2001年09月30日(日) |
みんなの関心事は、ぼくを脱がせること |
今日は長嶋のお言葉があるというので、野球放送を延長してお送りしていた。 誰もが名ゼリフを期待していたのだろうが、結婚式の新郎の父親みたいな挨拶をしていた。 マスコミ的には、あれでよかったのだろうか?
さて、昨日途中で終わった“みんなの関心事は、ぼくを脱がせることだったのだから”の続きです。 食事が終わり風呂から上がって部屋に戻ると、みんなの様子がおかしい。 「?」と思っていると、誰かが「しんたぁ・・・」と言った。 それが合図だった。そのとたん部屋にいた全員がぼくに飛び掛ってきた。 あっという間に押さえ込まれて、ぼくは身動きができなくなった。 いかに柔道部のキャプテンのぼくでも、この押さえ込みは解けなかった。 誰かの手が、ぼくのパンツにかかった。 ぼくは必死で抵抗した。 何とか脱がされずにすんだが、その瞬間を写真に撮っていたバカがいた。 あとで現像してみると、パンツの横からヘアがはみ出しているではないか。 その後、どういうルートか知らないが、この写真が他の高校に流れてしまい、ぼくはわりと有名人になってしまった。 知らない人が遊びに来ることさえあった。
それはさておき、難を逃れたぼくは、部屋を飛び出し、隣のクラスの部屋に飛び込んだ。 これこれこういうことがあった、と言っていると、そのクラスの奴らも、「しんたぁ」という声を合図にぼくを押さえ込みにかかった。 ここも危機一髪で難を逃れたが、どうもみんなで打ち合わせをしていたようだった。
ぼくは小中学校の修学旅行では、先生から正座をさせられていた。 一度書いたことがあるが、中学校の修学旅行の時は廊下に正座をさせられて、酔っ払いのおっさんに絡まれた。 そのあと部屋に戻ると、ああそうか、この時も脱がされそうになったんだ。 よくよく脱がされそうになる運を持っているようだ。 そのために運命はぼくに柔道を選ばせたのだろうか? と言うことは「どうして柔道を始めたのか」という問には、「柔道一直線の影響です」とは答えずに、「よく脱がされそうになるので、それを防ぐために始めました」と答えなければならないのか。
ふーん、長嶋退任か。 ま、巨人ファンじゃないぼくとしてはどうでもいいことなんだけど。 あの人は監督やるより、テレビに出てボケまくっていたほうがいいと思う。
それにしても、ぼくが小学生の頃、小学校の図書室に「日本の偉人 長嶋茂雄」という本があったが、あの人は偉人なんだろうか? 一流の野球人だとは思うが、偉人といわれると、どうも。 同じ日本の偉人シリーズに「豊田佐吉」や「野口英世」などがあったが、そういう人と一緒にしていいんだろうか?
小学校3年の時だったか、月刊誌「少年」に長嶋茂雄のブロマイド式ソノシートが付いていた。 BGMを流しながら、長嶋が語るというものだった。 天覧試合の話や、ホームランを打って1塁ベースを踏み忘れてアウトになった話をしていた。が、球場に一茂を忘れて帰ったとか、同じ足に靴下を重ねて履き、片方を探し回った、などという話はなかった。
“巨人の星”で、王が阪神戦で頭にデッドボールを受け乱闘になるシーンがあった。 その時、その乱闘の中に長嶋の姿がないのを見て、星飛雄馬は「長嶋さんはなんと冷たい人なんだ」と思った。乱闘が収まり、次のバッターの長嶋はホームランを打った。星は「長嶋さんは燃えていたんだ」と言って感動していた。 それは少し違うと思う。 長嶋の頭の中には、王のデッドボールのことなんかなかったと思う。 打席に立った時、1塁ランナーが王じゃなかったので、「あれ?ワンちゃんどうしたのかな?」と思っていたに違いない。 ぼくは、実際そのシーンをテレビ中継で見たが、その時長嶋は普通の顔をしてバッターボックスに立っていた。どう見ても、燃えている顔ではなかった。 ホームランはたまたまでしょう。
ぼくが初めて長嶋を生で見たのは、小倉球場で“さよなら西鉄ライオンズ”を見に行った時だった。 ぼくは大の西鉄ファンだったが、あいにく席が3塁側しか空いてなかったのでしかたなくそこに座った。 試合前、背番号3がうろうろしていた。 試合中も背番号3はベンチから出たり入ったりしていた。 落ち着きのない人だなあと思ったものだ。
長嶋が引退した日、ぼくは富士急ハイランドにいた。 昭和49年10月14日、その日は高校の修学旅行二日目だった。 遊園地で一通り遊んでからホテルに戻ると、ロビーに人垣ができている。 「何だろう?」と思い、見ている人に聞いてみると、今長嶋が引退の挨拶をしているということだった。 ちょうど、その時あの名ゼリフ「巨人軍は永遠に不滅です」というのが聴こえた。 しかし、部屋に戻ってから誰の口からも「長嶋」は出てこなかった。 そんなことに関心がなかったのだろう。 みんなの関心事は、ぼくを脱がせることだったのだから。
翌日、6時起床だった。 起き抜けに隊長が「山頂までランニングしましょう」と言った。 坂道を1キロ以上走らなければならない。 みんな「ええっ!?」と言ったが、隊長の命令には逆らえない。 前日の天突きで思うように走れない。 それにしても、朝のランニングはこたえる。 ぼくは走っていて、だんだん気分が悪くなってきた。 山頂に着くと、さすがにみんな息を上げていた。 それを見て隊長が「じゃあ、天突きやりましょう。そうですねぇ、100回やりますか」と言った。 その言葉を聞いたとたん、力が抜けた。 隊長が「1、2・・・」と数を数えながら、天突きをやりだした。 『どうにでもなれ』という気持ちで、みんな後に続いた。 ぼくも張り切って50回ほどやったが、脱落してしまった。 最後までやっていたのは、自衛隊出身の同僚だけだった。 その後、その場で朝礼が行われたが、ぼくはもう立っていられなかった。 気分が悪い。 「すいません。ちょっと気分が悪いので座ってていいですか?」とぼくは隊長に言った。 さすが隊長である。ぼくを気遣うでもなく、「よし!」と言ったきりだった。
ホテルに戻って朝食をとった。 ぼくは気分の悪さから復活して、ご飯を3杯おかわりした。 みんなから「お前、本当に気分悪かったんか?」と言われ、ひんしゅくをかった。
その日は、実戦の研修を行った。 まず、敵陣突破だった。 「こんにちは、○○のしんたです。今日は電子レンジのお話で参りました。時間は取らせません。5分でけっこうです。話を聞いてください」 これを一字一句間違わずに言えたら、一歩進む。間違えたら1歩後退。 10歩進んだら合格となる。 これだけなら大したことはない。 しかし、あの隊長がその程度のことをさせるわけはない。 人を囲ませて野次を飛ばさせるのだ。 最初は「ビデオは売らんとか」とかありきたりなことを言っていたが、だんだんエスカレートしてきて、「おい、しんた!お前あの女とどうなったんか!?」などとプライベートなことを言うようになった。 ぼくは、あまりそういうことを気にするほうではないので、わりとすんなり敵陣を突破した。 が、いろいろ言われて動揺し一歩後退を繰り返す者や、中には泣く者まで出てきた。その人は、触れられたくないことをズバッと言われたらしい。 あとで「あそこまで言わんでいいやろ!」と憤慨していた。
それが終わって最後の項目、表現力の研修を行った。 隊長が「小さなトランジスタと大きな冷蔵庫を、体を使って表現してください」といい、二人ずつ前に出てやらされた。 一通り終わり、次に「悲しみと喜びを表現して下さい」と隊長が言った。 人間性というのはこういう時に出てくるものだ。 口数の少ない大人しい主任がいた。 その人が突然大声で「3歳になる娘が死んだ!」と言い、泣き出した。 真に迫っていた。もらい泣きする人まで現れた。 他に「上司の前で失敗してしまった。ぼくは真面目にやっているのに・・・」と愚痴をたれる人もいた。 一般に、悲しみの表現は誰でも真に迫るが、喜びの表現は皆お笑い系になってしまう。そのギャップをぼくは楽しんでいたが、ぼくの演技は笑いを取れなかった。
午後5時になり、最後に前日作ったスローガンを怒鳴った。 長かった一泊研修は終わった。 そのときはよくわからなかったが、振り返ってみると意味のない研修であった。 ただ、一つ、どんな嫌なことでも時間が来たら終わるということを学んだ。
翌日会社に行くと、誰もが、声は森進一、動きはロボコップになっていた。
続いて、商品勉強に入った。 機能的な説明はきわめて短かったが、その後にあった実演が長かった。 班ごとに一人一人やらなければならない。 全員エプロンをつけて行った。 作るものは、ポップコーン・べっこう飴・焼き芋・焼き魚などだった。 一班5人程度だったので、全員やらなければならなかった。 一品目を決められた時間で作りながら説明していくのだ。 普段は口の達者な者も、実演をしながら、というのは難しい。 「このボタンを押して、○分待つと、こうなります」と説明するが、こうなってくれない。 そのうち時間オーバーしてしまう。 そして、天突きが待っていた。 とくにぼくたちの班は、何回も天突きをやらされた。
さて、実演が終わると、計画立案に入った。 まず、各班のスローガンを決めることから始まる。 そして具体的な、売上計画や活動計画を立案する、といったものだった。 スケジュールでは、計画立案は午後10時から午前1時までということになっていた。 それまで余った時間(1時間半ほど)を、大声を出すための時間に充てていた。 左足を前に出し右手を上げ(エイエイオーのポーズ)、「やれば出来る!やらねばならぬ!電子レンジキャンペーン!」と大声で怒鳴る。 これを何度もやらされた。 最初は全員、それから一班ごと。 全員の時は、自分の声は隠れてしまうから、誰も大きな声を出さない。 それを見越して、隊長は「もう一度!」「やり直し!」で、なかなか「よし!」と言ってくれない。 気に入らない場合は、その場で天突きをやらされる。 もうさんざん天突きで足腰を痛めつけられているので、もう誰もやりたいとは思わない。 しかたなく、皆本気になってくる。 だんだんエクスタシー状態に陥ってしまう。 そしてある程度時間がたってから「よし!」となった。
今度は班ごとにやらされる。 もう全員気持ちがイってしまっているので、最初から手抜きをしない。 それでも隊長は「よし!」を言わない。 どの班も最低5回はやらされる。 うちの班は、声だしリーダーをぼくがやった。 リーダーのあとに続いて、他の人が怒鳴る。 最初は照れもあったが、もうこの時点ではすでに気持ちがイってしまっている。 元々地声は大きなほうなので、誰にも負けないつもりでいた。 が、最初からつまずいた。 先ほど、全員でやった時にのどを痛めてしまったのだ。 声が裏返ってしまった。 すかさず隊長が「腹から声を出しましょう」 腹から出しているつもりなのだが、声がついてこない。 3度目でやっと声が出たが、「もう一回」だった。 そして6度目にやっと「よし!」をもらった。
さて、各班部屋に戻り、計画立案が始まった。 わが班のスローガンは、「命をかけたこの戦!売って売って売りまくれ!」だった。
昭和56年の3月、ぼくはある大型電気専門店に就職した。 その秋、ちょうど今頃だったが、初めての泊り込み研修があった。 そのころ、会社をあげて電子レンジの売り込みキャンペーンをやっていたのだが、それを成功させるために、商品知識の勉強や販売の仕方などを徹底して社員に植え付けるための研修だった。要は自己啓発セミナーのようなものだった。 指導はシャープの“アトム隊”というところが行った。 市内の国民宿舎を借り切っての、一泊二日の研修だった。 朝早く集合して山に登り、国民宿舎に到着後、研修は始まった。
まず、研修期間内のルールが説明された。 説明はアトム隊の隊長と、アシスタント役の副隊長が行った。 隊長は目付きの鋭い、どすの利いた声の人だった。 対照的に、副隊長は優しそうな物腰のやわらかい人だった。 ルールは、 ・肩書きや敬称などを捨て、すべて名前の下に「隊」をつけて呼んだり名乗ったりすることが義務付けられた。 例えば「しろげさん」と呼ばずに、「しろげ隊」と呼ぶ。 ・名前を呼ばれたら必ず大きな声で返事をする。 ・研修場に入る時は、大きな声で名前を名乗って入る。 例「しろげ隊、入ります!」 以上、声が小さかったり、聞き取りにくかったりした場合は、「やり直し!」となった。 三回やり直しになると、バツとして天突き体操をやらされる。 天突き体操とは、スクワットのことである。 ・何班かに分け、班ごとに行動する。 ・1,2時間に一度のわりで休憩時間を設けるが、遅刻して入室した場合、遅れて入ってきた人の班全員で天突き体操を行わなければならない。 ・班ごとの競争で、負けたほうは天突き体操をしなければならない。 ・・・などである。 説明後、アトム隊の隊長が「じゃあ、声を出す手本を見せます」と隊長は副隊長の名前を呼んだ。 すると、優しそうな物腰のやわらかい副隊長は、急に人が変わったようにシャキッとなり、大声で「はい!」と言った。 これを何度も何度も繰り返した。 すると、副隊長がだんだん何かにとり憑かれたようになり、突然目の色が変わった。完全にイってしまっている。 隊長のほうは、最初からイってしまっている。 ぼくたちは、あ然として二人を見ていた。 異様な光景を見た後、今度はぼくたちが「はい!」の練習をさせられた。 それが終わってから、隊長が「今度は天突き体操をやってみましょう」と、先頭を切って天突きを始めた。 最初は10回ほどで、大したことはなかったのだが、あとでこれを嫌と言うほどやらされることになる。
いかん! 今スカパーで「東京裁判」をやっている。 どうも、こういうのをやっていると見入ってしまう。 おかげで日記の手が進まない。 この裁判で、日本は侵略国家と位置付けられてしまったのだが、帰国後、マッカーサーは「東京裁判は誤りだった」と述べ、「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と日本を弁護した。 それならどうして、今回のテロ事件で“パールハーバー”を引き合いに出すんだ。 ちゃんと日本側の弁護人も、「仕組まれた戦争だ」と述べているじゃないか。 太平洋戦争とパールハーバーは別物なのか! お前らの軍事拠点を攻めて何が悪い! お前らは軍事拠点以外を攻めたじゃないか! あ、こんなことしている暇はない。
いかん! さっきから腹が張っている。 食べ過ぎたようだ。 先月の末から、どうも腹の調子がおかしい。 これで痩せてくれたら、腹痛様々なのだが、痩せた形跡もない。 相変わらずズボンがきつい、ときている。 夏場やっていた運動も体調を壊してからずっとやってないし、寝不足は続いているし。 中年の不摂生は今後どこまで体を壊してくれるんだろう。 そういえば、あの健康診断は10月5日に決定したらしい。 それまでに体調を整えておかないと。 おお、視力回復の訓練も忘れていた。 優先順位をつけて、出来ることからやっていこう。 さて、何から手をつけたらいいんだろう? ああ、日記を書くことが先決だった。
いかん! この間書いた「国を守る、暴走族の兄ちゃん」を読んだかどうかは知らないが、彼らが今、調子に乗って猛特訓をやっている。 いざ鎌倉の時には、駆けつけてもらわないと困るが、何も人が日記を書いている時にやる必要はないでしょう。 もっと人里離れた場所でやってくだされ。 それか、本番に備えて十分に休養を取って、英気を養ってくだされ。 ぼくは充分にあんたたちの実力と行動力と将来性を認めているんだから、日記の邪魔をするな!
いかん! 明日は早出だった!
自衛隊があてにならんと、今さら嘆いてみても仕方ない。 しかし、奴らはもうそこまで来ている。 さらに、奴らと親密な関係にある、北の動向も気になるところである。 どうにかして国を守らないと。 ところで、昨日のニュースでは、英国のSASがアフガニスタンに入ったとのこと。 結局プロのテロリストとまともにやりあえるのは、ああいう特殊部隊しかないのか。 このままだと、日本は奴らのいいようにされてしまう。 こういう時マスター・キートンが現実にいてくれたらなあ、と思うのはぼくだけだろうか? 信長が生きてくれたらよかったのに、と思うのはぼくだけだろう。 しかし、こういう時ウルトラマンがいてくれたら、と思うのはぼくだけではないだろう。 そういえば、昔「そうだ!ウルトラマンを呼ぼう」と言っていたドラマ(時間ですよ、だったか?)があったなぁ。
この際、皇居や国会議事堂などの警備を、円谷プロに演出させてみるか。 警備の自衛官に、ウルトラマンやゴジラの格好をさせ、戦闘機はモスラのデザインにする。 「自衛隊は、これより三班に別れ都内の特別警備を行う!皇居周辺はウルトラマン、国会議事堂はゴジラが警備にあたる。空の警備はモスラが行う!以上」 全員「シュワッチ」 景気付けに“ゴジラのテーマ”を陸上自衛隊吹奏楽部が演奏し、特別ゲストとしてザ・ピーナツが参加して「モスラーや、モスラー・・・♪」を歌う。 異様な光景だろうなぁ。皇居周辺をたくさんのウルトラマンが警備し、国会議事堂の周りをやたくさんのゴジラが取り囲み、空にたくさんのモスラが飛んでいたら。 これにはテロリストも困ってしまうだろう。 「いったい何をやっているんだろう?」「この国は狂ってるぜ!」「元祖カミカゼは何を考えているのかわからん」などと思ってくれたらしめたものである。 さらにテレビで、ウルトラマンシリーズ、一連のゴジラやモスラの映画をどんどん放映して、いかにウルトラマンやゴジラやモスラが強いかを奴らに見せつける。 そうすればテロリストたちも「日本恐るべし!」と攻撃を諦めるだろう。
そこで追い討ちをかける。 奴らのアジト付近を、納豆とタクワンとくさやの干物だらけにしてしまう。 「た、隊長!日本は新たな毒ガスを使用しています」「こ、この臭い、たまらん」 次に、スギ花粉を異常発生させる。 「隊長、眼がしばしばするであります」「鼻が・・・」「くしゃみが止まりません」 隊長も「日本人はよくこんな所で生活できるなぁ。あの異様な格好の強い軍隊といい、下手に攻撃かけたらろくな目にあわんぞ」と国外に退去してしまうだろう。
2001年09月23日(日) |
旗を見せるだけならRマニアで充分だ |
「日章旗を見せてほしい」 この言葉に、あの男が立ち上がった。 日本テレビのT部長である。 さっそく手下のショッカーに、Rマニアを拉致させた。 場所は東京の某埠頭。 アイマスクを外したRマニアに、T部長は「これに乗って、もう一度インド洋に行ってほしい」と埠頭に繋いであったスワンボートを指差し、企画を説明した。 「この企画、やりますか?やりませんか?」 わけのわからないまま、Rマニアは「やります!」と答えた。 ここに新たな企画が始まった。 “電波少年的「米軍に日の丸をみせたーい!」”
もちろん冗談である。 それにしても、ここ数日のニュースを見て、情けない思いをしたものだ。 米空母“キティーホーク”を、海上自衛艦4隻が護衛するという。 しかし、「もし、キティホークが攻撃されたらどうしますか?」の質問に対し、返ってきた答は「逃げるしかないでしょう」だった。 おいおい、それを護衛と言うのか? それなら行くな! 資さん格さんみたいなのを護衛と言うんじゃないのか。 「この紋所が目に入らぬか」とやっても攻撃を仕掛けてくる敵を見て、資さん格さんが「ご隠居、私どもは武力を行使してはならぬ身の上。もはやこれまで」と逃げていくだろうか? そうじゃないだろう。 ちゃんとご隠居を守るじゃないか。 ただ旗を見せるためなら、Rマニアのスワンボートで充分だ。 わざわざ法を変えてまで自衛隊を出さなくても、勝手に日本テレビがやってくれる。
困ったものである。 そんな自衛隊なら国も守れないだろう。 テロリスト達も「日本という国はおかしいぞ。こちらが仕掛けても何も反応がない。そればかりか逃げてばかりいる」と思うようになるだろう。 あげくのはてに「じゃあ、ちょっと脅して日本を乗っ取ってしまおう」ということにならないとも限らない。 そうなれば、米軍の標的は日本になってしまう。 それでもいいのか! 戦時中に「竹槍持って闘うぞ」とやっていた国防婦人会のほうがよっぽど頼もしいじゃないか。 そこまでして国を守ろうとした祖先に申し訳ないとは思わないのか。 そんな自衛隊が、日章旗や旭日旗の代表選手だなんてもってのほかだ! 水戸のご隠居は泣いているぞ! 国防のおばちゃんも泣いているぞ! もういいかげんに目を覚ましたらどうだ。
よりによって、こんな日に限って早出だったりする。 いつもより1時間早く起きて、出かける準備をした。が、体が動かん。 腰が痛いのだ。 寝すぎだ。 相変わらず、頭は痛いし、腹は痛い。 微熱も続いている。 足腰がフラフラというおまけまで付いている。 こんな状態で会社に行けるだろうか。 それでも、途中何度か前の車に追突しそうになりながらも、半病人は車を運転して会社に向かった。
会社に着いてから、症状がもうひとつ加わった。 厭世観である。 誰に会っても「おはよう」と言う気にもなれない。 普段短い朝礼が長く感じる。 立っていても座っていても、だるい。 人の言うことがいちいち頭に来る。 『この先何年生きていくんだろう』とか思っている。 『リストラかなんか知らんけど、勝手に人員削減しやがって、売上減るのはあたりまえやんか!縮小などと言わずに潰してしまえ!』 『家に帰ったら、また日記の更新かぁ。毎日毎日、寝不足と戦いながらの日記の更新に、何の意味があるんだろうか? 偉そうに意見を述べる私は、いったい何様なんだろう? ネタネタと騒ぎまくるほど、重要なネタなんてあるんだろうか? 詩なんか誰も読まんし、エッセイも一回こっきりだ。 そんなに人が訪れるサイトでもないし、もうたたんでしまおうか』 『それにしても一日が長い。これからあと何千回、一日を続けていかなくてはならないんだろう。こんなこと考えるのもうっとうしい』
帰る間際に、スッと体が楽になった気がした。 それから厭世観はなくなった。 熱も下がったようだ。 まだ体は少しふらついているが、朝よりは調子がいい。 この状態のまま、家に帰った。 あとは、頭痛と腹痛が残っている。
昨日、日記を書き終わった頃から、急におなかが痛くなった。 そのまま寝ればよかったのだが、今日が休みだったので、ちょっと無理して夜更かししてしまった。 寝たのは、午前4時を過ぎていたと思う。 寝付かれないんです。 そうこうしているうちに、寒気がしてきて、寝汗をかきだした。 布団の中は、びしょ濡れになってしまい、寝るどころの騒ぎじゃなくなった。 7時過ぎにようやく、寝汗のほうはおさまったのだが、体中が痛くなってきた。 とにかく眠らないとと思い、変な夢を見ながら、横になっていた。
午後1時前に目が覚めた。 頭が痛い。 体が痛い。 悪寒がする。 腹が痛い。 微熱がある。 今日は、墓参りに行くつもりだったが、この状態じゃいけそうにない。 もう一度、寝て様子を見ることにした。 しかし、3時を回っても、症状はよくならない。 どうしようかと迷ったが、やっぱり出かけることにした。
もう、フラフラなんです。 帰ってきてからも寝ていました。 これを書いている今も、きつい。 昨日あんなこと書いたから、ついに孤狗狸さんがやってきたか。 誰か助けてくれー。
ぼくの通った中学校は、火葬場の前にあった。 夏場は窓を全開にしていたため、授業中によく煙がに入ってきた。 いつものことなので、ぼく達は何も感じなかったが、転任してきた先生などは「おお、いい匂いがしよるのう」などと言って気味の悪さをごまかしていた。 たしかに火葬場の煙というのはいい匂いがする。 魚を焼く匂いだ。 とくに昼飯前だと腹にこたえた。 しかし、弁当に焼き魚が入っていると、食べる気はしなかった。
中学3年の時だったか、学校に時計台が出来た。 旺文社の“中三時代”にそのことを書いて投稿したバカがいた。 「ぼくたちの学校に時計台が出来たんだ。これで遅刻者がぐっと減ったんだぜ」などと書いていた。 いるんですねえ、こういう嘘ばかり書いて、本に載せてもらおうという変わり者が。 家から時計台が見えるのなら遅刻も減るだろうが、校門の前まで来てはじめて時計台が見えるのである。 そこで時間を確認しても、間に合わない奴は間に合わない。 ぼくは、時計台が出来てから毎日遅刻をしていた。
ぼくが遅刻をしていたのには理由があった。 毎日“ピンポンパン”を見てから学校に行っていたからである。 当時“ピンポンパン体操”が流行っていたが、ぼくがハマっていたのは、その後のことだ。 お姉さんの酒井ゆきえが好きだったのである。 それにしても、酒井ゆきえは歳をとらない。 この間、久しぶりにテレビに出ているのを見たが、あの頃と全然変わってない。 もう40代後半のはずだが。 まだ気持ちはお姉さんなのだろうか?
中学校の近くに小高い丘があった。 そこに赤い小さな鳥居があった。そこから階段が続いていた。 ぼくは、その前を通るたびに、いつも不思議に思っていたことがある。 毎日そこを通っていたのだが、お参りする人を一度も見たことがないのだ。 友達に聞いても誰も見たことがないと言う。 そのくせ、夜になるといつも灯りがついていた。 ある日、新聞配達をしている友達が、「朝5時ごろ、あの前を通ったら行列が出来とった。みんなうつむいとるんよ。怖かった」と言っていた。 「どういう人がお参りしよるんか?」と聞いたら、「どうも孤狗狸さんにとり憑かれた人らしい」と言った。 「気味が悪いのう」とみんな言っていたが、ぼくは『そうか、孤狗狸さんにとり憑かれたら、あそこに行けばいいんか』などと一人で肯いていた。 あれから30年ほど経つが、まだ孤狗狸さんにはとり憑かれてない。
小学校の時から成績がトップで、いつも一学期の級長をやっていた奴がいた。 中学3年の時、その秀才と同じクラスになった。 修学旅行で風呂に入った時のこと。 クラスごとに風呂に入ったのだが、みんなでふざけていると、その秀才の腰に巻いていたタオルがパラッとはずれた。 秀才は慌ててタオルを拾い上げたが、ぼくはしっかり見た。 そして『秀才でも生えるんやなあ』と変に感心していた。
中学3年の時、受験勉強と称して、ぼくはある勉強を必死でしていた。 それは、国語でも英語でも数学でも社会でも理科でもなかった。 超能力の勉強だった。 目の前にろうそくを立て、精神を集中して火を消す訓練をやっていた。 『これが出来たら、合格する』と勝手に思い込んでやっていた。 2、3ヶ月続けて、何とか火を揺らすことが出来たのは、受験の前日だった。 結局その2、3ヶ月は、他の勉強をしなかった。 しかし何とか受験は合格した。 今でも、合格は超能力のおかげだと思っている。
ニュースで「神よ。アメリカに加護あれ!」と書かれたニューヨークの電光掲示板を映していた。(もちろん英語で書かれていたが) もし、日本が今のアメリカと同じ立場に立っていたとして、こういうことを書くとどうなるだろうか? 答は「こういうときに、なんと不謹慎な」と非難を浴びるだろう。 この社会は「神」を認めていない。 というより、文明とか科学というものを信じすぎている。 日本はいつから「神」を否定する国になったのだろう? 少なくとも、前の大戦の時は日本の勝利を祈って、集団で神社に参拝していたわけだから、それ以降ということになるだろう。 そうであれば、それは政教分離を謳った憲法が多分に影響しているのだろう。 ということは、当然今の憲法を押し付けたアメリカが絡んでくる。
徹底した神の国であるアメリカが、どうして日本に神を許さなかったのだろうか? 自分のところの神だけが神と思っているのだろうか? 日本の神が戦争に走らせるとでも思ったのだろうか? ということは、お稲荷さんも戦争に走らせる神ということになるのか?。 それなら、狐は悪の根源ということになり、油揚げすらも危険な思想ということになってくる。 富士浅間神社というのがあるが、富士山も戦争に走らせる神か!? だから世界遺産に入れなかったのか? じゃあ、なぜ憲法に富士山を見たり登ったりしてはならない、と書かなかったのか? 新潟県新穂村に「ちんぽこ神社」という所がある。これも戦争に走らせる神か!?
今回の事件で、ブッシュ大統領は「神」を連発している。 日本の政治家が公式の場で「神」と言ったらどうなるか。 例えば、小泉さんが「お稲荷さんが『自衛隊を派遣せよ』と言うので、そうすることにします」と言ったら、辞任しなければならない。 塩じいが「景気をよくするために、国民はみな白装束で富士山に登りましょう」と言ったら、間違いなく更迭されるだろう。 真紀子大臣が「ちんぽこ神社の神様から『新潟のコンサートに行け』というお告げがあったので、選挙演説を適当に切り上げ、コンサートに行きました」と言ったら、「好き者」と言われ謹慎させられるだろう。 それもこれも、わが国に「神=不謹慎」という社会の風潮があるからだ。 国会で堂々と神を語れる時代が、一番平和な時代だと思うのですが。
2001年09月18日(火) |
小泉、ジャニー会談を実現させよう |
米国支援、今回は金銭面だけ支援するというわけにはいかないだろう。 そこで問題になるのが、いつものように自衛隊である。 自衛隊派遣ともなると、内外からの反発が当然出てくるだろう。 内から平和仮面のみなさん、外からは近隣諸国(といっても中国と韓国だけだが)の方々、例によって例のごとくである。 しかし、今回ばかりは彼らの反発を受け入れてはならないだろう。 なぜなら、自衛隊の派遣をしないと、今後日本は国際社会で孤立してしまう恐れがあるからである。これこそが、国益を損なうことである。 これは、体育祭に何も協力してない奴が、打ち上げパーティーに参加するのに等しい。どこにも席を設けてくれないだろうし、「なんかあいつは!何も協力してないくせに、こんな時だけ参加しやがって」と陰口を叩かれる。 そうならないためにも、何らかの形で、自衛隊を派遣しなければならない。
この際、自衛隊をジャニーズ事務所の所属にしたらどうだろうか? 女性を中心に国民の圧倒的な支持を得られること請け合いだ。 ジャニーズ事務所なら民間企業であるから、平和仮面たちも文句をいえない。 普段言論の自由を口にするマスコミも、ジャニーさんのご威光には逆らえない。 新聞や週刊誌は“「シブがき隊」「少年隊」に続く「隊」シリーズ第3弾「自衛隊」。デビューは、なんとあのアフガニスタンでの便乗ライブ!”という見出しで、自衛隊派遣を好意的に書くだろう。いや、好意的に書かざるをえないだろう。 ジャニーさんのご威光に逆らうことは決して出来ないのだから。 天下の朝日新聞といえど、ジャニーさんを敵に回すようなことはしないだろう。 「陸上自衛隊」は「DASH!」、「海上自衛隊」は「波乗りジャニーズ」、「航空自衛隊」は「TOBIO」と名称を変更。 「自衛官」も「メンバー」という名にすれば、波風が立たない。 例えば、「海上自衛官」は「波乗りジャニーズ・メンバー」となる。 これで、政府も憲法第9条をいじらなくてすむし、自衛隊法も、民間ということになれば無効になる。 ということで、国会を通すことなく自衛隊を派遣できるだろう。 しかも、国民の総意というおまけまで付いて。
そのためにも、小泉首相・ジャニー喜多川会談を、早い段階で実現させなければならない。
2001年09月17日(月) |
日本の安全を考える ― これで日本は安心だ |
テロ事件の起こったアメリカを尻目に、日本人は安穏とした生活を送っている。 しかし、ここでもし、第三国からの攻撃があったらどうするんだろうか? もちろん今の法律では、自衛隊を思うように動かせない。 仮に動かせたとしても、実戦を積んでない自衛隊に勝ち目は少ない。 なら、どうする? このまま手をこまねいて、侵攻を許してもいいのだろうか?
そこで今日は、日本の安全対策について考えることにする。 日本は四方を海に囲まれた国である。 第三国が侵入してくる場所は、空と海しかない。 自衛隊が使えない以上、国民の手でこれを守らなければならない。
まず空からの攻撃に備えてだが、これには携帯電話を使う。 敵国の戦闘機やミサイルの攻撃の日時を、霊能者や超能力者や占い師や競馬等の予想屋に予想してもらう。 それらの人の予想が一致した日時に、GLAY・モー娘・ジャニーズ系などのコンサートや日本シリーズなどメジャーなイベントのチケットを、全国一斉で予約開始するのだ。 これは、iモードなどの携帯電話のみの受付けにすることが絶対条件である。そうしないと意味がなくなる。 敵の攻撃開始とともにチケット予約を開始した日本の空を、電磁波が覆う。 戦闘機の計器やミサイルのセンサーは当然狂いっぱなしになる。 そして、海の藻屑と成り果てるのだ。 空の攻撃に関しては、予想さえ外れなかったらまず大丈夫。 そのためにも、優秀な予想屋を育てなければならない。
次に海からの侵入だが、これは大丈夫だ。 毎日毎日、その日のために夜中に猛特訓している人たちがいる。 行動は素早いし、乱闘にも慣れている。 いつも命を張っているので度胸も据わっている。 こんなありがたい人たちが、今の日本にはいるのだ。 その人たちとは? そう、暴走族の兄ちゃんである。 兄ちゃんたちは、毎日海に行くぐらいだから、よっぽど海が好きなのだ。 その好きな海を荒らす人間がいたら、ただではおかないだろう。 角材や鉄パイプやチェーンを持って、速攻海に向かう。 その際、沿道の人は旗を振って、拍手で送らなければならない。 そうすれば、兄ちゃんたちの力は何十倍にもなるだろう。 兄ちゃんたちのレベルアップを図るためにも、警察はもっと彼らを鍛え上げてやらなければならない。
あとは外交問題であるが、これはタクシーの事故係に任せよう。 交渉事はお手の物である。 うまくいけば、国民すべての休業補償も確保できる。 手締めは、やくざにさせればいい。
うん、これで日本は安心だ。
小泉首相の“米国支持”や有事法制整備への意欲な態度を受けて、いつものように土井のおばさんや朝日新聞が反対している。 土井のおばさんは「悪乗りはおかしい」とのたまい、朝日新聞は「報復の無益さを諄々と米国に説く。つらいことだが、それこそ友人の務めではないか」と書いている。 おいおい、子供相手の人生相談じゃないんだぞ。こんな毎日日曜日の人が口にするようなことが、一政党の党首や天下の大新聞の意見なのか?情けない。
はいはい、わかってますよ。その根底にあるのは憲法第九条でしょ? 「憲法第九条」・・・有事とか自衛隊とかいう言葉が出たら、決まって彼らの口から出てくる言葉である。 しかしそれは方便である。 実は彼らには、日本が戦争に関わったり自衛隊を軍隊として認めたりすると困る国が後ろについている。だからいつもその言葉を口にするのである。 その国は、靖国参拝や教科書問題に異常に反応し、それらすべてを「軍国主義」に結びつける。 言うまでもなく、その国とは中華人民共和国であるが、その意図は何か? それは、日本を骨抜きにしたいからである。 そしていつも優位に立っていたいからである。 彼らは日本の強さを充分に知っている。 日本軍復活ともなれば、領土問題等に支障が出るのは目に見えている。 とにかく、彼らにとって日本とは、目の上のたんこぶなのである。
この日本骨抜き工作は、実は以前からあったのだ。 終戦後、多くの日本兵が中国の捕虜となった。 その時彼らが、捕虜に施したのは、 「日本人、こういう悪いことしたある」 「日本人、中国に損害を与えたある」 「日本人、南京で多くの人殺したある」 「日本人、・・・ある、ある、ある!」・・・ という洗脳工作であった。 中国人たちは周恩来に尋ねた。「どうしてこんなことばかりするんですか?一思いに殺してしまえばいいのに」と。 その時、周は「今はわからなくていい。50年したら結果が出る」と答えたという。 そして50年後、結果が出た。 いま、日本では結果人たちが暗躍している。
その結果人のことを、ぼくは「平和仮面」と呼んでいる。 表向きの平和主義者、実は「国を売ろう」「戦争を起こそう」としている人たちである。 平和仮面はあらゆる分野で活動している。 平和仮面は日本が戦争に走ったのを、祖先だけのせいにしている。 平和仮面は広島・長崎への原爆投下をも、祖先のせいにしている。 平和仮面は歴史を歪曲する。 平和仮面は子供達にイデオロギーを教え込む。 平和仮面は中国政府の意に添うように行動する。
早く平和仮面たちの目を覚まさせないと、この国は大変なことになる。
トイレ(個室)に入っていると、突然携帯電話が鳴り出した。 幸いトイレにはぼくしかいなかったので電話を取ったが、それでも声を落として話した。 実際この場面、他の人ならどういう対応をするんだろうか? 入室前にバイブとかマナーモードにしているんだろうか? 鳴ったと同時に、切ボタンを押すんだろうか? それとも、普通に電話に出て、大胆に話すんだろうか?
ところで、携帯の着信音は、人それぞれに個性が出ているので、それが鳴ればすぐに誰だかわかってしまう。 ぼくの場合は“電波少年”にしている。 もし今日みたいな場面で知っている人がトイレをしていたら、「ほう、今しんたが入っているのか」とすぐにわかってしまう。 それがもし意地の悪い人だったら、ぼくに「ちゃんとお尻拭いてきたか?」などと言いかねないだろう。
トイレに関しては、過去にいろいろ事件があった。 一番多かったのは、トイレの電気を消されたことだ。 心地よく座っていると、突然真っ暗になる。これほど不安で情けなくなることはない。 前にいた店で、よくこの被害にあっていた。 入口に“節約のため、使用後は電気を消しましょう”と書いていたため、みんな自分の使用後に電気を消すくせがついてしまっていた。 男子トイレの場合、個室の扉が閉まっていることはめったにないので、たまに閉まっていても、つい見逃してしまうのだ。 「おーい」と叫んでも、その人はもう立ち去ってしまっている。 今なら携帯電話を持っているので、外部と連絡を取れば何とかなるのだが、以前はそんな手段はなかった。 そんな時どうしたかというと、とりあえず納得いくまで拭きあげ、耳を澄まし、誰も来てないことを確認してから、おもむろに立ち上がり、中途半端にパンツをあげ、鍵を開け、ダッシュで電気をつけに行く。この時、がに股で走ることが肝要であることは言うまでもない。 その後、再び個室に戻り、最後の仕上げをするのだ。
次に多いのが、紙事件である。 ひととおりの作業をして、さて仕上げ、という時に紙がないことに気づく。 これはショックだ。 この場合は、冷静にならないと事は解決しない。 焦ったら大変なことになるだろう。 まず、周りを見渡して、利用できるものはないかよく確かめる。 それで対処できない場合は、所持品をチェックする。紙系を持っていたらしめたものである。その意味でも、手帳というのは必需品だというのがよくわかる。 もし紙系を持ってなかったら・・・ ・・・よく手を洗おう。
他にも、個室に入って「さて今から始めよう♪」という時に、掃除のおばちゃんが入ってきて、掃除を始めた。とか、中途半端な状態で鍵をかけていて、他の人が開けた ― この場合、不思議とおたがいに目を合わせ笑顔になる ― とかいろいろな事件に巻き込まれた。 これから先も、また新たなトイレ事件は起こるだろう。 これは、生きてく上で決して避けては通れない、人間の宿命である。
裁判所に行った。 7月2日の日記に書いたK楽器倒産の件で、裁判所が債権届出書を提出しろと言ってきたのだ。 裁判所に行くのは初めてだった。 だいたいの場所は知っていたのだが、どの建物が裁判所なのかは知らなかった。 最初に「ここだろう」と車を突っ込んだ所は、なんと拘置所だった。 裁判所は隣の建物だった。 車を停め、裁判所の中に入ったのは12時半だった。 受付には誰もおらず、どこに行っていいのかわからなかった。 とりあえず、どこに行ったらいいのかを聞こうと思って入口近くの部屋に入った。 その部屋にはたくさんの職員がいたが、ぼくのことは無視であった。みんな談笑していたから、こちらから声もかけにくい。 2,3分そこにボーっと立っていたら、ようやく女性の職員が声をかけてきた。 「何ですか?」 「いや、書類を提出してくれという通知が着たので、持って来たのですが」と言うと、「ああ、それは3階です。そちらに行って下さい」と迷惑そうな顔をされた。 最近は区役所でも12時台の受付をやっている。 ぼくが知っている範囲で、その時間帯に受付をしないのは職業安定所ぐらいだが、それでもちゃんと“昼休み12〜13時”とか“13時から受付けいたします”ぐらいは書いている。 ここはその表示がない。 迷惑顔の職員も、「13時までは休憩ですから、その時間に行って下さい」などとは一言も言わなかった。 それに普通、知らない人が部屋に入ってきたら、すぐに「何か御用ですか?」ぐらいは聞くはずだが、それもない。 弁護士などの関係者以外で、裁判所にしょっちゅう行く人なんか多くはいないだろう。 おそらく、裁判所は初めてという人のほうが多いはずだ。 そういう人のために、ちゃんと休憩時間を表示し、もっと機敏に応対するのが最低のルールではないだろうか。
職員の休憩後、3階の破産係というところで手続きをした。 担当の人は、先ほどの人たちとは逆で、親切にいろいろと教えてくれた。 言葉尻から、損害額の返済は期待しないほうがいい、というのがわかった。 債権者集会が来月行われるから、言いたいこと聞きたいことがあれば来てくれ、と言っていた。が、倒産したK楽器の経営者は、暴力団関係からも金を借りていたらしく、おそらく姿をあらわすことはないだろうということだった。 ぼくとしては行く気はない。 最初の応対の態度の悪さで頭に来ていたのと、トイレに行く時に見た、第○法廷室とか傍聴席入口などと、部屋の入口に書かれていたのを見てあまりいい気持ちはしなかった。 「もう二度と来ることはないだろうな」と思いながら、裁判所を後にした。
危うく“キッズ・ウォー3”を見逃すところだった。 昨日の特番のために、昨日の放送分が今日にずれこんだ。まあ、これはよくあることなのだが、なんと今日の放送分を午後4時30分から放送したのだ。 なぜ、こういうことをするのだろうか? 放送を一日ずつづらして、土曜までやればいいことじゃないのか。 昨日といい今日といい、視聴者を完全に無視しやがって。
実は、ぼくは新聞のテレビ欄を見てなかったので、このことを知らなかった。 会社で番組を見ていたら、放送途中にその旨のテロップが流れたのだ。 さっそく家に電話し、録画を頼み、家に帰ってから見ることが出来た。 いつものように、ビデオの録画予約だけを頼りにしていたら、今日の分は見ることが出来なかっただろう。
ぼくのような勤め人や学生は、この番組を見るためには、どうしてもビデオに頼らなければならない。 しかし、今日みたいな変則的なことをやられると、テレビ欄をチェックしない人、新聞をとってない人、TVガイドしか見ない人は、追加で放送することを知ることが出来ない。したがって、突然追加の放送なんかやられると、その時間帯の録画予約は当然できない。 家に帰って、ビデオを見て、初めて今日の放送分を4時30分からやったことを知ることになる。 で、明日は一話飛ばして見なければならなくなり、フラストレーションがたまることになる。 その結果、以下のような展開になることが予想される。 「連続ドラマはこういうことがあるから嫌いだ。“徹子の部屋”や“スタジオパーク”は一回完結だから罪がない。やっぱりそちらを見ることにしよう」という人が出てくる。 そして、テレ朝やNHKに視聴率を持っていかれることになる。 そうなれば、スポンサーはその時間帯の連続ドラマの打ち切りを要求する。 「視聴率の稼げない連続ドラマなどはやめてしまえ! おたくも“徹子の部屋”みたいなのにしろ。そうしないと契約を打ち切るぞ!」と言われ、結局この時間帯は各局似たり寄ったりのトーク番組だらけになってしまい、誰もこの時間帯にテレビを見なくなるだろう。 もしそうなったらどうするんだろうか?
それもこれも、元はと言えば、色気を出して、昨日のような目くそ鼻くそ番組をやるからいけないんだ。 テレビ局はいったい視聴者を何だと思っているのだろうか? 「視聴者も当然テロ関連の放送を見たいはずだ」という勝手な思い込みは、やめてほしいものだ。
ところで、今日“キッズ・ウォー3”見逃した人のために一言。 吉野先生はロリコンでした。
2001年09月12日(水) |
本当にニューヨークで起こったのか!? |
テレビや新聞でもいっていたが、まるで映画を見るようだった。 「ブルース・ウィルスはいつ登場するんだ?」と思いながら見ていた人もいるのではないだろうか? ぼくなんかニュースの最後に「ハリウッドの映像をお楽しみいただけたでしょうか」とオチがつくんじゃないか、と半分期待していた。 こういう惨事も画面を通して見ると、フィクションに見えてくるのが不思議だ。 現場にいる警察官や逃げ惑う人の姿は、本当に映画のワンシーンを見るようだった。 逆の見方をすれば、今の映画というのは実に現実味を帯びている、ということになる。
ところで映画と言えば、今回の事件は一連のアメリカ映画がヒントになったのではないか?とぼくは思っている。 それは、テロの手口があまりにもアメリカ映画らしい発想だと思えるからだ。 犯人はアラブ系の人間だと言われているが、彼らもアメリカ映画を見たことはあるだろう。それをイメージしたとしても何の不自然もない。 もしそうであれば、今回の事件はアメリカの文化の一部だといえる。
さて、今回の事件はアメリカ史上初の本土攻撃ということだ。 その、怒りや憤りは計り知れないものがあるだろう。 しかし、56年前、アメリカは今回以上の規模の破壊活動を日本各地で展開していたのだ。それを忘れてはならない。 ブッシュ大統領は「アメリカは屈しない!」と言っていたが、56年前の日本も同じ気持ちではなかったのだろうか? 今回の事件を通して、アメリカ人は、56年前の日本人の痛みを知るべきだ。 そして謝罪しろ。 それと、パールハーバーを引き合いに出すのはやめろ。 パールハーバーの際、日本海軍は民間には銃を向けてないのだから。
ところで、NHK教育とテレビ東京系以外の放送局は、朝からこればかりやっていた。どのチャンネルを回しても、似たり寄ったりの内容だった。 こういう放送は、NHKに任せておけばいいじゃないか。 誰が民放にこの手の番組を求めるだろうか? 視聴者が楽しみにしている、ドラマやバラエティーをとりやめてまで、目くそ鼻くそ番組を流す必要があるのだろうか? NHKでさえ“ちゅらさん”と“大相撲”はやっていたぞ。 おかげで今日の“キッズ・ウォー3”が見れなかったじゃないか!
2001年09月11日(火) |
蚊ならまだ許せる ダニの痒さかな |
脚のつけ根に、キスマークのように赤くなっているところがある。 二週間ほど前に出来たものである。 場所が場所だけに、キスマークなら男の勲章でもあろうが、実はこれダニに噛まれた痕なのである。 毎年この時期になると、いつもダニに悩まされる。 今現在ここと合わせて二ヵ所、ダニに噛まれている。 あとの一ヵ所はお尻である。 家にいるときは、あまり動かないので汗もかかないし、トランクス一枚でいるから患部に触れることもないので、あまり気にはならない。 しかし、一歩外に出ると事情は変わってくる。 汗をかくし、ズボンがいやというほど患部を擦ってくれるので、痒くてたまらなくなる。 最初のうちは我慢していたのだが、一度痒さに負けて掻いてしまうと、もうたまらない。 何度も何度も、かきむしるほどに掻いてしまう。 おかげで患部はキスマークのように真っ赤になってしまったのだ。 いや、真っ赤というよりは、熟した柿のような色になっている。 ここまでになると、治ったあとにもあざが残るだろう。 ダニに噛まれたときの痒さというのは、蚊の比ではない。 ネチネチといつまでもしつこい痒みが続く。 ムヒを塗ろうが、爪で×印をつけようが、なかなかその痒みは止まらない。
まあ、今年は二ヵ所の被害ですんでいるのだが、東京に住んでいた頃ひどい目に会ったことがある。 時期もちょうど9月の今頃。 それは夏休みが終わり、北九州から東京に戻った日に起こった。 その日、ぼくは飛行機の都合で夜遅く下宿に着いた。 朝から何も食べてなかったのだが、旅の疲れからか食欲もなく、布団を敷く気力もなかった。ましてや、一ヶ月間空けた部屋の掃除などする気はさらさらなかった。 それが命取りになった。 今と同じくトランクス一枚姿で、畳の上に寝転び、そのまま寝てしまった。 翌日、背中が急に痒くなった。 ぼくは「大したことないやろう」と思って、気にしないでおいた。が、それにしても痒い。 これはおかしいと思ったぼくは、友人に「どうなっとる?」と背中を見せた。 「おおーっ。こりゃひどい。病院行ってこいよ」と言われた。 友人の話では、背中一面に斑点が出来ている、ということだった。 ぼくは皮膚は弱いほうではないので、病気ではないという確信はあったのだが、痒みの原因が掴めないでいた。 下宿に帰って、「もしかしたら」と畳に目を落とした。 埃が浮かんでいる。 「・・・ダニだ」初めて理解した。 それから“マイペット”を買ってきて、原液を畳にふりかけ、何度も何度も畳を拭いた。 それでダニは全滅したようだが、痒みはその後一ヶ月以上続いた。 今日のタイトルはその時作った句である。
・・・な、なんだ、この映像は!! こんなのんきなことを書いている暇はない。 早く鎖国せんと日本も危ない!
先日、サンフランシスコ講和条約・日米安保条約五十年の記念行事に田中外務大臣が出席していた。 あいかわらずお詫びばかりしている。 こうお詫びばかりしていたら、当時戦場で犯した行為に罪の意識を持っている元米兵が「おれは悪いことをしたとばかり思っていた。でもあの罪も元はと言えば、やつらのせいじゃないか。ジャップが戦争さえ仕掛けてこなければ、ああいうことも起きなかった。謝っているんだからやつらもそれを認めたんだろう。この際、慰謝料を請求してやろう」と訴訟を起こすということにもなってくる。 個人単位でこれをやっていたらどうなるか? 当然日本は破産してしまうだろう。 世界の外交の場で、戦争責任といって50年以上もお詫びしている国なんて、おそらく日本ぐらいじゃないのか。 個人でやるお詫びというのは美徳ということもありうるが、国際外交の場では、それは一切ないといっていい。 お詫びは賠償金には繋がるが、決して国益には繋がらない。
ところで、賠償金というのは国民の税金で賄われている。 ということは、お詫びが税金の無駄遣いをさせているのだ。 政治家は内部の微々たる遣いこみに血眼になるよりは、こういう無駄金を使わないように努力しないと。 そのためには中韓から押し付けられた歴史ではなく、ちゃんとした正しい歴史の認識をしなければならないだろう。 他国からの歪曲された歴史を鵜呑みにして、賠償金を払っているのが現在の日本の姿だ。 それもこれも、すべてはわが国の外交下手から始まっている。
昨日、高校時代の先輩に会った。 先輩もぼくと同じように、日本の外交下手を嘆いていた。 けっこう長い時間話していたが、結局二人の一致した意見は「鎖国をしよう」ということだった。 いくら国としてのレベルが高くても、外交が下手では話にならない。 いくらこちらが強気に出ても、「太平洋戦争」という外交カードを使われたら、シュンとなる国である。 「でも、これが国民性なんだから」というのなら、もう救いようがないじゃないか。 こんな外交ならやる必要はない! 日米安保もやめてしまえ! 国連もさっさと脱退してしまえ! 今すぐに鎖国の準備をしろ! もう一度、長崎に出島を作れ!
1976年の9月9日、日本列島は台風が吹き荒れていた。 その日の午後、テレビで速報が流れた。 何だろうと見てみると、“中国の毛沢東主席死去”と書いてあった。 「そうか、毛沢東が死んだか」とぼくは思ったけど、特に何ということはなかった。 翌朝の新聞には、そのことがでかでかと書いてあった。 でも、予備校生のぼくたちの間では、そのことが話題になることはなかった。
さてその日、予備校からの帰りに喫茶店に寄った。 一人客がほとんどだったが、一組だけ男女5人ぐらいのグループがあった。 歳は20代前半ぐらいだったろうか。 その中に一人、大きな声で話す女がいた。 口調は妙にバカ丁寧で、上品ぶり、小難しい単語や外来語ばかり並べていた。 それが鼻についた。 他の客は静かにしていたが、その席だけが盛り上がっている。 とくにその女はノリにノッている。 仲間が合いの手を入れてやるので、調子に乗ってしゃべっている。 「そういえば、毛沢東死んだんだね」と仲間の一人が言った。 その女は毛沢東死去のことを知らなかったらしい。 大げさに「ええーっ!!」と驚き、「毛首相、お亡くなりになったのぉ?」と言った。 言い間違いだろうとぼくは思った。 でも、何度も何度も「毛首相が、毛首相が」と言っている。 『首相じゃないだろうが!』とそこにいた人全員が思っただろう。 彼女の仲間は誰も訂正してやらなかった。 もしかして、彼らは彼女のことを嫌っていたのかもしれない。
時々この手の人に会う。 話すのは勝手だが、知ったかぶりはいかん。知ったかぶりは! ウチの店のアルバイトで、このサイトの題字を書いてくれた甘栗ちゃんという女子高校生がいるが、その子は自分が何も知らないということを充分に自覚している。 よくしゃべる子ではあるが、自分の知らない話には決して首を突っ込んでこない。 別に丁寧にしゃべらなくても、上品じゃなくても、小難しい言葉や外来語を知らなくても、甘栗ちゃんみたいな人のほうが、本当の意味での賢さを持っていると思うし、人好きもすると思う。 甘栗ちゃんは「小泉首相」のことを「小泉しゅそう」と何度も言うが、全然鼻につくようなことはない。
2001年09月08日(土) |
東京にいた頃に見た有名人 |
今日は休みだったのだが、特にすることもなく、昔の日記なんかを読んでいた。 まったく、ろくなことを書いてない。 『よくこんなくだらんこと考えていたなあ』と思えるものばかりだ。 これでは“古い日記”というコンテンツを作ることはできない。
それはそうと、古い日記を見ていると、たまに「おっ!」ということが書いてある。 なんと、昭和54年の今日、バイト先で中原理恵に会っているのだ。(会ったというより、見たといったほうが正しいだろうが) 昭和54年、ぼくは東京の新宿丸正というところでアルバイトをしていた。 “東京ララバイ”がヒットした翌年だから、まだまだメジャーな人だった。 別にイベントがあったわけではなく、そこに買い物に来ていただけだった。 その日の日記には、 “「中原理恵が店に来ている」というので店内に行った。レジのところにジーンズをはいた痩せた女が立っていた。Kに「あれか?」と聞くと、「おう」と言った。「なーんか、ただのねーちゃんやん」とぼくは思った。・・・” と書いてある。
そういえば、東京にいた頃、芸能人を何人か見たことがある。 御茶ノ水駅前で、中谷一郎(水戸黄門の風車の弥七役の人)を見たのが最初だった。 次が、宍戸錠だった。 その頃、女子プロ野球の「ニューヤンキース」というチームがあった。 女子プロ野球とはいうものの、別にそういう機構があったわけではなく、芸能人チームやプロ野球OBチーム相手に野球をやっていただけだ。 フジテレビがやっていたチームで、のちの“おニャン子クラブ”の野球版と思ってもらったらいいと思う。 その「ニューヤンキース」にぼくの知り合いが所属していた。 「今度出場するから、しんたさんも見に来て」と言われ、神宮球場まで見に行ったのだが、その時の相手が「日活OBチーム」だった。 神宮球場で開場待ちをしている時に、ほっぺたの大きな人がぼくたちの横を通り過ぎていった。 それが錠さんだった。
中原理恵を見た少し前、たしか7月だったと思う。 凄い人を見た。 それも50センチ位間近で。 その日の昼食後、代々木の街を歩いていると、反対方向から一人の男性が歩いてきた。 ちょっと背の低い人だった。 すれ違う時、横目でその人を見たのだが、それこそ「ちかっぱ、いい男」なのである。 その人は車道に降り、停めてあったサバンナRX7に乗り込んだ。 いっしょにいた友人に「いい男やったのう。芸能人かのう?」と聞くと、「見てなかった」ということだった。 『誰だろう?』と思いながら歩いていると、その辺にたむろしていた女の子たちが、「かっこよかったねえ」「映画のロケだって」「やっぱりRX7だったね」などと言っている。 そういえば、その日代々木で“太陽を盗んだ男”のロケをやるといっていたのを思い出した。 『・・・ということは、あの人はジュリー!』 沢田研二といえば、前に日記にも書いたが、ぼくのヒーローの一人だ。 それから数ヶ月の間、ことあるたびに「おれ、ジュリーに会った」と触れ回っていた。 今でも、その時の状況やジュリーの顔をしっかりと覚えている。
その後も、岩崎宏美や仁科明子のお母さんや作家の田中小実昌などを見たが、ジュリーほどの衝撃は受けなかった。
東京に住んでいた頃、有名人を見たのはそのくらいだったか? もっと見たような気がしたのだが。 それでも、東京に行く前の20年間に見た有名人の数よりは多い。
2001年09月07日(金) |
若い人コンプレックス |
先日取引先の人が来て、愚痴をこぼしていた。 その人は30代なのだが、突然「20代の人と、どうも話が合わなくて。やっぱり年ですかねえ」などというので、ぼくは「別に若い人に迎合せんでもいいやん。逆に自分の世代をしっかり自慢したらいい」と言った。 でも彼はしっくりしない顔をしていた。 いったい何を基準に生きているんだろうか? 何か20代に合わせなくてはならない理由があるのだろうか? 合わなかったら合わないでいいじゃないか。 ぼくなら絶対に自分から合わせるようなことはしない。 逆にそいつらがこちらに合わせるようにするだろう。 ぼくは若い人に何の引け目も感じてないし、別に気に入られようとも思っていない。 無視されても、「こちらが興味がないのだから、あちらも興味を示さないんだろう」くらいにしか思うわない。 相手にいくら実力や才能があろうとも、こちらには一日の長があるのだ。 それだけ「生きる」という悩みを経験しているのだ。 ぼくは何のとりえもない男だが、その自信だけはある!
「あんたもしかして、カラオケに行ったら、最近の歌ばかり歌うんやないんやろうねぇ?」と聞くと、意外だという顔をして「はい、ほとんど最近の歌を歌いますけど・・・」と言った。 「何で、自分たちの世代の歌を聞かせてやらんとね」と言うと、「いや、みんな知らないだろうから。場が白けると思って・・・」と答える。 『かー、こいつはあほか!』 ぼくは最近の歌を単に知らないというのもあるが、知っていても気に入らない歌なら絶対に歌うことはない。 だいたい今の歌は、ぼくたちの世代の歌があったからこそ生まれたものである。 今の歌の原点を聞かせて、何で白けることがあるだろう? 若い人は、みんなが同じ歌ばかり歌うから、逆に白けるのではないのだろうか? ちゃんと自分たちが一番輝いていた時代の歌を聞かせてやれよぉ。 若い奴も、きっとそれを望んでいるんだろうから。
しばらくの会話のあと、彼は帰って行った。 結局彼はいつまでも“若い人コンプレックス”から抜け出せないだろう。 後姿に、何も誇るものがないように見えた。
ぼくは、KBCの和田安生アナウンサーのしゃべりが好きで、通勤時にはいつも“びっくりパワーシャベル”というラジオ番組を聴いている。 この人は、とにかく切り返しのうまい人で、共演の宮本アナウンサーへのいびりとも受け取れるやりとりが大変面白い。 それはさておき、この番組には毎週テーマがあるのだが、今週のテーマは“あぁ 青春のポップス”である。(この企画で、先日チューリップの財津和夫が出ていたわけだ) さて、今日はその絡みからか、放送開始のしょっぱなから、吉田拓郎の“ペニーレインでバーボン”を流していた。 ぼくとしては「おっ!」という感じだったが、それにしてもこの歌がかかるとは。 拓郎世代のぼくとしては、すんなり入れる曲なのであるが、はたして今の若い人たちはこの歌を聞いてどういう受けとめかたをするのだろう? 和田アナは「思わず口ずさんでしまいました」と言っていたが、そうだろう、彼はぼくと同い年なのだ。 おそらく若い宮本アナは「なんだ、この曲?」だったのではないだろうか? この歌は、拓郎が言いたいことをがなっているだけの歌であるからだ。 こういう歌は、`70年代を体験してきた人にはよくわかるのだが、それ以外の人はおそらく「?」なのではないだろうか。
“ペニーレインでバーボン”、この歌が流行ったのは高2の時、ちょうど修学旅行の頃だった。 この歌のおかげで、原宿のペニーレインは修学旅行生であふれていたらしい。 残念ながら、ぼくたちの学校は東京には行かなかった。 ぼくはバスの中でギター片手に“ペニーレインでバーボン”を歌いながら、「東京に行きたかったなあ」と思ったものである。
まあ、修学旅行の想い出は別の機会に語るとして、今日は“びっくりパワーシャベル”のゲスト(?)として、春日市の美容師さんが出演していた。 夫婦で拓郎ファンらしく、美容院の名前は“ペニーレイン”、長男の名前は“拓郎”ということであった。 「そういえば・・」とぼくはHさんという人のことを思い出した。 前に勤めていた会社に親会社から出向で来ていた人だったが、無口で愛想がなく、いつも怒ったような顔をしていた。 大酒飲みで、いつも二日酔いで会社に来ていた。 時には、実演中の洗濯機の中に吐くこともあった。 このHさんの息子の名前も“拓郎”だった。 Hさんも大の拓郎ファンで、子供の名前も吉田拓郎からとったということだったが、“拓郎”という名をつけたのは単に「拓郎ファンだから」という理由だけではなかった。 実は、拓郎のコンサート(篠島コンサートの時か?)に行っていたH夫妻が、コンサートの最中に急に催して、その場でやってしまったらしいのだ。 “拓郎”と名付けたのは、その時の子だから、というのもあるということだった。 拓郎も後のコンサートで「ぼくのコンサートで興奮してしまい、やっちまった奴がいる」と言っていたから本当のことだろう。 それにしても、その「やっちまった奴」が同じ会社のHさんだったとは! Hさんの家はぼくの家と同じ方角にあったので、たまにいっしょに帰ることもあったが、あまり拓郎の話は出なかった。 そのうち彼は、他の店に転勤していった。 無口で無愛想でいつも怒った顔をした大酒飲みのHさんは、「やっちまった奴」でもあった。
最近視力回復の訓練をしている。 今月行われる健康診断のためではなく、来年の免許更新を見据えてやっているのだ。 前々回の免許更新の時、左眼の調子が悪く、やり直しをさせられたことがある。 「空いているほうを言って下さい」 「右」 「え?右ですか?もう一度」 「ああ、上」 「上?ちゃんと見て下さいよ」 答は二つ、あてずっぽに言った。「下」 「はい。じゃあ両眼いきます」・・・ ということだった。 実は、ぼくの左眼は乱視が入っていて、対象物がダブって見える。 この乱視さえなかったら左1、0(実質0、1もダブついて見えないことがある)はあると思うが、乱視でも○印の空いているところぐらいはわかる。 しかし、あいにくその日は、寝不足も重なっていたということもあって、こういう状況になった。 一応乱視用のメガネは準備していたのだが、「眼鏡等」などと免許証に条件をつけられるのも嫌である。 「次回からは充分睡眠をとって行こう」ということで、次回―つまり前回は充分睡眠をとって更新に行き、一発でパスした。 「じゃあ、来年の更新もその要領でやればいいじゃないか」と思う人もいるだろう。 でも、ちょっと前回とは事情が違う。 前回と違うこと、そう、パソコンを始めたのだ。 昨年まではそうでもなかったのだが、HPを立ち上げてから、毎晩毎晩遅くまでパソコンに向かう生活が始まった。 最近日記を書いているときなど、妙にディスプレイに近づいているのだ。 以前はそんなことはなかった。 たまに他の所を見ると、かすんで見えるし。 どうも、パソコンによる目の疲れと寝不足とが、視力の低下を招いているようだ。 「これはいかん!」ということで、最初に書いた「視力回復の訓練」を始めることにした。
具体的に何をやっているかというと、頭から額にかけてのマッサージと、「視力回復に役立つ!マジカル3D」(日本文芸社)による寄り目(ひんがら目)の練習だ。 マッサージのやり方は、ボールペン等で痛いところをゴリゴリやること。 これがけっこう効くんです。 初めてやった時、高校時代から続いていた眠気が、一発で吹き飛んだ。 それで「これはいい!」ということになったわけだ。 「視力回復に役立つ!マジカル3D」のほうは、先日友人が読んでいたのを見て、よさそうだったのでさっそく買い込んでひんがら目をやっている。 目が慣れるまで大変だけど、見えてくるときれいですよ。
おそらく「そのくらいで近視が治るんわけないやん」と言う人もいると思う。 でも、ぼくは「後天的になったくせや病気は、その原因となった行為の逆をやれば絶対治る!」と信じている変わり者だから、とりあえずこの二つを続けてみようと思っている。
KBCラジオを聴いていると、チューリップの財津和夫が出ていた。 新しいアルバムのPRで来たそうで、今日は一日KBCラジオにいたようだ。 なんとダイエーホークス情報の番組にまで登場していた。 財津さんは地元出身で、アマチュア時代からKBCに世話になっていたので、これもわかる気がする。 地元出身といえば、9月1日、田村亮子が「ダイエーVSオリックス」の中継(TVQ)にゲスト出演していた。 午後7時からの中継だったのだが、その日は6時30分からのスポーツバラエティーの番組(福岡ドームから中継)にも出演していた。 福岡吉本のコンバット満から谷のことでかなり突っ込まれていたが、地元ということでこの間の「スクープ21(テレ朝系)」出演の時よりはかなりリラックスしていたようだ。 その時は、鳥越さんから「ぼくも福岡出身だから博多弁で話そうよ」と言われ躊躇していたが、今回はちゃんと博多弁を混ぜてしゃべっていた。 面白かったのは、コンバットの「ヤワラちゃんはどちらを応援しているんですかねえ?」という問に、「福岡出身ですから、もちろんダイエーですよぉ」と言いながら、しっかり谷を応援していたことだ。 谷の打席の時に田村の表情を流していた。 谷が登場すると田村は両手を前に突き出しこぶしを握っていたが、谷が凡退するとガクッとしていた。 その後の野球中継では、なんと衣装を変えて出演していた。 もはや芸能人である。
そういえば最近は、こちらの放送にもわりと有名な人が出演するようになった。 KBCテレビの“アサデス”という番組には、おすぎと福岡翼がレギュラーで出ているし、TNCの“アジバラ☆7”という番組は、蓮舫とビビアン・スーが司会をやっている。 “ももち浜ストアDX”というトーク番組には、毎週「おお、こんな人が!?」という人が出ている。 ちょっと前には三谷幸喜(意外!福岡出身だった)やいっこく堂が出ていた。 先々週は稲川淳二だった。 FBS福岡放送のシンボルマークは藤井フミヤがデザインしたものだが、その宣伝で“めんたいワイド”に出演していたし、志村けんが頻繁に出演するなど、こちらの放送局も変わってきたようだ。 以前の、ばってん荒川や安田栗之助など地元タレント中心の時代とは、確かに違ってきている。
せっかくだから、地元出身者の番組なども作ったらいいのに。 例えば、郷ひろみと松田聖子司会の歌番組などをやるのも面白い。 氷川きよしと浜崎あゆみの組み合わせがあってもいい。 タモリと原口あきまさのトーク番組とか。 高倉健・田中麗奈が主演のドラマを作るとか。 戸塚宏の教育番組とか。 鳥越俊太郎の司会で、山崎拓・麻生太郎・神崎武法・舛添要一出演の政治討論会をするとか。 しかし、林葉直子の将棋教室だけは見たくない。
2001年09月03日(月) |
見ましたでしょうか? |
見ましたでしょうか? 江沢民氏と金正日氏の抱擁シーンを。 気持ち悪いですねえ。 男どうしが抱き合い頬をすりよせているシーンは。 特にあの妖怪みたいな二人の抱擁は見苦しいですねえ。 頬をすりよせながら、あの二人の心中にあったものは何だったんでしょうねえ。 北朝鮮の国民は、あの抱擁を見てどう思ったでしょうか? 「親愛なる指導者同志」があんなことしていいんでしょうか? 「親愛なる指導者同志がやっているから、おれたちもやろう!」とその方面の国になったら、これからますますわが国の外交は大変になるだろう。 真紀子大臣も出る幕がなくなる。 「女が来るのぉ?だめよぉ、いい男連れてきてよぉ。テポドン落とすわよぉ」などと言ってきたらどうするんだろう? そうなったら、誰を行かせるか? 小泉さんは、また痛みを伴う決断を迫られるだろう。
中華人民共和国と朝鮮民主主義人民共和国。 どちらも長ったらしい国名だなあ。 特にマスコミが朝鮮民主主義人民共和国と言う時は、北朝鮮という枕詞まで付いてくる。 「北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国」、なんと漢字で14文字。 言うほうは早口言葉と同じで、覚えれば簡単に言えるだろうが、書くほうはたまらんだろう。 北朝鮮関連の本を書いている人は、腱鞘炎になるんじゃないだろうか? 長い東アジアの歴史の中で、こんなに漢字を使う国があっただろうか? 単に朝鮮ではだめなんだろうか? これも支那と同じく、差別語に当たるんだろうか?
一方の中華人民共和国も長い。 おそらく中国4千年の歴史で、一番長い国名ではないのだろうか。 「唐」とか「明」みたいに一文字にすることはできないのだろうか? 例えば、国名から一字取って「人」とか「共」というのはどうだろうか? 人名から取ってもいい。 毛沢東と江沢民の共通の文字「沢」なんかはどうだろうか? こういうふうに一文字の国名であれば、「ああ、中国の歴史は、夏の時代から綿々と続いているんだなあ」と思えるだろう。 突然「中華民国」とか「中華人民共和国」などと言い出すから、それ以前の歴史がかすんでしまい、「中国4千年の歴史」と言っても、せいぜい中華料理の番組で使われるくらいで、全然重みを感じない。 江さん、日本の軍国化を憂慮してくれるのはありがたいことですが、中華思想繁栄のため、その辺もお考えになったらどうでしょうか。 それと江さんは蓄膿じゃないのですか? お見受けしたところ、いつも口が開いてらっしゃる。 蓄膿なら早めに治したほうがいい。 いつも口を開けている姿は痛々しいですよ。
ということで、明日から中朝両国の日本攻撃が始まる。
2001年09月02日(日) |
9月といえば、今年も大嫌いなアレがやってくる |
さて、9月といえば今年も大嫌いなアレがやってくる。 健康診断である。 毎年毎年、秋になるといつも健康診断に悩まなければならない。 去年の日記に、
“ところで今度(9/14)健康診断があるのですが、この歳になるといろいろ検査も多くて嫌になります。 血液検査(注射が嫌い)、胃の検診(バリウムを飲むのはいいが、その後便が出なかったらどうしようかと思うと気が重くなる)、心電図(体にアルコールを塗られるのが嫌)など本当にいやらしいです。 極めつけは検便です。 これは潜血を調べるとかで、これで大腸がんの発見などができるらしいのです。 でも、検便は検便ですよ。小学生のギョウチュウ検査じゃあるまいし。 ふざけるな! 中年をなめるんじゃない! こんな方法でしか検査が出来ないで、何が医学の進歩だ! ということで、今回も検便はパスしようと思っています。”
と書いている。
健康診断は、毎回ウチの店の敷地内でやるのだが、「大丈夫か?」と思うことが所々にある。 検尿→聴音→心電図→レントゲン→胃の検診→血圧→視力→採血→問診、の順番でやるのだが、血圧測定と視力検査、これがおかしい。 だいたい健康診断のメインともいえる心電図・レントゲン・胃の検診のあとにやるだろうか? おそらくこれらの検査の後というのは、体も普通の状態じゃないと思う。 それに血圧測定の会場というのが2階にあるのだ。 メインの種目のあと、心身ともに疲れているところで階段を上らなければならない。 当然、動悸や息切れもあるだろう。 そういう状態の時にやらなければならない種目なのか!? 視力検査、これは血圧測定と同じ会場でやるのだが、この会場以外の種目(検尿から胃の検診まで)はすべて外でやるのだ。 はたして外から会場内に入った時の視力というのは正しいのだろうか? おそらく外の残像などが残っていると思うのだが。
去年の日記の健康診断関連、まだありました。
“「健康診断で人は不健康になる」 さて明日は、予てからの悩みの種である健康診断です。 検便はしません! バリウムも飲みません! ぼくはいつも「何があろうとも、おれは死なん!」と思っているので大丈夫です。 何か異常があっても「検査が下手なんだ」と思って知らん顔しています。 自分の体なんだから自分が一番よく知っている。 何がデーターだ! 変にストレスを溜めさせるだけじゃないか!それで病気になったらどうするんだ!”
・・・怒っている。 今年はいつやってくるんだろう? 今月中というのは間違いないのだが。
2001年09月01日(土) |
9月になりました。体調思わしくありません。 |
いよいよ9月である。 最近急に涼しくなった。 夏の間は、趣を出すためにパンツ一枚で寝るようにしているのだが、ここ数日の「夜寒」のため、ついに断念してしまった。 何十年ぶりかに寝冷えしてしまったのである。 3日前8月29日のこと、朝方体が冷え切って目が覚めてしまった。 なんとなく腹が痛いのである。 「おかしいなあ」などと思っていると、第一便がやってきた。 慌ててトイレに駆け込み、楽になった。 「これで大丈夫」と自分に言い聞かせているところに、第二便がやってきた。 再びトイレに駆け込み、楽になった。 それからいっときはよかったのだが、出勤前、第三便がやってきた。 ・・・・・・ 運悪くその日は車を車検に出していたので、JRで通勤しなくてはならなかった。 「どうしよう。ひと列車遅らせるか」と思ったが、ひと列車遅らせると確実に遅刻してしまう。 迷ったあげく、遅刻せずに行くほうを選んだ。 家から駅まで歩いて10分、すでに日は高く暑い。地獄だった。 それでも何とか駅にたどり着き電車に乗り込んだが、外との温度差でまた腹がグルグルと言いだした。 「こんな所でバリかぶる(※)わけはいかん」と脂汗をかきながらも必死に耐えた。 ようやく駅に着き、電車を下りた。 腹のほうはとりあえず落ち着いたが、駅から会社まで徒歩で30分以上かかる。 バスで行く手もあるのだが、どのバス停から乗っていいかわからない。 人に聞くのも嫌だし、とにかく歩くことにした。 さらに日は高くなっており、またも地獄。 「今日は仕事にならんなあ」と、会社までとぼとぼと歩いていった次第である。
その後遺症か、いまだに腹の調子は良くなく、体調も万全とは言えない。 「しんちゃん、病院に行ったら?」などと言われるが、根っからの病院嫌いである。 最悪な状態の時だって、「病院」という言葉は頭の中になかった。 まあ、いつものように動物を見習って、辛抱して治しますよ。
(※)「バリかぶる」・・・こちらの言葉で、大を漏らすこと。ちなみに小を漏らすことは「しかぶる」という。
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