのものを一気に頂上に持って行けないでしょう」 「うーん」 「ペットボトルロケットの原理ですかねえ」 「空気圧くらいじゃ、あんな重たい物を動かすことは出来んやろう。おそらくバネやろかもしれん」 「パチンコじゃないですか」
ザターンの試運転を目の当たりにし、興奮したメカ音痴の二人は、職場に戻るまで延々と議論を闘わしたのだった。
2006年04月25日(火) |
マイルドセブン・スーパーライトボックスブルース |
これはずっと以前に書いたことがあるのだが、ぼくに『ショートホープブルース』という名の歌やブログがあるからといって、別にぼくはショートホープを吸っているわけではない。 この歌を作った頃は、確かにショートホープを吸っていたのだが、ここ10年間はずっと『マイルドセブン・スーパーライト・ボックス』で過ごしている。
それはショートホープに比べると、ニコチンやタールの量が少ない、つまり軽いからという理由からではない。 今吸ってるタバコが、一番ぼくに合っていると思うからだ。 吸った後に気分が悪くなったり頭が痛くなったりすることもないし、立て続けに吸ってもきつくない。 ということで、この先もずっとこのタバコを吸っていこうと思っている。
ところが、最近このタバコをあまり見かけなくなったのだ。 前は職場で買っていたが、先月そこを離れてからは、もっぱらコンビニを利用していた。 数日前、いつものようにコンビニに買いに行くと、そのタバコが見あたらない。 そこで係員に、「マイルドセブン・スーパーライト・ボックスないんですか?」と聞いてみた。 すると係員が「これでしょ」と差し出したのは、『マイルドセブン・ライト・ボックス』だった。
「いや、それじゃなくて」と、ぼくは持っていたタバコを見せた。 「えっ、同じじゃないですか」 「よく見て下さい。こちらは『スーパーライト』。でもそちらは『ライト』でしょ」 「ああ、そうですねえ。じゃあ、それは置いてないです」 「品切れですか?」 「いや、前から置いてなかったと思いますよ」 「先週ここで買ったんですよ」 「えっ?」 「アイテム、外したんじゃないですか?」 「そうかもしれませんねえ…」
しかたなく、その時はボックス仕様ではない、『マイルドセブン・スーパーライト』を買って帰ったのだった。 しかし、それはボックス仕様の分と比べると、タールが1mg多い。 たかが1mgであるが、その1mgがぼくには合わないのだ。 口の中に入った煙が、何か重く感じる。 やはり、ボックスじゃないとだめだ。
ということで、自動販売機を当たってみることにした。 まず行ったのは、職場近くにあるスーパーだった。 そこには新しい自販機が置いてあったのだが、その自販機にはスーパーライト・ボックスはなかった。 同じく職場近くの路上にある自販機にも置いてなかった。
次に行ったのは、実家近くのタバコ屋だった。 「スーパーライト・ボックス下さい」というと、おばちゃんは「はい」といって、ボックスを出してくれた。 さすがにタバコ屋である。 そこにはちゃんと置いてあるのだ。 ということで、これからはそこで買うことに決めた。
しかし、タバコ屋だと時間が限られてしまう。 例えば、夜タバコが切れた時には、もう開いてないのだ。 やはりコンビニで買うのが一番である。 隣のセブン、また仕入れてくれんかなあ…。
朝8時半に目を覚ましたぼくは、歯医者に電話をかけた。 「はい、○○歯科クリニックです」 「昨年の8月までそちらに通っていた者なんですが、その時につけた冠が外れたんですよ。今日治療できますか?」 「はい、大丈夫ですけど、何時がよろしいでしょうか?」 「いつでもいいんですか?」 「はい」 「じゃあ、9時半からお願いします」 「えーと、お名前は?」 「ああ、しろげしんたといいます」 「はい、わかりました。では9時半ということで」 「よろしくお願いsます」
歯医者は9時から開いているので、その時間に行ってもよかったのだが、今日は嫁ブーが仕事なので送って行かなければならなかった。 それから帰ったら、だいたい9時半になる。
ぼくはさっそく身支度をした。 以前10ヶ月も通ったところだから、これといって飾らなくてもいいのだが、それでも髭だけは剃っておいた。 一昨日から伸びっぱなしなのだ。 口の中を触るわけだから、当然あごや鼻の下に手を当てることになるだろう。 その時チクチクさせるのも悪いと思ったわけである。
とくに注意したのは歯磨きである。 歯医者に行かなくなってから、身を入れて歯を磨くことが少なくなっていたのだ。 もし歯垢などがたまっていたら、歯の磨き方の指導を受けなければならない。 そうなると、時間がかかってしまう。 ということなので、歯磨きだけは念入りにやった。
さて、身支度をすませてから、嫁ブーを送っていき、歯医者には予定通り9時半についた。 中に入ると、そこに見慣れた待合室があった。 そこに置いてある本も、あの頃と変わらない。 その中の一冊をとり出し読んでいると、8月に終わった治療がいまだに続いているような気持ちになった。
「しろげしんたさーん」 「はい」 「お入りください」
いよいよである。 診察台に座っていると、先生がやってきた。 そして「開けてください」と言った。 ぼくはその言葉を聞くと、条件反射のように口を開いた。 ここでも8月がそのまま続いていたわけだ。
先生は手慣れた手つきで、ぼくの口の中を調べていった。 「他に異常はないですね。で、この冠、いつ外れましたか?」 「昨日の夜です」 「じゃあ、この冠をそのままつけておきますね。今日はそれをつけて終わりにして、あと2日ばかり来てもらいます」 「えっ?」 「前の治療から半年経っていますので、歯石とかを取っておかないとね」 半年点検といったところだろうか。 まあ、歯をいじられるわけでもないからと、躊躇せずに次の治療の予約をしたのだった。
夜のことだった。 実家に行くと、ぼくの好きな『森永キャラメル』が置いてあった。 食事前なので、ふつうなら食べない場面だ。 しかし、明日が休みということもあり、つい一粒口に入れてしまった。
それがいけなかった。 その後、一つが二つに、二つが三つになっていった。 気がつくと、そこには10数個分のキャラメルの包みが散らばっていた。 「あっちゃー、これはいかん。このへんでやめとかんと、飯が入らん」 と、最後のキャラメルを噛んだときだった。 ガチッと歯に当たるものがあった。
その感触、以前に何度も味わったことがある。 「もしかしたら…」と、その『ガチッ』を口の中から取り出してみた。 やはりそうだった。 歯にかぶせていた冠が外れたのだ。 一昨年の11月から昨年の8月までの足かけ10ヶ月、ぼくは歯医者通いをやっていたのだが、冠はその時かぶせたものだった。 ちょっと早すぎる気がする。
しかし、外れたと言っても、別に食事とかに支障があるわけではない。 外れた部分は穴が開いてしまったわけだが、その下はしっかりセメンのようなものが埋まっていて、中に異物が侵入しないようになっているようだ。 とはいえ、このまま放っておいたら、そのセメンのようなものまでが外れる可能性もある。
ということで、明日は休みを利用して、歯医者に行ってこようと思っている。
昨日、ヒロミの家に行った時、ヒロミからおもしろい話を聞いた。 ヒロミの家の近所の家で飼っている犬が、ガンになったという。 そこで、そこの奥さんは仕事を辞めて、けっこう長い期間看病したらしい。 犬の治療には金がかかるらしく、点滴一回につき5千円も取られるのだそうだ。 それをほとんど毎日やっていたというから、驚きである。
が、その甲斐もなく、その犬は死んでしまったという。 人並みに葬式を上げ、荼毘に付したあと、これもまた人並みに納骨堂に納めたそうだ。 その納骨堂には、多くの犬や猫の骨が納められていたらしい。 ペットを飼わないぼくとしては、それだけでも驚きだが、さらに驚いたことがある。
ヒロミ「それがねえ、そこの納骨堂に納めてあったの、犬とか猫だけじゃなかったらしいんよ」 しんた「何があったんか?」 ヒロミ「カメよ、カメ」 しんた「えーっ、カメー!?」 ヒロミ「普通、カメなんか納骨堂に納めんやろ?」 しんた「おう。生ゴミといっしょに捨てるんやないんか。愛情があるなら土に埋めたりするやろうけど…」 ヒロミ「そうやろ」 しんた「だいたいカメを火葬にするほうがおかしいのう」 ヒロミ「ねえ、カメは犬とか猫みたいに、人になつくんかねえ?」 しんた「なつかんやろう。別に餌くれとか言って鳴くわけでもないし」 ヒロミ「そうよねえ」
さらにヒロミは、衝撃の事実を述べた。
ヒロミ「そうそう、そこにあったのカメだけじゃないんよ」 しんた「他にもあったんか?」 ヒロミ「うん。スズメ…」 しんた「えっ…。スズメちゃ野生やろうもん」 ヒロミ「いや、飼っとったんかもしれんけど…」 しんた「それも火葬したんか?」 ヒロミ「そうみたいよ」 しんた「焼き鳥やないか」 ヒロミ「そうやろ」 しんた「今でも焼鳥屋に行ったら、スズメのメニューがあるところもあるぞ」 ヒロミ「捕まえて飼っとったんかねえ?」 しんた「もしかしたら、生まれたばかりのを捕ってきて、育てたんかもしれんのう」 ヒロミ「ああ、そういうこともあるねえ」 しんた「でも、鳥は土に埋めるやろう。うちも飼っていたセキセイインコが死んだ時、土に埋めて墓石代わりにカマボコ板立てとったぞ」 ヒロミ「そうよねえ、それが普通よねえ」
世の中、何かおかしい。
3月から、夕方5時半に仕事を上がるという定時の生活をやっている。 そのせいで残業手当がつかなくなり、収入が大幅に減ってしまった。 先日、今月の給与明細を見た時、あまりの少なさに思わず笑ってしまったものだった。 この状態がずっと続くとなると、おそらくぼくの生活は破綻してしまうことだろう。
とはいうものの、定時の生活そのものは、そんなに悪いものではない。 何せ早く帰れる分、自分の時間を持てるようになったのだから。 その時間に、今までやりたくてもやれなかったギターの練習をしたり、歌を録音したりしている。 また、以前は出来なかった、毎日の半身浴も実行している。 人から「痩せたねえ」と言われるのは、案外この半身浴のおかげかもしれない。 ということで、アフター5.5は結構充実している。
さて、今日のアフター5.5のこと、ヒロミからメールが入った。 『今、歯医者の帰り道です』 意味がわからない。 家に帰ってから、さっそく嫁ブーに、そのことを言った。 「おい、ヒロミから、『今、歯医者の帰り道です』というメールがきたぞ。何かのう?」 「ああ、じゃあ電話してみる」
嫁ブーはヒロミに電話をした後、「ねえ、これからヒロミちゃんの家に行かん?」とぼくに言った。 「えっ、今からか!?何で、また…」 「いやね、昨日ヒロミちゃんから『DVD買ったんやけど、操作がイマイチわからんけ、しんたさんに説明してくれるように頼んで』という電話があったんよ」 「じゃあ、さっきのメールは、催促のメールか?」 「うん」 ということで、ぼくは風呂に入ったあと、嫁ブーと二人でヒロミ家に行き、楽しいひとときを過ごすことが出来たのだった。
前にも話したが、ぼくの家からヒロミの家まで30キロ程離れている。 もし前の職場なら、家に帰るのが9時になるため、それができなかっただろう。 おそらく、後日休みを利用して行くことになったと思う。 しかし、今の職場では、それが簡単に出来るのだ。
ということで、これからは収入が減ったと思わずに、自由な時間を買ったと思うことにしよう。 せっかく買ったものだから、有効に遣わせてもらいます。
今日の午後3時、新たな道が開通した。 その道は、県内でも有数の渋滞スポットである、黒崎地区の渋滞緩和策のひとつとして出来たものである。
いつもこの日記に「渋滞渋滞」と書いているが、その渋滞がどのくらいひどいのかというと、かつて路面電車が走っていた頃に黒崎車庫前というバス停があった。 そこから次のバス停である黒崎駅前までは、歩いて2,3分程度だった。 ある日バスに乗って黒崎に行った時、その2,3分を歩くのが面倒で、次の黒崎駅前で降りることにした。 それが間違いだった。 何と30分以上もかかったのだ。 いや、事故があったわけではない。 それは自然渋滞がさせた業なのである。 まあ、これは極端な例かもしれないが、それに近い渋滞が交通戦争と呼ばれた時代から何十年も続いているというわけだ。
その緩和策として、かなり前から黒崎バイパス構想があった。 だが、ずっと計画だけで、着工したのは2年ほど前である。 しかも、その道が開通するのは10年以上先と、気の遠くなるような話だった。 となると、高校時代から会社を定年退職するまで、ぼくの人生は、ずっと渋滞に悩まれた人生ということになってしまう。
ところが先月、ひとつの朗報が入った。 ある人が「黒崎から東田(スペースワールドのあるところ)まで、新しい道が開通するらしいよ」と言ったのだ。 それを聞いてぼくは「えっ、10何年後の話じゃないんですか?」と言った。 「いや、新聞に今年の4月開通と書いてあったよ」 「そうですか…?」
ぼくは半信半疑だった。 というのも、バイパスは高架上を走るのだ。 しかし、その高架はまだ橋げたを造っている段階である。 毎日ぼくはその横を通っているが、素人目で見ても、それが1ヶ月そこらで完成するとは思えない。
そこで、その新聞の記事を読んでみた。 なるほど、4月開通と書いてある。 が、よく読んでみると、それはバイパスではなく、その側道的なものが開通するという話だった。 ぼくはてっきり、10数年後に開通するバイパスの工事だけやっているのだと思っていた。 が、それと並行して側道も造っていたのだ。
ということで今日、新しい物好きなぼくは、さっそくその道を走ってみた。 これまでは、工場と一方通行で遮られていた道が、ちゃんと通れるようになっている。 これまで、そこが通れないおかげで、渋滞のひとつの原因となっている難所『筒井交差点』を通らなければならなかった。 それが通れるのだ。 これは感動である。
さらに感動したのは、スペースワールドがわりと近くにあるということだった。 これまで国道を利用してスペースワールドに行っていたが、2,30分かかっていた。 ところが、その道を通ると、10分少々で着くのだ。 10分少々で着くというのは、つまりは庭みたいな場所だということである。 そこで、さっそくぼくは、その庭の中にある『ザターン』に乗る計画を立てたのだった。
今日の天気は、予報では晴で夕方から雨、それもかなり強い風を伴った雨だということだった。 しかし今日は朝からとてもいい天気で、夕方から雨が降るとは到底思えなかった。 昼間も同じくいい天気で、若干の風は吹いていたものの、とても強風になるような風ではなかった。 それでも、ラジオの天気予報では、相変わらず「ところによって雷雨」とか「強風波浪注意報」などと言っている。 それを聴いて、ぼくは「その強風がどこからやってくるのか教えてください」などと思っていた。
夕方になってようやく風が出てきたが、空は相変わらず晴れていた。 家に帰る時、西日を避けるためにサングラスをかけたほど、太陽はまぶしかった。 ところが、家に帰ってから、風呂から上がるまでの1時間少々の間に、天気は一変していた。 予報通り雨が降りだしたのだ。 しかも雨脚はかなり強かった。 そして夜になってから、「暴風・波浪警報」まで発表されたのだった。 いやはや、天気予報というのは当たるものなんですね。
ところで、よく天気予報で「西の風やや強く晴」などと言っているが、いったいどうやって風の予想を立てるのだろうか? 理科の苦手なぼくでも、雨の場合は雲の流れなどから察することが出来るというのはわかるのだが、風となるとまったくわからない。 あんな気まぐれな風を、どうして捉えることが出来るのだろう。 しかも、地域ごとに細かく捉えているのだから恐れ入る。 何でそういうことがわかるのか? 不思議である。
現在日記は、朝更新しないと、いくら昼間携帯で書き上げても夜の更新になってしまう。 モブログだとか、携帯編集だとか、いろいろと便利な機能がついているので、それを活用してはいるものの、実際はパソコンには上がってない。 そこで、家に帰ってから再構築しなければならない。 それでやっと見れるようになるわけだ。
何のことをいっているかというと、現在『空を翔べ!』をやっているブログサーバーのことである。 前々から使っているものなので使い勝手はいいのだが、そういう肝心なことへの対処がなされてないから困ってしまう。
それだけではない。 上に書いた『再構築』、これも問題のひとつである。 ぼくのブログには『オリジナル曲リスト』などというものを掲載しているのだが、1曲上げるたびに『再構築』しなければならない。
オリジナル曲リストは、トップにも個別の記事にも月別にもカテゴリ別にも掲載している。 そこで再構築は、そのすべてをやらなければならない。 まあ、トップだとか月別だとかカテゴリ別だとかは、そんなに数がないからいいのだが、問題は個別の記事である。 何せ、2200件くらい記事があるので、それらすべてを再構築しなければならないのだ。 そのせいで、かなり時間がかかる。 早くて20分、遅い時には1時間かかっても終わらないことがある。 たった1曲のために、1時間もかけてやっているのだから、かなり効率が悪い。 きっと『空を翔べ!』のように記事数の多いブログは、今のサーバーは不向きなのだと思う。
そこで、また新たにブログを借りることにした。 いや借りたのではなく、今まで使っていたところを『空を翔べ!』に変更したのだ。 「http://mengly.jugem.jp/」 ↑ここがそうである。 『たまに人生を語る』をやっていたところだ。 ここだと再構築などといった面倒なものもないし、携帯からの更新でもすぐに掲載される。 ということで、今後はここを中心に展開しようと思っている。 何度も移転して申し訳ありませんが、これからは新たなブログでお願いいたします。
昨日、ブログ『ショートホープブルース♪』(タイトル変更)で「スポットライト」という曲を公開した。 1978年東京にいた頃に作ったものだから、この曲もぼくのほとんどのオリジナル曲と同様に、そろそろ30年になる。
歌詞を見てもらったらわかると思うが、この曲はこれは結婚披露宴の歌である。 そのため、この曲を聴いた人が、「この曲を親戚の結婚式で歌わせてくれ」と言ってきたこともある。 しかし、その時ぼくは断った。 なぜ断ったのかというと、この曲が未完成だったからである。 なぜ未完成のまま放っておいたのかというと、ぼく自身がこの曲を気に入ってなかったからである。 なぜ気に入ってなかったかというと、ギターで作った曲だからである。
そういう気に入らない歌を、なぜ今頃やるのか。 それは、完成したからである。 仕事が終わって家に帰る途中、ふとこの歌が口をついて出た。 「ああ、こういう歌もあったなあ」などと思っているうちに、曲が出来上がってしまったのだ。 そこで家に帰ってから、すぐにギターを手にしてこの歌をうたってみた。 まあまあである。 ということで、何日間か練習して、何とか様になったので、昨日公開に踏み切ったというわけだ。
ところで、この歌は当初『K君』というタイトルがついていた。 別に、高校時代の友人K君の結婚のために作ったわけではない。 では、なぜ『K君』なのかというと、特に理由はない。 たまたまこの歌を作った時に、高校時代の同級生であるK君の顔が浮かんだので、『K君』としたまでである。 まあ、その縁(?)もあって、K君の結婚式に呼ばれたらこの歌をうたおうと思っていた。 だが、その後K君と会うことはなかったために、その案は没となった。 …というエピソードがある。
転勤以来、休みはいつも日曜と月曜である。 曜日はずれるものの、学校や一般企業と同じく5勤2休というパターンだ。 毎週連休があるので、最初は楽そうな気もしていたのだが、長年2勤1休+3勤1休でやってきた後遺症なのか、どうも5勤2休は落ち着かない。 以前は、前の晩から「明日は休みだ!」という喜びもあったのだが、今はそれがない。 さらに言えるのは、連休に解放感も何も感じないということだ。
平日は肉体労働の疲れですぐに寝てしまうために、やりたいこともやれないでいる。 きっとその反動だと思うが、土曜日の夜は眠たいにもかかわらず、ムキになって平日出来なかったことを一気にやってしまおうとする。 深夜を過ぎても何か小忙しく、つい夜更かししてしまう。 そのせいで休みはいつも寝不足状態だ。 翌日も休みなのだから少し寝ればいいのだが、時間がもったいなく感じて、どうもそれが出来ない。
それが日曜日の状態である。 で、その夜ゆっくり寝ているのかというと、そうではない。 やはり土曜日と同じことをやっているのだ。 そして月曜日も、相変わらず寝不足状態で、気力なく時は過ぎていく。
これでは解放感も何もあったものではない。 正月以外の連休を知らないぼくにとって、連休というのは単なる時間の浪費に過ぎないのだ。 上手な連休の楽しみ方というものはないのだろうか?
配達時よく通る道沿いに、気温の表示をしているところがある。 3月初旬に転勤になって以来、いつもそれを見るのを楽しみにしている。 春から夏にかけて、気温が上昇している様を確認出来るからだ。
楽しみはそれだけではない。 その気温を表示している場所は2ヶ所あって、1ヶ所はバイパスに、もう1ヶ所はバス通り沿いにある。 バイパスは山手を走るので、平地を走るバス通りと比べると、若干気温のずれがある。 その温度差を比べてみるのも面白い。
さて、その楽しみを見つけたのは先にも書いたとおり3月初旬だったが、その時期というのは、春とはいうもののまだ冬の延長である。 その時期の気温表示は、だいたい6度前後だった。 たまに10度を超えることもあって、その時には「やっぱり10度を超えると汗ばむね」などと言っていた。 彼岸前に気温は一気に上昇し、その頃には13度前後になっていた。 その頃には、たまにその気温表示が10度になっていたりすると、「10度しかないんか。どうりで寒いと思った」、と言うことが変わってきた。 同じ10度でこの違いである。
4月に入ると、さすがに気温も上昇してきて、先週などは20度を超える日もあった。 ところが2,3日前から雲行きが怪しくなってきた。 昨日はようやく13度だったが、雨風のせいでそれでも寒く感じた。 それでも13度なら、まだ春の気温である。 ところが今日、さらに気温は下がっていたのだ。 午前中にそこを通った時は、何と8度だった。 午後からも気温は上がらず、ぼくが見た限りでは9度が最高だった。
4月の中旬に、8度9度という3月上旬頃の気候は、すごく応える。 しかも、すでに春の装いをしているのだから、その寒さは真冬ほどにも感じる。 しかも、そういう日に限って、仕事が少ないときている。 仕事がないと、体を動かすことがない。 そうなると、暖房のない寒い倉庫でじっとしていなければならない。 底冷えはするし、鼻水は出るし、くしゃみはするしで、寒さが苦手なぼくにとっては、地獄さながらであった。 いったいいつになったら、春本番になるのだろう。
昨日、嫁ブーが「ねえ、アメリカに電話したいんやけど、かけていい?」と聞いてきた。 「アメリカ?」 「うん。A代おばちゃんのところ」 Aおばちゃんというのは嫁ブーの親戚で、現在アメリカに住んでいる。 「ああ、いいよ。別に断らんでいいやないか」 「アメリカまでやけ、電話代がかかると思ったけ…」 「いや、それほどかからんと思うぞ」 「だってうちの実家はKDDIでかけよるんやけど、けっこうかかるみたいよ」 「大丈夫っちゃ。うちはIP電話やけ」 「IP電話って国際電話かけられると?」 「もちろん」 「でも、国内よりは高いんやろ?」 「確かアメリカなら国内にかけるよりも安かった。…と思う」
そう言った後、心配になったぼくは、プロバイダの料金表で確認してみた。 「おい、やっぱり安いみたいぞ」 「本当?」 「…えっ?ちょっと待て。おかしい…」 プロバイダの料金表の見方がよくわからない。 一方は安くなっているのだが、もう一方の記述では少し高い。 「わけわからん。まあ、とりあえずかけてみ」
ということで、KDDIではなく、IP電話経由でかけさせることにした。 嫁ブーの電話は「ハロー」から始まり、いろいろ近況報告をした後、「じゃあ、またね」で終わった。 その間、10分ほどだった。 電話をかけ終えた嫁ブーは、すかさず「いくらやった?」とぼくに聞いた。 「ちょっと待って」
IP電話のいいところは、安価な通話料はもちろんだが、その通話料をパソコンで確認できることにある。 さっそくぼくはパソコンを開いて、通話料を確認した。 だが、その国際電話の料金は出てなかった。 おかしいなと思って、説明書きを読んでみると、通話後2時間経たないと新しいデータは出てこないらしい。
「あー、だめ。2時間後しかデータが出らんらしい」 「そうなん。じゃあ2時間後、また調べてね」 「おう」 とは言ったものの、2時間後、ぼくはすでに寝ていた。 朝起きてすぐにそのことを思い出したのだが、若干寝坊してしまったため、パソコンを開く暇もなく出勤した。 仕事中も、そのことが気になっていたのだった。
さて、家に帰ってから、さっそくパソコンを開いてみると、そこには4月に入ってからのデータが並べてあった。 その下の方に、他のデータより一桁多い電話料金が書いてあった。 電話番号を確認してみると、それが昨日の国際電話の料金だった。 ぼくはすぐさま嫁ブーに報告した。 「おい、わかったぞ」 「ああ、昨日の電話料金?」 「おう」 「いくらやった?」 「他の電話料より、一桁多いぞ」 「えっ…、いくら?」 「聞いて驚くなよ」 「‥‥」 「10分16秒かけて、21円50銭やった」 「えー、そんなに安いと?」 「おう。さすがIP電話やの」 ということで、IP電話の安さを再認識した一日であった。
ゴミ出し日になると、いつもやってくる迷惑な動物がいる。 そう、カラスである。 ぼくが出勤する時、いつもゴミ収集所の周りに彼らはたむろして、「カーカー」言っている。 「汚い」「迷惑だ」「うるさい」「気味が悪い」「危ない」「凶暴だ」「意地が悪い」「不吉だ」 彼らを評する町の声である。
確かにその通りだ。 ゴミの件を別にしても、車の前を平気で横切ったりするので、迷惑だし、危ないし、また不吉でもある。 だが、ぼくは個人的に、それほどカラスを嫌ってはいない。 どちらかというと、親近感を抱いている。
それは、学生時代に隣のおじさんがカラスを飼っていたことに起因する。 まあ、飼っていたというか、羽をケガしていたカラスをどこからか拾ってきて、ケガが治るまで保護していたと言ったほうが正しいだろう。 そのカラス、拾われてきた当初は人間に警戒心を抱いていたのか、「カアカア」言ってうるさかった。 しかし、しばらくすると、ヒョコヒョコとおじさんの後をついて回るようになった。 おじさんが仕事に出かける時などは、いつもまでも見送っていたものだった。 それを見て、それまでカラスに対して、あまりいいイメージを持っていなかったぼくも親近感を抱くようになったのだ。
また、こういうこともあった。 ぼくが自動車の教習所に行っていた頃の話だ。 教習所は山の麓にあり、いつもカラスが下りてきていた。 教習所内のコースを走っている時、ある場所に来ると、教官がいつも「ちょっとここで停まって」と言った。 言うとおりに停まると、教官は車を降りて「おはよう」と言った。 誰に言っているのかと見てみると、教官の前に2羽のカラスが舞い降りてきた。 教官は、「ここをウロウロすると危ないよ。はい、これ食べて帰りなさい」と言って、餌を置いた。 車に戻ってきた教官は、「あのカラス、夫婦でね。いつも私が来ると寄ってくるんよ」と言っていた。
さて、今日のことだった。 ある店に配達に行った時のこと、その店の上の電線にカラスが1羽とまっていた。 いつもそこにはカラスがたくさんとまっているのだが、今日はその1羽しかいなかった。 「今日は少ないなあ」と思って見ていると、どこからともなく別のカラスが降りてきた。 そして、そのカラスの横にとまった。
喧嘩でもするのかと思っていると、降りてきたカラスは、何と「カア」と言ってお辞儀をしたのだ。 すると、最初にとまっていたカラスも、「カア」と言ってお辞儀をした。 その後も、5回ほど交互に「カア」と言ってお辞儀をやっていた。 カラスがお辞儀、そんなことあるのだろうか? ちょっと不思議な光景だった。
(1) 車を運転している時、よく大型トレーラーを見かけるのだが、そこに乗っている荷物を見て、「いったい、あれは何に使うんだろうか?」などと思ってしまうことがある。
今日横を走っていたトレーラーに乗っていたのは、ドラム缶を10本くらい繋げたような鉄管だった。 まさか煙突になるわけでもないだろうし、一体何に使うものなのだろうかと首をひねってしまった。
鉄管といえば、かつてぼくの前を走っていたトレーラーに乗っていた鉄管を見て度肝を抜かれたことがある。 その径が相撲の土俵大ほどあるのだ。 それがどうもグラグラしているような気がする。 時折「ドンドン」という音までするのだ。 後ろを走りながら生きた心地がしなかったのを覚えているのだが、あの土俵大の鉄管は何に使うものなのだろうか。
(2) 何ヶ月か前にスペースワールドの横を通った時、近くの空き地に3メートルほどの黒い鉄骨のようなものが、いくつも置いてあった。 ぼくはそれを見て、いつものように「何に使うのだろう」と思っていた。 先月のことだった。 久しぶりにスペースワールドの横を通ると、入り口の横に『U』という文字を逆さにしたような巨大な鉄骨が立っていた。 よく見ると、何ヶ月か前に見た例の鉄骨がいくつもあった。 どうやら巨大鉄骨は、それをつなぎ合わせて作ったものらしい。 「ああ、これに使ったのか」と、ようやく納得がいった。 が、再びぼくは首をひねった。 その『逆さU』の巨大鉄骨が何だかがわからないのだ。
しかし、その疑問はほどなく解けた。 それは新種のジェットコースターで、『ザターン』というものらしい。 調べてみるとその『ザターン』は、高さ65メートルで、最大傾斜角89度という。 文章だけでは、どういうものかわかりづらいだろうから、リンクを張っておく。 これである。 4月29日稼働開始らしい。
久しぶりに前にいた職場に行った。 いつも隣の店には行っているのだが、忙しいためなかなかそこに立ち寄る時間が持てない。 たまたま今日は、銀行に行く時間をもらい、そのついでに店に寄ったというわけだ。
ぼくがその店に行くのは、先月の頭に部門閉鎖になって以来のことだから、1ヶ月ちょっとぶりになる。 その部門閉鎖の際に、みんなバラバラになってしまったわけだが、中には残っている人もいる。 イトキョンもその一人である。 、彼女は「薬品と化粧品の売場は存続させる」という会社の意向のおかげで、転勤の難を逃れたのだ。
今日、ぼくが立ち寄った時、たまたまそこにイトキョンがいた。 ぼくが「イトキョン、元気?」と言うと、キョトンとしていた。 彼女は、一瞬誰なのかわからなかったようで、化粧品の子が「あっ、しんたさん、お久しぶりです」と言ったので、ようやくわかったようだった。 「あー、しんちゃんか」 「あんた、相変わらず人の顔覚えきらんみたいやね」 「いや、ちょっと考え事しよったけね」 「元気そうやん」 「いちおうね。それにしても、しんちゃん痩せたねえ」 「えっ、痩せたかねえ?」 「うん、顔が細くなって、前よりも目が大きく見えるよ」 「気がつかんかった。そういえば、最近ズボンがタブタブになった」 「仕事、きついと?」 「うん、このところ残業続きでね」 「残業?」 「うん」 「じゃあ、前と変わらんやん」 「いや、残業と言っても、前みたいにただ会社に残っとるだけじゃないんよ。2時間残業なら、2時間みっちり肉体労働やけね」 「ふーん、きついんだ。でも、肉体労働で痩せたんなら、健康的な痩せ方やん」 「そうやね」
イトキョンとしばらく話したあと、ぼくはそこで買い物をして帰ったのだが、イトキョンの『痩せたねえ』という言葉が気になっていた。 いや、別に痩せたことを気にしたわけではない。 何キロになっているのかが気になったのだ。 ホームページを始めた頃から、体重はずっと75キロ前後だった。 どうにかして70キロ、せめて72キロにまで持って行きたいと思い、努力をしていたわけだ。 しかし、食事を制限したり、たまに運動したりしても、なかなか体重は減るものではない。 そのため、半分諦めていたのだが、イトキョンの『痩せたね』発言である。
「イトキョンがあそこまで言うんだから、もしかしたら、72キロになっているかもしれん。いや、きっとなっているだろう」 帰る道々、ぼくはそんなことを考えていたわけだ。
仕事中もずっとそのことが気になっていた。 「もしJR通勤に変えたら、家から駅まで15分と、電車を降りてから会社まで15分の計30分歩くことになる。往復だと1時間か。それだけ歩いたら、もう少し体重は減るかもしれん。このまま一気に70キロに持って行こうか…」 家に帰る頃には、すでにぼくは70キロになっているような、爽快な気分になっていた。
ということで、家に帰ってから、さっそく体重を量ってみた。 例の体脂肪も測れるタイプのヤツだ。 体重計に乗ってみると、まず体重が表示された。 「えーっ!?」 おかしい。 何度やっても、表示画面には74キロとしか出てこない。 1キロしか痩せてないのだ。 このくらいなら、風邪を引いた時の体重と変わらない。 しかも体脂肪は、前に測った時と同じく『やや過剰気味』の18.4パーセントのままである。 顔やせした分、また腹回りの肉が落ちた分、いったいどこに体重は移動したのだろうか? 1キロ軽くなった分、ぼくの気は重くなったのだった。
2006年04月10日(月) |
『HAPPY!』を探す(後) |
8軒目の店、そこは前の7軒とは若干趣が違っていた。 それまでに行った7軒はコミックを中心とした本と、CDやDVDといったソフト類で構成されていたのだが、8軒目に置いてあった本はコミックだけで、その他にあったのはCDやDVDではなく、何とフィギアだった。 どうもマニア御用達の店のようだ。 ぼくは一瞬戸惑った。 だが、コミックの量が半端じゃない。 そこで、そういうことには目をつむって、本を探すことにした。
『HAPPY!』はほどなく見つかった。 しかし、あったのは1巻と2巻だけだった。 「やっぱりここもだめか」 そう思って、店を出ようとした時だった。 入口付近に、コミックのセットが置いてあるのに気がついた。 他の店にもセットものはあったのだが、値段が高いので目もくれなかった。 ところが、そこのセットものは破格値で売っているのだ。 そこで念のために、探してみることにした。 すると、その一角の下の方に、『HAPPY!』という文字が見えた。 「あった!」 23巻すべて揃っているのだ。
価格を見ると、やはりそれも破格値で売っている。 しかも、本の程度は良さそうだ。 ぼくは迷った。 全巻まとめてラッピングしているから、おそらくバラ売りはしてくれないだろう。 ということは、全巻買わなければならない。 となると、それまで買ったものが無駄になる。 しかし、これを逃すと、門司や小倉といった慣れない場所に行かなければならない。 それも、残りの本があるかどうかはわからないのだ。
いちおう財布の中を覗いてみた。 『HAPPY!』を買うためにいちおう軍資金を用意していたのだが、先ほど買った5冊分をさっ引いても、全巻買えるだけの余裕はあった。 というより、それほど安いのだ。 それで決心した。 ぼくはラッピングされた本の塊を持ってレジに行った。 そして家に帰って、さっそく15巻から読み始めた。 ということで、『HAPPY!』問題は一日で解決したのだった。
ところで、今まで持っていた14巻までと、新しく買った5冊をどうするのかというと、決して売ったりはしない。 予備で持っておくつもりだ。 ぼくは本を風呂に入って読むので、たまに濡らすことがあるのだ。 他の本はともかく、『HAPPY!』は絶版ゆえに、もう手に入らないからだ。
さて、これで現在までに発売されている浦沢直樹のコミックは、すべて揃ったことになる。 あとは現在連載している『20世紀少年』と『プルートウ』のコミック続刊を、気長に待つばかりである。
2006年04月09日(日) |
『HAPPY!』を探す(前) |
朝起きてから、ずっと『HAPPY!』を読んでいたのだが、昼前に手持ちの14巻までを読み終えてしまった。 そこまで読んでしまうと、どうしても続きを読んでみたくなる。 しかし、昨日書いたとおりで、15巻から23巻までは持っていない。 しかも残念なことに、すでにそのコミックは絶版になっている。 ということで、古本でもいいから『HAPPY!』15巻から23巻までを手に入れようと思うに至った。
さっそく電話帳で区内にある古本屋を調べたが、そこにあるすべてを半日で回ることは出来ない。 ということで、「ブック××」という名の店だけをピックアップして回ることにした。
最初に行った店で、まず15巻と17巻の2冊を見つけた。 「これは幸先がいい」と思い次の店に移動すると、そこには18巻と19巻の2冊があった。 3軒目はだめだったものの、4軒目で22巻をゲット。
ピックアップした店は全部で8軒である。 残り4軒で4冊見つければいいわけだ。 が、そうは簡単にいかなかった。 次に行った店には、残りの巻どころか『HAPPY!』すらなかった。 6軒目、『HAPPY!』はあったのだが、10巻までだった。 7軒目は1巻から3巻までしかなかった。
残っているのは、今日ピックアップした最後の店である。 もしそこになければ、昔ながらの古書店で探すことになるのだが、そういう店ではコミックの扱いが乱雑きわまりない。 ラベラーを持っていないのか、決まって裏表紙あたりにボールペンやエンピツで「¥100−」などと書かれていたりする。 それが実に汚らしい。 セットものは紐できつく縛って、店頭に置かれていたりするものだ。 また、黄ばんでいたり、虫が食っていたり、破れていたり、中には異臭すらするのさえある。 だから、そういう店は出来たら避けたい。
そうなると、近郊で探さなければならない。 市内なら門司や小倉といった遠い場所になるが、そういう場所は地理がよくわからない。 おそらく地図を準備しての本探しになるだろう。 それでも本が見つかれば文句はないのだが、見つからなかった時に受けるダメージはかなり大きいに違いない。 ということで、出来ることなら今日全部揃えたい。 それを願って、8軒目の店に入ったのだった。
昨日、テレビで『HAPPY!』をやっていた。 10年ほど前、ぼくは毎週「ビッグコミックスピリッツ」を買っていたのだが、その際真っ先に読むマンガがこの『HAPPY!』だった。 もちろんコミックも買っていた。 それを10巻まで揃えた頃だったろうか、それまで楽しみにしていた他のマンガが次々と終わってしまい、読むマンガが『HAPPY!』だけになってしまった。 ちょうど経済的に苦しい時期だったこともあり、とりあえずスピリッツの購読はやめ、『HAPPY!』はコミックで読むことにした。
その後何巻か集めたところで、今のマンションに引っ越したわけだが、書籍類の整理がつかないまま2年ほどが過ぎた。 そのせいで『HAPPY!』を何巻まで持っているのかがわからなくなった。 本屋に行くたびに『HAPPY!』の新刊を買おうと思っていた。 しかし、ぼくは過去『サイボーグ009』『あしたのジョー』『1・2の三四郎2』などで、同じ巻を何回も買う過ちを犯している。 そういう経緯があるため、いつも買うのを躊躇してしまった。 そしていつも「整理がついてから買うことにしよう」ということになり、買うのをやめた。 その後、同じ作者(浦沢直樹)の『MONSTER』や『20世紀少年』といった作品に興味が移ってしまい、『HAPPY!』の存在は忘れてしまった。
そういう時に、昨日のドラマである。 ドラマでは5巻までの話しかなかった。 そのため、続きが見たくなり、整理のつかないまま放っておいたコミック『HAPPY!』を引っ張り出してきた。 見ると14巻までしかない。 続きを読むのはいいが、途中で終わってしまうと、フラストレーションがたまるばかりである。
そこで、ネットで続きを購入しようと、書店サイトなどを見てみた。 ところが、ぼくが集めていたビッグコミック版の『HAPPY!』はすでに絶版となっていた。 その後『完全版』という形で発売されているようだが、ビッグコミック版が全23巻なのに対し、完全版は全15巻である。 これでは、何巻目からが15巻以降かがわからない。 しかも、その完全版でさえいくつかの巻が「在庫入荷予定なし」という状況なのである。
これは困った。 古本を買うという手もあるのだが、過去にぼくは、破れていたり、ページ落ちしていたり、ボールペンで落書きしている本をつかまされた経験を何度も持っている。 それゆえ、古本は買わないようにしているのだ。
とはいえ、14巻までしか読めないとなると、さらにフラストレーションはたまるだろう。 ここは昨日のドラマを見た人の反応を期待するしかない。 もし「原作を読みたい」という声が上がったら、出版社も復刻を検討するだろう。 それまで待つことにしようかなあ…。 しかし、そうなると、全巻一斉に発売することはないだろう。 復刻版のお決まりである、一ヶ月置きに2巻ずつ発売とかになるのは目に見えている。
やはり、古本に手を出すしか方法はないのか? 明日、近くのブックオフにでも行ってみるか。
今朝も時間がなく、30分ほどで日記を書き上げたため、中途半端に終わった感がある。 だが、文章を追加したり、書き直したりしようという思いはさらさらない。 残業続きのせいで、そこまで考えることが出来ないのだ。
さて、肉離れのその後の状況だが、今日家に帰ってきてから、恐る恐る患部を触ってみた。 患部はえらく硬くなっている。 おそらく強く打ったために、筋肉がこぶのようになっているのだろう。
21歳の頃に自転車に乗っていて事故にあったことがあるのだが、その時もふくらはぎを強打した。 その時は、昨日よりひどい症状で、筋肉がへこんでいた。 それでも筋肉がこぶのように硬くなることはなかった。 しかも翌日には回復し、ハードなアルバイトに出かけたものだった。 あの頃と比べると、確実に回復力は落ちている。
今日も残業だった。 これまでやってきた販売という業務と違って、肉体労働の残業というのはホント応える。 例えば、販売の場合は「切りのいいところでやめて帰ろう」ということが出来たのだが、今の仕事はそれが出来ない。 とにかく、その日の仕事はその日に終わらせておかなければ、翌日は収拾がつかなくなる。 そのため、体を駆使して、なるべく早く仕事を終わらせようとする。 その焦りが事故に繋がったりするわけだが、今日ぼくはちょっとした事故に遭ってしまった。
夕方のことだった。 そこまでで、今日の仕事の3分の2くらいしか消化出来ていなかった。 このままだと5日連続の残業になってしまう。 そこで焦りが出た。 店に配達した荷物を降ろそうとして、いつものようにトラックの荷台に飛び乗った。 ところが勢いがつきすぎてしまい、荷台の床に這わしてあるローラーに足を取られ、そのまま荷台の下に転落した。 その時、右足のふくらはぎを仕切でしたたか打ってしまったのだ。
一瞬息が止まるくらい痛かった。 まあ、そのせいで立てなくなるといったことはなかったのだが、おそらく肉離れでもしているのだろう、痛みで右足に力が入らずうまく歩けない。 しかし、そこで仕事をやめるわけはいかない。 とにかく、今日の仕事をすべて消化しなくてはならないのだ。 ここで挫折したら、他の人に迷惑がかかる。 そこでぼくは、うまく歩けないのに、無理矢理うまく歩くふりをして、今日の仕事を終えたのだった。
家に帰ってからも痛みは治まらなかった。 そこで、すぐに患部を湿布してサポーターを巻いたのだが、その間「明日の仕事に差し支えないだろうか」ということばかり考えていた。 とにかく、明日は明日の仕事を消化しなければならないのだ。
先日、ぼくが職場で、話の輪の中にうまくは入れずに浮いた存在になっているということを書いた。 まあ、話の内容に興味が持てないというのが大きな理由ではあるが、理由はそれだけではない。 年上とうまく話せないという理由もあるのだ。
ぼくは小学生の頃は、年上の人であろうが、同級生や年下の者と話しゃべるように、誰彼かまわずしゃべることが出来た。 例えば、近所のおっさんのみならず、見ず知らずのおっさんとかにも気軽に話しかけていた。 中学生の頃もそれは同じで、会う人会う人に気軽に声をかけていた。 街で外国人を見かけると、習い始めたばかりの英語を駆使して話しかけたりもした。 また、そのへんの不良たちと話すことにも頓着はしなかった。
ところが高校生になってから、それができなくなった。 何となく、しゃべるのに違和感を感じるのだ。 理由はわかっている。 部活に入った時、先輩から嫌と言うほど、 「先輩に会ったら必ず挨拶する」 「先輩には敬語でしゃべる」 をたたき込まれたのだ。 ぼくが、年上とうまく話が出来なくなったのは、それ以来である。
まあ、挨拶はともかくも、ぼくは元々敬語を使うのが苦手だった。 話すとどうしても地が出てしまい、友だち言葉になってしまうからだ。 小学生や中学生の頃、学校の先生としゃべる時、最初の2,3言は敬語で言うのだが、しゃべり出すとつい友だち言葉が出てしまい、それをずっと通してしまう。 最初は寛大に構えていた先生も、最後にはいつも「調子に乗るな」と怒りだしたものだった。 そういった調子で先輩に友だち言葉を出してしまうと、確実に鉄拳制裁が待っている。 そこで、なるべく先輩とは話さないようにしていたのだが、それが習い性になってしまい、そのうち「先輩」が「年上」にすり替わってしまった、というわけだ。
敬語さえ使わなければ、ぼくはいつでもしゃべり好きに戻っていける。 その証拠に、年上に何人かは敬語を使わずに話せる人がいるが、そういう人たちの中では、ぼくは決して浮いた存在になっていない。 年上の人とコミュニケーションを図るためにも、この際、敬語の壁を取り払おうかなあ…。
朝の占いで、今日のさそり座は12星座中最下位の運勢だった。 それが当たったのか、今日は本社の手違いで荷が遅れ、底冷えのする倉庫でずっと待たされる羽目になった。 寒さに震えながら「やっぱり、今日はよくないわい」と思っているところに、メールが入ってきた。
そこにも占いが書いてあった。 そこでさっそく見てみると、何と『仕事運最悪』なのである。 これ以上最悪なことがあるのかと思っていると、その後、俄然仕事が忙しくなり、時間内で終わらなかった。 仕事が終わったのは午後8時で、3時間の残業を余儀なくされたわけだ。
前の職場は8時までの営業だったから、毎日が残業だった。 しかし、それが当たり前だったので、手の抜きどころなどもわきまえていた。 ところが、今の職場の残業というと、目一杯体を使わなければならない。 たとえて言うなら、嫌いな教科の授業が立て続けにあった日、放課後のクラブ活動で筋トレばかりやらされるようなものである。 おかげで、腰は痛い、ふくらはぎは痛い、肩は張る。
家に帰るなり、ダウンしてしまい、そのまま朝まで眠ってしまった。 目が覚めてみると、もう6時半である。 1時間後には出かけなければならないのに、日記は一行も出来ていない。 そこで、速攻この文章を書いたわけである。
今やっている仕事というのが、いわゆる肉体労働で、いつも重たい物をトラックに積んだり降ろしたりしている。 そのせいで、かなり筋肉がついている。 いい感じに脂肪も絞れているようだ。 まあ、給料が減ったり、そこの人たちの話についていけずに居場所がなかったりと、いくつかのマイナス面もあるのだが、健康面に関してはプラスになっているようだ。
その中でひとつ気づいたことがある。 それは、そういうことを繰り返しているうちに、いつの間にか握力がつたということだ。 おそらく、今、腕相撲をやったら強いだろう。 まあ、それは置いとくとして、そのおかげでギターを押さえるのが楽になったのだ。 『還暦デビュー』をするかどうかは別として、これはギターを弾くのが趣味であるぼくにとっては、非常に都合がいいことである。 もし『還暦デビュー』をするとしたら、これは一歩前進ということになるだろう。
そういえば、昨日、みんなの話の輪の中に入っていけないというようなことを書いたが、これも考えようによっては、その間自分の時間が持てるということだ。 そういえば、この間、その時間に曲が浮かんできた。 これも『還暦デビュー』に向けては一歩前進になるのか。
また、今の職場は、朝8時半から夕方5時までの勤務なのだが、朝8時半に出勤するためには、早起きして家を出ないとならない。 早起き、これが苦痛である。 しかしこれも考えようで、その分早く帰れるのだから、早く帰った分自分の好きなことに時間を充てられるわけだ。 ぼくは今、その時間をギターの練習に充てている。 ということは、これも『還暦デビュー』にむけて一歩前進ということになる。
他にも、いくつかプラスに考えれば、一歩前進と考えられることがあるのだが、もしかしたら、運命は本当にぼくを『還暦デビュー』させようとしているのではないのだろうか。 そう考えれば、そう考えられなくないこともない。 「人は自分が思い描く通りの人になる」とよく言われているが、そう思うこと自体が一歩前進しているのだろう。
しかし、何度も言うようだが、デビューが還暦では遅いのだ。 せめて50歳までに何とかしてくれんかなあ…。
『ひとりぼっち』 気がついてみれば いつもひとりぼっち 気楽につきあっていけそうな 皆さんですがね 振り向いてみれば 誰もいなくなってね そんな毎日が ぼくをつつんでる
寂しいというのが 本音なんだけど いつもひとりっきりで 強がってみてね ひとりぼっちなんですね もともとが そうそう どこへ行ってみたってね
だから 今だけは笑っていましょうよ ね 今夜はとてもビールがおいしいんだから ひとりぼっちの部屋で 乾杯してね 青春 ああこれがぼくの青春でしょうよ
寂しげな街が ぼくによく似合う なんて かっこいいこと言っているけど つまりひとりぼっちの いきがりでしてね さよなら また明日逢いましょうよ
気がついてみれば いつもひとりぼっち そんな毎日が ぼくをつつんでる
最近の悩みは、「居場所がない」ということである。 仕事が一段落すると、特にこれと言ってすることもない。 そういう時は、みんなで談笑ということになる。 ところが、ぼく一人浮いているのだ。 なぜそうなるのかというと、話について行けないからである。 気がつくと、一人みんなと離れて突っ立っている自分がいる。 やることもないので、携帯電話を眺めて、ただタバコを吸っているだけである。
確かに前の職場でもそういうことはあったが、そういう時は自分の居場所を確保していたから、そこに逃れればよかった。 しかし、今の職場には他に逃れることが出来ないから困っているのだ。
いったい、そこでどんな話をしているのかというと、釣りの話、パチンコや競馬といったギャンブルの話などである。 前にも言ったが、ぼくはそういうものにまったく興味がない。 せめてもの救いは、ホークス絡みの話である。 が、その話も長続きせず、また先の話題になってしまう。 そのため、みんなから一歩退いた状態で立つようになるのだ。 自分から話を振ればいいのだろうが、仮にその場でぼくが、自分の興味がある音楽の話やネットの話をしても、逆に他の人が一歩退くだろう。
ここが人間関係の難しいところである。 だがぼくは、わざわざ話に加わるために興味のないことを勉強しようとは思わない。 「だから、おまえは世渡りが下手なんだ」と言われても、そういうことを勉強する暇があったら、ブログのネタでも探していたほうがマシなのである。
あーあ、またひとりぼっちである。
『一歩を踏み出そう』 出来なかったことを考えるから、 今がとてもやりきれない。 いつかやり直しがきくんだと、 曖昧な日々を過ごしてきた。
そこからのことを考えないから、 日々はいつもの繰り返し。 まだまだ若いという勘違いは、 そこから一歩を出ていないから。
このままではいけない。 一歩を踏み出そう。 年取るだけの人生を望んでないから。 もう一歩を踏み出そう。
傷つけられるのが嫌だから、 いつもいつも回り道ばかり。 答えはどこにでも転がっているのに、 そこから目をそらそうとする。
閉ざされた扉もたたいていれば、 いつか開く時がくるだろう。 たったそれだけの繰り返しを、 ぼくはいつも怠ってきた。
このままではいけない。 一歩を踏み出そう。 年取るだけの人生を望まないから。 ここから一歩を踏み出そう。
いよいよ4月である。 3月はいろいろと悩みが多かったのだが、今月はそれを払拭していきたいと思う。
さて、古いノートをめくっていると、上の詩を見つけた。 (「詩集 吹く風」に上げているのとは若干違う) まあ、詩というよりは歌詞と言ったほうがいいかもしれないが、曲はついてない。
この詩を書いたのは平成4年の11月である。 今から13年前であるが、その年の4月にぼくは今の会社に再就職した。 入った当初は、それこそ新社会人といった感じで理想に燃えていたのだが、すでに新社会人でなかったぼくの目には、すぐにこの会社の性格がわかってしまった。 それは大企業病と言うべきもので、とにかく何があっても定年満期まではいようという風潮があり、この会社をよくしてやろうなんて考えている人にはあまりお目にかかれなかった。
前の会社は、仕事はきつかったが、若い企業ということもあって、自分の理想をその会社で実現しようという人が多くいた。 ぼくもそういう性格の会社の中で生きてきた人間だから、多分にそういうところはあったのだ。 だからこそ、大企業病に侵された、この会社の性格が嫌で嫌でたまらなかった。
つまり、この詩を書いた入社後7ヶ月目には、すでに嫌気が差していたということだ。 以後13年、その嫌気は「やはり自分はサラリーマン向きじゃない」という考えに変わっていった。 もはや機は熟している。 今回の異動がいいきっかけだ。 さっさと一歩を踏み出していこう。
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