一昨日、独り言に登場しているオナカ君が職場にやってきた。 「おお、オナカやないか。読んだか?」 「あ、何を?」 「独り言」 「独り言ちゃ何か?」 「読んでないんか?せっかくメッセージ書いとったのに」 「お前またくだらんこと書いとったんやろう」 ということで、オナカ君は独り言の件で来たのではなかった。
オナカ君はビニール袋を差し出し、「これ、お前にやる」と言った。 中を見てみると、一冊の本と二本のビデオテープが入っていた。 一冊の本というのは、「狂牛病パニック」という狂牛病についての本だった。 「なんかこれ?」 「狂牛病のことを日記に書いたらいいと思って」 何?読書感想文を書けとな!? ぼくに読書感想文を書かせるとは、オナカ君もいい根性しとるのう。
自慢ではないが、生まれてこの方、ぼくは読書感想文を書いたことがない。 読書感想文の宿題などが出ても、ぼくが書いていたのは「あらすじ」だった。 初めて読書感想文を書けと言われた時に、先生が読書感想文の説明をしていた。 しかし、ぼくはその説明を聞いてなかった。 隣の席のやつに「読書感想文ちゃなんか?」と聞くと、「あらすじのことたい」とそいつは自信たっぷりに答えた。 「そうか、それなら簡単!」と、あらすじをしっかり書いて提出した。 ところが、感想文の発表を聞いて愕然とした。 みんな「○○さんの勇気ある行動に感動しました」とか、「ぼくならこういう時どうするだろうか、と考えさせられました」などと書いている。 「これ、あらすじやないやないか!」 結局、その時あらすじを書いていたのは、ぼくと隣の席のやつの二人だけだった。 あとで他の人に聞いてみると、先生はあの時「決してあらすじを書くことのないように」と言っていたらしい。
このことがあって、ぼくは読書感想文が大の苦手になった。 読書感想文を書けと言われたら、まずあらすじを長々と書いて、最後に「大変感動したので、もう一度読みたいと思います」で締めくくるようになった。 そのうち、読書感想文の宿題は一切提出しないようになった。 高校の時も、読書感想文を書かなかったために、危うく追試を受けそうになったことがある。 しかし、どういうわけか古文・漢文がよかったので救われた。 古文・漢文に読書感想文なんてないもんね。
それにしても、もしあの時、先生の言うことをちゃんと聞いて、まともな読書感想文を書いていたら、おそらく今日の日記は「狂牛病とは・・・で、したがって・・・と思われるが、ぼくとしては・・・である」というような文章になっていただろう。
ところで、オナカ君のこの本を読んだ感想は、「狂牛病にかかった牛の肉を食べても大したことはない。気にするな!」だった。 別にぼくは気にしてはいない。
トップの更新などをしていて、日記のことを忘れていた。 ネタもないし、今日は3時間コースか? 今午後11時58分か、そういえばまだ晩ご飯食べてないんですよ。 仕事のせいで夕飯はいつも遅くなる(だいたい午後10時半から11時に食べ始める)が、今日は極端に遅い。 今日は休みだったのに。 今から飯食ったりしていると、日記更新は午前4時を過ぎるんじゃないのか?
何でこんなに遅くなったんだろう? 今日やったことといえば、トップの更新と、読書と、録り溜めしていたビデオ(今日まで再放送をやっていた“ショムニ”)を見たのと、昼寝ぐらいか。 ヤマダ電機と銀行に行こうと思っていたけど、結局行かなかったなあ。 外に出たのは車を移動しに行った時だけか。5分もかかってない。 結局今日は体を動かしてないということになる。
体を動かしてない翌日というのは、決まって腰痛に悩まされる。 ぼくの腰痛の歴史は長く、高校3年の時から続いている。 体育の時間によくソフトボールの試合をやっていた。 ぼくはいつもセンターを守っていたのだが、ある日フライを捕って内野に返球した時に「グキッ」ときた。 「亜ぎっくり腰」になってしまったのだ。 ぎっくり腰ではなかったので歩くことは出来たが、それがいけなかった。 それを完治させないまま、クラブ活動(柔道)をやったことから、ぼくの腰痛の歴史は始まった。 その後も、電器店に就職して「電器腰」というものにかかってしまった。 「電器腰」とはカラーテレビなど重たい物を持つことにより起こる腰痛で、一種の職業病である。 ただでさえよくない腰を酷使してしまい、完全に慢性化してしまった。 体を動かしても腰痛、休ませても腰痛、一体どうすればいいんだ!?
やっと夕飯が終わった。 そうか、腰痛の話だった。 パソコンの前に座っているのも、腰に対してはあまりいいことではない。 立った時、じじいのように腰が曲がってしまうのだ。 真っ直ぐ伸びるまでに時間がかかる。 だからぼくは座っている時には、なるべく体を動かすようにしている。 最近は癖になっていて、気がついたら、上体を前後右左に揺さぶっている。 でも、これやると酔うんですね。 ・・・・・・ ああ、晩酌の酒が回ってきてしまった。 ということで、今日はここまで。
ぼくはむかしから、みんなが当然知っているようなことを知らない。 つまり一般常識音痴である。 例えば色のこと。 「カーキ色」という色があるが、ぼくはこの色がどんな色であるかというのを知ったのは、つい最近のことである。 それまでは「柿色」のことと思っていた。 「ベージュ」、20歳の頃この色のシャツが欲しくて、Gパンセンターに買いに行ったことがある。 店員が「どういう色がお好みですか?」と尋ねたが、「ベージュ」という言葉を知らなかったので、しかたなく「錆びた白」と答えた。 「錆びた白? ああ、この色ですか?」とベージュのシャツを持ってきた。 「お、通用するやん」と思ったぼくは、「ベージュ」という言葉を知るまで、この色をずっと「錆びた色」と言っていた。 「コバルト色」、沢田研二の歌でしか知らない。 はじめてこの言葉を聞いた時、「鉄腕アトムの兄さんの色のことか?」と思い、どんな色か必死に考えていた。 「セピア色」、昨日の日記で使うまで、こういう色の名があることすら知らなかった。 たまたま、あるサイトを見ていたら、この言葉に出会った。 意味を調べてみてはじめて知った次第である。 で、使ってみた。
色だけではない。 横文字がまったくわからん。 本屋で本を探す時、たとえ好きなジャンル(このくらいはわかる)の本であっても、文中に外来語が多いと買わないことにしている。 「日本語で言えることを、なぜ外国語で言おうとするのか?この見栄っ張りが!」と著者を馬鹿にするが、要は自分が知らないのである。 前の会社に勤めていた時、本社からやたら外来語を使いたがる女性が来たことがある。 リニューアル(これもわかる)の打ち合わせのために来店したのだが、ぼくは彼女が何を言っているのかわからなかった。 質疑応答の際、彼女はぼくに「何か質問はありませんか?」と聞いてきた。 ぼくは「何を言うとるのかわからんので、日本語で言うてもらえんですか?」と言った。 彼女は「え!?」とぼくをさげずむような顔をした。 『こんな言葉ぐらい勉強しとけよ』とでも思っていたのだろう。 それ以来、さらに外来語に劣等感を抱くようになった。
その他にも、政治に疎い。法律に疎い。ファッションに疎い。ブランドに疎い。芸能人に疎い。歌に疎い。映画に疎い。ドラマに疎い。小説に疎い。車(種)に疎い。ギャンブルに疎い。ゲームに疎い。流行に疎い。・・・・。自分の興味あるもの以外は、すべて疎い。
「しろげしんたさん、じゃあ、あなたは何に興味あるんですか?」 「はい、日本史と、宗教と、中国と、韓国と、朝日新聞と、平和仮面と、人間観察と、ありの観察と、友だちの癖と、知り合いの真似と、“頑張る40代!”です」
昨日、うちのパートさんと話していてちょっと驚いたことがある。 そのパートさんの次女は、なんと生まれた時の記憶を持っているらしく、その時、その病院に、誰と誰がいたということを言い当てるというのだ。 前世の記憶を持っている人がいるということは聞いたことがあるが、生まれた時の記憶を持っているというのを聞いたのは初めてだ。 それを今でも覚えているとは、すごい記憶力である。たしか今高校生だったと思うが。
ところで、以前ここで前世の記憶を語ったことがあるが、ぼくは輪廻転生を信じている。 前世に働いていたと思われる工場の風景や、花街の風景の記憶が時折蘇ることがある。不思議とセピア色した記憶で、なんとなくかび臭い。 映画などで昔の看護婦の看護帽を見たり、赤十字のマークを見たりすると恐怖を感じるのも、前世の記憶だろう。
最近この輪廻転生について、「本当に未来に生まれ変わることなんだろうか?」と疑いを抱くようになった。 霊の世界には時間というものがないと聞くが、もしかしたら今の人生が終わったら、また同じ人となって同じ時代に生き直すのではないだろうか。(ぼくの例で言えば、平成○○年に死んで、また昭和32年に生まれるということだ) つまり、何度も何度も同じ人生を繰り返させる、ということである。 何のためにそんなことをするのか? その人を霊的に完成させるためである。 前の人生で経験した様々な出来事を、潜在意識の中に埋め込んで、また同じ人として同じ時代に送り出し、前の人生の修正をさせる。 こうして、一歩一歩、霊の完成に近づかせていく。
もしそうであれば、「運のいい人」の説明も簡単につく。 「運のいい人」というのは、何度も同じ世に生まれ変わり、前世を充分に記憶している人のことだ。 前世の失敗を把握しているので、今生では失敗の方向に進まない。 だから成功するのだ。 「ああ、この場面は前回失敗した場面だ。あの時はこちらに行って失敗したから、今回は逆に行ってみよう」と前回と逆の行動をとり成功に至る。 予知能力を持った人というのも、前世の記憶を持った人だということになる。 すでに体験した将来のことを語っているだけに過ぎない。 ということは、予知能力者は別に超能力者ではなく、ただ人並み以上に記憶力が優れている人ということになる。
しかし、そうだとしたら面白くないなあ。 ぼくは22世紀を体験できないことになる。 “しろげしんた”として、永遠に20世紀と21世紀を往ったり来たりするだけなんだから。 ああ、ドラえもんに会いたーい!
1、不思議な道 うちの店は午後8時に閉店するのだが、残務処理を終わらせて、店を出るのはだいたい午後8時20分頃だ。 通勤時間は車で約20分だから、午後8時40分には家に着く。 ここ数年、だいたいこのパターンである。 しかしこのごろ、おかしな現象が起こるようになった。 それは、土曜日になると決まって国道3号線の一区間が大渋滞するのである。 それはスペースワールドの前を過ぎたあたりから始まり、約1km先の桃園で終わる。 この1kmを通過するのに、10〜20分を費やす。 最初の頃は「事故でもあったんだろうか?」などと思い気にもとめなかったが、毎週続けて渋滞するので「これはおかしい」と思うようになった。 「スペースワールドの影響か?」とも思った。 しかし、ぼくが帰る時間は、スペースワールドはもう閉館したあとなのだから、その線はありえない。 新日鉄の出退勤の時間でもない。 桃園にあるボーリング場に入る車(ぼくの帰る車線からは右折しないと入れないが、右折車線はない)の影響かとも思ったが、そうでもなさそうだ。 いったい何がどうなっているんだろう? そこ(桃園)を越えると嘘みたいに車が減るのだ。 桃園では左折する車もあるのだが、そう多くはない。 いったいあれだけ渋滞していた車はどこに消えたんだろう? 不思議なことである。 今日、家に帰り着いたのは午後9時であった。
2、勝手に録画するビデオ 毎週土曜日、午後7時からテレ朝系で「これマジ!?」という番組をやっている。 いろいろな怪奇現象を紹介する番組である。 以前、ぼくはこの番組を毎週予約録画して見ていたのだが、最近は見る時間がないので、何週か前の特番を機に予約を取り消した。 ところがである。今日家に帰ってビデオをチェックしてみると、ちゃんと録画されていたのだ。 「えっ?」と思い予約一覧を見てみたが、やはりこの時間帯の予約はない。 「前のヤツか?」と思ったが、ちゃんと今日の「電波少年(東京で21日放送した分。日曜の午後10時30分はローカルバラエティをやっている関係上、こちらでの放送は同じ週の土曜日の午後5時から)」のあとに入っている。 こんなことは今までなかった。 何が、どうなっているんだろう・・・?
3、これマジ!? しかたなく、「これマジ!?」を見てしまった。 UFOのコーナーがあったのだが、そこでUFOの実写ビデオを流していた。 「おお! これと同じ物を見たことがある!!」 今日のUFOの形は三角形をしていた。 ぼくが見たのも、それと同じ三角形だった。 光り方もいっしょだった。 「そうか、あいつらまだ地球にいたのか。お前達は誰だ?宇宙パトロール隊か?地球侵略隊か?まあ、そんなことはどうでもいい。ひとつ頼みがあるんだけど聞いてくれるか?そんな田舎でミステリーサークルを作らなくていいから、アフガニスタンをどうにかしてくれ!!」
メールが溜まりすぎている。 メルマガをたくさんとっているが、ほとんどが未開封になっている。 今日はちょっと読んでやろうということで、とりあえずジャンル別に振り分けた。 自動振り分けのルール設定をしてないので、かなり手間取ったが、何とか読みたいものだけは振り分けを終わらせた。 その作業の最中、ふと思ったことがある。 人間の気持ちというものも、このフォルダのように振り分けられている、ということだった。 例えば、誉められたら「嬉しい」というフォルダに収められ、けなされたら「悔しい」というフォルダに振り分けられる、ということだ。 さらにそのフォルダの中の、その人の経験で作った「新しいフォルダ」に振り分けられる。 「嬉しい」→「喜び」→「木に登る」とか、「悔しい」→「怒り」→「やけ食い」などと細分化されていく。 人間の心というものは、難しく出来ているらしいが、突き詰めたらメールの振り分けと同じようなものだろう。
ところで、メールの「受信トレイ」にあたるものは、「苦」であろう。 仏教では、「喜怒哀楽」すべてが「苦」の所産だと教える。 般若心経の中にも「生老病死の苦」という言葉が出てくるが、宗教というのはこの「苦」の対策なんですね。 人間、この「苦」というものがなければ、宗教なんかは必要ない。「苦」がなければ、人は安穏として生きていけるのだから。 さらに、この「苦」の根源にあるのが、「嫌」というものである。 つまり、仕事が「嫌」だから「苦」になり、死ぬのが「嫌」だから「苦」になる、ということである。 この「嫌」がなかったら「苦」というものは存在しなくなる。 どうにかしてこの「嫌」をなくしたいものである。 先ほどのメールではないが、この「嫌」を自動的に削除する方法はないものだろうか? そこから宗教というものが誕生したのだと思うのだが、先人はその方法に苦心してきた。 東洋人は、禅や念仏という手段を用いた。 座禅を組み、この「嫌」を徹底的に追い出したり、念仏を唱え、この「嫌」を思い出さないようにしたり、と自分自身との格闘に取り組んだ。 一方西洋人は、「嫌」は自分の中にあるものではなく、「嫌」という対象物があると捉えている。 「嫌」な相手は神の名のもとで徹底的に攻撃するとか、「嫌」な病気があれば徹底的に切りとるとかいうように、対象物との格闘に取り組んだ。 つまり「嫌」を削除するために、「嫌」を構成している対象物を破壊する道を選んだのだ。 自然と共存する東洋人と、自然を征服する西洋人との差も、ここにあるのだと思う。
そこで思うのだが、近代の西洋人の戦争というのは「嫌」狩りだったのだろう。 この辺が、日本の近代戦争と異なるところだ。 平和仮面たちは、大東亜戦争を「侵略戦争」と呼ぶが、これもアメリカが日本を「嫌」者にした結果である。 日本としては、あくまでもアメリカを「友好」というフォルダに入れたかったのである。しかし、執拗に日本を「嫌」者扱いにするアメリカに、とうとう日本もアメリカを「嫌」というフォルダに入れてしまった。
それにしても、最近は「嫌」が多くなった。 座禅組むのは疲れるし、念仏唱えるのは面倒だ。 「嫌」→「削除」といきたいが、そううまくはいかない。 「嫌」→「酒」→「寝る」→「削除」、これでいこう。
明日は休みということで、今日は遅めの更新になりました。 さて、今日は何を書こうか?
最近、「パール判事の日本無罪論(小学館文庫)」という本を読んでいる。 パール判事とは東京裁判で「被告人全員無罪」を主張した、ただ一人の判事である。 映画「プライド 運命の瞬間」でも、主役の一人として描かれている。 まだ読みだしばかりなので、この本の詳しい内容はわからないが、以前読んだほかの東京裁判関係の本では、「パール判事はなぜ無罪だとしたか?」という理由が、「東京裁判自体が無効だからだ」という簡単明瞭なものであった、と書いていたように記憶している。 この本を詳しく読んでいけば、もっと他の理由もあるとは思うが、パール判事のおっしゃるとおり、裁判自体が無効なら罪など成立しない。 戦勝国が身勝手な法を作り、敗戦国に罪を突きつけただけの話である。 別に国際法で「負けたら勝った方の言い分を聞くように」というものがあるわけではない。 これこそ、「東京裁判無効」の根拠である。 東京裁判とは、やくざの抗争で、勝った方の組員が負けた方の組員に「お前ら、勝手に人の縄張りを荒らしやがって。その上堅気衆の上前はねるなんざ、もってのほかだ!」と言って、「お前はコンクリート詰め」「お前はスマキだ」「お前は指をつめろ」と勝手に裁くのと同じことを、国家レベルでやったものにすぎない。 こんなもの無効に決まっているじゃないか。 冷静な目で見たら、この裁判が有効かどうかわかるじゃないか。
しかし、この無効裁判を自らの利益のために、有効だと言い張るアホな人たちがいる。 中華饅共和国とキムチ民国と朝鮮から日が昇る新聞と平和仮面の人たちである。 彼らは何かにつけ「縄張りを荒らす腐れが!」と怒鳴り散らす。 さらに靖国神社には、「コンクリ野郎やスマキ野郎を祭るな!首相はそこに参るな!」と因縁をつけてくる。 このウサンクサイ連中の嫌がらせが、この先何年、いや何十年続くんだろうか? おそらく、ぼくが死ぬ頃にもまだやっているだろう。
これは教育レベルで歴史の真実を教えても、到底打開できるものではない。 もはや道は残されてないのか、というとそうでもない。 ただひとつの道は残されている。 それは、東京裁判の無効を訴えての裁判をやることだ。 つまり「東京裁判裁判」をやるのだ。 世界に向けて無罪を訴えていくのだ。 敗訴しても何度でも訴えていくのだ。 何年かかっても、何十年かかっても、「東京裁判裁判裁判・・・・」となっても、「東京しつこい裁判」と言われても、とにかく勝つまで徹底的にやることだ。 そうしないと、この国はアホな平和仮面だらけになり、いつか滅びていくだろう。
ぼくがマンガを真剣に読み出したのは、小学2年の時である。 マンガがぼくのその後の性格を形作ったといってもいい。 それまでは、変わった人間ではあったが、わりと大人しい性格だった。 しかし、マンガを読みだしてから、徐々に変身していった。
何が変わったかというと、とにかくよく喋るようになったのである。 これは「おそ松くん」の影響だと思う。 とにかく、誰にでも話しかける。 近所のおじさんやおばさんにもよく話しかけていた。 おかげで、近所で有名になってしまった。 10年ほど前に小中学校の同窓会があったのだが、当時近所に住んでいた子が、「うちのお父さん、今でも『しろげしんたはどうしよるか?』と訊くんよ」と言っていた。 母が町内会の役員をしていた時、集会で知らない人から「息子さんは元気にしていますか?」などと声をかけられたらしい。 「え? しんたのことですか?」と訊くと、「ええそうです。息子さんが小学生の頃、うちに来て、よく屁理屈を言っていた」と懐かしがっていたということだ。
この頃「〜じゃん」とよく言っていた。 実はこの「〜じゃん」を、ぼくは「おそ松くん」独自のしゃべり方だと思っていた。 中学の時、横須賀の親戚が遊びに来たのだが、その時あまりに親戚の人が「〜じゃん」と言うので、「この人たちも“おそ松くん”を読んでいたのかなあ?」と思っていた。 「〜じゃん」が関東の方言だと知ったのは、20歳の時、上京してからだった。
小学3年の一学期、ぼくが隣の席の奴とおしゃべりばかりするので、席替えさせられたことがある。 休み時間だけではなく、授業中もずっと喋っている。 先生からいつも「廊下に立ってなさい」と言われていた。 ある日、隣の席の奴の親が「しんた君と同じクラスだと勉強せんけ、違うクラスにしてくれ」と怒鳴り込んできた。 担任は「クラス替えは出来ない」と突っぱねた。それでもその親がしつこく言うので「じゃあ、席を替えましょう」ということになった。 あとで担任に「あんたがペラペラ喋るけ、こんなことになるんよ」と文句を言われた。
当時ぼくはソロバン塾に通っていた。 そこでもおしゃべりは続いた。 先生からソロバンで何度頭を叩かれただろう。 「学校で充分喋ってきたんだろうから、ここでは静かにしなさい!」といつも言われていた。 こんなことだから、なかなか昇級しなかった。 他の人の3倍はかかったと思う。 ソロバン塾には3年間通ったが、4級までしか取れなかった。 普通は1年くらいで取れる級である。 塾をやめる時、先生から「もうちょっと落ち着きを持たないと、何をやってもだめだ」と言われた。 ぼくは「何を言っているんだろう?」と思っていた。
ぼくがその落ち着きを持つようになるのは、中学2年になってからである。 「あしたのジョー」にハマってしまったのだ。 当時、性格や考え方がジョーになりきっていた。 結局ここでも、マンガが影響した。 その後も何度か、自分の中で性格が変わっていったが、その時々に読んだマンガの影響がかなり強い。 最近の性格は、5年程前に読んだ手塚治虫の「シュマリ」の影響を強く感じる。 主人公シュマリは、子供っぽい大人である。
今日は7時50分に家を出た。 休みだったのだが、8時半から会社でイベントをやるから来いというのだ。 ぼくはいつもは、9時半から朝礼があるので、9時に家を出ている。 その時間帯、渋滞はほとんど解消されているので、比較的早く会社に着く。 家から会社までは、だいたい20分ほどだ。 しかし、今日の場合はどのくらい渋滞しているかわからない。 しかたなく、7時50分に家を出たしだいである。
会社に行くためには、県内でも有名な渋滞地区黒崎を通らなければならない。 ぼくは高校の頃から、いつもこの渋滞に泣かされた。 ぼくの住んでいる所から高校に行くためには、黒崎でバスを乗り換えなければならない。その黒崎まで行くバスが、時刻表どおりに黒崎に到着しないのだ。 ぼくの通った高校は黒崎を通らないと行けない場所にあったので、洞海湾を逆に周って若松・戸畑経由(かなり時間がかかる)で行く以外に、黒崎を避けて高校に行くすべはない。 当時黒崎発で高校の最寄のバス停通るバスは、8時台には2本しかなかった。 たしかあとのほうが8:21発で、これに乗り遅れると遅刻ということになった。 だから、うちの高校の生徒は、みんな必死でこのバスに乗り込もうとする。 乗車率はいつも150パーセント以上になっていたと思う。 一般のお客が乗っていて、途中で降りようものなら、運転手は言葉を荒げて「ここで降りるんなら、このバスに乗らんで下さい!」と言っていた。 しかし、ぼくは渋滞のおかげで、このバスには乗れなかった。 このバスが発車する頃には、ぼくはまだ2つ手前のバス停にいた。 で、高校3年の時、遅刻回数は100日を軽く超えていた。 担任は他校でも有名な頑固な先生であった。 最初の頃は「遅刻したらつまらん!」と尋常な注意を受けていたのだが、あまりに遅刻が多いので、拳骨をもらったり、職員室前で正座をさせられたりした。 三者面談の時にも、進路の話はそっちのけで、遅刻ことをしきりに母親に言っていた。 が、母親もこの渋滞の被害者だったので、息子の弁護をした。 担任は「それなら1本早いバスで来なさい!」と言うと、母は「その1本前のバスがないんです!遅刻しないよう、バスの本数を増やしてくれるように、先生から西鉄に言って下さい!」と応戦した。気丈な母親である。 担任は、もうそれ以上遅刻のことを言わなかった。
※ この黒崎という地区は、昔から交通の要所で、長崎街道はこの黒崎が起点になっていたのだ。 実際は小倉が起点だが、下関からの船は黒崎に着いていた。参勤交代は豊前を通らずに筑前から船で長州に入っていた。ちなみに司馬遼太郎の「竜馬が行く」でも、長州から太宰府に向かう竜馬が、下関から船で黒崎に入ったと書いている。 ということは、この頃下関〜黒崎間の船便はけっこう多かったらしいから、船の渋滞もあったかもしれない。 ということは、竜馬も遅刻したのだろうか?
さて、そんな黒崎を通り抜けていくために、通常の所要時間の2倍、つまり40分間を想定して出かけた。 ところが、面白いことに気がついた。 家から黒崎に向かう道は片道2車線なのだが、左車線は詰まっているが、右車線のほうは比較的スムーズに動くのだ。 2km近く渋滞している左車線を尻目に、ぼくは右車線をスムーズに進んでいった。 そして、左車線の渋滞の先頭の所まで来ると、どの車も道沿いにある三菱化学に入ろうとしている。社員の出勤時間だったのだ。 「右車線に入っとってよかった。今日は運がいい」とぼくは思いながら、会社に向かった。 途中、その他の場所で渋滞につかまり、着いたのは8時25分だった。 「間に合った。よかった。やっぱり今日は運がいい」と思い事務所に入ると、店長が「お、しんちゃん今日は早いねえ」と言った。 「だって8時半からでしょうが?」と言うと、「ああ、この店は9時でよかった」と言った。 せっかく朝早く家を出て、渋滞を要領よくかわしてきたのに。それも休みなのに。 あーあ、今日は運が悪い。
さて、ネタもないままにパソコンに向かう40代です。 この日記は、だいたい午後11時ごろから書き始めるのだが、書き上げる時間は、ネタありで1〜2時間、ネタなしで2〜3時間かかる。 今日はネタがないから2〜3時間路線である。 日記を書いている時は、タバコの量が増える。 普段は1時間1本のペースなのだが、この時ばかりは5分間に1本のペースになる。 さらにコーヒーなどを飲んでいる。 体によくないのは重々わかっております。 しかし水分を含んでないと、タバコがまずいからねえ。 このところよく飲むコーヒーは、ブレンディーのボトルのやつだ。 仰々しく「低糖」と書いている。 こういう表示に、ぼくはつられてしまう。 普通の甘さのやつに比べ即効デブにはならないが、すこーしずつ脂肪がたまっていき、取り返しのつかない慢性デブになっていく。 それを知りながら、「“低糖”やけ、いいやろう」とつい飲み過ぎてしまう。 このところ、ズボンがきつく感じるのは、その「すこーしずつ脂肪」のせいだろう。
「さて、今日は何を書こうか?」などといって、ネタ探しにテレビを見てしまうこともある。 ちょっと興味がある番組などがあると、もう2〜3時間ではすまなくなる。 休みの前日などによく陥るパターンだ。 「どうせ明日は休みやけ・・・」と番組を最後まで見てしまい、さらには次の番組まで見てしまう。 気がつけば午前3時を過ぎており、「明日は何時まで寝ようか?」などと考えながら日記を書く。 そういう時は、日記を書き終えるのが5時や6時になってしまう。 しかも、○時まで寝るつもりが、毎朝8時にセットしている目覚し時計に起こされ、それからまたパソコンにハマってしまう。 結局寝不足のまま、その日の日記を書く羽目になる。 そしてまた「何書こうか?」などと悩んでいる。 この悪循環をどうにかしなければならない。
そういえば明日は休みだ。 しかし、いつもより早く起きて会社に行かなければならない。 そんなことを考えながらも、読みかけの本を読んでいるぼくは馬鹿だ。 最近買った「ビゴーが見た日本人」という本だ。 画家ビゴーが描いた、明治時代の日本人の画が面白い。 外国人から見た日本人というのは、どうしてこんなに貧相な顔をしているのだろう? みなゴッホの「自画像」のような顔になっている。 今でも、外国人はそう見ているのだろうか? 「ぼくは頬に肉はついてないが、決して貧相じゃないぞ!腹はデブだ」 これだけは伝えておかなければ。
今日も余計な動作が多い。 早く書き上げねば・・・。
今日鏡を眺めていると、鼻から白い物が出ているのに気がついた。 「鼻糞か?」と思って取ろうとしたが、取れない。 よく見てみると、白い鼻毛が出ているのだ。 「おお!とうとう鼻毛までが、“白毛のしんちゃん”になったか・・・」と少し落ち込んでしまった。 たしか以前にも鼻白毛があったような気もするが、その時はあまり気にはしてなかったのだろう。 しかし、今日は変に気になる。 そこで、抜こうと思い指を持っていったのだが、あまりに短すぎてつかめない。 何度もやってみたが、だめだ。 結局、丸刃のシェーバーで剃ってしまった。 で、今は鼻のあたりがヒリヒリしている状態である。 「これから先ずっと鼻白毛と付き合っていかなければならないのか」と思うと気が重くなる。
ところで、ぼくは休みの日にはひげを剃らないようにしているが、その短く生えた無精ひげの中に、白毛を見ることがある。 しかし、この時は「無精ひげに白毛が混じると、かっこよく見えるのう」などと思い、逆に喜んでいる。
最近は頭のほうもそうだ。 2,3年程前までは嫌だったのだが、今では「おっ、わりと白髪が似合っとるやん」と一人悦に入ることもある。 この白髪のおかげで、人にインパクトを与えられるし、“しろげしんた”というハンドルネームも思いついたし、白髪様様の今日この頃である。
ぼくの眉毛は真っ黒である。 「頭は白いのに、どうして眉毛は黒いのか?」とよく言われる。 4、50代で白髪頭の人で、眉毛が白い人見たことありますか? ぼくは見たことはない。 そこまでいっている人は、もう60代後半だろう。 だけど、眉毛が白くなったら・・・。考えるなあ。
それはそうと鼻白毛の奴。 何も自慢材料にならんやないか。 かっこよくも何もない。 人の見世物になるのがおちだ。 3本もまとめて同じ場所に生えやがって!!
2001年10月20日(土) |
ちょっと真面目な話を書きました |
日本人は、生まれてからすべてが宗教である。 生活すべてが宗教である。 だから、無宗教だと思ってしまう。 それは、日常生活とかけ離れた所に宗教があると思っているからだ。 特別なことをすることが、宗教だと思っているからだ。 安産のお守り・お七夜・七五三・成人式・安全祈願・正月・御来光・初詣・お盆・お彼岸・墓参り、これは宗教じゃないのだろうか? さらに、あらゆる日本的なものにつきまとう「わび・さび・かるみ」、これは宗教じゃないのだろうか? 茶道・華道・俳句から将棋・囲碁、はてはパチンコまで、いつも日本人は「わび・さび・かるみ」のプロセスを踏みたがる。 だけど、こういうことがあまりに自然で、生活に密着していることなので、宗教だとわからない。 つけ加えれば、箸の上げ下げや、お辞儀の仕方までもが宗教である。
キリスト教・イスラム教・仏教・ヒンズー教など、どこかの団体に所属することが宗教なんだろうか? 人を勧誘することが宗教なんだろうか? 人間からかけ離れた、超人になることが宗教なんだろうか? いかに人間らしく生きるか、いかに人に迷惑をかけずに生きていけるか、そういうことが宗教の第一義ではないのだろうか。 目に見えない心のよりどころを求めるより、もっと身近な「人」を信じることのほうが大切じゃないのだろうか。 「遠くの親戚より、近くの他人」というじゃないか。
いろいろな宗教体験を得て、そのひとつに留まることをせず、日本人は日本人独特の「人の宗教」を確立した。 しかし、外国の人たちは「はじめに神ありき」だから、「はじめに人ありき」の日本人が理解できない。 滑稽だとさえ思っている。 しかし、日本人から見れば外国人こそ滑稽なのだ。
聖徳太子は、「神とか仏とか言う前に、人の和を大切にせよ」と十七条憲法の中で言っている。 それを子孫は忠実に守っている。 それでいいじゃないか。
ここ数日、感じることがあったので書いてみました。
2001年10月19日(金) |
Yahoo!BBの不手際 |
ぼくは、6月の末にYahooBBを申し込んでいた。 その時は、北九州市は7月の開通予定になっていた。 しかし、延びに延びて、結局こちらの開通は10月になってしまった。 地域によっては、10月初旬に開通した所もあるが、ほとんどの地域が中旬から月末にかけての開通になるらしい。 会社の人の中には、すでに開通した人もいる。 その人が「早いよー」というのを聞くたびに、「早くうちのほうも開通せんかなあ」と思っていた。
昨日、Yahoo!BBから“NTT机上調査結果のお知らせ(回線番号変更)”というタイトルのメールが届いた。 “現在お客様におかれましてはISDN回線を使用している状態であり、弊社ADSLサービスを提供できない状態になっております。YhooBBサービスを提供させていただくには、まずはISDN回線を解約していただきまして、回線状態をアナログ回線へ変更していただく必要があります。今回NTTへ申し込み手続きをしましたところ、お客様におかれましてはISDN回線を解約する際に電話番号が変更されてしまうことが判明いたしました。”というのだ。 「えっ!?」、たしか以前“Yahoo Internet Guide"のADSLの特集には、“アナログ回線からISDN回線に変えた人が、アナログ回線に戻す場合には、電話番号は変わることはない”と書いていた。 ということは矛盾しているじゃないか! あんたんとこが言うたんやろうが。 出来んなら出来んで、「ただし、うちは例外です」と最初っから書いておけ。 それとも、NTTから嫌がらせを受けたのだろうか?
ぼくは電話番号を変えるわけはいかない。 友人知人には電話で伝えればいいのだけど、会社・銀行・クレジットカード等は変更手続きをしなければならない。 これが時間がかかる。電話番号なんか電話一本でいいような気がするのだが、時間はかかるし、やれ申請用紙を書けだのとうるさいし。 「こんな面倒臭いことまでして、ブロードバンドにする必要があるのか?“頑張る40代!”にブロードバンドなんか必要ない!」ということで、YhooBBの申し込みを断った。
ところが今日、“ISDNご利用のお客様へ −誤送信のお詫びと今後のご案内”というメールが届いた。 “この度、Yahoo!BBサービスよりお送りさせていただきましたメールに誤った記述 がございまして、お客様には大変ご迷惑をお掛け致しました。心よりお詫び申し上げます。 誤:ISDN回線を解約する際に電話番号が変更されてしまうことが判明いたしました。→正:NTT116窓口にお聞き頂きませんと変更になるか否かは判明致しません。”ということだ。 おいおい、昨日のメールでYahoo!BBが一番訴えたかったのは、この「誤」の部分じゃないか。 Yahoo!BBは、こんな重要なことを簡単に「誤」にするのか? 「間違ってました」ですむ問題か! 本当にNTTに確認したのか!? 二つのメールを見たら、「NTTに確認していません」と読めるじゃないか!
おそらく、メールを書いたにいちゃんが「電話回線が最初からISDNの人は電話番号が変わる」というところの「ISDNの人は電話番号が変わる」ところだけが頭に残り、他のところはスキップしていたのだろう。 昨日キャンセルが相次いだので、「おかしいな」と調べてみたら、にいちゃんが嘘を書いていたのに気がついた。 で、慌てて上司が訂正のメールを送ったのだろう。
ところで、昨日のキャンセルはどうなるんだろう? そのことには一切触れてない。 また4ヶ月待てというのか? ふざけるな!!
今日外国人の女性のお客さんが来た。 別に珍しいことではないが、うちの店に来る外国人はどちらかというとアジア系の人が多く、そのほとんどが日本語を話せない。 で、英語で話しかけてくる。 ところが、こちらが英語を話せないので、いつも商談は成立しない。
今日は少しばかり勝手が違った。 今日来たのはアメリカ人で、外国人独特の訛りはあるが、完璧に日本語を操る。 それもそのはず、こちらに11年間滞在しているらしい。 「日本人的な考え方ができるようになった」と言っていた。 「いろいろ国によって違うけね。日本人と韓国人みたいに、顔は同じでも考え方はまったく違う」 「うん」 さすが滞日11年。「うん」である。 ぼくが「学校の先生?」と尋ねると、「うん」と言った。 「どこの学校?K大?歯科大?」 「ううん」 「S短?」 「うん、でも短大じゃないけど」 「ああ、S高ね。あり得る」 「でも、神学じゃないけど」 「じゃあ、英語の先生?」 「うん」 S高というのは、ミッション系で有名なお嬢さん学校である。 また、ぼくが「神社行ったことある?」と言うと「もちろん」と答えた。 きっと気持ちは日本人なんだろう。 配達になったので、伝票を持ってくると、ちゃんと漢字で住所を書いていた。 帰り際に「炭そ菌気をつけて」と言うと笑っていた。
外国人相手にこんな普通の言葉で話したのは初めてである。 ぼくが初めて外国人と話したのは中学1年の時だった。 黒崎に遊びに行った時、外国人の集団に捕まった。 モルモン教である。 彼らはぼくに聖書を売りつけようとした。 「いくらか?」と訊くと、「1000円でーす」と言った。 ぼくが「ノーマネー。ただでくれ」と言うと、「Oh! No money」と言って笑っていた。 後で知ったことだが、その時期あのケント・ギルバートが黒崎に滞在していたことがわかった。ということはその中に彼がいたのであろう。 「そういえばいたような」と思うが、外国人はみんな似たような顔をしているからなあ。
2001年10月17日(水) |
ぼくは門徒さんではありません |
この間、浄土真宗などと書いたので、「お前は門徒さんか?」と言われた。 訂正しておきます。 うちの宗旨が浄土真宗なので、本願寺のほうで勝手に門徒の数の中に入れているかもしれないが、ぼくは門徒さんではありません。
30代の頃、仏教の書物を読み漁ったことがある。 20代の頃に中国思想に耽っていたが、30代の始めに中国思想ではどうにも解決できないものにぶち当たってしまい、仏教書に走ったのである。 かなり読みましたね。 特に好きだったのが、禅宗関係の本だった。 読後の爽快感は他の宗派の差ではなかった。 その中でも一番のお気に入りが、「盤珪禅師語録」だった。 とにかく、江戸時代の書物なのに、しゃべり言葉で書かれているので、現代語訳なしで読むことが出来る。 内容も、奥は深いかもしれないが、平易でわかりやすい。 「お手前は・・・」「・・・でござるわいの」とか「不生でごじゃれ」などという、盤珪独特の言い回しが親しみを持てる。 いろんな人とのやりとりが面白い。
「私は生まれつき短気で困っております」と言われ、「お手前は面白い物を持って生まれたのう。直してしんぜよう。ここに短気を出してみなさい」 「今この場では出せませぬ。ふとした時に出るのです」 「じゃあ、生まれつきじゃないじゃないか。お前の短気は、育つ過程において身につけた気癖じゃないか。生まれつきなどと言って、親のせいにするな」とたしなめた。
「ある宗祖は、川の対岸に紙を持って立たせ、空中に文字を書いたらその文字が紙に浮き出てきたと言われるが、あなたはそういうことが出来るか?」と訊かれた。盤珪は「そんなことは奇術師がやることじゃわいの。法の場でする話じゃござらん」と切って捨てている。
新しい木彫りの仏像を見た僧から「あれは新仏であるか、古仏であるか?」と問われ、盤珪が「お手前はなんと見やったな?」と訊くと、「新仏と見とってござる」と答えた。盤珪は「新仏なら新仏でそれで終わったこと」と言い「お手前は、仏法を特別なものと見ているから、そんな役にも立たない愚かなことを訊くのだ」と。
記憶で書いているので原文とは違うが、こういう話が、語録としてまとめられている。まだまだ面白い話もある。 この本を読む人は誰でも、「これが仏教か?」と疑うだろう。(実際、盤珪は「バテレンか?」と疑われ、迫害を受けたこともある) 仏教を学問と思っている人には物足りないだろう。 しかし、これが仏法なのだ。 盤珪の仏法は、難しい言葉はいらないと言った。 平易な言葉の中に仏法はあると言った。 難しい言葉を使うものを決して認めなかった。 難しく考えることを決して許さなかった。
ぼくはこの本を読んで「生きるということは、理屈ではない」と悟った。 そして、ぼくは「大人ぶるのはやめて、少年でいることにしよう」と心に決めた。 その後、ぼくは仏教書を読まなくなった。
2001年10月16日(火) |
時々脳裏に浮かぶこと |
また火曜日は雨だった。 先週も雨だったし、人の休みを何と思っとるんか。 たとえすることがなく、家でゴロゴロしていたとしても、雨が降るよりは晴れていたほうがいい。 今日はテレビも面白い番組をやっていなかったし、本を読んでもつまらなかったし、ホームページの更新にも身が入らなかった。 おまけに夜になると、変な寂寥感が襲ってくる。 ろくな一日じゃなかった。 どういうわけか、高校時代の一コマが脳裏に浮かんだ。 それも大したことじゃない。 「雨の夜に、アニメ“一休さん”を見ながら、秋刀魚を食べている高校3年の秋の日」の姿だ。
時々、実にくだらんことが、ぼくの脳裏を走る。 特に小学生の頃の事が多い。 シルバーオックスのCM。 琉球飴のコマーシャルソング。 紙芝居のニッキセンベイの味。 乳歯が取れた時の歯の臭い。 魚の骨がのどちんこに刺さった時の痛み。 2B弾で親指をやけどした時の火ぶくれ。 キャラメルを食べていて、歯にかぶせていた銀冠がはずれた時の感触。 5年の時遠足に行って足の親指をガラスで切り、そろばん塾で「足の指を切ったので正座できません」と正座せずに喜んでいる姿。 胃腸をこわして「胃癌だ」と勝手に思い込み、身体検査で「ぼくは癌です」と言った時に、先生が一瞬見せたアホ顔。 石炭掴んだつもりが猫の糞だった。その時の手の臭い。 川辺を自転車で走っていた時、虫が目の中に飛び込んできた。その時の痛み。 などである。 何で、こんな変なことを思い浮かべるのだろう。 意識している時は、もっとまともなことを思い出しているのに。 無意識の世界は、こんなくだらんことが大事なのだろうか?
まあ、とにかく今日は暗い火曜日だった。
「わが国に 正義はなかったのだろうか 今日も謝罪が 紙面を賑わす」 かつて、謝罪外交華やかなりし頃に作った短歌である。 「ここ何年か聞かなくなったなあ」と思っていたところに、小泉さんがやってくれた。 あーあ、期待していたのに。 これでまた、日韓関係は先に進まなくなるじゃないか。 靖国問題といい、先の中国訪問の際のお詫びといい、ちょっと小泉さんを買いかぶっていたようだ。 さらに「歴史認識について、日韓両国で共同研究機関を設置する」などとわけのわからんことを言っている。 「歴史認識」というのは、つまり「韓国の言いなりになる」ということじゃないか。 正しい歴史認識をしたら、不利になるのは韓国のほうじゃないか。 だらしない祖先が浮き彫りになるじゃないか。 併合中の半島人が、いかに日本人になりたがっていたかがはっきりするじゃないか。 それでもいいのか!
だいたい、「謝罪謝罪」と言って日本の首相に謝罪させて何の得があるのか。 国民に「自分は憎き日本に謝罪させたんだ。どうだ、おれは偉大だろう」と存在感を示しているだけじゃないか。 こんなことで、日韓友好なんか出来るはずはない。 本当に日韓友好でありたいなら、日本に謝罪させる前に、まず日本に対して感謝の意を述べろ。
いっそ、日韓首脳会議の時は、韓国大統領の感謝の言葉の後で、日本の首相は謝罪の言葉を述べるようにしたらどうか? 「日韓併合のおかげで、ロシアにならずにすみました。カムサハムニダー。 日韓併合のおかげで、韓民族全員が両班(リャンパン=貴族)になることができました。カムサハムニダー。 日韓併合のおかげで、ハングルという文字を覚えることが出来ました。カムサハムニダー。 日韓併合のおかげで、鉄道ができました。カムサハムニダー。 日韓併合のおかげで、近代産業の基盤ができました。カムサハムニダー。 日韓併合のおかげで、娘を売ることができ、兵隊さん相手に大儲けできました。さらに戦後は補償までしてくれて、カムサハムニダー。 日韓併合のおかげで、中国人を差別することができました。カムサハムニダー。 日韓併合のおかげで、日本に親戚ができ、今では日本のゲームやマンガやCDを手に入れることができます。カムサハムニダー。 日韓併合のおかげで、日本を必要以上に憎むことができました。カムサハムニダー。 日本のおかげで、サッカーのワールドカップも開催することができます。韓国で開会式をさせてもらって、カムサハムニダー。 色々盗作させてもらって、カムサハムニダー。 日本を憎むことで、パワーアップさせてもらいました。カムサハムニダー。 あらゆる援助をしてくれて、カムサハムニダー。 最後に、 チョッパr・・・いや、イルボン、マンセー、マンセー・・・」 と、韓国の大統領がとうとうと感謝の言葉を述べた後に、日本の首相がいつも通り、 「日本の植民地支配により韓国の国民に対して多大な損害と苦痛を与えたことに対し、心から反省とおわびをする。・・・日韓関係は過去の歴史を踏まえながら反省しつつ、このような苦難の歴史を二度と繰り返さないよう協調せねばならない・・・」 と謝罪すればいい。
これで、日本人の嫌韓も少しは解消できるだろう。 首脳会議のたびに、これを繰り返しやっていたら、そのうちどちらからともなく「馬鹿らしいけ、止めろうや」という意見が出てくるだろう。 本当の日韓友好はそこから始まる。
2001年10月14日(日) |
世界に広げよう、念仏の輪! |
何日か前から、どうやったらビンラディンに勝つことができるかを、真剣に考えている。 国家間の戦争じゃないから、四面楚歌攻撃や三国鼎立作戦などは通用しない。 やはり孫子曰くの「離間」しかないのか。 要は、イスラムとビンラディンの離間、タリバーンとビンラディンの離間、つまり仲たがいさせるのが一番だと思うのだけど。 ただ、我々の常識では計れない人たちだから困るのだ。 蛇の道は蛇で、テロにはテロを、山賊には山賊を使うのが一番いいのかも。 いたいた、ちょうどいいのがいた。 抗日パルチザンという名の山賊の後裔で、テロを得意とする人たちが。 ちょっとその国から工作員を借りてきて、アフガンに潜入させるか。 いくらビンラディンと密接な関係にある国であろうとも、「マイルドセブン」で国外脱出を許してくれるような国だから、新発売の「マイルドセブン・スリム・ライト・メンソール」を1カートンもやっとけばこちらになびくだろう。さらに「東京ディズニーランド」や「東京ディズニーシー」のチケットをつけてやれば効果覿面だ。 とにかくその国には賄賂を使って味方につけておくのが一番だ。 割り箸を使って、いい働きをしてくれるはずだから。 ミサイルの矛先もきっと変えてくれるだろう。 「マンセー、親愛なる・・・」
昨日も話したが、「一切を上げて、神アッラーに任せ」はたしかに他力本願の浄土系仏教と同じである。 しかしぼくは、そのあとにくる「他人に対して善行を施す」を見落としていた。 ここは根本的に違っているのだ。 一遍や親鸞は「他人に対して善行を施せ」などとは説いていない。 ただ「南無阿弥陀仏」と唱えることが浄土系の教えだ。 つまり「他人に対して善行を施す」などと余計なことを考えず、ひたすら「南無阿弥陀仏」でなければならない。 こうして出来上がったのが、「平和ボケ日本」である。 禅宗にしても同じことだ。 主なる「人」に巡り会えたら、余計な考えは自ずと消えていくんだから。 たしかに今この時点では、「平和ボケ日本」は世界の笑いものである。 しかし全世界が「平和ボケ」になったら、戦争は起こらないだろう。 決して平和仮面が唱えるイデオロギーなどで、戦争がおさまることはない。 なぜなら、平和仮面自体が戦争の根源だからだ。 真の平和を望むなら、平和仮面が忌み嫌う、日本古来の「宗教」が必要になってくるのではないだろうか? そのためには、世界中の人を「念仏じじい」や「念仏ばばあ」にしなければ。 世界に広げよう、念仏の輪!
2001年10月13日(土) |
イスラム教のことなんか全然知らなかった |
昨日の疑問(アラビア語)をちょっと調べてみたのだが、笑える言葉を見つけた。 「貴男、早く」をアラビア語で「あんた、ハメハメ」と言うらしい。 ・・・それだけ覚えた。
今日は休みだった。 日頃の寝不足を少しでも解消しようと、今日は最初から寝溜めの日と決めていた。 「何があっても昼まで寝るぞ!」といきまいていたが、習慣とは恐ろしいもので、午前7時30分に目が覚めてしまった。 「どうせ休みやけ、ちょっとパソコンを触ってからまた寝よう」と思って、パソコンの電源を入れたのが運のつきだった。 そのまま、正午までパソコンの前を動かなかった。 それから布団の中にもぐりこんだが、日が差し込んできて、暑くて眠れない。 仕方がないので、また起き出して、本などを読んでしまった。 一度読み出すと止められんのですよ。 一気に文庫本一冊読んでしまった。 その後、飯を食って、今度はテレビに見入ってしまった。 吉本新喜劇をやっていたんです。 相変わらずくだらんギャグをやっていたが、最後まで見てしまった。 それから、HPの更新をして、今に至っています。 結局寝れんかったやん。 この寝不足、どう埋め合わせしようか・・・。
今日は他に「イスラム教」のことを調べていたのだが、あるサイトに“イスラムとは平和・従順・放棄・素直・受諾・純粋・遂行、アラビア語でal-Islam「平和である事」また「絶対に帰依する事」一切を上げて、神アッラーに任せ、他人に対して善行を施す事こそイスラムの真の意味である”と書いてあった。 「・・・一切を上げて、神アッラーに任せ・・・」 浄土真宗と同じじゃないか! アッラーは阿弥陀如来だったのか! ということは、イスラム教徒は観世音菩薩ということになる。 何とアメリカは、観音様を攻撃しているんだ。 これは恐れ多いことだ! 線香をあげんといけん。
それはさておき、ぼくは知らなかったのだが、始祖マホメットはキリストの次の預言者として、神から使わされた人だということだ。 ということは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は皆兄弟ということになる。 全然知らんかった。 「長男ユダヤと三男イスラムは元々仲が悪かった。 そこで長男は次男キリストに手を回し、次男を味方につけた。 それをよく思わない三男が、次男に対しけんかを仕掛けた。 頭にきた次男が、三男を叩く」 今回の戦争はこういう一面があったのか。 兄弟げんかやん。 じゃあ、非キリスト教国の日本というのは、どういう位置付けになっているんだろうか? 次男の手下の、近所の兄ちゃんか? それにしても、優柔不断な近所の兄ちゃんである。 次男が窓の外から「あんた、ハメハメ」と呼んでるよー。
ひとつ思ったことがある。 それは、正義は戦争を欲する、ということだ。 正義はいつも悪を探しては、それを懲らしめようとする。 今回の戦争も、お互いが正義の主張をやっている。 アメリカ側は地球防衛軍気取りだし、一方のアフガン側はまるで水滸伝気分である。ビンラディンはさしずめ梁山泊の「宋江」といったところか。 結局、どちらかが正義を捨てない限り、この戦争は続いていくだろう。 でも、どちらも頑固そうだからなあ。
この戦争はどうしてもアメリカに勝利してもらいたい。 仮にアフガン側が勝ったとしたら、今の世界秩序が完全に狂ってしまう。 公用語がアラビア語になってしまう可能性もあるわけだ。 何かアラビア語で知っている言葉はあるだろうか? 「おはよう」は何と言うんだろうか? 「ありがとう」は何と言うんだろうか? 「愛してる」は何と言うんだろうか? 「なんてこったい」は何と言うんだろうか? ぼくは何も知らない。 文字もまったくわからない。 “しろげしんた”ってどう書くんだろう? もし「アラビア語以外のホームページは禁止する」ということにでもなったら、“頑張る40代!”はやめなければならない。 まあ、ホームページをやめることによって健康を取り戻せる、と思えばやめれないこともないが。
話は変わるが、「ハクション大魔王」や「アクビちゃん」や「大魔王シャザーン」はアラビア系の人たちでしょ? あ、遊星少年パピーの「アジャババさん」もそうだった。 昔は味方だったのに。 ところで、彼らはみなイスラム教徒だったのかなあ?
最近、うちのアルバイト連中が就職モードに入っている。 どうも慣れない面接に戸惑っているようだ。 だいたい、学校で教える面接マニュアルというのは、どこも横一線で、まったく個性というのが見えてこない。 たしかに企業というのは、いわゆる「良い子」を採用する傾向にあるから、個性ある人物より、マニュアル通りに受け答えできる人のほうがいい印象を与えることは出来るだろう。 しかし、そういう企業は伸びないということも知っておかないとね。
ぼくは面接というものを、過去何回も受けてきた。 別にマニュアルなどはなかったから、すべての面接が、行き当たりばったりだった。 今日はぼくの面接の歴史です。
19歳 ★R商事(派遣)・・・「君は歌手の○○に似ていますねえ」と言われ、不快を顔に表して失敗。最後に「君は販売には向いてないよ」と言われた。
★S衣料(衣料)・・・いとこと一緒に面接を受けた。質問はいとこにばかり向けられ、ぼくは完全に無視されていた。4、5日して、いとこに採用通知が着たが、いとこは断った。その後、ぼくに連絡があり「来てくれ」ということだった。 いとこの補欠扱いにされ、プライドを傷つけられたぼくは「いとこが行かんと言ったけ、ぼくに連絡したんでしょ?そんな所には行きたくありません!」と断った。 それから4年後、ぼくはその会社のまん前に出来た電気店で働くことになる。
☆中国展・・・タオルを首に巻き、サンダル履きで面接に臨んだ。5者面接だった。面接官のぼくに対する質問は「しんたさんは体格がいいから、体力がありそうですね」だった。ぼくは「はい」と答えた。それだけだったが、合格した。しかし、与えられた仕事は重労働だった。
☆Y陸運(運送)・・・「君は1ヶ月勤まるかなあ?」と言われたので、「勤まります!」とぶっきらぼうに答えた。ちゃんと約束の1ヶ月は勤め上げた。
22歳 ★K商事(食品)・・・東京から一時帰郷して、この会社の面接を受けた。 相変わらず、普段着のままだった。面接はその会社の社長がした。「君は車の免許を持ってないのか。明日からでも免許を取りに行ってきなさい。費用はうちで持つから」と言ってくれたが、その時は免許を取る気などなかったので断った。
★F総業(住宅設備)・・・面接が始まると同時に、面接官が他の社員に向かって大きな声で「みなさん、このしんたさんが我々に力を貸してくれるそうです」と言った。「なんか、このノリは!」とぼくは思った。そして「いついつ来て下さい。お待ちしています」と言われたが、行かなかった。
★福岡T(不動産)・・・職安で事務関係の仕事を探していたら、福岡Tが募集していたので、さっそくアポイントをとり面接へ。しかし行ってみると土地を売る仕事だった。頭のはげた面接官は「事務系は募集してない!」と言い放った。「しかし、職安では・・・」と言うと、「君は何がしたいのかね」というので「だからさっきから事務系と言っているでしょう」と答えた。「何度も言うが、うちは事務の募集はしてない。もうちょっと、自分のしたいことを明確にしないと企業は採用してくれないよ」と偉そうに言われた。カチンときたぼくは「事務員を募集と書いておきながら、そんな募集はしてない、と言うような企業には誰も来たがりませんよ」と言い捨てて、ぼくはそこを出た。
☆S企画(出版)・・・「フリーライター」募集とあったので飛びついた。筆記試験と面接が行われた。筆記試験のほうはさんざんだった。面接で「君は自分の性格をどう思っているか」と訊かれた。ぼくは迷わず「我が強いです」と答えた。元東京新聞の記者だった面接官は「おう、我の強そうな顔しとる。お前、筆記試験は全然だめやったけど、気に入った。明日から来い!」ということで、誰よりも早く採用が決まった。ここで1ヶ月働いたが、金払いが悪かったので辞めた。
★K商事(家電)・・・S企画を辞めてから、ここの面接を受けた。開口一番「ぼくは個性が強いのですが、この会社はぼくを使っていく自信はありますか?」と尋ねた。(生意気ですねえ)ぼくは面接の人が躊躇しているのを見て、「失礼しました」と言って帰った。実は、面接までさんざん待たされ頭に来ていたのと、面接会場に入り面接官を見るなり「こいつとは合わん!」と思ったから、そんな生意気な言葉を吐いたのだった。もちろん採用はされなかった。
23歳 ☆D(家電)・・・初めて大手企業を受けた。あの頃長髪をしていたが、しいて床屋に行かず面接に臨んだ。髪のことは咎められなかったが、履歴書を見て難色を示した。「君は簿記の資格を持っているが、ここは販売の仕事だよ。今回事務のほうは募集をかけてないんだけど」と言われた。ぼくは「販売でいいですよ。履歴書には書いてないけど、約1年家電販売のアルバイトをやっていました。販売に自信があります!」と答えた。「ああ、そうかね」、ということで採用になった。それから11年間この会社に勤めることになる。 採用されて3ヶ月ほど過ぎた時、面接をした部長がぼくに「あの時、君の長髪のことが問題になってねえ」と言った。「やっぱりね」とぼくは思ったが、「え?そんなに長かったですか?」ととぼけていた。 それから11年して、ぼくは「何で、あの時落としてくれんかったんか!」とその部長を恨んだ。
何十回も面接を受けているから、まだまだエピソードがあるが、今日はここまで。 学生諸君、参考になりましたか? マニュアル通りにやることだけが面接じゃないですよ。 「おれがこの会社を面接してやるんだ」という気概が一番大切です。
2001年10月10日(水) |
今の日本人に一番必要なもの |
昨日の虚脱感は何だったんだろう? いつものようにパソコンの前に座り、日記を書こうとしたのだが、何を書いていいのかわからない。 ボーっとして、心ここにあらず状態だった。 いったい何を考えていたんだろう? ただいたずらに時間だけが過ぎていく。 気がついたら、宗教のことを書いていた。
「日本人は無宗教だ」とよく言われる。 何故か? それは戒律がないからである。 ただそれだけだ。 たしかに他の国家に比べると、戒律はないに等しい。 ここには迷信があるだけだ。 しいて戒律をあげるとすれば、憲法くらいか。 しかし、憲法論争も他の国の人が見たら、こっけいに感じるだろう。
戒律で思い出したが、江戸時代に盤珪という臨済宗の坊さんがいた。 この人がある僧から「私は戒律を守る律宗に命をかけておりますが、禅師は律宗をよく思われますか?悪く思われますか?」と訊かれた。 この時の盤珪の答がふるっている。 「いかにも悪いことじゃござらぬ。よきことでござる。しかしながら・・・・・・律宗というて至極のように思うことは恥ずかしいことでござるわいの・・・」 元々人の物を盗まない人に「物を盗むな!」という戒律はいらない。 盗みをするから、「物を盗むな!」という戒律が必要になる。 浮気をしない男に「浮気をするな!」という戒律はいらない。 浮気をするから、「浮気をするな!」という戒律が必要になる。 嘘をつかない人に「嘘をつくな!」という戒律はいらない。 嘘をつくから、「嘘をつくな!」という戒律が必要になる。 つまり、戒律を守るというのは、元々何もやらない人にとっては必要ないものである。 ついついやってしまうから、戒律が必要になる。 だから「私は戒律を守っています」ということは恥ずかしいことだ、と盤珪は結論付けている。 ということは、戒律を必死で守っている外国人は恥ずかしいことになるなあ。
ぼくは日本ほどの宗教国はないと思っている。 たしかに戒律や教義がないので、それを守る必要はなく、目に見える宗教活動はやってないように見える。 しかし、日本人の一つ一つのしぐさやものの考え方は、不思議なくらい宗教にかなっている。 作法を教わっていなくても、死んだ人にはちゃんと手を合わせるじゃないか。 神様・仏様の祈り方を知っているじゃないか。 人とすれ違う時は会釈をするじゃないか。 相手の立場にたって、物事を考えるじゃないか。 滅私奉公をいとわないじゃないか。 諸芸百般、宗教でないものはない。 日本人の日常生活、それは宗教そのものだ。
もはや宗教を超えている日本人に、宗教の必要はないんだ。 今の日本人に一番必要なものは道徳と勇気だ。
以前、「20世紀の戦争は概ね国家間の戦争であった。21世紀の戦争は宗教間の戦争になるだろう」と予測した人がいる。 今回の「戦争」を見る限り、この予測は当たっていると言えるだろう。 つまり、イスラム教VSキリスト教である。 アフガンはアラーの聖戦を主張し、アメリカは公の場で神を口にしているのを見てもわかる。 ということは、お互いが神の名の元で闘っているわけだ。 彼らの言う神とは、すなわち創造主。 しかし、人間を創造した神は何人もいるのか!? いるわけがないじゃないか。 もし創造主である神が多数いたら、形態のまったく同じ人間を創るはずがない。きっとそれぞれの神の個性が現れるだろう。水の中で生きる人間、空を飛ぶ人間、形を持たぬ人間、影だけが存在する人間等々、色々な種類の人間を創るはずだ。 しかし、どこを探してもそんな人間はいない。 ということは、「人間を創造した神」を勝手に創造したのは、「神に創造された人間」ということになるじゃないか。 ああ、ややこしい!
キリスト教徒「おれの神は一番だ」 イスラム教徒「お前は間違っている。おれのところの神こそ一番だ」 キ「そんなことはない。おれのところの神はおれたちに生きた食料“牛”を与えてくれるから一番なんだ。お前んとこは食料がないじゃないか。あんなに栄養のある“豚”も食べられんくせに」 イ「馬鹿言うな!お前達はあんな穢れた豚を食っているのか。おれのところの神は、穢れた豚を食べないようにしてくれているぞ」 キ「うるさい!お前ら全員骨紛にして、豚の餌に混ぜてしまうぞ!」 イ「ふざけるな、狂牛病野郎!! おまえの自慢のその二つの角を、へし折ってやる!」 こうしてテロは始まった。ぶー。
一神教なんてこんなもんですよ。 それに比べると、八百万の神をいただいている日本人はエライ! 創造主を重要視せず、太陽・水・山・石・樹木など、ありとあらゆるものを神として祭り上げる。あげくのはてには狐やちんぽこまで祭ってしまう。 一神教教徒「おれの神は一番だ!人間を創造してくれたんだぞ」 ちんぽこ神社氏子「何を言うか。うちの神こそ一番だ!ちんぽこがないと人間は出来ん!!」 一「・・・」
自信を持て、自衛隊! わが宗教に敵なしだ!! ちんぽこ神社がついているぞ!!!
2001年10月08日(月) |
これを戦争と呼んでいいのかどうか |
ついに始まった。 でも、これを戦争と呼んでいいのかどうか。 「ビンラディンの乱」とでもしておいたほうが、いいんじゃないのか。 「タリバーン征伐」でもいい。 とにかくこれは、前世紀の戦争とはまったく異質のものだから、将来のためにも軽々しく「戦争」という言葉は使わないほうがいい。 そうしないと将来、何でもかんでも「戦争」という言葉を使うようになるだろう。 例えば、「70年安保闘争」も「70年戦争」、三島由紀夫の事件も「市ヶ谷戦争」、オウムの地下鉄サリン事件も「東京地下戦争」となるだろう。 特に教科書は執筆した時代を反映するものらしいから要注意だ。 子供達は「なんだ、昔は戦争ばかりやっていたんじゃないか」となり、自虐史観から「私たちの先祖は、過去地下鉄で戦争しました。二度とこんなことは起こしませんから」などと言うようになるだろう。 朝日新聞も調子に乗って、「あの時地下鉄には多数の在日韓国人が乗っていた。それを狙ったものと考えられる」などと社説に書くだろう。 それを見た近隣韓国は「あの時、地下鉄に在日同胞が乗っていたので、日本野郎は戦争をしかけたんだ。アイゴー。賠償金よこせ」と訴訟を起こす。 政府がいくら「あれは、一宗教団体のテロだったんだ」と言っても、「教科書には戦争と書いているじゃないか。どうして在日同胞を狙ったと書かんかっ!!」と声を荒げるだろう。 結果として時の首相は、「わが国は過去3度にわたり、韓国に多大な迷惑をおかけしました・・・」と謝罪外交に走るだろう。
今回の「戦争」は「桃太郎の鬼退治」と何ら変わらない。 アフガンにいる鬼を、桃太郎(アメリカ)とそのお供が成敗に行くだけのことだ。 新しい戦争でもなんでもない。 日本には古くからある話なのだから。 ところでその際、日本はどの動物に喩えられるのだろうか? 武力を行使するわけではないのだから、犬・猿・雉のどれにも当てはまらない。 後方支援なのだから、きび団子を作って桃太郎を送り出した「おじいさんとおばあさん」といったところか。
ということで「戦争」という言葉はふさわしくない。 やはり「ビンラディンの乱」や「タリバーン征伐」などと言ったほうがふさわしい。 いっそ、「米太郎の鬼退治」とでも呼ぶか。
2001年10月07日(日) |
日曜日のテレビ番組は面白くない! |
今日は売り出しの3日目、午前中かなり忙しかったので、毎週見ている「波乱万丈伝」と「雷波少年」を見逃してしまった。 まあ、今日の「波乱万丈伝」は大内順子・・・(知らん!)だったし、「雷波少年」はビデオに録画しているから別に見なくてもよかったのだが、これも習慣だから見ないと何か変な気がする。
それにしても、日曜日の午後のテレビ番組というのは、実にくだらん。 野球シーズンが終わったから、なおさらそう感じる。 シーズン中は、ホークス戦(デーゲーム)をやってくれたので、3時間ばかりは時間が潰れたが、シーズン終了後は、ゴルフ・競馬・バラエティの再放送などなど、くだらん、くだらん。 こんなものに全然興味のないぼくにとって、日曜の午後というのは地獄だ。 こんなくだらん番組しかないのなら、平日が毎日続いたほうがましだ。 でも毎日やると、「ザ・ワイド」に出ている有田芳生さんは迷惑するだろう。 専門外のことでも、スーパーひとし君からどんどん質問が飛んでくるからだ。 「(最近の男性は鼻毛をよく抜く)と言うことですが、有田さん、(鼻毛を抜きすぎると、炎症を起こすん)ですね」 「ええ、これは私も経験したことなんですが、(鼻毛を抜くとヒリヒリするんです。でも、この時点で消毒せずにほおっておくと、あとで大変なこと)になります」 <注 ()は筆者の勝手な例え。ザ・ワイドはだいたいこのパターンの繰り返しです> 週に5回、こういったスーパーひとし君の質問攻めにあっているので、たまには息抜きをしないと、彼の本職のフリーライターの仕事が出来なくなる。オウム裁判の傍聴や、芸能人の取材をしなければならないのに。 その有田さんには申し訳ないのだが、こう面白くない日曜番組をやるくらいなら、ぜひ平日番組を日曜にもやってもらいたい。 「ザ・ワイド日曜版」があってもいいじゃないか。
日テレは巨人絡みの番組になると、俄然面白くなくなる。 日曜日の午後6時から始まる「ザ独占サンデー」がそうだ。 出演者のわざとらしさと、アナウンサーの臭い演技。 また、そのセリフのいちいちが気障である。 こんなくだらん番組を「笑点」の後にやるな! 裏でやっている「報道特集」や「ちびまる子ちゃん」にも失礼である。 だいたいこの番組はSMAPの中居が出ているので、視聴率を稼げるんじゃないのか? 誰も、徳光さんの涙の出ない泣き顔なんか見たくない! 臭いセリフなんか聞きたくない! パンチ佐藤の「焼肉バカ一代」なんか見たくない! こんなの流すなら、「ザ!鉄腕!DASH!!」を毎週2時間にしろ!
それにしてもぼくは、仕事中によくテレビを見ているんだなあ・・・。
今日テレビで、RKBラジオ開局50周年の記念番組をやっていた。 日本で3番目に古い民放ラジオ局ということだ。 開局当初の社屋の写真を映していたが、当時は粕屋郡にあったそうで、田んぼの中にぽつんと木造の放送局が建っていた。なんとアンテナも木造だったということだ。現在RKB社屋は、福岡ドーム横の一等地に建っているが、昔の社屋と比較すると、放送局はいかに儲かるかというのがよくわかる。
それはそうと、かの井上陽水はアマチュアの頃、RKBラジオにデモテープを頻繁に送っていたそうだ。あまりに陽水がテープを送ってくるので、スタッフのほうも、「彼をレコードデビューさせようか」と思うようになり、レコード会社に働きかけたということだ。そしてついに陽水は、アンドレ・カンドレの名前で「カンドレ・マンドレ」というレコードを出した。 ということで、今日は陽水も録画で参加していた。
それにしても、RKBラジオの各番組のパーソナリティが出演していたが、全然知らんなあ。名前を聞いてもわからん。 だいたい、ぼくの住んでいる地域はRKBの入りが悪く、中学の頃からライバルのKBCラジオばかり聴いていた。 “スマッシュ11”の代わりに“ヤングポップス”を、“パックインミュージック”の代わりに“オールナイト・ニッポン”を聴いていたのだ。 友だちから「野沢那智」とか「落合恵子」とか言われてもピンとこなかった。カメ&アンコーや(今仁)哲ちゃんの毎日だった。 それもこれも、地元なのにRKBの入りが悪かったせいだ。そんな電波状況の地域なので、友達の家から聴けたという文化放送なんか入るはずもなかった。
余談だが、もうひとつ聴いていたラジオ局があった。 北京放送の日本語放送だ。 「こちらは、ペッキン放送局です」と、流暢且つたどたどしい日本語でニュースを読んでいたが、要は「中国はエライ、中国はエライ」と繰り返しているだけの間抜けな放送だった。 まあ、これはシャレで聴いているようなものだったが、毛沢東が死んだ時は、真っ先にこの放送を聴いた。 「中国の偉大な指導者、毛沢東同志が・・・」とやっていたが、内容は「中国はエライ」だった。
さて、RKBの電波状況はあの頃に比べるとずっと良くなった。 FM局も増えた。 現在福岡県内のラジオ局は、NHKも含めると、AM・FMとも4局ずつ、計8局ある。さらに山口のラジオもよく聴こえる。 だけど、ぼくは相変わらずKBCラジオばかり聴いている。 たしかに、ホークス戦を全試合やってくれるというのもある。 ドカベン香川より高橋慶彦の解説のほうがわかりやすい、というのもある。 和田アナウンサーが面白いというのもある。 しかし、これは30年以上も続いている習慣なのだ。 ぼくの車のカーステレオは、CDやMDを聴くことが出来るのだが、それでもKBCラジオばかり聴いている。 これから先も、KBCラジオばかり聴いていくんだろう。
実は今日は休みだった。 朝、いつもより早く家を出て、会社に行った。 もちろん健康診断を受けるためである。 前々から言っているように、検便とバリウムはパスした。 係員が「検便はどうされましたか?」と訊いたので、「便が出ませんでした」と言った。「後でされますかねえ?」としつこく訊くので、「しません!」と答えた。 バリウムのほうも「風邪引いて、腹の調子が悪いですから」と断った。 この二つの難関を越えたので、後はリラックスして検査に望んだ。 が、尿に血が混じっているという結果が出たのだ。「潜血+3」だった。 「何ですか、これは?」と訊くと、「多分腎臓に石でも溜まっているんじゃないですか?」とそっけなく言われ「最近、自覚症状はありませんでしたか?」と訊かれた。 それがどんな自覚症状かわからなかったので、ぼくは「そんなんあるわけないやないですか」と答えた。 「毎日夜更かししよるけかのう」とボソッとひとり言を言うと、聴こえたのか係員は「そうですよ。夜更かしはいけません」と言った。 ぼくは「もし石が溜まっているとしたら、病院行かんで治す手はないですか?」と訊いた。 係は「いいえ、治りません」と言った。 「毎日不摂生しよるんやけ、摂生に努めたら治るでしょうが」と言うと、「絶対に治りません!」と念を押された。 ぼくと考え方が違う。不摂生でなったのなら、摂生すれば治るでしょうが。こんな簡単な理屈がわからんとは・・・。あんたがたは治らんでしょうが、ぼくの中では絶対治るんですよ。 今まで、風邪も胃痙攣も前立腺も肩こりも、みんなこの理屈で治してきた。 いったい係員は何を勉強してきたんだろう? 『おれが治ると言ったら、絶対に治るんたい!!』と心の中で言った。
さて、今回の健康診断は悪いことばかりではなかった。 視力と血圧が回復していたのだ。 視力は左右ともに0.9、乱視が入っているはずの左眼が、今日はよく見えた。 1.0も真剣に見れば見えただろうが、「老眼ですね」などと言われると困るので、今日はこのくらいにしておいてやった。 血圧は、最低血圧値がいつも高かったのだが、今日は正常になっていた。 これも摂生の賜物だ。 やれば出来る! 摂生の偉大さを知らん奴はバカだ! たとえ石が溜まっていようとも、ぼくは精神力で治す。 わかったか!!
とうとう明日は健康診断か。 もう健康診断が終わるまで、何も飲み食いできんやんか。 去年は、その日の朝に健康診断のことを忘れていて、起きぬけにオロナミンCを飲んでしまった。 もし、尿に糖が混じっていたらどうしようと思ったぼくは、係の人に「いやー、今朝、健康診断のことを忘れていましてねー。オロナミンCを飲んでしまったんですよ。ははは」と先に言っておいた。 係の人がコップの中に試験紙を入れると、何か自分のだけが変な色になっているような気がした。 そこでぼくは「オロナミンCで色が変わることがあるんですか?」と訊いてみた。 係は「オロナミンCくらいで糖は出ませんよ。異常はありせん」と言ってうんざりした顔をしていた。 実はぼくの前に、「尿に何か異常でもあるんかね?」と訊いていた人物がいた。店長である。彼はぼくどころではなかった。かなりしつこく訊いていたようだ。 そこにぼくが、追い討ちをかけるようにオロナミンCのことを言ったので、係の人は不機嫌になったのだろう。 血液採取や問診の前にも、ぼくは「いやー、朝忘れててオロナミンCを飲んでしまいましてねー。ははは」と言った覚えがある。
ところで、今年も検便はしないつもりだ。 ある人が「便秘で出ませんでした、で通るよ」と言っていた。 今年はそれで逃れようかな。 しかし、そうすれば事前の問診表に“便秘気味である”のところにチェックをしなければならない。 それも嫌だし。うーん、何と言ってごまかそうか? 去年は「忘れました」で逃れたので、今年はそれを使いたくなかったのだが・・・。 「うちは汲み取り式だから、うまく受け取ることができませんでした」と言って逃れるか? しかし、住所を見たら水洗式か汲み取り式かはすぐわかるし・・・。 ああ、そうだ! やはり便秘にしておこう。 そうすれば、バリウムも飲まずにすむ。 最近ちょっと胃がおかしいのに、胃の検診なんかしたら再検査は目に見えているじゃないか。 こんな一過性のもので、再検査などさせられてたまるか。 再検査ともなれば、当然胃カメラを飲まないといけないだろう。 ぼくの人生に「胃カメラ」という文字はない!! それに結果が出るまで気になって、さらに胃が悪くなる!
こんなこと書いていても、緊張してくる。 もうこんなのやめろうや。
2001年10月03日(水) |
平和仮面は活動を続けている |
相変わらず、平和仮面は活動を続けている。 共産系コープの会員にメッセージを書かせ、米国の大統領に届けるんだそうな。 だいたい、社会主義変革のためなら暴力も辞せず、の共産党が何をかいわんや、である。国内の革命のためなら暴力を使ってもかまわないが、他国は許さないと言うのか? もはやテロの起こった時点で、話し合いで解決できるような集団じゃないことは判明しているじゃないか。それでも、話し合いで解決できると言うのなら、コープ会員の力など借りずに、志位さんや不破さんがちゃんと話をつけてきたらいいじゃないか。
はたしてブッシュ大統領は会ってくれるだろうか? 「大統領閣下。日本共産党のメンバーが、戦争を諌めにやってきましたが、お会いになりますか?」 「日本共産党・・・。共産党? 日本では、まだそんな時代遅れな党派があるのか?ソ連崩壊とともに終わったと思っていたが・・・。わからん国だ。 戦争を諌めに? もうコイズミと話はついたじゃないか。この上何を話すと言うのだ?追い返しなさい」 そう言われても、赤旗読者とコープ会員の手前、手ぶらで帰ることができない彼らは、「そこを何とか。せめていっしょに写真だけでも撮って下さい」 「大統領閣下。奴らは『せめていっしょに写真だけでも撮って下さい』と言って、ホワイトハウスの前に座り込んでおりますが」 「しつこい奴らだなあ。写真・・・? そういえばクリントンの時、日本からホーゲン・フクナガという男が来て、しきりにツーショットの写真を撮りたがっていた、と聞いたことがある。たしか、その写真を宗教の宣伝に使ったとか。どうせそういう輩だろう。今はそれどころではない!」 こうやって追い返されるのがおちだ。
結局、「ちっ、赤旗読者やコープ会員にどう報告しよう?」と考えたあげくに、「そうだ!中国流に合成写真を使おう。それを赤旗に掲載しよう。新聞だから合成かなんかはわからんだろう。それに読者は正義の共産党を疑うわけがない」となる。 それを朝日や毎日は一面トップにする。 そして、平和仮面は活動しやすくなる。 始まるぞ。抗議行動が!
2001年10月02日(火) |
明日「井筒屋黒崎店」が移転オープンする |
明日「井筒屋黒崎店」が移転オープンする。 昨年潰れた「黒崎そごう」跡に入居するのだ。 考えてみると黒崎地区は、昨年からいろいろな出来事があった。 まず「長崎屋」の倒産、ここはいまだ営業しているが、街全体のイメージとしてはあまりいいものではなかった。 続いて先の「そごう」の倒産に伴う「黒崎そごう」の閉鎖。ここが潰れたのは大きかった。街全体が死にましたからね。 今年に入って、さらに追い討ちをかけるように「トポス黒崎店」の閉店。 おまけにその間、「そごう」の後の入り手がなかなか決まらずに、JR黒崎駅の東側に巨大な空きビルが横たわっていた。そのせいで、街のイメージは悪化する一方。 20年前には2店のデパートと4店の量販店がひしめき、県内第3位の商業地区だった黒崎だが、ついに地価の下落率が県内一になってしまた。 そこで、井筒屋に白羽の矢がたった。北九州市や地元商店街などが強く井筒屋に要請した。井筒屋も最初は渋っていたものの、資金の折り合いがつき、ようやく今回の移転になったわけだ。 井筒屋は、今までの倍の売り場面積と従業員での展開をしていくのだが、この不況がどういう影響を及ぼすのか?下手すれば黒崎地区全滅ということにもなりかねない。しかし、今回は駅の西側に西鉄の複合商業ビルが2週間後にオープンすることになっている。このビルとの連動で、ぜひとも往年の賑わいを取り戻してもらいたいものだ。 ここで生まれ育ったぼくとしては、そのためにも井筒屋に頑張ってもらいたいと思っている。
井筒屋といえばねえ・・・ 昔はあそこで、いろんなことやってたんですよ。ぼくは。 小学生の時、あの頃はエスカレーターガールというのがいたんです。お客がエスカレーターを利用するたびに「いらっしゃいませ」と言うんです。で、ぼくは「いらっしゃいませ」と言われるたびに、「はい、いらっしゃいました。ぼくはしんたといいます」と自己紹介をやっていた。 同じく小学生の時、仲間と井筒屋に行ったのだが、店に入るなりぼくは受付の所に行き、「すいませーん。友達とはぐれたんですけど―」と呼び出してもらった。「○○町からお出でになりました、××様。○○町からお出でになりました、××様。お連れ様がお待ちです・・・」。すぐ近くにいた、その××様は顔を真っ赤にして「ここにおるやないか!」と言って怒っていた。 高校の時は朝高の生徒といざこざを起こしたこともあった。相手は三人でこちらは一人、勝てるわけないから逃げました。はい。 予備校時代は屋上でベンチに座って大声で歌をうたったりしていた。 こんな思い出も、移転とともに消えていくわけか。
あ、感慨にふけっている場合じゃない。オープンということは、駅前が渋滞するじゃないか。明日は早く出ないと。もう寝ます。
2001年10月01日(月) |
高校時代にクラスで流行った下らん遊び |
昨日修学旅行の話を書いていて思い出したことがある。 あの頃、クラスで流行った遊びのことである。 修学旅行から帰ってきて、“ハジハジゲ−ム”というのが流行った。 ある条件を出して、ジャンケンに負けた者がそれを実行するというものだった。 例えば「ジャンケンに負けたら、みんなの前で歌をうたう」といった類のくだらんゲームだった。 ぼくたちはいつも学食で買ったおにぎりを授業中に食べていた。 タクワンがおまけについていたのだが、Sという奴がそのタクワンを床に落とした。Sが「どうしようか?」と小声で言ってきた。 ぼくは「ジャンケンで負けた奴が、ゴミ箱に投げ入れる」と提案した。 で、ジャンケンで負けた奴がタクワンを投げたのだが入らなかった。 先生は「授業中にタクワンを投げるな!」と言って怒ったが、ぼくたちは知らん顔をしていた。 他に授業中にギターを鳴らすとか、授業中に突然立ち上がり「照明がまぶしい」と言って消しに行くとか。実に下らんことをやっていた。 ある日、教室の壁の中から1m四方くらい赤い布が出てきた。 「何だろう?」と思ったが、ぼくはそれを“ハジハジゲーム”に使うことにした。 クラスで一番きれいだといわれている女の子のところに、この布を持っていくことにした。 「ジャンケンで負けたもんが、あの女のところに行って『これ、あんたのやろ』と言って渡してくる」と言って、ジャンケンした。 約束どおり、負けた奴が「これあんたのやろ」と言って渡してきた。 女の子はキョトンとしていた。 さらに「ジャンケンして負けたもんが、『やっぱりぼくのやった』と言って取り返してくる」ことにした。 これも約束どおり、負けた奴が「これやっぱりぼくのやった」と言って取り返してきた。 相変わらず女の子はキョトンとしていた。
「この赤い布は使える」と思いついたのが、“謎の赤マント”という遊びだった。 授業が始まる直前に、誰か一人をいけにえにし、赤い布をマントのように首にかけ、それをきつく結びつけるのだ。 先生が入ってきた時、当然いけにえはマントを外す真最中である。 先生が「どうしたんか?」と聞くと、そいつは「いえ・・・」と顔を赤らめていた。 ぼくらは笑いながら、そいつの表情を冷静に観察していた。 十数人がこの赤マントの犠牲になった。
これもだんだん飽きてきた。しかし赤い布シリーズは続く。 次にやったのが、赤マントの発展系“恐怖の赤マスク”である。 マントまではいっしょである。ただ、これを顔にかぶせマスクにしてしまうのだ。 マントと同じようにきつく結びつけた。 このインパクトは凄かった。 先生は教室に入ると、そこに赤い怪人を目にすることになる。 当然叱られるかと思いきや、先生も噴き出してしまった。 「何しよるんか、おまえたちは。ぷっ・・・」という状態だった。 ただ、この遊びは長続きしなかった。 マスクにすると息ができないのである。 やられた一人が「息ができん」と騒ぎ出した。 そこでぼくは「口を開けれ」と言って、口を開けさせシャープペンで2,3回つついた。 空気穴をあけたのである。 「よし、これで息ができるやろ」と言ったものの、将来に不安を感じてしまった。 結局この遊びは長続きしなかった。 ということで“恐怖の赤マスク”の犠牲者は、“謎の赤マント”の犠牲者に比べると少なかった。
それにしても高校時代は下らん遊びをやっていたものだ。 今考えても、あまり笑えんなあ。
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