頑張る40代!plus

2003年05月31日(土) 人生最大の失態

先日、ある人と話をしていたのだが、そこで盛り上がった話題がある。
それは足の臭いの話である。
今でこそそれほどでもなくなったのだが、昔はひどかった。
小学生の頃は、友人と足の臭さを競っていた。
裸足で運動靴を履いていたのだが、靴を脱ぐと決まって指の間に垢がたまっていた。
それを臭ってみると、笑いが出るほど臭い。
で、垢を集めて、友人とその臭いのきつさを競っていたわけだ。

高校生の頃も、ぼくはあまり靴下をはかなかったのだが、汗で上履きの中が腐ってしまい、それはひどい臭いがしていたものだった。
上履きを脱ぐと漂ってくる。
よく友人から「上履きを脱ぐな」とたしなめられていた。
ちなみに、ぼくが靴下を履くようになるのは、高校2年の冬のことで、理由は大風邪を引いたからである。
それ以来、夏場以外は靴下を履くようになった。

ぼくが、前に勤めていた会社に就職したのは23歳の時だった。
就職したての頃、ぼくたちは、2人一組になって配達やクレーム処理に行かされていた。
ある日、主任から「今日はここに行ってきてくれんね」と一枚の紙を渡された。
何気なくその紙を見てみると、そこに見たことのある名前が書かれていた。
『もしかしてこれは…』と住所を調べてみた。
『ああ、やっぱり間違いない』
実はその名前は、高校時代からぼくが好きだった人の、父親の名前だった。
ということは、うまくいけば5年ぶりに彼女と再会出来るかもしれない。
期待に胸を弾ませて、ぼくは車に乗り込んだ。
別に何軒か行くところがあったので、その家に着いたのは9時を過ぎていた。
「こんばんは」
「はーい」
女性の声がした。
が、老けている。
「○○店の者ですが」
「どうぞー」

さて、ここで問題が起きた。
その日、ぼくはナイロンの靴下を履ており、しかもブーツを履いていた。
ブーツを脱ごうとした時だった。
実に野性的な臭いが漂った。
『せっかく彼女に会えるチャンスなのに、この臭いでは…』
とぼくは考えを巡らした。
『そうだ! この臭いはもう一人の奴の臭いと思うことにしておこう』
そう思ったぼくは、野生の臭いをふりまきながら、家の中を歩いていった。

居間に案内されて、しばらく談笑した時だった。
カタッという音がした。
彼女の登場である。
その時だった。
玄関のほうから、プ〜ンと野生の臭いが漂ってきたのだった。
それに呼応するように、ぼくの足元からも臭いが漂ってきた。
最悪である。
ぼくは足の臭いに気をとられて、ろくな話も出来なかった。

おそらく人生最大の失態だったと思う。
それ以来、ぼくはナイロンの靴下とブーツを履かないようになった。



2003年05月30日(金) 5月30日

実質、今日2作目の日記ということになる。
すでに一日の半分のエネルギーを日記に費やしているため、そうそう書けるものではない。
もし書けるとしたら、それはフィクションである。
しかし、ぼくにはフィクションを書くことが出来ない。
出来ないというよりも、興味がそちらに行かないということである。
もしきっかけがあれば書く可能性もあるのだろうが、当分はノンフィクションで走るつもりだ。
しかし、よしんばフィクションを書いたとしても、自己満足の世界にすぎないものになるだろう。

簡単に今日一日を記してみると、まず午前中は日記に専念していた。
ま、息抜きにギターを弾いていたのではあるが。
それにしても、長いことギターを弾いてないせいか、かなり腕が落ちている。
指がついていかないだけならともかくも、コードを忘れてしまっているのだ。
これは致命傷である。
バンドでもやろうかと思っていたのに、こんな調子ではバンドの練習に参加することも出来ない。
それにしても、ここ最近は、仕事、ホームページ、ギターの練習、作詞、作曲、読書など、やることが増えてきた。
忙しいのはけっこうだが、時間の配分に苦労している。

12時頃、福岡から親戚が遊びにきた。
そこで、外食することにした。
何を食べようかと迷ったあげく、天皇陛下のカレーライスを食べに行くことにした。
以前この日記に書いたことがあるのだが、うちの近くに、かつて天皇陛下にカレーを献上したことのあるシェフがチーフをやっているレストランがある、。
そのレストランでは、その時シェフが献上したカレーをメニューにしている。
親戚の人は「じゃあ、話の種に」と言い、そこで食べるとこを決めた。
それにしても、そのレストランは中高年層の女性客が多い。
男性は、一つのテーブルにつき、多くても一人しかいない。
おそらく、おばさんたちは暇をもてあまして、このレストランに集合しているのだろう。
ぼくは、こういうところはどうも苦手である。
やはり、労働者であふれかえっているラーメン屋とかのほうが性に合っている。

2時過ぎに親戚が帰った。
ふたたびぼくは昨日の日記に専念することになる。
ギターを弾きながらではあるが。

日記を更新した後、先週行ったスーパー銭湯に行くことにした。
「今日は歩いて行って、入浴後思いっきりビールを飲むぞ」と思いきや、無情にも雨が降り出した。
おまけに今日は風も強いと来ている。
しかたなく、車で行くことにした。
おかげで温泉ビールは、次回に持ち越しとなった。

2時間後、家に帰ってから今日の日記に取りかかる。
が、今度は時間がたくさんある。
「ま、のんびりやろう」と思っていたのが甘かった。
今、翌日の8時56分である。



2003年05月29日(木) 5月病

これも5月病というのだろうか?
どうもこのところ、情緒が不安定である。
風邪がようやく治ったと思ったら、ありもしない愛人騒ぎである。
ぼく一人面白がっていたが、よくよく考えてみると、名前を挙げられた人たちにとっては、実に迷惑な話である。
みな家庭があるのだし、もしそういうことがご主人の耳にでも入ったら、大変なことになる。
そういう噂を面白がって流す人というのは、一種の愉快犯である。
軽い気持ちで、犯罪を犯しているのだ。

一番たちの悪いのが、「私、こういうことを聞いたんだけど…」とか「こういうことが噂になってるよ」などと根も葉もない話題を提供し、他の人から情報を聞き出そうとする輩である。
自分では気づいてないと思うが、えてしてそういう人は、他人からそういう人だと見られているものである。
それゆえ、みな警戒して、本当のことを教えない。

さて、話を最初の5月病に戻すが、そういういろいろなことが重なって、今心身共に疲れている。
これは5月が、春から初夏、初夏から梅雨と、二度も季節を変える月であることと無関係ではないだろう。

東京に出た年に、ぼくは5月病にかかったことがある。
別にホームシックにかかったわけではない。
体調を崩したのだ。
何となく体がだるくなり、次第に熱っぽくなってきた。
その熱っぽさの根元は、何とお尻だった。
肛門付近が、なぜかむず痒くなった。
その時はあまり気にならなかったのだが、そのむず痒さは、徐々に痛がゆくなり、最後にはヒリヒリした痛みに変わった。
「まさか…、ぢ?」
肛門周辺の痛みは、その後1週間ばかり続いた。
その間、微熱が続いた。
情緒が不安定になり、突然大声を出したり、癇に障るようなことを言ったりと、周りの人にいろいろ迷惑をかけたものだ。
そのせいで、東京でも変わり者で通ってしまった。

なぜ、こういうことになったのか。
だいたい季節の変わり目というのは体調を崩しやすいものであるが、それが5月には二度もやってくる。
しかも、東京という慣れない土地である。
水も変われば、食べ物も変わる。
緊張度も違ってくる。
そういった様々の要素が、体調に影響したとしか思えない。

しかし、なぜそれがお尻に来たのだろうか?
それはいまだもってわからない。
不潔にしていたせいで、そうなったのか。
ぼくのウィークポイントが、元々お尻にあったので、そうなったのか。
ただ、言えるのは、その時の5月病が、その後のしろげしんたの人生、その場面場面で微妙な影響を及ぼしたのは確かだ、ということである。



2003年05月28日(水) しんたの愛人2

今日、しんたの愛人はとうとう10人になってしまった。
その内訳は、ぼくの部下にあたる人が5人、その隣の部署の人が5人である。
何のことはない、仲間内である。
つまり、「あんたが入るなら、私も入る」という軽いノリで参加しているわけである。

それにしても、いったいこの集まりは何なのだろうか?
もちろん『しんたの愛人』というのは冗談である。
おそらくは、『しんたの愛人』という名にかこつけた仲良しグループを結成したということなのだろう。
そこには、しんたはいない。

しかし、ぼくも変わったものである。
十年ほど前にああいう噂を聞いていたら、「ふざけるな!!」と目の色を変えて怒っていただろう。
それが、今では「日記のネタ」である。
それだけ大人になったのだろうか?
それとも、昔に戻っていっているのだろうか?

ぼくは小さな頃から、いわゆる逆境を遊びに変える人間だった。
詩や歌も、元々はそういう中から生まれたものである。
19歳の頃に作ったものが特に優れている、と自分では思っているのだが、その理由は、その時期が人生最大の逆境の時期だったからだ。
その逆境の時期、ぼくが何をしていたのかというと、実は自分を客観的に観察するという遊びをやっていたのだ。
その副産物が、詩であり、歌であった。
また、その延長がこのサイトである。

30歳の頃、ある人の中傷から、左遷され、外回りに回されたことがあるのだが、その時も「やったー。好きなところに行って、美味しいものを食べられる」と喜んでいた。
毎日、地図を片手に、市内の有名な店を軒並み回った。
その延長が、4月改装工事時の『せっかくだから、お昼のグルメツアー!』である。
また、その時は車での移動を許されなかったため、すべて公共の交通機関を使って移動していた。
それをまた楽しんでいた。
電車やバスで知らないところに行くというのは、胸がわくわくするものである。
後年、ローカル線の旅にはまったことがあるが、それはこの時、体験したワクワク感が忘れられなかったからである。

こうやってみてくると、ぼくは逆境にいろんな遊びや楽しみを見つけている。
それが、後年役に立っている。
もしかしたら、今回の『しんたの愛人』騒動が起きたのも、今が逆境だからなのかもしれない。
もちろん、今が逆境であるという自覚はないが、将来、この時代を振り返った時、あの頃は逆境だったと言っているかもしれない。
そして、「そういえば、あの頃『しんたの愛人』などというグループを作ってはしゃいでいた。今考えてみれば、あのノリが今に続いていると思う」などと言っていることだろう。



2003年05月27日(火) しんたの愛人

面白い話を聞いた。
しんたには、会社に5人の愛人がいる。らしい。
その話を聞いた途端、ぼくは吹き出してしまった。
「おお、おれには5人も愛人がおるんか。それは大変だ。で、誰が相手なん?」
その話を教えてくれた人は、3人の候補者をあげた。
ぼくがその3人を狙っているのだそうだ。
しかし、狙っているだけなら、その人たちを愛人と呼ぶことは出来ないはずだが。
まあ、そんな細かいことはどうでもいい。

その人は「この3人は外せない」と言った。
何を根拠にして、外せないのかはわからないが、その3人の名前を挙げて、ぼくの動揺する顔が見たかったのだろう。

ところが、ぼくはこのサイトのトップにあるとおり『いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう』人間である。
動揺するどころか、すぐに「おお、ありがたい。日記のネタが出来たわい」と思ってしまった。
こんな面白い話を、日記にしない手はないのである。

5人のうち3人は、その人の情報でわかった。
が、残りの2人がわからないと、この日記の幅も広がらない。
問題は残りの2人である。
そこで、ぼくはその人に「あと2人は?」と聞いた。
するとその人は「よく知らない」と答えた。
そうか、では、その噂の主に直接聞いてやろうと思った。
「うう、残念。知らんとか。じゃあ、誰がそういうこと言いよったんかねえ?」とその人に聞いた。
「この話は休憩室で聞いた話で、そこにいた人がみんなそう言いよったけねえ」
「誰がおった?」
「よく覚えてない」
覚えてないはずはない。
きっと、それを教えたら、その人が困ることでもあるのだろう。
ということで、それ以上の詮索をしなかった。

とはいえ、その5人がわからないと日記も盛り上がらない。
しかし、あと2人がわからない。
いろいろ考えたあげく、ネタ集めということで、名前の挙がった『外せない3人』に、「あんたはおれの愛人らしいよ」と言って回った。
3人ともあ然とした顔をして、終いには笑い出した。
そして、周りにいた人たちにも、「この人、おれの愛人らしいよ」と教えて回った。
誰一人驚く様子もなく、笑い出した。
「いやね、この会社にしんたの愛人が5人おるらしいんよ。で、3人はわかった。その一人がこの人なんよ。あとの2人がわからんでねぇ」
すると、周りにいた人たちは面白がって、「え、たったの5人?」などと言う人もいた。
そういう中に、「私、あと2人知っとるよ」という人がいた。
「誰?」
「それはねえ」
「うん」
「○ちゃんと私」
「え、そうやったん?」
「そうよ。それしか考えられんやん」
「そうか、あんたもおれの愛人やったんか」

そこでぼくは、その話をしたすべての人に「5人全部わかりました」と告げて回った。
ところが、それに不服を唱える人が出てきた。
「それはおかしい。何で私が入ってないと」
「そうよ。私も入ってないやん」
それを聞いた、愛人に選ばれた人が、「じゃあ、あんたも愛人に入ればいいやん」と提案した。
ということで、不服を唱えた2人も愛人グループに仲間入りした。

今、しんたには7人の愛人がいる。ことになった。
今度『愛人の集い』をせないけん。



2003年05月26日(月) あまり嬉しくない後輩たち 後編

「しばらくこちらを離れていたもんで、こちらの人の顔を忘れてましたよ」
「離れていた? どこにおったと?」
「いやー、ちょっと遠いところに。ははは」
ちょっと遠いところ、こういう人たちの言う『遠いところ』といえば、相場が知れている。
中学時代の後輩とはいえ、どうもこの手の人間は苦手である。
おまけに『遠いところ』に行っていたなどという話を聞かされたものだから、こちらの気は乗らない。
にもかかわらず、彼の話は終わらない。
最後には相づちを打つだけになっていた。
およそ30分後、彼は「じゃあ、またきまーす」と言って帰っていった。

「あいつ今何をやっているんだろう?」という疑問を持ったぼくは、ローン用紙に書かれている職業欄を見た。
「やっぱり…」
彼は自動車金融の社長をやっていた。

それから彼は、ちょくちょく顔を見せるようになった。
最初こそ一人で来ていたのだが、その後はいつも若い衆を連れていた。
ガラの悪い兄ちゃんが「しんたさんですか?」とやってきた。
「そうですけど」
「あの、社長が下で待ってますから、来てもらえませんか?」
「社長?」
「はい」
とりあえず下に行ってみると、彼がいすに座っていた。
「しんたさん、忙しいところすいませんねえ。いや、今日はこの商品を買おうと思いましてね。何も言わずに帰ろうと思ったんですけど、いちおう来たことだけ報告しておこうと思いまして。ははは」
要はまけてくれと言っているのだ。
ぼくは、その商品の担当者に、値引いてくれと頼んだ。

「ああ、この値段でいいらしいよ」
「しんたさん、すいませんねえ。そういうつもりじゃなかったんですけど。ははは」
そういうつもりである。
「ところで、これ車に乗るかなあ」
「車、どこに停めとると?」
「ちょっと大きな車なんで、路上に停めてるんですけど」
行ってみると、なるほど大きな車が停まっている。
車幅の広い外車であった。
「ははは、すいませねえ。こんな車しかなくて」
「・・・」

その後も、何度か彼は『こんな車』で登場した。
店に来ると、いつもぼくを呼んだ。
ま、考えてみると、彼は身なりこそ変だが、誰に迷惑をかけるわけではなく、来ると必ず買い物をするし、しかも金払いもいい。
いわば上得意である。
しかし、ぼくは嫌だった。
来るのは勝手だが、ぼくを呼ばないでくれ、と思っていた。
来るのは勝手だが、ガラの悪い取り巻きを連れてくるな、と思っていた。
来るのは勝手だが、その下品な笑い声はやめてくれ、と思っていた。

それから2ヶ月ほどして、彼はパッタリと来なくなった。
来なければ来ないで結構なことなのだが、それまで頻繁に来ていたので、なぜか彼のことが気になった。
それから、ぼくがその会社を辞めるまで、彼は店に来ることはなかった。
もしかしたら、また『遠いところ』に行ったのかもしれない。



2003年05月25日(日) あまり嬉しくない後輩たち 前編

今日、売場に立っていると、後ろから「おう!」という声がした。
振り向いてみると、そこには高校の同級生のAちゃんがいた。
「しんた」
「おお、Aちゃんか」
「久しぶりやねえ」
「ほんと、久しぶりやねえ。Aちゃん、いくつになったと?」
「いくつって…」
Aちゃんは、相変わらず変なことを言う奴だという顔をしていた。

ぼくはこれまで二度就職をしたが、そのどちらも職場は市内にある。
そのせいか、知り合いによく遭遇する。
前の会社で楽器を売っていた頃、一人のお客さんがやってきた。
坊主頭のスーツ姿、目つきが鋭く、その容姿に不釣り合いな派手な飾り物を身につけている。
どう見ても、堅気には見えない。
関わると面倒なので、ぼくは顔を合わさないようにし、売場の隅で「早く帰ってくれ」と願っていた。
こちらの意に反して、けっこう長い時間、その人はそこに展示してある楽器類を見ていた。
ゆっくり売場を一回りし、キーボードの前で足が止まった。
物言わずじっとそれに見入っている。
しばらくして、彼はぼくのほうを振り返り、「すいませーん」と言った。
ぼくは「捕まった…」と思いながら、その人のところに行った。

「あのー、これ、子供でも弾けますかー?」
言葉は普通だが、その筋の人たちの使う、独特のアクセントだった。
「おいくつですか?」
「4歳」
「ちょっと難しいと思いますが…」
「そーですか。じゃー、こっちはー?」
「あちらと比べると簡単です」
「そーですか。じゃー、これもらえますかー」
あっさりと決まった。
彼はポケットから財布を取り出した。
財布は分厚く、おそらく100万円くらいは入っていただろう。
そこからお金を取り出すかと思いきや、彼は「あいにく、持ち合わせがありません。ローン組めますか?」と言う。
「ローンですか。いいですよ」
ぼくはさっそくローン用紙を取り出し、彼に必要事項を書いてもらった。

「書きましたよー」
商品の準備をしていたぼくに、彼は声をかけた。
「はい」
と、ぼくはローン用紙に目を通した。
「!」
そこには、中学時代の後輩の名前が書かれていた。
しかし、関わるのがいやだったので、そのことには触れなかった。

しばらくして、ローンの承認が下りた。
「お待たせしました」
ぼくは、彼に商品を渡した。
その時だった。
彼はぼくの顔をのぞき込んだ。
「あのー、どこかで会ったことありませんかねー? 失礼ですが、中学どこでしたかー?」
「H中ですけど」
「お名前、なんと言うんですかー?」
「しんたですけど」
「ああ、しんたさん。あのー、わたしのこと覚えてませんかー?」
ぼくはわざとその人の顔をのぞき込み、「そういえばどこかで見たような」と、その時初めて気がついたような顔をした。
「やっぱり。いやー、最初からどこかで会ったような気がしてたんですよー。お久しぶりでーす」
急に彼は饒舌になった。



2003年05月24日(土) 銘酒『西の関』後編と言い訳と恋

【銘酒『西の関』後編】

さすがに九州内である。
注文した翌日に、『西の関』1ダースは届いた。
その日から毎日、期間にして2ヶ月でその酒を飲んだ。
途中、他の酒も飲んだりしたが、その『西の関』にかなうものはなかった。

自分を納得させる酒を見つけたせいか、その後ぼくは酒に対する興味が急速に冷めていった。
もうどうでもいい、という心境である。
たまに、コンビニやディスカウンターで『西の関』を見つけると、買って飲んでみる程度である。
今回もその流れで買ったのだが、あいかわらずこの酒は美味しい。
というより、口に合っている。


【言い訳】
今日は、朝8時に家を出なくてはならなかった。
そのため、昨夜はいつもより1時間早く寝た。
日記のほうは、6時に起きて書くことにしていたのだが、目覚めが悪く、起きたのは7時前だった。
1時間で日記を仕上げなければならない。
しかも、その限られた時間の中で、出かける準備をしなくてはならない。
洗顔・ひげ剃り・トイレ、その合間合間に日記を書いていった。
ボーっとした状態で、何とか文章を繋いでいったものの、なかなか思うような文章が書けなかった。
無情にも、時間だけがどんどん過ぎていく。
ようやく文章がたまった時、時計は7時50分を回っていた。
しかし、日記が出来たわけではなく、最後の部分で戸惑っていた。
「このままだと遅刻する」
そう思ったぼくは、奥の手を使うことにした。
そう、おなじみの『前編』『後編』の登場である。
おかげで、8時には家を出ることが出来た。

会社に行って後編の部分を考えていたのだが、後少しで終わる文章だったので、もうそれ以上のことは考えられなかった。
「文字数は、せいぜい200字前後か。こんなに短い後編は今まで書いたことがない。どうしよう?」
と、いろいろ悩んだあげく、オムニバスという手を考えた。
それがこの『言い訳』である。


【恋】
若い頃は、自分のことを一途な人間だと思っていたのだが、これまでの人生を振り返ってみると、決してそうだとは言い切れない。
かと言って、『恋多き男』とまではいかないようだ。
ま、人並みだと思っている。

恋、これほどやっかいなものはない。
昔から『恋の病』とか『惚れた病』などと言うが、はっきり言って恋とは病気なのである。
何が病気かというと、精神状態が普通ではないのである。
朝起きた時、早くもその人のことを考えている。
通学時,通勤時にも、その人のことを考えている。
授業中,仕事中といった神経をそこに集中させなければならない時にも、その人のことを考えている。
食事中も、トイレの中でも、入浴中も、いつもその人のことを考えている。
寝る前、さらに夢の中でも、その人のことを考えている。
つまり、一日の精神活動の大部分を、その人のために費やしているのである。
その結果、目はうつろになり、息は苦しくなり、胸は痛くなる。

これが今までのぼくの恋の姿だったのだが、もううんざりである。
これからは、もっと恋する自分というものを楽しむようにしていきたいと思っているのだが、どうなることやら。



2003年05月23日(金) 銘酒『西の関』前編

久しぶりに晩酌をした。
夕方、コンビニにタバコを買いに行ったのだが、そこでお気に入りの日本酒『西の関』の純米酒を見つけた。
さっそく、レジで支払った。

ぼくと『西の関』の付き合いは、それほど長くはない。
30歳の頃に人に勧められて飲んだのが最初だから、まだ15年くらいしか経ってない。
それまでは、あまりブランドにはこだわらずに、『月桂冠』『大関』『白雪』といった一般的なものを飲んでいた。
酒といえば「とにかく酔えればいい」という考えを持っていたので、味などにはいっさいこだわってなかった。

ところが、知り合いから紹介された『西の関』を飲んでから、その考えは一蹴された。
折しもその頃にブームになっていた『夏子の酒』の影響もあって、ぼくの日本酒へのこだわりが始まる。
日本酒の専門店に飲みに行ったり、蔵元に行ったりして、本物の味を探し回った。

そういう中で、いくつかのおいしい酒に巡り会った。
これらは一般に売っているものと違うプレミア付きのもので、例えば『越乃寒梅』は一杯3千円もした。
また、その中で印象に残った酒は、静岡の『磯自慢』である。
実にフルーティで、日本酒というより、ジュースに近いものがあった。
「これ、まるでジュースやん」とぼくが言うと、店主は「そうでしょ。寒梅とはまた違ったものがありますよね。ああ、そういえば、その『磯自慢』の中でも幻の名酒と呼ばれている酒がありますよ」と言った。
「幻の名酒? すごいねぇ。ぜひ飲んでみたい」
「実は、最近手に入ったんですよ」
「へえ、ぜひ飲んでみたい」
「でね、その名前なんですけど」
「うん」
「嘘みたいな話なんですが」
「うん」
「『江戸紫』っていうんですよ」
「えっ!?」
「洒落で付けたとしか思えませんよね」
ということで、ぼくは一杯千円する、その磯自慢の江戸紫を飲んでみた。
最初に飲んだ『磯自慢』よりも、さらにフルーティだった。

さて、ぼくの美味しい酒探しは、その後も続いた。
が、そうそう美味しい酒には巡り会えない。
さらに金が続かない。
そういう時だった。
ぼくの美味しい酒探しのきっかけとなった酒『西の関』を改めて飲む機会があった。
冬季限定の純米酒だった。
おいしい。
それまでに飲んだどの酒よりも、ぼくの口に合っている。
しかも、蔵元に買いに行く必要もなく、直送体制をとってくれている。
さっそく、酒造元である大分国東半島の萱島酒造に電話し、1ダースほど注文した。



2003年05月22日(木) 明日の予定

ちっ、3時過ぎたか。
また明日も起きれんわい。

いちおう明日の予定を書いておく。

朝7時に起床。
まず、これが危うい。
ほとんど習慣化しているから、まずこの時間に起きることに問題はないとは思うのだが、たまに大幅に寝過ごすということもある。
二度寝しないことが肝要だ。

パソコンをしばらく触った後、朝食。
夕方買ったホルンのホテル食パンと、ケロッグのコーンフレークですますつもりだ。
最近、ホルンのホテル食パンにはまっている。
あのモチモチ感は他の食パンでは味わえない。。
一方のケロッグのコーンフレーク。
いつも牛乳をかけて食べるのだが、コーンフレークを食べた後の、牛乳のほろ甘さがたまらなくいい。

8時15分、NHKの連ドラ『こころ』を見る。
別に見ているわけではないのだが、朝食をとっている時に、このドラマをやっているので、ついつい目が行ってしまう。
優作なきあと、こころたちはどうなっていくのか。
別に見ているわけではないが、興味はある。

8時30分にトイレに駆け込む。
明日は休みなので、時間に余裕がある。
しかし、トイレに長居すると、洋式であるにもかかわらず足がしびれるし、痔にもよくない。
出ても出なくても、早めに出ることにしよう。

いちおう8時45分、ひげを剃り、顔を洗う。
今一番問題になっているのが、シェーバーの臭みである。
あごや頬を剃る場合はそうでもないのだが、鼻の下を剃る時、この臭みが気になる。
その臭いとは、カビの臭いである。
いつカビが生えたのかわからないが、とにかくここ1ヶ月以上も、この臭いを嗅いでいる。

9時になったら出かけなくてはならない。
先ほども言ったとおり、明日は休みである。
当然、仕事で出かけるのではない。
銀行に行くのだ。
福岡銀行→みずほ銀行→福岡ひびき信用金庫→福岡シティ銀行、この順番で回る予定。

9時半に戻り、再びパソコンを触る。
さっきまでやっていた、CDの録音の続きをやるつもりだ。
明日中に洋楽だけは終わらせたい。

10時45分からテレビ『あかんたれ』を見る。
ごりょんさんに「ステテコを続ける」ときっぱりと言った秀松。
その後の成田屋がどうなるか、楽しみにしている。

ま、午前中の予定はこんなものである。
しかし、予定はあくまでも予定であって、どう変化するかわからない。
ちなみに、現在午前8時43分なのだが、起床時間は8時だった。
初っぱなからすでに外している。
しかも、『こころ』は見てない。
おそらく、この後の予定も、大幅に修正されるだろう。

それにしても、今日の日記は、タイトルに沿って書いたものだから、何か違和感を感じた。



2003年05月21日(水) 『淡いカルピス』

 『淡いカルピス』

 君は夢を見てればいいよ
 柔らかな毛布にくるまって
 羽のような想い出を抱いて
 静かに眠っていればいいよ

 考えることも何もない
 ただ夜の目覚めに泣かないように
 ぼくも意地悪なんかしないから
 さあ静かに目を閉じて

  美しい夕焼けが好きだったね
  ああそうだ あの頃の歌を
  あのときの歌を君に唄ってあげよう

 淡い淡いカルピスの味だったね
 小さなカクテルグラスにレモン浮かべて
 透きとおったストローが白くなるのを
 今君は想い出として夢見るがいい


こういう詩を読むと、大半の男性はよからぬ想像をするだろう。
もしぼくが作者でなかったとしたら、おそらくその大半の男性の部類に入るだろう。
何がよからぬのかは、この日記を読んでいる人の想像に任せることにしよう。

そういえば、以前井沢元彦さんがSAPIOで、朝日新聞の社説を国語の問題に出したら、大部分が不正解になるだろうと書いていた。
なぜなら、その文章とはまったく逆の見解を作者が述べているからだそうだ。

ある高名な作家の文章が、大学入試に出たことがある。
その作家が問題を解いたところ、半分も出来なかったという。
答合わせをやった彼は、「おれはこういう意図で、この文章を書いてない」と言ったそうである。

こういうように、一般の人の受け止め方と、作者の意図とはかなりの開きがある。
しかし、作家先生が言ったように、作者の意図はまったく違ったところにあるのだから、解釈に正しいとか、間違っているとかいうものはなく、あるのは感性の違いだけである。
だから、上の『淡いカルピス』を読んで、よからぬ受け止め方をした人も決して間違いではない。
そう、どう読もうと勝手なのだ。

では、作者であるぼくは、この詩に何を書いたのか?
実は、この詩は子守歌なのだ。
弱い自分が目を覚まさないように、という意味を込めた。

子守歌と聞いて、「やっぱりね」と思われた方もいるかもしれない。
「いや、そんなことはない」と思われた方もいるかもしれない。
しかし、さっきも言ったように、どちらの解釈も間違ってはいないのだ。
もし誰かが、「この詩は実にエッチな詩ですなあ」と言ってきても、けしてぼくは否定しないだろう。



2003年05月20日(火) 歩いて行ける温泉

夕方、スーパー銭湯に行ってきた。
ブームなのか、ここ最近バタバタとこの手の銭湯が出来ている。
テレビローカルのワイドショーなどでは、よく郊外にできた新しい銭湯が取り上げられている。
元々ぼくは、ひなびた温泉に行くのが好きで、こういう作られた温泉にはあまり興味がなかった。
が、テレビで紹介される風呂はどこもきれいで、いろいろ楽しい施設が設けられている。
こういうのを見るたびに、いつかそういう銭湯にも行ってみたいと思ってはいたのだが、そういう銭湯は観光地でない場所に作られているケースが多く、それだけのためにわざわざ時間を割くのももったいないと、行くのを躊躇していた。

ところがである。
気がつけば、家から車で10分以内の場所に、3軒ものスーパー銭湯が出来ていたのだ。
しかも、その中には天然温泉もあるではないか。
これは行かない手はない。
そこで、先月、5月の連休が終わってから行ってみようと、計画を立てていた。
ところが、その5月の連休中に風邪を引いてしまい、それがなかなか治らない状態が続いてた。
そのためスーパー銭湯行き計画が延び延びになってしまっていた。

ということで、今日その延び延びに終止符が打たれた。
どこに行こうかと迷ったが、まず手始めに、ということで、最も家から近い銭湯に行くことにした。
そこは近くも近く、小学校の校区内にある。
校区内ということは、当然歩いて行けるのだが、今日は昼間けっこう歩いており、その疲れもあって車で行くことにした。
しかし、歩いて行ける場所というのは、車で行くと遠く感じるものである。
ちょうど夕方の渋滞と重なったせいもあるのだが、一番の要因は、近道が使えないということにある。
小学校の校区だから、もちろんそこまで行くための道を知り尽くしている。
ところが、そういう道は、一方通行であったり、道幅が狭かったりで、使用することが出来ない。
そこに行くためには、車道を使わなくてはならないため、どうしても遠回りになってしまう。

さて、銭湯に着いた。
さすがに建物は新しい。
駐車場もまあまあの広さである。
中に入ってみて一番最初に驚いたことは、下駄箱の数の多さである。
数えたわけではないのだが、そこだけで8畳くらいのスペースをとっている。
次に驚いたのは、床のきれいさだった。
板張りだが、ピカピカと輝いている。
普通の銭湯のイメージを持って、そこに行ったため、この床のきれいさには驚かされた。
さらに驚いたのが、建物の中にある施設の多彩さである。
レストランやマッサージはもちろんのこと、焼き肉屋や床屋まである。
しかもその床屋、ヘアーカット1000円という安さである。
風呂の中にも、垢すりコーナーなどがあった。

今日は時間がなく、あまり長居が出来なかったため建物内の探検が出来なかったのだが、次に行く時はもう少し時間をとって詳しく調べたいと思っている。



2003年05月19日(月) しんた症候群

トイレの個室が和式だった時、用を足した後で立ち上がる際に、つい配管をつかんでいたという経験はないだろうか?
ぼくの場合、ここ1年ばかり、ほとんど毎日その経験をしている。
配管をつかまなくても立ち上がることは出来るのだが、目の前に配管があると、ついつかんでしまう。
立ち上がる時、股関節に若干の痛みを感じるのは、歳のせいだからだろうか。

ぼくはいつも長時間パソコンの前に座っているのだが、たまに立ち上がって、トイレに行ったり冷蔵庫にジュースをあさりに行ったりしている。
そういう時、なぜか腰がすぐにまっすぐにならず、年寄りのように曲がっていることはないだろうか?
ま、30秒待たずに腰はまっすぐなるのだが、そこまで伸ばすのには、けっこう労力を使うものである。
こういうのは歳とは関係ない、と思う。

朝起きた時は何ともないのだが、顔を洗っている時に突然首が回らなくなったとこはないだろうか?
「おかしいなあ」とストレッチやラジオ体操などをやっていくうちに、だんだん痛みが激しくなっていく。
車を走らせている時はそうないのだが、駐車場に入れる時、後ろを振り向くことが出来ないため、かなり時間がかかってしまう。
もちろんその日一日は憂鬱で、仕事も満足に出来ない。
風呂に入ると幾分痛みも和らぐのだが、体が冷えてくるとまた痛みは復活する。
元の状態に戻るのは、少なくとも3日、長引く場合は1週間を要してしまう。
「昔はそんなことはなかったのに」と思いながらも、それを歳のせいと認めたがらない自分がいる。

別に歩いたり走ったりした覚えはないのに、気がつくとすねの筋が張っていたということはないだろうか?
痛みより何より、その原因を懸命に考えている。
「昨日歩いた覚えはないし、一昨日も歩いてない。いったいいつ歩いたんだろう?」
などと考えていくうちに、「そういえば1週間ほど前に本屋まで歩いて行ったよなあ。まさか、あの疲れが今頃出てきたってことか? いや、そんなことはない!」と否定しながらも、「歳かなあ…」とつい弱音を吐いてしまう。
「いや、そうではない。そういう弱音を吐くことが歳なのだ。若い時だってこんなことあったわい」と自分を慰めている。



2003年05月18日(日) 無表情な子供たち 後編

その後も彼らはゲーム機のところから離れないでいた。
公衆電話をかけようと、財布を取り出したおじさんを無表情に見つめていた。

ここでぼくたちは一つの疑問を持った。
「この子たちの親はどうしたんだろう?」
ここまで無表情でおれるいうことは、おそらく家庭環境に問題があるに違いない。
そこから話が大きくなり、「学校も行ってないし、もしかしたらこの子たちは家出してきたんじゃないか」ということになった。
「あそこの公園で寝泊まりしとったりして」
「顔とか垢が一杯たまっとるやん」
「じゃあ、保護してもらわんと」
といって、土・日に開いている児童相談所なんて聞いたことがない。
こうなれば警察である。
さっそく店長に事情を話し、警察を呼んでもらうことにした。

15分ほどして、警察の人がやってきた。
「どの子供ですか?」
「あそこにいます」
「はい、わかりました」
警察の人は、子供たちに向かって何か言っていた。
ところが、子供たちは、警察の話を聞いているのかいないのか、あいかわらず無表情な顔をしている。
数分後、警察が何かを渡した。
子供たちは、それをポケットに入れると、店から出て行った。

それを見届けてから、ぼくは食事に行った。
1時間後、ぼくが食事から戻ってくると、アルバイトの子がぼくを呼びに来た。
「しんたさん、これ」
それは傘を入れるビニール袋だった。
中に空気を入れて風船のように膨らませてあった。
それが、いくつもある。
「それ、どうしたん?」
「上から降ってきたんです」
「上から…、駐車場?」
「はい」
「もしかしてあの子たちの仕業?」
「そうなんです」
ぼくは2階に上がって行った。
そこにあの子供たちがいた。
一番上の兄ちゃんはおらず、いたのは二番目から下だった。
例のビニール袋を持って遊んでいる。

「あんたたち、まだ帰ってなかったと?」
彼らの動きが止まった。
ぼくが「さっきお巡りさんから、帰れと言われたんやないんね?」と言うと、二番目の兄ちゃんは首を横に振った。
「あの時、あんたおらんかったんかねえ?」
彼は首を縦に振った。
ぼくは視線をその弟にむけた。
「お巡りさんから、何か言われたろ?」
「・・・」
弟は他の方向を向き、口をポカンと開けて黙っている。

「・・・。とにかく、ここは車がたくさん来るけ危ない。下に降りなさい」
やっと言うことを聞いた。
彼らは、ぼくの後を付いてきた。
階段の下まで行ってから、ぼくは言った。
「もう遅いけ、今日は帰りなさい」
「・・・」
3人とも口をポカンと開けて黙っている。
「早く帰らんと暗くなるよ」
「・・・」
彼らはしばらくそこに立ち止まっていた。
「早く帰りっ!」
ようやく動き出した。
3人とも店の外に出ていった。
それ以降、彼らは店の中に入ってこなかった。

それにしても、あの無表情さというのは何だろう。
他の子供たちには見られない表情である。
やはり、育ってきた環境なんだろうか。
元々そういう性格なのかもしれない。
不思議なことに、この子たちがいるだけで、なぜか場の雰囲気が変わるのだ。
何か妙なものを背負っているのかもしれない。
今後、この問題で悩まされそうである。



2003年05月17日(土) 無表情な子供たち 前編

今日も来ている。
ぼくの働いている店の入り口には、ゲーム機・公衆電話・コピー機・自販機などが置いてある。
最近、そこにたむろする何人かの子供たちがいる。
上は自称17歳男子、次が中学生か小学校高学年男子、次が小学校低学年男子、最後が幼稚園女子。
どうも兄弟のようである。
学校に行ってないのか、朝から店にやってきては、そこに居座っている。
男子がいつも黒いTシャツを着ているので、ぼくは密かに『黒装束集団』と呼んでいる。

さて、いつもゲーム機のある場所にたむろする彼らではあるが、そこでゲームをしているわけではない。
では何をしているのかというと、かなり悪どいことをやっている。
自動ドアのスイッチを勝手に切ったり、カートを転がして遊んだり、公衆電話や自販機の釣り銭をあさったり、ゲーム機を倒してお金を盗ったりしている。

こちらも見て見ぬふりをしているのではなく、ちゃんとその都度注意しているのだが、聞く耳持たずである。
何度注意しても、また同じことを始める。

今日はとうとうぼくが注意することになった。
いつものように彼らは、入り口付近で遊んでいた。
今日は新たな遊びを見つけたようだった。
その遊びとは、自動ドアのスイッチを切ることである。
パートさんからの通報があり、ぼくはその場に駆けつけた。
行ってみると、小学校低学年男子が、自動ドアのところに座り込んで、足でドアを蹴っている。
「誰がこのスイッチを切ったんね?」
「・・・」
「ドアを蹴りなさんな。危ないやろ。ここから離れなさい!」
「・・・」
聞いていたとおりで、彼らは無表情な顔をして、こちらの言うことを何も聞いてない。
「聞こえよると!?」
「・・・」
うつろな目でこちらを見返すばかりである。
それにしても、彼らの顔色は悪く、肌の色つやに精彩がない。
栄養が足りてないのか、顔中ハタケだらけである。
「ここは遊び場やないんやけ、あんたたち他に行って遊び」
「・・・」
自動ドアのところからは離れたものの、その場に座り込んで、いっこうに立ち去る気配を見せない。
ま、いちおうは大人しくなったので、ぼくはそこから離れた。

しばらくして、また通報が入った。
ショッピング・カートを2階の駐車場にあがる階段の上に持って行き、そのままカートを放置していたらしい。
何かの拍子でカートが落ちてしまい、下にいたお客さんに当たったというのだ。
幸いお客さんには怪我はなかった。
しかし、彼らは悪びれもせず、まだその場で遊んでいた。
それを見た従業員が、彼らのところに行って注意をしたらしいのだが、あいかわらず無表情のままであったという。



2003年05月16日(金) 何だすて!?

「何だすて!?」
最近はまっている『あかんたれ』で、お決まりのように出てくる言葉である。
意味は説明するまでもなく「何ですって!?」だ。

ぼくはこの言葉を気に入って、ギャグとして使っている。
ぼくの地区を担当している取引先の人に、生粋の浪速っ子がいる。
先日その人が来た時、出し抜けに「何だすて!?」と言ってみた。
すると、その取引先の人は笑い出し、「えらく古い言葉を使ってますねえ」と言った。
「えっ、大阪の人ち、『何だすて!?』とか言わんと?」
「今時そんな言葉を使っている人なんていませんよ」
「そうなんね。てっきり今でも使いよるかと思った」
「うちの親父でさえ使ってなかったから、そういう言い方はそれ以前の時代の人たちが使ってたんでしょうね。それに、その言い方は元々商人言葉ですよ」
「でも、吉本とかも似たようなしゃべり方をするやん」
「ああ、あれは吉本の独自のしゃべり方ですよ。おそらく、商人言葉から流れてきたんでしょうね。一般の人はああいうしゃべり方はしませんよ」

なるほど、言われてみればそうである。
ぼくはよく『探偵ナイトスクープ』を見ているが、あれに出てくる一般の人は、関西独特のアクセントはあるものの、「わて」とか「だす」とか「おます」などとは言ってない。
やはり、取引先の人が言うように、古い商人言葉なのだろうか?

言葉の話が出たついでだが、ぼくは前々から興味を持っている言葉がある。
それは『〜やん』である。
「〜やん」は西日本で広く使われている言葉で、大阪でも使えば、九州でも使う。
しかし、この言葉、関東では使わない。
では、何と言うかというと、「〜じゃん」である。
以前、ネットで知り合った大阪の人が、「今度、東京で就職するんだけど、言葉が心配」と言っていた。
その時、ぼくは「別に心配しなくていい。堂々と大阪弁でしゃべればいい。決して『〜やん』を『〜じゃん』に言い換えるな」と言っておいた。
その人が音信不通になったため、まだ『〜やん』を使っているかどうかは知らない。

その『やん』をローマ字で書けば『YAN』となる。
もう一方の『じゃん』をローマ字で書くと『JAN』となる。
ここであることに気が付いた。
例えば、『JAPAN』という文字を英語で読めば『ジャパン』だが、ドイツ語で読むと『ヤパン』となる。
いやドイツ語だけではない。
ヨーロッパや中近東では、日本のことを『ヤパン』とか『ヤポン』と呼ぶ国は多い。
その際の『ヤ』の表記は、『YA』ではなく『JA』である。

それと似たのに、『Jesus Christ』がある。
これは英語だと『ジーザス・クライスト』である。
ミュージカルに『ジーザス・クライスト・スーパー・スター』というのがあるが、あれである。
最初、ぼくはこの『ジーザス・クライスト』というのが、何を意味するのかを知らなかった。
特に興味がなかったから、調べようともしなかった。
そのため、それが『イエス・キリスト』の英語読みだと知ったのは、つい最近である。
ぼくはクリスチャンでもないし、こういう言語に対しても無知なので、どちらが元々の発音かは知らないが、かのザビエルは「イエズス会」と名乗っているくらいだから、けっこう多くの国の人が『イエス』と読んでいるのだろう。

この場合も『イエ』は『YE』ではなく、『JE』なのである。
その表記に非常に興味をそそられる。
で、最初の『やん』に戻るが、この言葉をローマ字表示した場合、『JAN』と書くのが正しいかもしれない。
とすると、『じゃん』を使う地域は、英語を使う人たちの影響が大きかったのではないか、という憶測が生まれる。
もちろん『やん』地区は、イエズス会系ということになる。

ま、ぼくは学者ではないので、あくまでも憶測止まりで、これ以上の展開は望めないし、展開させる気もない。
ところで、『〜です』というのが『〜だす』となるのも、そのへんの絡みがあるのだろうか?
うう、興味は尽きない。



2003年05月15日(木) 下駄を履くまでわからない

今朝の新聞を見て若干の驚きがあった。
前にも言ったが、うちは地元紙である西日本新聞を購読しているのだが、今朝の一面は、「さすが地元紙!」とうならせるものがあった。
トップ記事の見出しは『有事法案を衆院委可決』となっている。
問題はその記事の下の写真である。
ホークスの選手が1塁付近に集まっている。
その写真の見出しは、『8点差 大逆転』となっている。
この新聞は、西日本スポーツではない。
れっきとした一般紙である。
その昔、全国に名前をとどろかした福岡日日新聞の後継紙である。
いかに昨日の試合がインパクトがあったにせよ、優勝でもないのに、この馬鹿騒ぎ、「さすが地元紙!」とうならずにはいられない。

今日は一日、その逆転の話題で持ちきりだった。
会う人会う人が「しんちゃん、昨日ダイエー凄かったねえ」である。
正直言うと、昨日の試合、ぼくは諦めていた。
それまで3連敗。
首位陥落とともに、覇気まで失ったような選手の動きである。
しかも相手は、5連勝中の近鉄バファローズ。
12日と13日の対近鉄戦は、テレビを見ても、ラジオを聴いても、ホークスの上には暗雲が立ちこめているように見えた。

午後7時、テレビ中継が始まったとたん、「0−5」となっていた。
「また今日もかぁ…」である。
その後もしばらく見ていたのだが、反撃の糸口さえ見あたらず…。
逆に近鉄のほうは、阿部のホームランなどあり、さらに勢いづいている。
ついに「0−8」
ここでぼくは会社のテレビを切った。

帰りの車の中で、城島のホームランで2点が入っていることを知った。
しかし、まだ6点差ある。
今のチームの勢いからすると、ゲーム終盤の6点ビハインドは致命傷と言ってもいい。
家について、さらに2点追加したが、まだ4点差がある。
残す回は、8回と9回の2イニングだけ。
しかも8回はランナーを出したものの、得点には結びつかない。
「いよいよ4連敗濃厚」と思ったぼくは、ラジオのスイッチを切った。

それからぼくはパソコンに向かった。
ま、試合のほうは気にはなるけど、ノリやローズの笑顔が伝わってくるような放送は聴きたくない、という意思からである。

しばらくパソコンをやってから、ぼくは風呂に入った。
風呂には、専用のラジオを置いている。
ぼくはいつもの癖で、ラジオのスイッチを入れた。
負けは認めていたものの、結果だけでも知りたかったのだろう。

「えっ!?」
何と、まだ試合をやっているではないか。
場面は9回裏ダイエーの攻撃中。
1死満塁で、バッターボックスには、その日1本ホームランを打っている城島が入っていた。
「もしかしたら」と思った時だった。
走者一掃の2ベースヒット。
これで「7−8」の1点差まで追い上げた。
その後はスポーツニュースでご存じの通り、大道の同点タイムリー、ネルソンのサヨナラ打と繋がる。

『野球は下駄を履くまでわからない』とよく言われるが、昨日の試合はまさにそういう試合だった。



2003年05月14日(水) 日記

日記、日記、日記…
そうか、今日も日記を書く日だった。
ここのところ毎日、日記が朝の更新になっているので、夜は別段焦らなくなった。
元々、たかが日記なので焦る必要もないのだが、されど日記でつい焦る、というか力みを持ってしまう。
もう少し肩の力を抜いたほうが、いいものが書けるだろうし、健康のためにもそれがいいと思っている。
実は、この力みが、肩や背中のこり繋がっているのだ。

夜に更新しなくなった分、少しは早く寝るようになったのかというとそうではなく、あいかわらず夜更かしは続いている。
一昨日は、『くろげしんた』の写真をアップするのに時間を食っていた。
昨日は昨日で、アクセスカウンターを探していた。
嫌々やっているなら、そんな作業はすぐに止めて寝てしまうのだろうが、それはそれで面白く、また集中できることなので、つい時間を忘れてしまう。
夜中は日記を書かなくても、けっこう忙しいのである。

しかも咳き込みはまだ続いている。
まあ、以前よりは軽くなったけど、これもまた忙しい。
そのおかげで、腹回りの肉が若干落ちたような気がする。
次の休みにジーンズを買いに行こうと思っているのだが、それまでに何とかウェスト82センチ位にまで持って行きたい。
何とかそれまでは、咳き込みが続いてくれていることを望んでいる。

さて、そんなことをやりながらいつ寝ているのか?
だいたい3時頃である。
そして4時間ほど睡眠をとり、7時ごろ起きている。
そこで初めて日記に取りかかるのだ。
しかし、思うように筆は運ばない。
あいかわらず、気持ちが他の方向を向いている。

さすがに8時を過ぎると焦りだす。
この焦りが集中力を生む。
とはいえ、それはテーマが出来上がっている時で、そういうことは週のうちに数えるほどしかない。
そのほかの日は、テーマを追わずに文章を追っている。
今日は、そういう日の日記である。



2003年05月13日(火) 鳩と戯れる 後編

まず手始めにぼくが打った。
見事命中した。
しかし、鳩はキョトンとした顔をしている。
追うと、奥に籠もってしまい出てこようとしない。
次は取引先の番である。
しかし、口ほどにもなかった。
何度かゴム銃作戦をやったのだが、効果がなかった。
おそらく傍で見ていた人は、中年が二人で遊んでいるとしか見えなかっただろう。
しかし、少なくともぼくは真剣だった。

ゴム銃作戦に失敗したぼくは、威嚇作戦に出た。
鳩のとまっている付近を、例の虫捕り網で叩き、他の場所に移すのだ。
鳩が高い場所にとまっていたので、ぼくは脚立を用意した。
鳩と目があった。
ぼくは持っていた網で、鳩の足下をドンと叩いた。
鳩は後ろに退いた。
もう一度、ドンと叩いた。
再び鳩は退いた。
もう一度…
何度やっても、鳩は後ろに退いてしまう。
このままだと鳩との距離が開いてしまうばかりである。
そこで、ぼくは鳩の横あたりを、ガンガン叩いてみた。
すると、それまで後ろに退いていた鳩が、早足で前に出てきた。
「これだ!」と思ったぼくは、再び鳩の横あたりをガンガンやった。
思惑通りだった。
鳩はそれ以上前に出られないのを悟ると、サッと飛び上がった。
そして再び店内を飛び始めた。

ここからぼくと鳩の一騎打ちが始まった。
ぼくの目的はただ一つ、鳩を捕まえることだった。
そのために策を練った。
すばしっこく飛び回る鳩に、人間は太刀打ちできるはずがない。
その上、相手は障害物なく飛び回れるが、こちらは数々の障害物を気にしながら追いかけなければならず、闇雲に網を振り回すだけでは、捕まるはずがないだろう。
そこで鳩を追い回して、疲れさせる作戦をとった。
どこかにとまったら、すぐに網攻撃を加える。
鳩はまた飛び回る。
そして、またどこかにとまる。
そこを休ませない。

時間が経つうちに、だんだん鳩が疲れてきているのがわかった。
方向感覚がなくなってきているようだった。
あっちにふらふら、こっちにふらふら飛んでいる。
こうなれば後は時間の問題である。
ぼくはふらふらになった鳩を追いかけていった。

そしてついに、鳩が地面に降りてきた。
「チャンス!」
ぼくはゆっくり鳩に近づいていった。
ところがその時だった。
子供がバタバタ走ってきたのだ。
その音に驚いた鳩は、最後の力を振り絞って、吹き抜けの2階窓まで飛んで行った。
万事休すである。
しばらく鳩を見ていたが、降りてくる気配はなかった。
ついにぼくも諦めた。

鳩を追い回し始めてから20分が過ぎていた。
その間、ぼくは走り続けていたのだ。
後になって疲れが一気に襲ってきた。
そういえば、風邪を引いていたが、それはどこにに行ったのだろう。
あれだけ走っても咳は出ないし、気分も悪くならない。
今回の風邪は、どうやら運動不足から来ていたものらしい。

午後になった。
遅番のパートさんがやってきた。
「こんにちはー。午前中ご活躍だったそうですね。」
「え?」
「鳩追っかけてたんでしょ?」
もうその頃には、鳩のことはすっかり忘れていた。
「みんな言ってましたよ。しんちゃんが少年の目をして鳩を追っかけてたって」
「え?」
「昆虫採集やってる子供と同じ目ってことですよ」
どうも熱くなりすぎたようだ。

あれから鳩はどうなったか?
しばらく2階窓にとまっていたが、日が差し込む場所なので、暑くなったのだろう。
降りてきて、そのまま外に出て行ったという。
何か馬鹿にされたような気がする。
今度は負けんわい!



2003年05月12日(月) 鳩と戯れる 前編

もう気づいた方もおられると思うが、ついに素顔を公開することとなった。
今度は似顔絵や、目だけの写真ではなく、ちゃんと顔全体が写っている。
近郊の方は、これでしんたを探しやすくなったと思う。
もし、街で見かけたら、声をかけて下さい。
その素顔だが、『頑張る40代!』のトップのどこかに貼っている。
これは貴重な写真ですぞ!
ぜひ探し出して見て下さい。

さて、今日の出来事である。
午前中、倉庫にいる時だった。
突然ワン切り電話が入った。
誰だろうと見てみると、隣の部門のパートさんからだった。
ワン切りは、「戻ってこい」の合図である。
「何かあった」と直感したぼくは、急いで売場に帰った。

売場に戻ってみると、そこにはワン切りをかけたパートさんと虫捕り網を持った店長代理が立っていた。
もう一人いた。
うちの取引先の人だ。
少し離れたところに立っている。
3人とも同じ方向を見ている。
その視線の先に目をやると、そこには何と一羽の鳩がいるではないか。
店の中に紛れ込んできたらしい。

ぼくのいる店は時々こういうことがある。
山の近くなので、昆虫が特に多い。
夏時は、アゲハチョウやオニヤンマといった大きな昆虫が、優雅に店内を飛び回っている。
こういう時は捕まえて、外に出すことにしている。
ぼくは、小さい頃から昆虫捕りは得意なほうで、いつも素手で捕まえている。
しかも羽を傷つけないで捕るという、高度なテクニックまで持っている。
おそらく、ぼくに捕らえられた昆虫たちは感謝していることだろう。
ちなみに、昨年の成績は、オニヤンマ3匹、アゲハチョウ5匹だった。

雀やツバメといった小鳥も入ってくることがある。
もちろん鳥の場合、捕獲するのは昆虫のように簡単にはいかない。
そのため、いつも店から追い出す方法を選んでいる。
過去に2度そういうことがあったが、うまく店外に追い出すことが出来た。

さて、問題は鳩である。
ここまで大きな鳥は、入ってきたことがない。
さっそくぼくも追い出し作戦に参加した。
というより、ぼくが代理に取って代わった。
代理が持っていた網で捕獲を始めた。
しかし、うまくいかない。
昆虫用の網だから、網が小さすぎるのである。
何度か捕らえられそうになったが、やたら鳩の体を叩くばかりで、網の中に入ってくれない。
逃げ回ったあげくに、こちらの手の届かないところに隠れてしまった。
そこで、取引先の人に相談した。
「あそこから追い出すには、ゴム銃しかないやろね」と、ぼくは言った。
「ぼく、ゴム銃は得意でっせ」と、取引先の人は言った。
「じゃあ、ちゃんとあそこから追い出してよ」と、ぼくは輪ゴムを用意した。



2003年05月11日(日) 薬局2

さて、いよいよ薬局応援当日。
薬局のパートさんが一人で忙しそうにやっていた。
一人なので食事時間もまともにとれない。
時折ぼくは気になって声をかけたりしたのだが、何の役にも立たない。
これがもどかしい。
「食事とった?」
「いや、まだです」
「今すいとるけ、食べといで」
「いいんですか?」
「うん。見とくけ。万引き防止にしか役に立たんけど、おらんよりいいやろ」
「ははは。じゃあ、お言葉に甘えて…」

パートさんは「すぐに帰ってきます」と言って、食事に行った。
ぼくは「見てやる」と言った手前、薬局から離れられずにいたが、ぼくはぼくで、何部門かを持っている。
そのため、何度かお呼びがかかった。
行ったり来たりしていたわけだ。
そうこうしているうちに、薬局のパートさんは帰ってきた。
その間20分もかからなかった。
「ありがとうございました。もういいですよ」
「え、早いやん。もう少しゆっくりしとき」
「いえ、もういいですから」
ということで、ぼくは自分の持ち場に帰った。

それから1時間、何事もなかったので、「もう大丈夫。そろそろ食事に行くか」と思った矢先だった。
そのパートさんが、慌ててやってきた。
「ちょっと来て下さい」
「え、どうしたん?」
「酔っぱらいのおいちゃんが、陶陶酒を…」
酔っぱらいのおいちゃん…
久しぶりに聞く名前である。
陶陶酒…
そういえば、今日は薬局の前で、陶陶酒の試飲会をやっていた。
「え? 酔っぱらいのおいちゃんが?」
「ええ、さっきから陶陶酒のところに居座って、何回も陶陶酒をお代わりするんです」
ぼくはすぐに試飲会の場所に行った。
おいちゃんがいた。
おいちゃんはぼくを見つけると、
「お、大将、久しぶりですなあ」
と言った。
「おいちゃん、こんなところで何しよると?」
「いや、ここの係の人が『飲んでくれ』と言うもんで…」
「『飲んでくれ』と言われて、何回も飲みよるんね?」
「はい、そうですたい。おいしいですけなあ」
「おいちゃん、あんたこれ薬やないね。何回も飲んだら逆効果になるんよ。また寝小便たれたらどうするんね?」

おいちゃんは『寝小便』という言葉に敏感に反応した。
この日記に何度も書いているように、酔っぱらいのおいちゃんは酔っぱらうと、大声を出し、あげくにベンチの上で寝てしまうのだ。
寝たら最後、寝小便するまで起きない。
ぼくは何度も、このおいちゃんの小便の後始末をしている。
おいちゃんもそのことを知っている。
だから、ぼくが「寝小便」という言葉を口にすると、寝小便をたれたガキのようにシュンとするのだ。

「あ、今日から相撲が始まるんでしたなあ。うん、早く帰らんと。じゃあ、大将、失礼しまーす」
酔っぱらいのおいちゃんは、そう言い残すと、さっさと帰っていった。
ぼくはパートさんに「帰らせたよ」と報告してから、食事に行った。

今日は、パートさんは6時までの勤務だった。
そのため、6時以降は売場に係員は誰もいなくなった。
ま、よくしたもので、それから閉店までお客さんは、ほとんどこなかった。
8時になり、ぼくは昨日先生から言われたとおり、保冷庫の電源を切りシャッターを下ろした。
昨日からずっと気になっていたので、やっと安心できた。



2003年05月10日(土) 薬局

夕方のこと、隣の薬局の先生から声がかかった。
「しんちゃーん、ちょっと」
「なんですか?」
「しんちゃん、明日休みかねえ?」
「いえ、出勤ですけど」
「ああ、じゃあよかった」
「何が?」
「いや、ぼくは明日母の米寿の祝いがあって休むんよね」
「そうですか」
「でね、明日ちょっと売場を見てほしいんやけど」
「えっ、薬局をですか!?」
「うん」
「そんなの出来るわけないやないですか」
「いや、簡単よ」
「『胃薬下さい』と言われて、風邪薬渡したらどうするんですか?」

まあ、そこは調剤薬局ではなく市販の薬を売っているだけだから、効能書通りに売ればいいわけだが、薬品といえば、とうてい素人で手に負えるような代物ではない。
これほど専門知識のいる商品は、他にはないだろう。
一歩間違えば、大変なことになる。
そこでは、販売キャリアなど何の役にも立たない。
一度、先生の接客を聴いたことがあるのだが、
「どうありますか?」
「胃がチクチクするんです」
「ほう、胃がチクチクする」
「はい」
「どういう具合にチクチクするんですか?」
と、まさに医者の問診である。
いくら販売キャリアを積んでいるとはいえ、薬に関しては全く素人のぼくにそんな問診まがいの接客が出来るはずがない。

結局は断った。
が、先生は他の要求をしてきた。
「じゃあ、しんちゃん、帰る時にあのシャッターと電源を切っとってくれん?」
と、ドリンク用の保冷庫を指さした。
「そのくらいはいいですけど」
「じゃあ、お願いね」
「忘れんかったらやっときます」
「え? しんちゃん、物忘れがひどいんかねえ?」
「風邪引いて、ボーっとしてますから」
「ああ、そうやったねぇ。じゃあ、こうしよう。明日の夕方、しんちゃんに電話するけ。それなら忘れんやろ?」
「ああ、それならいいですよ」
ということで、ぼくは承諾した。

ところで、風邪を引いていると、普段は考えないようなことを考えてしまうから不思議である。
実は、先生に頼まれた時から、そのことが気になっているのだ。
「果たして、明日はちゃんと約束通りに、電源を切って帰れるのだろうか?」
なんて、やたら神経質なことを考えている。
かと思うと、
「明日は楽しい日曜日だぜ〜♪」
などと、能天気なことを考えている。
どうも今回の風邪は、精神状態にも支障を来しているようだ。

ああ、そうだった。
先生に、約束の代償として、風邪を一発で吹っ飛ばす薬をもらっておくべきだった。
こういうことにも頭が回らなくなっているのか。
今回の風邪は、けっこう深刻である。



2003年05月09日(金) 歯磨き粉を買いに外出する

ちょっときつかったが、今日は昼から外出した。
外出といっても、別に遠出をしたわけではない。
車で5分もかからないところに出かけただけである。

日記を書き終わってから、顔を洗っていると、歯磨き粉が残り少なくなっているのに気がついた。
そこで、歯磨き粉を買いに行ったのである。
別に歯磨き粉くらいなら、近くのスーパーやコンビニに行って買えばいいのだが、ぼくは歯磨き粉や石鹸に関しては、そこそこのこだわりを持っている。
そう、『シャボン玉石鹸』製のものでないと使わない主義なのだ。
まあ、このことは前にも話したことがあるのだが、無添加の石鹸がいかに体にいいかを知ってしまってから、L社とかK社といった大手のものを使わなくなった。
2年前だったか、その『シャボン玉石鹸』から歯磨き粉が発売された。
ぼくは、その頃行われていた北九州博覧祭のシャボン玉石鹸ブースで、そのことを知った。
そこで係員の熱心な勧めもあり、さっそく購入することにした。

初めてこの歯磨き粉を使った時に感じたことは、味が薄いということだった。
それまで使っていた歯磨き粉が、どうかすると痛みを感じることがあるくらいに味が強かったために、特にそう感じたのかも知れない。
昔あった、粉歯磨きのような味と言ったらわかりよいだろうか。
とにかく物足りない。
刺激が少ない分、歯を磨いた気がしないのだ。
「さすがのシャボン玉も、歯磨きは失敗かな」と思っていた。

ところがである。
歯を磨いた後にコーヒーを飲んでびっくりした。
歯を磨いた後のコーヒーの、あのまずさがないのだ。
つまり、普段飲んでいる味とまったく変わらないコーヒーの味が、そこにあった。
これはちょっとした感動だった。
他の飲み物でも試してみた。
オレンジジュース、オロナミンC、ウーロン茶…。
まったく味が変わらない。
これは快感になった。
それまでは歯を磨く前に、必ず食事を済ませていたのだが、それ以降はわざと歯を磨いてから食事をするようになった。

さて、その歯磨き粉だが、一般の店では売っていない。
わざとそうしているのではなく、卸屋が買わないらしいのだ。
無添加以外は何のインパクトもないし、パッケージも派手ではないから、おそらく、卸屋のバイヤーが「売れん」と踏んでいるのだろう。
どこにも売ってない。
となれば、購入する手段は、直接会社に買いに行くしかない。
幸い、その『シャボン玉石鹸』の本社は、うちのそばにある。
そういうことから、歯磨き粉だけは車に乗って買いに行っているわけだ。

今日は歯磨き粉を5本買った。
これで当分歯磨き粉には事欠かないだろう。
前回買ったのは、昨年の8月だった。
数量は同じ5本である。
この計算でいけば、次に買うのは来年の2月ということになる。
もしこの日記を読んで、「シャボン玉石鹸の歯磨き粉を使ってみたくなった」という人がいたら、お知らせ下さい。
来年の2月に買いに行ってあげますから。



2003年05月08日(木) 歌のおにいさん2

明日は休みなんだから、日記をさっさと書いて寝ればいいのに、それが出来ないでいる。
ぼくはいったん何かにはまってしまうと、もう際限がない。
とことんのめり込んでしまう。
ギターなどの長い時間をかけてやるようなものは、今日はここまでという際限をつけてやることが出来る。
だが、パソコンのように毎日毎日完結するようなものは、いついつに終わりというものがない。
だから徹底してやらないと、何か損をしたような気がする。

さて、寝る間を惜しんで何をやっているのかというと、『歌のおにいさん2』の編集である。
今回は、お気に入りの歌を選ぶのではなく、17歳から22歳くらいまでの録音から、録音状態のいいもの、つまり聞こえるものを選んでいる。
聞こえるもの、何せ30年ほど前のラジカセで録音したものだから音が悪い。
もちろんテープはあの当時の質の悪いものである。
ノイズが多く、実に聞きづらい。
そういう中から、聞こえるものを探すとなると大変時間がかかる。
別に急ぐ必要もなく、それを待つ人もいないのだから、ゆっくり時間をかけてやればよさそうなものだが、性分はそれを許さない。
せっかちにも、一日でやってしまおうとする。

家に帰ってからこの日記を書き始めるまで、もうかれこれ4時間が経過しようとしている。
そこまでやって選んだ曲は、たったの1曲である。
今日のうちに、いったい何曲選べるのだろうか。

さて、あれから9時間が経過した。
選んだ曲は、相変わらず1曲のままである。
ところが、その状態のいい1曲に陰りが見えてきた。
下手である。
歌いこんでないので声に安定感がなく、またギター伴奏も間違いだらけでいい加減なものである。
こういうものを人様にお聴かせするわけにはいかん。
ということで、却下となった。
十数時間もかけて、いったいぼくは何をしていたのだろう。
今日も寝不足である。



2003年05月07日(水) 昼食

最近、昼食は隣のスーパーマーケットで、弁当を買っている。
今日もいつものように弁当を買いに、スーパーに行った。
いつもの幕の内を買い、そのままレジに並ぼうとしたが、何か物足りない。
「もう一品買うか」と、もう一度店内を見て回った。
「あ、そういえばお茶がない」
ないことはないのだが、わざわざ入れて飲むのも面倒だ。
そこで、お茶を買うことにした。

ぼくが一番気に入っているお茶は、JTの『渋茶』だ。
しかし、そのスーパーには『渋茶』は置いてなかった。
仕方なく他のお茶を選ぶことにした。
今日選んだのは、サントリーの『和茶』だった。
このスーパーは、レジに近い方から、お茶、ジュースの順番で並んでいる。
『和茶』は、レジ寄りのお茶の中でも、一番レジに近いところに並んでいた。
ぼくはそこから一本を取り、レジに向かった。

幸いレジには、並んでいる人が少なかった。
その中でも一番すいているレジに並び、順番を待った。
流れがよく、すぐにぼくの番が来た。
そこで、持っていた弁当とお茶をそこに置き、前に進んでお金を払う用意をした。
「ピッ、380円一点」
後ろのほうで持ってきた弁当を打ち込んでいる。
ところが、その次のお茶を打ち込もうとした、レジのおばさんの手を見てびっくりした。
彼女が持っているのは、白いペットボトルなのだ。
「たしか『和茶』は白じゃなかったよなあ」
と思い、目を凝らしてよく見ると、おばさんが持っているのは『和茶』ではなく、アサヒの『SARALI』である。
「おいおい、おばさん。あんた何打ちよるんか。おれが持ってきたの、それやなかろう」
と言おうとした。
が、不思議なことに、そこに置かれているのは、弁当とその『SARALI』だけで、『和茶』などはどこにも存在していなかった。
「おかしいのう。たしかに『和茶』を取ったつもりなのに」
取り替えてもらおうと思ったが、すでに後ろには他のお客が何人か並んでいた。
ここで「ちょっと待って」などとやると、そのお客たちが迷惑するだろうし、再び並んで「替えて下さい」というのも嫌だ。
しかたなく、ぼくは『SARALI』を受け入れることにした。

さっそく食堂に行き、今買った、幕の内弁当と『SARALI』をテーブルの上に並べた。
「何でSARALIなんか持っていったんかのう。
あそこには和茶しかなかったはずやないか。
ん、待てよ。
もしかしたら『疲労がたまっているので、これでも飲んで精を出せ』という神様の思し召しかもしれん。
それにしても、幕の内とSARALI…。不釣り合いやのう」
しばらく考えた末、ぼくは、入れるつもりのなかったお茶を入れることにした。



2003年05月06日(火) 寝られん

この日記を始めてから、病気がこんなに長引いたのは初めてである。
あ、そういえば1月にインフルエンザみたいなのに感染したことがあった。
しかし、あの時は休みがあったからなあ。

それはさておき、前にも言ったとおり、今日は4月18日以来の休みだった。
予告では目一杯寝るつもりだった。
まあ、風邪も引いていることだし、これが一番の養生になるのだから、目一杯寝ない手はない。
朝6時半頃、トイレに起きた時も、今日は何時まで寝ていようかと思っていた。
ところが、である。
ちょっとパソコンが気になって、パソコンの前に座ったのが運の尽きだった。
「ああ、そうだった。日記の更新をやってなかった」
と、日記の更新を始めた。
ゆっくり時間があるから焦らずに書ける。
焦らずに書けるということは、時間がかからないということである。
と、ゆっくり日記を書き始めた。
それが甘かった。
他のことに気を奪われて、何時間たっても日記は進まない。
「10時45分から、『あかんたれ』が始まるなあ」
「そういえば、今日はドコモショップに行くことにしとったなあ。何時から行こうかのう」
「今日で風邪は治るんやろか」
「ところでいつ寝ようかのう。ま、今日はたくさん時間があるけ、暇を見つけて寝ればいいか」
「ああ、そうだった。日記の更新をやってなかった」

結局日記の更新はお昼になってしまった。
「じゃ、そろそろ寝るかな」
と思っていると、「ごはんよー」との声。
そこで昼食をとることにした。
ところが、そこでまた『午後は○○ おもいっきりテレビ』なんかを見ている。
そうこうしているうちに、2時になった。
「さあ、ちょっと寝るか。その前に…」
と、またパソコンの前に座るしまつ。
今度は、日記を翻訳して遊びだした。

昨日の日記
「Nasal mucus. じゅるじゅる言っている(鼻水。じゅるじゅる言っている)」
「ZEIZEI 言う is the cause of nasal mucus.(ゼイゼイ言うのは、きっと鼻水のせいなのだろう)」
「Although full open was not said yet because of じゅるじゅる nasal mucus, a mouth is still closed and it came to be able to do a breath. (じゅるじゅる鼻水のせいで、まだ全開とまではいってないが、それでも口を閉じて息が出来るようになった)」
「It had become 'dirt meal んた'. (‘あかめしんた’になっていたのだ)」

なんかこれは!
「じゅるじゅる言っている」「言う」「じゅるじゅる」は、英語か?!
「あかめしんた」は固有名詞じゃないのか。
何が「dirt meal んた」だ!
ちなみに「しろげしんた」は「being white -- しんた」である。
「…んた」じゃないのか!

これに2時間を費やしてしまった。
おかげで、ドコモショップに行ったのは4時過ぎになってしまった。
帰ったのが6時。
それから野球中継。
全然寝る暇がなかった。
次の休みこそ、ゆっくり寝てやる。



2003年05月05日(月) 諸症状

はい、生きております。
SARSではありません。
ただの風邪です。

発熱。
さて、体温は何とか37度台まで下がった。
しかし外に出たり、風呂に入ったりすると、まだ皮膚を刺すような痛みを覚える。
この痛みが、心に不健康なイメージを与える。
「そういえば首のあたりにまだ熱が残っているなあ。
もしかして、扁桃腺炎か?
とういうことはまだまだひどくなるということ?」
とはいえ、今ジャージをまくりあげた状態でこの日記を書いている。
確実に回復に向かっている。
と思いたい。

鼻水。
じゅるじゅる言っている。
一頃のタラーっと流れるような鼻水ではなく、腰のある硬質の鼻水である。
寝ていると、これがのどに流れ込んだりするので、つい咳き込んでしまう。
ゼイゼイ言うのは、きっと鼻水のせいなのだろう。

鼻づまり。
マンガ『おそ松くん』に出てくる「ハタ坊」のような口をして、息をすることはなくなった。
じゅるじゅる鼻水のせいで、まだ全開とまではいってないが、それでも口を閉じて息が出来るようになった。

頭痛。
実は、店内が異常に暑かったので、のぼせてしまったのだ。
これは風邪とは関係ない。
しかし、こういうのぼせでさえ「これも風邪の症状?」と思わせること自体が、まさしく風邪の症状なのだろう。

眼精疲労。
これは単純に眠たいということだ。
しかし微熱の作用もあるとは思う。
あ、そういえば熱にうなされていた時は、目が充血していた。
‘あかめしんた’になっていたのだ。

咳。
熱地獄が終わって一番苦労するのが、この咳き込みである。
のどがむず痒くなって、それを紛らわすために、体は自ずと咳き込みを始める。
今日はそのクライマックスである。
のどの所々にこびりついている痰を除去してほしい。
そのあとに、ハッカ入りの酸素を吸入してほしい。
そうすれば楽になるだろう。



2003年05月04日(日) また熱が

現在、翌日の1時11分である。
実はまだ晩飯を食っていない。
昨日遅くまで日記を書いていたツケが回ったか、また38度という熱が出てしまった。
おかげで、家に帰るなりダウンした。
「もう何もいらんわい」状態である。

とりあえず『熱さまシート』を貼って寝た。
効くんですな、これが。
目が覚めると、熱はすっかり下がっていた。
そこで起き出して、パソコンに向かっているわけである。

ところが、どうも精神状態がおかしい。
熱が出た時のボーっとした状態がすっと続いているのだ。
つまり、「もう何もいらんわい」状態である。
これはどうしたことだろう。
体だけは大人なのだが中身が伴ってない子供、とでも比喩したらいいだろうか。
体は平常なのだが、精神状態が病気モードのままである。
こりゃ死ぬな。
ということで、もう一度寝ることにします。

現在、翌日の8時ちょうどである。
今日一日頑張れば、明日は休みということになっている。
あと12時間頑張ればいいのだ。
ということで、今から風呂に入り、たくさんかいた寝汗を流してくる。
あ、ところで昨日の晩飯だが、実はまだ食べてない。
晩飯として用意されていた、焼き魚の姿が空しい。
精神状態は…、これも夜中のままである。



2003年05月03日(土) 病気は続く

昨日よりは調子がいいが、まだまだである。
立っている時はそれほど不自由ではないが、座るとか寝るとかすると鼻が詰まったりする。
そのため休憩が休憩にならない。
また、自分ではちゃんとやっているつもりなのに、どこか抜けているところもある。

昼間、トイレに行った。
熱っぽい時のトイレというのは、やはり熱っぽいものである。
前立腺が刺激されているのだろうか、出が悪い。
しかも、自分ではしっかり立っているつもりなのだが、なぜか放出先が揺らいでいる。
と若干の支障はあったものの、無事終了。
ところが、肝心なことを忘れていた。
売場に帰ってみると、部署の女の子がニヤニヤしている。
ぼくが怪訝な顔をすると、その子が言った。
「しんたさん、前」
「え?」
ぼくは彼女の視線上を見た。
『あっちゃー』
チャックが開いている。
トイレを出てから、15分程度の時間を経過している。
その間、2人のお客さんをした。
確実に見られているだろう。
ちなみに今日のパンツは、紺と赤のチェックのトランクスだった。

そういえば、ズボンのチャックのことを、昔は『社会の窓』と言っていたが、最近はどう言うのだろう?
相変わらず『社会の窓』と言うのだろうか。
それとも、もっと気の利いた呼び方の変わっているのだろうか。
まあ、今は、昔みたいに「あっ、社会の窓が開いてる」とは言わずに、「あっ、変態がいる」と言うだろう。
そのため、その部分の名前は特にないのかもしれない。

ところで、昨日は寝ている時に、かなり汗をかいた。
そのため、下着を3枚ほど替えた。
その3枚目のパンツが、紺と赤のチェックだったわけだ。
また、普段はあまり寝返りを打たないのだが、昨日は何度も寝返りを打った。
そのために布団の足の部分がめくれ上がった。
しばらくすると、足にかいた汗が冷たくなっていき、悪寒と合わさって痛みに変わった。
ぼくは痛風になったことはないが、もしなったとしたら、きっとこういう痛さを味わうのだろう、とその時思った。
なるほど風が吹いても痛いというのがよくわかる。
あまりの痛さに気分が悪くなった。
健康診断で、ぼくは尿酸の数値が高いと言われたことがある。
尿酸値が高いと痛風になるそうであるが、こういう痛さならなりたくはない。
ちょっとビールの量を落とそう。

さて、あと2日会社に出れば、いよいよ休みである。
前にも話したが、17日ぶりの休みとなる。
今のところ予定はないが、出来たら近くの温泉(歩いて15分のところにある天然温泉)に行こうと思っている。
また、久しぶりの休みだから、寝て過ごすのも悪くないとも思っている。
とにかくあと2日間で、この風邪だけは治しておこう。



2003年05月02日(金) 病気です

のどは腫れ上がり、鼻で息が出来ず、耳の下が痛い。
最高体温は38度5分まで上昇した。
午後3時頃が一番ひどかった。
昼食も、のどを通らなかった。
が、薬を飲むために、無理して胃の中に詰め込んだ。
きついけど帰れないから、こういう症状を少しでも緩和しておかなければならない。
5時過ぎ、何とか最悪の状況からは脱した。
あとは8時の閉店時間を待つばかりだ。
しかし、その3時間の長かったこと。
まだ6時か。
まだ6時15分か。
まだ6時半か。
・・・。
いつまでたっても『蛍の光』は流れなかった。
「有線の機械が壊れとるんやないか」と思ったりもした。
テレビではダイエーvsロッテをやっていたが、見る気も起きない。
前回は敵地で3タテを食らわしている。
今日先発の寺原も、普通に投げていれば負けることはないだろう。

さあ、時間が来た。
いつものようにバイパスに登ろうとすると、えらく渋滞している。
「事故か?」
こういう状態の時というのは、えてしてこういうアクシデントに見舞われるものである。
ぼくはUターンし、裏道を通ることにした。
さすがにここは、事故の影響が無かったようだ。
信号に引っかかることもなく、すんなりと3号線に出た。
ところが、3号線黒崎駅前を過ぎたところで、またも事故をやっている。
こういう状態の時というのは、えてしてこういうアクシデントに見舞われるものである。
しかし、こういう文章を2度も書かなければならないとは、実についてない。
おかげで、家に着いたのは午後9時を過ぎていた。

晩飯、今日は雑炊である。
昼食の時、普通の飯がのどを通らなかったので、家に電話をかけ、食事を指定しておいた。
ところが、雑炊すらのどを通らない。
しかし、ここでも薬を飲むために、無理して胃の中に押し込んだ。
他におかずもあったのだが、それらはすべて無視である。
結局、雑炊を茶碗一杯食べるのに30分を要してしまった。

食後、やっと薬を飲む。
これでまた症状が、少しは緩和されるだろう。
ここで寝ればいいのだが、相変わらず『あかんたれ』などを見ている。
時間にして1時間。

今日は頭を洗う日だったが、こういう状態なので、もちろんパス。
ついでに風呂もパス。
ついに「さて、寝ようか」というところまで来た。

ところが今、こういう最悪の状態にあるにもかかわらず、ぼくはパソコンの前に座っている。
鼻で息が出来ないから、馬鹿みたいに口をポカンと開けて、キーを打ち込んでいる。
ぼくは今、風邪以外に、日記執筆依存症という病気も持っている。



2003年05月01日(木) 休みをくれー 後編

休みなしで働いたというわけではないが、一ヶ月に2回しか休まなかったことがある。
前の会社にいた時だ。
あの時も改装だった。
どうも、改装と休みとは相性が悪いようだ。

そういえば、その改装の時、面白いことがあった。
あの頃、店には7つの課があったのだが、その課の責任者は改装期間中休みを取ってはいけないことになっていた。
ぼくもその責任者の一人だったため、休みを取らなかった。
で、出社して何をやっていたのかというと、電話番である。
「電話番に7人もいらんやろう」という声もあったが、至上命令だから仕方がない。

さて、その電話番をしている時に、ぼくは面白い電話を受けた。
「ありがとうございます。○○店ですけど」
「あのう、Mですけど」
Mとは、出社している責任者の一人の名前で、電話の主は奥さんだった。
少し声が暗かった。
「あ、お世話になっています」
「すいません。Mはいるでしょうか?」
「Mさん…」
と、周りを見回すが見あたらない。
他の人に「今日Mさんは来てましたかねえ」と聞くと、「いや、見かけんよ」と言う。
そこでぼくは、「Mさんは、ちょっと出かけているようですけど」と言った。
すると奥さんは、「あのう、今そんなに仕事が忙しいんでしょうか?」と聞く。
「え?」
電話番が、忙しいはずがない。
「いや、昨夜主人から、『今日は仕事が忙しいから帰れない』という電話があったもんで…」
「!!!」

こういう受け答えが一番困るものだ。
下手なことは言えない。
多くを語ると怪しまれる。
「ああ、そうでしょうねぇ。彼の部署が一番忙しいですからねぇ」
「あ、そうですか」
電話の向こう側の雰囲気が、なんとなく明るいものに変わった。
「ええ。とにかくMさんが帰ってきたら、電話させますから」
と言って、ぼくは電話を切った。

ぼくは周りの人に、「Mさん、昨日帰ってないらしい」と言った。
みな口々に「まずいなあ」と言った。
「おそらく、あの女といっしょなんやろう」
「誰か、あの女の電話番号知らんか?」
「あ、おれ知っとるよ」
「ちょっと電話入れてみて」
「・・・」
「出らん!」
「ホテルでも行っとるんかのう」
「あんな女のどこがいいんかのう」
「Mさんも馬鹿やなあ」
「とにかく、どうしょうか」
と、みんなは頭を抱えた。

その時だった。
電話のベルが鳴った。
今度は他の人が受けた。
「はい、もしもし…」
「・・・」
「あ、Mさん」
ここで、どよめきが起こった。
「あんた今大変なことになっとるよ」
「・・・」
「とりあえず、家に電話入れたほうがいいよ」
「・・・」
「しんたが『出かけとる』と言っとるけ、口裏合わせとくんよ」
「・・・」
「ああ、わかった。すぐかけるんよ」
その日Mさんは姿を現さなかった。
その後どうなったのかは知らないが、噂では何事もなかったということだった。


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