ようやく計算の出来たぼくは、 「150万です」と言った。 「嘘をつけ。伝票がないやないか!」 「伝票ですか、ちょっと待って下さい」 そう言って、ぼくはクレジットの受付に行った。 その時、背後から店長の「こら、逃げるな」という声が聞こえた。 その言葉を聞いて、ついにぼくの堪忍袋の緒が切れた。
ぼくはクレジットの受付で、自分の売った分のクレジット伝票を素早く拾い出し、それを店長のいるところに持って行った。 そして、それを店長の目のいるカウンターの上にバシッとたたきつけた。 「150万ですっ!!」 ぼくは店長をにらみつけて、大声で言った。 その時ぼくは、自分の形相が変っているのを自覚した。 その形相とは、怒りそのものだった。 それまで店長に対して我慢に我慢を重ねていた感情が、一気に表に出たのだ。
それを見た店長は、ひるんで黙り込んでしまった。 店長が何も言わないので、ぼくは畳みかけるように言った。 「ちゃんと調べて下さい。150万円売ってます」 店長は、まともにぼくを見ることが出来なかった。 「150万…」と小声で言いながら、周りをキョロキョロしだした。 目は完全に宙に浮いている。 きっと、そのあとの言葉を探していたのだろう。 そして、ようやく出た言葉が、 「150万くらいでいい気になるな」だった。 しかし、先ほどのような威勢の良さはなく、声は震えていた。 「誰がいい気になっとるんですか!?」 「…もういい」 小さな声でそう言うと、店長は戻っていった。 ことあるごとにぼくに悪態をついていた店長は、それ以来ぼくを見るとこそこそと逃げていくようになった。 映像キャンペーン、残り1ヶ月になった頃の話である。
話は変るが、2年前に『退職前夜』(2002年9月27日〜10月2日)というタイトルの日記を書いたことがある。 その日記にも、ぼくと、その時期の店長とのバトルを書いているが、だいたい今回の店長と同じ展開になっている。 最初、店長から言いたいことを言われるのだが、ぼくはじっと我慢して、いよいよ最後になって、その鬱憤が爆発するというパターンである。 どちらの店長も似たタイプの人間だった。 人前で格好をつけたがり、強がるタイプだ。 大声で人を罵倒するだけならともかく、酷い時には相手を叩いたりもする。 『退職前夜』時の店長などは、腹を手術して退院してきたばかりの人間に、「気に入らん」という理由で、その腹めがけてパンチを入れたことがあった。
聞くところによると、彼らは就職して以来、これと言ってつまずくこともなく順調にその地位まで昇ったということだった。 そのために慢心してしまい、相手の気持ちなんかこれっぽっちも考えられない人間になってしまったのだろう。
そういう人間は、得てして強く見えるものである。 だが、実際はそうではない。 彼らはあまり人からの攻撃を受けたことがない。 またその慢心から、自分に攻撃するような人間はいないと思っている。 だから、そういう風に強気に振る舞うのだ。
そういう人がもし攻撃を受けたらどうなるか。 そう、前述の通り、手も足も出なくなるのだ。 特に今回のぼくのような、それまで守勢に回っていた人間から突然攻撃を受けたのだから、そこに精神的なショックも加わる。 ぼくを見るとこそこそと逃げるようになったのも、そのせいである。 今回のことで、ぼくはそのことを学んだ。 そして、退職時にそれを生かしたのだった。
電子レンジのキャンペーンが終わり、当初の約束通り、ぼくは映像部門に回された。 もちろん電子レンジの時と同じく外回り専門で、相変わらず店にいることは少なかった。 だが、電子レンジの時と比べると、テレビやビデオといった商品は売りやすかった。 次から次と情報が上がってくる上、決定率も高かった。 しかも、その部門は責任者がしっかりしていたおかげで、『テッポー』に走るようなことはなかった。
ある日のこと。 その日は朝からお客さんが多かったせいもあり、ぼくは朝からずっと売場にいた。 午後になっても客足は途絶えなかった。 暇になったのは、ようやく夕方になってからだった。
課長がぼくを呼び、「しんた、今のうちに休憩とってこい」と言った。 ぼくはその言葉に甘えて、「わかりました」と言って休憩室に行った。 すでにその日の個人予算を達成していたので、気が楽だったせいもあり、そこでのんびりとタバコを吸っていた。 そこに、他部門の社員たちがやってきた。 彼らはぼくを見つけると、 「しんちゃん、今日は忙しそうやったねえ」と言った。 「うん」 「かなり売れたやろ?」 「まあまあやね」 「あんたかなり売っとるみたいやけ、こちらに少し回してくれんね」 「それは出来ん」 そんな会話をしている時だった。 店長が休憩室に入ってきたのだ。 店長は何をするでもなく、休憩室の中を見回すと、ニヤッと笑って出て行った。 それを見てぼくたちは、口々に「何やったんかのう。感じ悪い」と言い合った。
休憩時間が終わり、売場に戻ってみると、そこには店長がいた。 何をやっているのかと、遠目で見てみると、どうも売上伝票を探っているようだ。 『何を調べているのだろう?』と気にはなったが、関わると面倒なので、なるべく店長の目につかないところに立っているとこにしようと、そちらの方向に歩き始めた。 その時だった。 後ろから「しんた、ちょっと来い」という、店長の声が聞こえた。 どうやら、ぼくが戻ってきているのに気づいたらしい。 ぼくが店長の所に行くと、店長は、 「おい、おまえ。今日いくら売ったんか」と言った。 「え?」 その日のぼくの売り上げた分は、クレジットばかりだったので、まだ計上してなかった。 それを知らない店長は、ぼく名義の伝票がないのを見て、鬼の首をとった気持ちになったのだろう。
彼は勝ち誇ったような顔をして、 「いくら売ったんかと聞いとるんだ」と声を荒げて言った。 すぐさまぼくは、その日売った金額を、頭の中で計算した。 その間にも、店長はいろいろと悪態をついてきた。 「言えるわけないのう、売ってないんやけ」 「売ることも出来んくせに、休憩とるなどもってのほかやのう」 「おまえはみんなといっしょに談笑できるような身分じゃなかろうが」 「おまえの、いったいどこが優秀なんかのう。おれから言わせればバカだ」 「ほら、早く言わんか。いったい、いくら売ったんか、おっ!?」
1ヶ月目の終わる頃に、電子レンジ部門はようやく予算を達成できた。 が、その売り上げの多くはテッポーで占められていた。 配達されない伝票が数多く残っている。 それに伴って、未入金も残る。 そのせいで、とうとう本社からのチェックが入りだした。
ある日、売場の責任者からぼくは呼ばれた。 伝票のチェックをしてくれと言うのだ。 そこで、ぼくは配達されてない伝票を、すべてノートに書き写し、担当者一人一人に「この伝票は大丈夫?」と聞いて回った。 その中には大丈夫な伝票も含まれていたものの、やはり大丈夫でないものが大半で、その金額は翌月の予算の半分以上を占めていた。
翌月、会議の場で店長は、「本社から未配達・未入金の調査をしろと言ってきたぞ」と言った。 そして、「何でこんなになるまで放っておいたんか」と、レンジの責任者を責めた。 おかしいではないか。 元々は店長が「打て」と言い出したことなのだ。 たしかに、店長の指示に「ノー」と言えなかった責任者にも責任はあるが、一番責任を追及されるべきは当の店長なのだ。
しかし普段から「ノー」と言い慣れていない人は、こういう時でも店長の機嫌を損なわないような発言をするものである。 「どうしても売り上げがほしかったもんですから…」 「それについて、何か調査はしとるんか?」 責任者は、「はい」と言ってぼくが調べたノートを取り出した。 それを見て店長は、「こんなにあるんか!」と言って天を仰いだ。 そして「ちゃんと処理しとけよ」と言うと、その後はそのことに触れようとしなかった。
明けて翌月、ひどい数字の連続だった。 だが、それはテッポーの処理をしたためではない。 実際に売れなかったのだ。 店長は相変わらず、レンジの責任者を責め立てる。 が、もうどうしようもなかった。 全体朝礼で店長は、「テッポーの処理はキャンペーンが終わってから考えることにして、今はとにかくレンジの売り上げを作れ!」とみんなに檄を飛ばした。 しかし、従業員は笛吹けど踊らずで、全くやる気を失っていた。 テッポー慣れしてしまっていたため、どうやって売っていいのかわからなくなっていたのかもしれない。
結局、その月のレンジの売り上げは惨たるものだった。 当然それは本社でも、先の未配達・未入金と併せて問題になった。 とうとう店長の管理能力に、「?マーク」が点ったのだった。
またしても外に出る生活が始まった。 他の従業員から出てくる見込み客を中心にフォローしていった。 最初のうちは当たりもよく、決定率は高かった。 そのせいもあってか、電子レンジ部門の売り上げは順調に伸びていった。 ところが、2週間たち、3週間たっていくうちに、その売り上げにかげりが出てきたのだ。 従業員からもらった見込み客の家に行っても、以前のように当たりはよくない。 「電子レンジ?いいえ、そんなものいると言った覚えはありませんよ」 「○○さんの紹介だって?そんな人知らん」 特Aランクとして見込み客リストに載っているのお客さんの、何と6〜7割の人がそういう応対をするのだ。 そのため、外での売り上げはめっきり減ってきた。
一方店の方も、お客さんは少なく、特に電子レンジのところに人がいるようにも見えなかった。 ところが、夜レジを締める段階になると、なぜか「今日も予算がいった」と言って喜んでいるではないか。 ぼくは、「これはおかしい」と思った。 だが、腰掛けの身分ゆえ、なかなかその事情を教えてくれない。 そこで、ごく親しい同僚を捕まえて、「何がどうなっとるんか」と聞いてみた。 同僚は小声で「テッポーよ」と言った。 「ああ、やっぱりそうか」とぼくは言った。
『テッポー』とは架空売上げのことで、『空鉄砲』からきていた。 つまり、売れてもないのに、さも売れたように伝票を操作していたのだ。 その手口は、伝票に見込み客等(架空の場合もある)の名前を書き、配達扱いにして伝票を打つ。 その際、代金は配達時にもらうことにしておくのだ。 これでいちおう売り上げは立つ。 しかし、架空であるから、いつまでたっても配達はしないし、また入金があるわけではない。
「誰がそんなことをさせよるんか?」 「店長に決まっとるやん」 「え?」 「あの人、かなり焦っとるみたいよ」 「どうして?」 「最初売り上げがよかったもんやけ、本社にかなりほめられて、いい思いをしたらしいんよ。売り上げが落ちたら格好がつかんやん」 「でも、テッポーがばれたら大変なことになるやろ?」 ぼくは、過去それをやって、転勤させられた人を何人も見てきている。
『テッポー』、つまり架空売り上げは、何もその店の専売特許ではない。 多かれ少なかれ、どこでもやっていることだ。 ただ、他の会社では、翌月確実に処理できる範囲でしかやらない。 ぼくも何度かテッポーを打ったことはある。 が、それは常識の範囲内に納めていた。 ところが店長は、そういう常識を度外視して、売り上げを上げられるだけ上げさせたのだ。 そのおかげで、一番嫌いであろうぼくに向かっても「しんた君よ、何かないんか?打てるんなら打てや」言ってくる始末だった。 ぼくは、そのたびに「ありません」と言って断っていた。 しかし、店にはぼくみたいな人間ばかりいるのではない。 店長の前でいい格好をしたい人間や、断ることが出来ない気の弱い人間もいる。 そういう人たちが、次から次へとテッポーを打っていった。
前の会社では、毎年秋になると2ヶ月間電子レンジの販売キャンペーンをやっていた。 これは全社挙げてやっていたもので、その部門はもちろん、他の部門の人間もノルマを課せられた。 そのノルマは、一人当たり100万円前後だった。 当時電子レンジの価格は10万円前後だったが、10本近く売らなければ、その金額に到達しない。 しかしそれは他部門の人間の数字である。 ホスト部門ともなると、この何倍も売らなければならなかった。
その当時の電子レンジといえば、すでに一般的な調理用品になっていて、かつて三種の神器と呼ばれていた頃のような、憧れの商品ではなくなっていた。 そのため、最初にそのキャンペーンを始めた頃のように売りやすい商品ではなくなっていた。 それをこの数字である。 会社に入った当初から、ぼくはそういう部門に行くのは嫌だった。
ぼくが店長から内示を受けたのは、そのキャンペーンの始まる前の月だった。 店長が大型部門と言ったので、「もしかしたら、電子レンジを売らされるのか」と頭の中を不安がよぎった。 そこで、皮肉は言うが、異動先の部門をなかなか教えてくれない店長に、「で、どこに行くんですか?」と聞いてみた。 「だから大型部門と言ったやろうが」 「もしかして、電子レンジですか?」 「おう、そうよ」 「そうですか…」 「おまえには、キャンペーンが終わったら、また異動してもらう。優秀な人間なんやけのう」 「え?」 「電子レンジが終わったら、次のキャンペーンがあるやろうが」 「映像部門ですか?」 「おう。その次も考えとるぞ」
店長はぼくをたらい回しにしようとしていたのだ。 電子レンジと映像と、確かに大型部門ではある。 が、どちらも専門的な知識が要求される部門なのだ。 そこに腰掛け程度の人間がいて、何の戦力なるだろうか。 やはり店長はぼくを辞めさせたがっていたのだ。 周りからいろいろ言われているから、いちおうぼくを大型部門に異動させた。 それで面目は保てる。 しかし、その部門に定住させることはしない。 部門を短期間で異動させることで、ぼくを追い込もうとしたのだ。 そのことはわかりすぎるほどわかっていたので、ぼくはその手に乗るようなことはしなかった。 店長が根負けするまで、じっくり待つことにしたのだ。
さて、翌月。 電子レンジの売場とはいえ、ようやく店に戻ることが出来た。 『これで、少しは気分的に楽になった』と思っていると、そこの売場の責任者が、「店長から、『しんたは外販が好きらしいから、あいつに各社員から出た見込み客の家を回らせて、売ってきてもらえ』と言われとるんよ」と言ってきた。 「また外回りですか?」 「しかたないやん、店長命令なんやけ」 結局、店長はぼくが店にいるのを許さなかったのだ。 その後店長は、ぼくが店にいるのを見つけると、「こら、行くところはないんか?店でボサーッとしてないで、さっさと外回りしてこい!」と言って、ぼくを追い出しにかかったものだった。 そのせいで、ぼくは何度も切れそうになった。 が、「絶対根負けさせてやる」と思い、我慢していた。
それから数日たった、ある日の朝のことだった。 配達業者の社長がぼくに声をかけてきた。 「今、時間空いとるかねえ?」 「ええ」 「じゃあ、ちょっとつきあってくれん?」 特にすることもなかったので、ぼくは「いいですよ」と答え、社長について行った。
社長は店の近くにある喫茶店に入っていった。 そして席に着くなり言った。 「大変そうやね」 「ええ、まあ」 「ぼくが思うに、今の店長はあんたのことを誤解しているようだ。ぼくの周りの人間は、今回の人事を聞いた時に、みんな首をひねったもんねえ」 「誤解してるんですかねえ。まあ、嫌われているのは確かですけど」 「いや、それは誤解から来てると思うよ」 「そうですかねえ」 「で、ちょっとぼくに任せてくれんね」 「え?」 「店長に、あんたを正しく評価してもらえるように仕向けるけ。だからもう少し我慢しとき。みんなあんたの味方なんやけ」 その日、テナントの社長にも同じようなことを言われた。
また、ある時のこと。 仕事が終わって店を出ようとすると、同僚が駆け寄ってきた。 「しんちゃん、わかったよ」 「何が?」 「あんたの噂を流した奴」 「え?」 例のスパイのことだ。 「あいつとあいつ。おれ事務所で発注しよる時に、店長にチクりようの聞いたもんね」 「そうね」 「でもね、その噂も誤解だったとわかったみたいよ」 ぼくはそれを聞いて、配達業者の社長やテナントの社長の言ったことを思い出した。 あの人たちがいろいろと手を尽くしてくれていたのだ。 ぼくはすべてが好転しているように思えた。
2ヶ月目も終わりの頃だった。 店長が閉店後、外販部隊を集めた。 そして、 「いろいろ君たちに頑張ってもらっているけど、今、肝心の店のほうの人員が足りない状況にある。翌月からは大切なキャンペーンも始まることだし、このままだと大変なことになってしまう。そこで、君たちを元の部署に復帰させたいと思っている」 と言った。 これで2ヶ月に渡った、外販部隊という名の見せしめが終わった。ぼくはそう思っていた。 しかし、そうではなかった。 店長のぼくに対する執拗な攻撃は、まだ続いていたのだった。
翌日、内示があった。 前日の話では、メンバーは元の部署に戻されるはずだった。 ぼくより先に呼ばれたメンバーは、みな元の部署に戻るように言われたようだった。 店長は最後にぼくを呼んだ。 「しんた、昨日元の部署に戻すように言ったけど、おまえには他の部署でやってもらうことにした」 「え?」 「いろんな人がおまえを優秀と言ってくるけのう。元の部署じゃ物足りんやろう」 「そんなことはありません。前の部署で充分です」 「いや、そんな優秀な人間を、楽器売場みたいな小さな部門に置いといては、店にとっても大きな損失になる。そこで、おまえにはもっと大きな部門に行ってもらって、その優秀さを発揮してもらう」 明らかに皮肉だった。
そういう折り、以前の常務から電話があった。 会いたいと言うのだ。 その常務とは、親会社の大手スーパーから出向していた人で、その時は親会社に戻って次長職をやっていた。 何の用事だろうと、待ち合わせ場所に行ってみると、そこには上司の他にもう一人、実直そうな顔をした男性がいた。 元常務がその人を紹介した。 「こちらは、うちの会社で人事を担当している者だ」 「はあ…」 「いや、風の噂で、しんたが大変な目に遭っていると聞いてなあ。本当のところはどういう状況なのかを知りたくて、ちょっと呼んだんだ」 「そうですか」 そこまで聞いて、だいたいのことがわかった。
「どうかね。今のまま続けて行けそうかね」 「え、何をですか?」 ぼくはわざととぼけて見せた。 「おまえが今の体制でやって行けるか、と聞いとるんだが」 元常務はぼくから「続けて行けそうにない」とか「辞めたい」という言葉を聞きたかったのだ。 だが、ぼくには意地があったので、そういうことは言わなかった。 のらりくらりとやっているうちに、元常務はしびれを切らして、ついに本音を吐いた。 「実は、うちの家電部門に空きが出来てなあ。本社から『誰か適任はおらんか』と言ってきたんよ。そんな時おまえの話を聞いてな。それで今日人事を連れてきたわけだ。どうかなあ。考えてくれんか」
悪い話ではない。 いや、その会社は大手も大手、その当時飛ぶ鳥を落とす勢いのあった大企業である。 しかし、ぼくはその誘惑には乗らなかった。 第一、今辞めてしまうと負けである。 そこでぼくは、元常務に「もうしばらく今のままで様子を見ていきたいんですが」と言った。 元常務はちょっと考えているようで、人事担当に人に何か耳打ちしていた。 そして、ぼくに「そうか。それなら無理にとは言わんが。でも、もし何かあったら、すぐに連絡してきてくれんか。それなりのポストを用意しておくから」 それだけ言うと、元常務は帰って行った。
時にくじけそうになることもあったぼくにとって、元常務の誘いは素直に嬉しかった。 しかし、ぼくはこの先どんなことになろうとも、その大手スーパーに行くつもりはなかった。 それには理由がある。 その会社に入るということは、当然転勤も覚悟しなければならなかった。 ぼくは学生時代から今に至るまで、生涯北九州在住と決めている人間である。 そのため、もし転勤になったりすると、その会社を辞めてしまうだろう。 そうなると、声をかけてくれた元常務の顔をつぶすことになる。 それだけはしたくなかったのだ。
理由はもう一つある。 それは、人に甘えるのがいやだったことだ。 それまで何のコネもなくやってきた。 もちろん、今の会社だってそうだ。 今の会社も人に頼めば、それなりの役職に就けたかもしれないが、ぼくはそれが嫌だったから、一般募集で、普通に試験を受けて入った。 面接でも、前の役職などは表に出さず、平社員からの道を選んだのだ。
しかし、今になって、あの時元常務の誘いを断ったのは、我ながらいい判断だったと思っている。 なぜかというと、それが正解だったからだ。 今その大手スーパーは、大変なことになっている。
さて、突然「外に行って売ってこい」などと言われても、売れるものではない。 それ以前に行く所がない。 仕方なく、知り合いに片っ端から電話をかけてみた。 「あ、しんたです。お世話になってます。実は…」 ぼくは事情を話し、誰か電化製品を買う人はいないか聞いてみた。 しかし、どの人も、 「うん、事情はわかった。しんたさんにはいつもお世話になっているから、力になってやるよ」 と同情して、協力するとは言ってくれるけれど、最後に必ず、 「だけど今日買う人はおらんかと言われてもねえ…」 という言葉が返ってきた。
ぼくは意地になっていた。 とにかく、店長を見返してやりたかったのだ。 それが初っぱなからこんなことでは、あの店長から嫌みを言われ悔しい思いをするのは目に見えている。 そういうわけで、気がつけば母の知り合いにまで電話をかけていた。 そして何とか、一台目の売り上げを作った。
それは冷蔵庫だった。 母の知り合いに電話をかけた時に、「知り合いで冷蔵庫を買い換えようという人」という情報を得たのだ。 さっそくぼくは電車に乗って、その人の家に向かった。
「あのう、Yさんからこちらに行ってくれと言われて来たんですが」 「ああ、電気屋さん。ちょうどよかった。この冷蔵庫がおかしいんよ。もう寿命なんかねえ」 「どのくらいお使いですか?」 「うーん、もう15年になるかねえ」 「ああ、そうですか。もうメーカーに部品もないでしょうね」 「そうよねえ。じゃあ、買い直すわ」 ぼくは店に電話して、おすすめの一品を聞いた。 そして、その機種をその人に勧めた。 「ああ、それでいいよ。すぐに持ってきて」 そうやって商談はまとまった。
2日目、前日に電話をかけていた人から情報を得て、テレビが決定する。 3日目も同じように売り上げを作った。 そうやって、与えられた予算をクリアしていった。
終業後、ぼくたちは毎日店長に日報を提出しなければならなかった。 ぼくの日報を見て店長は、「フン、なかなか優秀やないか、しんた君。でも、これがいつまで続くかのう」と嫌みを言った。 それを聞いても、ぼくは気にしない振りをしていた。 内心はそうではなかった。 怒りにうちふるえていたのだ。 しかし、それを口にはしなかった。 ここで何か言ってしまうと負けであるからだ。 ぼくは必至に耐えていた。
外販部隊を立ち上げてから3週目に、ぼくは月の予算を達成していた。 初日に電話をかけまくったのが功を奏したのだ。 4日目以降は毎日売れるようなことはなかったが、それでも何日かおきに売り上げが上がった。 その売り上げを見て、店長は苦々しく思っていたようだった。 「あいつ、本当に売ってきよるんか?」と、各売場に聞いて回っていたようなのだ。 確かに店長一派はぼくの敵だったが、それ以上にぼくには味方のほうが多かった。 そういう人が、「しんたはちゃんと外で売ってきています」とフォローしてくれていた。 それを聞くたびに店長は、不愉快な顔になったという。
それからさらに数日後、いよいよその日はやってきた。 会議の場で、店長が新プロジェクトを発表した。 何でも、精鋭を選って、外販部隊を作るというのである。 「今夜、その精鋭たちに内示しますから」 そう言って、会議は終わった。
その夜、ぼくの売場に電話が入った。 店長一派の課長からだった。 「しんたか、ちょっときてくれ」 ぼくは『もしかしたら』と思いながら、事務所に行った。 そこには店長以下のお歴々がいた。
店長はニヤニヤしながら口を開いた。 「しんた君、おめでとう」と言う。 「えっ?」 「朝話したろ。今までの戦績をいろいろ調べたんやけど、いろいろなキャンペーンで、君はいつも優秀な成績を収めとるねえ。それで、君が外販部隊に一番向いているんじゃないかと思ってね」 「異動ですか?」 「そう」 「断れんのですかねえ」 「何で断るんだ。君の力を見込んでのことなのに。今回の人事はあくまでも、適材適所という観点からやったことだから、光栄に思ってくれないと。君に期待がかかってるんだ。頑張って」
内示後、社内ではその内示についての噂が、いろいろと流れた。 どれもいい噂ではない。 「今回の人事は、店長から疎まれた人たちが対象になったようだ」といったものだった。 中には、「やっぱりしんちゃんも入っとったなあ」という声もあった。
内示を受けてから一週間後、全体朝礼で人事の発表があった。 「今回、新規プロジェクトとして、外販部隊を立ち上げることになりました。それに伴って若干名の人事異動を行いました」 と言って、店長はその一人一人の名前を読み上げた。 外販部隊には、ぼくを含めて4人の人間がいた。 なるほど、店長が読み上げた名前を聞くと、「疎まれた」人間ばかりだった。
外販部隊の部屋は店長室の隣に用意された。 全体朝礼後、そこに疎まれた人間は集合した。 部門の朝礼に出席した店長は、「君たちは精鋭だ」を繰り返し言っていた。 そのあと、その部門の統括責任者となった店長の腹心の一人が、外販部隊の概要や方針を説明した。 その中で責任者が口を酸っぱくして言っていたのが、「外販という名の通り、君たちの職場は外です。営業時間中に店の中をウロウロするようなことがないように」ということだった。 つまり、「おまえたちは邪魔だから、店の中に入ってくるな」ということである。 それこそが、今回の人事の本当の趣旨だった。 「それがいやなら辞めろ」というのが店長の腹だったのだろう。
新規プロジェクトとはいえ、店長がゴミと思っている人間の集まる部門だったから、予算などあるわけもなかった。 顧客リストもなければ、外販用のカタログもない。 さらには名刺も用意されてないのである。 しかも、営業の足となる車は、4人に対し2台与えられただけだった。 これで、いったいどこを回れと言うのだろう。
責任者が概要を説明したあとで、店長は「じゃあ、頑張ってきてくれ」と言って、ぼくたちを店外に追い出した。
そこまで連れてこられると逃げるわけも行かず、ぼくは渋々店長室のドアを開いた。 そこには新店長以下、店長一派のお歴々が集まっていた。 新店長はぼくを下げずんだ目で見て、「何しにきたんか」と言った。 「いちおう、朝礼を乱したことを詫びようと思いまして…。すいませんでした」 そう言って、ぼくは下げたくもない頭を下げた。 そして、「でも、ぼくは自分の言ったことは正しいと思ってますから、意見を曲げようとは思いません」と言った。 「おい!」 店長の口調が変った。 「おまえ、朝礼の場がどういうところかわかっとるんか」 「だからそのことを謝りに来たんです」 「そうか、じゃあこれからおまえの行動をよく観察させてもらう。もしまたこんなことがあったら、その時はわかっとるやろうの」 そういうと店長は、「もういい。行け」と言って、ぼくを追い出した。 ぼくはカチンと来て、部署に戻る時に通路の壁を一発殴った。
だいたい、ぼくは最初から、その店長が嫌いだったのだ。 エリート意識旺盛なのか、何となく気障で、人を見下すようなことばかり言っていた。 最初の頃こそ合わせていたものの、だんだんそれが馬鹿らしく思えてきたところだった。
それ以降、ぼくはスパイにつけ回されることになる。 「『その日しんたが何をした』ということを、逐一店長に告げ口する奴がおるけ、気をつけたほうがいいよ」とある人が言ってきたのだ。 「おれ、何も悪いことしてないけ、別にかまわんよ」 そうは言ったものの、やはりつけられていると思うと、あまりいい気持ちはしない。 しかも、その後の情報によると、どうもそのスパイは、あることないことを店長に吹き込んでいるようなのだ。
ある日、「しんちゃん、あんた部下と出来とると?」と聞いてきた者がいる。 「は?誰がそんなこと言ったんね?」 「事務所で噂になっとるよ」 「噂?その噂を流しよるやつの名前を一人一人言うてみ。文句言うてくるけ」 ぼくが怒っているのがわかったのか、相手は「いや、あくまでも噂やけ」と言って、その場から逃げていった。 『もしかしたら、あいつがスパイなのかもしれない』 ぼくはその時、そう思った。
数日たって、今度は他の人間が同じことを言ってきた。 今度は話がエスカレートしていた。 「しんちゃん、あんた部下に手を出したらしいね」 「えっ?前にも○○が同じようなことを言うてきたけど、あいつが言うたんね?」 「いや、かなり噂が広まっとるよ」 「もういい加減にしてくれ!」
前の会社での話である。 3代目の店長が就任して1ヶ月ほどたった頃だった。 就業規則で昼食時間は1時間と書いているのにも関わらず、新店長は「休憩時間のとりすぎじゃ」と言って、勝手に45分に変えてしまった。 それを全体朝礼の時に発表したのだが、当然のように場がざわめいた。 それもそのはずである。 その頃、社員食堂はすでになく、弁当を持ってきてない人は、みな外食をしなければならなかった。 外に出て、食べるところを決めて、食べるものを決めて、注文して、出来上がるのを待って、食べて、お金を払って店を出て、会社に戻るのである。 ただでさえ人の多く集まる繁華街である。 こちらが昼食をとる時間帯は、どこの食堂も満員なのだ。 そういう状況下、たった45分で食事をすませるということは至難の業であった。 みんなが騒ぐのも、無理もないことだった。
それを聞いて一番頭に来たのがぼくだった。 ぼくも外食組だったので、45分にされては困る一人だったのだ。 「黙っていては、新店長の思いどおりになってしまう」と思ったぼくは、さっそく口を開いた。 「ちょっといいですか?」 「はい、どうぞ」 「これまでの就業規則では、昼食時間は1時間と明記してありましたよねえ」 「・・・」 「どうして、それをどうして変えるんですか?」 「い、いや、ちゃんと就業規則には45分と書いてある」 「おかしいですねえ。どこに書いてますか?前の店長の時には、ちゃんと1時間となっていたはずですが」 「それはその…」 新店長の決めごとを発表した店長一派の課長は、口ごもってしまった。
結局収拾がつかなくなり、「その件については見直す」ということになった。 朝礼後、他の社員からは「しんた、よく言った」と拍手されたものだった。 ところが、それを苦々しく思っていた新店長一派は、急にぼくに対する態度を変えた。
さっそくその夜、ある課長が「しんた君、今日のはやりすぎじゃないか」と言ってきた。 「そうですかねえ。ぼくはそうは思いませんけど」 「いや、確かに君の意見は正しいと思う。しかし、あの場で言うことじゃない」 「あの場で言わなかったら、どこで言うんですか?」 「朝礼後とか、いろいろ言う場所があったろう」 「ないです」 「・・・。まあいい。でも、君は朝礼の場を乱したんだ」 「そうですかねえ」 「そう。それが今問題になっとる。今から店長のところに行って謝ってこい」 「何で謝らなきゃならないんですか?」 「形だけでもいいから、謝ったほうがいい」 「いやです」 「じゃあ、謝らんでいいけ、とにかく行ってこい。朝礼のことをわびて、自分の意見を曲げんなら、そう言えばいい」 「何で行かなならんとですか」 「いいけ、来い」 課長はぼくの手を引っ張って、店長室の前まで連れて行った。
2004年11月19日(金) |
2年前の今日も床屋に行っている |
今日は休みだった。 朝、普段通りに起きて床屋に行った。 3日の日記にあるように、前々から行こうと思っていたのだが、なぜかそれが延び延びになってしまい、結局今日になってしまったのだ。
床屋から帰ってきたのは11時頃だった。 それから風呂に入り、頭を洗った。 なぜ床屋に行ったのに頭を洗うのかというと、ぼくは床屋でつけるヘアトニックやクリームが嫌いなのだ。 いや、床屋でつけるやつが嫌いなのではなく、だいたいそういうものを頭につけるのが嫌なのだ。 では普段はどうしているのかというと、無香料の椿油を少量つけているだけである。 別に、匂いなんてなくてもかまわない。 確かに、以前はそういう匂いというものにこだわった時期もあるが、そのために白髪になったと思うようになってからは、まったくそういうものを受け付けなくなった。
さて、頭を洗ってすぐに上がろうと思っていたのだが、外に出ていたせいで体が冷えている。 そこで、湯船につかって本を読むことにした。 ぼくは風呂にはいる時は、必ず本を一冊用意しているのだ。 今日用意した本は、マンガ『人間交差点』だった。 とりあえず、これを一冊読んでから上がろうと思って、本を読み始めた。 ところが、不覚にも本を読みながら眠ってしまったのだ。 目が覚めて、ぼくは風呂の中から「おーい、今何時か?」と叫んだ。 「もう2時前よ」と嫁ブーが答えた。 ぼくは慌てて風呂から上がり、「おまえ、何で起こさんかったんか」と嫁ブーにあたった。 「えっ、眠っとったと?」 「おう」 「まさか風呂で寝とるとは思わんやん」 「3時間近くも風呂から上がってこんのに、おかしいと思わんか」 「思わんもん」 「ホントにもう、おかげで『ワイド!スクランブル』を見逃したやないか」 「わたし見たよ」 「おうおう、我がだけいい思いして」 嫁ブーとしては、理不尽な言いがかりだっただろう。
ところで、今日は給料日だった。 当初の予定では、午後から銀行回りに行くつもりにしていた。 ところが、昼食をすませてから、またしてもぼくは居眠りを始めた。 「ちょっと横になる」 そう言って、ぼくは寝ころび、そのまま眠ってしまった。 気がつけば、嫁ブーもいびきをかいて眠っていた。 そのまま夜になるまで、二人とも起きなかった。 結局今日やるつもりだったことは、床屋に行く以外は何一つ出来なかったわけだ。
ところで、過去の11月19日は何をやっていたんだろうと、日記を見てみると、一昨年に床屋に行ったことが書いてある。 今日もその日と同じく、「待たされるのは嫌だ」と思って、一番乗りになるように家を出たわけだ。 残念ながら、今日は二番乗りだったが。 3年前は25日の日記に「先日、床屋に行った」とあるし、昨年は21日に行っているから、だいたい同じ頃に行ったことになる。 11月20日前後は、きっとぼくにとって床屋に行く季節なのだろう。
スカパー!で、また『やまとなでしこ』をやっている。 このドラマは、地上波でも何回か再放送されているのだが、その都度ぼくは見ている。 もちろん今回も見ている、というより、保存版にしようと思い録画しているのだ。 これでいつでも好きな時に『やまとなでしこ』を見ることが出来るわけだ。
ドラマの保存版を作るのは、『ダブルキッチン』以来である。 ぼくはあまりドラマを保存する趣味はない。 『ダブルキッチン』の他に、保存しているものといえば、『パパと呼ばないで』と『雑居時代』くらいである。 他に録りたいドラマがないわけではない。 例えば、『寺内貫太郎一家』『傷だらけの天使』『岸辺のアルバム』『グッドバイママ』などは、ぜひ保存しておきたいドラマである。 しかし、なかなかそのチャンスに恵まれない。
ところで、実はここ数日の日記は、その『やまとなでしこ』が終わる12時40分から書き始めている。 ぼくの日記は、朝に更新することが多いのだが、普段は夜中にある程度の下書きだけはしているのだ。 朝は、その文章を手直ししているだけだ。 ところが、『やまとなでしこ』の終了後に書き始めるとなると、どうしても「早く寝よう」にかかってしまい、日記はもちろん、その下書きでさえまともにできない。 翌朝読み直すと、単なる文字の羅列になっていることが多いのだ。 そのため、朝起きて一から書き直すことも多く、そのため出勤時刻に影響が出ている。 つい先日も、なかなか書けないで、出勤時刻が5分ほど遅れてしまった。 そのせいで、いつもならぼくが通り過ぎたあとに始まる道路工事に捕まってしまい、会社に着いた時にはすでに朝礼が始まっていたのだった。 さすがにこの時は、「仕事に影響を与えるくらいなら、日記書くのをやめようか」と思ったほどだった。 とはいえ、今回の『やまとなでしこ』は明日で終わりなので、土曜日以降はまた元のパターンに戻るだろう。
ところで、今度その『やまとなでしこ』の韓国リメイク版をスカパー!でやるらしい。 本家の『やまとなでしこ』は日本ではかなりの視聴率を残したが、ドラマが30年遅れていると言われている韓国は、その内容について行けなかったのか、あまり受けなかったらしい。 さて、今、ぼくはそのドラマを見るかどうかを悩んでいる。 同じリメイク版である『Shall we ダンス?』は見たい気もするのだが、いくらおもしろいドラマとはいえ、韓流を見るとなると、嫁さんを批判している手前ちょっと抵抗を感じてしまう。 さて、どうしたものか。
それから耶馬渓一の景勝地と言われる『一目八景』に向かった。 しかし平日なのにえらく車が多い。 そのナンバーを見て、「ここは本当に大分県か?」と思ってしまった。 ほとんどが他県ナンバーなのだ。 その中でも特に多かったのが、福岡・北九州・筑豊・久留米ナンバー、つまり福岡県勢である。 3台に2台の割で、そのナンバーがあったのではないだろうか。 おそらくその車の持ち主たちは、ここ数日の情報番組を見てきたものと思われる。
さて、駐車場から景勝地『一目八景』まではそう離れていない。 しかし、けっこう時間を要してしまった。 車と人が多かったせいもあるが、一番の原因は、うちの年寄り二人組である。 『一目八景』に行くまでには、多くの店がある。 その一軒一軒を、うちの年寄りは立ち止まって見ているのである。 そしていい物があれば買っている。 普通なら一軒で充分なのだが、二人組は次の店でも同じことをやっていた。 そのため、5分で着くはずが、30分もかかってしまったのだ。 そのせいで『一目八景』に着いた頃には、二人とも疲れ果てていた。 他のお客はそこで写真を撮ったり、そのへんを散策したりしていたのだが、すでにその気力は残ってないように見えた。
ところで肝心の『一目八景』だが、今年はそこまできれいだとは思わなかった。 人の話では、今年の台風が影響して、葉が多く散ってしまったらしい。 何枚か写真も撮ったのだが、なるほどどれも興ざめするものばかりで、気に入った画像はたったの一枚だけだった。
車に戻った時には3時を過ぎていた。 今日はどうしても九重だけには行きたかったので、来た道とは逆方面になる玖珠に向かった。 途中峠を越えたのだが、そこの風景は、耶馬渓一の景勝地よりもずっときれいだった。 しかし、道が狭かったために、そこで車を駐めることは出来なかった。 したがって、今日の収穫は、冒頭のお気に入り一枚だけだった。
九重から湯布院を経由して別府に抜けた。 そこから家に戻ったのだが、途中食事などで休憩したため、帰り着いたのは午後10時を回っていた。 走行距離は400キロ近くなっていた。 いや、疲れた。
家を出たのは11時前で、途中で母と伯母を拾ってから耶馬渓へ向かう。 昨日の日記に三つのルートと書いたが、今日は高速代をケチったため小倉を経由しないルートを通って行った。 まず香田さんで有名になった直方から田川方面に向かい、青春の門で有名な香春岳を横切り、夏目漱石が書いた『三四郎』の出身校がある豊津を通り抜けて10号線に入った。 先に香春岳の写真をアップしたが、運転中は携帯に手を触れることが出来ないため、嫁ブーにシャッターを押させた。へたくそである。
青洞門のある本耶馬渓を過ぎると、右手に大分県立耶馬渓高等学校という看板があった。 耶馬渓だから、別に耶馬渓高校というのがあってもいいのだが、ぼくはちょっと違和感を感じた。 有名な観光地に高等学校という俗な名前が付くからおかしいのか、その高校が「ヤバ高」と呼ばれていると思うからおかしいのかはわからないが、とにかくぼくには妙に感じる。
途中渋滞もなく、1時間ちょっとで目的地である深耶馬渓に着いた。 ところがそこからが大変だった。 駐車場がどこもかしこも満車状態なのだ。 「さて、どこに入ったものか」と探し回ったあげく、メインの駐車場の川向こうにある舗装してない駐車場を見つけた。 さっそくそこに入ろうとしたのだが、駐車場内は人人人である。 特に今日は年寄りが多い。 彼らは車をよけることもせずに、ノロノロと歩いている。 そのため、なかなか目的の場所に着かない。 その間に逆方向からきた車が、その駐車場に1台入り2台入りしている。 ようやくその駐車場に着いた時は、2,3台が駐められるほどのスペースしか空いてなかった。
しかたなくそこに車を駐めたのだが、降りようとした時に固まってしまった。 何と地面がぬかるんでいるではないか。 ぼくたち夫婦はかまわないのだが、車には母と伯母という年寄りが二人乗っている。 足を取られて、転倒でもしたら一大事である。 そのため、ぬかるんでないところに駐めなおそうかと思った。 が、すでに空きスペースはなくなっていた。
何とか車の中から脱出したぼくたちが、最初に向かったのはトイレだった。 ここがまた渋滞している。 男子の方はそれほどでもなかったのだが、女子の方はひどかった。 中に入りきれないおばちゃんたちが、10メートルほどの列を作っていた。 他にトイレもないので、うちのおばちゃんたちはしかたなくその後ろに並んだ。 全員が揃ったのは、それから20分後だった。
12日の日記にも書いたが、明日は耶馬渓に紅葉を見に行くことになっている。 その日の日記に『問題は、果たしてそれまで紅葉が持つかどうかだ』と危惧していたのだが、昨日一昨日のテレビで「耶馬渓は今紅葉のピークです」と言っていた。 明日は天気も良さそうだし、絶好の紅葉日和になりそうだ。
しかし大分に行くのも久しぶりである。 前回行ったのが昨年の8月だったから、1年3ヶ月ぶりということになる。 以前は毎月のように大分に足を運んでいたものだ。 一番多く行ったのが九重で、たまに湯布院や竹田などにも足を伸ばしていた。
うちから大分に行くには、だいたい三つのルートを通ることになる。 一つは熊本から入るルートで、熊本までは高速を利用する。 阿蘇によく行っていたので、帰りに大分県を抜けるのである。 まあ、素通りルートといったところか。 もう一つは、飯塚経由で日田に抜けるのだが、この道は湯布院や黒川温泉に直接行く時によく利用したものだ。 途中有料道路などなく、一番経済的なルートだった。
さて、もう一つが問題の東九州ルートである。 都市高速で小倉南まで行き、そこから10号線に出て、中津に入るルートで、別府や耶馬渓に行く時に利用していた。 このルートが距離的に言えば一番近い。 が、感覚的に言えば、熊本に出るよりもずいぶん遠く感じる。 おそらく小倉から行橋までの渋滞と、それから先の風景がずっと同じようなものであるからだろう。 このルートには、有料道路が一ヶ所ある。 その同じような風景の途中にあるのだが、これが将来東九州道の一部となるらしい。 が、それがいつ出来るのかはわからない。
その東九州道だが、かなり以前からその計画がったように記憶している。 しかし、いまだ手つかずの状態のようだ。 これが出来ると、大分はもちろん、宮崎も近くなる。
以前、10号線を通って宮崎に行こうとしたことがある。 ところが、何時間走っても大分を抜けないのだ。 「えらく大分は長いなあ」と思っていると、急に道が狭くなった。 そこでようやく道を間違えていたのに気がづいた。 後戻りして、再び10号線に乗ったのだが、相変わらず大分が長く感じる。 ようやく宮崎県に入ったのだが宮崎市は遙か向こうである。 結局、延岡まで行ったところで、宮崎行きは断念し、高千穂経由で帰ったのだった。
地図で見てもわかるように、北九州からだと宮崎はただ南下すればいいだけなのである。 が、実際には、かなり時間がかかるのだ。 そのため、九州道を利用することになるのだが、わざわざ熊本経由で行くのは不自然である。 それゆえに早く完成させてもらいたいものだ。
ということで、明日は東九州ルートを通って耶馬渓に行く。 したがって明日の日記は、久しぶりのドライブ日記になるだろう。
今月1日に、道路交通法は一部改正され、運転中に携帯電話を手に持ってかけることが禁止になった。 それに伴って、ハンズフリーのイヤホンマイクが飛ぶように売れている。 うちの店でも、入荷したと思ったら、すぐに売り切れる状態が続いている。
さて、そんな状況の中で、なぜか売れ残っている機種がある。 それは、携帯のスピーカー部分にマイクをつけ、それを電波で飛ばす機種である。 その機種は、ご丁寧に車載用のホルダーまでついている。 まあ、価格は2000円前後と、他のハンズフリー商品に比べると若干高いのだが、どんな携帯電話にも適合するし、コードレスであるため邪魔なコードもついてない。 しかも雑音はきわめて少なく、まさに至れり尽くせりの商品なのである。 だけど売れないのだ。
その商品は、今月の頭に市内の卸屋さんから仕入れたものだ。 先月そこからイヤホンマイクを仕入れていたのだが、それがすぐに売り切れたためにすぐに注文をかけた。 すると、本社から「この間のイヤホンマイク注文したやろ?」と連絡が入った。 「卸屋が切らしとるらしくて、当分入ってこんらしいんよ」 「そうなんですか」 「それでね、そこがその代替えを入れたらしいんよ。それが優れものらしく、先方が『ぜひそちらを』をと言うんで、それをとることにしたけ」 「優れものならいいですよ」 ということで、その商品が入ることになった。
さっそく卸屋さんはその機種を持ってきて、「これなんですけど」と言う。 そこでじっくり見ておくんだった。 たまたまその時、お客さんに捕まって、検品しただけで終わっていたのだ。
その商品をじっくり見たのは、卸屋さんが帰ったあとだった。 ぼくは、その商品の能書きを見るなり、「これは売れん」と思った。 なぜそう思ったかというと、それは電波にあった。 そこには、「カーラジオをFMにして、周波数を○○KHzに合わせて下さい」と書いていた。 ということは、電話中に隣を走っている車が、周波数をそこに合わせていたら、電話を聞けるではないか。 そう、その商品は逆盗聴機なのだ。 そういう商品を、誰が買うだろうか。 案の定、本社の建前上その商品の展示はしたものの、先に書いたとおり売れないのだ。
数日前のことだった。 大阪の問屋さんが尋ねてきた。 「しんたさん、実はいい商品があるんですよ。本社にカタログを持って行って見てもらったんですが、しんたさんの了解を得てくれと言うことだったんで、こちらに来たしだいです」とのことだった。 問屋氏は自信ありげにカタログを取り出し、「これです」と言ってぼくにそのカタログを見せた。 それを見て、ぼくは唖然とした。 何と、先の逆盗聴器と同じものではないか。 すぐさまぼくは、「いらん」と言って断った。 「どうしてですのん。いい商品なのに。バイヤーさんも『いいね』と言ってはりましたわ。それにもう、イヤホンマイクはないでしょ。」 「バイヤーが何と言おうとも、いらんもんはいらん。そこ見てん」 そう言って、ぼくは逆盗聴器を展示している場所を指さした 問屋氏はぼくの指さしたほうを見た。 「えっ、もうありますやん」 「うん。でも、それ売れんよ」 「どうして?音もいいし、コードが邪魔にならんのに」 そこで、ぼくはその商品の説明をした。 問屋氏は、「なるほど。言われてみればそうですなあ…。わかりました。この商品は諦めますわ」と言った。
続けて問屋氏は言った。 「ところで、個人的なことで何ですが、ここイヤホンマイクありませんか?」 「え?」 「一つほしいんですよ。持ってないもんで」 「それこそ、優れもんの逆盗聴器使えばいいやん」 「いや、それは勘弁して下さい」 問屋氏は、うちに一つ残っていた、優れもんじゃないイヤホンマイクを買っていったのだった。
2004年11月13日(土) |
万引きじいさんを捕まえる |
今日は特にこれと言った事件もなかった。 いたって平和な…、ああ、そうじゃなかった。 そういえば、今日は万引きじいさんを捕まえたのだった。
午前中のことだった。 売場で作業をしていると、突然「ボーボー」というが鳴った。 何事だろうと行ってみると、そこに一人のじいさんが立っていた。 そのじいさんの立っている付近から、盗難防止器の音が鳴っていたのだ。
じいさんはカゴにいくつかの商品を入れていた。 ぼくは、その中のどれかが誤って鳴ったのだろうと思い、一つ一つ手に取って調べてみた。 だが、それらの商品には盗難防止器はついてなかった。
「ではどこからその音が鳴っているのか?」と、周りに展示してある商品を調べていった。 じいさんはしばらくそこに立ち止まっていたが、ぼくが音のありかを探しているのを見て歩き出した。 すると、音はじいさんとともに移動していった。 やはり、音の出どこはじいさんからだったのだ。
そこでぼくは、「お客さん、ちょっと待って下さい」と声をかけた。 じいさんは、聞こえないのか無視して歩いていく。 「お客さん」と、ぼくはじいさんの行く手を塞いだ。 と、じいさんはおもむろに、シャツのボタンをはずした。 「何をやっているんだろう」と思っていると、そこからある物を取り出した。 そして、「これかね?」と言う。 音が鳴っているのはそれだった。 見るとペンチである。 もちろんうちの商品だ。 そこでぼくは、「『これかね』じゃないでしょ。そんなところに入れたらだめでしょうが。ちょっと来て下さい」と言って、じいさんの腕をつかみ、事務所裏の商談室まで連れて行った。 じいさんは、はじめは足取りも軽かったものの、事務所に近づくにつれ足取りは重くなっていった。
事務所には誰もいなかった。 ぼくは商談室の鍵をかけ、じいさんをそこに座らせ、「ちょっと待っとって下さい」と言った。 ほどなく店長がやってきた。 「どうしたと?」 「万引きです」 「どこに入れとった?」 「シャツの中です」
それを聞いて、店長はじいさんに向かって言った。 「盗ろうと思ってたんでしょ?」 じいさんは、無視していた。 次に店長は、顔を怒らせて「盗ったんでしょ?」と言った。 それを見たじいさんは、「わたしゃ、耳が遠いもんですから」ととぼけた。 年寄りの万引き犯は、必ずこう言うのだ。 もしくはボケたふりである。
店長も当然そのことを知っている。 そこで、店長は「警察呼ぼうかね」と言った。 じいさん、これだけは聞こえたようで、「買おうと思っていました」と言った。 「あんた、買おうと思った商品はシャツの中に入れるようにしとるんね」 こう突っ込まれると、じいさんは何も言えなくなり、素直に「盗ろうと思いました」と言った。
本人が万引きを認めたのを聞いて、ぼくはそこで商談室を出た。 そのため、その後どういう展開になったのかは知らない。 おそらく説教して買わせたか、警察を呼んだかしたのだろう。 日常茶飯事のことなので、そのへんを店長に確認することはしなかった。 しかし、じいさん、いい歳して何やってるんだろう。 孫もいることだろうに。
先週あたりから、紅葉真っ盛りのニュースが流れている。 もうそんな季節である。 ちょっと前まで半袖の服を着ていたのが嘘のようだ。 そういえば、今年は寒暖の差が極端で、昼間は半袖で充分なのに、夜には厚着を着込まなくてはやれない日もあった。 まるで砂漠地帯の温度差である。
さて、その紅葉だが、ぼくは数年前から毎年のように行っている。 行くところは耶馬渓や九重の九酔峡など大分県が多い。 昨年だけは県内の秋月に行ったのだが、人の多さだけが目立って、肝心の紅葉は見ることが出来なかった。 そういうわけなので、今年は元に戻して大分県に行こうと思っている。
ところがである。 今年は、なかなか行く機会に恵まれないのだ。 先週は嫁ブーと休みが合ったのは一日だけだった。 が、その日は福岡ドームに行ったために行けなかった。 また、今週は嫁ブーと休みが合う日がない。 別に、嫁ブー無視して一人で行ってもいいのだが、そうすればいろいろと支障がおきるのだ。
いくら隣の県だといえ、ぼくの家からだと大分はけっこう遠い。 もちろんそこまで車で行くことになるから、一人だと長い時間しゃべる相手がいないということになる。 それはちょっときつい。 ぼくは慢性的な寝不足状態だから、ついウトウトということにもなりかねない。 また、途中でガソリンが切れたり、腹が減ったりすることもあるだろう。 ぼくは慢性的な金欠病でもあるから、そういう時にお金がなくて困るかもしれない。 とにかく、長・中距離を走る時は、一人だといろいろと不便だと言うことである。
「ではいつ行こうか」とカレンダーを見てみると、嫁ブーと休みが合うのは、次の火曜日しかない。 それ以降は、またいろいろと計画が入っている。 次の火曜日は16日だが、問題は、果たしてそれまで紅葉が持つかどうかだ。 それが心配である。 もしそうなった時に落胆しないためにも、近くで紅葉を見つけたら、なるべくカメラに納めておくことにしよう。 家の前の公園の木々も、そろそろいい色に染まってきているし、会社横の土手にあるハゼの木もところどころ赤くなってきている。 そんな身近なところでも、ピーク時にはけっこうきれいになるものである。 昨年はそういう近場の木々が目を楽しませてくれて、秋月の失敗を打ち消してくれたのだ。 ただ惜しむらくは、そういう風景をカメラに納めていなかった。 それがいまだに悔やまれてならない。 今年は、そうならないためにも、早くからメモリーカードを買って準備をしている。
2004年11月11日(木) |
中国は相変わらず孫呉の国である |
孫子の『用間篇』に、 「間を用いる方法は五通りある。 因間、内間、反間、死間、生間である。 その五通りを巧みに併用して、それをさとらせない。 まさに神業であり、これをうまく用いる人は国の宝である。 因間とは、敵国の民衆を利用すること。 内間とは、敵国の政治家や役人を利用すること。 反間とは、敵の間者を利用すること。 死間とは、偽の情報を間者を使って敵国に流すこと。 生間とは、間者を敵国に潜伏させ、敵国の情報を報告させること」 というくだりがある。
ここでいう「間」とはスパイのことであるが、これを見ると、中国という国は昔も今も変ってないことがよくわかる。 敵国である日本に「我々は過去に日本から、こういう酷いことをされた」と、あることないこと訴える。 その上で「日中友好」を口にする。 すると、それに呼応する馬鹿な日本人がでてくる。 彼らは「日本という国は、実にけしからん国だ。中国がかわいそうじゃないか」といって、非日本人的な言動に走る。 「憲法改正反対!」「自衛隊反対!」「靖国参拝反対!」「日中・日韓共通の歴史認識を持とう!」等々。 それをイラクにまで持ち込んでやっている馬鹿もいるありさまだ。
彼らは一般に左翼と呼ばれるが、実はそんなご大層な人たちではない。 思慮のないスパイにすぎないのだ。 まさに中国の用いる因間である。 もし「何が因間だ。それはおまえの考えすぎだ。中国はいい国だ」という人がいるとしたら、その人はすでに中国の間者として利用されているのである。 こういった中国の工作が功を奏したせいか、中国の軍艦が尖閣諸島に出没しても、韓国が竹島に要塞を築いても、北朝鮮がこちらに向けてミサイル実験をやっても、手を出せない国になってしまった。
今回の潜水艦騒ぎだってそうだ。 相手が領海を侵犯して3時間たってからようやく海自の出動である。 スウェーデンはソ連の潜水艦を発見した時、すぐさま攻撃を仕掛けたというが、それが普通の国の普通の自衛行為なのだ。 しかも、中国の潜水艦とわかっていながら、政府は中国にすぐさま抗議できないときている。 そういう普通の国の対応すら出来ない国に、日本は成り果ててしまっているのだ。 中国の罠にはまっている証拠である。 今回のことで、中国政府は充分に効果測定が出来たことだろう。
しかし、中国は孫子の応用をやっているわけだから、政府はそれを逆手にとっていけばいいと思う。 我が国は中国に対して、戦前戦後問わず、いつも直球勝負ばかりやっているような気がする。 だから、かわされるのだ。 こちらも孫子を研究することで、変化球も投げられるようになるのではないか。 またそれは、日本人間者たちへの覚醒にもつながるのではないだろうか。 そうすることで、自ずと中国の日本への対応も変ってくるだろうし、そこから本当の日中友好が始まるかもしれない。 ま、日中友好とは言っても、あまり日本にはプラスにならないような気もするが。
どうやらダイエーのホークス売却先は、ソフトバンクに落ち着きそうである。 ソフトバンクは、裏ではいろいろ言われているようだが、まあかつて太平洋クラブやクラウンライターといった、直接的にはもちろん、間接的にも野球とはまったく関係ない企業に売却するよりはいいだろう。 これからは、タニマチ的な企業よりも、より多く情報発信が出来る企業のほうが強いのだ。
前にも言ったが、ぼくと孫さんは同い年で、同じ区民だった時期もある。 その頃の孫さんは、ぼくのように西鉄ライオンズファンでなかったかもしれないが、やはり太平洋クラブやクラウンライターへの身売りは何かピンとこないものがあっただろう。 さらに所沢に持って行かれた時は、憤りを感じていたかもしれない。 だからこそ、表向きにせよ「福岡で」というのを強調したのだと思うのだが。
さて、そうなればそうなったとして、問題は球団名である。 一部の新聞には、『九州ホークス』や『九州SBホークス』が有力だと書いてあったが、本当にそうなのだろうか。 もしそうなるのなら、SBを除いたほうにしてもらいたい。 元々ソフトバンク自体は有名な企業だし、今回のホークス買収は万人が知るところである。 余談だが、野球にあまり関心のない、ぼくの母でさえ知っているのだ。 ま、そういうことなので、わざわざSBを入れなくてもいいのではないだろうか。 すでに『九州ホークス』=『ソフトバンク』なのだから。
あと一つ選択肢を加えるとしたら、『福岡ホークス』ということになるだろうが、これだとハ行が二つ重なって言いづらく、何かフワフワした感じがする。 今までは「ダイエー」が入っていたので、あまりそういうことを感じなかったのだろう。 ということで、この件に関しては、『九州ホークス』でいいと、ぼくは思う。
なぜ『九州ホークス』がいいのかという理由の一つに、応援歌の問題がある。 現応援歌である『いざゆけ若鷹軍団』は、もはや県民歌と言っていいほど、多くの人たちに浸透している。 これを歌いたいがために球場に足を運ぶ人もいるくらいだから、もし応援歌を変えたりすれば、反感を買うかもしれない。 もちろん変えないので今まで通り行くのが、一番いいのかもしれないが、最後に「我らの我らの『ダイエー』ホークス」という歌詞が入っているので、それはソフトバンクにとっては出来ない話かもしれない。 とはいえ、長年親しんだ応援歌である。 何とか残してもらいたいものだ。 一部に、「その部分だけ変えればいいじゃないか」という意見もある。 もしそうなったとして、ここでまた球団名問題が浮上する。 仮に『福岡ホークス』になった場合、何かこじつけのような気がするは否めない。 しかも、先にも言ったハ行効果で力が入らない。 これが『九州ホークス』だと、『ダイエー』ほど力は入らないものの、言葉の流れとしてはいい。 そういう意味でも、『九州ホークス』がいいと思うわけだが、さて、どういう名前になるんだろうか?
【ライターの話】 そういえば、タバコを吸い始めてから、今日で何度火をつけたことになるのだろう。 確か、吸い始めた頃はマッチで火をつけていた覚えがある。 ほどなくチルチルミチルの100円ライターを使いだし、社会に出てからは気取ってZippoやrenomaやマルマンなどといった、いわゆるブランド物を使うようになった。 しかし、それらはガス入れなどという面倒な作業が待っていた。 そういう面倒なことが苦手なぼくは、その後再び安物路線に戻っていった。 ということで、現在は4本入り98円を使っている。 火をつけるだけなら、これで充分である。
【不良ライター】 ただ、そういう安いライターの中には、時に不良品も含まれている。 まあ、不良品と言っても、点火と同時に爆発するといった致命的な欠陥品ではなく、ただ単に火の調整が効かないくらいのものだが。
その不良品を初めて使った時のこと。 タバコをくわえ、火を点けた。 「ん?」 点いてない。 そこで、着火レバー(というのだろうか?)を何度か回してみた。 が、点かない。 「おかしいなあ」と思いながらライターをよく見てみると、火力調節レバーが(−)になっている。 「これでは点かんだろう」と思い、レバーを中程度に上げてみた。 ところがまだ点かない。 最後に(+)までレバーを持って行き、それで点けてみた。 すると、『ゴォーッ』と言って火が噴き出してきた。 火はタバコを通り越し、ぼくの目の前を通り過ぎていった。 「おーっ」、思わずぼくはライターから手を離した。 おかげでタバコは半分以上焦げている。 しかも変な臭いがしている。 何か魚を焼いているような臭いだ。 「もしかしたら…」とぼくは思い、恐る恐る前髪を触ってみた。 やはりそうであった。 手についていたのは、髪の毛の焦げカスだった。
大事に至らなかったことと、「どうせ安物だから」という諦めから、店や製造元に文句を言うようなことはしなかった。 これがブランド物だったら、こうはいかなかっただろう。
【追記】 ところで、昨年の7月の日記に、「タバコをショートホープライトに変えた」ということを書いているが、その後の経緯を書くのを忘れていた。 実は、ショートホープライトはあまり長続きしなかったのだ。 その理由は、味がどうとかいう問題ではなく、毎日二つ持ち歩くのが面倒だったのだ。 さらに、短いためにすぐ吸い終わってしまう。 そのため、だんだん馬鹿らしくなって、元のマイルドセブン・スーパーライトに戻したのだった。 ということで、今もそれを吸っている。
【誕生日とタバコ】 今日はぼくの47回目の誕生日だった。 30代後半から、誕生日があまり意味のないものに思われるようになり、だんだん関心を抱かなくなっていった。 そのせいだろうか、かつて誕生日にあった、特別な思いや、胸のワクワクするような期待や、過去に心を遊ばせることや、それに伴う感傷といったものが、何一つなくなってしまった。 今回の誕生日も、昨日嫁ブーに「明日誕生日やね」と言われるまで忘れていた次第である。 さて、その誕生日の朝、ぼくはいつものようにタバコに火を点けた。 これが47歳最初のタバコということになった。
【この先1年を暗示するのか】 その時のこと。 ある疑問が氷解したのだ。 実は、朝起きてからずっと頭の中で一つのメロディが繰り返し流れていたのだが、その曲名が思い出せないでいた。 そのことが、タバコに火を点けたとたんにわかったのだ。 なぜわかったのかというと、タバコに火を点けた時に、その歌の歌詞を思い出したからだ。 その歌詞とは、 『これからどうしようと タバコに火をつける 明日があるからと 今日は黙り込む』 その歌は、吉田拓郎の初期の歌である『暮らし』だった。
それにしても、誕生日の朝に、どうしてこんな意味深な歌がぼくの中に流れていたのだろうか。 まさかこの歌が、これからの1年間を暗示しているとでもいうのか。 そうだとしたら、困るなあ。 そんな緊張感のない生活を1年間送るかと思うと、やりきれなくなってくる。
【高校時代のプレゼント】 その『暮らし』が流行っていた高校2年生の時のことだった。 誕生日に同級生からプレゼントをもらった。 「しんた、今日誕生日やろ」 「うん」 「これ、プレゼント」 「おお、ありがと」 手渡された物は、新聞チラシに包まれた小さな箱だった。 それを開いて、ぼくは思わず声を上げた。 「おお、これは!!」 それは何と、当時のベストセラー、セブンスターだった。 当時、セブンスターが売れすぎて、どこのタバコ屋でも品切れ状態だったのだ。 それをその同級生は、どこからか調達してきてくれたのだ。 感謝感謝だった。 それを吸ったぼくは、「おそらく、このタバコを一生吸い続けていくだろう」と思ったほど、おいしく感じたのだった。
ところが、マイルドセブンが発売されると、味に不満を感じながらもそちらの方に変更した。 その後ライトが発売されるとそちらの方に、さらにスーパーライトが発売されるとそちらの方にと、軽いタバコに移っていったのだ。 ということで、いつの間にかセブンスターは遠い過去のものとなった。 おそらく、今セブンスターをもらっても、嬉しくはないだろう。 強すぎて吸えないのだ。
2004年11月07日(日) |
拓郎のコンサートでの話(2) |
いよいよ当日。 福岡で例の拓郎ファンである取引先のT君と落ち合った。 「今日は特別席を用意してくれとるらしいよ」 「そうなんですか」 「特別席と言うくらいやけ、かなりいい席なんやろね」 「ぼく知ってますよ。接待で行ったことあるんですけど、VIPルームでしたよ」 こういう話をしながら、ぼくたちは会場に向かった。
会場に着いたぼくたちは、開場待ちしている観客の横を通り抜け、係員のいる入口に行った。 「あのう、S社のKさんを呼んでほしいんですが」 「S社のKさんですか?」 「はい」 「お待ち下さい」 係員は首をかしげながら、奥に入っていった。
5分ほどして係員は戻ってきた。 「S社の方は誰も来られていないようですが」 「えっ?」 「お約束をされていたんですか?」 「はい。6時にここで待っていてくれということだったんですが…」 「そうですか…。じゃあもう一度聞いてみます」 係員は、近くにいたフォーライフの関係者らしい人に耳打ちをした。
今度はその人がやってきた。 「今日S社のKさんと待ち合わせしていたんですか?」 「ええ」 「Kさんが今日来るとは聞いていませんが、どういう内容だったんですか?」 ぼくはKさんが拓郎のコンサートに招待してくれた旨を、その関係者氏に言った。 「…ということで、ここで6時に待ち合わせていたんですが…」 「そうだったんですか。それは困りましたねえ。ちょっとお待ち下さい。S社に連絡とってみますから」 「すいませんねえ」
10分ほど待たされただろうか。 ようやく、その関係者氏が戻ってきた。 「わかりました。S社に電話している時に、Kさんから連絡が入りました」 「そうですか。それはよかった」 「じゃあ、こちらからお入り下さい」 そう言って関係者氏は、入口の横にある関係者専用の入口からぼくたちを入れてくれた。 開場からすでに30分ほど経過していた。
さて、いよいよ特別席である。 「どうぞこちらへ」と言って、関係者氏は扉を開いた。 「!」 ただの1階席である。 「ここでご覧になって下さい」 「えっ…」 「いや、突然のことだったので、お席が準備できなかったもんで…。あいにく今日は満員ですし…。すいません」 「いや、いいですよ。気にしないで下さい」 「では、こちらでごゆっくりお楽しみ下さい」 そう言って、関係者氏は戻っていった。 ぼくがT君に「話が違うやん。ごめんね」と謝ると、T君は「しかたないですよ。ただなんですから、贅沢は言えません」と言った。 しかし、幾分か落胆した顔をしていた。 そういうわけで、ぼくたちはコンサートの間、ずっとそこにいなければならなかった。 そこは1階の最後列、つまり立ち見席だったのだ。 こういう応対だったので、当然コンサート後の拓郎のレセプションにも参加することはできなかった。
翌日、さっそくKさんに電話した。 「昨日は、ありがとうございました」 Kさんは平謝りに謝った。 「どうもすいません。昨日だということをすっかり忘れてまして…。本当に悪いことをしました」 「もういいですよ。おかげで楽しませてもらいましたから」 「実はですね、ぼくはあの時、そこにいたんですよ」 「そこ?」 「ええ、しんたさんの店」 「えっ?」 「で、そちらの女の子から、『今日、拓郎のコンサートじゃなかったんですか?しんちゃん張り切ってましたよ』と言われて思い出したんですよ。それでさっそく会場に電話したんです」 とのことだった。
もし、当日、Kさんがうちの店に来てなかったとしたら…。 もし、その時、うちの女の子が拓郎のコンサートのことをKさんに言ってなかったら…。 フォーライフの関係者氏と、コンタクトをとることはなかっただろう。 もしそうなっていたら、全くの行き損になっていたことだろう。 そして、取引先のT君に対しても、面目丸つぶれになっていただろう。 口では「もういいですよ」とは言ったものの、心の中では『まったく、何やってるんだ。しっかりしてくださいよ』と思っていた。 そういうわけで、それ以降、いかなるコンサートにも、必ずお金を払って行くようにしている。
2004年11月06日(土) |
拓郎のコンサートでの話(1) |
十数年前、その頃ぼくは、よく拓郎のコンサートに行っていた。 あるコンサートでのこと、あまりの音の大きさに、耳の中が真っ白になってしまったことがある。 耳の中が真っ白と言っても、別に耳に白カビが生えたわけではない。 耳の中で「シー」という音が鳴っていたのだ。 そのことをぼくは「耳の中が真っ白」と言っていたのだが、それをあまりに頻発するので、仲間から「耳の中が真っ白は、もういい」と言われた。
実はそのコンサート、ぼくはただで入ったのだ。 当時ぼくは、会社でCD部門の担当をしていたため、フォーライフレコードを扱っている取引先が、ぼくが拓郎ファンだということを知って招待したのだった。 担当はKさんという人だった。 せっかちなKさんは、その招待話をぼくにしてから、すぐに具体的な打ち合わせをはじめた。 「えーと、開場は何時だったかなあ。ああ、6時だ6時。その時間に入口付近にフォーライフ関係の人がいるはずですから、その人に言ってぼくを呼んで下さい。すぐにそちらに行きますから。6時ですからね。」 「わかりました。6時に入口ですね。それとお願いなんですが、招待は一人しかだめなんかねえ。もう一人熱烈なファンがおるんやけど…」 「かまいませんよ。特別席だから少しは空きがあると思いますから」 そこで、ぼくは同じく拓郎ファンである取引先の人間を連れて行くことにした。
拓郎のコンサートに行ける、それもただで。 それだけでぼくは充分だったのだが、Kさんはさらに、 「ああ、その日はしんたさんにビッグなプレゼントがあるんですよ」 「プレゼント? 「ええ、実はここだけの話なんですけど、コンサートの終了後に、拓郎さんのレセプションがあるんですよ。そちらのほうにもしんたさんを招待することになっています。ふだんはレコード業界とかマスコミ関係の人しか入れないことになってますから、これはビッグですよ」 「ええっ!?そうなんですか」 「はい、もう拓郎さんにも、しんたさんのことは伝えていますから」 当時ぼくは30代前半、拓郎のファンになってから15年以上の時が過ぎていたが、本人をコンサート以外で見たことはない。 そういうことだから、もちろん話もしたこともない。 ぼくは「こんな感動的なことはない」と、コンサートの日を指折り数えて待ったものだった。
2004年11月05日(金) |
イーグルス福岡公演当日 |
現在午後11時40分である。 ようやく福岡から帰ってきた。 コンサートは予定通り10時頃に終わったのだが、そのまま帰っても渋滞にあうのは必至と思い、ドームで食事をとることにした。 そこで40分ほど過ごし、それから駐車場に行った。
当初、近くにある放送局に車を駐める予定だった。 ところが、百道浜のインターを降りたところで急きょ気が変った。 別に何の意図もない。 ただ、放送局に行くには右折車線に入らなければならないのだが、それが面倒になって、左折車線のまま進んでいき、そのままドームに向かったのだ。 ところが、手前の福岡3点セットの一つであるシーホークホテルに、ドーム駐車場満車のマークが出ている。 『やっぱり右折したほうがよかったか』と思ったが、あとの祭りだった。 仕方なくドーム駐車場の入口まで行ってみると、そこに係員が立っていた。 そこでぼくは「もうだめですか?」と聞いてみた。 すると係員は「いや、いいですよ」と言う。 そういうことで、ドームの駐車場に駐めたのだった。
コンサートが終わってから40分たっているので、すでに駐車場はガラガラだった。 おかげで、すんなりとドームの外に出ることが出来た。 百道インターまでちょっとした渋滞はあったものの、致命傷にはならなかった。 何とか1時間以内、日付の変る前に帰ってこれたのだった。
さて、コンサートの方だが、かなりの曲数をこなしていた。 それなりによかったのだが、何と言ってもアンコール3曲が感動ものだった。 メンバーがステージを降りたあと、しばらくしてトランペットの独奏が始まった。 トランペットが終わる頃、12弦ギターの登場である。 ここでどっと沸いた。 そして、有名なあのイントロが始まった。 『ホテル・カリフォルニア』である。
曲が終わると、再びメンバーはステージを降りる。 再びアンコールの催促だ。 嫁ブーは気が短いせいか、「こんなことせんでも、出てくるのにねえ」と怒っていた。 そのくせ、拍手には参加していた。 相変わらずである。
アンコール2曲目が始まった。 『テイク・イット・イージー』だ。 そして最後、イントロが始まると総立ちのアリーナ会場が最高の盛り上がりを見せた。 『ならず者(Desperado)』である。 この歌を聴きながら、ぼくは、蓮池薫さんが北朝鮮に拉致されていた時、一人でこっそりとこの歌を聴いていたという話を思い出し、ちょっと涙ぐんでしまった。
3時間近くの熱演、最高のステージだった。 観客はみな満足した表情で、アリーナをあとにした。
ところで、やんぽう通信にも書いたが、さすがに70年代を代表するバンドである。 客層の多くは年配者だった。 そのせいか、最初から総立ちにはならなかった。 みな比較的静かに聴いていたのだ。 ところが、2部に入ってから、ぼちぼち立ち上がる人が出てきた。 彼らは派手に手を叩いたり踊ったりしていた。 会場は薄暗く最初はよくわからなかったのだが、ライトがこちらを照らすたびに、その立ち上がっている人のいくつかの頭が反応している。 そう、それは、ハゲ頭の親父がロックで踊っている姿だった。 それを見てぼくは、時の流れと、何とも説明のつかない悲哀さを感じたものだった。
またしても不可解な事件がホークスに起こった。 井口事件である。 昨日、井口はメジャーへの挑戦を発表した。 しかも、ポスティングシステム(入札制度)ではなく、自由契約選手となった上での退団である。 主力選手を自由契約にするという、前代未聞の事件が起きたのだ。
ご存知の方も多いだろうが、昨年の小久保事件のあとに、前球団社長で現強制セクハラ事件容疑者である高塚猛と井口との間で交わされた密約(覚書き)に『オーナーかオーナー代行のどちらかが辞めた時には、あんたはメジャー行きでも何でも好きにしていい。球団には文句を言わせない』という内容の条文があった。 9月にそのオーナー代行である高塚が辞任したため、上の覚書きが生きてきたのだ。 元々メジャー行きを希望していた井口は、これをチャンスと手を挙げた。 その結果、今回の自由契約になった上でのメジャー挑戦となったわけである。
今回のことで一番損害を被ったのは、球団とファンだ。 自由契約であるが故に、球団は金銭的にも人的にも何一つ見返りがないのだ。 昨年の、小久保の無償トレードと同じパターンである。 一方のファンも、昨年同様、球団に裏切られるような格好となった。 しかも、井口は今回のプレーオフでもそうだったように、ここ一番に強い選手である。 ファンが持っている数多くの『あの場面』の記憶の中には、井口の姿がいくつもあるのではないだろうか。 「いよいよ9回裏の大詰め。1点ビハインドのホークス、2アウトながらもランナーは2,3塁。一打サヨナラのチャンスです。ここで迎えるバッターはチャンスに強い井口。さあピッチャー、第一球を投げた。…。打ったー、行ったー。ライトスタンド一直線。井口逆転サヨナラホームラン!!」 こういう胸のすくような放送が聴けなくなるわけだ。 こんなにつらいことはない。
昨年の小久保事件のあと、高塚についてはいろいろと悪い噂が流れていた。 球場内でのマナーの悪さ、主力選手や球団職員との確執、もちろんセクハラの噂も流れていた。 そのへんを、各スポーツ紙はこぞって取り上げ、中でもスポニチはかなり強い口調でたたいていた。 ファンの間でも、「高塚を辞めさせろ」コールが起こり、球団に抗議の電話をかけたり、署名運動を行ったりしていた。
おそらく、今回の井口問題は、そういったことを逆恨みした高塚が、「おれに逆らうと、こういうことになるぞ」ということで仕掛けた罠だったのだろう。 その結果、球団やファンは大きな損害を被った。 しかし、『人を呪わば穴二つ』で、高塚自身への見返りは、さらに大きなものとなったのだ。
さて、ここ数日の新聞やニュースは、高塚一人が悪党としてやり玉に上がっている。 『川に落ちた犬は叩け』ということで、これも仕方がないのかもしれないが、何かしっくり来ない。 この覚書きを見た限りでは、もう一人悪党がいるではないか。 「オーナーかオーナー代行」と覚書きでも謳っているくらいだから、オーナーである中内氏も同じ穴の狢である。 彼は青山学院大出身で、小久保や井口にとっては先輩にあたる。 彼らをホークスに引っ張ってきたのは、彼の働きもあったと聞いている。 「おれが引っ張ってきたんだから、おれを辞めさせたら彼らも道連れにするぞ」ということではなかったのだろうか。 オーナーとはいえ、やはり球団よりも我が身がかわいいのだろう。 しかし、小久保・井口両選手がいなくなった今、オーナーのクビも切りやすくなったのではないだろうか。 選手を引き留めることをせず、逆に放出に協力しているようなボンボンオーナーの顔なんて、もう見たくない。 「永久オーナー」は永久に退いてほしい。
2004年11月03日(水) |
イーグルス福岡公演の日 |
明日は飲み会で、明後日はイーグルスのコンサートである。 そういうわけで、明日から二日間は帰りが遅くなる。 当然日記の更新も遅くなるわけで、今からどうしたものかと心を悩ませている。
まあ、救いは明後日が休みだということだが、この日は午前から忙しい。 まず、朝一番に床屋に行きたいと思っている。 前回行ったのが9月10日だったから、もう1ヶ月半以上がたつ。 そのため、かなり髪の量が増えていて、洗髪の際、なかなか水が地肌に浸みてくれないのだ。 おかげで、表向きだけ髪を洗っているような状態で、すぐに頭が痒くなってしまう。 ぼくはいつも石けんで頭を洗っているので、ただでさえバクテリアが発生しやすいのだ。 バクテリアが発生するということは、頭が痒くなるということだが、水を充分に浸み渡らせると、その発生を遅れさせることが出来るのだ。 だが、この髪の量だから水は充分に浸みずに、地肌にムラができているのだと思う。 なぜかと言えば、洗ってもすぐに痒くなるのだからだ。 それを打開するためにも、明後日には床屋に行っておきたいのだ。
それが終わってからは、今季初の灯油の買い出しに行くことになっている。 ガソリン高騰に伴い、灯油のほうも高くなっていると聞く。 そのため、ぼくのうちでは当分の間我慢しようということにしていた。 ところが、ぼくの実家は我慢が出来ないらしく、先月中旬から、「灯油はまだか」と言ってくるようになった。 ぼくは、うちと実家両方の灯油を買いに行く係なのだ。 あまりにしつこく言ってくるので、「じゃあ、今度の金曜日に買いに行くから」ということになったわけだ。 ということで、これはお昼頃になると思う。
それが終わってから、イーグルスのコンサートが行われる福岡ドームに移動することになる。 当日はドーム内の駐車場は利用せず、近くにあるテレビ局の駐車場を利用しようと思っている。 ドームの駐車場に駐めると、帰りが大変なのだ。 出口付近で混雑してしまい、そこから出るまでにかなり時間がかかるからだ。 1時間以上かかることもまれではない。 その点、付近の駐車場だと、ドーム周辺の渋滞には巻き込まれることはあるだろうが、それでもドームに駐めているよりも早く都市高速に乗れるのだ。
しかし、その日はいったい何時頃帰宅できるのだろう。 先日横浜でイーグルスのコンサートがあった、と何かの新聞で読んだのだが、その時は3時間かかったということだ。 当日の開演は午後7時だから、3時間かかるとすると、終わるのは10時になってしまう。 それから家路につくわけだが、当然渋滞に遭うだろうから、帰宅は12時を過ぎるかもしれない。 あ、食事もしなくてはならない。 ということは、もっと遅くなる可能性もあるということか。
日記の更新はその後のことになる。 いったいぼくは何時に寝ることが出来るのだろうか。
2004年11月02日(火) |
20世紀少年を買いに行く |
先ほど(午後11時頃)コンビニに行ってきた。 相変わらずこの時間はクソガキが多く、大声を張り上げていた。 今日いたのは一見まじめ風なガキの集団だったが、おそらく塾帰りだったのだろう。 しかし、こんな時間まで塾をやっているのだろうか。 もしやっているとしたら異常だが、きっとそうではないだろう。 塾は早く終わっているのだと思う。 彼らは塾からそのままコンビニに直行して、遅くまで遊んでいるのだろう。 そして親には、「塾が終わるのが遅いもん」などと言っているにちがいない。 親御さんたち、騙されてはなりませんぞ。
さて、ぼくが夜のコンビニに何をしに行ったのかというと、『20世紀少年』の新刊を買いに行ったのだ。 本屋に行くたびに、まずコミック売場に行って、新刊が出てないかと探していたのだが、先週の金曜日までは出てなかった。 今日は休みだったのだが、やることもなくただぼんやりとネットを眺めていた。 たまたま楽天のページ開いていたら、本(楽天ブックス)の文字が見えた。 そこをたどっていくと、何と『20世紀少年17巻』(浦沢直樹著)が出ているではないか。 さっそく本屋に買いに行こうと思った。 だが、休みの日はなるべく車を使いたくない。 歩いて行ってもそんなに時間はかからないが、今日は歩く気もおきない。
そんな時、この本を以前コンビニで買ったことがあるのを思い出した。 ということは、新刊も売っているはずだ。 まあコンビニなら、焦って出ることはない。 眠たかったこともあって、とりあえず一眠りしようということになった。 目が覚めてからもダラダラとやっていたため、結局11時になったわけだ。
なぜぼくがこの『20世紀少年』に興味を持っているのかというと、もちろん作者が好きなこともある。 しかし、それよりもぼくの興味を引いたのは、宗教に染まった政党や偏った思想を持つ政党などが政権をとったら、おそらくこうなるであろうということが書かれているからだ。 もちろんこの作品はフィクションであるが、一歩間違えると、『20世紀少年』で描かれているような世界が、現実にならないとも限らない。 それを考えると、空恐ろしい気がする。 それがどんな内容かは、ここで説明するよりも読んでもらったほうが早いと思うので詳しくは書かないが、簡単に言えば、あるカルト教団に全世界の人たちが騙されてしまい、世の中が今の北朝鮮のようになってしまった、という話だ。
以前は続きが読みたいために、いつもコンビニでスピリッツを立ち読みしていた。 だが、それをやるとコミックを買う楽しみが半減してしまうのだ。 そこで、今は立ち読みしないことにしている。 ということで、続きを読むのは、また数ヶ月先になるのか。 待ち遠しいなあ。
2004年11月01日(月) |
平成16年11月1日 |
【新札】 会社の朝礼で初めて新札を拝んだ。 サイズや色がさほど変ってないので、あまり違和感はなかったのだが、ホログラムのせいでギフト券のように思えて、どうも軽い気がする。 夏目漱石や新渡戸稲造からの時も軽い気がしたものだが、今回はさらにそんな気がする。 やはり、聖徳太子は重かった。
その夏目漱石や新渡戸稲造が登場したのは昭和59年だった。 ということは、今回の新札発行は20年ぶりというになる。 漱石に変ったのはけっこう最近のような気がしていたのだが、もうそんなにたつのか。 この20年の間、福沢諭吉や新渡戸稲造をあまり遣った覚えはなく、遣うのはもっぱら漱石ばかりだった。 しかし、それもあまり手元にはなかったような気がする。
そういえば、例のタマコが辞める前に、「今度の新札の肖像画、誰か知っとるか?」と聞いたことがある。 その時のタマコの答は、「え、お札の人が変るんですか?」だった。 「11月から変るんやけど」 「ふーん」 緊張感のない奴である。 「おまえ、今度デパートに就職するんやろ?」 「はい」 「そのくらい知っとかな、笑われるぞ」 「そうなんですか」 「『そうなんですか』じゃないやろ」 「じゃあ誰なんですか?」 「千円が野口五郎」 「本当ですか?」 「嘘言うてどうなる。はい、復唱してみ」 「千円が、野口五郎」 「五千円が、樋口可南子。はい、言うてみ」 「五千円が、樋口可南子」 「ちゃんと覚えとけよ」 「はーい」 その後も、何度かその質問をしたのだが、そのたびにタマコは「千円は野口五郎、五千円は樋口可南子」と答えていた。 今日タマコは、新札を見てどう反応しただろうか。 今度タマコに会った時に聞いてみよう。 しかし、悪い元上司である。
【道路交通法一部改正】 道交法の一部改正で、 「無線通話装置を手で保持して通話のために使用すること」 「画像表示用装置を手で保持して、表示された画像を注視すること 」 が禁止になり、違反者には5万円以下の罰金が科されることになった。 なぜそうなったかというと、 「片手運転となり、運転操作が不安定となる」 「会話に気がとられたり、画像を注視することにより、運転に必要な周囲の状況に対する注意を払うことが困難となる」 という理由からである。
前の車がやけにノロノロと走っていたり、蛇行していたりしていることがある。 よく見てみると携帯片手に運転しているのだ。 確かにこれは危険である。 しかし、運転中に画像に注視している人なんかいるのだろうか。 もしいたら、その人は今のイラクを旅行するのと同じくらいのバカである。
ところで、片手運転でいうと、タバコを吸いながらの運転もそうなるのではないだろうか。 ぼくは電話しながら運転することはあまりないが、喫煙運転は毎度のことで、通勤中最低1本は吸わないと落ち着かない。 もし、そんなことになったら困るなあ。 そうならないためにも、喫煙愛好者の皆さん、安全運転を心がけましょう。
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