頑張る40代!plus

2004年10月31日(日) 悔しい!

この間、買い物に行った時の話だ。
あるものを買おうと思って財布の中を覗いてみた。
が、少し足りない。
そこで、その店に設置してあるキャッシュサービスコーナーにお金を出しに行った。

そこに行ってみると、おっさんがお金をおろしていた。
まあ、おっさん一人だけだったので、すぐに終わるだろうと思い、後ろに並んでいた。
ところがおっさん、何をやっているのか、なかなか終わらない。
それを見てぼくは、他のことをすませてからにしようかと思った。
ところが、いつのまにかぼくの後ろには4,5人の人が並んでいるではないか。
ここで列を離れるのもシャクである。
ということで、おっさんが終わるのを待つことにした。

10分ほど待っただろうか、ようやくおっさんは中から出てきた。
さっそくぼくは中に入った。
ところが、一瞬動きが止まってしまった。
ツンと鼻を突く臭い。
「うっ、これは…!ワキガの臭いだ」
おっさん、ワキガ持ちだったのだ。
それはそれは強烈な臭いで、臭いが収まるまで外に出ていようかと思ったほどだった。
しかし、後ろにはさっきよりも多くの人が並んでいる。
しかたなく、そのまま息を止めてお金をおろすことにした。

こういう時は機械の動作が遅く感じるものだ。
1分もかからない処理が、ぼくには5分以上かかっているように思えた。
息苦しくなってきた時に、ようやくお金が出てきたので、ぼくはそれを手にとって、さっと外に出た。

続いて、ぼくの後ろに並んでいた女性が中に入った。
ぼくは意地悪く、外からその女性を観察していた。
もちろん臭いをかいで、どんな顔をするかをだ。
すると、案の定女性の顔は曇った。
まるで、猫に歯磨き粉をにおわせた時のような顔をしている。
それを見てぼくは「くくく」と笑いを抑えながら、店の中に入っていった。

そのあとのこと。
お目当ての商品を手に持ってぼくがレジに並んでいると、後ろの方に人の気配がした。
振り返ると、そこには先ほどの女性がいた。
ぼくと目が合うと、その女性はキャッシュコーナーで見せたような、少し曇った顔をした。
そして、そそくさと他のレジに並んだのだ。

どうやらこの女性は、臭いの根源をぼくだと思っているようだ。
「おいおい、おれじゃないぞ」と言いたかった。
が、相手が何も言ってないのにこちらから弁明するのも何だと思い、黙っていた。
しかし、そのままワキガ男と思われると思うと、やりきれない気持ちがする。
そこで、精算が終わったあと、わざとらしくその女性の横を通ってやった。
しかし、無視された。
ああ、悔しい!



2004年10月30日(土) 香田さんの件

昨日の日記、最初は被害者である香田さんのことを茶化して書いていた。
何とか書き上げたのだが、居眠りしながら書いたため、どうも内容に自信が持てない。
そこで、朝もう一度見直してから更新しようと思って寝ることにした。

ところがである。
一夜明けてみると、状況が一変していたのだ。
「どうしようか」と考えたあげく、内容を変更することにした。
とはいえ、出勤前の限られた時間、内容をまったく変えてしまうことは不可能である。
そこで当初書いていた、日記の所々を削っていくことにした。
昨日の日記が何かおかしいのはそのためである。

さて、会社に着いてからはなるべくテレビのそばを離れないようにして、その後のニュースを見守った。
さすが地元である。
人質事件に関する特番を、彼の実家と中継を結んでやっていた。
しかし映っているのは家ばかりで、中の様子はアナウンサーの「ショックで寝込んでいる」というレポートだけで、全くうかがい知ることが出来なかった。

そういえば、犯人側の声明が流れてから48時間が過ぎた昨朝、直方市内では「香田証生さんがお亡くなりになりました。皆さん、黙祷しましょう」という声が流れていたという。
そのことをぼくは嫁さんから聞いたのだが、嫁さんは直方から通勤している同僚から聞いたという。
昨朝その人は、その声で飛び起きた。
びっくりして外を見てみると、右翼の街宣車がそこにあったという。

昼食時、その右翼の話を食堂にいた人に話していた。
「一日早かったんやね」などと言っている時だった。
携帯速報が入った。
見てみると、“クウェート大使館の医務官が確認したところ、(本日未明に発表された『香田さんらしき遺体』は)香田さんの遺体ではない”と書いてあった。
「えっ…?」
「どうしたと?」
「朝の遺体は、香田さんじゃなかったらしい」
「だって、ちゃんと政府が発表したやん」
「それが誤報だったらしい」

その後のニュースで、政府側はその件を「米軍の発表だったから」と言って逃げていた。
いくら米軍が言っていたからといっても、それを鵜呑みして発表するのはどうかと思う。
これでは先の右翼と何ら変らないではないか。

誤報だったと発表されてからも、直方のご両親は相変わらず寝込んだままだと言っていた。
そうだろう。
そのことは誤報でも、それが息子が生存している証とはならないのだ。
ということは、両親は継続してご息子の安否を気遣わなければならないことになる。
すぐにでも現地に飛んで、息子を救い出したいだろうが、それも出来ない。
早く決着をつけてもらいたいところだろうが、その決着が殺害という形で現れる可能性が大なのだ。
「いったいどうすればいいんだ!?」
これが今のご両親の気持ちだろう。



2004年10月29日(金) イラク関係

【高遠女史は今】
4月に拉致され、解放後に「それでもイラクの人のことが嫌いになれない」と言った高遠女史は、今どうしているのだろうか。
それほど真摯なボランティア活動家なのだから、きっと今頃は新潟にいるはずである。
まさか危険だからという理由で、新潟に行ってないってことはないよなあ。
ああ、そうだった。
お友だちのジャミーラが捕まったので、再びPTSDになって寝込んでいるかもしれない。

【日本人人質】
今回またしても、高遠さんの好きなイラクで日本人が拉致された。
例の香田さんのことだ。
彼の出身地は直方市というから、ぼくの住む北九州市の隣である。
ぼくの家からもそんなに離れてはいない。
嫁さんの会社には、小学校時代の同級生もいるということだ。
ということは、もし彼が実家に住んでいたとしたら、ふつうの若者と同様、今頃夜中にドンキやコンビニあたりでたむろしていたことだろう。

【自分探しの旅】
さて、もうさんざん言い尽くされていることだが、彼は一体何をしに行ったのだろう。
新聞には「サマワに行きたかった」と書いてあった。
サマワに行って何をしようとしていたのか?
自衛隊に縁があるふうでもないし、ジャーナリストというわけでもない。
先の高遠女史のように、政治的な背景を持っているわけでもなく、ボランティアでもない。

あるところには、高遠女史と同じく「自分探しの旅に行った」だと書いてあった。
最近、自分探しの旅なるものが流行っているようだが、釈迦の時代に解決した問題を、どうして今頃蒸し返すようなことをするのだろう。
「遠くに行けば遠くに行くほど、自分が見えなくなるだけだ」と、釈迦は喝破している。

では、その自分とはどこにあるのか。
釈迦が言ったからといって、インドにあるわけではない。
もちろんイラクにもない。
それは自分の中にあるのだ。
もし自分探しをしたいのなら、わざわざ遠くまで行って人に迷惑をかけるようなことをせずに、自宅で静かに座禅でも組んで、心ゆくまで自分を探したらよかろう。
『無事是貴人』なのであるから。

【追記】
この日記を更新してから寝ようと思っていたが、睡魔には勝てなかった。
つい先ほど(午前8時頃)目が覚めたのだが、テレビをつけると、イラクで香田さんらしき日本人男性の遺体が見つかったと言っていた。

ご冥福をお祈りします。



2004年10月28日(木) 再びプレーオフのこと

昨日、プロ野球のMVP・新人王およびベストナインが発表された。
パリーグのMVPは、ダイエーの松中、新人王は同じくダイエーの三瀬だった。
そこまでは予想通りだったが、問題はベストナインである。
いつもなら、ベストナインは優勝チームから多く選出される。
ところが今回はそうならなかった。
一番多かったのはダイエー勢で、4人が選出された。
では、この間日本一になった西武勢はどうだったのかというと、一人和田が入っているだけである。

もちろんこの表彰は、レギュラーシーズンでの活躍に対してのものだから、当然1位になったダイエー勢が多いのはうなずける。
が、西武勢はいったい何をやっていたのだろう。
これだけ見ると、選手は和田以外の誰も活躍していないような印象を受けるではないか。
そして、それは「日本一は、ただ単に運がよかっただけじゃないか」ということにつながるだろう。

もしかしたら、今回のベストナインには、投票権を持つプロ野球担当記者の同情があったのではないだろうか。
ペナントレースを苦労して勝ち抜いて1位になった。
しかし、それは優勝ではなく、単にプレーオフ第1ステージの免除の権利を得ただけだった。
つまりジャンケンに勝ったようなものである。
こうなるなると選手たちはかわいそうである。
ということで、つい1票というのもあったかもしれない。
そうであれば、記者たちもプレーオフ制度に矛盾を感じているのだろう。

再びプレーオフのことを持ち出すのも何だが、やはりこの制度はおかしい。
これをやることによって、ペナントレースがレースにならなくなるからである。
つまり、ペナントレースというのは、長い時間かけてのプレーオフ選出大ジャンケン大会にすぎないのだ。
本番はあくまでもプレーオフである。
そこに要求されるのは『実力』ではない。
『運』と『要領のよさ』なのだ。
まるでサラリーマン社会のようである。

しかし、ここまで軽く扱われるとなると、ペナントレースは全くおもしろくないものになってしまう。
プレーオフの動員数やマスコミ等の盛り上がりかたを見て、大方の人が「大成功だ」という意見だった。
が、大成功だったのはたった8試合のプレーオフだけであって、別に『今シーズン』が成功したわけではない。
まあ、確かに最後の最後に熾烈な3位争いがあって、印象的に盛り上がったようにも見えるが、シーズン全体を見れば、さほど盛り上がってはいない。

さて、今回のことで、レギュラーシーズンを勝ちぬくことが大事ではなく、そのあとのプレーオフこそが大事なのだということがよくわかった。
ということは、今後は「どうせレギュラーシーズンに頑張っても優勝にはつながらないんだから、真剣にやらなくてもいいや」というチームや、「どうせレギュラーシーズンに応援しても優勝にはつながらないんだから、最後だけ応援すればいいや」と思うファンが出てくるのではないだろうか。
そうなると、シーズン自体が盛り上がらなくなってしまう。
せっかく伸ばしてきた動員数も、来年からは下降線をたどることになるだろう。

パリーグのおっさんたち、悪いことは言わんから、こんな悪しきプレーオフなんてやめてしまえ。
さもなくば、近いうちにパリーグは潰れてしまうだろう。



2004年10月27日(水) 低反発マットの効能

この日記を書き始めてから、幾度となく健康関連のことを書いてきた。
お茶の効用だとか、牛乳の効用だとか、山登りをしただとか、寝るための準備運動をしているだとか、バレリーナポーズをやっているだとか、いろいろな体験記を書いてきたものだ。
だが、その後の結果は書かなかった。
というより書けなかった。
なぜなら、そのどれも長続きしなかったからだ。
長続きしなかった原因として、「そういうことを一生続けていかなければ−」と思うと気が重くなってしまった、ということが上げられる。

しかし、その繰り返しに終止符を打つ日がとうとうやってきた。
先日買った『低反発マット』、あれは実にいい。
何がいいのかというと、寝起きがよくなったことだ。
ぼくは昔から寝起きの悪い男だった。
それが影響して、一日中ボーッとしていることも多かったのだが、それを改善する努力はしなかった。
寝起きの悪さは生まれつきのものだろうと思い、諦めていたからだ。
だがそれは、生まれつきのものではなかった。

原因は他にあったのだ。
そのことが、低反発マットを使ってみてわかったのだ。
その原因は何だったのかというと、それは寝疲れだった。
例えば、車で長距離運転すると、腰が痛くなってくることがあるが、座席に腰を密着させるとか、腰にクッション何かを当てるとかすれば、いとも簡単に治ってしまう。
低反発マットはそれと同じなのである。
普通の布団だと、寝ている時、身体と布団の間に隙間が出来てしまう。
それが元で疲れてしまうのだ。
頻繁に寝返りを打つ人なら、自然に矯正をやっているので、疲れることも少ないだろうが、ぼくはあまり寝返りを打つ人間ではない。
そのため、もろに疲れてしまうのだ。
低反発マットはその疲れを軽減してくれる。
なぜなら、マットが身体に密着しているからだ。

おかげで、初めて低反発マットを使った翌日から、実に寝起きがいい。
さらによかったのは、疲れないという安心感からか、熟睡できるようになったのだ。
そのおかげで、たとえ睡眠時間が短くても、朝はすっきりしているし、昼間居眠りすることもなくなった。
慢性化していた背中痛も、かなりよくなってきている。
不思議なことに、2日に1度起きていた金縛りにも遭わなくなった。
やはり、金縛りは疲れから来ていたのだろうか。

ということで、ぼくは今、いろいろな疲れや痛みから解放されている。
低反発マットのおかげである。



2004年10月26日(火) ぼくはバカである

8月からずっと日記をブログに転記していたのだが、その作業が今日ようやく終わった。
すべての記事を転記したブログ、つまり『頑張る40代!』と銘打ったブログが3つ。
元の日記にエクスポートなどという気の利いた機能がないために、ずいぶん時間がかかってしまった。
とにかく、いちいち日にちを指定して、一つ一つ記事を書き込み、それに加えてカテゴリ分けもしていかなければならない。
記事の総数は1400件以上、その3倍、つまり4200件以上の書き込みをしなければならなかったものだから、それはそれはきつかった。

さて、3つもブログを作って何をしたかったのかだが、それが何の理由もないのだ。
まあ、強いて理由を上げるとしたら、気分転換ということになるだろうか。
ぼくは今、意味もなく3つのサイトを作っているのだが、その一つ一つに感じの違った日記を持ちたかった。
せっかくやるなら、今話題になっているブログ、ということでこういう無駄な作業が始まったのだ。

最初に作ったブログに転記していた時、字が小さくて読みにくいという声があった。
もちろんそのブログは字を大きく出来るのだが、それをやってしまうと、いつも1000文字近く書いている日記ゆえに、トップページがかなり長くなってしまう。
そこで、そこそこ字の大きさがあり、しかも追記機能のあるブログを探した。
当初は、その二つのブログへの転記を並行してやっていた。
これに時間がかかってしまったわけだ。
ようやく出来上がったのが今月中旬だったから、2ヶ月以上を要している。

しかし、まあこれで元の日記と合わせて3つの日記が出来上がったわけである。
ところが、これで満足できなかった。
ここでやめておけばいいものを、「そういえば、携帯のサイトもあった」と思い、携帯に一番適した日記をそちらに持って行き、もう一つ日記を作ろうと考えたのだ。
今日終わったのは、そのブログへの転記だったわけだ。

さて、そのホームページがどこかというと、
1つ目が、http://www12.plala.or.jp/mengly/
2つ目が、http://mengly.web.infoseek.co.jp/40/
以上が、『頑張る40代!』という名のサイトである。
3つ目が、http://mengly.web.infoseek.co.jp/
これは、『しろげサイト』という名のサイトである。
4つ目が、http://mengly.web.infoseek.co.jp/i/
ここは携帯のサイトである。
これらのサイトすべて、トップのデザインが違う。
もちろん先に書いたとおりで、日記のデザインも違う。
1つ目が、今ぼくが一番気に入っているブログで、実にシンプルなデザインである。
2つ目に元日記を使っている。
もちろん字は大きい。
3つ目が、例の追記機能を持ったブログで、字が少し大きい。
ただ、何となくごちゃごちゃしている。
4つ目が、一番最初に始めたブログである。
携帯画面にも検索機能がついているので、大変便利だ。
ただし、このブログをパソコンで読むには、http://sky.ap.teacup.com/shinta/
にアクセスしなければならない。
まあ、どれでもお好きな日記をお読み下さい。
内容は同じです。

あ、そういえば、もう一つ『頑張る40代!』と銘打ったブログがあった。
そこは…、ああ、そこは重たいから、別に紹介しなくてもいいや。
しかし、読む人が少ないのに、こんなに多くのブログを作っている、ぼくはバカである。



2004年10月25日(月) 対岸の火事ではない

新潟県中越地震が起きてから、テレビでは連日、そのニュースを流している。
仕事の合間に、ぼくもそれを見ているのだが、その惨状を見るたびに「ひどいなあ」「大変だなあ」と思っている。
とはいえ、新潟は地理的にも遠く、また知り合いがいないこともあり、何か他の国のニュースを見ている感があるのは否めない。
先日そのニュースを見ていたお客さんも、「北九州は地震もないし、台風の被害も少ないし、ほんといいところやねえ」と言っていた。

ところがである。
今回の地震、対岸の火事ではなかったのだ。
朝会社に行くと、日用品の担当の人が「収納ケースが当分入ってこん」と嘆いていた。
「どうしたんですか?」とぼくが尋ねると、「うちで売っているケースは全部新潟で作っとるんよ」と言う。
「地震のあったところですか?」
「それはわからんけどね。被害に遭ってないにしろ、道路が壊滅状態らしいけねえ」
「ああ、そうか」

それを聞いて、ぼくも自分の部門の取扱商品を調べてみた。
幸い、メーカーから仕入れている商品に関しては大丈夫だった。
だが、卸屋から仕入れている特価商材の中に、新潟近辺の工場で作った商品がいくつかあった。
まあ、それらの商品に関してはメンテの必要がないし、もし何かあっても代替えが効く。

そういうことで、ぼくの部門に関してはひと安心だった。
ところが、そうではなかった。
意外なところで、それがわかった。
7月から続く台風の影響で、アンテナが飛ぶように売れ、先月、とうとう在庫が底をついた。
そこで、先月からアンテナの注文をしているだが、なかなか入ってこない。
問い合わせてみると、台風の影響で生産が追いつかないらしく、入ってくるのは今月末になりそうだ、ということだった。

今日のことだった。
お客さんから「アンテナはないんですか?」と尋ねられた。
メーカーから効いた旨をお客さんに言うと、お客さんは「ああ、そうですか。今月末ですか。それは困ったなあ。何日ぐらいに入るか調べてもらえませんか。ちょっと急ぐもんで」と言う。
そこで、担当の営業者に電話をかけてみた。

「もしもし、しんたですけど」
「あ、しんたさん、お久しぶりです」
「アンテナの件やけど、だいたいいつ頃入ってきそう?」
「それがわからなくなったんですよ」
「今月末には入ってくると聞いたんやけどね」
「ええ、当初は今週入ってくるようになっていたんですけど、それがだめになったんですよ」
「え?」
「地震ですよ、新潟の」
「そちらは新潟に工場があったかねえ?」
「いや、工場はないんですけど…」
「じゃあ、影響ないやん」
「それが違うんですよ。今回こちらに入ってくるはずの商品を、全部あちらに持って行くらしいんですよ」
「ええっ!?じゃあ、こちらには入ってこんと?」
「はい、そうなんです」
「じゃあ、こちらにはいつ入ってくると?」
「それが未定で…。年内には無理かもしれません」
「あらら」

お客さんにそのことを伝えると、「ああ、そうですか。それはしかたないですねえ。しかし困ったなあ…」と言いながら渋々引き上げていった。

この状況、アンテナだけではあるまい。
他の商品についても、同じことが言えるだろう。
これから寒くなるから、暖房器具などはその最右翼になるに違いない。
しかも、それはぼくの住む地域に限ったことではない。
おそらく、日本全国に影響を及ぼしていることだろう。

しかし、一地域の地震が、国全体に影響を及ぼすとは。
考えてみると、日本という国は身体のようなのものだ。
例えば足の小指をちょっと痛いだけでも、体の至る所に影響が出るが、それと同じようなものだ。
今回の地震で、それを痛感した次第である。



2004年10月24日(日) 低反発マット

ぼくはいくつもの爆弾を抱えている。
慢性の腰痛、股関節痛、背中痛、首痛、肩こりなどである。
それに加えて、数ヶ月前からは四,五十肩も仲間入りしている。
こういった症状が、一度に出るわけではない。
入れ替わり立ち替わり現れては、ぼくを苦しめているのだ。

しかし、こういう症状に対して、ぼくは手をこまねいているわけではない。
そのつど何とかしようと、いろいろ手を尽くしているのだ。
例えば、腰痛に悪いというのでベッドで寝ることをやめたり、背中痛を解消するために寝かたを工夫したり抱き枕を買ったり、首痛を防ごうとしていろいろと健康枕を買い込んだり、肩こり対策としてラジオ体操に専念したり、今また四,五十肩に対しては鉄アレイで運動したり…。
しかし、そこには、その対策の最右翼になるであろう「病院に行く」ということは含まれてはいない。
とにかく、痛いことはいやなのだが、そのために病院に行くということはもっといやなことだからである。

かつて、ぼくの叔母が腰痛で入院した時、背中に注射を打たれ、それが元で死にかけたことがある。
また、その時もらった薬を服用しだしてから、やたら居眠りはするし、時々おかしなことを口走るようになった。
まあ、このことは別に機会に話すとして、とにかく病院というところは、「痛みがある人に対して、痛みを和らげる処置はしてくれるが、根本から治してはくれない」、ということが叔母の事件でわかったのだ。

ぼくが病院を嫌うのも、このことが大きく影響している。
腰痛などで、病院に行くのはまっぴらである。
もしぼくが、上の症状で病院に行き、もらった薬を服用した結果、「今、包丁を手にして首に当てている。準備は出来た。よーし、今から死んでやる!」なんて日記に書くようなことになったら、この日記を読んでいる人は、どんな気がするだろうか。
いや、それどころか、危険サイトとして、サーバーから削除されてしまうだろう。
やはり、痛みを和らげる薬物などに頼らず、痛くても地道に根本から治していくのがベストである。

さて、その対策の一つとして、今回、ぼくは低反発マットを買い込んだ。
こういう痛みの原因が、睡眠中にあるということを悟ったからだ。
以前から、ウォーターベッドがほしかったのだが、値段があまりに高すぎる。
そこで、これに代わる物はないものかと、いろいろ健康器具を探していた。
そういう時に、この低反発マットを見つけたのだ。
しかし、ウォーターベッドよりは安いとはいえ、そこそこの値段がする。
それに、もしこのマットを買うとしたら、ぼくの分一つだけではだめなのだ。
母も嫁ブーもぼくと同じく、いつも体のあちらこちらが痛いと言っているから、この二人の分も買わなければならない。
ということで、安くなるまで待とうということになった。

1年ほど待っただろうか、ようやくそれを安く売っている店を見つけた。
それは何とうちの店だった。
まさに、灯台もと暗しである。
3枚買っても、例えばデパートで2枚買うよりも安いのだ。
さっそく担当者に頼んで、3枚とっておいてもらった。
そして今日、購入に至ったわけだ。

ということで、今から低反発マットを試してみることにする。



2004年10月23日(土) 健康診断の結果

油断していた。
先月、恒例になっている健康診断があったのだが、その結果が先週戻ってきた。
ビールの量を減らしたことにより、昨年までいつも引っかかっていた尿酸値は平均に戻った。
視力も聴力も血圧も血糖値も大丈夫だった。
「これは何もないわい」と思っていると、一ヶ所だけ『※』のついているところがある。
「これは何だ?」と見てみると、中性脂肪だった。
範囲内ではあるけれど、昨年と比べると、かなり高くなっている。
そのため健康センターはそこに米印をつけ、要観察項目としたのだ。

中性脂肪、この原因はわかっている。
酒ではない。
食事の内容でもない。
それは、アイスクリームだ。
以前、ぼくがこの日記の中で『アイスクリームを毎日食べている』と書いたら、わざわざ「中性脂肪が増えますよ」と指摘してくれる人がいた。
アイスクリームと言ったって、それほど量を摂っているわけではないし、健康診断の前に一週間くらいやめておけば大丈夫だろうと思っていた。
ところが、それが生活習慣の恐ろしさ。
ここ半年くらい、毎日食べていたアイスクリームをそう簡単にやめられるわけがない。
「今日は大丈夫」「今日は大丈夫」と思いながら食べ続け、気がつくと健康診断の前々日になっていた。
その結果が、今回の『※』である。

幸い基準値内であるため、再検査をする必要はない。
ただ、前回より数値が上がっているという理由で、3,4ヶ月後に『生活習慣改善フォローアップ健診』を受けなければならない。
つまり、「自主的に生活習慣を改善して、その成果を見せてくれたまえ」というものだ。
実は、その連絡が今日来たのだ。
「原因はわかってますから」と言っても、通用しない。
健康センター側は、そのデータが必要だからだ。
そのデータを提出して、ちゃんと健康管理の指導をしていますと、国に報告をしなければならないのだ。
そのため、傘下の会社を利用し、強制的に受けさせようとする。

この『生活習慣改善フォローアップ健診』のことは4月の日記にも書いているが、これを受けるために一日の休みが台無しになってしまう。
前回それを受けた時には、「次は絶対に受けんぞ」と思っていたのだが、ついついアイスクリームの誘惑に負けてしまった。
今から3,4ヶ月後といえば、一番寒い時期である。
せっかく家の中で温もっていたいのに、こんな下らないことで外に出なければならないとは…。

さて、この健康診断結果の一番最後にある所見の欄に、余計なことが書いてあった。
それは、「タバコの吸いすぎ」である。
毎回健康診断の時に、自覚症状などを書かなければならない。
そこに酒やタバコの量を書く欄があるのだがには、ぼくはいつもタバコの本数は一日20本と書いている。
昨年と変わらないのに、なぜ今回、こんなことをわざわざ書くのだろう。
おそらくこれも「タバコ狩り」の一環なのだろう。
だいたいあんたらはなあ、自分の価値観をだなあ−
ああ、これを書き出すときりがないのでやめておく。



2004年10月22日(金) 10月22日

今日は給料日後最初の休みだった。
ということは、いつものように銀行回りの日である。
光熱費や住宅ローン等を、メインバンク以外の銀行口座から引き落としするようにしているため、面倒だが各々の口座に入れて回っているのだ。
給与振込みの口座一本にまとめておけば、別に銀行回りをする必要もないのだが、そこそこつき合いがあるために、そういうわけにもいかず今に至っている。

ということで、午後から出かけることにしていた。
ところが、連日の寝不足のために、着替えている途中で外に出る気力が失せてしまった。
そこで、ネットで入金しようと思った。

そのサイトに行くのは、実に約1年ぶりのことになる。
そのため操作を忘れてしまって、ログインするのにけっこう手間取った。
だいいち、肝心のIDを忘れてしまっているのだ。
10桁の数字を入れてくれと書いていたので、何も考えず口座番号を入れると、エラーになった。
「おかしいな」と思いヘルプを見てみると、『インターネットバンキングのカードに記載してある番号を入れて下さい』と書いてある。
それでようやくカードの存在を思い出す。
机の中を探し何とかそのカードを見つけ出した。

ようやくログイン出来たのはいいが、振込先である自分の銀行を見て唖然とした。
すべて名前が変わっているのだ。
中には消されている銀行もあった。
もちろん、合併等で銀行名が変わったことは知っていた。
それはいいのだが、問題は支店名である。
最近合併したばかりの銀行は新支店名がわからないし、前に合併した銀行は、最近支店が統合されたためその新支店名がわからない。

もしかしたら、合併の際、通知がきていたかもしれない。
が、そういうものをぼくはあまり重要視しないほうなので、読むだけ読んだら、それをしまうことをせず、そのままどこかに置きっぱなしにしている。
それをまた緊張感のない嫁ブーが適当に片づけるもんだから、いざという時に、それがどこにあるのかわからなくなってしまう。
まあ、捨ててはないはずので、探せばどこかにあるとは思うのだが、それを探すのがまた面倒である。

そういうわけで、結局どの銀行へも振込みせずに終わった。
いちおう目安はあるのだが、もし間違っていたら、手数料だけしっかりと取られるからだ。
まあ、急がなくても引き落とし日までにまだ時間がある。
ということで、次の休みの日に銀行回りをするようにした。

しかし、ここまで合併が増えてくると、わけがわからなくなる。
いっそ、ぼくのメインバンクと合併してくれんかなあ。
そうすれば、焦って銀行に行かなくてもよくなるのに。



2004年10月21日(木) 台風一過

今年最大の被害をもたらした台風23号だが、こちらではあまり猛威をふるわなかった。
一昨日からあらかじめ空や海の便の欠航を決めたり、学校を休校と決めたりして台風に備えていた。
ところが実際は、暴風雨というよりも、ちょっと強めの雨が降り、それに伴って風が吹いたにすぎなかった。
ぼくは1時間おきに、外の状況を確かめに行っていたのだが、そのたびに「交通機関はともかくも、学校はこの程度の雨風で休みにするんか」と思っていた。

用心に超したことはないが、ぼくたちが学校に通っていた頃には、まず考えられなかったことである。
小学何年の時だったかは忘れたが、一度大雨に見舞われたことがある。
その雨のせいで川が氾濫し、床下浸水の被害に遭った家も何軒かあった。
だが、そういう時でさえ、学校は休みにはならなかった。
大雨の中、長靴を履き、傘をさして学校に行ったものだ。
もっとも、あまりにひどい状況なので、朝礼後に全員下校にはなったが。

あの日、氾濫した川の水を利用して、プラモの潜水艦を浮かべて遊んでいたのを思い出す。
今考えてみると、実に汚い話である。
当時、家の前の川は、ヘドロや工業廃水でひどく汚れていた。
氾濫したのは、そのひどく汚れた水だったのだ。
その中を、ぼくたちは裸足で歩き、潜水艦を浮かべ、その手で鼻くそをほじくったりしていたのだ。
よく病気にならなかったものである。

ただ一つ救われたことがある。
あの頃、ぼくのすむ地域は、どの家もトイレの水洗化がされてなかった。
つまり、どの家も「ぽっとんトイレ」だったわけだ。
もし、床下浸水ではなく、床上浸水だったらどうなっていただろうか?
氾濫した水は、もちろんトイレの中にも浸入する。
そうなると、当然便壺の中の糞尿が溢れ出ることになる。
各家庭のウンチがプカプカと浮いている図など、想像したくもない。
幸い、床下浸水で収まったので、その図が現実になることはなかったのだ。

さて、いつも台風のニュースを見ていて感じることだが、「これは天災ではなく人災だ」と思える事故が数多くある。
テレビやラジオで再三「出歩くな」と呼びかけているにもかかわらず出歩いて被害にあったり、ドアに手や指を挟んで大ケガをしたり、屋根から落ちたり、中には木から落ちた人もいた。
こういうのは、どう考えても人災だろう。
注意すれば、充分防ぐことが出来たはずである。
「出歩くな」と言っているのだから、出歩かなければいい。
ドアが急に閉まったために手や指を挟んだのだろうが、そこに手や指を置いていなければ、そういう被害にも遭わなかっただろう。
屋根瓦が飛ぶからやむを得ず屋根の上に上がったのだろうが、そういう時はちゃんと命綱をつけおくべきである。
最後に木から落ちた人だが、木に登らなければいいのだ。
いったい何のために木に登ったのだろう。
すべてちょっと考えればわかることである。
まあ、人間の冷静さを失わせることが、天災であるのだが。



2004年10月20日(水) しんた、独立を考える

台風のさなか、取引先T社の人がやってきた。
いや、もうT社の人ではなかった。
彼はその会社をすでに辞めていたのだ。
7月頃だったか、毎週来ていたその人が、突然来なくなった。
最初は「忙しいんだろう」と思っていたが、あまり来ないので、心配になってT社に電話してみると、「彼は辞めました」と言う。
「えっ、辞めた!?」
「ええ、ちょっとわけがありましてね」
話を聞くと、彼は突然やったこともない部署に飛ばされ、それを不服として辞めたのだと言う。

「で、次の仕事は見つかったんですか?」
彼はぼくと同年代だった。
ただでさえ就職難なのに、この歳で新しい仕事を見つけることは至難の業である。
ところが、
「ええ、ちゃんと見つけてます。もうそちらで勤めてますよ」と言う。
「それはよかった」
その時は、特に再就職先は聞かなかった。

さて、今日彼は、一番雨風の強かった昼頃にやってきた。
「こんにちは」
「おお、久しぶりやねえ。あんまり来んので『死んだんやないか』と噂になっとったよ」
「えーっ、ちゃんと生きとるよ」

「今どうしよると?」
「メーカーに入ってね。ここに置いてたかなあ?」
「ここにあるようなのを扱っとると?」
「うん、取扱品は今までと変わらんよ。×社やけ」
「ああ、×社か。ヘッドハンティングでもされたと?」
「まあ、そんなとこやね。2社から声がかかったんやけど、大きい会社のほうにした」
「いいねえ、営業はつぶしが効くけ。販売はつぶしが効かんけねえ。もし、他の部門なんかに回されたら、どうしようかと思っとる」
「専門店に戻ったらどう?」
「もう、ああいう所じゃ勤まらんやろね。温室みたいな会社に10年以上もおるんやけ。第一声もかからんよ」
「ああ、そう」
「うん。前の会社におった時は、ダイエーとかから声もかかったんやけど…」
「えっ、ダイエー?」
「そう。でも、行かんでよかったよ」
「ああ、そうやねえ」

名刺を見ると、彼は係長になっていた。
「給料は今までと変わらん」と言っていたものの、きっといい待遇で行ったのだろう。
うらやましい話である。
特に量販の販売というのは、会話にもあったように、ホントつぶしが効かない。
今の会社に入った時も、キャリアはまったく参考にしてくれず、まるで新入社員扱いだったのだ。
まあ、それだけ自分に力がなかったのだ、と言えばそれまでだが…。

しかし、本当に他の部門などに回されて、辞めるようなことになったらどうしよう?
再就職したとして、今の収入を確保するのは至難である。
それならいっそ独立したほうがいいのだが、独立するにしろ、経験あるのは販売だけだ。
もし、それを生かすとすれば、商店を構えるしかない。
ところが、それをやるためには資金いる。
ぼくにはその資金がないのだ。

ということはだ。
残された道は、趣味を生かした方面に進むしかない。
趣味?趣味?趣味?
いったいぼくの趣味は何だろう?
日記じゃ飯が食えんし…。



2004年10月19日(火) ホークス買収のことなど

また台風か。
もううんざりである。
おかげで、明日は早く出かけなければならないだろう。
ただでさえ寝不足が続いているのに、これではゆっくり寝ることが出来ないじゃないか。
それが過ぎても、次の台風が控えているというし、いったいどうなってしまったんだろう。

さて、今日は休みだったのだが、朝から雨で、外に出る気も失せてしまった。
それでも、朝だけはとりあえず、嫁ブーを会社まで送っていった。
しかし、家に帰ってから、夜に嫁ブーを迎えに行くまで一歩も外に出なかった。
で、家の中で何をやっていたのかというと、パソコンをいじる、テレビを見る、本を読む、昼寝をする、長風呂に入るという例のごとくの一日を過ごしていた。
昨日のソフトバンクのこともあり、パソコンやテレビで情報を集めようとしたのだが、今日は大した動きもなかったようだ。
まあ、収穫は、ホークス買収に動いているのがソフトバンクだけではないということがわかったことだ。
京セラ、NTTドコモ、サントリーといった企業も水面下で動いているらしい。

そうだなあ、ぼくは、Yahoo!BBに入っているわけでも、BBフォンを使っているわけでも、ジオシティーズでホームページをやっているわけでもないから、別に恩恵を受けないわけだ。
もし、BBフォンに入らないと、ホークスの試合は見ることができないなんていうことになると、うちはBフレッツ経由のIP電話を使っているから困ったことになってしまう。
せっかく長いこと待って導入した光ファイバーを、わざわざADSLに戻すバカもいないだろう。

それを考えると、NTTドコモはいい。
今使っている携帯はドコモだから、そのために携帯を買い換える必要がない。
FOMAで中継を配信するようになったら、すぐに見ることが出来る。
ホークス仕様の携帯も出るかもしれない。
またホークスグッズを買うために、わざわざ福岡ドームまで足を運ぶ必要もなくなるだろう。
うちの近くのドコモショップでも、買えるようになるだろうからだ。
今現在、iモードコンテンツでホークスタウンに入会しているが、その料金も安くなるかもしれない。
至れり尽くせりである。
ということで、ぼく個人としては、ドコモに買収してもらいたい。

さて、もうすぐ2時か。
そろそろ寝らんと、朝起きれんわい。

 おわり



2004年10月18日(月) ソフトバンクがホークスを買収するのか

ふーん、知らなかった。
今日、ホークス買収に手を挙げた、ソフトバンクの社長である孫正義は、同じ区内の小学校卒業だったのか。
それも隣の隣の小学校だ。
おまけに同い年ときている。
ということは、小学生の頃に、繁華街だとか何かの区内大会の時だとかに会った可能性もあるということだ。

これほど優秀な人間なら、その頃から話題になってもよさそうなものだが、それはなかった。
高校の頃に、その小学校を卒業した人が何人もいた。
しかし、彼の話題は出てこなかった。
彼は人生のどこかで運をつかんだのだろうが、それは小学生時代のことではなかったということだ。

しかし同じ区内の出身者としては、出世頭ということになるなあ。
同区出身の有名人といえば高倉健がいるが、知名度はともかくも、資産面では確実に孫正義のほうが上をいっている。
ま、出世というものを知名度と資産のどちらの尺度で測るかは、人それぞれで違うだろうが。

さて、ソフトバンクがホークスを買収したとして、いったいチーム名は何となるのだろうか。
『福岡ソフトバンクホークス』
『福岡ヤフーホークス』
何かぴんとこない。
第一言いにくい。
とにかく、「ハ行」が三つもあるから、何かフワフワした感じがする。
電話事業の拡大を狙う意味から、
『福岡テレコムホークス』
『福岡BBホークス』
というのも考えられる。
まあまあだが、仮にBBだと相手チームのファンから、『福岡バカブタホークス」などと野次られることになるだろう。
プロ野球界は企業名をつけるのが慣例だから、考えられるのはこれくらいしかない。
企業イメージを上げるためには、やはりこういうネーミングで走るしかないだろう。
しかし、地元としてはこういうややこしいネーミングより、簡単に『福岡ホークス』とか『九州ホークス』としてくれたほうがありがたいし、九州におけるソフトバンクの企業イメージは上がると思う。
また、ダイエーの再生のためということで、そのまま『福岡ダイエーホークス』という名前を継続したら、いちおう流通業界にもつながりが持てるし、他企業からの信頼も得ることができるだろう。

いずれにせよ、買収するなら早く買収して、この身売り問題を終わらせてほしい。
そうすることで、ここ毎年オフの恒例になった感のあるゴタゴタ劇から解放されるなら、ファンは喜んでソフトバンクの参入を支持するだろう。
ファンは、もっと将来に夢の持てるストーブリーグを望んでいるのだ。



2004年10月17日(日) 夜寒

いよいよ夜が寒くなってきた。
風呂から上がり、さっきまで、半袖のTシャツ・パンツ一枚という夏の格好のままソフトのインストールをやっていたのだが、気がつくと体が冷えきっているではないか。
ぼくは何かをやりだすと結構没頭するタイプなので、長い時間そのままでいることが多い。
今日のように、気がつけば体が冷え切っていることなどしょっちゅうで、冬場はそれが原因で風邪を引くこともある。

2.3日前まで、さほど寒さを感じなかったので油断したようだ。
今日は特に寒く感じる。
しかも、鼻水まで出てきた。
そこで、何か肩に引っかけようと思い、そのへんを探してみた。
ところが、どれも半袖ばかりで、防寒具の類は何も見当たらない。
我が家はまだ、夏モードのままなのだ。

「去年はいったい何を着ていたのだろうか?」ということで、冬場に何を着ていたか思い出してみた。
−ダウンジャケット、ホークスのスタジャン、革ジャン…。ちょっと違う。
−他に持ってなかったかなあ…。
−ああ、そういえば、去年ユニクロで買ったスエットスーツがあったわい。
スエットスーツは、衣装ケースの中にあるのだが、衣裳ケースがいくつもあるので、それがどこに入っているのかからない。

ということで、テレビを見ながら、そのままトドのように寝ている嫁さんを起こすことにした。
「おい、起きれ」と声をかけてみたが反応がない。
このくらいのことで、うちの嫁ブーは目を覚ましはしないのだ。
そこで、耳元で「こらー、起きんか。朝ぞー」と言った。
が、ビクともしない。
揺さぶってもだめ。
足の裏をくすぐってもだめである。
−しかたない、ここは奥の手を使うか。
ぼくは携帯を持ってきて、カメラの準備をした。
「おい、撮るぞ」
“ガシャッ”
「ん…?」嫁ブーは微妙に反応した。
そして飛び起きた。
「あー、撮ったね」
嫁フブーはカメラが苦手なのだ。
ぼくは嫁ブーの変な写真を撮っては、いつもヒロミに送っている。
そのため、ヒロミに電話した時、嫁ブーはいつもからかわれているのだ。
電話が終わったあとには、決まって「もう、変な写真送らんで」と文句を言ってくる。
今回も、その写真を撮ったと思ったのだろう。
「どんな写真撮ったんね。見せて」と言った。
「たいした写真やないけ、気にするな。それよりもスエット出してくれ。寒い」
ということで、何とか寒さから解放されたわけだ。

さて、スエットを着て、いくぶん冷えは和らいだものの、肝心の日記のネタがない。
何を書こうか。
ま、いいや。このことを書いておくか。



2004年10月16日(土) 日本シリーズ裏日記

昨日、テレビで夕方ワイドを見ていると、キャスターが開口一番「皆さん、明日は何の日か知っていますか?」と尋ねた。
それを聞いて、ぼくは「さて、何の日だったか?」と考えた。
「鉄道記念日は14日やったなあ。うーん、また語呂合わせか。でも『トイロの日』なんてなかったし…」
ということで、結局答は出なかった。
答はというと、「明日は日本シリーズが開幕する日です」だった。
そのあとにキャスターは「皆さん忘れていたでしょ?」と言った。
忘れていたどころではない。
ぼくは知らなかった。

買い物帰りの車の中、ラジオを聞いていると、「日本シリーズが明日からだということを知らない人が多いですね。きっとホークスが出ないから関心ないんでしょうね。もしホークスが日本シリーズに出ていたら、今頃局内は、明日からの番組編成や何やで、てんやわんやだったはずです」と言っていた。

11日に全日程の終わったホークスファンにとっては、日本シリーズなんて何の意味も持たないのだ。
おそらく中継は見ないだろうし、結果はスポーツニュースあたりでチェックするくらいだろう。
そして、もし西武が負けたら、「ホークスが出ていたら勝っていたのに」と思うにちがいない。
とにかくプレーオフ5試合で精も根も尽き果てたか、いまだ『10.11ショック』を引きずって野球のことを考えたくないのが現状である。
少なくともぼくは。

それよりも、ホークスファンの今一番の関心事は、ホークスの身売り問題である。
ライオンズ移転後、10年かけてやっとプロ野球チームを呼び戻したのに、今またこういう形で福岡を離れて行きかねない状態なのだ。
相手がホークスファンだと、自然「どこに身売りするんかのう」という話題になってしまう。
おそらく、多くのホークスファンも同じだと思う。
そこでは、日本シリーズの話題など触れる余地はない。

しかし、今年のホークスファンは泣きっ面に蜂だ。
レギュラーシーズンを一生懸命応援して、ようやく1位になったのに、おいしいところは西武に持って行かれ、まだそのショックが癒えない時期なのに、今回の身売り騒動である。
昨年も、日本シリーズの前後に身売り話が持ち上がり、優勝を決めたあとには例の小久保事件が待っていた。
いったいいつになったらホークスファンは、心の底から優勝を喜べる日が来るのだろう。



2004年10月15日(金) タマコその後

久しくタマコのことを書いてないので、彼女がどうなったか、気になっている方もおられると思う。

実はもう、タマコはぼくの会社にはいない。
7月に就職が決まったので、辞めたのだ。
まあ、アルバイトだったから、ぼくのような男の下でずっとからかわれながらフリーターをやっていくよりも、ちゃんとした会社の正社員として働いたほうが本人のためである。

で、どこに就職したのかというと、これが地場の大手デパートなのだ。
最近は知らないが、ぼくが小さい頃は、そのデパートで働くことにあこがれを持っている女子が何人もいたものだ。
しかし、そういうところは競争率も高いから、そう易々と入ることは出来ない。
それをあのタマコは易々と入社したのだ。

「まんざら馬鹿でもないやん」と思われる方もいるだろう。
しかし、タマコがそのデパートに入社できたのは、試験よりも面接で好印象を得たからだった。
面接の時、試験官が、
「特に女性の多い会社ですから、人間関係の難しさもありますが、そういう場合、あなたはどうやって対処しますか?」とタマコに聞いた。
するとタマコは、
「わたし、家で犬を飼ってるんです。悩みがある時はその犬に打ち明けています」と答えたそうだ。
それが試験官に受けたらしく、晴れて入社と相成ったわけだ。

あれから2ヶ月半になる。
ぼくは毎月一度そのデパートに行くので、そのついでにタマコの制服姿を見に行くのだが、そのたびにタマコはいない。
その売場の人に聞いてみようかとも思ったが、ぼくはタマコのことをいつも「たま」とか「タマコ」とか呼んでいたので、すぐに名字が出てこなかった。
そのため、いつも聞けないでいた。

今日のこと、たまたまそのデパートにおつかい物を買いに行く用があった。
そのついでに、タマコのいる売場を訪れてみた。
いるいる。
例のごとく、タマコは口を開けて、売場の中を牛のようにノソノソと歩いていた。
ぼくはタマコに気づかれないように背後から近づいて、「こらっ!」と言った。
タマコはその声に動じることもなく、ゆっくりをぼくのほうを振り返った。

「あっ、お父さん」
「おれはおまえのお父さんやない」
「ちょうどいいところにきた。今日の予算は15万やけど、あと2万足りんけ、何か買って」
「今日は他の物を買いに来た。おまえんとこで買うもんなんかないわい」
「そう言わんで買って」
「そんな金はない」
「じゃあ、紳士服作って」
「いらん」
「お願いですから」
そう言うと、タマコはぼくに紳士服の紹介カードを手渡した。
「こんなのいらん。それよりも、ここはカードのノルマとかないんか?」
「あるけど」
「じゃあ、申込書をくれ。それなら入ってやるけ」
「それは上の階に行ってもらって下さい」
「普通、ノルマがあるなら持っとくべきやろ」
「うーん…」
タマコは情けない声を上げた。
「まあいい。今度来た時に用意しとけよ」
「それはそうと、まだ歓迎会やってもらってない」
「え?」
「辞める時、してくれると言ったやん」
「誰も歓迎会をしてやるとか言ってない」
「えー、約束したやん」
「約束してない。何でおれがおまえの歓迎会をしてやらないけんとか。歓迎会なら、ここの人にしてもらえ」
歓迎会と送別会の区別もつかないとは、相変わらずの大馬鹿者である。

そのあと、ぼくはその売場を離れ、他の売場に行った。
そこから、タマコの売場を見てみると、タマコはまた口を開けて売場の中をノソノソと歩いていた。
たまにお客さんが来ると、不器用に頭を下げていた。
ぼくはそれを見て、「ここに来る楽しみが出来たわい」と思っていた。



2004年10月14日(木) 屈辱の『10.11』から二日たって(後)

その頃からようやく眠たくなり、午前10時頃まで寝ていた。
目が覚めると、敗戦の悔しさは少しは薄らいでいた。
が、「お、だいぶ収まったな」などと思うと、また悔しさがよみがえってくる。
さらに、これで今年の野球も終わりかと思うと悲しくなった。
「誰が日本シリーズなんか見るものか」である。
ということで、今年はおそらく、昨年のような日本シリーズ観戦記は書かないだろう。

すでに起きていた嫁さんが言っていた。
こちらのある放送で朝のワイド番組がある。
その番組、毎週火曜日は福岡翼さんが出演している。
その番組の中で彼は、「皆さん元気ないですね」と言っていたそうだ。
それはそうだろう。
多くの県民が、ホークスで一日が始まり、ホークスで一日が終わる生活をしているのだから。
そのいい例が、うちの母親である。
野球のルールなんて全く知らないのだが、ホークスの勝敗は気になるらしく、野球中継がある時にはいつもテレビをつけている。
その前日も、ぼくたちが帰ってみると、いつものようにテレビは野球中継がかかっていた。
結局最後まで、母とぼくたち夫婦の3人でお茶を飲みながら観戦したのだ。
9回の裏が始まった時だった。
母は何を思ったか、「西鉄ライオンズは9回の裏に同点に追いついたんよ」と言った。
だから、今回もそうなると言いたげだった。
とりあえず、今回は追いつくことは追いついたのだが、逆転には至らなかった。
ちなみに西鉄ライオンズのその試合は、昭和33年日本シリーズ第5戦での話である。

さて、昼から、イオンに買い物に行った。
店内には至る所に、『ホークス感動をありがとうセール』の告知がしてあった。
BGMは、もちろんホークスの応援歌がかかっているのだが、なぜか盛り上がっていない。
音量も昨年はガンガン鳴らしていたのに、今年はどこか控えめだったように感じた。

帰りの車の中で、ラジオをつけていたのだが、その中でプレーオフの検証をやっていた。
リスナーからのメッセージは、「ルールとはいえ、プレーオフに勝つことが優勝だと言われると、釈然としないものがある」「頭に来た」「悔しい」などの声が圧倒的に多かった。
中には、「シーズンの成績では、1位ホークスと2位ライオンズのゲーム差は4,5。今回のプレーオフはホークスの2勝3敗。ということはゲーム差が3,5になっただけのこと。優勝はホークスだ」という声もあった。

ともあれ、優勝は決まったのだ。
悔しがってもしかたない。
とにかく、今年は終わったのだ。



2004年10月13日(水) 屈辱の『10.11』から二日たって(前)

10月11日夜、伊東監督の胴上げなんか見たくなかったので、最後の打者となった鳥越がアウトになる前にテレビを消し、それ以降は一切テレビをつけなかった。
どこかで必ず『西武優勝特集』なるものをやっているだろうと思ったからだ。
そんなものを見せつけられたら、また悔しくてやるせない気持ちになってしまう。

見なかったのはテレビだけではない。
ネットもニュースやスポーツ関連のサイトも見ることはなかった。
パソコンを始めて以来、ずっと見てきたYahoo!NEWSも見ることはなかった。
さっさと日記を書き上げて、すぐに寝ようと思っていた。
ところがその肝心の日記が出来ない。
それもそのはず、思い出したくもないプレーオフのことを書かなければならないからだ。
そのためには資料がいる。
ということは、メールでとっている速報や、スポーツニュースのサイトを見なければならない。
仕方がないので、『ここに書きたくない結果になってしまった。』という1行だけ書いて寝ることにした。

ところがである。
布団の中で、考えないようにしたはずの、ホークス敗戦のシーンがよみがえる。
バルデスの本塁タッチアウトが、柴原の本塁タッチアウトが、サヨナラのチャンスでの松中の凡退が、走馬燈のようによみがえる。
おかげで全然寝付かれない。

2時間ほど布団の中で苦闘しただろうか、結局眠ることが出来なかった。
仕方なく布団からはい出し、再びパソコンの前に座った。
することもないので、ブログの作成などを行っていた。
気がつけばもう5時である。
「やはり日記を書こう」という気持ちになった。
しかし、ネットやメールを資料にすることはなかった。
自分の記憶だけに頼ったのだ。
この怒りや悔しさを選手に向けてもしょうがない。
ということで、野球の神様にぶっつけた。
それでああいう日記になったのだ。

結局日記を書き終わったのは6時を過ぎていた。
「そろそろ新聞のくる頃だ…」などと考えていた。
その時だった。その日が休刊日であることを思い出したのだ。
そうだった。西武またしても一面を飾れず、なのである。
以前優勝した時、貴乃花と宮沢りえの婚約発表か何かで、一面を飾れなかったことがあった。
ま、夕刊には載るだろうが、その扱いは朝刊よりも小さくなるだろうから、かなりインパクトは弱くなる。
さらに、夕刊がくるまでは、ホークスのことを忘れられる。
野球の神様は、このことでホークスファンの心を癒してくれたのだと思う。



2004年10月12日(火) 先入観

昨日の午後9時頃のこと、仕事帰り、嫁さんと二人でぼくの実家に行った。
駐車場に車を駐めている時、黒い人影が見えた。
影は二つだった。
車を駐め実家に向かって歩いていると、左手にある自転車置き場から声が聞こえた。
見てみると、そこに中学生らしき男が二人立っていた。
どうやら先ほどの影の主らしい。
彼らはぼくたちのことに気がついたのか、何かちぐはぐな動きをしだした。

どうも怪しい。
最近、実家付近では、中学生を中心としたグループでの自転車泥棒が増えているというのだ。
もしかしたら、その仲間かもしれない。
そこでぼくは、わざとその前をゆっくり歩き、じっと顔を見てやった。
彼らは顔を背け、下を向いた。
一人が「どうするか?」と言い、もう一人が「ああ」と気のない返事をしている。
ぼくは「何をどうするんだ?」と思ったが、変に近寄って聞き耳を立てると逆にこちらが怪しまれる。

ということで、そのままそこを通り過ぎた。
だが、どうも気になる。
ぼくは立ち止まり、もう一度彼らのほうを見た。
自転車に手がかかっているじゃないか。
嫁さんに、「おい、警察呼ぼうか?」と彼らに聞こえるくらいの声で言ってみた。
だが、彼らは動じないみたいで、鍵を触っている。
ちょっと頭に来たぼくは、駐車場に用があるようなふりをして、もう一度彼らの前を通ってみた。
彼らは自転車の鍵を開け、自転車に乗っている。
そして「ドンキに行こう」と言って、そのまま二人とも去っていった。

その後実家に行ってプレーオフなどを見ていたから、そのことは忘れていたのだが、ホークスが負けて悔しい思いをしている時に、ふとその心の片隅に何か疑惑のような感情があることに気がついた。
「そうだ、自転車だ」
そこで、そのときのことをいちいち思い出しながら、検証してみることにした。
鍵の開け方は手慣れたものだったから、本人たちの自転車なのかもしれない。
それに今時の中学生なのだから、夜外に出てうそうそしていても何の不思議もない。
ということで、自転車泥棒というのは、きっとぼくの勘違いなのだろう。

しかし、何か吹っ切れないものがある。
それは、うそうそする場所が悪いということだ。
これが道ばたですれ違うとか、コンビニなどにたむろしているのなら別にぼくも怪しく思わなかっただろう。
問題は、その場所が自転車置き場だったということだ。
元々自転車泥棒が増えているという情報があるから、見知らぬ人がそこにいれば誰でも怪しむだろう。
その自転車泥棒が中学生を中心としたグループだと聞けば、なおさらである。
さらに彼らはぼくたちを見て、落ち着きをなくしたように見えた。
これはもう疑うしかないだろう。
先入観であることを見ると、どうしてもそういう風に見えてくるから不思議である。



2004年10月11日(月) プレーオフ第2ステージ 第5戦

ここに書きたくない結果になってしまった。
今日の試合を簡単に書けば、
【4回裏】城島にホームランで1点先制。
さらにズレータの2ベースヒットで1点追加かと思われたが、走者バルデスが相手捕手の巧妙なブロックに会いタッチアウト。
【5回裏】2アウトながら走者2塁。
このチャンスに、宮地がライト前のヒット。
が、走者柴原はホームベース3メートル手前でタッチアウト。
【6回表】西武に3点とられ逆転を許す。
【8回裏】井口のソロホームランで1点差に詰め寄る。
【9回裏】柴原のタイムリーで同点に追いつく。
さらに2アウトながらサヨナラのチャンス。
ここで打席に立ったのが、絶不調の松中。
あえなく凡退。
【10回表】西武に1点の追加点を許す。
【11回裏】2アウト1塁で、ラッキーボーイ鳥越に打順は回ったが、セカンドゴロで万事休す。
という試合だった。
新垣の好投報われず、痛い1敗を喫してしまった。
その結果、西武に油揚げをさらわれた格好になった。

誰が悪いというわけではない。
選手たちはそれなりに頑張っていた。
しかし、神の配剤としか考えられないようなことが起こったのだ。
普通ならタイムリーなのに、そういう時に限って足のあまり速くないバルデスが走者であったり、柴原がホームに突っ込んだ時は相手のいいプレーに阻まれたり、また最後のチャンスで絶不調の松中に打順回ってきたり、さらに10回表、討ち取ったはずの球がファースト正面でいい具合に弾み2塁打になったり、と神を恨むしかないようなことが起きている。
その絶不調松中はプレーオフ前に、「勝ちたいという気持ちの強いほうが勝つ」と言っていたが、9回裏の松中の気持ちは、西武の各選手たちの気持ちより劣っていたのか?
そうではないだろう。
やはり人間の気持ちでは、どうにもしようのない時がある。
今日はそんな日だったのだ。

とは言っても、しろげしんたはそんなことで割り切れるはずもなく、今日はやけ酒を飲みましたよ。

以上、でパリーグプレーオフ第2ステージを終わります。



2004年10月10日(日) プレーオフ第2ステージ 第4戦

現金なもので、日記に書いたとおり、2戦3戦とぼくは首脳陣のことを苦々しく思っていた。
ところが、今日は首脳陣が偉大に見える。
昨日の接戦を落としたあとに、王監督は「まあ、2つ勝てばいいことだ」とさらりと言ってのけたという。
並の人なら、こういう後のない状況において、こうは言えないだろう。
さすが世界の王である。

さて、今日の試合だが、何と言ってもピッチャー倉野の好投につきる。
彼は青山学院大の出身で、井口とは同級生である。
ということで、同じ年にダイエーに入団した。
ドラフトでは、アトランタ五輪出場の井口が1位、一方の倉野は4位だった。
初打席に満塁ホームランを放った井口の華々しさに比べると、倉野は地味な存在だった。
一応1軍ベンチにはいるものの、なかなか芽が出なかった。
谷間の先発や敗戦処理が、彼のこれまでの主な仕事だった。

ところが今年は違った。
大事なところでの救援に使われ、そこで実績を上げ、首脳陣の信頼をえていった。
相変わらず谷間での登板になるものの、きっちりと勝ち投手になり、自身最高の9勝をマークした。
テレビでも言っていたが、彼が先発するとチームは負けないのだ。
今日もその通りになった。
シーズン中、倉野が先発した時に、ラジオで「ピッチャーには2種類のタイプがある。一つはゲーム全体を見据えて投げるタイプであり、もう一つは一球一球を大事に投げるタイプである」と言っていた。
倉野は後者である。
いつも一球一球に精魂込めて投げている。

ところで、ホークスの今一番の問題はと言えば、松中の不調である。
彼は、城島のようなお祭り男ではないので、確かにこういう大舞台ではおとなしく見える、が、やる時にはやる男だ。
ところが、このプレーオフに限って言えば、やる時にやらない男になってしまっている。
プレーオフ前に
「勝ちたいという気持ちが強いほうが勝つ」
と彼は言っていた。
きっとその気持ちが空回りしているのだろう。
解説者も、「気負ってしまい、フォームが崩れて体が開いてしまっている」と言っていた。
4番だとか選手会長だとかいう前に、ホークスの一選手なのである。
自分で決めようと思わずに、シーズン中のように『つなぐ野球』を心がけるべきではないか。
ホームランが打てない時は、ヒットを狙ったじゃないか。
ヒットが打てない時は、必死にヘッドスライディングをやったじゃないか。
どうして今それが出来ないのだろう。
その後に全日本の4番が控えているんだから、もっと気楽にやれよ。



2004年10月09日(土) プレーオフ第2ステージ 第3戦

ぼくは今日、会う人会う人に「今日ダイエーは7点とらんと負ける」と言っていた。
別にそういう勘がしたからではない。
今日の先発斉藤が6点献上ピッチャーだからだ。
つまり、斉藤が投げる試合は、プレーボールの時にすでに0−6になっているということだ。
だから「7点とらないと負ける」と言ったのだ。

結果はその通りになった。
先ほど、日刊スポーツからメールが届いたが、そこには『斉藤が誤算』と書いている。
新聞なんだから、こういう嘘を書いてはいかん。
これは誤算でも何でもなく、6点をとられることが最初からわかっていることだ。
ちょっとホークスをかじった人でも知っていることなのに、番記者が知らないはずはない。
何をためらって、こんな記事を書くのだろう。
ここは斉藤本人のためにも、『ホークス、“斉藤マイナス6点の定理”に勝てず』と書いてやるべきだ。

しかし、斉藤は、どうしてこうも変わってしまったのだろう。
やはり、心の師である小久保がいないとだめなのか。
いまだに球団に対して、小久保の件で根に持っているのか。
それとも、昨年の沢村賞や、20勝投手の称号を引きずって天狗になっているのか。
斉藤は今シーズン、いつも我々ファンの期待を裏切ってきた。
いくら得点しても、踏ん張りがきかない。
「やったー、逆転だ」と思っていても、次の回には同点に追いつかれている。
気がつけば、早い回に6点を献上して降板。
今シーズン、こんな斉藤ばかり見てきた気がする。

おそらく、斉藤もそのことでもがいているのだろう。
が、それなら自分から「自信ありません」と言って、当番を断るべきである。
いつまでも調子の悪いままを抱えてしまっているから、今日みたいな結果になってしまうのだ。

一方の首脳陣も、「エースだから」という単純な理由で、斉藤を投げさせないでほしいものだ。
なぜなら彼は病気なのだから。
試合というものは、どちらも勝つためにやっている。
相手チームの選手が勝つことに一生懸命になっている時に、自分のことでもがいている斉藤など投げさせてはだめだ。
もし投げさせるなら、3点を目処に変えるべきなのだ。
1,2イニングはいいこともあるが、それ騙されてはならない。
その後、必ず残りの点をやってしまうのだから。

今日の試合は、はっきり言って、『斉藤マイナス6点の定理』を信じようとしなかった首脳陣の采配ミスである。
おかげで、後がなくなってしまったじゃないか。



2004年10月08日(金) あえて10月8日の日記

【早く日記を書こう】
明日は早出なので早く日記を書き上げて寝たいのだが、どうも頭のほうが言うことを聞いてくれない。
日記というのは不思議なものである。
書ける時には一気に書き上げられるのに、書けない時は何時間やってもだめだ。
その両者の内容を比べてみると、一気に書き上げたもののほうがいい内容になっている場合が多い。
これはどういうわけだろうか?

かつて作曲や作詞という創作活動をやっていた時も、同じようなことがあった。
プレイヤーズ王国に登録している曲で、評判がよかったものはすべて早書きしたものだ。
そういう作品は、あれこれ考える間もなく、勝手に曲が出てきて、勝手に歌詞が出来ていったものばかりだ。
そこにテクニックや経験と言ったものは一切なかった。
とにかく出来る時には、作ろうという意思や意欲がなくても出来るのだ。
その当時、よく「あんたにはそういう才能があるんよ」と言われたものだ。
しかし、こちらが意図しないで勝手に曲や詞がヒョイヒョイ出て来るのだ。
それの、どこに才能があるというのだろうか?
この場合、ぼくは作曲者や作詞者ではなく、ただの記録者に過ぎない。
プレイヤーズ王国には偉そうに「作詞・作曲;しろげしんた」となっているが、その部分は「記録;しろげしんた」と変えなければならないだろう。
その論法で行くと、ぼくが記録じゃなく作詞作曲した歌は、つまらないものばかり、ということになるだろう。

最近、エンピツに書いた日記を、すべてブログの方に書き写している。
その際、カテゴリーなどという分類をしなければならないので、それらの日記を読み直しているのだが、「これはおもしろい」と思う日記は、早書きしたものばかりである。
逆に「つまらん」と思うものは、圧倒的に時間をかけてダラダラと書きつづったものが多い。
きっと自分の中で、文章がまとまっていなかったのだろう。


【ブログ】
なぜブログに書き写しているかの話だが、別に今までのエンピツ日記をやめるわけではない。
一人でもエンピツで日記を読んでいる人がいる限り、ここを捨てるつもりはない。
「それなら、別にブログにする必要はないじゃないか」
と思うかたもいるだろう。
これは個人的な理由になるのだが、エンピツは一日一編しか書けないので、大いに困っている。
ご存じの通り、ぼくの日記はオムニバス的なものが多い。
例えば一昨日の日記なんかがそうだ。
で、何が困るのかと言えば、タイトルが困るのだ。
一昨日は項目の一つをとって『歯痛情報他』とした。
これだと「ああ、しんたはこの間の歯痛の続きを書いているんだ」とはわかるだろう。
ところが、もう一つの項目である『プレーオフ第2ステージ 第1戦』のことはわからない。
最初は二つのタイトルを並べてみたが、どうも様にならない。
本当にこういう時は困るものだ。
困り果ててしまい、「○月×日の日記」というタイトルを付けたこともある。
いよいよ何が言いたいのかわからなくなってしまった。

これがブログだと、同じ日に何度も書けるので、タイトルに困ることはない。
また、ブログでは携帯で日記内容を修正できるところもある。
これが誤字脱字の多いぼくにとっては都合がいい。
仕事中に昨日の日記を読んでいて、誤字脱字を見つけた。
ところが、うちの会社はインターネットが出来ない。
つまり、家に帰るまで日記の書き直しができないということだ。
そして、「ああ、こんな文章を読ませてしまった」と悔やむことになる。
ところが携帯で書き直せることが出来れば、「誤字脱字どんと来い」である。
また、出勤時間までに日記の更新が出来ない時にも便利だ。
そういうことで、ブログに書き写そう、そしていずれはメインにしようと思ったわけである。



2004年10月07日(木) プレーオフ第2ステージ 第2戦

今日の敗因は、シーズンの内容から抜け切れていなかったピッチャー和田と、変に松坂を意識しすぎた打撃陣につきる。
昨年活躍した和田と斉藤は、なぜか今シーズンは大量得点献上ピッチャーになりはてた。
和田の場合、数字こそ10勝6敗と2年連続の二桁勝利をあげてはいるものの、その中には打撃に助けられて勝ち星を拾った試合もいくつかあった。
負ける時といえば、5点とか6点とか、ひどい時には8点も相手に献上して、早々と降板する場面が目についたものだ。
そして今日の試合は、まさにそういうシーズンを象徴した内容だった。

まあ、こういうシーズンだったからこそ、首脳陣は和田の失点はある程度覚悟していただろう。
が、それをカバーする打撃がなってなかった。
今シーズン1勝5敗と大きく負け越している、というより、今季の勝ち星10個の松坂に、勝ち星半分を献上した打線だから、苦手意識を持つのはわかる。
しかし、プレーオフは短期決戦なのだ。
それを重々わかっているくせに、相変わらず松坂に対してはレギュラーシーズン通りの攻めをやっている。
つまり、つなぐ野球が出来ていないのだ。
相手は、以前のような速球だけのピッチャーではない。
ちゃんと緩急や変化球を織り交ぜて、頭脳的なピッチングをやっている。
それに対するのが、『苦手松坂』という重しを背負い込み、その重圧をはねのようとして、妙に力んでバッターボックスに入るホークスの打者たちである。
これでは勝負は見えている。
たまに長打が出ることは出る。
が、次の打者は、元々背負い込んでいる『松坂』という重しの上に、さらに『打点』という重しまで背負い込むわけだ。
この重さで打席に立つわけだから、得点出来るはずがない。
おそらくバットの重さが、何倍にも感じられるのだろう。

この『苦手松坂』という重しを背負っているのは、何も打者だけではない。
肝心の首脳陣が持っているから、話にならない。
シーズン中から松坂が投げる時は、なぜかちぐはぐな攻撃が目立っていた。
もちろん今日もである。

6回の裏の攻撃、1アウト1,3塁のチャンスで、宮地はきっちりとセンターにフライを上げた。
当然タッチアップである。
ところが、スタートをしたはずの柴原は、なぜか3塁に戻っていた。
球がそれたので、走っていれば確実にセーフだった。
安全策をとったのかどうかは知らないが、1点2点を争うゲームならともかく、すでに9点も差を開けられて勝敗は決まったようなものだったのだから、失敗したとしても体勢には影響はなかったはずだ。
何で止めたんだ?
松坂から得点できる、唯一のチャンスだったのに。
その1点が後の試合に生きてくるだろうし、もしかしたら、それでこの試合の流れが変わっていたかもしれないのだ。

あの場面、もし他のピッチャーが投げていたら、確実に走らせていただろう。
この辺の首脳陣の采配の狂いも、『苦手松坂』からくるものだと、ぼくは思っている。
何で、他のピッチャーと対戦した時のように、のびのびとした攻撃が出来ないのだろう。
それほど松坂は重いのか?
首脳陣以下全選手が、この松坂プレッシャーから解放されない限り、プレーオフ制覇はあり得ないだろう。
ファンは悔しいぞ。



2004年10月06日(水) 歯痛情報他

【先日から愚痴っている歯痛の続き】
夕方、嫁さんから電話が入った。
「保険証、見つかったよ」
「そうか。どこにあった?」
「昨日探してた引出しの中」
「え?引出しの中、あんだけ探したのに…」
「保険証入れに入とったよ」
「保険証入れ?」
「うん」
「そんなもんもらとったかのう?」
保険証入れなんて、全然記憶にない。
家に帰ってから、さっそく保険証入れなるものを見てみた。
次の瞬間、「何か、これは!」とぼくは吠えていた。
保険証が入っているから、確かにそれは保険証入れである。
ちゃんとそれにも『健康保険証入れ』と書いてある。
が、これを「保険証入れだ!」と言い切ってしまう、社会保険事務所はどういう神経をしているのだろう。
第一に素材が薄っぺらい紙なのである。
そこには取り扱い等の説明がついている。
それを以前の保険証くらいの大きさに折って、「保険証入れだ!」と言っているのだ。
毎月多額の保険料を払っているのだから、もう少し気の利いたカード入れをくれないものだろうか。
こういう紙の入れ物だと、ぼくのようなあまり健康保険証と縁のない人間の記憶にはとどまらないだろう。

とはいえ、何とか保険証は見つかった。
が、そのとたんに歯の痛みが治まっていった。
きっと、保険証が見つかったことで、「これでいつでも行ける」という安心感が生まれたのだろう。
この日記はいつものように翌朝書いているが、ほとんど痛みがなくなっている。
さて、歯医者に行こうか、どうしようか?


【プレーオフ第2ステージ 第1戦】
短期決戦の時に重要になるのは、キーマンだと言われている。
そのキーマンをいかに押さえるかが、勝敗の行方を左右する。
過去の日本シリーズ、ホークスのキーマンとしていつも城島の名前が挙がる。
西武ベンチは、もちろんレギュラーシーズンの城島しか知らない。
しかもシーズン後半、アテネから戻ってきてからの城島は、それほど調子がよくなかった。
もしかしたら西武のベンチは、その印象に振り回されて、采配に狂いが生じたのかもしれない。
5番城島の前の打者は3冠王松中。
彼は1回と5回にフォアボールを選んでいる。
その後に、城島はしっかりとタイムリーを打っている。
松中へのフォアボール、もちろん意図的ではないだろうが、ここにレギュラーシーズンのデータばかりに頼っていた西武バッテリーの甘さが出た。
もし、西武がかつてのような常勝軍団だったら、このようなミスは冒さなかったに違いない。



2004年10月05日(火) 困ったことになった

あいかわらず歯がうずいている。
が、昨日ほどの落胆はない。
これが季節的なものとわかったからだ。
実は、嫁さんも歯が痛いと言い出したのだ。
どういうふうに痛いのかと聞いてみると、ぼくと同じく歯茎がうずいて歯が脈打っているという。
さらに、「歯が痛い」というタイトルの日記を何件か見つけたのだ。
自分一人がこんな症状に悩んでいるのではない、と思ったとたん気が軽くなった。

とはいえ、痛みが治まったわけではない。
今日は休みだったが、一日中痛みと闘っていた。
「何で歯医者に行かないのか」と言われるかもしれないが、理由は昨日の日記で述べたとおりである。
が、理由はそれだけではない。
それでも、いちおう最悪の事態に備えて、歯医者をどこにするかなどと家や会社の周りの歯医者を調べていた。
いちおう歯医者の目星はつけた。
ところがである。
肝心なものが見あたらないのだ。

肝心なもの…病院に行く際、必要なものである。
そう、健康保険証である。
昨年だったか、カード化されて、それを家に持って帰ったのは覚えているのだが、それ以降の記憶がないのだ。
各種カードを保管してある場所にも、大事な物をしまっている場所、その他心当たりをすべて探したのだが見つからない。
嫁さんが「実家にあるんやないと?」と言うので、実家を探しに行ったがそこにもない。
再び家に戻って、今度は家中を探し回った。
おかげで今家の中は大変な状況である。
おまけに歯はあいかわらずうずいているし。

だいたいカードなんかにするから保管場所に困るのだ。
世の中、便利になっているのか悪くなっているのか、さっぱりわからん。
そのうちカードもなくなり、携帯電話ですべてが事足りるようになると言う。
カードでさえ手を焼いているのに、そんなことすると、またわけがわからなくなってくる。
まあ、電子マネーとかクレジットは携帯化されてもかまわないが、健康保険証だけは元の紙に戻して欲しいものだ。
まだ見つからんじゃないか。



2004年10月04日(月) 歯痛

夜からずっとパソコンの前に座っているが、何も出てこない。
考えがまとまらないのではない。
ひとつのことに悩んでいて、それが元で日記に手が着かないのだ。
その一つの悩みとは、歯痛である。
昨日の夕方あたりから、歯が浮いたような状態が続いているのだ。
その部分に触れないと何と言うことはないのだが、噛み合わせると歯茎の奥がうずき、歯がドクドクと脈打っている。
その状態がしばらく続き、また小康状態が訪れる。

こういうことはよくある。
特にこの時期のような季節の変わり目に多い。
そのため「いつものことだ」と気にしないでおいたのだが、それが二日間も続くとなるとことは重大だ。
普通の人なら、さっそく歯医者に行くのだろうが、ご存じの通り、ぼくは大の病院嫌いである。
さらにそう公表した時点から、病院に行くことを意地になって拒否している。
だから、なかなか歯医者に行くことに踏み切れない。
もし歯医者に行くことを決心したとして、健康保険証を探さなくてはならない。
それがまたおっくうである。

さて、仮に歯医者に行ったとしよう。
まず医者の口から出る言葉は、「よくこんなになるまで放っておいたもんやねえ。悪くなった時すぐに来ていれば、こんなに痛い思いをしなくてもすんだのに」だろう。
小さい頃から何度も歯医者に通っているので、医者の言う言葉くらいわかっている。
それに返事をしなければならないと思うと、気が重くなる。
小さい頃と違って、今はへそ曲がりな人間になっているから、素直に「そうですね」などと反省の弁を述べるとは思えない。
「悪くなった時といっても、それは20年以上も前の話です。今さら過去のことをとやかく言っても、どうしようもないでしょう」などと答えている自分が目に浮かぶ。

とはいえ、ぼくは今、歯医者に行くかどうしようかということを悩んでいるのではない。
歯茎を塩もみしようかどうかで悩んでいるのだ。
これやると、しみるんです。
特にその痛い歯は神経が出た状態になっているので、ちょっとでも刺激を与えると、飛び上がるほどの痛みが走る。
シミュレーションしてからはや2時間たつが、いまだに決めかねている状態である。



2004年10月03日(日) プレーオフ

【1】
3冠王が確定した翌日、地元のテレビにホークス松中選手が出ていた。
その中でプレーオフについて聞かれた松中は、「この1年は何だったのか、っていう気持ちです」と答えた。
それはそうだろう。
ペナントレースを必死に戦い、苦しんで苦しんでついに1位になった。
ところが、それはイコール優勝ではないのだから。
優勝チームと呼ばれるためには、その後のプレーオフに勝たなければならないのだから。

「この1年は何だったのか?」
松中に限らず、1位になったホークスの選手たちは、一様にこの矛盾を感じたはずだ。
いや、今年のホークスの選手たちだけではない。
来年以降の1位通過チームの選手たちも、きっと同じ矛盾を抱くにちがいない。

ではこの1位とは何かといえば、プレーオフの第1ステージ免除の権利を得ることである。
つまり高校野球で言えば、くじ引きで1回戦を戦わなくてよくなったようなものである。
つまり選手の抱く矛盾とは、「頑張って1位になったのに、それが当りくじを引き当てた高校と同じ扱いじゃねえ…。やっとれんわい」ということだ。
ここで終わりと思っていたら、実は始まりだったということだ。

さて、ペナントで1位になった。
普通ならここでビールかけだ。
ところがそれは許されない。
それどころか、ペナントレース以上に過酷な試合が待っている。
それに伴って、ファンもペナント以上の胃の痛い思いを強いられるわけである。

【2】
とはいえ今年から始まったこのプレーオフ、見る分には楽しい。
選手たちの緊張感が伝わってくるし、球場の盛り上がりかたも普段とは違っている。
興行的には成功だと言えるだろう。

しかし、ペナント1位即優勝ではないというのは、どうも解せない。
やはりペナント1位はリーグ優勝なのである。
プレーオフは、あくまでも日本シリーズ出場をかけた予選であって、元々ペナントとは別次元のものなのだ。
阪神の前監督星野仙一も、「ペナントレース優勝にこそ価値がある。日本一はおまけのようなものだ」と言っていたではないか。



2004年10月02日(土) ぼくは田舎者(2)

やはり歩くと30分かかった。
近道をしたのにである。
ぼくは靴を履いていたので何と言うことはなかったが、嫁さんはサンダル履きだったためかなり疲れたようだ。
途中何度も、「ちょっと待って、小石が入った」などと言っては休憩をしていた。
その合間にぼくは、『空の日記』のネタ撮りをしていた。
10月2日分の『煙のような雲』はその時に撮ったものである。

いよいよ店に着く。
店はさすがにすごく賑わっていた。
いろいろな店のチラシをもらいながら、ぼくたちは店の中に入った。
店の中は「迷路」、なるほど迷路である。
とにかく空間がない。
上から下まで商品だらけなのだ。
こういう店に来るのも久しぶりである。
東京にいた頃、よく秋葉原に遊びに行っていたが、そこにこういう感じの市場があった。

その迷路をさらに複雑なものにしていたものがある。
人である。
とにかく人が多い。
たまに空間を見つけると、そこには常に人の顔があった。
きっとこいつらも『田舎者』なのだろう。
それにしても若者が多い。
久しぶりにこれだけの若者を見た感じがする。
うちの店は年配者のお客さんが多いから、特にそう思うのかもしれない。

さて、1時間ほどドンキに滞在して、物色したのは1房100円(税込)のバナナと4本入り99円(税込)のキッチンタオルだけだった。
なにせ歩きで来たものだから、あまり多く物が買えないのだ。
そこでぼくは、あることを思いつき、さっそくそれを実行に移すことにした。
嫁さんに「帰るぞ」と言った。
「え?もう少し見たい」
「いいけ、帰るぞ」
「何で?」
「もういっぺん来るんたい」
「いつ?」
「今日。今度は車で」
「ああ」
外に出ると、駐車場は満車、さらに周辺の道路は渋滞している。
「この状況で、どうやってすんなりとここまで来るか?」
ふと、ここドンキの隣にある家具屋を見てみると、あまり車は駐まっていない。
しかも、そこの駐車場までは3号線から入れば渋滞は免れる。
これを利用しない手はない。

ということで、一度家に帰り、今度は母親も連れてドンキに行った。
そこで晩飯を食べ、家に帰り着いたのは午後10時を少し回っていた。
結局、二度目に行って買ったのは食料品ばかりで、他の物は一切買わなかった。
が、それでも一人2袋、つまり3人で行っているから6袋分の食料品を買い込んだのだ。

しかし、新店オープンに一日二度も行くなんて、田舎者過ぎるわい。



2004年10月01日(金) ぼくは田舎者(1)

今日、『ドン・キホーテ黒崎店』がオープンした。
九州では6番目、県内では4番目のオープンだそうだ。
JR黒崎駅から1kmほど西に行った場所で、ぼくの家からだと車で5,6分くらいである。
その場所は、ドン・キホーテの出来る前までは大手企業の社宅が建っていた。
時々そこを通って帰っていたのだが、その通りには街外れ独特の寂しい雰囲気が漂っていたものだ。
昨日、会社帰りに店の前を通ってみたのだが、ネオンの灯りがそれまでの通りの雰囲気をまったく違ったものに変えていた。

当初ぼくは行かないつもりだった。
特に欲しい物があるわけではないし、どうせ行っても駐車場は満車だろうから、「別に今日行かなくてもいいや」と思ったわけである。
それだけではない。
昔から、ぼくは、いやぼくたちは、新しく店がオープンした時などに、すぐに行く奴は『田舎者』と思っているからである。

「ぼくたち」とは高校時代の同級生のことなのだが、なぜ「ぼくたち」なのか。
それは今から30年前、ぼくが高校2年生の頃のことだった。
JR黒崎駅前に、長崎屋黒崎店がオープンすることになった。
当時、そのことはクラスでも話題になった。
乗り換えのバス停そばだったので、ぼくはオープンの日に寄ってみようと思っていた。
ところがである。
ある男が「すぐに行くのは『田舎者』だ」、とその気持ちに水を差すような発言をしたのだ。
これを聞いて、ぼくは行けなくなってしまった。
もちろんぼくだけではなく、その発言を聞いた者は、誰一人そこに行こうとはしなかった。
意地でも行けなかったのだ。
結局、ぼくが長崎屋の入口を初めてくぐったのは、その1年後だった。

「すぐに行くのは『田舎者』だ」
その言葉が、30年経った今でも、ぼくの心の中にしっかりこびりついている。
そのため、どうしても新しい店にすぐに行くのは気が引ける。
まあ、長崎屋の時のように1年経ってから行くような、極端なことはしないものの、せいぜい1週間先くらいに行こうと思っていた。

ところが、ある人からメールをもらって、その気持ちが揺らいでしまった。
そのメールには、「ドンキは迷路のようだ」と書かれていた。
「迷路」、その言葉が妙に気になった。
「どんな迷路なんだろう」
気になって、気になってしかたない。
あれこれ心の葛藤をしたあげく、つい嫁さんに「おい、ドンキ行くぞ」と言ってしまった。
「え、行くと?しんちゃん、『車が多いけ嫌』と言ってたやん」
「おう。だから歩いていく」
「歩いて?」
「30分も歩けば着くやろ」
そう言って、ぼくはさっさと出かける準備をした。
嫁さんも、それにつられて準備をした。


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