頑張る40代!plus

2003年04月30日(水) 休みをくれー 前編

やったー!
ついに休める。
今月の19日からずっと出ずっぱりだったから、今日まで12日間休んでないことになる。
その間、朝7時に起き、8時半に家を出、9時に会社に着き、夜8時過ぎに会社を出、9時に家に帰り、翌午前3時に日記を書き終える生活をしていた。
実労10時間、しかも肉体労働。
睡眠時間4時間、しかも熟睡してない。
おそらく今までの人生の中で、こんなにハードな生活をやったことはないだろう。
しかし、それもやっと解放されるわけだ。
来月の6日に…。

そう、まだ休めんとですよ。
本当は明日休むつもりでいたのだが、どうも休めるような雰囲気ではない。
何人かの人に、さりげなく「いつ休みますか?」と聞いてみると、みな異口同音に「他の店から応援を出してもらっとるくらいやけ、しばらく休めんやろう」と言う。
ということで、泣く泣く明日の休みを取り消した。
あーあ、あと5日もこんな生活が続くのか。

17日間休みなし。
今まで、こんなに長く休まなかったことがあるだろうか。
あ、そういえば、浪人時代にやった中国展のアルバイトで、33日間休みなしで働いたことがあった。
それが最長ということか。
しかし、あのバイトは土日以外は暇で、いつもボーっとしていたから、それほど疲れはしなかった。

長崎屋でバイトをしていた時、23日間休みなしで働いたことがある。
ちょうどエアコンの売れる季節で、この時期に在庫を全部吐いてしまおうという意気込みで頑張った。
しかも、3日に一度は飲みに行っていたから、けっこうハードだったと言える。
とはいえ、肉体労働をしたわけではない。
あの時は、いつも在庫の数と格闘していたので、精神的に疲れていたわけだ。
意地になって休みをとらず、飲みに行ったに時まで「あと○台」「あと○台」などと言っているぼくを見かねた上司が、「しんた君、もう在庫のことはいいけ、明日は休みなさい」と言った。
最初は拒んでいたぼくも、最後には折れた。
明日一日休んで、また在庫と闘えばいいと思っていた。
ところが休みの翌日、店に行ってみると何か様子がおかしい。
上司に「どうしたんですか?」と聞くと、上司は「ああ、もうエアコンの季節は終わったよ」と言う。
「えっ? だって、おとといまであんなに売れてたじゃないですか」
「いや、不思議なもので、エアコンの場合は突然潮が引くんよね」

今でこそ冷房・暖房・除湿と年中使うものになっているが、当時のエアコンは『クーラー』という言葉が示すとおり、冷房専用がほとんどだった。
そのため、エアコン販売は梅雨明けの1週間が勝負となった。
エアコンの取付工事の人は、年収の大半をこの時期に稼ぐと言っていた。
パッと売れ出して、サッと売れなくなっていく。
まるで、花火のようなものだった。
その時期にいかに見事な花火を打ち上げるかが、担当者の腕の見せどころだった。

このことを知った時、ぼくはエアコン販売に『男のロマン』のようなものを感じた。
ぼくがその後家電販売の道を選んだのも、この時感じた『男のロマン』が大きく影響している。



2003年04月29日(火) 吉祥寺

区内の、高倉健の実家近くに吉祥寺(きっしょうじ)という浄土宗のお寺がある。
藤で有名なところで、毎年この時期になると『藤まつり』を催している。
参道に出店が出るなどして、たくさんの人出でにぎわっている。

吉祥寺の藤まつりの頃になると、いつも思い出すことがある。
それは、10年ほど前、この祭に行った時に思わぬ人を見たことである。

ぼくはそれ以前にも、何度かこの祭に行ったことがあるのだが、いつものように人通りの多い狭い参道を歩いていた。
すると突然、後ろのほうで、「こらー、○○!!お前は…」という怒鳴り声が聞こえた。
どうも子供を叱っているようだった。
まあ、子供を叱るくらいは日常茶飯事のことで、大したことはないのだが、ぼくはその声に思わず振り返ってしまった。
なぜなら、とにかく声が太いのだ。
しかも、その声は女性のそれである。
その声を聞いて、どんな人なんだろうと興味をそそられた。
きょろきょろと周りを見回すと、おそらくその声の持ち主だろうと思われる人がいた。
とにかく背が高い。
周りにいる人より、頭一つ出ていた。
しかも、体格がいい。
『おそらくこの人だろうな』と思っていると、その人が口を開いた。
ドスのきいた低い声。
まさにその声の持ち主であった。

ぼくは、一緒に祭に行っていた友人に「凄いのう、あのおばさん」と言った。
すると友人は、「おい、あの人…」と言った。
「あのおばさんが、どうかしたんか」
「あの人、横山樹里ぞ」
「横山樹里?」
「おう」
横山樹里といえば、元女子バレーボールの日本代表だった人だ。
「まさかぁ、樹里はあんなデブやなかったやろうもん」
「いや、引退してからデブになったらしい」
そういえば、横山樹里もこの吉祥寺の近くに実家があるのだ。
ここにいても別におかしくはない。
しかし、ぼくは半信半疑だった。
あのおばさんの顔と、テレビで見ていた樹里の顔とが、どうしても結びつかなかったのだ。

しばらくして、その半信半疑に終止符を打つ時がやってきた。
ローカル番組で、あるママさんバレーチームの紹介をやっていた。
そこに、吉祥寺で見た、あのおばさんがいたのだ。
レポーターが言った。
「この方をご存じの方も多いと思います。元全日本のエースアタッカー、○○樹里、旧姓横山樹里さんです」
「こんにちはー」
ドスのきいたあの声である。
やはり、あのおばさんは横山樹里だったのだ。
しかも、あの時よりもさらに肥えていた。
その後樹里は、ビートたけしのトーク番組に出て、たけしからさんざんからかわれていた。
もちろん、その体型について突っ込まれていたのだ。

さて、今日は藤まつりの最終日だった。
「今年もあの人は行ったのだろうか」
と、ぼくが横山樹里を思い出す季節になった。
いよいよ初夏である。



2003年04月28日(月) 同窓会

先日、高校3年時のことを書いたが、そのことで思い出したことがある。
高校を卒業してから18年後、ぼくが36歳の時のことだ。
7月、『同窓会のお知らせ』なるハガキが舞い込んできた。
これはクラスの同窓会ではなく、学年全体の同窓会だった。
同窓会そのものには興味はなかったのだが、「もしかしたら、あの頃好きだった人に会えるかも」という甘い期待があったので、参加することにした。

当日、友人二人と駅で待ち合わせ、会場である駅前のホテルに向かった。
会場に行ってみると、数十人の人たちが集まっていた。
ぼくはさっそく、その好きだった人を目で探した。
しかし、来てなかった。
その時点でぼくは帰ろうと思ったが、友人二人のを誘った手前、すぐに帰るわけはいかない。
仕方なく、しばらくそこにいることにした。
他の二人は同じクラスになったことのある人が来ており、楽しそうに談笑していたが、ぼくの場合、同じクラスになった人間はほとんど来ておらず、一人白けていた。

ぼくがふてくされて座っていると、後ろから「しんた」という声が聞こえた。
振り向くと、そこには3年の時に一緒のクラスだったMがいた。
彼も3年の時、ぼくと同じく担任からしこたま叱られた口だった。
そういう共通点があったせいか、仲間意識を持つようになり、よく行動を共にしていた。

「おう、Mか」
「今日担任が来とるんやけど、しんた、お前挨拶したか?」
「いいや」
「なし挨拶せんとか。お前が一番迷惑かけたやないか」
「迷惑かけたのはお前のほうやろ。おれは事故起こしてないぞ」
Mは3年の時、バイクで転倒し入院したことがある。
それまで、担任はぼくよりもMのほうを叱っていたのだが、彼が入院してからというもの、担任はMの分までぼくを叱るようになった。
Mは、「とにかく、挨拶してこい」と言う。
「いやっちゃ」
「いいけ、来い」
と、Mはぼくの腕を引っ張っていった。

「先生、しんたを連れてきました」
担任は「しんた…?」と一瞬首をひねった。
ぼくが「お久しぶりです」と言うと、担任は「ああ、久しぶりですねえ」と言う。
ぼくが「先生、おれのこと忘れたでしょ?」と聞くと、担任は「い、いや、そんなことはないですよ。はは…」と答える。
おそらく忘れているのだろう。
憶えているのなら、そんな他人行儀な受け答えはせずに、「おう、しんたか! 母ちゃんに心配かけんで、ちゃんと真面目にやっていきようか!?」など言うはずだ。

担任はぼくに「今、どこに勤められてますか?」と聞いた。
「今、○○に勤めています」
「ああ、○○か。私の教え子もそこに勤めているのがいてねえ」
「あ、そうなんですか」
と受け答えしながらも、『あのねえ、おれもあんたの教え子なんですよ!』と思っていた。

ぼくが担任と話している途中に、Mが横から「先生、しんたも更正したでしょ?」といらんことを言った。
彼は、高校3年時の担任とぼくとの関係を、再現させたがっていたのだろう。
しかし、担任の記憶はさかのぼることはなく、相変わらず他人行儀に「はは…」と笑っているだけだった。

話しているうちに、ぼくはだんだん寂しくなってきた。
しばらく担任と話してから、「じゃあ、失礼します」とその場を去った。
ぼくが席に戻り、一人で酒を飲んでいると、Mが戻ってきた。
そして「やっぱり担任は、しんたのことだけは憶えとったみたいやのう」と言った。
「どこが憶えとるんか!」
「親しそうに話しよったやないか」
「お前、あれが親しそうに見えるか? ずっと他人行儀やったやないか」
「そうは見えんかったけど」
彼はいったい何を見ていたのだろう。

いくらその当時印象に残った生徒でも、時間が経てば忘れるものである。
それは仕方ないことだ。
ぼくたち生徒が生涯に出会った先生の数よりも、先生が生涯に出会った生徒の数のほうがはるかに多いのだから。
しかし、そうはいっても、記憶のどこかにぼくの存在をとどめておいてほしかったとは思う。
もしそれがあったら、もう少し楽しい同窓会になっていただろう。



2003年04月27日(日) アニメファン

前の会社にいた時、レーザー・ディスクのコーナーを担当していたことがある。
吉幾三が『俺ら東京さ行ぐだ』の中で、“ディスコも無ェ/のぞきも無ェ/レーザー・ディスクは何者だ?”と歌った、ちょっと後のことだ。

その当時、ぼくの勤めていた地区では、二つの販売店がレーザー・ディスクの覇権争いをやっていた。
その一店がぼくのいる店で、もう一店がBという店だった。
売上高はほぼ同じだったが、販売内容はちょっと違っていた。
こういう趣味嗜好商品というのは、販売する人によって売れるジャンルも違ってくるらしい。
販売する人の趣味が反映するというのだ。

うちの店は、ぼくが担当だったため、ぼくの趣味が反映した。
売れたのは言うまでもなく、音楽ものだった。
いろいろなアーティストのライブものや、プロモーションビデオ、さらにカラオケまで、音楽と名の付くものなら何でもよく売れた。
松任谷由実のセットものが発売になった時だったが、他の店は良くて4,5セット程度の売上げだったのだが、うちの店は30セットほど売り上げた。
また、1セット売れればいいほうと言われた吉田拓郎のセットものも、うちの店では10セット以上売れた。
あまりに格差があるので、他の店が「値段を下げて売っているんじゃないか」とメーカーにクレームをつけたほどだった。

一方のBはアニメだった。
アニメといえば、その当時から宮崎駿ものがよく売れていたが、『魔女の宅急便』が発売になった時、うちの店でもそこそこ売れたのだが、Bではうちの10倍近くの売上げがあったということだった。
Bでアニメがよく売れたのは、担当者がアニメファンだったというのもあるが、うちがアニメを敬遠していたというのも影響していたと思う。

その当時、業界ではアニメファンは神経質な人が多いという見方が一般的だった。
ある時、一人のお客さんがやってきた。
「すいませーん。これ、おたくで買ったものなんですが、11分58秒のところに白いノイズが出るんですけど」と言う。
調べてみると、11分58秒のところで、一瞬、目を凝らしてみないとわからないほどの、小さな白い点が出る。
普通の人ならまったく気にならないようなノイズだが、その人は大いに気になるらしかった。
仕方なく交換したのだが、数日後、その人はまたやって来た。
「やはり前と同じところでノイズが出るんですけど」と言う。
修理のきかないディスクなので、こちらとしては、交換する以外に対処する方法はない。
しかし、何度交換しても、同じ結果しか出ないと思ったぼくは、メーカーに対処させることにした。
さすがにその後は何も言ってこなかったが、そのお客とメーカーは、かなりやりあったという。
うちの店がアニメを敬遠したのは、こういうクレームがけっこう多かったからである。

じゃあ、Bではそんなクレームがなかったのかというと、そうではなく、うち以上に売っている分クレームも多かったそうだ。
ある時、メーカーからBでの面白い話を聞いた。
アニメに限らず、こういうソフト関係は、初回版にプレミアムが付いてくることが多い。
それ欲しさに、初回版を予約する人もけっこういるのだが、アニメファンはその傾向が特に強かった。
そのプレミアム欲しさに、あるアニメを予約した30代の男性がいた。
ソフトの発売日、その男は開店と同時に現れたという。
ところが、店の手違いで、その男の予約分が漏れていたことがわかった。
ソフトは行き渡るのだが、そのプレミアムは限定だったので、もう手に入らない。
そこで、店の人はその旨を男に説明し、丁重に詫びを入れた。
「他のプレミアムを準備させてもらいますので…」
そう言ったとたん、男はベソをかき、その場に座り込んだ。
そのまま小一時間座り込んでいた。
いくら店の人が詫びても、立ち上がらなかったという。
たしかにミスを犯した店が悪いのだが、男もベソかいて座り込むことはないだろう。
いい歳した大の大人が何をやっているんだ。
そのメーカーさんは、「アニメファンというのはホント疲れますわ」と嘆いていた。

アニメファンといっても、こういう人はごく一部にすぎないだろう。
そのごく一部の人が、いろいろと問題を起こすので、業界の中で偏ったアニメファン像というのが出来たのだろう。
ぼくも、どちらかというとアニメ好きの人間ではあるが、重視するのはプレミアムやディスクのちょっとしたノイズではなく、あくまでも作品の内容である。
おそらく、アニメファンといわれる多くの人たちも、ぼくと同じ意見だと思う。



2003年04月26日(土) 新しい掲示板

おっ、もう1時を過ぎとうやん。
早よ書かいて寝らんと明日がきつい。

今まで何をやっていたのかというと、新しい『月明り掲示板』を探していたのだ。
今朝、掲示板を開いてみると、
《サーバー移転の為
4/26 0:00よりサーバーを完全に停止します。
現況報告とお詫び:作業開始前の停電により、発言ログデータサーバーに障害が発生しました。
最悪の場合、全データが飛んでいるかもしれません。
ご迷惑をおかけし、大変申し訳ありません。
復活予定は、運送屋さんの到着時刻に依存するところが大きいですが、目標としては4/28中のサービス再開、最悪で4/29中には、と考えています。
が、やってみないとわかりません。
以上 ご協力お願いいたします。 》
と書いてあった。
「突然停止されると困るんよね。ちゃんと連絡してもらわんと」と一人でブツブツ文句を言った。
「さて、どうしようか」と思ったが、時間がなかったので、とりあえず会社に行ってから考えることにした。
ところが、昨日の日記の通り、今日は改装オープンの二日目で、そんなことを考える暇もないほど、次から次へとお客さんがやってくる。
帰る頃には放心状態で、掲示板のことなどすっかり忘れていた。

掲示板のことを思い出したのは、午後9時半過ぎに家に帰り着いた後のことだった。
「そういえば、掲示板…」
と思って、掲示板を開いてみたが、相変わらず《サーバー移転の為…》の表示のままだ。
「29日…。あと3日もある。待てるか!」
と、新しい掲示板を探すことにした。
『無料 レンタル掲示板』などと検索窓に書き込んで、検索結果の1から順に開いてみた。
しかし、見るとどこも似たり寄ったりである。
「これ以上探しても無駄だ」ということで、一つの掲示板を決めた。
そこは、このサイトを始めた頃に借りたサーバーだった。
つまり、また元に戻ったわけだ。

当初借りていたそのサーバーをなぜ止めたのかというと、それはゲストさん同士がけんかを始めたからである。
お互い意地の張り合いで、一歩も譲らなかった。
このままだと見ている人が不愉快になるだろうと思い、サイトごと移転した。
もちろん掲示板は、新しいところを借りた。
もちろん二人には新しいサイトのことを教えずに、残ってもらうことにし、あとは知らん顔をしていた。

ということで、今日からは新しい掲示板でございます。



2003年04月25日(金) ワンポイント

いよいよ開店にこぎついた。
人混みに酔ったというのだろうか、今日は久々のお客さんにもまれ、少し頭が痛くなってしまった。

朝8時半の集合という、朝の弱い、しかも昨日の日記が出来ていなかったぼくにとって、ちょっときつい改装オープン初日となった。

夜中の2時まで起きて日記を書いていたのだが、どうも文章がまとまらない。
そこで、朝少し早めに起きて書くことにした。
ところが、朝起きてもうまく書けない。
最後の部分がどうしてもまとまらないのだ。
何度も書き直しをした。
しかし、納得のいく文章が書けないままに、時間が来てしまった。
「仕方ない。これでいくか」
と妥協したのが、昨日の日記だった。

会社に着いたのは、8時半のちょっと前だった。
かなり早めに出たつもりだった。
予想された渋滞はなかったものの、今日はよく信号に引っかかる日だった。
そのため、渋滞に巻き込まれたのと同じくらいの時刻に着いてしまったのだ。

店に着くなり、店長が「朝礼します」と言った。
今日の朝礼は、本社の人間が来ているせいか、幾分長め朝礼となった。
朝礼の最後に、「いらっしゃいませ」の訓練をいつもやっているのだが、その声が今日はやたら大きい。
本社の人が来ているので、みな少し興奮気味だったのだろう。
ちなみに、ぼくはいつも口だけ動かしている組である。
今日もそうした。

さて、朝礼が終わり、売場に帰ろうとした時だった。
Kちゃんというパートさんが、「しんちゃん」とぼくを呼んだ。
ぼくが「あっ?」と振り向くと、Kちゃんはぼくの頭を指さし、「はねてるよ」と言った。
最初、何のことを言っているのかわからなかった。
「頭?」と、ぼくは自分の頭を触った。
すると手のひらに毛先の感触が走った。
『もしかしたら』と、ぼくは慌ててトイレに駆け込んだ。
洗面所で鏡を見ると、後ろ髪が雀の尾っぽのように、束ではね上がっていた。

昨日、頭を洗ったのだが、風呂に入るのが遅かったせいで、十分に乾かないまま床に就いてしまった。
そのせいで、朝起きてみると、髪の毛が爆発していた。
上記のように、日記に専念していたものだから、出掛ける準備に時間を割けなかった。
いちおう爆発は整えたのだが、後ろまで目が行き届かなかったのだ。

さっそくぼくは髪を水で濡らし、念入りに寝癖を直した。
おかげで、何とか寝癖は収まった。
と思ったが、数本の髪の毛はまだはねている。
しかし、そう目立つほどではないので放っておいた。

ところが、夜になって、事務所の窓に映っている自分の姿を見た時、あ然としてしまった。
何と、朝よりもはね方がひどくなっていたのだ。
いつのその状態になったのかは知らないが、この格好でお客さんを相手にしていたのかと思うと、情けなくなってきた。
ぼくは、よくお客さんから「白髪のにいちゃん」と呼ばれているが、これからは「雀のにいちゃん」と呼ばれるのかもしれない。



2003年04月24日(木) 気が楽だったり、時々狂ったり(後編)

3年の時、何よりもぼくが目立ったことといえば、遅刻だった。
とにかく毎日遅刻する。
これは交通事情のせいであり、わざと遅刻していたわけではないが。

初めて遅刻した時、ぼくは教室の後ろから入った。
すると担任が、「こら、しんた。どうして後ろからコソッと入ってくるんか。遅刻したなら前から入ってこい」という。
ぼくはすでに席に着いていたのだが、また鞄を持って後ろから廊下に出、前から入り直した。
それからは、毎日前から入るようになった。
その入り方がおかしかったのか、いつもクラス中が笑いの渦だった。
ホームルームで担任が熱弁をふるっている頃、突然教室の前の扉を開け、のそのそと歩いて、教壇の前に向かった。
教壇の前に立つと、ぼくは担任の顔をにらみつけた。
そこから担任とのやりとりが始まる。
「こら、しんた。お前、なし(何で)遅刻してきたかっ!?」
「はあ、バスが遅れました」
「バスが遅れた? 他の人間は遅れずに来とるやないか!」
「はあ、ぼくの乗ったバスが遅れたんです」
「なし遅れるようなバスに乗るか!?」
「はあ、そのバスしかなかったからです」
担任はせっかちにしゃべり、ぼくはのんびりとしゃべっている。
その間合いがおかしかったのか、みんなクスクス笑っている。
「もういい。1時間目が終わったら職員室に来い!」
いつもこの繰り返しだった。
このことがあって、ぼくは行動で笑いをとることの面白さを知った。
一方の担任も、ぼくと掛け合うことの面白さを知ったようで、ぼくが遅刻してくるのを楽しみにしているようなふしがあった。

しかし、こんなことをやっていたからといって、孤立を止めたわけではなかった。
・クラスの連中とは、必要以外のことは話さない。
・相手が馬鹿やっても、反応しない。
・笑わない。
・クラス単位の活動などは、すべて無視。
という孤立化4項目は忠実に守っていた。

さて、ぼくはそのうちクラスにいることすら馬鹿らしく思うようになった。
朝は遅刻してくるので当然ホームルームに出席しなかったのだが、とうとう帰りの掃除やホームルームにも参加しなくなった。
その間何をしているのかというと、クラブの部室で寝ていたのだ。
さらに、「こんなクラス面白くない!」と言い捨てて、他のクラスに遊びに行くようになった。
時には、授業を他のクラスで受けることもあった。

そうやって、ぼくの孤立はどんどん深くなっていった。
ある時、2年の頃のぼくを知る、数少ないクラスメイトの一人が言った。
「人は変わると言うけど、お前みたいに極端に変わった奴はおらん」
この一言を聞いた時、ぼくの孤立化は成功したと思った。

高校卒業間近に、ぼくはあることに気づいた。
それは、ぼくだけに限らず、クラスの一人一人が孤立していたということである。
いつも馬鹿ばかりやって、そのクラスの中心的な存在になっている男がいた。
ぼくは、その男の中に空元気を感じた。
本気で馬鹿をやってないのだ。
彼はいい大学を目指していたこともあって、家ではかなり勉強をしていた。
そういう人間が、本気で馬鹿をやるわけがない。
彼は馬鹿をやることで、受験勉強の憂さを晴らしていたのだ。
つまり、彼にとってのクラスというのは、受験勉強のはけ口だったのだ。

おそらくその時期、クラスの全員がそうだったのだと思う。
彼らにとって、クラスというのは、受験という孤独な闘いから逃れられる唯一の場所だった。
つまり、孤立と孤立、心の通わないコミュニケーションを、クラスという場所で展開していたにすぎないのだ。
みんな空元気だったわけだ。

それに気づいた時、ぼくは「なんと無駄な一年間を過ごしたんだ」と思ったものだった。



2003年04月23日(水) 気が楽だったり、時々狂ったり(前編)

 「気が楽だったり、時々狂ったり」

 ここに来て半年、おれはみんなを無視してきたし
 誰も信じようと思わなかった
 だから彼らもまったく、おれを相手にしない
 気が楽だったり、時々狂ったり

 主人はおれたちの落ち度を見つける、頑固な人で
 みんなから嫌われるのも当然だ
 もちろんおれも、彼を信じちゃいない。
 彼にすべてを、任せようとも思わない

  今日も日記帳につづられた日々が笑っている
  病に衰えたおれのことを
  今日も日記帳につづられた日々が泣いている
  どうやらこの賭は失敗だったらしいね

 おれのあこがれた連中が、「諦めるか」と聞く
 おれはただ、「なに今に福音が降りてくるよ」
 誰もがおれの目は、何かもの悲しそうだという
 気が楽だったり、時々狂ったり

  今日も日記帳につづられた日々が笑っている
  病に衰えたおれのことを
  今日も日記帳につづられた日々が泣いている
  どうやらこの賭は失敗だったらしいね

 ここに来て半年、おれはみんなを無視してきたし
 誰も信じようと思わなかった
 だから彼らもまったく、おれを相手にしない
 気が楽だったり、時々狂ったり


またつまらん詩で始まった。
この詩は高校3年の頃に作ったものだ。
その頃、ぼくは一つの実験をやっていた。
それは、クラスから孤立することだった。
小学校1年から高校2年まで、いつもぼくは何らかの形でクラスの中心にいた。
というより、そういう自分を演じていた。
高校2年が終わる頃に、「そういう自分を演じることも飽きた。せめて最後の1年だけは、目立たない自分を演じてみよう」と思った。
春休みが終わり、ぼくはそのことを実行に移した。

それは、
クラスの連中とは、必要以外のことは話さない。
相手が馬鹿やっても、反応しない。
笑わない。
クラス単位の活動などは、すべて無視。
というものだった。

幸い、新しいクラスには、2年までのぼくを知る人が少なかった。
おかげで、『新しい自分』演出は障害もなく遂行できた。
もはや中心ではないので、ずいぶん気が楽だった。
面白くもないことに、相づちを打って笑う必要もなくなった。
体育祭などの面倒なイベントにも参加しないで、さっさと帰る。
当然、その打ち上げにも参加しない。
そのうち、クラスの連中も、ぼくのことを相手にしなくなった。
「うまくいった」と、ぼくはほくそ笑んだ。

ところが、無理矢理違った自分を演出しているため、いろいろとほころびが出てきた。
長年中心でいたので、中心であるためのツボというのが身に付いている。
それが、ついポロッと出てしまうのだ。
自分でも気がつかないうちに、目立つようなことをしたり、物言わず笑いをとったりすることがあった。



2003年04月22日(火) 時々刻々

《午前0時40分》
連日、日記の更新が午前3時を過ぎている。
おかげで、今、凄い睡魔に襲われている。
もしかしたら、今日の日記は、このまま終わってしまうかもしれない。

何も書かずに寝るのもしゃくだから、とにかく何か書こうともがいている。
もがけばもがくだけ書けなくなるし、もがけばもがくだけ眠さが増す。
一度寝た方がいいのかもしれない。
しかし、最近の体調からいって、いったん寝てしまうと、そのまま朝まで眠ってしまいそうだ。

《午前4時40分》
おっと、もう5時前やん。
3時に起きてから書こうと思い、いったん寝ることにした。
布団に入ると、朝まで寝てしまいそうだから、布団に入らずに寝たのだが、やはり3時には起きられなかったか。

学生時代を思い出す。
中間や期末テストといった定期試験の勉強は、すべて一夜漬けでやっていた。
というより、それ以外に勉強することはなかった。
初日、二日目は、夜を徹してやれたのだが、三日目はさすがにだめだった。
で、一度寝てからやろうと、今日と同じように布団に入らずに寝た。
たいがい予定していた時間に起きられたのだが、たまに起きたら7時を回っていたということもあった。
それでも得意な科目の時なら大して慌てなかったのだが、苦手な科目の時はさすがに真っ青になった。

「頭の中は眠たさでいっぱい、徹夜だったのです。
 あくびは限りなくでるし、目は真っ赤なのでしょう。
 朝の風に打たれてこよう。それが一番でしょう。

 太陽の光はまだ見えないけど、空は明るくなっていきます。
 初夏だというのに朝はまだ寒く、厚着をしています。
 朝の風に打たれてこい、父のよく言った言葉です。」

高校3年1学期の中間テスト、その一夜漬け中に作った詩である。
その時の成績は散々だった。
そう、詩を書いている暇なんかなかったのだ。

《午前6時40分》
もう一度寝てしまった。
学校に行っている夢を見てしまった。
やはり、日記のことが気になっているのだろう。
ぼくも、いよいよ日記依存症になってしまった感がある。
このまま起きていようか、それとももう一度寝ようか。

《午前7時50分》
また眠ってしまっていた。
出掛ける準備をしなくてはならない。
こんなことばかりやっているから、ここ数日は新聞も読んでいない。
一応その日の新聞は車に積んである。
しかし、読む暇もない。

それにしても眠たい。
だけど、もう寝るわけにはいかない。
このまま一日を乗り切れるかどうかが問題である。



2003年04月21日(月) お疲れ日記

【その1】
大変疲れている。
改装工事も大詰めを迎え、ここ数日、仕事が終わるのは午後7時を過ぎている。
朝は9時からだから、10時間ぶっ続けで、慣れない肉体労働をやっていることになる。
そのため、日記の書き始めから、すでに居眠りモードに入ってしまっている。
テーマが見あたらない。
考えることすら出来ない。
書けない…。
もういいや!
昨日あれだけ書いたのだから、今日の日記は勘弁して下さい。

『勘弁して下さい』…?
いったい、誰に向かって言っているんだろう?

日記を書いていると、時々むなしくなることがある。
例えば、日記の中でたまに『みなさん』などと呼びかけることがあるのだが、いったい誰と誰と誰が『みなさん』なんだろう。
もしかしたら、『みなさん』は誰もいないのかもしれない。
そうだとしたら、『みなさん』は実にむなしいものだ。
家に帰ってカウンター(タイトルの下の[00001]ではない)を見てみると、そこそこ数字が増えているが、その増えた数字分の人が、その日の『みなさん』だと理解することにしている。
が、そのみなさんは本当に『みなさん』という呼びかけを見ているのだろうか。
それはわからない。

【その2】
今日、家に帰ると、ポストにチラシが入っていた。
それを取り出した瞬間、『頑張れダイエーホークス! 半額』という文字が飛び込んできた。
「え?」と思い、よく読んでみると、そこに書かれていたのは「頑張れダイエーホークス! お鮨 《茶碗蒸しをつけると》半額」だった。
それでも何のことかわからない。
説明を見てようやく納得した。
『ダイエーホークスの勝った翌日におすしご注文のお客様には、「なんでも半額券」進呈!!』ということである。
最近、「ダイエーホークスが勝った翌日は…」、とホークス勝利にあてがった商売が多くなったような気がする。
先日聴いていたラジオでも、「この店では、ホークスが勝った翌日は、2000円割引の券をプレゼントします」などと言っていた。
そこも寿司屋だった。
もしかしたら、こういうチラシや宣伝を出す店の経営者というのは、こういうことをやっているうちに、ホークスファンでなくなっていくかもしれない。
最初のうちこそ、「やったー! ホークス勝ったー! 明日は半額だー!」とやっているのだろうが、時間が経つにつれ、「チッ、今日もホークス勝ちやがった。商売あがったりだ」に変わっていくのではないだろうか。
こんな理由から、ファンが減っていくのも寂しいものである。
こういう企画は、ぜひやめてもらいたい。
とはいえ、半額で食べてみたい気もする。



2003年04月20日(日) 想い出に恋をして

古いノートに、送る宛のない手紙の下書きを見つけた。

「風の噂で、君が三児の母親だということを聞きました。
21歳の時、ぼくは覚悟していたのです。
だから、それを聞いた時、それほどのショックは受けませんでした。

まあ、そんなことはどうでもいい。
21歳の頃、ぼくは思ったものです。
「本当に君が好きなのだろうか」と。
確かにあの頃に作った歌や詩は真実です。
おかげで、ある程度自分を発見できたのです。
だけど、あの頃思ったものです。
「本当に君が好きなのだろうか」と。
「好きだっただけではないのだろうか」と。

お互い、今年で29歳になりますね。
この8年間、ぼくは疑問を持ってきました。
愛というのは特別なものではなく、その生活の節々が愛なのだということは、何となく理解できるようになりました。
だけど、あの時持っていた「本当に君を好きなのか」という疑問には、いまだ答えることが出来ません。
あの頃と同じで、いつもぼくは、何ものにも縛られたくない、という気持ちを持っています。
だから誰彼に教えられるのを拒み、自分なりにいろいろな勉強をしてきたつもりです。
だけどぼくには解りません。

君を好きだったのかという疑問は、大変深いものだと思います。
君を好きだったんだ、と言うことは簡単です。
否定するのも簡単です。
「君を好き」というのは、ぼくにとっての啓発の手段だったのか。
それもぼくには解りません。
今になっては何も解らない。
ただ解っているのは、ぼくは18歳までの君しか知らないということ。
ただそれだけです。」

29歳の時、友人から「○恵、三人目を生んだらしいぞ」という話を聞いた。
「○恵」とは、ぼくが高校時代からずっと好きだった子のことである。
高校を卒業してからその時まで、ぼくの中では音信不通だった彼女の近況報告であった。
下ネタ好きのその友人に、「じゃあ、最低3回はやったんやろう」と茶化しておいたが、内心は複雑だった。
なぜなら、ぼくの中で彼女のことが終わってなかったからだ。
さすがに、その時には、もう『好き』という感情はないに等しかった。
では、何が終わってなかったのか。
それが、21歳の頃に抱いていた疑問である。
その疑問とは、
「今、本当に彼女のことを好きなのだろうか。もしかしたら、あの頃の『好き』を今に引きずっているだけのことじゃないのだろうか」
ということである。

ぼくは人を好きになった時、「いったい、いつから好きになったのだろう」と、いつも自問している。
しかし、その答は出てこない。
わかっているのは、「その人と出会ってから後のことだ」ということだけである。
同じように、その『好き』から冷めた時期というのも、よくわからない。
しかし、その場合は「その人と会わなくなってから後のことだ」と言い切れないからややこしい。
21歳の頃、ぼくは初めてそのことに気がついた。
で、「ぼくは、本当に今でも彼女のことが好きなのだろうか」という追求が始まった。

それから2年後に、ぼくはこういう詩を作っている。

 『想い出に恋をして』

 メルヘンの世界に 恋しては
 ため息をつきながら 扉を右へ
 行き着くところもなく ただひたすら
 影が見える公園へと 続いて

 帽子をかぶった 小さな子供たち
 楽しそうに 何かささやいて
 ひとつふたつ パラソル振って
 空の中へ 向かっていく

  明日は晴れるといいのにね
  小さな雲に映った夕焼けが
  君たちのしぐさを見守っているよ
  そのうちにパラソルも消えて

 悲しいのは 今じゃない
 想い出にこだわる ぼくなんだ
 気がついてみれば 君を忘れ
 ただつまらぬ 想い出に恋をして

結局は結論が出ず、『想い出に恋をして』いることにしたわけである。

だが、疑問は終わってなかった。
それが、冒頭の下書きである。
しかし、この下書きを書いたことで、ぼくはそういう疑問から解き放たれた。
なぜなら、この文章にあるひとつの事実を発見したからだ。
それが、『ぼくは18歳までの君しか知らない』ということである。
確かにそのとおりで、ぼくがその人に接していたのは18歳までだった。
それから後は会っていない。
もちろんそういうことはわかっていた。
が、わかっていたから、そういうことに目を向けなかったのだ。
文章を書いたあと読み返してみると、ここの部分が胸に突き刺さった。
「ああ、あの時点で終わっていたのか」
ようやく、ここでぼくの疑問は解けた。
おそらく、ぼくの深層心理はこの結論を知っていたのだろう。
だから、ぼくに『想い出に恋をして』を書かせたのだろう。

かつて好きだった人に再会した時、なぜか心がときめくものである。
そして、「え!? おれ、まだあいつのことが好きだったんだ」と思う。
そう、まだ好きなんですよ。
想い出が。



2003年04月19日(土) 気になっていること

最近一番気になっているのが、思考能力が低下しているように思えてならないということ、またそのせいで寝不足状態に陥っているということだ。
とにかく日記を書く段になると、何も考えられなくなっている。
以前あった、「こうでもない」「ああでもない」と必死に日記と取り組む気力も失せている。
そう、パソコンの前に座った時点で、すでにぼくは虚脱状態に陥っているのだ。
そんな虚ろなぼくの周りで、時間だけが忙しく過ぎていく。
ところが、それについての焦りもない。
その時、ぼくは時空を超えた世界と一つになっているのだ。

こうやって、いつも寝るのが遅くなっているのだが、時々床に就いた時に「バシッ!」という板の割れたような音がすることがある。
この音はラップ音か?
そういえば、この「バシッ!」という音がした時、なぜか場の雰囲気が変わるのだ。
もしかしたら、霊が訪れているのかもしれない。
そして、そのあとに決まってやってくるのが、金縛りだ。
金縛りに会うと、ぼくは闘うことにしている。
そのために、寝るのがさらに遅くなる。。
もしかしたら、その霊は、ぼくを寝させないために霊界から派遣されてきた霊なのかもしれない。

とはいえ、いつの間にか眠っている。
そして、毎朝8時に起きている。
ところが、目が覚めてみると、ぼくは寝ころんでいないのだ。
なぜか布団の上に座っているのだ。
以前なら、アラームが鳴るまで、布団の中に潜っているのが常だったのに。
何時頃から座りだすのかはわからない。
が、けっこう長い時間座っているようだ。
起きると、長い時間パソコンをやったのと同じように、首から背中にかけてが痛い。
いったい、ぼくは座って何をやっているのだろうか?
よくわからない。
もしかしたら、この一連の状態は、すべて霊のなせる技かもしれない。

気になっているといえば、日本直販のCMで気になっているものがある。
それは『爪切りニッパーセット』のCMである。
その商品が気になっている、というのではない。
ぼくが気になっているのは、そのCMの中で、足の爪を切っているおばさんである。
はっきり言って、その人の爪は汚い。
年寄によく見かける、栗の皮を剥いたような爪をしている。
たしかに、「こういう爪でも大丈夫です」というのがそのCMの狙いなのだろうが、それにしても汚すぎる。
その爪を、昼食時に見せられるのだから、たまったものではない。
せっかく、爪切りの宣伝をするのなら、ストッキングのCMが脚のきれいな人を使うように、このCMも、もう少し爪のきれいな人を選んだほうが効果があると思う。
あれでは、ストッキングのモデルに、毛深い人を使っているようなものである。

ということで、今日の日記は終わります。
今からラップ音との闘いですわ。



2003年04月18日(金) 安ぼん

今日は休みだった。
おそらく、今月最後の休みになるだろう。
で、何をやっていたのかというと、朝は普通どおり起床し、昼までテレビを見ながら、昨日の日記を書いていた。
あとは予想通り、というか計画通りにずっと寝ていた。
昨日の作業で、心身共に疲れてしまったのだ。
背筋、胸筋、上腕筋など、上半身の至る所が痛い。
だが、不思議と腹筋は痛くない。
あんなことをやっても、腹の肉は落ちないということか。
改装中の作業で、痩せようとしたぼくが甘かった。
ということで、さすがに今日は一歩も外に出ていない。

ところで、午前中に何の番組を見ていたかというと、こちらで再放送をやっている『あかんたれ』である。
再放送というより、再再…放送なのだろうが。
もう、何回もテレビでやっている。
が、ぼくはこのドラマを見るのは初めてなのだ。
花登筐の作品は最初は面白いのだが、尻切れトンボなものが多い。
ぼくはそういうドラマを見るのがあまり好きではないので、基本的に彼の作品は見ないことにしている。
彼の作品で見たことのあるのは、西郷輝彦主演の『どてらい男』くらいだ。
これも最初は面白かった。
しかし、戦後編で急に話がおかしくなった。
「あの話はどうなったんだ?」と思われる部分が、随所に出てきた。
中尾彬なんかも出ていたのだが、この人も中途半端な話の流れから、突然出なくなった。
そのあとから始まった、柴俊夫『さわやかな男』は気がついたら終わっていた。

さて、その『あかんたれ』であるが、話の内容もさることながら、沢本忠雄演じる『安ぼん』を注目して見ている。
どこにでも、こういう人間が一人や二人はいるものである。
・すぐに人に騙される。
・店の金に手をつける。
・目先はこすいくせに、大きなところで抜けているために大損をする。
・仕事しようとせず、女のひもに成り下がる。
・楽して金儲けをしようとして、安易な仕事ばかり探してきては、あとで泣きを見る。
・たまに仕事をすれば役に立たない。
劇中『アホぼん』と言われているが、まさにアホである。
そのアホは、先天的なものもあるのだが、世間知らずという後天的な部分が大きく影響しているように思える。
世間知らずの原因の半分は、親にある。
親が甘やかして育てるから、子は世間を甘く見るようになる。
過保護に育てるから、意欲のない人間が出来上がる。
こういう人は、一度痛い目にあっても反省せず、再び同じ目に遭うことが多いものだ。

現在このドラマは、ステテコの偽物が出回っているところまできている。
あとどれくらい続くのかは知らないが、最終回まで安ぼんの活躍を追ってみようと思っている。



2003年04月17日(木) 今日の出来事

『暑い一日』
朝、ラジオで「今日の八幡の気温は、27度まで上がります」と言っていたが、その通りになってしまった。
とにかく日中は暑かった。
日の当たらない店内でも、半袖で過ごせたほどだった。
おそらく、今年一番の暑さだっただろう。
外に出るとツバメも飛んでいた。
藤の花も咲いていた。
いよいよ初夏である。

『きつい』
改装中、ずっと一人で作業をしてきたものだから、多少の無理でも一人でやってしまう癖がついてしまった。
今日、困ったことが起きた。
今回の作業の中で組み立て、商品を陳列した什器の位置が、約30センチほど後ろに下がっているのだ。
これを前に出さないと、後ろに商品が置けなくなる。
什器は重さにすると1トン近くはあるだろう。
「どうしようか」と迷ったあげく、無謀にもぼくはそれを力ずくで前に押しやろうとしたのだ。
もちろんビクともしない。
今度は前から引っ張ってみた。
全然だめである。
で、また押してみる。
そして引いてみる。
この作業を20分ほどやってみた。
しかし、肝心の什器はまったく動かない。
押したり引いたりの振動で、商品がパタパタと落ちていくだけである。
仕方なく、いったん商品や棚を下ろして移動させた。
多少時間はかかったが、最初からこうしていれば、無駄な作業をした時間は削減されていたのだ。
おまけに、体の節々が痛くなってしまった。
おかげで、あとの作業も思うようにいかなかった。

『おいしいキャラメル』
午後9時頃、突然キャラメルが食べたくなった。
近くのセブンイレブンに行ったのだが、あいにくキャラメルは品切中だった。
仕方がないので、いったん家に戻り、車でイオンに行った。
そこには、数種類のキャラメルが置いてあった。
が、お目当ての明治『クリームキャラメル』がない。
これは困ったことである。
せっかく、それを買いに車に乗ってきたのに…。
しかし、もう他の店に行く気力もなかったので、ここで何か調達していこうと、目を凝らしてキャラメルコーナーを見てみると、そこに見慣れないキャラメルが置いてあった。
森永『黒糖キャラメル』
前に来た時には置いてなかったので、おそらく新製品だろう。
黒糖なら健康にいいやと、試しに買って帰った。
家に帰って、さっそくその『黒糖キャラメル』を食べてみると、これがおいしい。
しかも、飽きない味である。
1個食べると、すぐに2個目がほしくなる。
2個食べると3個目…、と次々に食べていった。
気がつくと、もうキャラメルは底をついていた。
こんなことなら、もっと買っておくべきだった。



2003年04月16日(水) 千葉マリンスタジアムで3連勝!

ここまでやってくれるとは。
ホークスファンにとって、今年の優勝を確信したような3連勝だった。
対マリーンズ3連戦、杉内・余裕の完封勝利、新垣・涙の完投勝利、和田・技の完封勝利、実に見事だった。
この3連戦でのロッテの得点は、堀の犠飛であげた1点のみだった。
3年前は3勝しかできなかった千葉マリンスタジアムでの3連勝というのも、何か感慨深いものがある。

さて、そのホークスだが、98年からずっとAクラスに入っている。
その年までの目標が「Aクラス入り」だったから、あれから5年も続けてAクラス入りを果たしているわけだ。
ちなみに、98年が3位、99,00年が優勝、01,02年が2位である。
しかも、ここ数年の優勝予想では、半数以上の評論家の方々がホークスの名を上げてくれている。

ホークスも強くなったものである。
ホークスが、ペナントレースの地を這っている頃から応援しているぼくにとっては、こんなに嬉しいことはない。
エースが村田や吉田豊だった頃、つまり投手力が弱いと言われていた頃から比べると、投手陣もかなり充実してきたものである。
ここまで若手が頑張って完投している姿を見せつけられると、『勝利の方程式』とは、いったい何だったのだろう、と、つい思ってしまう。
元々は、先発投手が安定していないがための、苦肉の継投策だった。
それがうまくいったからこそ、『勝利の方程式』という言葉が生まれたのだ。
もしうまくいってなかったら、こういう言葉も生まれてこなかっただろう。
しかし、優勝した99,00年こそ「先発→中継ぎ→押さえ」がうまくかみ合っていたものの、それ以降はペドラザの一発病に象徴されるように、うまくいかなくなった。

そういえば、昨年はペドラザが戦犯になった試合が、けっこう多くあった。
9回に、1,2点差でペドラザが登板した時には、いつもヒヤヒヤさせられたものだ。
いや、その点差が5点開いていても、ペドラザと聞いただけでストレスがたまったものだ。
2アウトランナーなしでも落ち着かなかった。
3人目に四球、4人目に本塁打を打たれ同点、その後延長戦になり、逆転負けを喫してしまうというパターンを、何度も見せつけられていたからである。
たまにうまく押さえて勝った時の彼のガッツポーズを、素直に喜ぶことが出来なかったのは、ぼくだけだっただろうか。

ところで、このサイトの自己紹介のところにわざわざ「福岡ダイエーホークスファン」と書き、調子に乗って『空を翔べ!』という掲示板まで作っているぼくではあるが、実はファンクラブには入っていない。
入っていた時期はある。
それは、まだホークスが弱かった時代である。
毎年、「ファンクラブの一員としてホークスの優勝を見たい」と思って、契約を更新していたのだが、ある時「ホークスが弱いのは、ファンクラブに入っているからじゃないのか」という思いにかられた。
そこで、次の年、そう98年からは更新しないことにした。
案の定、その年は4位扱いではあったものの、日ハムと同率の3位になった。
ということで、翌年も契約しなかった。
すると優勝だ。
そういうことなので、ぼくはもうファンクラブに入ろうとは思わない。
ぼくがファンクラブに入ると、またBクラスになってしまう。

まあ、入っていようといまいと、ファンであることに代わりはない。
ひいきのチームが勝つと、実に気分のいいものである。



2003年04月15日(火) 寝不足の一日

さすがに今日は疲れた。
何せ、寝たのが午前4時である。
それまで何をやっていたのかというと、日記を付けていたのである。
パソコンの前に座ったはいいが、新しく検索ソフトを入れるなどして遊んでいた。
「さあ、日記を書くぞ」と時間を見ると、もう1時を過ぎていた。
そういう時に限って、テーマが出てこない。
迷ったあげく書いたのが、歴史の話だった。
ちなみに、昨日の日記は辞書や新聞の文章を引用しているが、あれは新しいソフトで検索したものである。

さて、平常と違い、改装中は火曜日が休みではない。
したがって今日は休みではないので、朝7時半に起きて仕事に出かけなくてはならなかった。
寝起きはよかった。
運転中や仕事中に居眠りをすることもなかった。
ただ、体が重かった。
思うように体が動かないのだ。
普段ならそれほど時間をかけなくてすむような仕事に、えらく手間取ってしまった。
今日の仕事をすまして、早めに切り上げようと思っていたのだが、終わってみたら、通常と同じ時間だった。
おかげでいつものように、夕方の渋滞に巻き込まれてしまった。
ラジオから流れる交通情報は、毎日判を押したように「国道3号線下り、黒崎駅前で渋滞」と言っている。
「それは違うでしょう。黒崎駅の4キロ手前から渋滞でしょうが」と、ぼくはいつも思っている。

しかし、ここを通らないと帰れないというのも辛い。
黒崎バイパスが出来てくれれば、渋滞も少しは解消されると思うのだが、いつまでたっても計画があるだけで、着工されない。
そういえば、今、小倉の街をモノレールが走っているが、これは当初ぼくの家付近を通るような計画になっていた。
小学4年生の頃、社会科の『私たちの郷土』で、そう習った。
しかし、いつまでたってもモノレールは出来ず、ようやく小倉線が開通したのが、それから約20年後のことだった。
それ以降、新しく作るといった話は出てないから、あの計画はもう終わったのだろう。

ところで、今日の昼食は、その黒崎駅前に行ってきた。
ベンツという喫茶店で、焼きうどんを食べた。
今回のグルメツアーのキーワードである『安い、おいしい』にかなったものだった。
そこは予備校時代からの行きつけの店で、行くといつも焼きうどんを食べている。
一番よく通ったのは、長崎屋にいた頃だった。
ほとんど毎日通っていた。
頼むのはいつも「焼きうどん定食」で、店の人からは「うどん定のにいちゃん」と呼ばれていた。
水をこぼしたり、お吸い物をこぼしたりで、いつも衣服を濡らしていた覚えがある。

久しぶりに行ったのだが、店の人はよく覚えていた。
「何年ぶりですか」と聞かれたので、「十何年かぶりです」と答えた。
マスターは「十何年前…?」と言って首をかしげていた。
ああ、そういえば2年ほど前に一度行ったことがあった。
が、訂正はしなかった。
十何年か前に行った時は、まだ顔見知りのウェイトレスも何人かは残っていたのだが、さすがにそういう人たちは残っていなかった。
それもそうだろう。
ぼくが足繁く通っていた頃、つまり20代前半に彼女たちはすでに30代だったのだから。

あ、もう1時半だ。
そろそろ寝ることにしよう。



2003年04月14日(月) 歴史のお話

ごく一部の人からだが、「最近、歴史物を書かないですね」と言われる。
そういう時、決まってぼくは「そうですね。最近書いてないですね。書きたいとは思ってるんですけど…」と答えている。
そう、書きたいとは思っているのだが、いつもいつも歴史に興味があるわけではない。
それに、この日記の元来のテーマは「その日、ぼくに書けること」である。
だから、戦争のことを書いた翌日に、ラーメンやお好み焼きのことを書いたりするのだ。

初めて歴史に興味を持ったのは、小学生の頃である。
その頃から、日露戦争については強い関心を持っていた。
日本海海戦の舞台は玄界灘だったし、その戦争を見据えて作られたのが官営八幡製鉄所だったから、特に身近に感じたのだろう。
その後、武道を始めた関係で、武士道に興味を抱くようになり、その時代の歴史に興味が移っていく。

が、学生の頃に、興味を持って歴史を勉強したのはそこまでである。
それ以降は、受験のための歴史勉強に変わったので、年号などを覚えるのに精を出していた。
「仏教伝来ゴザンパイ(538年)」
「ナクヨうぐいす平安京(794年)」
「イイクニ作ろう鎌倉幕府(1192年)」
「イクサイやだよ満州事変(1931年)」
アホらしい。
これでは何も歴史が見えてこないじゃないか。
今考えると、よくこれで「ぼくは日本史が好きです」と言えたものだ。
これだと、日本史が好きというよりも、年号の語呂合わせが好きだとしか思えない。

社会に出てから、しばらく日本史のことを忘れていた。
興味が中国に行っていたのだ。
『史記』『十八史略』『三国志』などの正史、『項羽と劉邦』『三国志演義』などの歴史小説を、片っ端から読みあさっていた。
その頃は、「中国人というのは何と偉大なんだ。それに比べて日本人は…」などと思っていたものだ。

しばらくして、その熱も冷めてしまう。
ある時、江戸時代のことを書いた『あべせで用心』というマンガに出会ったのだ。
それから江戸期に興味が移った。
その勉強で知り得たこと。
それは、ぼくが思っていた以上に、江戸時代というのは進んでいた、ということである。
西洋に後れをとっていたとばかり思っていた日本が、その時代、数多くの項目で西洋をしのいでいたという事実がわかったのだ。
それまでぼくが知っていたものとは違う、江戸時代がそこにはあった。
これは嬉しかった。
何となく、日本人というのに誇りを持てるようになったような気がした。

その後、あるレーザーディスクに出会った。
パイオニアLDCから発売された『昭和史』全10巻である。
それまでは、戦争に負けたという負い目もあって、何となく避けていた昭和史だったが、そのレーザーディスクを見てから、かなり強い興味を抱くことになった。
それから、ぼくは昭和史にはまった。
書棚がいっぱいになるほどの本を買い込み、そして読みあさった。
それによって、数々の『歴史の嘘』を知ることになる。
政府主導で行われたというのが定説になっている対米戦争だが、実は世論が政府を動かしていたということや、こちらから仕掛けたと習ったのだが、実はアメリカにはめられていたとか、南京虐殺の嘘、従軍慰安婦の嘘、嘘、嘘、嘘のオンパレードである。
それらを知るにつれ、ぼくは日本人としての誇りを強く持つようになった。
もはや、「中国人というのは何と偉大なんだ。それに比べて日本人は…」などと思うようなことはなくなった。
歴史でも何でも、嘘を教えたらだめである。
そんなことをすると、日本人としての誇りが持てなくなる。
このぼくがいい例である。

さて、下の文章を読んでいただきたい。

1895年
日清戦争の講和条約である下関条約で、日本は台湾、澎湖列島とともに、中国の中央部に絶大な戦略的位置を占める遼東半島を中国に割譲させた。これに対し、ロシア、ドイツ、フランス三国公使が外務省を訪れ、遼東半島を日本が所有することは、清国の首府を危うくし、朝鮮の独立を有名無実とし、極東の平和に障害となるから、その領有を放棄すべしと勧告してきた。(小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』より)

2003年
イラク戦争に反対してきたロシア、フランス、ドイツの三カ国首脳は十一日、ロシアのサンクトペテルブルクで首脳会談を行った。三国首脳は、イラクの戦後復興と国づくりを早急に国連主導に戻すべきだとの認識で一致した。
 会談後の記者会見で、ロシアのプーチン大統領は「国連の査察官が早晩、イラクに戻らなければならなくなる」と強調。イラク問題が「あまりに壮大で、米国だけではとても対応はできない」としたうえで「国連が中心となって問題を解決する必要がある」と強調した。(産経新聞4月12日夕刊より)

独仏露。
この三国が組むと、ろくなことはない。
まるでハゲタカじゃないか。
日清戦争しかり、今回の戦争もしかりである。
そう、この三国は、ちょっと前まで米英に反目していた国である。
ところが、米英勝利が近づくと、突然「米英を支持する」と発表。
「おいおい、あんたたちは戦争反対なんじゃなかったか」という声を知ってか知らずか、彼らは虎視眈々と利権を狙っている。

歴史を勉強していると、現代のニュースも楽しめる。
ということで、今日は久しぶりに歴史物を書いた。



2003年04月13日(日) 『せっかくだから、お昼のグルメツアー!』後編

この作戦を思いついたのは、水曜日の夜だった。
ということで、木曜日と金曜日、ラーメンとお好み焼きを食べに行ってきた。

初日はラーメンだった。
屋号が『珍龍軒』から『春夏秋冬』に変わっていた。
しかし、さすがにお客は多い。
少し時間を遅らせて行ったからよかったようなものの、もう少し早く行っていたら、並ばなければならなかっただろう。
味は全然変わっていなかった。
相変わらず、まろやかなスープだ。
会社の近くにあるラーメン屋は、スープを飲んだあとにえぐみが残るが、ここのは違う。
後味に感動があるのだ。

そういえば、東京の渋谷に『唐そば』という店がある。
元々こちらで営業していたのだが、息子の代になってから、こちらの店をたたみ、東京に進出した。
その店が『行列の出来るラーメン屋』として、最近よくテレビで紹介されている。
こちらにあった時も、お客はそこそこいたのだが、『行列の出来るラーメン屋』という店ではなかった。
味はというと、行くたびに違った味がしていたから、何ともコメントのしようがない。
人通りの多い場所にある大衆ラーメン屋、と思ってもらったらいいだろう。
わざわざ食べに行こうという店ではなく、そこのあるから入ろうというような店だった。
そういう店でも、東京に出ると味で勝負の『行列の出来る店』になるのだ。
もし、この『珍龍軒』改め『春夏秋冬』が東京に進出したらどういうことになるのだろう。
まあ、『春夏秋冬』のご主人は、野心家ではなさそうだから、東京に出るようなことはないとは思うが。

そして金曜日、お好み焼きだった。
が、『美代志』は休みだった。
なんでも、4月いっぱい休むのだそうだ。
4月といえば、ぼくの後輩たちの、『美代志』デビューの月である。
『美代志』で高校生活が始まり、『美代志』で高校生活が終わると言っても過言ではない。
ぼくと同じ高校に通った人なら、高校の思い出として必ず『美代志』が出てくるのではないのだろうか。
そういう重要な拠点であることを、『美代志』のおいちゃん・おばちゃんも充分に自覚していると思う。
それなのになぜ?
この時期の長期休暇は解せない。

「これは困ったことになった。何を食おうか」と迷っていた。
周りを見渡すと、向こうのほうに『リンガーハット』の屋根が見えた。
ということで、その日はチャンポンを食ることにした。
相変わらず、そこのチャンポンはB-だった。
しかし、長崎や平戸で食べたチャンポンの味に比べると、確実に勝っている。

さて、改装工事が終わるまで、あと2週間くらいかかるのだそうだ。
それまで『せっかくだから、お昼のグルメツアー!』が続くわけだ。
それにしても、グルメやっていると、けっこうお金がかかるものである。
例えば、ラーメンならラーメンだけでは終わらない。
つい、おにぎりやゆで卵に手が伸びてしまい、気がつくとファミレス並みの金額を払っている。
月曜日、まだどこに行くかは決めていない。
が、そうそう高くつく店ばかり行っておられない。
『安い、おいしい』をキーワードに、店を探してみるか。



2003年04月12日(土) 『せっかくだから、お昼のグルメツアー!』前編

毎日毎日、改装工事中の店の中で頑張っている。
工事の進行が遅いためか、何となくこちらの進行もはかどらないでいる。
最初のうちこそ、早く帰れるので喜んでいたのだが、最近は店内の空気の汚さから頭が痛くなったり、のどが痛くなったりと、作業の内容よりも環境の悪さからくるストレスで、いささかうんざりしている。

そんな中でも楽しみがないわけではない。
それは昼食である。
普段は弁当を持って行っているのだが、工事期間中は電気・ガス・水道が止まっているため外食することにしている。
工事の始まった頃は近くの食堂で食べていたのだが、いつもいつも同じ味では飽きてしまう。
しかも、値段の割にはおいしくないときている。

このままでは、工事現場の環境と相まって病気になってしまう、と恐れを抱いたぼくは一計を案じた。
そこで考えついたのが、『せっかくだから、お昼のグルメツアー!』作戦である。
せっかく外食するのだから、この際おいしい店に食べに行こうと思ったわけだ。
昼食時間は1時間だから、その時間内で行って、食べて、帰って来られたらいいということになる。
ということは、食事時間を20分とみて、40分で行って帰って来られる食堂を探せばいいのだ。
もちろん、車を使ってである。

では、どこに行こうか。その前に何を食べるか決めておかないとならない。
ラーメン…
ぼくが北九州でおいしいと思っているラーメン屋が二軒ある。
その一つがうちの近くにある『東龍軒』である。
ここはスープのコクがいい。
しかし、うちの近くなら、片道25分はかかってしまう。
ということで、『東龍軒』は却下。
もう一つが八幡駅近くにある『珍龍軒』である。
こちらはスープのまろやかさがいい。
ここだと、片道10分圏内だ。
で、ラーメンはここに決定。

チャンポン…
これも同じくおいしい店が二軒ある。
一つは前にここで紹介した『峠ラーメン亭』である。
しかし、ここは遠すぎる。
市外なので、片道30分は優にかかってしまう。
ここに行く時は、そちら方面に用がある時だけだ。
もう一つが折尾にある『おおむら亭』である。
会社から折尾まで、25分コースだ。
予約でもして、着いてからすぐに食べないと、時間内に帰ってこれない。
高速を使ってもいいが、そのために高速代往復1000円出すのももったいない。
ここはチェーン店で、うちの会社の近くにもあるということだが、残念ながらぼくはその場所を知らない。
片道20分という制限があるから、探す時間も惜しい。
ということで、今回チャンポンは却下。

お好み焼き…
『美代志』が一番だろう。
エッセイにも書いたが、ぼくが高校時代に通った店である。
高校のそばにあるので、ここなら片道15分はかからない。

カレー…
ぼくが「おいしい」、または「おいしいだろう」と思っているカレーの店が3軒ある。
一つ目が、ずいぶん前にこの日記で紹介した『dug』である。
まあ、ここはカレーというより、焼きカレーで有名な店なのだが、ここも遠い。
チャンポン『おおむら亭』のまだ先にある。
もう一軒が、ぼくのうちのそばにある『田舎の日曜日』というレストランである。
「天皇陛下も召し上がったことのあるカレー」というのがウリなのだが、その能書きに負けないほどの味の良さだ。
ローカルのグルメ番組で、『福岡県のカレー屋ベスト100』の中で8位にランクされていたから、ぼくだけが認める味ではない。
しかし、難点は、ここも片道25分以上はかかるということだ。
あと一つが、小倉にある『いーとん』
先の『福岡県のカレー屋ベスト100』の中で、堂々の1位に選ばれた店である。
ここは、会社から10分程度の場所にある。
ただ問題は、それほどの店だから、予約しないとすぐには食べられないのではないか、ということだ。
電話して確かめておかなければならない。

という結果になった。



2003年04月11日(金) 意見広告に意見する

ラジオを聴いていると、県教職員組合からの意見広告というのが流れてきた。
詳しくは覚えていないが、「今こうしている間にも、尊い命が失われている。今すぐ戦争を止めさせましょう」という内容だった。

おそらくこの意見広告を出した人たちは、いいことをしたくらいに思っているのだろう。
が、あまりに無責任な内容である。
そもそもこの意見、いったい誰に言っているのだろう。
国連か? 日本政府か? 福岡県民か? 地球市民なる人たちか?
果たしてそういう人たちに意見して、戦争が終わるとでも思っているのだろうか。

「今すぐ戦争を止めさせましょう」はいいが、ではいったいどうやって止めさせろというのだろう。
自分にその策がないくせに、人に意見をするのはおかしい。
策は、意見の対象者にでも考えさせようという気だろうのか。
「私たちは、そのためにこういう策を立て、活動をやっている。これを聞いているあなたたちにも、ぜひ参加してほしい」というのならわかるが、自分の言いたいことだけ言って「あとは知りません。あなたたちが考えることでしょう」ではねえ。
こういう無責任な言いっぱなし広告に、いったい誰が賛同してくれるというのだろうか。
意見された人たちにとっても、迷惑な話である。

あっ、そうか!
教員、というか組合員には「話し合いましょうよ」という得意技があった。
それが策か。
しかし、形の上では、話し合いがこじれての戦争なのに、この上何を話し合おうというのだろう。
とはいえ、彼らの「話し合いましょうよ」は吊し上げである。
ということは、この戦争もフセインの吊し上げなのだから、「話し合いましょうよ」に含まれるということじゃないか。
じゃあ、何のための意見広告なのだろうか。

それはそうと、彼らは、この意見広告を聴いた人がみな「先生の意見だから正しい」と受け取ってくれているとでも思っているのだろうか。
もしそうなら、思い上がりである。
先生によるイジメ、セクハラ、万引き、あげくに殺人、こんな記事が新聞紙上を賑わす昨今、「先生の意見だから正しい」と思っている人がいったい何人いるのだろう。

「○○先生は出張だから、みんな自習をやっておくように」
ぼくが高校の頃、先生の出張といえば、決まって組合活動だったような記憶がある。
おそらくそこで、平和、同和、人権…、なんてことをやっていたのだろう。
それはそれで大切なことかもしれない。
おそらく本人たちは、そこで高尚な理想を追っているつもりなのだろう。
しかし、こんなことばかりに精を出している場合だろうか。
そうしているうちにも、クラスは乱れ、成績は落ち、生徒たちは非行に走っていく。

戦争をやる前から、あの国では大勢の国民が殺されていたというのに、この教職員組合は、そのことには言及せず、戦争という言葉にだけ意見する。
ということは、あの意見広告は「自殺はいいけど、殺人はだめだ」という解釈になる。
だから、学生の自殺が後を絶たないのか。

まあ、県教職員組合の人たちも、『反戦』が飯の種になると思っているアホな文化人や、『反戦』をイメージアップの手段にしているアホな芸能人と、何ら変わらないということだろう。



2003年04月10日(木) 異質の女 後編

一度、ぼくはその女に「何かしたいことがあるんやないと?」と聞いたことがある。
その時、女は「歌手になりたい」と言った。
「歌手? じゃあちょっと歌ってみてん」
女は中森明菜の『DESIRE』を歌い出した。
ところが、下手だった。
「歌手はあきらめたほうがいいんやないと」
「何で?」
「何で、と言われてもねえ」
「歌手がだめなら、何か仕事探して」
「じゃあ探してやるけ、『B'ing』か『求人案内』買って来てん」

翌日、女は『求人案内』を持ってきた。
ページをめくっていると『新卒者特集』のところに、地場では有名な会社が載っていた。
「あ、ここがいいやん」
「どれ?」
「H社」
「H社とか知らん」
「知らん? あんな有名なところを知らんと?」
「だって知らんもん」
「まあ、知らんでもいいけ、とにかくここ受けてみてん」

さっそく女は、H社に面接を受けに行った。
数日後、採用通知が来た。
その後、女はアルバイトを辞めて、H社に入社した。
仕事の内容は受付だった。
たまにうちに来て、「あたしの他は、みんな高卒やけ話が合わん」とこぼしていた。

それから2ヶ月ほどしてのこと。
女は突然ぼくの横にいた。
「にいちゃん、あたし辞めたっちゃ」
「は? 辞めた?!」
「うん」
「何で辞めたんか?」
「何となく」
「何となくだけで辞めるか、普通」
「何となくやけ、何となくなんよ!」
女は逆ギレした。
この女、激昂すると顔つきが変わる。
「今辞めてどうするんか。そんなに就職ないやろ」
「にいちゃんには関係ないやろ! もう、いいもん。働かんけ」
と言いながらも、数週間後に、またうちの店のアルバイトとして復帰していた。

ところが、その頃から女の行動がおかしくなった。
頻繁にぼくの売場に来るようになったのだ。
かといって、何かをしゃべるわけではない。
たまに聞きもしない飼い犬の話をするくらいで、それ以外は何も言わず、ただ売場に立っているだけだった。
周りの人も、「あの子、ちょっとおかしいんやない」とささやき始め、「しんたさんが相手にするけ、来るんよ」と言い出す始末だった。

だんだんぼくも気味が悪くなってきて、その女との距離を置くことにした。
それでも、女は毎時間、ぼくの売場に現れた。
相変わらず売場に来ても立っているだけである。
ぼくはそのうちうんざりしてきた。
「お前、いい加減に戻らんと、お前の売場の人に怒られるぞ」
「怒られんもん」
「もういいけ、ここに来るな」
「あたし、何も悪いことしてないもん」
その問答の繰り返しが始まった。

しばらくして、女はうちの店のアルバイトを辞め、ある大手の量販店でアルバイトを始めた。
おかげで、頻繁に売場に来ることだけはなくなった。
が、休みのたびに顔を見せに来た。
「お前、他に何か楽しみはないんか?」と聞くと、「あるわけないやん」である。
「友だちとドライブに行ったりとかせんのか?」と聞くと、「そんな友だち、おらんもん」である。
相手をするのが馬鹿らしく思えたものだった。

その後ぼくは転勤になった。
そのことを、女には教えなかった。
ところが、前の店の人に「居場所を教えるな」というのを忘れていた。
そのせいで、今度は新しい店に顔を見せるようになった。
来たら帰らない。
ひどい時には、昼間に来てから、閉店時間までいたこともある。
さすがに新しい店でも、その女はおかしいと思ったらしく、女の顔を見かけると、ぼくに教えてくれるようになった。
ある日、食事に行っている時に電話が入った。
「しんたさん、今来てますよ。出てこないほうがいいですよ」
おかげでその日は、食事時間を2時間も取ってしまった。

そのうち店の人たちが、「しんたさんがストーカーにあってるらしい」と噂しだした。
これ以上女に関わりたくないと思ったぼくは、女が来た時に言った。
「お前、もう二度とこの店に来るな!」
「何で? あたし何も悪いことしてないもん」
「お前のこと、店の人はストーカーと噂しよるぞ」
「ストーカーじゃないもん。買い物に来よるだけやもん」
「じゃあ、買ったら、ここに来んでサッサと帰ったらいいやないか」
「にいちゃんが寂しいやろうと思って」
「とにかく、もう来るな!」
と、ぼくが強い口調で言うと、女は怒って帰っていった。
しかし、それが功を奏したのか、女が店に来ることはなくなった。

その後、しばらくその女のことを忘れていた。
ところが、1ヶ月ほど前、前の店に振替商品を取りに行った時のことだった。
恐ろしいことを聞いた。
「しんたさん、あの女、またここで勤めだしたんよ」
「えっ…」
ぼくは言葉を失った。
会えば、またあの訳のわからない女と、訳のわからない問答を始めなければならない。
ぼくはそそくさと、その場を立ち去った。
その後、ぼくはその店には行っていない。



2003年04月09日(水) 異質の女 前編

その女は、いつも店に来ていた。
「ははは、にいちゃん来たよ」
気がつくと、突然横に立っている。
離れない。
ぼくがお客さんをしていても、かまわずにくっついてくる。
「お前、『来るな』ち言うとったやろうが」
「だって、買い物があったんやけ」
「来てもいいけど、おれのそばに寄るな!」
「え、何で?」
「見たらわかるやろ! 仕事中やないか。他のお客さんに迷惑がかかるやろ」
「何も邪魔してないやん」
「十分に邪魔しとるわい!」
「邪魔してないもん」
そうやって、1時間も2時間もぼくの売場にいる。
さすがにぼくが接客している時は、ぼくのそばから離れるようになった。
が、接客が終わると、またそばに寄ってくる。
「お前、もう帰れ!」
「いいやん。せっかく来たんやけ」
いい加減うんざりして、部署の子に「帰ったと言うとって」と言って、ぼくはいつも休憩室に逃げていった。

とにかく、週2度は必ず来ていた。
来たら、いつも先のとおりである。
で、どんな話をするのかと言えば、先のとおりである。
ぼくが売場にいる間、延々こういう押し問答をしていたのだ。

女とは、ぼくが前の店にいた時に、他の部署でアルバイトをしていた女性のことである。
当初、ぼくはその女がいることすら知らなかった。
初めて会ったのは、誰かの送別会の時だった。
たまたまその女が、ぼくの横に座った。
『こういう子、いたかなあ?』と思いながらも、最初は話しかけることをしなかった。
ところが、しばらくして−。
ちょうどぼくが他の人と談笑している時だった。
突然その女が「男なんか信じられん」と言いだした。
「え、何?」
「ほんと、男なんか信じられんのやけ」
「何で信じられんと?」
「男はみんな同じなんやけ」
「ふーん、そうね」
そう言うと、またぼくは先ほどの人と談笑を始めた。

すると、その女は何を思ったか「にいちゃんも同じやん」と言った。
「あ? にいちゃんちおれのこと?」
「他におらんやろうもん」
「何が同じなん?」
「にいちゃんも信じられんのやけ」
よくわからない女である。
「あんた学生?」
「今度卒業」
「短大?」
「いや、四年制」
「ふーん。で、就職はせんと?」
「すぐそんなこと聞くんやけ。だけ、男なんか信じられんのよ」
「『そんなこと』ち、大事なことやないね。就職なかったと?」
「あるわけないやん!」
そう言って、一人で怒っている。

そういうことがあってから、女は休憩時間になると、ぼくの売場に来るようになった。
相変わらず「男は信じられん」と言っている。
「他に何か言うことないんね?」とぼくが言うと、「ほら、すぐそんなん言うやろ。だけ信じられんのよ」と女は言う。
ぼくがそれまでに会ったことのない、異質の女だった。



2003年04月08日(火) 統一地方選

今月次の日曜日は、県知事及び県会議員の選挙である。
県知事は言うまでもなく一人を選出すればいい。
ところが県会議員は、そうではない。
ぼくの住んでいる地区は定数5で、県内で一番多くの議員を選出する地区である。
それに伴って、立候補者もまた多い。
しかも、その地区の中でも、ぼくの住んでいる地域が一番多くの人口を抱えている。
そのため、朝から晩まで選挙カーが入れ替わり立ち替わりやって来る。

とにかく、朝から「お願いします」をやられるので、たまったものではない。
昨日の朝、会社に行く途中に選挙カーから前をふさがれた。
「○○地区の皆さん、おはようございます。セ○ワ、セ○ワでございます。朝早くすいません・・・」
謝るくらいなら、サッサと行ってほしい。
おかげでぼくは、遅刻をしてしまった。
セ○ワ、お前には入れん!

休みの日にはゆっくり寝たいものである。
しかし、選挙カーはそういう朝にもやってくる。
「○○地区の皆さん、おはようございます。ノ○でございます。頑張っています・・・」
何が頑張ってるだ。
おかげで目が覚めてしまったじゃないか。
休みの朝に、ノ○はいらない。
お前にも入れん!

こうやってぼくは、一人一人候補者をふるいにかけていく。
おそらく、12日には「全員入れん!」となるだろう。

さて、今回の選挙、ぼくの住んでいる地域から、一人の新人女性が立候補している。
経歴を見ると、高校のPTA会長だと書いてある。
おそらく周囲に推されての立候補なのだろうが、たかたかPTA会長くらいに何が出来るというのだろう。
ぼくはその実態を知らないが、PTA会長という名を聞くと、すぐに学園もののドラマに出てくる、融通の利かないわがままなおばさんを思い浮かべる。
その息子たちも、先生たちが会長の息子だからと、敬遠して何も言わないのをいいことに、悪いことばかりやっている。
どうも、あまりいいイメージではない。
これはぼくだけではなく、昔の学園ものなどを見たことのある人の持つ、共通のイメージではないだろうか。
だから、経歴に『PTA会長』などと書かれると、ツンとしたおばさんが「PTA会長でござあますのよ」と言っているように思えてならない。
ぼくたちより上の世代の人ならともかく、学園もので育ったぼくたち以下の世代には、この経歴はマイナスになるのではないだろうか。

この方の公約を見たわけではないが、聞くところによると、県政に参加して教育問題に取り組みたいと言っているらしい。
しかし、教育問題なら、県政に参加しなくても出来るではないか。
身近なところでいえば、暴走族。
この人は、夜中、家の前を暴走して回る若者たちに向かって、何か意見したことがあるのだろうか。
おそらくないだろう。
だけど、それが教育だと、ぼくは思う。
そういうことをやってから、初めて県政に参加してもらいたいものである。
PTA会長だから教育問題、その発想はあまりに安易すぎませんか?
ぼくはこの会長様にも入れない。

とにかく、選挙合戦はあと4日間もある。
何を言ってもいい。何をやってもいい。
だから、ぼくの貴重な朝だけは奪わないでくれ。



2003年04月07日(月) ローカルバラエティ

ここ2週間ばかり、土日が休みになっていて見られないのだが、平日が休みの時は、夕方にやっているローカルのバラエティ番組をよく見ている。
このローカルバラエティ、3月までは民放2局で視聴率の競り合いをやっていたのだが、4月からこの時間帯にNHKも参入してきた。

元々夕方のバラエティは、福岡放送とRKB毎日が4時55分から1時間番組でやっていた。
(厳密に言うと、福岡放送は『プラス1』もバラエティ枠に入れているから、2時間の放送だった)
ぼくは福岡放送のほうを見ていたのだが、なんといっても出色は元ヒップアップの川上泰生だった。
ヒップアップ時代、これほど面白かっただろうか、と思えるほどギャグが冴えている。
また、現在『ズームイン朝』を担当している奥田アナが出ていたことも、福岡放送を選んだ理由の一つだ。
この頃は、福岡放送一辺倒だった。

奥田アナが『ズームイン朝』に移った頃から、RKBのほうを多く見るようになった。
こちらも福岡放送と似たようなことをやっていたが、お笑いが今ひとつだった。
福岡吉本の若手クラスでは、川上さんには太刀打ちできないだろう。
しかし、RKBには強みがある。
それはドラマである。
わざわざ、バラエティ向けのドラマを作り、時間中に流していた。
さすがかつて『東芝日曜劇場』を制作した放送局だけのことはある。
まあ、こういう各局の番組を比較しながら見るのも、けっこう楽しいものがあった。

ところが、ある時期から、ぼくはまた福岡放送一辺倒になった。
どちらの放送局も料理のコーナーがあるのだが、RKBに突然顔の大きなおっさんが現れた。
どこかの料理学校の先生らしいが、このおっさんの博多弁が妙に耳障りだった。
お好み焼きを作った時だったと思うが、試食している女子アナに向かって、大きな声で「どうか? おいしかろうが!」である。
「おいしさの強要なんかするな。こんなおっさんの出る番組なんか見られんわい」、という感じだった。

その点、福岡放送の料理コーナーはそのへんにいる、おかみさんといった感じの人が先生をやっている。
この人は普段は標準語で話しているが、たまにうっかりして方言を使うこともある。
ある時、「最近の若い奥さん方は、さっちが○○を入れたがりますもんね」と言った。
司会者から「先生、『さっちが』は方言でしょ」と指摘され、笑われていた。
こういうのは好感が持てる。
テレビやラジオでの方言はたまに使うからいいのであって、一から十まで方言でやられると、わざとらしく感じられ、実に聞きづらいものである。

ローカルには、方言をウリにしているタレントがかなりいる。
しかし、その方言を聴くたびに「わざとらしい」という印象を受けてしまう。
以前、他の放送局に米良美一が出たことがある。
この人は宮崎出身である。
放送中、「九州に帰ってきたから」と言って、急に九州弁でしゃべり出した。
が、自然さがなかった。
無理矢理九州弁でしゃべるものだから、妙に力みを感じたものだった。

では、テレビやラジオで方言を使う人すべてがそうなのかといえば、そうでもない。
KBCに沢田幸二というアナウンサーがいるのだが、この人の方言は嫌みがない。
方言をギャグとして使っている。
それもサラッと流すから、自然に受け止められる。
このへんが、キャラクタータレントとしゃべりのプロとの差なのだろう。

さて、ローカルバラエティだが、その後福岡放送が時間枠を延ばし3時50分からのスタートとなった。
一方のRKBは、相変わらず4時55分からだった。
ところが、今回NHKの参入ということもあって、放送時間を1時間早めた。
それも福岡放送より早く、3時45分からのスタートとなった。
とはいうものの、放送時間は相変わらず1時間のままである。
今までこの時間帯はドラマの再放送をやっていた。
つまり、ドラマと入れ替えたわけだ。
NHKは2時間、福岡放送は今までどおり『プラス1』まで入れて3時間だ。
RKBは、放送時間が短い上に、あんな『おいしかろうが!』おっさんを出して、どう対抗しようというのだろうか。
ちなみに、新参のNHKはスタートした日と翌日に、氷川きよしをゲストで呼んでいた。
話にならん。



2003年04月06日(日) 更新

いつも平日に休んでいるせいか、日曜日が休みというのがどうも馴染めない。
先週に引き続き二度目の日曜休みになるのだが、今日も過ごし方がわからないまま、無為な時間を過ごしてしまった。
顔も洗わず、歯も磨かす、ひげも剃らない一日だった。

無為な時間とは言いながらも、サイトの更新作業だけはやっていた。
まず『友達紹介』に二つのサイトを追加した。
二つとも楽天でやっている時に知ったサイトである。
この二つのサイトの管理人さんは、どちらも関西の方で、ぼくとは違った生活の一面を覗かせてくれる。

さらに吹く風のほうのトップを少しいじくった。
どこをどうしたのかと問われれば、とにかく行けばわかる、としか答えようがない。
そのサイトを見たことのある方は、「また面倒なことをしやがって」と思われるかもしれない。
入口は自画像にあります。
戻る時も自画像です。

さて、もうお気づきになった方もおられると思うが、実はこの『頑張る40代!』を立ち上げた頃のトップ画面を展示(?)している。
今改めて見ると、初々しいというか、がさつな仕上がりになっている。
こういうのを見せていたのかと思うと、何か恥ずかしい思いがする。
あの当時は更新履歴なんかもトップに載せているが、『01/01/31 (水) 21:36:17日記を「頑張る40代!」に変更』とあるから、この日記のタイトルが『頑張る40代!』になったのは、2年前の1月31日だったということか。
たしか、その前はただの『日記』か『お疲れ日記』というタイトルだったと思う。

また、「01/01/31 (水) 21:40:28月明りのウサギが戻ってきましたよ。」などと書いている。
その当時『月明り掲示板』に入るためには、一度ゲートイン・ページを通らなくてはならなかった。
そのページには、最初うさぎの画像が置いていたのだが、構図の関係で一度そのうさぎを外したことがある。
ところが、そのことについていろいろとクレームが入った。
家に帰って掲示板を開けてみると、「ウザギはどこに行ったか?」とか「ウサギがいないと寂しい」などと書いてある。
そこで、またうさぎを貼り付けたのだった。
別にそういうことまで書かなくてもよさそうなものだが、その当時は『更新履歴』を書くことでホームページをやっている実感を味わっていたのだ。
その後、「更新履歴なんか書かんでも、見ればわかるやん」と思うようになり、だんだん書かなくなっていった。

その立上げ当初のページは、カウンターを押したら見られるようになっています。
そこには、ちゃんとウサギもいますよ。

ということで、今日はこんなことをやっていたというお話でした。



2003年04月05日(土) IP電話

先月の19日、IP電話を受付開始と同時に申し込んだ。
NTTもADSLを申し込んだ時と違って対応が早く、確認電話から1週間もたたないうちにIP電話対応の機械が送ってきた。
さっそく機械を取り付け、プロバイダにIP電話サービスを申し込み、設定をすませた。

まず試しに自分の携帯に電話をかけ、ちゃんと繋がるかどうかを確かめた。
『プップップッ』音の後、一瞬沈黙した。
「大丈夫か?」と思っていると、聞き慣れた『ツー』音がしてきた。
着信音にしている『ひょっこりひょうたん島』が鳴り出した。
「おお、繋がった」
これで大丈夫である。
その日から、謳い文句どおり、日本全国どこにかけても3分8円、しかも同じサービスに加入している人にかける場合には無料、アメリカには1分2、5円という破格値の電話生活が始まった。

それから1週間がたった。
どうも、ADSLの速度が以前より落ちているような感じがする。
気になって速度調査してみると、何と速度が以前の半分以下に落ちているではないか。
まあ、半分に落ちたからといっても、ちゃんと繋がるのだし、以前のダイアルアップ時の速度に比べると数段に速いので、別に不自由はしない。
しかし、ブロードバンドのサイトの中には、『この速度では受け付けられません』というところもあるのだ。
そのため、視聴しているサイトの契約が無駄になってしまう。
LANケーブルを直接パソコンに繋げば、また元の速度に戻るのだが、その際電話回線も繋ぎ換えなくてはならない。
「さあ、今からブロードバンドを見るぞ」という時に、面倒な手作業をするというのもなんである。

「さて、どうしようか」と考えを巡らせた。
この状況を打開するためには、三つの方法が考えられる。
一つ目は、こんなサービスを止めて、また以前のマイライン・マイラインプラス生活に戻ることが考えられる。
しかし、将来いくらマイライン・マイラインプラスの通話料が安くなったとしても、電話代が無料ということにはならないだろう。
二つ目は、先に書いた『繋ぎ換え』という方法がある。
しかし、面倒である。
三つ目は、ADSLをやめて、Bフレッツに乗り換えることだ。
これだと、速度が半分になっても、ADSLよりははるかに速いだろう。
「これしかない!」と思ったぼくは、さっそくBフレッツを申し込んだ。

その2日後のこと。
NTTから携帯宛に電話が入った。
「Bフレッツにされるんですか?」
「はい」
「あのう、お宅は集合住宅ですよねえ…」
「そうですけど」
「そこに住んでる人は、みなさん光ファイバにすることを望んでるんでしょうか」
「知りません」
「そうですか…。で、そちらの管理組合のかたはどう言っておられるんですか」
「さあ」
「管理組合の了承がいることはご存じでしょ?」
「それは知ってますよ」
「掛け合ってないんですか」
「ええ。だって新聞にはNTTさんのほうで掛け合うって書いてたでしょう?」
「それはそうなんですけど…」
相手はいつまでも煮え切らない態度でいる。
少しイライラしてきたぼくが「じゃあ、いいです。有線やBBIQのほうに掛け合ってみますから」と言うと、慌てた彼は「管理組合にはこちらで交渉します」と答えた。
「じゃあ、お願いします」
「はい…。でも開通は5月くらいになりますよ」
「別にかまいません。光ファイバにしてくれるのなら」

なるほど、「NTTは集合住宅には冷たい」という噂どおりの応対だった。
しかし、約束したのだから、何とかしてもらわないと困る。
これで管理組合との交渉がまとまれば、充実したIP電話生活に加えて、長年の夢だった光ファイバ生活も始まるというわけだ。
この間の電話のことは水に流してやるから、とにかく頑張れ、NTT。



2003年04月04日(金) MIDI集のこと

送ればせながら、『歌のおにいさん』の中にあるMIDI集の説明をします。

『歌のおにいさん』にある曲は、説明文にあるとおり、すべてオリジナル曲である。
オリジナル曲をただ単に歌うだけなら別に苦労はないのだが、MIDIにするというのは、ぼくにとっては大変な作業だった。
まず第一に、ぼくは楽譜が読み書き出来ない。
これは致命傷である。
楽譜の勉強をやったことはある。
しかし、自分が歌うだけのものだから、別に楽譜にしなくてもいいや、と最後にはあきらめた。
そのために、今頃になって苦労している。
ギターの音を一つ一つ拾いながら、パソコンに打ち込んでいったのだが、かなりの時間を要した。
現在5曲を収録しているが、5曲目を作り終えた時、「もうこんな面倒なことはせんわい」と思ったものだった。
もしぼくが楽譜を書けたとしたら、さほど時間をかけなくてすんだだろうし、もっと多くの曲をMIDI集に収録できたと思う。
それを考えると残念である。

『愛の夢』
もちろん、リストの『愛の夢』ではない。
「ぬれた瞳に 笑顔を込めて
 君がぼくの瞳を 見つめた時
 小さな風は 息を潜めて
 二人だけの世界に 愛を送る…」
という臭い歌詞を付けている。
一度この歌を人の結婚式で歌ったことがあるのだが、歌詞があまりに恥ずかしかったので、ずっと下を向いて歌っていた。
この曲は当初『ダウトの夢』と名付けていた。
東京にいた頃に、オーケストラの夢を見たことがある。
その時奏でていたのがこの曲だった。
夢の中で、そこにいた人にぼくが「この曲何というんですか?」と尋ねると、その人は「ああ、これは『ダウトの夢』というんだよ」と答えた。
ということで、この曲は夢の盗作である。

『雨の降る夜は』
1976年6月に作った。
「雨の降る夜は たった一人で
 蚊取り線香の 光を見つめて
 蛙といっしょに 歌をうたうと
 見知らぬ人が 傘をさして通り過ぎる」
という歌詞が付いている。
ちょうどギターでボサノバの練習をしていた時だった。
バレーばかりやっていて手が疲れたので、簡単なコードで遊んでいた時に曲が出来た。
それに歌詞を付けたのだが、歌詞はイマイチである。

『湖上』
予備校時代、中原中也にはまっていた時期がある。
その中に『湖上』という、いかにも歌詞歌詞した詩があった。
「ポッカリ月が出ましたら、
 舟を浮かべて出掛けませう。
 波はヒタヒタ打つでせう、
 風も少しはあるでせう。…」
この詩に出会った時、「いつか曲を付けてみたい」と思ったのもだった。
曲が出来たのは、それから1年後だった。
1977年の5月だったと思う。
ぼくの人生の中で唯一の引きこもり時期の真っ最中だった。
することがないのでギターを弾いていたら、急に曲想が浮かんだ。
冒頭に書いたとおり、ぼくは楽譜の読み書きが出来ないので、さっそくカセットテープに吹き込んだ。
今もそのテープは手元にあるが、ギターを奏でながら「ポーッカリつーきーがでーまーしーたーらー」と実に間抜けな声でうたっている。
ここでお聴かせできないのが残念である。

『夏の夜』
これも‘77年の引きこもり時期に作った曲である。
7月だった。
テレビを見ている時に、メロディが浮かんだ。
いつものようにテープに吹き込もうとしたのだが、なぜかその時に限って録音が出来なかった。
ぼくは一度聴いてもメロディを覚えることが出来ない質なので、覚えるまで何回もギターを手にして鼻歌をうたっていた。
曲が出来たあとに詩を付けたのだが、詩は5分で出来た。
「波に乗る風、涼やかに
 ああ写し出す月影
 夢のような時は過ぎ
 短すぎる、夏の夜…」
詩の形態に抒情小曲というものがあるが、この詩はそういうものの影響を受けていた時期でもある。

『ブルー』
この曲もほぼ同時期に作っている。
後に曲作りの役に立てばいいと思い、素材として録音しておいた。
が、日の目を見なかった曲である。
こういう曲はたくさんある。
いつかはMIDI集の一員にしてあげようとは思っているのだが、もはやその気力は残っていない。

さて、MIDIを作る際、一番困るのがアレンジである。
ぼくはいつもギター一本でやっているため、バンド風やオーケストラ風のアレンジが出来ない。
イメージは沸くのだが、楽譜が書けないため、結局イメージのままで終わっている。
ぼく一人だけが、イメージに浸っているわけである。
しかし、メロディだけでは何なので、ギターのアルペジオなどを入れてみた。
「素朴な感じがする」とよく言われるのも、そのせいだろう。

ということで、今日の日記は興味のない人にとっては、どうでもいい話を書きました。



2003年04月03日(木) カバー

帰宅途中、ラジオからフランク永井の『君恋し』が流れてきた。
『亜麻色の髪の乙女』や『ひょっこりひょうたん島』と同じように、この歌もカバー曲だと言って紹介していた。
オリジナルは、昭和3年に二村定一という人が歌ったものだという。
フランク永井の歌が昭和36年だから、33年前の歌のカバーということになる。
そういえば、『亜麻色の髪の乙女』や『ひょっこりひょうたん島』も30年以上前の歌のカバーだ。
やはりカバー曲としてヒットするためには、30年の年月を要するのだろうか。

ということで、帰る道々、そのことを考えていたのだが、さすがに30年に満たない歌というのは、カバーしても、あまり新鮮みがない。
なぜなら、オリジナルを歌った人がいまだに現役として頑張っているからだ。
例えば『傷だらけのローラ』を他の人が歌っても、西城秀樹が現役である限り、インパクトに欠けるだろう。
また、現役でないとはいえ、山口百恵やキャンディーズが伝説である限り、他の人は『いい日旅立ち』や『春一番』で一発当ててやろうとは誰も思わないだろう。
もしくは亡くなった人の歌でも、美空ひばりくらいの大御所が歌った歌というのはカバーしにくいものだ。
どうしても比較されてしまう。
ひばりほどの天才が歌うのならともかくも、ただ歌がうまいというだけならヒットはしないだろう。
以前、ninjaというジャニーズのグループが、ひばりの『お祭りマンボ』を『お祭り忍者』としてカバーしていたことがあるが、あれは30年前以上の歌だったから出来たことだろう。
『愛燦々』や『川の流れのように』をカバーして一発狙ってやろうと思う人は、まずいないと思われる。


ということで、これからカバーしてヒットしそうな30年以上前の歌を探してみた。

『落ち葉の物語』
ザ・タイガースの名曲である。
タイガースといえば『花の首飾り』が定番になっているので、もはや世間では忘れられてた一曲となっているだろう。
この歌をバレンタインデーあたりに持ってきたらどうだろう。

『逢いたくて逢いたくて』
園まりの大ヒット曲。
以前、HIS(細野晴臣・忌野清志郎・坂本冬美)がカバーしていたが、残念ながらシングルカットされなかったようだ。
飽きのこない歌なので、いつカバーしてもヒットすると思うのだけど。

『ふりむかないで』
ザ・ピーナツ。
テクノが流行っていた頃ジューシーフルーツが、それから約10年後WINKが、この歌をカバーしていた。
この歌は文句の付けようがない。
そこそこ知られた歌だから、もし個性豊かな歌手が歌ったらミリオンセラー間違いなしだ。

『老人と子供のポルカ』
例の「ズビズバー、パパパヤー」である。
とはいえ、この歌を誰が歌ったらヒットするのだろうか。
左卜全のような、ヨボヨボしたじいさんが見あたらない。
ああ、大滝秀治がいい。
あの人に歌わせたら、ヒットするのではないだろうか。

『ブルーシャトウ』
この歌を、ジャッキー吉川とブルーコメッツにもう一度やってもらいたい。
ただし、歌詞を変えてだ。
そう、「森トンカツ、泉ニンニク…」でやってもらいたいのだ。
昨年、バラエティ番組で本人たちがやっていた。
これを見た時、ぼくは「ぜひCDにしてほしい」と思ったものだ。


ところで、今から30年前といえば、ぼくは高校1年である。
高校1年といえば、ぼくの中では、つい昨日のことだ。
振り返ってみると、実に短い年月である。
それ以上生きてきたから短く感じるのか、それとも実際に短いのか。
そのへんがよくわからない。



2003年04月02日(水) ノンアルコールビール

今日の昼食はお好み焼きだった。
改装中は断水になっているため、弁当を持って行ってない。
そのため、ここ最近はいつも外食である。
会社の周りにはカレー屋、うどん屋、ラーメン屋、お好み焼き屋があるのだが、毎日違ったところに入っている。
で、今日がお好み焼き屋の番だったわけだ。

ぼくはお好み焼き屋に入ると、どの店でも「豚玉」を注文する。
これは学生時代から一貫している。
もし餅やチーズが追加できる店なら、それも注文する。
今日入った店は、追加が出来る店だったので、もちろん注文した。
休みの日なら、ここでもう一つのものを注文する。
ビールである。
今日は仕事ということもあり、もちろん飲むことは出来ない。
が、今日はけっこうきつい仕事をしたので、生ビールが飲みたくてたまらなかった。
ぼくはアルコールを飲んでも顔に出ない体質だし、生ビールの一本くらいで酔うようなこともない。
もし、ここでビールを飲んで仕事をしたとしても、何ら仕事には差し支えはない。
一年前ならそう思って、おそらく飲んでいただろう。
しかし、昨年6月に改正された道交法が頭の中をちらつく。
前の日に飲んだ酒のせいで、罰金を払った人もいると聞く。
運転するのは5時間後とはいうものの、前の日の酒に反応する機械を使っているくらいだから、もし取り締まりに引っかかったら、罰金は確実だろう。

そう思って、生ビールを飲むのはやめた。
が、ビールは飲んだ。
ふとメニューを見ると、そこに『ノンアルコールビール』と書いてあった。
価格も生ビールの半額である。
多少味は落ちようとも、ビールには変わりない。
で、生まれて初めて『ノンアルコールビール』を飲むことにした。

「ビールはいつお持ちしましょうか?」
「すぐ持ってきて下さい」
さっそく『ノンアルコールビール』が運ばれた。
少し大きめのラムネの瓶、といった感じの容器に入っている。
泡立ちは普通のビールと変わらない。
味のほうはというと、ちょっと気の抜けたビールという感じである。
さすがにアルコールは感じられない。
と、表示を読んでみると、何と「アルコール分0,5%」と書いてある。
「えっ!? これアルコール入っとるやん」
ぼくは思わず声を上げた。
そのことを人に言うと、その人は「アルコール分が1%以下のビールのことをノンアルコールビールというんよ」と教えてくれた。
「アルコール分0,5%」
しかし、これでも今のアルコール検出器は充分に反応するのではないだろうか。
どこかのノンアルコールビールの広告に《いつでも・どこでも、飲みたい時にグイッと楽しめる》と書いてあったのを見たことがあるが、0,5%ながらもアルコールが入っているとなると、いつでも・どこでも楽しめないじゃないか。
ノンアルコールという言葉に騙されて、このビールをたくさん飲んだ人が、もし酒気帯びで捕まったとしたら、このビール会社はどう責任をとってくれるのだろう。

それはともかく、午後5時までに、この0,5%のアルコールを体外に出さなくてはならない。
もし5時までにトイレに行かなかったら、と思うと空恐ろしくなった。
さっそくぼくは、自動販売機でボトル入りのお茶を買った。



2003年04月01日(火) ただいま改装中

1週間前から、午前9時に会社に行き午後5時に帰るという、堅気の生活をしている。
社会に出てから二十数年、こんな経験は初めてだ。
前の会社にいる時は、午前9時出社、午後9時退社という12時間労働が基本だった。
どうかすると週に一度は午前7時出社、午後11時退社ということもあった。
今の会社でも、普段は午前9時半出社、午後8時退社である。
午後5時に帰るということがなかったので、出社してすぐに退社するような錯覚に陥る。

さて、午前9時から午後5時までぼくは何をやっているのかといえば、商品を移動したり、什器を壊したりしているのだ。
この単純かつ危険な作業が時間を忘れさせる。
朝、瓦礫の山のようになっている売場に行く。
そこでゴソゴソやっている。
気がつくと12時である。
食事を済ませ、1時から再び単純かつ危険な作業に入る。
気がつくと、もう5時だ。
そこで作業は打ち切りである。
趣味に没頭している時はともかく、仕事でこういう経験をするのは初めてである。
おそらく、普段とはまったく違った仕事をしているために、時間の感覚がわからなくなっているのだろう。

ところで、作業場には時計がない。
痒くなるという理由から、ぼくは腕時計をしてない。
また、営業時に時計代わりにしているテレビもない。
そういう中で、ぼくはどうして時間を知るのか。
それは電気である。
今回の改装は、外部から電気の供給を受けてない。
自家発電機を使って電気を起こしているのだが、この発電機がくせ者で、約200リットルの軽油を2,3日で消費してしまう。
金額にして1万4,5千円になるらしい。
そこで、節約の意味もあって、昼食時に一度、すべての電気を落とすことになっている。
もちろん仕事が終了する5時にも同じことが行われる。
そう、ぼくは店内が真っ暗になって、初めて12時や5時を知るのだ。
あの力石徹が、減量中にゴングしか聞こえなかったのと同じ状態である。

作業を一人でやっているため、ぼくはいつも歌を歌っている。
今日はどういうわけか、ヒデとロザンナの『愛の奇跡』を歌っていた。
「別れても私は信じたい/いつの日かあなたに愛される愛の奇跡〜♪」
どうしてこの歌が出てきたのかわからない。
聞いたことはあっても、歌ったことは一度もないのだから。
そのあと、『ひょっこりひょうたん島』なんかも歌っていた。
「苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ
 だけど僕らはくじけない 泣くのはいやだ笑っちゃお
 すすめ ひょっこりひょうたん島
 ひょっこりひょうたん島 ひょっこりひょうたん島♪」
いい詩である。
口ずさんでいるだけで、力が沸いてくる。
小学1年の頃から知っている歌ではあるが、今までこんなにいい詩だとは気づかなかった。
そうだ!
この歌を、今回の改装作業のテーマソングにしよう。
作業に疲れた時、作業をやりたくない時、ぼくはいつもこの歌を歌っていることにしよう。

それにしても、こんな生活に慣れてしまうと、オープンしてからが大変である。
今はお客がいないから神経を使わずにすんでいるが、オープン後は否応なしに神経を使わなくてはならない。
時間も長くなるし、今とは違った疲れがたまるだろう。
まあ、そういう時も「泣くのはいやだ笑っちゃお」で乗り切るか。


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