今年を振り返ってみると、虫歯に始まり、五十肩に悩まされ、痔に泣いた一年だった。 虫歯や五十肩のことは、散々ここで書いてきたから、よくおわかりのことと思うが、痔は最近の出来事である。
先月の終わりに、ぼくは風邪を引いたのだが、その際咳込みが酷かった。 その咳込みの際に、いきんでしまったのだろう。 気がつくとお尻が痛くなっていた。 それはすぐに治まったのだが、薬を塗ったのがいけなかったようで、今度はお尻がかぶれてしまい、痒くなったのだ。 それが今まで続いている。
こういうふうに書くと、病気に明け暮れた一年だったように思われるかもしれないが、決してそうではない。 別に歯医者を除いては、病院に行ったということはなかった。
他に特記できることといえば、資格を取ったことくらいか。 それも一つではない。 二つ取ったのだ。 一つは、日記にも書いたフォークリフトの資格で、もう一つは医療器具販売の資格である。 何せ、ぼくはこれまで資格と言えば、普通運転免許くらいしか持ってなかったから、資格を持ったということがけっこう嬉しかった。
資格といえば、日商簿記2級などというのも持っているが、これまで一度たりとも役に立ったことがない。 それがネックになったこともあるくらいだ。
前の会社の面接で、面接官がぼくの履歴書を見て「君は日照の簿記の資格を持っているらしいが、ここは販売の会社で、当然採用するのは販売が出来る人です。君がもしその資格を活かしたいのなら、他の会社に行きなさい」と言ったのだ。
その言葉にカチンと来たぼくは、「別に簿記の資格なんて活かしたいとは思っていません」と言ってやった。 すると彼は、「販売は難しいよ。簿記をやる人間には向いてないと思うがなあ」と言う。 そこでぼくが「アルバイトだったので履歴書には書かなかったんですが、長崎屋で1年間、販売の仕事をしていました」と言うと、彼は、『しまった』というような顔をして「‥‥。あ、そうですか…」と言った。
後で聞いた話によると、その面接官はぼくを嫌っていたらしい。 何が気に入らなかったというと、別に簿記の資格を持っていることではなく、第一印象である。 その気に入らない人間が、偉そうに『日商簿記2級』なんて書いているので、癪に障ったのだろう。 そのため彼は、ぼくがその会社に向いていないということを遠回しに言っていたのだ。 しかし、結果的には、1年間の長崎屋経験が物を言って、何とか合格できたのだった。 ちなみに、面接官は、ぼくのどこが気に入らなかったのかというと、髪型だった。 その頃ぼくの髪は、若干長めだったのだ。
さて、今年一年を総括すると、体のいろいろな部分の故障と資格取得、だいたいこんなところにおさまるだろう。 来年はいったいどんな年になるのか。 一つだけ確定していることがある。 それは、環境の変化である。 どういうことかというと、4月に転勤になるのだ。 そのことについては、時期が来たら、詳しくお知らせすることだろう。
ということで、今年一年、お世話になりました。 また来年もよろしくお願いします。 それでは、よいお年を。
正月をどうして過ごそうかと考えていた時に、以前先輩が「休みの日には、いつも極楽体験している」と言っていたのを思い出した。 先輩の言う極楽体験とは、午前中マッサージに行って、それが終わってから温泉に行くというものだった。
ぼくが「休みのたびにそんなことしていたら、お金がいくらあっても足りないでしょう?」と言うと、先輩は「いや、そんなことはない」と言う。
「しかし、マッサージと温泉でしょ。普通マッサージに行くと、安くても3千円はとられるじゃないですか」 「普通はそうやね」 「それに温泉が加わるわけでしょ。マッサージが終わってから行って帰ってこれる場所というと、二日市温泉とか山口の湯本温泉あたりだから、いくら温泉代が安いと言っても、高速代とかガソリン代がかかるわけじゃないですか。そうなると、マッサージと合わせて6,7千円はかかる計算になる」 「6,7千円も遣うわけないやん」 「じゃあ、いくら遣うんですか?」 「千円ぐらいかなあ」 「えっ、千円!?」 「うん」 「どこに行ったら、千円とかで上がるんですか?」 「マッサージは整骨院でやるから、保険が効くやろ。だから100円ぐらいですむやろ」 「ああ」 「あと温泉は、二日市とか山口とかに行かんでも、ちゃんと市内にあるやん」 「えっ、市内?」 「河内」 「ああ、河内か」 河内とは、北九州市唯一の温泉がある場所である。
「あそこはスーパー銭湯と違って、ちゃんとした温泉やろ」 「確かにそうですね」 「しかもあそこは山の中にあるけ、黒川温泉みたいなんよ。で、料金は800円やろ。整骨院代と足すと900円やん」 「ああ、そうか」 「もちろん高速使う必要もないけ、高速代もかからん。それに家から近いけ、時間もかからん」 「なるほど」
それを聞いて、ぼくは真似してみようと思っていた。 だが、いざやるとなると、何か面倒臭くて、なかなか実行出来ないでいた。 正月は暇だし、せっかくだから極楽体験でもやろうかなあ。
ん? あ、そうか。 温泉はともかくも、整骨院は休みじゃないか。 やっぱり、正月はつまらん。
毎年12月29日から大晦日までの三日間、早出である。 12月に入っても、昨日までは普段の日と変わらなかったが、この早出が始まると、いよいよ年末到来という感じがする。
ということで、今日も普段より早く家を出た。 世間はすでに休みに入っているのか、交通量はかなり少ない。 運転中に、今日からの予定を考えていたのだが、冒頭に書いたとおり、今日から三日間は早出。 大晦日は、仕事が終わった後、嫁ブーといっしょにぼくの実家に行って、年越しそばを食べる。
明けて元日は、嫁ブーが仕事なので、朝早く起きて嫁ブーを送っていかなければならない。 その後は、実家に行っておせちを食べ、気が向いたら近くの神社に初詣に行く。 帰ってから、夕方嫁ブーの仕事が終わるまで寝て待つことになる。 目が覚めてから、嫁ブーを迎えに行く。 そして、また実家に行っておせちを食べる。 おそらく昨日買ったカニは、ここで出てくるはずだ。 かくし芸なんかを見て、家に帰る。
翌二日も嫁ブーは仕事、そのため、また早起きして嫁ブーを送って行かなければならない。 その後は、またまた実家に行って、おせちの残りを食べる。 ギターなんかを弾いて暇つぶしして、夕方嫁ブーを迎えに行く。 そして、三日から仕事である。 毎年、つまらない正月を送っているが、来年もきっとそういうことになるのだろう。
2005年12月28日(水) |
『長い浪人時代』の続編を書こうと思っているのだが |
さて、昨年から今年にかけての年末年始は、『長い浪人時代「上京前夜」』を書いていた。 そろそろその続編を書こうと思っているのだが、その頃の記憶というのがほとんどない。 友人とアルバイトをしていたり、母と将来についての言い争いをやったりしていたくらいだ。 ぼくの日記を読んだ人から、「よくそんなに昔のことを憶えているなあ」と言われることがある。 それは断片的ではあるが、日記を書いていたからだ。
ところが、東京前夜については、日記がない。 いや、日記は時々付けていたのだが、その日記は人に貸したまま戻ってこないのだ。 そのため、肝心なことが思い出せないでいる。 そこには、けっこう好きな詩も書いているのだ。
そんなに大切な日記なら返してもらえばよさそうなものだが、その人が今どこにいるのかがわからない。 しかし、居場所がわかったとしても、もう26年前のことだから、その人は借りたこと自体忘れているだろうし、もしかしたら、捨ててしまっているかもしれない。
前に書いたかもしれないが、その『長い浪人時代』の時期は、1976年から1981年までの5年間である。 その5年間を「予備校時代('76〜'77)」「孤独と焦燥('77)」「上京前夜('77〜'78)」「東京時代('78〜'80)」「長崎屋物語('80〜'81)」というふうに分けている。 そのほとんどはすでに書いたのだが、「上京前夜」の第2部がまだなのだ。 それができると、完成ということになる。
ということで、早く書いてしまいたいのだが、前述したようにその記憶がないのだ。 東京時代に出会ったA君、もしこのブログを見ていたら、日記を戻してもらえないでしょうか。
あ、そうか。 ぼくが誰だかわからないか。 えーと、代々木公園で、『ショートホープブルース』を歌った男です。 というか、新宿歌舞伎町のパチンコ屋でスリにあって、2万円盗られた男です。 あっ、歌舞伎町で思い出した。 居酒屋『北の家族』で、横の客と意気投合し、炭坑節を歌って店の人から「ここでそんな歌を歌わないで下さい」と注意された男ですよ。
それでもわからんか。 じゃあ、これでどうだ。 千葉稲毛のK君宅にみんなで泊まった時、IとK子がぼくの隣でHしていたのも気づかずに、ずっとイビキをかいていた男です。 K君というのは、その翌年、M美と出来ちゃった婚したあいつですよ。 君も結婚式に呼ばれたでしょ?
ぼくがN美の件で悩んでいる時に、「しんた、やっちゃったのか?やっちゃうと、後が大変だよ(注;ぼくはやってない)」などと言いながら、親身(?)になって相談に乗ってくれたじゃないですか。 N美がそのことで、宴会の途中に泣きながら小田急線に乗って帰ったのを、君なら憶えていると思うのですが。 思い出しましたか? いや、思い出して下さいよ。 そして、早くぼくの日記を戻して下さい。
今日は今年最後の休みだった。 ということで、カニを買いに行った。 数年前、近場のカニの加工工場で直売をやっていることを知り、買いに行った。 それ以来、そこでカニを買うことが、我が家の年末の恒例行事になっている。 とはいえ、買うのは母で、ぼくと嫁ブーはただの付き添いに過ぎない。
昨年は昼頃行ったために、駐車場も満車状態で、特設の直売場はお客でごった返していた。 そこで今年は時間をずらし、夕方に行くことにした。 さすがに駐車場もガラガラで、直売場にもお客はあまりいなかった。 しかし、時間が時間だったために、すでに目玉商品は売り切れていた。
しかたなく他の商品を漁っている時だった。 横いた店員とお客のやりとりが聞こえてきた。 「ズワイガニよりタラバガニのほうが身がたくさん詰まってますよ」 「前によその店で、そういうふうに言われて、タラバガニを買って帰ったんだけど、食べてみると、全然身が入ってなかったのよね」 「そうなんですか」 「今あなたは身がたくさん詰まっていると言ったけど、絶対に身が詰まってるって保証するの?」 「それは…」
いるんですよ、どこにでもこういうお客が。 そういうふうに突っ込まれると、店員としてはどうにも答えようがない。 食べ物なんだから、いや食べ物でないにしろ、絶対なんてありえないのだ。 そこでカニを割って見せるわけにもいかないし、かといって「うちのは大丈夫ですよ」なんて言ってしまうわけにもいかない。 もし、そのカニがそのお客が思っている『身が詰まっている』状態でなかった場合、後が大変である。 「あなたが、大丈夫って言ったから安心して買ったのよ。それなのに全然身が詰まってないじゃない。どうしてくれるの?」などと、いちゃもんをつけてくるに決まっているのだ。 だから、安易に「うちのは大丈夫ですよ」なんて言えない。
ぼくの店でも、そういうことは多々ある。 この間も、「このポット買おうと思っているんだけど、ちゃんと沸くんだろうな?」などと言ってくるお客がいた。 ぼくが「沸きますよ」と言うと、「絶対に沸くんだろうな?」と言いだした。 「機械物ですから、絶対とは言えません。でも、悪ければ、ちゃんと交換させていただきます」と答えると、今度は「この店は、沸くかどうかのテストもしてくれんのか?」などと言いだした。 ぼくも長いこと専門店や量販店で家電販売をやっているが、通電するかどうかのテストならともかく、沸くかどうかのテストなんてやったことはない。 そこで「沸くかどうかのテストまではやっていませんが…」と言うと、「そんな店では買えん」と言って帰ってしまった。 どの店が沸くテストをやってくれるのか、教えてもらえばよかったと思っている。
さて、そのカニのお客も何も買わずに、ブツブツと文句を言いながら帰って行った。 ああいう性格だから、きっとどこに行ってもそんな調子なのだろう。 疑うことをしだしたら、切りがない。 結局そういう人は損をするのだ。 最初から疑うことをせずに、その店を信じていれば、ちゃんと店は応えてくれるものである。
我が家の人間は、誰も人を疑うことをしない。 だから、今日は身のぎっしり詰まったおいしいカニを、堪能することが出来たのだった。
2005年12月26日(月) |
クリスマス・イブの前日 |
先日、嫁ブーの実家に行った時、ステンドグラスのような柄の長靴が置いてあった。 嫁ブーはそれを見て、「変わった色の長靴やねえ。誰が履いて来たんやろか」と言って首をひねっていた。 当然ぼくは知らないので黙っていた。
その後、食事も終り、みんなと談笑している時だった。 嫁ブーが思い出したように、「玄関に置いてあった長靴、誰の?」と訊いた。 すると、例のセレブな姪が「あれ、わたしの」と言った。 嫁ブー「変わった靴やねえ」 セレブ「あれね、元々買う気なかったったいね」 嫁ブー「あんた、買う気のないものをよく買うねえ」 セレブ「店で一番目立っとったんよ」 嫁ブー「ふーん。でも買う気なかったんやろ?」 セレブ「それなんよ。ちょっと面白がって履いてみたんよね。そしたら、脱げんようになったったい」
嫁ブー「それでどうしたと?」 セレブ「店の人呼んで、脱ぐの手伝ってもらったんよ」 嫁ブー「それで脱げたと?」 セレブ「いや、引っ張ったり空気入れたり、いろいろやってもらったんやけど、やっぱり脱げんとよ。それでしかたなくそれ買って、履いて帰ったんよね」
嫁ブー「家まで?」 セレブ「うん。それからが大変やったったい。どうやっても脱げんけん、靴の中にお湯入れてみたんよ」 嫁ブー「そうしたら脱げたと?」 セレブ「全然だめやん。それで、石けん水入れてみたったい。そしたら、スポッと取れたんよ」
嫁ブー「まるで指輪みたいやね。でも、あんた、よくそんな靴履いてここまで来たねえ」 セレブ「靴下履いとったら大丈夫なんよ」 嫁ブー「じゃあ、試し履きした時、あんた裸足やったと?」 セレブ「うん」 嫁ブー「あれ、もしかしてゴム製?」 セレブ「うん」 嫁ブー「裸足でゴム長靴なんか履いとったら、蒸れたやろ」 セレブ「うん、蒸れた蒸れた」 ‥‥‥
すでに深夜になっていた。 あたりはひっそりと静まりかえっている。 外では寒さが続いている。 そんなクリスマス・イブの前日、嫁ブーの実家では、いかにも臭そうな話が、延々と続いていたのだった。
2005年12月25日(日) |
カラオケに行く(後) |
その日記に「来がけにゲームをやっていた」と書いたのだが、よくよく考えてみると、ゲームをやったのはたったの3回だった。 その前に充分に充電していたから、そんなにすぐに電池切れになるはずがない。 それ以外にやったことといえば、小倉に着いた時にヒロミに電話をかけたことと、中リンに一次会の場所を詳しくメールで教えたくらいだ。
いったいなぜ電池は持たなかったのだろう。 歌う合間に、ぼくはそのことを考えていた。 とその時だった。 中リンが携帯で、ぼくと嫁ブーのツーショットを撮ったのだ。 それで思い出した。 一次会で、ぼくはしきりにヒロミの変な顔の写真を撮ろうと思って、必死にシャッターを切っていたのだ。 「ああ、それでか」 いよいよ電池がだめになったかと思って心配していたが、そういう理由じゃなかったわけだ。 ようやく合点がいき、ホッと胸をなで下ろした。 携帯の電池ほど高いものはないからだ。
そういえば、ぼくが必死にヒロミの写真を撮っている時、ヒロミも負けじと同じことをやっていた。 そして、その写真をぼくにメールで送ってきたのだ。 ヒロミのメール着信音にしている、久保田早紀の『異邦人』がかかった。 ところが、それを聞いて、ヒロミが驚いた。 「しんたさん、何でこの曲を着信音にしとると?」 「何でって、おれは昔から、ヒロミの着信音はこの曲ぞ」 「わたしもしんたさんからメールが来たら、『異邦人』が鳴るようにしとるんよ」 その会話を聞いていた嫁ブーが、 「あんたたち、ホントによく似とるね」と言った。
ヒロミは、それが嬉しかったのか、娘Mリンに、 「ねえ、Mリン、わたしとしんたさんのメールの着信音同じなんよ」と自慢していた。 ところが、Mリンは「何、その曲?」と言っていた。 さすがに高校生は、知らないようだ。 そうだろう、その歌が流行ったのは、もう26年になるのだから。
そのMリンは、最近の歌ばかりうたっていた。 中リンもそうである。 それにつられて、嫁ブーまでが最近の歌をうたっていた。 最近の歌を何も知らないのは、ぼくとヒロミの二人だけだった。 そのため、二人とも3曲程度しか歌わなかった。
当初ぼくは、最近よく歌っている、新沼謙二の『津軽恋女』を歌うつもりでいた。 だが、この状態で演歌など歌うのは無理があった。 しかたなく、沢田研二や吉田拓郎の歌を歌ったのだった。 一方のヒロミも、けっこう古い歌を歌っていた。 鼻炎をおしてうたっていたが、どの歌も途中でダウンしていた。 ぼくはヒロミに、山本リンダの『きりきり舞い』を歌えと催促した。 しかし、歌わなかった。
それにしても、現役高校生のMリンといい、20代前半の中リンといい、生まれた頃からカラオケがあった世代は、すごく歌が上手い。 ぼくが高校生の頃はカラオケなどなかったので、どちらかというと歌うことに不慣れな人が多かった。 不慣れだけならいいのだが、リズム感もよくない。 それは、今のように正確なリズムの伴奏で歌ったことがないからだと思っている。 宴会で歌う時は、手拍子に乗って歌うしかなかったのだ。 この差は大きいとしか言いようがない。
お約束の2時間が過ぎ、ぼくたちはカラオケボックスを出た。 その後はどこに寄ることもなく、タクシーに乗って帰ったのだった。 しかし、ぼくは心残りだった。 最後まで『津軽恋女』にこだわっていたのだ。 それと同時に、ヒロミの『きりきり舞い』を聞き逃したのも大きかった。 ということで、次回は周りに流されることなく、自分の好きな歌を歌おうと心に誓ったのだった。 きっとヒロミも、大好きな『きりきり舞い』を歌うはずだから。
2005年12月24日(土) |
カラオケに行く(前) |
昨日、飲んでいる途中に「カラオケに行こう」と言いだしたのは、ヒロミだった。翌日が早いこともあり、ぼくは遅くとも終電で帰ろうと思っていたが、こういう機会は滅多にあることではない。そこで付き合うことにした。ヒロミとカラオケに行くのは、およそ20年ぶりになる。その頃のヒロミは、どんな歌でもつまみ食い的に歌っていた。カラオケに行くと、3曲につき2曲の割合でマイクを握っていたものである。ところが、最近そのヒロミが歌わない。夏にうちに来た時もカラオケボックスに行くことを拒んだし、先月飲みに行った時もカラオケに行こうなどとは言わなかった。それには理由がある。鼻炎である。そのせいで声が出ないのだそうだ。しかし、昨日は違った。そのヒロミが「カラオケに行こうと言い出したのだ。中リンも、嫁ブーも、もちろんぼくも、歌うことは嫌いではない。そういうことで、一次会が終わって、カラオケボックスに行くことになった。さて、カラオケ行きが決まったのはいいが、どこに行こうかということになった。一次会のすぐ近くにカラオケボックスがあったが、どうもヒロミはそこがお気に入りではないらしい。「最近、駅前に新しいカラオケボックスが出来たっちゃ」「何という店?」「サニタックス」「駅前のどこにあるんか?」「ほら、そこよ」とヒロミは信号の向こう側を指さした。見ると、確かにそこにカラオケボックスがあった。しかし、店の名前は『サニタックス』ではない。「あそこ『シダックス』と言う名前じゃないんか?」「そうよ、サニタックスよ」「シダックスやろ」「ああ、そうそう、シダックス。わたし何でサニタックスとか言ったんかねえ?」「知らんぞ」「ねえ、サニタックスって何かねえ?」「知らん」その後もヒロミは、店の名前をしきりに『サニタックス』と言っていた。カラオケボックスに入ってしばらくすると、ダンスの練習を終えたヒロミの子Mリンがやってきた。そこから、昨日の日記『カラオケ中継』を書き出したわけである。順調にいけば、ヒロミの歌う姿を写真に撮って、文章とともにそれを載せるはずだった。ところが、その時アクシデントが起きた。そう、携帯の電池切れである。そのため、日記もそこで終わってしまったのだった。
現在22時30分。 明日は早出である。 そのため、早く日記を書き上げて寝なければならない。 だが、あいにく今は小倉のカラオケボックスで歌っている最中である。
今日は、前々から言っていた忘年会の日である。 午後7時半から始まった一次会がようやく終わり、さっきカラオケボックスに来たところだ。 2時間で申し込んであるから、ここを出るのは、おそらく12時半を過ぎるだろう。 それから家に帰るのだから、帰り着くのは1時を過ぎてしまうだろう。 1時過ぎから日記を書き始めるとなると、寝るのがかなり遅くなってしまう。 そこで、人が歌っているのを横目に、携帯を使って書いているわけだ。 しかし、来がけにゲームをやっていたので、電池がかなり消耗している。 そのため、このまま電池が持つかどうか心配している。
さて、今、誰が歌っているのかというと、あのヒロミである。 「声が出ない」などと言いながらも、しっかり立って歌っている。 チャンスを見つけて、ここに載せる写真を撮ろうと思っているが、電池が残り少ないので、それは出来ないかもしれない。
メンバーは他に、中リン、ヒロミの娘Mリン、嫁ブーがいる。 そう、このメンバーは、先月門司に飲みに行ったメンバーである。 残念ながら、森山未来似の中リンの彼氏はいない。
あっ、電池のレベルが1まで落ちてしまった。 非常に残念ではありますが、これで中継を終りにします。。
現在、翌23日の午前3時である。 今、嫁ブーの実家から戻ってきたところだ。 23日は嫁ブーの弟の息子、つまりぼくにとっては義理の甥の満1歳の誕生日で、今日はそのお祝いに行っていたのだ。
嫁ブーの実家には、嫁ブーの兄弟が顔を揃えていた。 その中に嫁ブーの姉の娘、つまり義理の姪もいた。 今年の3月に大学を卒業して、今は国土交通省の外郭団体で働いている。 職場は年配の人ばかりで、出会いがないと嘆いていた。
その姪が、いったいどんな生活をしているのかというと、朝7時に家を出て職場に行き、夕方5時までの勤務らしい。 今まで、無遅刻無欠勤だそうだ。 これがぼくには驚きだった。
学生の頃は朝寝坊して、よく親の手を煩わせていた。 よく義姉が車を飛ばして学校まで送って行っていた。 またこういうこともあった。 学校から帰ってから、塾に行くまでちょっと横になっていると、がそのまま眠ってしまい、起きたら9時になっていた。 9時というと、塾の終りの時間である。 つまり、その日は無断欠席してしまったわけだ。
その姪が中学生の時、福岡ドーム(当時)にデーゲームを見に行く約束をしていた。 ぼくと嫁ブーは、約束通り朝10時に姪の家に着いたのだが、いつものように姪は寝坊していた。 いつまで経っても起きてこない。 そのおかげで、ドームに着いた時には、試合は3回に入っていたのだった。 そのことを考えると、無遅刻無欠勤なんて、嘘のような話である。
ところが、驚いたのは、それだけではなかった。 その姪の通勤手段である。 何と、新幹線を使っているのだそうだ。 「えっ、新幹線?」 「うん」 「どこから?」 「博多南駅から」 「博多南駅?」
話を聞くと、博多に到着した新幹線は、那珂川町にある車庫に入るのだが、JRはその車庫までを一般に開放しているのだそうだ。 そのため、その近郊に住む人は生活列車として、新幹線を利用しているらしい。 博多南駅は、そういったお客が乗降するところである。
しかし、新幹線で通勤とはうらやましい。 ぼくなんか、広島や大阪に出張した時ぐらいしか、仕事で新幹線を利用したことがないのだ。 そういえば、学生時代は若干野暮ったかった姪の顔が、新幹線向きに変わっているように見えた。 まあ、気のせいだろうが。
昼間、店長の声で、変な店内放送が入った。 「お車ナンバー北九州…でお来しのお客様、至急お車までお戻り下さい。ぶつかってます」 というものだった。 ちょうどぼくが、休憩室でジュースを飲んでいる時だった。 ぼくはそれを聞いて「何かあったんかなあ」とは思ったが、あまり気にならなかった。 ジュースを飲み終わった後、売場に戻ってみると、テナントの子が「しんたさん、見ましたか?」と言う。 「何を?」 「えっ、駐車場ですよ」 「ああ、さっきの店内放送のこと?」 「ええ。すごいことになってますよ」
それを聞いて、さっそくぼくは駐車場に行ってみた。 しかし、すごいというほどの光景は、そこにはなかった。 そこで、そこにいた隣の店の人間に「何かあったと?」と聞いてみた。 「あれですよ」 そう言って、その人は向こう側の駐車場を指さした。 うちの店の駐車場は、店側に一列と、道路側に一列駐められるようになっている。 向こう側というのは、道路側のことである。
見てみると、軽のワゴンの後ろに、普通車が駐まっている。 「あれ?」 「ええ、あれです」 「えっ?」 ぼくには「あれ」のどこがすごいのか、すぐにはわからなかった。
その間には、2台の車が離合できるくらいの道路(私道)がある。 「あれ」に駐まっている車をよく見てみると、後ろの普通車がその道路にはみ出している。 『えっ…』 何となく事態がわかってきた。 そこで先ほどの人に、 「ねえ、あの車ぶつかっとると?」と聞いてみた。 「そうですよ」 「もしかして、あの後ろの普通車、最初店側に駐まっとったと?」 「はい」 「もしかして、あの普通車はミッション?」 「そうです」 「そうか。ようやくわかった」
その普通車は、最初、店側の駐車場に駐めていた。 ところが、運転手はシフトレバーをニュートラルにし、さらに悪いことにサイドブレーキをかけ忘れて降りてしまった。 駐車場は道路側に若干傾斜しているいたため、そのまま車は前に移動していき、道路側に駐めていた軽のワゴンに突っ込んだというわけだ。
店長が店内放送を流してから、10分以上経っても普通車の持ち主は現れなかった。 一方の軽のワゴンの持ち主は女性だった。 配達の途中とかで、車が出せないと言って困っていた。 他の人も同情してか、「普通車の運ちゃんは何をしよるんか!」と言って怒っていた。
そして、店内放送を流して30分を過ぎた頃、普通車の持ち主が買物を終えて戻ってきた。 老夫婦だった。 二人は最初に駐めていたところに車がなかったので、びっくりしていた様子だった。 ふと前を見ると、向こう側の駐車場に自分の車があるのを見つけた。 慌てて走っていった。
そこで軽の持ち主とやりとりをしていたようだ。 後で聞いた話に、ぼくは思わず笑ってしまった。 普通車の持ち主であるじいさんは、 「おれはちゃんとサイドブレーキを引いていた。こんなことは初めてだ」と言ったという。 ところが、その直後にばあさんが、 「あんた、またやったんね」と言ったそうだ。
しかし、車が移動している時、よく通行している車がなかったものだ。 もし通行している車に当たっていたら、こんな笑い話ですまなかったかもしれない。
次の休みはヒロミたちとの忘年会で、その次の休みは正月用の買い出しに行くことになっている。 ということで、今日はおそらく今年最後になるであろう灯油の買い出しに行った。 今年は灯油が高いので、なるべく使わないようにしていた。 しかし、さすがにこの寒波には耐えられない。 11月中旬にファンヒーターを出してから先週まで消費した量は1缶だったが、先週寒波が到来してから今日まで、つまりこの1週間で消費した量は2缶である。 どれだけぼくの一家が寒さを感じているのかが、おわかりいただけると思う。
さて、昨日までの寒さの後遺症からか、今日もあまり外に出たくはなかった。 しかし、「今年最後」なのだから仕方ない。 午前中はゴロゴロしていたのだが、午後になってようやく重い腰を上げることにした。 うちが2缶と実家が4缶、合わせて6缶を車に詰め込んで、いつもの米屋に灯油を買いに行った。
前回前々回と、1缶が1098円だったから、そのつもりでお金を用意していると、何と1缶が1150円に跳ね上がっていた。 「えっ、1098円じゃなかったんですか?」と聞くと、 「すいませんねえ、値上がりしたんですよ」という答。 まあ、灯油代は常に変動しているので仕方ないとは思う。 しかしこの店、確か昨年も年末に値上げしているのだ。 そのため、他の店に買いに行った覚えがある。 どうも騙されているような気がしてならない。 本当に値上がりしたのだろうか? それとも、お客の足下を見ているのだろうか?
【『夢のいたずら』公開】 今月の8日、プレイヤーズ王国に『夢のいたずら』という曲を登録していたのだが、今日になってようやく公開になった。 登録から公開まで11日もかかってしまったわけだ。 これまで一番長くかかったのは『影枕』だったが、それでも10日もかかってない。 こんなに長くかかったのは初めてである。 以前は、当日公開ということもあったから、最近は新曲のラッシュで、係の人の応対が追っつかないのかもしれない。
この『夢のいたずら』だが、実は今回で二度目の公開になる。 最初は「しろげしんた」名で登録した時だった。 先月の規約変更で「しろげしんた」で登録していた曲を全部消してしまったから、「皆岡伸太」で登録しなおしたのだ。 『月夜待』や『西から風が吹いてきたら』など、好評を博した曲をけっこう消しているので、徐々に登録しなおしていこうと思っている。 容量がアップしたのはいいのだが、このへんが面倒である。
普段ならこの曲の説明をやるところなのだが、前回登録した時に書いているから、割愛することにする。 あれ以降、特に思い入れもなかったもので…。
【金儲けの上手な人】 ここ最近、松下電器が変なCMを流している。 いやCMではない。お知らせである。 10年以上前に販売した、ナショナル製の石油温風ヒーター(FF式)に欠陥が認められたため、必死になって該当機種を探し出し、それを回収しているのだそうだ。 もし持っている人がいたら、使用してようがしてまいが、一律5万円で引き取るらしい。
実際に何台売ったのかは知らないが、そのために松下は200億円を準備していると聞いた。 その200億円の出どこはというと、全社員の給料カットで賄うのだという。 実に松下らしいやり方である。 今回のことを、社員全体で責任を取る形にしたわけだ。 そうすることで、世間体は保てるという寸法である。
噂では、これを利用して、一儲けしようという業者がいるらしい。 10年以上も前のものだから、すでに使ってない人のほうが多い。 そういう人の中には、倉庫にしまい込んでいる人もいる。 使ってないから、当然調べもしない。 そこで、そういう人を探し出し、「無料で処分しますよ」という話を持ちかけてそれを引き取り、ナショナルに持って行くのだそうだ。
これはあくまでも噂なので、本当かどうかは知らない。 ぼくはそれを聞いた時「そんな面倒なことをする人はおらんやろ」と言ったのだが、後でそのことを考えてみると、それを自分で取り付けたことがある人なら、何も面倒なことではないという結論に至った。 その機械を、お客がまだ持っているかどうかを調べればすむ話である。 案外、その噂は本当なのかもしれない。
しかし、世の中、いろんな儲け口が転がっているものである。 きっとぼくは、『そんな面倒なことをする人はおらんやろ』といった甘い判断しかできないから、金儲けできないのだろう。
昨日は夕方から断続的に雪が降っていた。 夜が深まるにつれて、吹雪だし、寒さはだんだん増していった。 日記を更新したあとに窓の外を見てみると、すでに前の公園は真っ白になっていた。 天気予報で、朝方は冷え込むと言っていたので、朝はもっとひどい状況になっているだろう。 ということで、朝は確実に大雪が積もることが予想された。
そのため、早い段階から、今日のJR通勤を覚悟していた。 いつもより1時間早く起きるため、目覚まし時計を1時間早目にセットする。 とりあえず、防寒用のトレーナーと手袋を用意しておく。 JRの時刻表をチェックする。 以上のことをやってから、ぼくは床に就いた。
床に入ってからも、なかなか寝付かれない。 風の音が気になるのだ。 時折、突風も吹いているようだ。 その風に雪が乗って、すでにあたりは数センチ積もっているのではないだろうか。 白い息を吐きながら、雪の中を歩く自分の姿を想像しながら、寝付けない自分にいらだっていた。 とはいえ、いつしか眠ってしまったようだ。
さて、朝になった。 目覚ましの音と同時に跳び起きたぼくが最初にやったことは、窓の外の確認だった。 真っ先に目に飛び込んできたのは、前の公園の風景だった。 昨夜一面真っ白だった公園だが、所々地面が見えているではないか。 さらに窓の真下の道路を見てみると、歩道の隅のほうに雪がある程度で、車道にはどこにも雪はなかった。 そこを走っている車も、チェーンの音をさせることもなく、普通に走っている。 ということで、大雪の予想は、完全に外れたのだった。
いうまでもなく、ぼくは再び布団の中に潜り込んだ。 あとは、いつもの時間まで寝て、いつものように出勤準備をし、いつもの時間に家を出た。
家を出て、車に乗り込んだ時、ラジオで都市高速が雪のために不通になっている と言っていた。 だが、道はまったく混んでなかった。 さすが日曜日である。 所々に残った雪を眺めながら、ぼくはのんびりと会社に向かったのだった。
会社に着いてみると、ここもあまり雪が積もっていない。 ただ、ぼくが車を駐めるところは、午前中には日が当たらない。 そのせいで、あたり一面真っ白とまではいかないが、若干雪が残っていた。 ぼくはそこを転ばないように注意して歩いていた。 ふと足下を見ると、これである。
言うまでもなく、鳥の足跡だ。 写真ではわからないと思うが、一つの足跡が2,3センチくらいだったから、きっと小さな野鳥のものだろう。
ぼくは何か貴重なものを見たような気がして嬉しくなり、それをさっそくカメラに納めて、みんなに見せて回った。 みな一様に「あっ、かわいい」と言った。 ところが、一人だけ口ではそう言いながらも、複雑な顔をしていた人がいた。 イトキョンである。 なぜ複雑な顔をしたのか? ぼくにはわかる。
昼過ぎ、仕事が一段落した頃だった。 スエちゃんというパートさんが、目を輝かせて売場にやってきた。 「しんちゃーん」 「おっ、スエちゃんやん。どうしたと?」 「今ね、そこでイトキョン見つけたけ、手を振って『イトキョーン』と呼んだんよ。そしたら、イトキョンは両手振って『いやーん、イトキョンと呼ばんで』と言ったっちゃ。かわいいね、あの人」 「そうかねぇ。ただボーッとしとるだけよ」
スエちゃんとは、小太郎君の売場のパートさんで、この日記の古くからの読者である。 記事で読んで、前々からイトキョンのことが気になっていたらしいのだ。
スエちゃんが戻った後、さっそくぼくはイトキョンのところに行って、そのことを聞いてみた。 「あんたさっき、スエちゃんから『イトキョーン』と呼ばれたやろ?」 「そうっちゃ。突然『イトキョーン』とか言うんやけ、ビックリした」 「スエちゃん、声が大きいけね」 「あの人も、しろげしんた見よると?」 「うん。古くからの読者よ」 「ふーん。ねえ、あの人の名前、何と言うんかねえ?」 「さっきから何回も『スエちゃん』と言いよるやろ」 「あっ、そうか」 「あんた、スエちゃん知らんと?」 「いや、顔は知っとるんやけどね」 「ああ、そうか。あまり売場同士で行き来せんけね」 「うん。私あまりこの店の人、知らんっちゃ」 「ふーん」 「ねえねえ。で、その『テルちゃん』って、本名何というと?」 「えっ、『テルちゃん』ちゃ誰ね?」 「さっきしんちゃんが教えてくれたやないね」 「誰も『テルちゃん』とか教えてないよ」 「うそ。さっき言うたやないね」 「おれは『スエちゃん』と言ったんよ」 「あっ…」
あいかわらずイトキョンは、人の話を聞いてない。 まだ昼過ぎだというのに、イトキョンの頭の中はすでに夕飯モードに入っていたのだろうか?
【1】 今日は休み。 昨日から、今日は一歩も外に出ないと決めていた。 天気予報で今日は寒くなると聞いたからだ。 そのため、昨日の段階で、小腹が空いたときのための豚まんを買い、残り少なくなっていた酒を買い、夕飯はカレーうどんを予定していたので、うどん麺を買い込んでいた。
ということで、今日は予定通り外に出ることもせず、家の中でゴロゴロしていた。 しかし、家の中でゴロゴロするのも疲れる。 パソコンも日記を書く以外に使ってないし、前に買っていた本もだいたい読んでしまった。 ギターを弾くのもすぐに飽きる。 テレビにも集中できない。 今日の『花より男子』の最終回が気になって、他の番組はそれまでの繋ぎでしかなかったのだ。
【2】 ところで、その『花より男子』、ぼくは前々から期待していた。 もちろん最終回ということもあったのだが、何よりも見たかったのは、レイザーラモンHGだった。 いったいどんな格好で出るのかと思っていたら、普通のスーツ姿だった。 しかも、出たのは社長役のみのもんたにお茶を出す手と、帽子を取った坊主頭の後ろ姿だけで、セリフもなければ顔も出なかった。 土曜日の『バク天』でかなり派手にやっていたのでだけに、もう少し何かやるのかと思っていたら、上の有様だったわけだ。 ちょっと拍子抜けしてしまった。 とはいえ、最後のクレジットではちゃんと一人で「レイザーラモンHG」と出ていたのには笑ってしまった。 おそらくシャレだったのだろう。
しかし、コミックで36巻もある話を、たった9話で終わらせるとは。 台湾版の『流星花園』でも24話もあったのである。 そのへんのところを前に新聞で読んだのだが、何でもこのドラマは元々期待していなかったのらしい。 ところが、ふたを開けてみると高視聴率を稼いでしまった、ということだった。 予定通りに終わるところが日本らしいところだ。 韓国なら、おそらく延長していただろう。 まあ、後々続編をやるとか、スペシャルをやるとかするだろうが、今回は何とも中途半端だった。
【3】 さて、耐震偽装問題である。 知り合いの住んでいるマンションは、マンション会社のほうから住民に「大丈夫」との説明があったそうだ。 しかし、うちのマンション会社からは何も言ってこない。 建ったのが98年だから、姉歯氏が偽装をやり始めた時である。 施工はその前年からだから、姉歯氏とは関係ない。 だが、木村建設が絡んでいる可能性はある。 何らかの説明が欲しいところである。
しかし、姉歯氏はかわいそうだ。 確かに偽装に手を染めたのはいけないことだが、そうさせたのは周りである。 上官の命令に逆らえずに、捕虜虐待をやり、戦犯として刑場の露と消えた兵隊たちと何ら変わらない。 憎むべきはそのシステムなのに、なぜ末端に責任を押しつけるのだろうか。
姉歯氏は、証人喚問の時に肩を落として「現在、無職です」と言っていた。 今回のことで社会的に知られてしまったために、おそらく今後、どの会社も雇ってくれないだろう。 同い年のぼくとしては、やりきれない気持ちでいっぱいである。
しかし、それも長くは続かなかった。 手剃りに比べると深く剃れないのだ。 そのため、いつも剃り残しがあるような気がして嫌だった。 さらに、シェービングフォームをつけて剃っていたため、表面のメッキがはげ、そこに錆が入ってきた。 見るからに汚らしいので、だんだんそれを使うことを避けるようになり、いつしか元の手剃りに戻ったのだった。
それからしばらくして、また手剃りに飽きてきた。 そこで、新しいシェーバーを買うことになった。 次に手にしたシェーバーは、ブラウン製だった。 手剃り並みの深剃りが出来ると聞いて、それに飛びついたのだ。
確かにブラウン製はよく剃れた。 剃った後に血が出ていることもしばしばで、「さすが宣伝通り、手剃り並みだ」と変に感動したものだった。
しかし、ぼくは次第にその機種に飽きてきた。 なぜなら、手入れが大変だったからである。 その当時のブラウンは、まだ水洗いが出来なかったため、ちょと油断すると、すぐにヒゲが刃にこびりついてしまうのだ。 そうなると、ヒゲを剃っている時に、前のヒゲが逆噴射してくる。 剃ったあとを触ってみると、必ずヒゲの粉が肌についているのだ。 当然掃除しなければならないのだが、水洗いできないため、どうしても刷毛だけの掃除になってしまう。 ところが、刷毛の腰が柔いため、こびりついたヒゲが取れない。 そのため、何度掃除してもヒゲの粉が逆噴射してくる。
そこでまた新しいシェーバーを買うことになった。 次は、ナショナルの水洗いの出来るタイプだった。 リニアモーターを搭載していて、ナショナルにしては深剃りが利いた。 水洗いできるので、剃った後は、その都度水で洗い流していた。 それがよかったのか、剃り味が落ちることもなく、使用した8年間で刃を替えたのは一度だけだった。
さて、なぜ二日も続けてつまらんシェーバーネタを書いたのかというと、つい最近、新しいシェーバーを買ったからだ。 そろそろシェーバーを買い換えようかと思い、何気なくブラウンの新製品カタログを見ていると、そこに思わず惹きつけられる一品が載っていた。 黒塗りの、見るからにカッコいいヤツである。 さっそくぼくは、それを注文した。 3日前からその機種を使っているのだが、剃り味は抜群で、剃り終わったあとの肌触りは、手で剃った時とまったく同じなのだ。 しかも水洗いが出来るときているから、清潔である。 充分に満足している。 今度はこの機種を8年以上使おうと思っている。
小さい頃から男手がなかったため、うちには男のアイテムというものが圧倒的に少なかった。 そのため、ぼくが成長してから買い揃えたものが数多くある。 例えば大工道具であったり、例えば釣り道具であったり、例えば喫煙道具であったり、である。 シェーバーもその一つだ。
ぼくがシェーバーというものを、初めて身近に使っているのを見たのは、高校1年の頃である。 夏休みに、横須賀の叔父のところに遊びに行った時だった。 朝方、「ジージー」という音がしたので、何だろうと起きてみると、叔父が頬を膨らましてシェーバーでひげを剃っていた。 その姿にぼくは男を感じた。
そこで、叔父が出かけた後、自分のあごにそれを当ててみた。 すると、ほとんど産毛に近かったぼくのヒゲはきれいに剃られた。 しかし、そのあとの違和感といったらなかった。 ジンジンと痺れるような感覚だったのだ。 それが半日近く続いたように覚えている。
その後、ぼくもシェーバーのお世話になるようになるのだが、それがいつだったのか、はっきりと覚えていない。 高校時代とか、予備校時代ではなかったと思う。 家にシェーバーがあった記憶がないからだ。 ということは、それ以降、おそらくは20歳以降、東京時代の頃ではなかっただろうか。
その頃、ヒゲはすでに剛毛化していたが、伸ばした記憶はない。 ということは、剃っていたのだ。 手剃りをやったのは後のことだから、おそらくはシェーバーを使っていたのだと思う。 しかし、どういうシェーバーを使っていたのかは覚えていない。
社会に出てしばらくは、手剃りでやっていた。 シェーバーだと深剃りが出来ないと聞いたからだ。 とはいえ、手剃りは何年やってもうまくならなかった。 いつも切り傷を作って会社に行っていたものだ。 確かにT字のカミソリは安上がりだった。 だが、剃ったあと必ずアフターシェーブローションを付けないとかぶれてしまう。 それがだんだん面倒になってきた。
そういう時に、ナショナルの手剃り感覚で剃れるシェーバーが発売になった。 そのシェーバーは、手剃りと同じようにシェービングフォームや石けんなどを使用しても剃ることの出来るタイプだった。 そのため、清潔であることは言うまでもない。 しかもシェーバーだから、肌を切る心配もないし、何よりも面倒なアフターシェーブローションをつける必要がなかった。 ぼくはさっそくそれを買い求めたのだった。
2005年12月13日(火) |
よかったらぼくと踊りませんか |
『よかったらぼくと踊りませんか』
よかったらぼくと踊りませんか もうクリスマスがそこまでやってきて 本当にぼくは淋しいんです だからね、踊ってくれませんか
よかったらぼくと踊りませんか 旅に出る前のほんのひととき 外では雪が降っているんですよ 風も凍るように冷たいんですよ
よかったらぼくと踊りませんか あなたの好みで踊りましょう 過去を忘れて踊りましょう さあ、音楽を始めて
よかったらぼくと踊りませんか 疲れるまで踊ってちょっと一息 ぼくはタバコをふかします あなたはワインを飲んでください
よかったらぼくと踊りませんか たぶん今日はあなたを夢見るでしょう そしてあなたは…、野暮ですね さあ、踊りましょう
よかったらぼくと踊りませんか 雪のクリスマスを踊り明かすのです 今日はぼくの幸せ、夢の心地 ほら、聖書にも雪が積もります
ここ最近、ずっとこの歌を歌いながら会社を往き来している。 これも古い歌で、20歳の冬に作った歌だ。 運送会社でアルバイトをやっていた頃だから、12月ということになる。 あの頃も寒かった。 浪人という境遇が、さらに寒さに輪をかけたのだ。
しかし、今年の12月も寒い。 ここ数年、12月に雪が降ることはあまりなかったのだが、今年は先週の初雪以来、何度か降雪している。 一つの寒波が去っても、すぐに次の寒波がやってくるのだ。 そのため、雪が降ってない時にも、風のにおいに雪を感じる。
しかし、ここまで寒いと、本当に寒い来月が思いやられてしまう。 今年の1月は車で通勤できないほどの積雪はなかったが、この状況でいけば、何度が雪のために車で通勤が出来なくなってしまう。 そうなると、嫌でも公共のJR通勤をしなければならなくなる。 これが憂鬱である。 JR通勤のどこが憂鬱なのかというと、あの時間待ちである。 いや、電車を待つことが嫌なのではない。 連結するバスを待つのが嫌なのだ。
ぼくの学生時代は、今よりはずっと寒かった。 そういう寒さの中、風の舞うビルの前で、いつもぼくはバスを待っていた。 コートやジャンバーを着る習慣がなく、ただ学生服の下にセーターを一枚重ねて着ていただけだった。 まあ上半身のほうはそれでも何とかしのげたのだが、応えたのは下半身のほうだった。 何せ、薄い学生ズボン一枚である。 シャレでズボン下をはいていた時期もあるが、男を捨ててなかったぼくは、ズボン下をはくことを執拗に拒んだ。 それに加えて、その当時のぼくは変な美学を持っていた。 それは靴下をはかないことだ。 そのため、寒さの感じ方が尋常ではなかった。
そういう寒い思いを嫌と言うほどしてきたため、寒い日にはその思い出がつい蘇ってしまう。 ただでさえ寒いのに、その思い出が、さらに寒さを助長する。 しかも帰るのは、学生時代の時のように夕方ではなく、夜なのである。 さらに、学生時代に一時的に寒さをしのいだ本屋は、すでになくなってしまっている。 開いているのは飲食店かパチンコ屋だけだ。 そういうところで時間をつぶすのは嫌だから、寒い中をただひたすらバスを待っているだけになるだろう。
ああ、1月が来るのが憂鬱である。 バスを待つ間、誰か踊ってくれませんかねえ。
この間嫁ブーが女を捨てていると書いたが、それを読んだパートさんが「女捨ててない人がおるよ」と言っていた。 話を聞いてみると、パートさんのご主人の同僚に、結婚以来奥さんの素顔を見たことがない人がいるらしいのだ。 つまり、いつも化粧しているということである。 「ね、その奥さん、女を捨ててないやろ?」
ここでぼくは、よからぬ想像をする。 おそらくその夫婦は、家族風呂に入ったことがないに違いない。 もしあったとすると、奥さんは入浴前に、顔を洗っても化粧が落ちないように念入りに化粧をしていたはずだ。
一人で風呂に入る時はどうしているのだろうか? うちのように「おい、アレはどこにあるんか?」と言って、風呂の扉を開けられるようなことはないのだろうか? まあ、ご主人は素顔を見たことがないと言っているのだから、きっとご主人は、ぼくと違って真面目な人なのだろう。 それか、奥さんは一人で風呂に入る時にも、やはり念入りに化粧をしているのだろう。
寝る時も素顔を見せないのだから、寝る前にも念入りに化粧をしていることだろう。 もしくは、ご主人が寝入った後に寝て、ご主人が起きる前に起きているのだろう。 もし寝化粧をしているとすれば、ファンデーションや口紅が付きまくって布団の汚れはすごいだろう。 ぼくがそういう布団で寝たら、過敏に反応してしまって、すぐに鼻炎になってしまうだろう。 その奥さんの鼻の粘膜は、相当に強いに違いない。
風呂に入る時や、寝る時にも化粧をしているとすれば、終日化粧をしていることになる。 これでは皮膚呼吸が出来ないではないか。 その奥さんは、きっと健康を害しているに違いない。
また、奥さんは深刻な肌荒れに悩んでいるかもしれない。 毛穴の中にたまった化粧が、すでに角質化していて、きっと岩のような肌触りになっていることだろう。
そうそう、一日中化粧をしているのだから、食事時も口紅を付けているのだろう。 ということは、箸やスプーンやフォーク、それにコップやグラスは口紅だらけだろう。 こんな食器で食べたくない。 また、口紅のせいで、食べ物の本当の味がわからなくなっていることだろう。
いずれにしても、こういう話を聞くと、興味は沸くものの、後に気分が悪くなってしまう。 前に、ご主人に生脚を見せない奥さんの話を聞いたことがある。 風呂に入っている時以外は、いつもストッキングをはいているというのだ。 当然足は臭くなっているだろうし、足の裏は蒸れて酷いことになっているだろう。
ホント世の中にはいろいろな人がいるものである。 しかし、こういった人たちを紹介されて、『女を捨ててないやろ』と言われてもねえ…。 確かに、そういう人たちは女を捨ててないかもしれない。 が、その前に人間を捨てていると思うのだが。
【1】 昨日の記事について、あるパートさんから反論があった。 「あんなこと書いとったけど、しんちゃんだって男捨てとるやろうもん」 「おれは捨ててない」 「うそ、シャツだって入れとるやろうもん」 「シャツなんか入れてない」 「ズボン下もはいてたりして」
失礼な! ぼくはいくら冬の寒い時期でも、ズボンの下にはパンツ以外何もはいてない。 高校時代に『ズボン下同盟』なるものを作っていた。 確かにその頃には、ズボン下をはいていたが、それはあくまでもシャレで、それから後ははいたことがない。
ある年の正月に和服を着たことがある。 その時だって、下はパンツ一枚だった。 母が股引を準備してくれていたが、それをはくようなことはしなかった。
下半身に無防備な者は、上半身に気を遣っているものらしいが、ぼくの場合はそれほどでもない。 真冬でも3枚程度である。 したがって、着ぶくれすることもない。 まあ、そのために腹を冷やすことはある。 だが、それを避けるために、シャツをパンツの中に入れたりするようなことはしない。
使い捨てカイロなんて、防寒用には使ったことはない。 手袋? 仕事中に軍手することだってまれである。 五指靴下なんてもってのほかだ。
【2】 そういえば、昨日、久しぶりにヒロミにメールしたのだが、そこに >今度井筒屋(地元のデパート)に行った時、ヒロミにプレゼント買うことにしとるんやけど、五指靴下でいいか? と書いた。 さっそくヒロミからメールが届いて、そこには、 >いやいや(絵文字)そんなんいや(絵文字)身につけるものがいい。 と書いてあった。 五指靴下だって、身につけるものだと思うのだが。
【3】 そのメールのやりとりの中で、ヒロミと忘年会の約束をした。 今月中旬に、小倉でやることにしたのだ。 ヒロミはメールの中で、何度も『オナカ』の名前を出していた。 オナカと飲むのはこちらで飲む時、と言っておいたのだが、どうも早く会いたいらしい。 おそらくその日はオナカ君は仕事のはずだ。 しかも、小倉だから、隣の市との境界線付近で働くオナカ君が、時間内に来るのは難しいだろう。 ということで、ヒロミには「次の機会に」と言っておいた。 こちらだって『オナカ君とヒロミちゃん4』を早く書きたいのだ。 なるべく早く実現させることにしよう。
2005年12月10日(土) |
ああ、女性の美が失われていく |
今日もいつものように、午後10時過ぎに家に帰ってきた。 相変わらず嫁ブーの会社は、終わるのが遅い。 12月に入って、毎日この状況である。
そんなことはいつものことだからどうでもいいのだが、今日嫁ブーを見てフト気づいたことがある。 夫婦になると、恥も外聞もなくなるもので、別にどこを隠すでもなく着替えるものだ。 例のごとく嫁ブーがスカートを脱ぎ、ジャージをはいている時だった。
「おまえ、何かそのパンツは」 「え?」 「ヘソまで隠れとるやないか」 「いいやん。これ温いんやもん」 「おまえは、女捨てとるんか!?」 「えーっ…」 「結婚前はそれなりにセクシーやったぞ」 「ダンナからそんなこと言われると、ショック」 「ショックを受けるような格好するな」 「いいやん。誰に見せるわけでもないんやけ」 「誰に見せるわけでもないなら、髪を染めるな。マスカラなんかするなっ!」 「うっ…」
その後、風呂から上がった嫁ブーが、ぼくに「これ見て」と言った。 「これでいいやろ」 「おっ、ちゃんとヘソの出るパンツ持っとるやないか」 「いちおうね」 しかし、そのあとがいけなかった。 ヘソ出しパンツ一枚で、ずっとウロウロしていたのだ。 「おまえ、服ぐらい着れ」 「このほうが楽なんよ」
結婚してから幻滅の毎日である。 屁はふるわ、イビキをかくわ、トイレは長いわ…。 恋愛時代が長かっただけに、この幻滅は大きかった。 さらにびっくりしたのは、冬場ストッキングの中にシャツを入れていることだった。 誰に見せるわけではないかもしれないが、その格好はいただけない。
「おまえ、それおかしいぞ」 「だって、こうやると暖かいんやもん」 「そんな格好するくらいなら、毛糸のパンツはけ、毛糸のパンツを」 「そんなのはかんよう」 「誰に見せるわけでもないけ、いいやないか」 「でも、ゴワゴワするやん」 「いいやないか。毛糸のパンツは冷え性にいいらしいぞ」 「わたし、冷え性じゃないもん」 「いつも冷たい手をしとるやないか」 「うっ…」 こういう会話があったにもかかわらず、相変わらず嫁ブーは、ストッキングの中にシャツを入れている。
ああ、女性の美が失われていく。
2005年12月09日(金) |
延命十句観音経霊験記(番外編) |
十数年前の話だ。 ぼくの部署にいた女性の派遣社員が、仕事の合間に般若心経の本を読んでいた。 ぼくが「般若心経なんか読んで、どうかしたと?」と聞くと、その女性は「今、必死で覚えてるんですよ」と言う。 「何でまた般若心経なんか覚えるんね?」 「般若心経を唱えると、願い事が叶うと聞いたもんですから」 「ふーん」 「でも、意味のない言葉を覚えるのって難しいですね」 「いや、意味はなくはないんやけどね」 「へえ、意味なんてあるんですか」 「うん、あるよ。でも、願掛けには必要のないことやけ、別に読む必要もないけどね」 「しかし、私ってどうしてこんなに物覚えが悪いんだろう。一週間くらい前から取り組んでるんだけど、まだ二行も覚えてないんですよ」 「一週間で二行か…。もしかしたら、そのお経はあんたには向いてないんかもしれんね」 「えっ、お経に向き不向きとかあるんですか?」 「あるよ。学校の勉強でも好き嫌いがあるやろ。あれと同じ。好きな学科は何もしなくても頭に入ってくるやん」 「ああ、そうか」 「あんたに向いているお経なら、すんなりと覚えられると思うんやけどね。今その覚えることが障りになっとるんやけ、それは不向きだと思うよ」 「そうですか。じゃあ、私にはどんなお経が合ってるんですか?」 「そんなことわかるわけないやん」 「そうですよね。それならもっと短いお経にしようかなあ。何かないですか?」 「念仏とかお題目じゃだめなんね?」 「何か年寄り臭くて、カッコ悪いじゃないですか。お経がいいんですよ」 「お経だってカッコいいとは思えんけど…。そうか、短いお経か。ないことはないけど」 「えっ、あるんですか?」
そこでぼくは、紙に延命十句観音経を書いて、彼女に渡した。 「これ何ですか?」 「お経」 「えっ、これお経なんですか?」 「うん」 「たったこれだけですか?」 「たったこれだけ」 「効くんですか?」 「おれは効いたよ」 「本当ですか?」 「うん」 「じゃあ、このお経を覚えよう」 ということで、ぼくは彼女に読み方を教えてやった。
翌日のことだった。 彼女はぼくを見つけると、「しんたさーん」と言って走ってきた。 「どうしたと?」 「いや、昨日のお経、私あれを覚えることにします」 「昨日、そう言ったやないね」 「言ったけど、半信半疑だったんですよ。向き不向きとかいう話を聞いていたし…」 「それがまた、どうしてそうなったんね?」 「あれから家に帰って、紙に書いてもらったのを読んでいたんですよ。その時ふと、床の間のほうから誰かがこちらを見ているような気がしたんです。それで床の間のほうを見てみたんだけど、誰もいない。気のせいかと思って、またその紙を読んでいた。ところが、まだ誰かがこちらを見ているような気がするんですよ」 「何それ、霊でもおるんやないと」 「いや、そんなのじゃなかったんです。実は床の間に掛け軸がかかっているんですけど、こちらを見ているような気配はそこからしていたんですよ」 「何の掛け軸?」 「書なんですよ」 「漢詩か何か?」 「今までそう思ってたんです。それで気にもとめなかったんだけど、昨日なぜか気になって読んでみたんですよ。そしたら、何とそこに書いていたのは、昨日しんたさんに書いてもらったお経だったんですよ」 「へー」 「その時、このお経は私に合ってると思ったんですよ。それで真剣に覚えようと思って」 「縁があったんやね」 「そうですね」 そう言って彼女は喜んでいた。
その後、彼女は他の会社に移ったため、願が成就したかどうかはわからないままである。 だが、彼女はおそらく、延命十句観音経を一生持って行くだろう。 これも一つの霊験である。
2005年12月08日(木) |
パッパッパーチクリン |
このところ、体調もよくないし、仕事も何か面白くない。 そこで、暇になると、いつもイトキョンをからかいに行っている。
今日はKさんの誕生日だった。 Kさんは、今年の春に定年満期し、今はアルバイトで働いている。 うちの会社は60歳が定年なので、Kさんは今日で61歳になったわけだ。
『今年61歳ということは、申年か。そうそう、うちのお袋も申年だった。今年73歳だから、Kさんは一回り下になるのか』 そんなことを考えていると、イトキョンが現れた。
「あっ、イトキョン。今日ね、Kさんの誕生日なんよ」 「へえ、そうなん。じゃあ『おめでとう』と言わないけんね。で、Kさんはいくつになったと?」 「73歳」 「えっ、そんなになると?」 「うん」 「73歳にしては若いねえ」 「そうやろ」
今日は何かと忙しく、その後イトキョンと話す時間がとれなかった。 ようやく話が出来たのは閉店前だった。
ぼくはイトキョンに「あんた、Kさんにちゃんと『おめでとう』と言ったね?」と聞いた。 「あっ、忘れとった」 「だめやないね」 「Kさん、まだおるかねえ?」 「もう帰ったよ」 「じゃあ、明日言おう」 「明日じゃ遅いやろ」 「そうか…」
「しかしあんた、すぐ忘れるねえ」 「しかたないやん。わたし、パッパッパーチクリンなんやけ」 「何ね、その『パッパッパーチクリン』っちゃ」 「えっ、言わんかねえ?」 「そんなこと言うわけないやん」 「えーっ、わたしよく言うよ」 「あんただけやろ。『パッパッパーチクリン』とか言うの」 「そうかねえ…」 「夕飯のことで頭がいっぱいになっとるけ、そんな変な言葉が口をついて出てくるんよ」 「今日はちゃんと夕飯を用意してきたけ、頭がいっぱいになってないよ」 「本当ね?」 「うん」
その後、ぼくが閉店準備をしている時に、イトキョンはさっさと帰っていった。 最後に店内を見回していると、一箇所、電気がつきっぱなしになっているところがあった。 行ってみると、天井の照明だけではなく、ショーケースの電気までついていた。 そこはイトキョンの売場だった。 消し忘れて帰ったのだ。 何が、『今日は(夕飯のことで)頭がいっぱいにはなってない』だ。 頭がいっぱいだったから、すべて忘れて帰ったのだ。 やはりイトキョンは、パッパッパーチクリンである。
2005年12月07日(水) |
しろはなげしんたとイトキョンと中リンと |
【しろはなげしんた】 昨日の件だが、ネットスケープだけしか確認してなかったので、今日はFirefoxとOperaを確認した。 OKでした。 これですべてのブラウザをクリアしたので、これからは心おきなくメインブログの一本化ができそうだ。
ところで、今回のテンプレート変更で、あの「しろげしんたの似顔絵」が消えてなくなった。 が、ご心配なく。 プロフィールの中に入っております。 メニューもそこに入っております。
ところでその『しろげしんたの似顔絵』だが、以前はよく「誰が描いたのか?」という質問が寄せられていた。 ここでその質問に答えよう。 この日記を始めた頃に時々登場した『雪だるまさん』という方が書いたものだ。 その方が今どうしているのかは詳しく知らないのだが、結婚して子供も出来て、幸せに暮らしているそうだ。
しかしあの似顔絵、鼻毛まで描いてくれている。 そう、ちょうどあの頃、ぼくの鼻毛に白毛が現れたのだ。 そのため、『しろはなげしんた』というハンドルネームに変えようかと日記に書いたこともある。 今、鼻毛は白毛の花盛りである。
【イトキョンと中リン】 今日、イトキョンの写真を公開した。(エンピツをご覧の方は見てないと思いますので、こちらをご覧下さい) 最初は後ろ姿を撮ろうと思っていたのだが、うまくタイミングが取れず、横顔の写真になってしまった。
そのイトキョン、午前中にまた妙な性癖を見せてくれた。 ぼくは朝会社に着くと、まず自動販売機に冷えたジンジャーエールを買いに行く。 それを持ってまっすぐ喫煙所に向かうのだが、今日は寄り道をした。 イトキョンを見つけたからである。
イトキョンのところに行くと、そこには中リンがいた。 ぼくはわざとジンジャーエールの缶を手で包んで、さも暖をとっているようなしぐさをした。 「暖かーい」と言うと、中リンとイトキョンが嬉しそうな顔をして寄ってきた。 二人とも冷え性なのだそうだ。
まず中リンが「暖かいんですか?」と言って、その缶を手で包んだ。 その瞬間、中リンは「ヒエッ!」と言って飛び上がった。 ところが、同じく触ろうとしていたイトキョンまでが声を裏返して「ビエッ!」という声を出し、万歳をするように手を挙げて飛び上がったのだ。 それを見てぼくは言った。 「イトキョン、あんたは触ってないやろ」 「だって、中リンが冷たそうだったんだもん」 「中リンじゃないやろ。あんたいっしょに反応したやん」 「うっ…」
常日頃、イトキョンは中リンのことを「わたしの妹」と言っているが、中リンも大変な姉さんに恵まれたものである。
2005年12月06日(火) |
また風邪を引いたようだ |
今日は休み。 寒かったので、嫁ブーと二人、一日家の中に籠もっていた。 嫁ブーはいつものように、こたつに入って昼寝をしている。 ぼくはいつものように、パソコンをいじっている。 これが、最近の休みの風景となっている。
さて、パソコンをいじって何をやっていたのかというと、メインのブログをネットスケープで見られるようにしていたのだ。 テンプレートを変えて、一つ一つ確認しながら編集していった。 その甲斐あって何とか見られるようになった。
さて、その後はというと、寝ていた。 どうも風邪がぶり返したようなのだ。 2,3日前からのどが痛かったのだが、今日は気分が悪くなった。 昼間、食事をしたあと急に胃がムカムカしてきたので、横になっていた。 1時間ほど寝ていたらよくなったのだが、夜再び気分が悪くなった。 そこでまた横になり、そのまま朝を迎えた。 寝ている間に汗をかき、起きた時はかなり寒かった。 が、今は何とかおさまっている。 これから仕事だし、何となく気が重い。
今日はパートさんが休みだったため、売場はぼく一人だった。 一人の時は、何かと制約が多いものだ。 例えば、トイレもゆっくり出来ない。 個室に入っている時に、何度も店内放送で呼ばれた経験を持つだけに、一人の日にはいつも焦ってやっている。 昼食もその一つである。 売場に誰もいなくなるので、食事中でも呼ばれたら店に出なければならない。 そのため、店内放送の入らないところには行けない。 ということは、食後の楽しみである、車の中での昼寝が出来ないということだ。 さらに、なるべく隣の売場のパートさんがいる時に行かないとならない。 他の売場の人は、なかなかフォローしてくれないのだ。
というこで、今日は隣の売場のパートさんが早出だったため、昼食もいつもより早くとった。 隣の売場のパートさんに「食事に行ってきます」と言って、ぼくは食堂に向かった。 食堂に入ると、そこにはイトキョンがいた。 「あ、しんちゃん。今から食事?」 「うん」 「今日は早いねえ」 「一人やけね」 「ああ、そうか」 「イトキョンは昼出?」 「うん。今日は1時から。まだ時間があるけ、今友だちにメールしよったんよ」 「そうね」
しばらくイトキョンとそんな話をしていると、シマちゃんというパートさんが入ってきた。 「あ、しんたさん。今日は早いね」 「今日は一人やけね」 「ああ、そうか。ところで、今朝は寒かったねえ」 「朝やろ。あまり寒かったんで目が覚めた」 「私は今朝4時頃目が覚めたんやけど、外は真っ白やったよ」 「雪で?」 「うん」 「じゃあ、今日は出てくるの大変やったやろ?」 「いや、それほどでもなかったよ。出る頃には大分溶けとったけね」
その時、店内放送がかかり、シマちゃんが呼ばれた。 シマちゃんが出たのを見計らって、イトキョンが言った。 「ねえ、しんちゃん。シマちゃんって、どこに住んどると?」 「山の上」 「ああ、そうやろね。うちの周りには雪なんか降ってなかったもん」 「そうやね。平地には降ってなかったね」 「で、シマちゃんは、何で来よると?」 「雪の日はスキーで来るに決まっとるやん」 「そんなはずないやろ」 さすがのイトキョンでも、このくらいの嘘はわかるようだ。 ところが、その次の会話で、ぼくは目が点になった。
「ね、本当は何で来よると?」 「本当はリフトよ」 「ああ、リフトかあ。いいなあ」 「‥‥」 「わたし広島の芸北(スキー場)に行ったことあるけど、あそこにもリフトあったよ。あたり一面真っ白でね」 「イトキョン」 「え、何?」 「シマちゃん、何で来よるんかねえ」 「リフトよ。今、しんちゃんそう言ったやん」 「‥‥。あのねえ、常識で考えてわかるやろ」 「えっ、何が?」 「民家にリフトなんか引くかねえ?」 「ああ、そうか」 「何で、あんたは人の言うことを簡単に信じるんかねえ」 「だって、しんちゃんがリフトと言ったとたん、芸北の風景が目の前に広がったんやもん」 「それとシマちゃんの通勤手段は関係ないやん」 「そうよねえ。ハハハ」
『イトキョン、大丈夫か?』 ぼくは、ちょっと心配になった。
2005年12月04日(日) |
ゼロから数字を生んでやらう |
先日ラジオで言っていたが、近頃の学生の中にはすでに人生に失望感を抱いているものがいるのだという。 高校や大学を落ちたら、もうその他の道を考えられないのだそうだ。 その背景には、もちろん現代社会の風潮があるらしいのだが、それよりも、「受験だけが人生じゃない」と教えてやる大人がいないのが一番大きな問題だと言っていた。 いや、教えてやらないのではない。 彼らがそれを受け入れないらしいのだ。
ちょっと困ったことである。 ぼくも高校まではわりと順風満帆に進んでいたのだが、高校で落ちこぼれになり、その後学校社会からは完全に受け入れられない人間になってしまった。 だが、そのことで人生に絶望感などを抱くようなことはなかった。 音楽という、他の選択肢を持っていたからだ。 つまり、ぼくにとっては、勉強がすべてではなかったのだ。
来春、姪の大学受験がある。 姪もぼくと同じく、ここまでは順風満帆の人生を送ってきた。 だが、ぼくと違う点は、勉強がすべてだという考えを持っている節があるということだ。 仮に来春受験に失敗したとしたら、彼女はどういうふうにその人生を受けとめるのだろうか。 ラジオで言っていたことを考え合わせると、叔父として少し心配になる。
もし姪がぼくに助けを求めに来ることがあったとしたら、「ゼロから数字を作ってやろう」という言葉を教えてやろうと思っている。 ずっと以前にも書いたが、高村光太郎の『天文学の話』という詩にある言葉だ。 ぼくはこの言葉を、浪人中に初めて知った。 それ以来、何か落ち込むことがあるたびに、この言葉を思い出した。 それで勇気づけられたのだ。 ぼくが挫折せずに、何とかここまでやってこれたのも、この言葉があったおかげだと思っている。 また、音楽作りや詩作という創作活動をやっている時は、この言葉が原動力となったものだ。 ぼくに人生にとって、何よりも大切な言葉なのである。
さてこの言葉、姪はどういうふうに受けとめるだろうか。
【世間は狭い2】 いつだったか、世間は狭いという話を書いたことがある。 あの時、肝心なことをぼくは書き忘れていた。 高校時代にK君という友人がいた。 普通の友だちだったのだが、ある時からぼくは彼を違った目で見るようになった。
ある時というのは、母の独身時代の話を聞いた時だ。 母が昔働いていた会社の近くに、えらく面倒見のいい人がいたらしい。 その人は母を気に入り、息子の嫁になってくれないか、と言ってきた。 だが、母は丁重にお断りしたらしい。
それから十数年後、その息子の息子とぼくは友だちになった。 それが、K君である。 そのことを聞くまでは、ただの友だちだったのだが、それを知ってから、K君が他人のような気がしなくなった。 しかし、そのことをK君に教えることはしていない。 そのことで、支障があったらいけないと考えたからだ。
おそらくK君はこのことを知らないだろう。 もしかしたら、じいちゃん・ばあちゃんに、それらしきことを聞いたかもしれない。 だが、それがぼくの母親だということはわからないだろう。 母は「結婚話以降、K君のじいちゃん・ばあちゃんに会ったことはない」と言っていたし、第一姓が違うのだ。 これではわかりようがないだろう。
【密かにやっているブログ】 今朝、ある方からメールをいただいた。 メインのブログのレイアウトが崩れて、記事が見られないというのだ。 その方はMacユーザーだった。 そこで、ネットスケープで試してみると、見事レイアウトが崩れている。 これじゃ、見られないだろう。
まあ、そういうこともあるというのは聞いていたのだが、ここまでひどいとは思っていなかった。 スタイルシートを改善しようにも、こちらは素人なので、その方法を知らない。 他のブログも試してみたが、「吹く風」や「頑張る40代!」というタイトルの付いたものは全滅だった。 幸い、今、密かに記事を転記しているブログがあるだが、そこだと崩れないことがわかった。
しかし、そこは2001年7月までの記事しか転記してない。 そこで、急きょ、ここ数日の記事を転記した。 これで何とか形になったので、いちおうその旨をその方に連絡した。
しかし、せっかくドメインを取って作ったブログなのに、こういうことだと困るなあ。 今さら、メインを他の場所に移しましたなどと言うと、リンク張っている方は、「またかぁ」と思ってしまい、嫌気がさすだろう。 これからどうしようかなあ…。
いちおう、そのブログのURLを掲載しておきます。 http://blog.goo.ne.jp/fukukaze/
昨日は午前3時前に寝た。 『後藤散せきどめ』を飲んだのが午後10時半だった。 それからさっさと日記を書いて寝ようと思っていたのだが、日記を書き終わったとたんに、また咳込みが始まった。 もう一度『後藤散せきどめ』を飲もうと箱を取り出した。 ところがそこには、4時間置けと書いてあったのだ。 ぼくは薬には忠実なので、その時間を守って2時半に薬を飲み、それから寝たのだった。
布団の中に入ってからも、しばらく咳込んでいた。 「これで病院決定やの。ということで何時に起きようか」 そういうことを考えていたが、そのうち意識が遠のいていった。
目が覚めたのは、午前7時半だった。 トイレである。 「7時半か。もう少し寝れる。あ、そうか、今日は休みやん。ゆっくり寝れるわい」 そう思ってトイレに行った。 トイレに入っている時、ぼくはあることに気がついた。 「7時半か。4時間寝たということか。ん? なんかおかしいのう。あっ、そういえば、今日は咳込んで目が覚めることがなかった」 起きてからも咳は出ない。 「不思議だな」と思いながら、もう一度布団に潜り込んだ。
その後、目を覚ますこともなく、ゆっくり夢を見て午前10時まで寝たのだった。 昨日まで1時間置きに目が覚めていたのが嘘のようである。 その後も、咳込むことはなかったので、病院には行かなかった。
これはどうしたことだろう。 決して体調がいいとは言えないから、自力で治ったとは考えられない。 ということは、『後藤散せきどめ』が効いたのだろうか。 のど飴はあまり効かないが、顆粒になると効くわけだ。 もし、今度風邪を引くことがあったら、『かぜ後藤散』を試してみることにしよう。
さて、これで咳は何とか治ったわけだが、その咳込みで、腹筋が痛くてならない。 しかも、右側の肋骨の筋が、ずっと痙攣している。 これが気持ち悪くてならない。 後藤散も、肋骨までは効かないのだろう。 今日は養命酒を飲んで寝ることにする。
2005年12月01日(木) |
病院に行くべきかどうか迷っている |
ここ数日、寝不足が続いている。 決して夜更かししているわけではない。 日記もほどよい時間に書き終わり、1時就寝の基本はだいたい守っている。 ではなぜ寝不足なのかというと、実は眠れないのだ。 悩みがあるわけではない。 咳込んで目が覚めてしまうのだ。 いったん目が覚めると、なかなか寝付かれない。 数十分後に、ようやく眠りに陥るのだが、それからしばらくすると、またしても咳込みが始まる。 それでまた目が覚めるのだ。 結局、毎日3時間ほどしか寝ていない。
そのため、通勤途中や仕事中に居眠りしてしまうし、気分がすっきりしない。 咳込みを治そうと、よく効くという咳止め薬を買ってみたが、効果はなく、返って咳込みが酷くなっているような気さえする。 そこで、薬を替えてみた。 ある程度は効いているようだが、のどの下あたりのムズムズした違和感がなかなか取れない。
嫁ブーは「病院に行ったら?」と言っているのだが、根っからの病院嫌いである。 歯医者は仕方なかったにしろ、風邪ごときで病院に行ったら、末代の恥だ。 こうなりゃ自力で治してやると思い、自然治癒を試みた。 ぼくの自然治癒の方法は簡単である。 白隠禅師の内観法を応用したもので、その症状を客観的に分析し、異常を見つけたら、イメージ砲で粉砕するのだ。 そういうことをいちいちやっているうちに、そのうち異常は正常に戻っている。 例えば、のどに痒みを覚えたら、イメージ砲で痒みを粉砕する。 また痒くなったら、再びイメージ砲で粉砕する。 気がつけば、痒みがなくなっているということだ。
今日の夕方もイメージ砲をやっていた。 すると横から「こんばんは」という声が聞こえた。 振り向くと、友人がいた。 「しんたさん、今、眠ってたでしょ?」 「いや、眠ってないよ」 「でも、目を瞑ってたじゃないですか」 「あれは治療しよったと」 「何の治療ですか?」 「風邪」 「目を瞑ってただけじゃないですか」 「いや、イメージで風邪菌をやっつけよったんよ」 「風邪、酷いんですか?」 「うん。でも、熱とか鼻づまりとかはないけどね」 「もしかして、咳だけが出るんじゃないんですか?」 「えっ、よくわかったねえ」 「いや、うちの娘が、この間そういう症状だったんですよ」 「やっぱり風邪?」 「最初はそう思ってたんですけど、病院に行ったら違うと言うんですよ」 「じゃあ、何の病気やったと?」 「ウィルス性の気管支炎」 「何、それ?」 「ウィルスに気管をやられて、咳込むんですよ」 「熱とかは出らんと?」 「ええ。しんたさんがさっき言ったような症状なんですよ」 「今は?」 「もう治りましたけどね」 「薬か何かで?」 「ええ。でも市販の薬じゃないですよ」 「もしかして、病院でもらうと?」 「ええ、抗生物質ですからね」 「それ飲んだら、すぐに治った」 「一発でした」 「そうか…」 「しんたさんも無理せんで、病院に行ったほうがいいですよ。いや、この病気は病院に行かないと治りませんよ。ウィルスなんですからね」
やはり、病院に行かないとならないのか。 明日は休みである。 もし、今晩も咳込むようなことがあったら、病院行きを検討してみるか。 でもなあ…、末代の恥だしなあ…。
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