「しんちゃん、チューしよ、チュー」 昨日のことだった。 今働いている店のメンバーでやる、おそらく最後になるであろう飲み会が行われた。 会は大いに盛り上がったものの、その間2時間と最後にしては短いものだった。
さて、冒頭のセリフだが、これは誰が言ったのかというと、ユリちゃんである。 例のごとく酔っぱらってしまい、誰彼なく抱きついていた。 最後に来たのがぼくの座っているテーブルだった。 ユリちゃんはぼくの横に座ると同時に、「しんちゃーん」と言って抱きついてきた。 そして二度、上のセリフを言ったのだった。
「チューなんか、せんでください」 「いいやん、チューしよ」 「だめ」 「うーん」 と言って、ぼくのほっぺたに唇を押しつけてきた。 「あー、もう…」 ぼくはそのテーブルにいた他の人に、「口紅ついてない?」と聞いた。 「大丈夫、ついてないよ」 「ああよかった」
「ユリちゃん、またあんた、お酒に飲まれとるね」 「そんなことないよー」 「いっつもこんなんやん。前は柱に抱きついとったし…」 「柱、柱…?柱なんかにせんよ」 「いいや、柱に向かって『今日は帰りたくない』とか言いよったやん」 「そんなことないよー。ねえしんちゃん、今日は帰りたくない」 「またぁ。ちゃんと家に帰りなさい」 ぼくがそう言うと、またしてもユリちゃんは「チューしよ」と言った。 「チューは、もういい」 「何で?」 「自分のご主人にしたらいいやん」 「主人はじいさん。しんちゃんは若いけね」 そう言って、またしても唇をぼくの頬に押しつけてきた。 その後、自分の席に戻ったユリちゃんは、そこにいた女性を捕まえて『チュー』をしていたのだった。
帰り際、ユリちゃんはぼくに「しんちゃん、カラオケ行こ」と言ってきた。 身の危険を感じたぼくは、「おれ、まっすぐ帰るけ、ユリちゃんも大人しく家に帰り」と答えた。 「カラオケー」 「じゃあ、お疲れさん」 そう言って、ぼくは足早に駅に向かったのだった。
2006年02月27日(月) |
レジャーモービルの女(4) |
さて、スタジオを出たぼくたちは、再びショップへと行った。 しばらくギターなどを見ていたのだが、その時変なことを小耳に挟んだ。 ぼくのいた場所から少し離れた場所で、ショップの人たちがテープを聴いていた 。 一人の男が「これ聴いてみて」と言った。 しばらく沈黙が続いた後に、もう一人の男がおもむろに口を開いた。 「いい曲だね。誰の曲?」 「○○くんの曲」 「ああ、○○くんね」 「今回のポプコン、うちのショップはこれで決定らしいよ」 「そうか」
「!!!」である。 応募受付期間にも関わらず、もうこのショップの代表は決まっていたのだ。 じゃあ、ぼくたちの録音は一体何だったのだろう。 何のためにいやな鼻髭の前で、緊張して録音しなければならなかったのだろう。 この時初めて、ポプコンというのは一般に門戸を開いているのではなく、ヤマハに貢献している人にだけ開いているのだと思った。 確かにその日の『レジャーモービルの女』は最低だった。 だが、それでもわずかに希望を残していたし、また次の機会に頑張ろうとも思っていたのだ。 そういうものが、彼らの会話を聞いて、すべて吹っ飛んでしまった。
『残念ながら、今回は…』というメールが届いたのは、録音の日から、そう時間の経ってない頃だった。 そのことをMさんに言うと、Mさんは「そうか。でも、これで自信ついたやろ。次回がんばり」と言ってくれた。 だが、次回はなかった。 ぼくはミュージシャンを目指して、他の道を探ることにしたのだった。 当然である。
その後、就職したぼくは、楽器販売の担当になった。 何年か経った頃、一度Mギターの協賛を得てフォーク・コンテストを企画したことがある。 その時、学生を中心とした十数組のアマチュアミュージシャンが集まった。 開会宣言をすることになったぼくは、マイク越しにこう言った。 「このコンテストをポプコンを超えるコンテストにしていきたいと思っています。ここに集まっている人たちも、これに参加することで腕を磨いていってほしいと思います。いいかみんな、ヤマハには絶対負けるなよ!」
2006年02月26日(日) |
レジャーモービルの女(3) |
その様子を見ていたせっかちな鼻髭が言った。 「もういいですか?」 相変わらず無表情である。 「は、はい。いいです…」 ということで再び録音が始まった。 緊張と焦りで、ぼくののどはカラカラになっていた。
ここで付け焼き刃のもろさが出てきた。 歌い方のほうである。 ポプコンバージョンで歌っていたつもりが、いつの間にか元の歌い方に戻っているのだ。 せっかく午前中うまくいっていたのに、である。
これがもし自宅での録音なら、いったん中断して、気を落ち着かせ、口を潤すことだろう。 しかしここはヤマハ。 しかも一発録音である。 ここで中断するわけにはいかない。 中断する権限を持つのは、あの鼻髭だけだ。 ということで、最悪の状態のまま録音は続いた。
そして、悪戦苦闘しながらも、何とか最後までこぎ着けた。 その時だった。 またしても付け焼き刃のもろさが出たのだ。 今度はギターである。 午前中、あんなにうまくいっていたエンディングのギターソロをきれいに忘れてしまったのだ。 とにかく付け焼き刃なので、頭の中では出来上がっているのだが、体で覚えるまで練習してない。 そのため、頭の中の記憶が消えてしまうと、演奏できないわけだ。
『どうしよう…』 ここを何とかしないと終わらない。 『どうしよう…、どうしよう…、どうしよう…』と思いながら、適当に弾いた。 そして終わった。
「はい、お疲れ様でした」 鼻髭が無表情に言った。 緊張と焦りの時間は終わった。 演奏といい、鼻髭の態度といい、何かと不満の残る録音となった。 だが、終わったことを悔やんでもしかたないと思い、スタジオを出る時は、明るく鼻髭に「ありがとうございました。よろしくお願いします」と言った。 ところが鼻髭は、こちらを振り向きもせずにため息をついていたのだった。
スタジオを出るとMさんが待っていた。 Mさんは開口一番、「よかったよ。いいところまで行くと思うよ」と言って労をねぎらってくれた。 その言葉を聞いて、ぼくの緊張と憤りは何とかほぐれたのだった。
2006年02月25日(土) |
レジャーモービルの女(2) |
そうやって練習していたある日、ぼくたちに強い味方が出来た。長崎屋の先輩であるMさんである。他の人に言っても全然興味を示してくれなかったポプコン出場を、Mさんだけは真剣に聞いてくれた。Mさんもやはり音楽をやっていた。そのため、ミュージシャンを目指す者が周りに理解されにくいことを、充分知り尽くしていたのだ。さらにMさんは、ぼくたちに協力してくれるという。その言葉通りにMさんは、友人宅にきてはいろいろとアドバイスをくれたものだった。さて録音の日。ぼくと友人、それとMさんは、午前11時に近くの楽器店で待ち合わせた。そして、3人が揃ったところで、その楽器店にあるスタジオに入った。録音は午後1時からだった。それまでに音合わせをやっておくことにしたのだ。この曲、ポプコンバージョンとして、それなりのアレンジをしていた。歌い方を変えたり、エンディングにギターソロを入れるようになっていた。だが、そういったものはあくまでも付け焼き刃にすぎない。そのため、なかなかうまくいかなかった。ところが、スタジオでやった時、それがすんなり出来たのだ。あまりにうまくいったので、気持ち悪いくらいだった。Mさんも、「今の、よかったねえ。これだったら、けっこういい線行くんやないと」と太鼓判を押してくれた。そして1時間の練習後、ぼくたちは気をよくしてヤマハへと乗り込んだのだった。時間までヤマハのショップでうろうろした後、録音スタジオへと向かった。スタジオは本格的なものだった。何せ、ミキサー室まで装備してあるのだ。そこには、鼻髭をたくわえた兄ちゃんが、偉そうな顔をして座っていた。彼はぼくたちがスタジオに入ると、無表情に「はい、じゃあ始めてください」と言った。「えっ、音合わせはなしなんか」ぼくたちはそう思いながら、演奏を始めた。ところが、1フレーズやったところで、鼻髭が演奏を止めた。「ちょっと待って」「えっ?」「おたくら、チューニング合ってる?」『おたくら』ときた。「えっ?ちょ、ちょっと待ってください」ギターとベースを別々に弾いてみた。なるほど微妙に音が違っている。おそらく、移動中に狂ったものと思われる。というか、音合わせもさせないで、せっかちに始めるほうが悪いのだ。そこでぼくたちは、慌てて音を合わせた。今のようにギターチューナーなんてない時代である。ただでさえチューニングには時間がかかっていた。それに加えて、その時は緊張のまっただ中だ。ぼくたちは何度も何度もチューニングを繰り返したのだった。
2006年02月24日(金) |
レジャーモービルの女(1) |
東京から戻った年だったから、1980年のことである。その頃ぼくは、友人とバンドをやっていた。いや、バンドをやっていたのではなく、バンドの練習をしていた。バンドと言っても、その頃は2人しかおらず、楽器はギターとベースたまにハーモニカという編成だった。練習場所は友人宅で、その友人はそのためにわざわざ離れの部屋に防音設備まで整えた。その防音設備のある部屋でどんな曲をやっていたのかというと、ほとんどがぼくのオリジナル曲だった。高校から作り始めた曲は、その頃には150曲を超えていたのだが、その中から自分たちの気に入った曲をピックアップしてやっていたのだ。おそらく20曲近くのレパートリーがあったと思うが、その中でも特によくやった曲は、『レジャーモービルの女』だった。 夜も越え 薄ら灯り 揺れるまなざし 知った彼の 懐かしい レジャーモービルの女 切れ長な 光る瞳 濡れた道を 振り返り 時を忘れ レジャーモービルの女 飛び出すな熱い汗よ 風に奪われ消えてしまう 疲れを知らない 気ままな女 夜は明けた ため息つく 窓は曇って 力込めた か細い腕 レジャーモービルの女 この歌を作ったのは、その年の3年前、つまり1977年だった。長距離トラックに乗っていた叔父の手伝いをやった時に、叔父がしきりに「レジャーモービル、レジャーモービル」と言っていた。それが耳について、いつのまにか歌詞が出来、そして曲が出来たのだった。ちなみにレジャーモービルというのは、叔父に言わせると自家用車のことらしい。さて、なぜバンドでこの曲を頻繁にやっていたのかというと、ヤマハのポピュラーコンテスト(ポプコン)に応募するためだった。ポプコンは、まずテープ審査があるのだが、そのテープは自宅録音ではだめで、ヤマハに出向いて作らなければならなかった。もちろん一発録音だから、失敗は許されない。ということで、ぼくたちは必死に練習をしたのだった。
今日内示が出た。 来月から3ヶ月間、倉庫の応援である。 結局会社は、ぼくをどう料理していいのかわからなかったようだ。 そこでぼくに、じっくり自分で考える時間を与えたのだと思う。 じゃあ、じっくり考えてやろうじゃないか。 ということで、今回の転勤で、慌てて結論を出すことはなくなったようだ。
とはいうものの、倉庫の応援となると、午前9時から午後5時半までの仕事となるために、残業がつかないということだ。 そうなると、今度は生活に関わってくる。 現在、毎月残業手当は6万円程度ついている。 それがとりあえず5月までカットされるのだ。 これはきつい。 悪く捉えると、「会社に楯突くと、こういう結果になるぞ」という会社の報復なのかもしれない。 が、今回はそう捉えるのはやめておこう。 なぜなら、じっくり将来を考える時間を、運命が与えてくれたと思っているからだ。
さて、来月から夕方5時半で仕事が終わる生活が始まるわけだが、どうやって過ごしていこうか。 その時間帯は渋滞するから、家に帰るのは、おそらく6時半近くになるはずだ。 これまで家に帰っていたのは9時前だったから、およそ2時間半の時間が出来る。 この2時間半の遣いかた次第で、今後の展開が大きく変わってくるだろう。
さて、何に遣おうか? まず考えたことは、風呂に入ることである。 しかし、それではあまりに脳がない。 健康とダイエットのためにウォーキングでも始めようか…。 晴れた日はそれでもいいが、雨の日はどうする? 筋トレでもするか…。 読書に当てるか…。 それとも…。
これまでの25年間、仕事が終わるのは早くても夜の8時半だった。 そう、社会に出てから、ぼくは夕方を知らないのだ。 では、社会に出る以前、つまり学生時代はいったい夕方に何をしていたのだろうか。
小学生の頃は友だちと遊んでいた。 暗くなるまで、野球だの探検だので時間をつぶしていた。 その頃はそれが出来たのだ。 では今はどうかというと、50才を前にしたいいおっさんが、友だちと遊ぶと言えば、相場が決まっている。 そう、飲みに行くことだけだ。 実に不健康である。 しかも、給料が極端に減るのだから、毎日飲みに行ったりすることなんてとても出来ないだろう。
中学生や高校の頃は柔道に励んでいた。 しかし、今さら柔道などというハードな運動は出来ない。 もしやったら、確実に吐くだろう。
それ以降はというと、ギターを弾いてガンガン歌っていた。 歌か…。 それならやれるかもしれない。 そういえば、ここ最近ずっと「歌手になる(笑)」と言っているのだから、本当にやってみようかなあ。。 3ヶ月もあれば、相当数の歌を録音できるだろうし、それについてのエッセイでも書けば、日記のネタに困ることもない。 「歌手になる」はともかく、何よりも金がかからないことがいい。 そうだ、それをやってみるか。
ということで、しろげしんた(皆岡伸太ともいう)は、これから3ヶ月、歌手になります。(笑)
夕方、会社にぼく宛の電話が入った。 「もしもーし、しんちゃん」 「はい」 「酔っ払いのおいちゃんでーす」 「え?」 「わかりますかー?」 「ああ、わかりますよー。寂しがり屋のおいちゃんでしょ」 「はーい、寂しがり屋でーす」
電話の主は、長崎屋時代の先輩であるNさんからだった。 彼はいつもこんな調子で電話をかけてくるのだが、今日はかなり酒が入っているようで、舌がまめっていない。
「風の噂で聞いたんやけど、今度おまえ家電を離れるそうやないか」 「よく知っとるねえ」 「おれみたいな情報音痴でも、そのくらい知っとるぞ」 「ふーん」 「で、おまえ、これからどうするんか?そこの会社、他に家電やっとるところないんやろ」 「うん、ないよ」 「会社はどうしろと言いよるんか?」 「生鮮に行ってくれ、ということみたいよ」 「生鮮?おまえ行くんか?」 「いや、生鮮なら辞めます、と言ってある」 「そうか…。おれも量販で働いていた頃、突然生鮮行きを言い渡されてのう。それでそこ辞めたんやけど、おまえも同じ道たどるんやのう…」
Nさんは長崎屋を辞めた後、いくつかの量販を転々とし、それから今の職業である損保の代理店を始めた。 会社や時間に縛られない今の仕事が性に合っていたのだろう。 その後は転職せず適当に頑張っている。 しかし、前の会社を辞めた原因が「生鮮に行け」言われたことだったとは知らなかった。
「それで、もし辞めることになったらどうするんか?」 「歌手になる」 「ぶっ、おまえ、まだそんなこと言いよるんか。いつまで経っても進歩のない奴やのう。もう若くないんぞ」 「いいやん。それしかないんやけ」 「いっそ、Hさんに弟子入りしたらどうか?」 Hさんとは、ぼくとNさんの共通の知人で、会社が潰れたあと、就職せずにそのままパチプロになった人である。 「Hさんか…」 「おう。あの人相変わらず稼ぎよるらしいぞ」 「おれにパチプロなんか出来るわけないやん。博才ないもん」 「じゃあ、Kさんに弟子入りしろ」 「トラックの運転手なんかできるわけないやん」
「まあ、それはいいにしろ、何でおまえ、そういう話になった時、おれにグチ垂れに来んかったんか?おまえの兄貴分として、おれは寂しいぞ」 「おれ、いつも前向きに考えとるけ、別にグチは垂れたりせんもん」 「前向きが歌手なんか?」 「冗談に決まっとるやろ」 「じゃあ、何をするんか?」 「いろいろ考えとることはある」 「そうか、じゃあ来週飲み会設けるけ、そのへんのところをゆっくり聞いてやろうやないか」 「27日はだめやけね」 「何でか?」 「お別れ会がある」 「そうか。じゃあ27日以外ならいいんやの」 「いちおう予定はない」 「わかった。また連絡する。じゃーねー」 ということで、来週は飲み会が二度あるのか。 また日記の更新が遅れてしまう…。
それにしても、Nさんは、何で会社に電話をかけてくるのだろう。 こういうプライベートな話をするなら、まず携帯にかけてくるべきだ。 相変わらず常識はずれの男である。
2006年02月21日(火) |
今日のターゲットは… |
(1) 今日は給料日後初めての休みだった。 ということで、例のごとく銀行回りをした。 いつものようにデパートに車を駐めたのだが、いつものように銀行を回ったあとに本屋に行くことをしなかった。 それには理由があって、デパート内にあるレストランに、ぼくが凝っている食べ物があるからだ。 つまり、早くそれを食べたかったということだ。 そこで、さっさと銀行を回り、さっさとデパートに戻ってきた。
その食べ物が何かというと、焼きそばである。 焼きそばなら、わざわざデパートで食べなくてもよさそうなものだが、そこの焼きそばはちょっと違う。 見た目は、普通の焼きそばと変わらないのだが、ソースを使ってないのだ。 そこでついた名前が『塩焼きそば』。 ソースを使わない分、嫌みがなく、実にあっさりしている。 それが今のぼくの舌に合うのだ。
昨年の11月に、そのメニューを知ってから、街に出るたびにいつもそれを食べている。 先月などは、銀行を回る前にまずラーメンを食べ、銀行を回り終わった後にそこで焼きそばを食べたほどだ。 おそらく来月も食べることだろう。
(2) 食後、デパート内をウロウロしていると、目の前をノソノソ歩いている女がいた。 誰あろう、タマコである。 タマコは、このデパートで働いているのだ。 「こら、何ウソウソしよるんか!」 タマコはびっくりしてこちらを向いた。 「あっ」 「『あっ』じゃない。ちゃんと自分の持ち場について仕事せんか!」 「トイレに行きよるんやもん」
と、タマコのネームプレートがぼくの目にとまった。 「おい」 「あ?」 「おまえ、名前が違うやないか」 「ああ」 「忘れたけ、他の人のネームプレートでもしとるんか?」 「違うよう。わたしねえ、結婚したんよ」 「えっ、結婚したんか?」 「うん」 「ダンナは、あの彼氏か?」 「うん」 「彼氏は早まったことしたのう」 「何で?」 「おまえが馬鹿ということ知らんやろうもん」 「わたし天才よ」 「ああ、そうやった。天才的なバカやったのう」 「バカやないしー」
「そりゃそうと、にいちゃん、転勤になるらしいけど、どこに行くと?」 「転勤せんぞ」 「えっ、でもそう聞いたよ」 「転勤はせん。仕事辞めて、歌手になるんよ」 すると、タマコは嫁ブーのほうを向き、真面目な顔をして「止めたほうがいいですよ」と言った。 それを聞いて、嫁ブーは「ホントに歌手になるんよ」と言って笑っていた。
「あっ、そうやった。にいちゃん、お祝いちょうだい」 「えっ、10円でいいか?」 「もっとちょうだい」 「おまえにやるお祝いなんかないぞ」 「何で?」 「おまえは、おれたちが結婚する時、何もしてくれんかったやないか」 「その時、わたしまだ、にいちゃんのこと知らんかったもん」 「いいか、世間は持ちつ持たれつなんぞ。さかのぼってお祝い持ってこい。そしたら、お祝いやるわい」
「ところで、まだ日記書きようと?」 「書きようよ」 「今は、誰がターゲットなん?」 「昨日はユリちゃんやったのう」 「ああ、カラオケ好きのおばちゃんやね。かわいそうに」 「かわいそうやないぞ」 「でも、無茶苦茶書くやん」 「何が無茶苦茶か。ありのままを書きよるだけやろ。カラオケ好きはカラオケ好きなりに、バカはバカなりに」 「いいや、無茶苦茶やん」 「じゃあ、今日は久しぶりにタマコのことを書こうかのう」 「もうやめてー」 「大丈夫。ありのままを書いてやるけ」
(1) 今月の15日の日記にユリちゃんのことを紹介したが、聞くところによると、どうもユリちゃんは誰にでも「カラオケ行こ」と言うらしいのだ。
そういえば、この間イトキョンと歌の話をしていたら、どこからともなくユリちゃんが現れて、「ん? 今、カラオケの話してなかった?」と言う。 ぼくとイトキョンは、それを聞いて思わず顔を見合わせた。 するとユリちゃんは、例のごとく「ね、カラオケ行こ」と言った。 それを聞いてイトキョンは、「カラオケですか。いいですねえ」と言った。 「いつ行く?」 「いつ、と急に言われても…」 「早くしてね。時間がないんやけ」 そう言って、ユリちゃんは出て行った。
ぼくはイトキョンに、「あんた馬鹿やねえ、変な約束して。だいたい、ユリちゃんが何歌うか知っとると?」と言うと、「いや、知らんけど…。あの人やったらポップスかねえ?」と言う。 「あんた、何も知らんねえ。ユリちゃんは演歌オンリーなんよ。それもド演歌、延々30曲」 「うっ…」 「私たちが歌えんやん」 「いや、ちゃんと歌えるよ」 「でも、30曲も歌うんやろ」 「うん。だから時間が長くなるんよね」 「それに…、ド演歌やったら踊れんやん」 「いや、それは大丈夫。ユリちゃんはちゃんと踊るよ」 「えっ、ド演歌でどうやって踊ると?」 「独特の踊りがあるんよ」 「どんな踊り?」 「腕を複雑に動かしたり、よろけるようにステップを踏んだり、柱にしがみついたりするんよ」 「へー、見てみたいねえ」 「じゃあ、今度じっくり見ればいいやん」
(2) 何でユリちゃんがそこまでカラオケにこだわるのかというと、前にも書いたが、それはカラオケを習っているからである。 きっと、そのことが大きな自信になっているのだと思うが、今日、アルバイトのT子から、こういう話を聞いた。
昨年の夏に屋外で焼き肉パーティをやった時のこと。 T子がトイレに入った時、個室で誰かが大声を出して歌っていた。 トイレを出る時も、その歌は続いていた。 それからしばらくして、トイレの灯りが消えたので、じっと見ていると、出てきたのはユリちゃんだったという。
T子は言った。 「あの人、変ですねえ」 「別に変じゃない」 「でも、ずっとトイレの中で歌ってたんですよ」 「ユリちゃんは、それが普通なんよ」 「???」 若いT子には、まだユリちゃんの味はわからないか。
しかし、トイレで平気に歌を歌うというのは、よほどの自信を持ってないと出来ないことである。 ここはユリちゃんを褒めるより、そこまで自信を付けさせたカラオケの先生を褒めるべきだろう。 その先生の名は、天籟寺和子(芸名)という。 古くからこの日記を読んでいる人なら、ピンとくるかもしれないが、天籟寺和子とは、2001年2月1日の日記に出てくる『芸能人おカズ』のことである。
そこで意地悪なぼくは考える。 もしかしたらおカズがユリちゃんに、「本当に歌が上手くなりたければ、トイレでも歌えるようにならんとね」と教えているのかもしれない、と。 おカズなら、言いかねない。
2006年02月19日(日) |
頭が働きませんでした |
最近は肉体労働が多く、家に帰ったらすぐに寝てしまう。 そのため、この日記のように、更新が翌日になったりする。
さて、翌日に更新する場合、ほとんどが朝の更新になるのだが、寝起きボケで頭が回らなかったり、出勤前なので時間制限があったりして、なかなか文章がまとまらない。 例えば、昨日の日記のように、途中ぼくの会話が抜けてしまい、ヒロミのひとり言になっている箇所があったりするのだ。
早くこういう状況から抜け出したいのだが、これがまた当分続くというのだから参ってしまう。
ということで、この日記も朝更新するつもりだったのだが、頭が働きませんでしたな。
2006年02月18日(土) |
美人秘書ヒロミちゃん |
昨日ヒロミに『月夜待』の話をした。 「『月夜待』というのが、ちょっと話題になっとるんよ」 「何、それ?」 「おれの作った歌」 「ああ歌ね。演歌?」 「いや、演歌じゃないけど、それっぽいのう」 「ふーん。でも、話題になっとるとかすごいやん」 「おう。それも全然知らんところでやけの」 「最近作ったと?」 「いや、前の会社でヒロミと仕事しよった時には、もう出来ていた」 「そんな昔の歌なん?」 「うん」
「ねえねえ、もしその歌がヒットしたらどうすると?」 「ヒットしたら、すぐにヒロミをマネージャーとして雇う」 「わたし、マネージャーとか出来んよう…」 「じゃあ、秘書にしてやる」 「えっ、秘書にしてくれると?」 「おう。美人秘書とかいうて、有名になるかもしれんぞ」 「ねえ、そうなったら、東京とかにも行くようになるんかねえ?」 「そうなるかもしれん」 「じゃあ、今の仕事辞めないけんやん」 「そうやのう」 「じゃあ、服とかもいっぱい買っとかないけんね」 「‥‥」
さて、今日のこと。 別の用があって、ヒロミに電話をかけた。 「‥‥。ねえねえ、しんたさん」 「あっ?」 「昨日の件やけど」 「昨日の件…、何やったかのう?」 「歌よ、歌」 「ああ、あれね」 「今日ね、お母さんに言うたんよ」 「えっ、何と言ったんか?」 「わたし今度、しんたさんの美人秘書になるけ、今の仕事辞めないけんようになったんよ、って」 「えーっ!!」 「でね、週末は東京に行かないけんけ、犬の世話も頼んどいたよ」 「‥‥」 「紅白とかも出るかもしれんけ、今年からカウントダウンに行けんと言っておいたけね」 「‥‥。それ言うたのお母さんだけか?」 「お母さんとねえ、あと友だちに言うた」 「‥‥」 「そうそう、友だちに言うたら、その友だちが別の友だちに電話したよ」 「何と言いよったんか?」 「ヒロミちゃん、仕事辞めるらしいよ、って」 「‥‥」
『月夜待』、ヒロミの中では大ヒット中である。
何日か前にヒロミに頼まれた物がある。 シャンプーや洗顔フォームである。 たまたまうちの店が安売りをやっているのを聞きつけ、ぼくに電話してきたのだ。 「しんたさん、今安売りしよるんやろ?」 「ああ。やっとるよ」 「じゃあ、今度来るときでいいけ、シャンプーとボディソープと洗顔フォーム買ってきて」 …ということで、今日の休みを利用して、ぼくと嫁ブーはヒロミ宅に行った。
ヒロミと会うのは、昨年末(12月23日)の忘年会以来だ。 まあ、久しぶりという感じでもなく、またしょっちゅう電話やメールでやりとりしているので、これといって目新しい話はなかった。 だが、一つだけおもしろい話を聞いた。 ヒロミの知り合いの子が、今度高校に進学するらしいのだが、そこで出た話である。
「知り合いの子が成績が悪くて、入れる高校がないらしいんよ」 「福岡市内に電話一本で入れる高校があるらしく、地元じゃ一流高校と呼ばれよるらしいぞ。そこ受けたらいいやん」 「そういうのやったら、この辺にもあるよ」 「どこか?」 「×高」 「ああ、×高ね。やっぱり電話一本でOKなんか?」 「いや、いちおう試験はあるらしいんやけど…」 「じゃあ、電話のほうが簡単やないか」 「でも、電話やったら、住所とか電話番号を言わんといけんやろ?」 「そりゃそうよ」 「×高はね、自分の名前が言えたらいいんよ」 「えっ、それで合格なんか?」 「うん」 「おー、それはすごい。超一流高校やのう」
帰る道々考えた。 自分の名前を言うだけで合格する高校というのは、いったいそういう生徒たちにどういう教育を施しているのだろうか? いちおう、学習指導要領に乗っとった教育を施しているのだろうが、果たして名前だけしか言えない生徒は勉強について行けるのだろうか? 入学は出来ても、何年かかっても2年に進級できないのなら話にならない。
まさか、最近捕まった某IT会社社長を真似て、「×高は入学することに意義がある」などと教え、さっさと自主退学の方向に追いやっているのではないだろうか。 その際、ドラゴン桜の桜木先生みたいに、「おまえたちは東大に行け!」と言っているのかもしれない。 もちろん勉強について行けない彼らは、次第に学校に行くのが嫌になってくる。 そして、あらかじめ用意した退学届けを突きつけ、彼らが唯一出来ることをさせて、退学させているのかもしれない。 彼らに唯一出来ることとは、言うまでもなく、名前を書くことである。
2006年02月16日(木) |
酔っ払いのおいちゃん(おそらく最終回) |
この春の転勤で、今の勤務地を離れることになるのだが、その前に一度書いておきたい人物がいる。 それは、この日記をつけ始めた頃に頻繁に登場していた、酔っ払いのおいちゃんである。 一昨年の12月29日を最後に、おいちゃんはこの日記に登場してない。
まあ、その日の日記を読めばわかることだが、その前日においちゃんはゴミ収集所に火を付けて逮捕されている。 だから今は刑務所にいるのかというと、そうではないらしい。 それから1,2ヶ月して、おいちゃんはひょっこりと店に現れたとのことだった。 珍しくしらふで、色つやのいい肌をしていたという。 だが、一回だけだった。 その後、街中を自転車に乗って大声を張り上げながら駆け抜けて行ったとか、川べりで大の字になって寝ていたとかいう何人かの目撃談を聞いたのだが、店には現れていない。
ということで、ぼくはおいちゃんのことを忘れかけていた。 ところが、おいちゃんの記憶というのは、そう易々と消えるるものではない。 今年の正月に起きた、下関駅の火事のニュースを見た時のこと。 ぼくは反射的に一昨年の火事のことを思い出し、「もしかして、火を付けたのはあのおいちゃんじゃないか?」と思ったのだった。 だが、犯人の名前はおいちゃんの名前ではなかった。 さすがのおいちゃんも、そこまで行動範囲は広くないということだ。
さて、それからしばらくして、あるパートさんからおいちゃんの最新情報を聞いた。 その情報とは、「おいちゃんが死んだ」だった。 「えっ、死んだと?」 「うん、そうらしいよ」 「この冬は寒かったけ、凍死でもしたんかねえ?」 「さあ?」 それを聞いて、「これでこの町は平和になる」と安堵感を覚えると同時に、一抹の寂しさを感じたものだ。
ところが、今日また新たな情報が入った。 おいちゃんは相変わらず自転車に乗って、大声出して走っていたというものだった。 まさか、幽霊が自転車に乗って走っていたわけではないだろう。 いったいどっちが本当のことなんだろうか?
まあ、とにかく、今の店に移ってきてから、最初は酔っ払いのおいちゃんに、最後はそのおいちゃんの影に振り回されたことになる。 「結局、あのおいちゃんが、この町の思い出になるのか…」 そう思うと、複雑な気持ちになる。
2006年02月15日(水) |
嫁ブーを職場に連れて行く |
昨日、嫁ブーを初めてうちの職場に連れて行った。 その辺にいた人を捕まえては紹介していたのだが、嫁ブーはそのたびに笑顔で「いつもお世話になっていまーす」と愛想を振り撒いていた。 もちろんほとんどの人が嫁ブーとは初対面なのだが、中にはぼくの日記を読んだり、ぼくの話を聞いたりして、ある程度の予備知識を持っている人もいる。
ぼくが一番嫁ブーに会わせたいと思っていた、イトキョンもその一人である。 イトキョンはぼくの横にいる嫁ブーを見るなり、「あっ、お嫁ちゃん?」と聞いた。 ぼくがうなずくと、イトキョンは勝手に自己紹介を始めた。
イトキョン「初めまして。イトキョンでーす」 嫁ブー「初めまして。いつもお世話になっています。イトキョンさんの話はよく聞かせてもらってますよ。写真も見せてもらったし…」 イ「私のほうも、よく写真見せてもらっていますよ」 嫁「えっ、どんな写真見ましたか?」 イ「寝ている写真とか、あと腰痛の時の写真とか」 嫁「‥‥。いつも変なのばかり撮るんですよ」 イ「そうやろ。私なんかホームページに載せられたけね」 しばらく二人で話したあと、嫁ブーは「ちょっと買い物してきますから」と言って、その場を離れた。
ところで、うちのパートさんの中には、イトキョンをしのぐ大物が一人いる。 名前をユリちゃんという。 お酒好きな方、というより飲まれるタイプの方で、誰彼かまわず飲むと抱きつく癖がある。 いや、それは人にだけにではない。 抱きつけるものなら何でもいいのだ。
以前、会社の新年会があった時のことだが、お開きになった後、ユリちゃんは一人で大騒ぎしていた。 何をやっていたのかというと、柱に蝉のように抱きついて、「ねえ、今日は帰りたくない」と言っていたのだ。 そばにいた人が「あんた、誰に言いようと?」と聞くと、ユリちゃんは「この人」と言って、抱きついている柱を指さした。 おそらく酒のせいで、人と物の区別がつかなくなっていたのだろう。 柱から引き離そうとすると、「いやー、帰りたくない」と言って駄々をこねる始末だった。
そのユリちゃんには、お酒以上に好きなものがある。 それはカラオケである。 カラオケ道場に通っているらしく、歌は大の得意なのだそうだ。 ぼくは2年ほど前に、一度だけユリちゃんとカラオケに行ったことがあるのだが、その時は自慢ののどを充分に披露してくれたものだった。
まあ、歌はいいとして、そこでもユリちゃんはユニークな行動をとっていた。 カラオケボックスに着くなり、ユリちゃんはぼくに一枚の紙を手渡した。 何だろうとその紙を見てみると、そこにはぎっしり歌の題名が書かれてあった。 ぼくが「何、これ?」と聞くと、ユリちゃんは涼しい顔をして「今日うたう歌」とおっしゃる。 「これ全部歌うと?」 「うん。順番間違えないでね」 「えっ、おれたちが入力すると?」 「うん。機械よくわからんもん。お願いね」 ということで、ユリちゃんの歌う歌は、すべてユリちゃん以外のメンバーが入力したのだった。
それに加えて、前述の通り、お酒好きである。 その時は、ビールをコップに半分飲んだところで出来上がってしまい、ぼくたちが歌うたびに、立ち上がって変な踊りをしていたのだった。
さて、昨日の話に戻るが、買い物を終えた嫁ブーが戻ってきた時、嫁ブー登場の噂を聞きつけたのかどうかは知らないが、そこにユリちゃんが現れた。 そこでぼくは嫁ブーを紹介した。 するとユリちゃんは「えっ、奥さん? まあ、どうしましょう」と言いながら、かけていた老眼鏡を外し、丁寧に挨拶した。 「初めまして」 「いつもお世話になっています」 嫁ブーがそう言った後だった。 急にユリちゃんは近づいてきて、小声で嫁ブーに言った。 「カラオケ行こうね」
初対面なのに、さっそくカラオケコールである。 これには、さすがの嫁ブーも唖然としていた。
石川啄木ではないが、最近ぼくは、暇になるといつも自分の手を見ている。 手相が気になるのだ。
昨年末、それまで感情線の少し上で終わっていた運命線が、少し伸びているのに気がついた。 さらにその線は、まだ伸びようとしているように見える。 そこで観察を始めたわけだが、いつの間にかそれが癖になってしまったようだ。
現在、その運命線がどうなっているのかというと、さらに伸びているように見える。 中指のすぐ下に短い縦線があるのだが、どうやらそれと繋がろうとしているようである。 繋がってしまうとどうなるのか。 よくは知らないが、運命線は長いほうがいいと聞いたことがあるから、きっと良くなると思う。
ところで、ぼくの運命線はちょっと見は一本線に見える。 しかしよく見てみると、一本ではなく二本あるのだ。 一本は、手の下から頭脳線と重なるところまで太く通っていて、それからその線は極端に細くなり、頭脳線の3ミリほど上で終わっている。 もう一本は、頭脳線の1センチほど下のところから細く始まって、頭脳線から急に太くなり、それが感情線の上まで行っている。 つまり、この二本の線は、頭脳線の下1センチのところから頭脳線の3ミリほど上のところまで並行しているということだ。 その間隔が1ミリ程度しかないから、ちょっと見一本線に見えるわけだ。
さて、これが何を意味するかと調べてみたのだが、運命線は人生の変化を意味するものらしく、変化することで運勢が上昇するらしい。 その見方なのだが、下の方から年齢を数えていくそうだ。 で、頭脳線はだいたい35歳にあたるという。 35歳というのは、ぼくが転職した歳である。 で、感情線は何歳かというと55歳前後だという。 これまで運命線は、その感情線の少し上で終わっていた。 その位置は、おそらく60歳くらいにあたるのではないか。 ということは、今働いている会社を、定年まで働くということになる。
うーん…。 これでは何かしっくり来ない。 だいたい二本線が並行しているというのがおかしい。 もし上の解釈なら、ぼくは30代前半に会社を掛け持ちしていたことになるではないか。 ということは、これらの線は、別に会社を意味しているわけではないということになる。
では何だろうか。 そこでぼくは仮説を立てた。 最初の一本は、やはりこれまでやってきた家電販売という仕事を意味するものだと思う。 なぜなら20代前半から、40代後半まで続いているからだ。
もう一本は何かというと、30代前半からやっている別のことを意味するものだと思う。 35歳を過ぎた頃からそれに力を入れ始め、40代前半で本格化したということになる。 それとは何だろうか? いろいろ考えてみたのだが、40代前半で本格的にやり出したことというと、ホームページしかない。 その前というのは、そのホームページに載せるエッセイや歌を書きだめした時期にあたる。
ということは、これからホームページを本業としていくという解釈になる。 しかしねえ…。 昨日も書いたとおり、2年間で稼いだ額が43円なんですよ。 つまり、年収になおすと、21.5円ということになるじゃないですか。 この商才のない男が、どうやってホームページで生活していけるんでしょうかねえ…。
友人がこの春、今の会社を辞めるらしい。 辞めてどうするのかというと、来年の独立を見据えて、一年間の修行の旅に出るらというのだ。 生活がかかっているだろうに、そう決断できる彼がうらやましい。 というか、やることを見つけた彼をうらやましく思う。
とはいうものの、ぼくもやることは見つけている。 ところが、いまだ暗中模索状態なのである。 それゆえに、友人のような飛躍が出来ないでいる。 つまり、今回のように「春に所属部門を閉鎖するから、転勤してくれ」と言われたら、「ああ、そうですか。ということは、ここにいる意味もなくなったということですね。それでは、辞めることにします。いろいろお世話になりました」と言えないということだ。
ところで、それに絡んで、いろいろな人が、「おまえ、せっかくホームページをやっているんだから、それで儲けるようなことを考えたらいいじゃないか」と言ってくるようになった。 そう言ってくる人は決まって、それを言う前に「おれの知り合いに、ネットでかなり儲けている奴がおるんよ」と言う。 「だから、おまえも…」となるのだが、ホームページで儲けることなんて、そう簡単に出来るものではない。
実は、ぼくはあるサイトで、小遣い稼ぎにとアフリエイトをやっている。 それを始めてもう2年が経つのだが、いったいそれでどれだけ稼いだのかというと、43円である。 最初の頃こそ、最低でも月に1万円くらいに持って行くぞと努力をしていた。 ところが、いくらやっても数字は上がってこない。 そのうち「ホームページ始めた元々の動機が小遣い稼ぎではなかったんだから」と思うようになり、そういう努力もしなくなった。 結果、これである。 「これがだめなら、ほかの方法で…」とならないところが、ぼくの商才のなさというか、甘さなのだと思う。
そうそう、その商才で思い出したことがある。 昔読んだ占いの本に書いてあったのだが、ぼくは商才のある星の生まれらしい。 そこには「何でも飯の種に変えてしまう、不思議な才能の持ち主です」と書いてあった。 今となっては、笑い話である。
2006年02月12日(日) |
その痛みを自分で乗り越えろ! |
今朝はどうなったかというと、昨日の日記の更新は何とか9時で終わらせたのだが、その後戸締まりなどをやっていたために、結局家を出たのは9時10分を過ぎていた。 平日なら完全に遅刻をする時間だ。 しかし、さすがに日曜日は道が空いている。 おかげで会社にはギリギリ間に合った。 やはり日記というのは、遅くとも寝るまでには仕上げておくべきものだ。 そして、ゆとりを持って朝を迎えたいものである。
さて、先日、姪の大学受験合格祈願に太宰府まで行ったことを書いた。 試験はその翌週の日曜と月曜だったから、先週行われたことになる。 日曜日が第二志望校で、月曜日が第一志望校だった。 私大ということもあり、発表はまだ先のことだろうと思っていた。 ところが昨日、嫁ブーから結果報告の電話が入った。
「今、電話が入ったんやけど、今日第一志望校の発表があったらしいよ」 「もう発表か?まだ1週間経ってないやないか」 「うん。あそこ発表が早いらしいんよね」 「そうか。それで、どうやったんか?」 「それがね…」 「それが?」 「だめやったらしいんよ」 「…そうか」
ということで、残念ながら第一志望校はだめだった。 しかし、終わったわけではない。 まだ第二志望校の発表と、第三志望校の受験が残っているのだ。
気を取り直して、ぼくは口を開いた。 「でも、まだ終わったわけじゃないやないか。そこを落ちても次があるんやし…」 「そうなんよ。そうなんやけどね…」 「あっ?」 「本人は早々と浪人を決め込んどるんよ」 「えっ、ということは、第二志望校に受かっても行かんということか?」 「うん…」
何ということだ。 普通なら、それらの結果を待ってから進路を決めるはずである。 ところが、姪は他に大学がないがごとくで、さっさと自分の進路を決めているのだ。 第一志望校はもちろんだが、第二志望校だって第三志望校だって、そこを照準に合わせた予備校があるくらい有名な大学なのである。 ぼくの頭なら、それこそ何浪しても通らないだろう。 いや、その予備校にも入れないだろう。 まあ、まだ合格が決まったわけではないが、それにしてももったいない気がする。 しかし、本人がそれでいいのならしかたない。 姪の性格からして、そうしないと気がすまないのだろう。
姪は言ったそうだ。 「うちの親族で、今の私の痛みをわかってくれるのは、しんにいちゃんしかいない」と。 確かに大学に落ちた痛みを知っているのはぼくだけかもしれない。 だからこそ、ぼくだけが、姪の痛みをわかってやれるかもしれない。
しかし、一つだけ姪に知っておいてもらわなければならないことがある。 それは、ぼくには痛みはわかってやれても、その痛みを取り除いてやることなんて出来ないということである。 なぜなら、ぼくは落ちた痛みだけしか知らないからだ。 それを乗り越えることをしなかったために、そのあとにある喜びを知らないのだ。
ということで、こういう痛みだらけの叔父には、「その痛みを自分で乗り越えろ!」としか言えない。
小学生の頃、国語の時間によく作文を書かされていたのだが、その時間内に出来なかったら、宿題になっていた。 宿題になるといやなので、いつも授業中に書き上げていたものだ。 ところが、たまに「今から30分で作文を書いてください」と、時間を限定されることがあった。 そうなると、ちょっと事情が違ってくる。。 プレッシャーに弱いせいなのか、時間を限定されることに反発していたのか、やる気がなかったのかは今となってはわからないが、まったく書けなかった。 しかし、その時間がくるといやでも提出しないとならない。 そこで無理矢理書くのだが、それがまったく文章になっていない。 しかも、3行4行の世界である。 当然いい点はもらえなかった。
この日記は、その時の作文のようなものだ。 夜、食事がすむと、そのまま眠ってしまった。 途中目が覚めたのだが、頭は眠ったままだ。 そこで日記は翌朝送りになってしまった。 起きたのは8時で、それから風呂に入り、パソコンの前に座ったのは8時半である。 9時に家を出なければならないから、30分で日記を書かないとならないのだ。 会社に行ってから書けばいいようなものだが、会社でとなると、携帯を使わなければならない。 それがいやだ。
ということで、今日はこんな日記になりました。 いい点もらえんなあ…。
例えば、今夢中になっているものが気にかかる。 運命がそれをさせているのではないだろうかとか、そこに何かヒントが隠されているのではないだろうかとか…。
先月から、再び浦沢直樹の数々の作品を読むようになった。 最初の頃はまったくそんなことはなかったのだが、ここにきて「運命がその本を手に取らせたのではないだろうか」だとか、「その作品の中に運命を暗示するものがあるのではないか」だとか、「それらを読むことで運命が変化するのではないだろうか」だとか思うようになった。
そのせいか、読み方が若干変わってきたような気がする。 確かにそういうふうに本を読むと、違った意味で面白いのだが、疲れる。 普段なら30分もあれば一巻読破できるものが、何時間もかかってしまう。 例えば『YAWARA』を一巻読むのに、2時間も費やしてしまったことがある。 それに、常に字間を読もうとするために、肝心の物語としての面白さがなくなってしまう。 そのために、何度も同じところを読んだりしている。
そういえば、これも前の会社を辞めた時と似ている。 その時は浦沢直樹ものではなく、弘兼憲史の『人間交差点』だった。 この『人間交差点』は原作者が矢島正雄ということもあり、内容がかなり濃かった。 そのために、一巻読破に2時間どころではない時間を要したものだ。 しかし、それによって得たものは、運命的なものではなく、「『いや』と言える人間になれ」ということだけだった。 そのせいで今回の人事に対して、ぼくは「いや」とばかり言っているのだろう。
ということで、人生の岐路というものはいろいろと疲れることばかりである。 そろそろ答えが出てもいい頃だと思うのだが…。
【追記】 ああ、昨日の日記が大幅に遅れた理由ですか? 別に大した理由はないんです。 日記に書いているように、現在ぼくは浦沢直樹作品を読んでいるのです。 昨日は家に帰ってから、『MONSTER』の10巻を読んでいたのですが、どんどん深みにはまってしまって、一気に全巻読んでしまいました。 気がつけば、今日の昼になっていた。 それから、宗像大社に行ったりしたもんですから、帰ってから昨日の日記を書くことになったというわけです。
一部の方から「大丈夫か?」という連絡をいただきましたが、上記のような理由なので、ご心配なく。
昨年の10月に占い師から今後の展開を聞いたことといい、 この春の転勤のことといい、その際これまで長年やってきた仕事から離れなければならないことといい、数えの50歳になったことといい、またそういうことに対する行動といい、その精神状態といい、今ぼくは間違いなく人生の岐路に立たされている。 過去に何度かそういう経験があるのだが、そういう時というのは、ちょっとしたことが運命的なことのように感じるものだ。
例えば、人のちょっとした言葉が気にかかる。 それを聞いたことで大きく人生が変わるのではないだろうかとか、その言葉の裏に何か将来を暗示するものがあるのではないかとか…。
昼間の話。 本社の人と今後のことについて話すことがあった。 「しんちゃん、あんたいったい何がしたいと?」 「何がしたいか、ですか…。自分の中ではちゃんと確立したものがあるんだけど、それを言葉にして説明出来ないんです」 「ということは、具体的な目標が定まってないということやね」 「いや、自分の中では具体的なんですけどね」 「いや、それを他人に伝えることが出来んということは、具体的じゃないということよ。自分が何をしたいというのを明確にせんと、運命は動かんよ」
『自分が何をしたいというのを明確にしないと、運命は動かない』というのは、昔読んだ自己啓発書などでよく目にした言葉である。 その頃は、よく『将来こうなる』という強い思いを持って行動していた。 しかし、次第に力んでいる自分に気づくようになる。 言っていること、やっていることに自分らしさが感じられないのだ。 周りもぼくの変化に気づいたようで、ぼくに対して何か他人行儀な言動をとりだした。 そこでようやく、そうやることが自分に合ってないと思うに至ったり、
つまり、『自分が何をしたいというのを明確にしないと、運命は動かない』という言葉は、ぼくがすでに卒業している言葉なのである。 それなのに、今、その言葉がぼくの胸に突き刺さる。 「運命がこの言葉をぼくに聞かせたのではないか」とか、「今、それをやることで、人生が開けるのではないか」とかいう思いが、ぼくを揺さぶる。
他にもある。 先日、嫁ブーから意外なことを聞いた。 ぼくのまったく知らないところで、自作曲『月夜待』を支持している人がいるというのだ。 どうやら、その人はネットで偶然にぼくの歌を聴いたらしい。 まあ、喜ばしいことではあるのだが、普段なら「ああ、そうか。それは嬉しいのう」で終わるところだろう。 ところが、今そういうことを聞くと、運命の暗示のように聞こえるのだ。 そして、「もしかして、この曲でぼくは飛躍するのかもしれない」などと思い、「また歌を始めるか」となってしまう。
そこで、人から「しんちゃん、春からどうすると?」と聞かれると、「おれは歌手になるんよ」などと言ってしまうのだ。 確か、前の会社を辞める時にも同じことを言っていた。
嘉門達夫の歌にもあったが、小学生頃、遠足の前の日に「先生、バナナはおやつですか?」と聞く奴が必ずいた。 「おやつは○円まで」と決められていたが、少しでも多くおやつを持って行きたい。 そのために、バナナがおやつだとなると都合が悪くなる。 そこでそいつは、わざわざそういう質問をして、バナナを弁当のおかずということで了解を取ろうとしたのだ。 もし先生が「バナナはおやつです」と言おうものなら、そいつは目の色を変えて「弁当のおかずじゃないですか!」と反論した。
しかし、そう思っているのなら、別に先生の意見など聞かずに、弁当のおかずとしてバナナを持って行けばいいのだ。 もし遠足の時にそれを咎められたら、その時に初めて反論すればいいのだ。 それなのに、遠足の前にわざわざそういう質問をするものだから、話がこじれるのだ。 先生が意地になって「バナナはおやつだ!」と決め付けたら、バナナを持って行く時は、他のおやつを削らなければならなくなるではないか。 そういう思慮のない質問が、どれだけ他の生徒に迷惑をかけているのか、そいつはわからなかったのだろうか。
さて、その「バナナはおかずか、それともおやつか?」である。 それと似たようなことで、ぼくは悩んでいることがある。 それは読書である。 ネットでアンケートなんかに答えていると、必ず趣味を書く欄がある。 そこに読書を入れていいのかどうか、悩んでいるのだ。
30代前半までのぼくなら、躊躇せずに「趣味:読書」と書いただろう。 しかし今は書けない。 それは、その頃読んだ本の影響からだ。
ある本を読んでいると、「読書は本来、自己修養のためのものだから、趣味の範疇で捉えるのは間違っている」というようなことが書かれていた。 その頃のぼくは、中国思想や仏教書にハマっていた。 そのせいで、その記事を読んだ時、大いに共感し、それ以来趣味の欄に『読書』と書くことを避けるようになったのだ。
ところが、ここで問題が出てきた。 実は、「趣味:読書」と書かないと、その欄が埋まらないことがわかったのだ。 確かに作詞や作曲などは趣味の範疇に入るだろう。 だが、すでにそういうことはやめているわけだから、当然現在の趣味ではない。 最近は、ギターも弾いたり弾かなかったりだから、趣味と呼ぶにはおこがましい。 また、以前はドライブと書いてはいたものの、今は休みの日にはなるべく車に乗らないようにしている。 映画もほとんど見ない。 音楽も通勤途中に車の中で聞くだけだ。
ということで、他に書くことがない。 今はブログをやってはいるが、ブログが趣味ということは、突き詰めたら日記が趣味だということになってしまう。 まさか「趣味は日記です」なんて言う人はいないだろう。
まあ、アンケート程度のことなら、まったく興味のない『アウトドア』などというのを書いても問題はないだろうが、それが履歴書の場合はどうだろう? 実は今日、仕事の合間にそのことを考えていた。 学歴や職歴、また資格・特技は嘘を書いたら、経歴詐称になってしまう。 では、趣味はどうなのか? やはり、嘘を書くわけにはいかないだろう。 先にも言ったとおりで、作詞や作曲などは書けない。 アウトドアでは嘘になる。 ということは、読書と書くべきか? しかし、読書は自己修養だ。 たとえそれがマンガであっても、立派な自己修養書である。 さて、もし書くようなことになった場合、どうしよう…。
ああ、こういうのがあった。 「趣味:履歴書の趣味の欄に入れる趣味を考えること」 しかし、こんなこと書いたら、印象が悪くなるだろう。
さて、仕事が終り、いつものように嫁ブーを迎えに行った。 車の中でぼくは、「おまえ、『ラブユー東京』知っとるか?」と聞いてみた。 「知っとうよ。『七色の虹がー、消えてしまったのー♪』やろ?」 「おう」 「それがどうしたと?」 「朝から、その歌が頭の中で鳴り響いてのう」 「ああ、そういうことってあるね」 「で、中リンに、知っとるかどうか聞いてみたんよ」 「知っとった?」 「いや、知らんかった」 「そうやろね。わたしだって、最初の歌詞以外はあんまり憶えてないんやけ」
そんな会話をしてるうちに家に着いた。 ぼくが着替えている時だった。 突然嫁ブーが大声を上げた。 「しんちゃん、来て来て」 「どうしたんか?」 「テレビにロス・プリモスが出とるよ」 「えーっ?!」 行ってみると、確かにそこにロス・プリモスが出ていた。 そして『七色の虹がー♪』と歌い出した。
それを見て嫁ブーが、「ねえ、中リンに教えてやったら?」と言った。 「そうやのう。メールしてやろう」 そう言ってぼくは携帯を取り出し、メールを打ったのだが、なにせぼくの打ち込みは遅い。 そのせいで、『ラブユー東京』は終わってしまった。 「あーあ、間に合わんかった」
と、その時だった。 一通のメールが入った。 見てみると、何と噂をしていた中リンからだった。 そこには、『ラブユー東京:聴きましたよ』と書いてあり、その番組の写真も添えられてあった。 嫁ブーにそれを伝えると、「この時間帯はスマップとかのチャラチャラした番組が多いのに、ロス・プリモスが出るような番組見よるとか、中リンは偉いねえ」と妙に感心している。 「うーん、それは違うんやないか。中リンがロス・プリモスを好んで見よるとは思わんのう」 「ああ、そうか…」 「きっとお母さんが見よるんやろう」 「そうかもね」 「しかし、偶然やのう。もしかしたら、『ラブユー東京』は中リンの運命の歌かもしれんぞ」
そういう話をしている時だった。 今度は、敏いとうとハッピーエンドブルーが出てきた。 そこでぼくは中リンに、『星降る街角、始まるぞ』と書いて送った。 そしてその歌が終わった後、中リンから再びメールが届いた。 そこには、『ウォンチュー(星降る街角):お母さん熱唱してました』と書いてあった。 やはり、中リンが見ていたわけではなく、中リンのお母さんが見ていたのだ。
ところで、朝からずっとぼくの頭の中を『ラブユー東京』が鳴り響いていたのは、夜にその本人がテレビに出てその歌を歌うのを予知していたことになるのだろうか。 ぼくはテレビにロス・プリモスが出るなんて、まったく知らなかったし、もちろんムード歌謡の面々が出ることも知らなかったのだ。 そういえば、ここ最近、時々体が少し熱くなることがある。 もしかしたら、時々神が宿っているのかもしれないなあ。
今朝、会社に着いてからのこと。 突然、頭の中である歌が鳴りだした。 その歌とは、ロス・プリモスの『ラブユー東京』である。 別に、出がけのテレビやラジオで聴いたわけではない。 とにかく突然だったのだ。
あまりしつこく鳴るので、ぼくはそれを振り払うかのように、「七色の虹がー、消えてしまったのー♪」と口に出して歌った。 すると横にいたパートさんが、嬉しそうに「シャボーン玉のような、あたしの涙ー♪」とそれに続いた。 それを聞いていた他のパートさんは、「二人とも古いねえ」と笑っていた。
それから1時間が経った。 相変わらずぼくの頭の中では『ラブユー東京』が鳴っていた。 「何でこの歌が鳴るんだろう?」と思ってみたが、答は出てこない。 まあ、そんなことよりも、先ほどのパートさんが、嬉しそうに歌っている姿のほうに関心が行っていた。 「あの人は年上だから当然知っているだろうけど、果たして年下の人たちはこの歌を知っているんだろうか」 そう思ったぼくは、年下の人たちが知っているかどうか試してみることにした。 ところが、今日出勤しているパートさんで、ぼくより年下というと、先ほど「二人とも古いねえ」と笑っていた人ぐらいしかいない。
いや、一人いた。 中リン、22歳である。 さっそく化粧品コーナーに行き、中リンに聞いてみた。 「中リン、『ラブユー東京』知っとうか?」 「何ですか、それ?」 「歌の題名なんやけど、知らんか?」 「知りませんよ」 「そうか」 「どんな歌なんですか?」 「それはねえ…」とぼくが歌おうとした時、ふと横を見ると、そこにイトキョンが立っていた。
「イトキョン、あんた『ラブユー東京』知っとるやろ?」 「『ラブユー東京』…。ああ、ロス・プリモスの?」 「うん」 「それがどうしたと?」 「中リンは知らんらしいよ」 「そりゃそうやろ。あれ、相当古い歌よ」 「うん。おれが小学生の時に流行ったけ、40年ぐらい前の歌」 「そうやろ」 「イトキョンは歌える?」 「えーと、『七色の虹がー♪』やったかねえ」 「そうそう。じゃあ、中リンに教えてやっとって」 「えっ、わたしが?」 「うん。あんたしかおらん。頼むね」 ぼくはそう言って、その場を離れた。
その後も、ぼくの頭の中では『ラブユー東京』が鳴っていた。 そういえば、ぼくが小学生や中学生の頃は、やたらムード歌謡が流行っていたような気がする。 黒沢明とロス・プリモスの他に、鶴岡雅義と東京ロマンチカ、内山田洋とクールファイブ、敏いとうとハッピーエンドブルー、ロス・インディオスなどがいたが、その後どうしているのだろう。 あ、『昭和ブルース』を歌ったザ・ブルーベレ・シンガーズというのもいた。 あの人たちは、今どうしているのだろう? そういう疑問を抱きながら、ぼくは今日を過ごしたのだった。
ぼくの家からセブンイレブンまでの距離は、およそ50メートル。 すごく便利である。 特に嫁ブーは、コンビニの近くに住むのが夢だったので、大変満足している。
ところが数日前、しろげ家に激震が走った。 何と、その便利なセブンイレブンが移転するというのだ。 何でも、店の前に路上駐車する車が多く、他の車の通行の妨げになっているから何とかしろ、と警察から指導を受けたための措置なのだという。 実は、そのセブンには駐車場がない。 いや、あることはあるのだか、店の敷地内にないのだ。
さて、その移転先はというと、現在店が建っている場所から50メートルほど離れた場所、家からだと50メートルプラスになるから、およそ100メートルほどの距離になる。
その話を聞いて落胆したのは嫁ブーだった。 「朝刊を取りに行ったついでにパンを買ってこれる距離だったのに…。移転したら途中信号もあることだし、ついでに買いに行くという距離じゃなくなるやん」 夜は夜で、「夜、セブンの看板に灯りがついているのを見るのが好きだったのに…。あーあ、遠くなるのか…」と言う始末だった。
嫁ブーがそうこぼした翌日に、移転地の工事は始まった。 「ああ、とうとう始まったね」 そう言って嫁ブーは肩を落とした。
そのまた翌日、落胆している嫁ブーに電話が入った。 「ねえ、あんたんちの隣のセブン、移転するらしいね」 「うん…」 「冷蔵庫のような存在やったのに、残念やねえ」 「うん…」 嫁ブーは力なく返事をしていた。
ところが昨日のこと。 いつものように仕事が終わってから嫁ブーを迎えに行くと、嫁ブーは晴れやかな顔をして車に乗り込んできた。 「おっ、元気いいやないか」 「そりゃそうよ」 「何かいいことあったんか?」 「うん。セブンの移転話があったやん」 「ああ」 「あれね、実はセブンじゃないんよ」 「えっ、セブンじゃない?」 「うん」 「じゃあ、何なんか?」 「ファ・ミ・マ」 「ああ、ファミマか。じゃあ、セブンはどうなるんか?」 「セブンはねえ、そのままらしいんよ」 「そうなんか。あの話はガセやったんか」 「うん」 「ということは、家から100メートル圏内に、コンビニが二つになるんやのう」 「そういうこと」
嫁ブーの声は弾んでいた。 いったんは移転すると思って落胆していたから、その喜びは倍にもなっていたのだろう。 ということで、これまでいつもマーガリンジャム入りが定番だったパンだが、これからはバラエティが増えることだろう。 出来たら、シュガーバター入りのパンが食べたい。
昼食中に呼び出しがかかった。 行ってみると、そこに店舗担当の課長がいた。
「何か欲しいものがあるんですか?」 「いや、その件で来たんじゃない」 「そうですか」 「実は、今後のことなんやけどね」 「ああ、そっちのほうですか…」
前に部長と話をしたことを書いたが、課長はその話の続きにきたようだ。 部長は招集をかけると言っていたが、どうやら今日はその前段階の個人面談らしい。
「今度電気の売場がなくなるわけなんやけど、今後どこか行きたい部署とかある?」 「行きたい部署ですか…」 「本音で言ってもらいたいんだけどね」 「どうせ生鮮とかでしょ?」 「生鮮はだめなん?」 「ええ。電気で25年やってきた人間が、包丁片手に立ち回れるわけないじゃないですか」 「そうやねえ…。でも、そこしかないとしたらどうする?」 「家族には『もし生鮮になるなら辞めるかもしれん』と言っているんです」 「そうか…。じゃあ、他に希望とかあるんね?」 「これと言ってないから困ってるんです」 「他の事業部はどう?」 「前の店長が行ったところならいいです。そこには行けませんか?」 「ああ、あそこね。あそこは難しいよ。他にないんかねえ?」 「うーん。でも販売はもうしたくないし…。それ以外で何かありませんか?」 「販売以外?」 「ええ、販売だと、どうしても電気のほうがよかったという気持ちになるでしょ?そうなると、仕事に身が入らなくなると思うんです」 「ああ、そうか」 「急にどこがいいかと言ってこられても、こちらは何も準備してないですよ。もう少し時間をもらえませんか?」 「もう少しと言ったって、もう時間がないんよねえ…」
煮え切らないぼくと、これと言った提案の出来ない課長の会話は、その後しばらく続いた。 だが、答は見えてこない。 結局、結論は見送りとなった。
課長が帰った後に、先輩社員が「何と言われたんか?」と聞いてきた。 ぼくがその内容を語ると、その人は「おまえ、辞めるとか言ったんか?」と言う。 「ええ」 「何で『どこでもいいです』と言わんとか。辞めるとか言ったら、相手の思うつぼやないか。ただでさえ、おれたちは余剰人員なんやけ」 「『本音で言え』と言うから、辞めることも選択肢としてあると言ったんですよ」 「そうか…。でも、ああいう時は『どこでもいい』と言ったほうがいいぞ」 「おれの場合、どこでもよくないから、『どこでもいい』とか言えませんよ」 「ああ、そうやのう。おまえは電気以外やったことないけのう」
さて、第三段はいつになるのだろうか。 そしてぼくは、どうなるのだろうか。 先輩氏の話では、今日本音を言ったことで、ぼくはろくな部署に回されないだろうということだ。
(1) さあ、明日は待ちに待った立春である。 昨年の10月に占ってもらった時に、「これから悩みの毎日が続きますが、来年の立春を境に悩みも消え、運が上昇するでしょう」と言われていたのだ。 ということで、今日までのしがらみは、明日以降消えることだろう。 これからは、夢に向かってまっしぐらに進んでいくだけである。 さて、明日以降、どういう展開が待っているのだろうか? 楽しみである。 とりあえず、明日からは物事を肯定的に考えていくことにしよう。
(2) 夕方からイオンに行った。 前に行った時から気になっていたのだが、駐車場の半分を閉鎖して工事をしている。 いったい何の工事をやっているのだろうかと確かめてみると、そこには『増床工事』と書いてあった。 増床工事ということは、文字通り増床することだろうから、そこに店舗が出来るのだろう。 いったい何が出来るのだろうか。 ぼく個人としては、映画館が出来て欲しいのだが。
黒崎の映画館が次々と閉鎖してからは、小倉だとか戸畑だとか、遠方に見に行かなければならなくなった。 だが、けっこう交通費もかかるから、自然足が遠ざかる。 ぼくは、基本的には映画はあまり見に行かない方だが、それでも黒崎に映画館があった頃は、年に数回は見に行っていた。 ところが、ここ数年は2回しか行ってないのだ。 ということで、黒崎に映画館があったら、すぐに見に行っていただろう『三丁目の夕日』も、「戸畑とか小倉に行くぐらいなら、ビデオが出るのを待っとったほうがいい」という理由から見に行かなかった。
もしイオンに映画館が出来たら、黒崎に行くよりもまだ近いから、年に数回から、月に一回のペースで行くかもしれない。 そうなれば、ここで映画評なんかもやれるかもしれないのだ。 お願いだから、映画館を作ってほしい。
(3) 前回の休みの日に太宰府天満宮に行ってきたことを書いたが、次の休みの日には宗像大社に行くつもりでいる。 この正月で数えの50歳になったため、ここまでの厄をすべて払い、前途の安泰、というか夢が叶うように祈願したいのだ。 次の休みの日に行くようにしたのは、もちろん、冒頭に書いたように立春を過ぎたからである。
その宗像大社だが、大厄の時に厄払いに行って以来、ぼくの精神的な拠り所となっている。 ここに行くと、すがすがしい気分になるし、いろいろなしがらみから解放されるような気がする。
ある霊感の強い人が言っていたのだが、宗像大社本殿の入口には、門番が立っていて、その門番は邪悪な霊が本殿に入らないように見張っているらしい。 以前、本殿に入った時に、ふっと肩が軽くなったことがある。 それはきっと、門番が邪悪な霊を追い払ってくれたおかげだろう。 すがすがしい気分になったり、いろいろなしがらみから解放されたような気がするのも、きっとそのせいだと思う。
ということで、次の休みの日は宗像大社に行って、邪悪な霊を追い払ったあとに、夢の実現を祈願してこよう。
2006年02月02日(木) |
そろそろ床屋に行こうかなあ |
髪が伸びてきた。 というより、髪が膨らんできた。 ぼくは高校時代に髪を伸ばしていたが、その時に気がついたことがある。 それは、ぼくの髪はその硬さと多さのせいで、放っておくと下に伸びることはなく膨らんでいくのだ。 おかげで頭はヘルメットをかぶっているように見えたものだ。
これは、白髪になった今になっても変わらない。 相変わらず髪は硬く多く、伸びるとやはりヘルメットをかぶっているように見える。 そこで床屋に行くことになるのだが、ここ最近、床屋に行った翌日などに気になることを言われだした。 それは、「しんちゃん、薄くなったねえ」である。
それは決して薄くなったのではない。 髪が多いために床屋の姉ちゃんが、気を利かして髪を透いているからだ。 白髪は黒髪のように地肌を隠すことをしない。 そのために髪が伸びている時でさえ地肌が透けて見える。 それに加えて髪を透かれているわけだから、なおさら地肌が見えやすくなるのだ。 地肌が透けて見えないに越したことはないのだが、これは白髪の性質上仕方がないことで、「まあ、髪があるだけいいや」とぼくは開き直っている。
とはいうものの、「薄くなったねえ」などと面と向かって言われると、あまりいい気持ちはしない。 というより、その言葉は胸に突き刺さる。 そのため、髪を切ってからしばらく、ぼくは頭を気にしているのだ。 しかしそれも、髪が伸びてくると、そういったことを言う人もいなくなってくる。 そのため、ぼくも気にすることを忘れてしまっている。
ところが、さらに伸びてくると、冒頭に書いたとおり髪が膨らんでくる。 そうなると、今度は「髪が多いねえ」と言われるようになる。 しかも、それを言う人は決まって「薄くなったねえ」と言った人なのである。 その人はいったい、「髪が薄いしんた」と「髪が多いしんた」の、どちらのしんたのイメージを抱いているのだろうか。 ああ、そうだった。 イメージなんか抱いてないのだ。 その人は「言いっぱなし、やりっ放し」のB型の人(嫁ブーではない)なのだから、その時々に、見たまま感じたままなのである。
さて、前回床屋に行ったのが12月中旬だったから、もう1ヶ月半行ってないことになる。 髪が増えたせいで、洗髪後の乾きが悪くなり、ブラシの通りも悪くなってきている。 「あんた、髪が多いねえ」と言われる時期に入ったのだ。 そろそろ床屋に行かないとなあ…。 しかし、行ったら行ったで「髪が薄くなったね」と言われるだろうなあ…。
2006年02月01日(水) |
嫁ブーという名の由来 |
昨日ここに、『天満宮ゆかりの梅の花は、時期が早いためか、まだほころんではいなかった』と書いたのだが、これはあの有名な『飛び梅』のことではない。 神社内にある梅林のことである。 飛び梅のほうは、例年正月過ぎに咲くから、すでに遅かったわけだ。 と思っていたら、今日の夕刊に『太宰府の飛び梅が今日開花した』と書いてあった。 何でも、この冬の厳しい寒さで開花が遅れたらしい。 ということで、昨日は遅かったのではなく、早かったのだ。
さて、昨日嫁ブーの後ろ姿を公開したが、あれを見て、「嫁ブーさんは、ブーじゃないじゃないですか」と言った人がいる。 ということで、ちゃんとお答えした。 「いや、ブーですよ」 「どう見ても太っているようには見えないですよ」 「太っているから『ブー』と付けたわけじゃないんですけど」 「えっ?」 「『ブー』というのは、太っているという意味だけじゃないでしょ?」 「確かにそうですけど、それなら『お湯』とか『お茶』という意味ですか?」 「『お湯』?『お茶』?…ああ、赤ちゃん言葉ですね。でも、それだと『嫁茶』になるじゃないですか」 「そうですよねえ…」
「ブーというのは名詞じゃないですよ」 「名詞ではない?」 「ええ」 「ということは、いつもブーブー言っているということですか?」 「嫁ブーはインコみたいなくちびるをしてますけど、ブーブーは言わないですよ。いつも寝てばかりいますから、ブーブー言う暇がない(笑)」 「じゃあ、何だろう?」 「ブーというのは擬音ですよ」 「おなら?」 「おならねえ…。まあ、確かにおならはしますけどね。『ブー』じゃなくて、『プー』という音がします」 「うーん…」
「降参ですか?」 「はい」 「例えばクイズ番組とか見ている時、嫁ブーは考えもせずに答を言うんですよ。それがいつも間違っている。それでぼくはいつも『ブー』を多発しているんですよ。ブーというのはそういう理由から付けたわけです」 「なるほど。もしかして奥さんB型ですか?」 「そうですが…」 「やっぱりね」 「血液型は関係ないでしょう」 「いや、ありますよ。B型は言いっぱなしのやりっ放しですからね」 「そうなんですか。ぼくはてっきり、嫁ブーの脳がおかしいとばかり思っていましたよ(笑)」
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