2001年08月31日(金) |
今日8月31日は一年の中で一番嫌いな日 |
また8月31日がやってきた。 今日で夏休みが終わりである。 社会に出てからも、「7月21日から8月31日までは夏休み」という気分が心のどこかに残っている。 そのせいか、8月の終わりというのは何か寂しいものがある。 小学校に行っていた頃は、この寂しさから逃れるために「席変えもあるし、一ヶ月したら運動会、そのあとに遠足がある。11月には誕生日と起業祭(八幡の祭り。学校は休みになった)、それから一ヶ月すると楽しいクリスマスと冬休みじゃないか」と無理矢理楽しいことばかりを考えて、自分を慰めようとしていた。 しかし、いつも「一年の中で2学期というのが一番長いし、季節は刻々と大嫌いな冬に向かっている」という思いに至り、心を重くしていた。 中学・高校の頃は、上のイベントに加え文化祭が加わった。 それにその時期は好きな人がいて、「明日から毎日会える」と思うと気がまぎれたものだったが、「明日からゆっくり寝れん。それに冬がくる」と思うと、やはり気が重くなった。
冬休みや春休みの最終日はそんなに嫌でもなかった。 1月7日は「3学期は短いし、春が近い」という思いがあったし、春休みの終わりは「新学年への期待と、クラス換え、夏が近い」というのがあって逆に喜んでいた。 そう考えると、今日8月31日が一年の中で一番嫌いな日ということになる。 上に書いたように、「夏休みの最終日」「2学期が嫌い」というのが原因であるが、最大の原因は、そんな余計なことを考えながら大量に残った夏休みの宿題をやらなければならないということにあった。 最初の2,3日は真面目にやるのだが、それを過ぎると「夏休みの友・絵日記・自由課題(工作・昆虫採集・植物採集など)、学校に行っている時にもやらないことを、どうしてやらなければならないんだ?」という素朴な疑問が起こり、だんだん手付かずになる。 夏休み後半も、「まだ半月ある。」「まだ10日ある」「まだ一週間ある」と先延ばしになってしまい、結局1ヶ月以上の宿題を残したまま今日を迎えるのである。 結局今日一日でできるはずもなく、すべて提出し終えるのはいつも1週間後であった。 自由課題はしばらくの間教室に展示しておいたのだが、ぼくが出す頃には、その展示会はもう終わっていた。
そういうことで、今日は日記の提出が遅くなりました。
今日帰宅途中、ふと「O」という男のことを思い出した。 前に勤めていた会社にアルバイトで来ていた男だ。 ぼくより7歳ほど年下だったが、なんとなくウマが合い、よく一緒に帰っていた。 というより、彼が車で通勤していたので帰りに送らせていた、といったほうが正しいだろう。 10数年前こちらのTNCテレビ西日本で、タモリが司会をする「子供病院をみんなの手で」という「愛は地球を救う」の走りのようなマラソン番組があった。 盛り上がりに欠け、タモリの芸だけで持っていたような番組だった。 その番組でタモリが「スタジオに遊びに来てくれ」と呼びかけ、だんだん人が集まっていった。 その中に「八幡から原チャリで来ました」とタモリに言っていた男がいた。 それが「O」だった。 彼の家からTNCまで60キロ以上離れている。 タモリもそれを聞いて感動し、それからタモリとOの付き合いが始まった。 Oはタモリから「いつか付き人にしてやる」と言われ、それまでの間ウチでアルバイトをしていたわけだ。
彼の車に乗ると、いつもタモリやビートたけしや所ジョージのテープがかかっていた。 たまにぼくが、オフコースなどのテープを聞こうとすると、「やめてください!そんなの邪道です」と言っていた。 本人はさほど面白い人間ではなかったのだが、雰囲気だけは持っていた。 1年ほどバイトをやっただろうか。 ある日、突然「今からタモリさんを迎えに行ってきます」と言って早引きした。 それから何日かして、彼はバイトを辞めた。 最後の日、ぼくはいつものように家まで送ってもらったが、「明日からこの席にはタモリが座るんか」などと思っていた。
タモリの付き人になった彼は、運転手をしながら「笑っていいとも」でポスター貼りなどをしていた。 「オールナイトニッポン」にも時々出ていた。 Oは、本当はお笑いの人間になりたかったようだ。 何度かオーディション番組にも出ていたようだ。 しかし芽が出なかった。 タモリもことあるたびにOのことを紹介しバックアップしていたが、結局Oは付き人以上にはなれなかった。
その後、夢破れたOはこちらに帰ってきた。 こちらの企業に就職し、そこで結婚したらしい。 タモリから祝電が届いていた、ということだった。
Oはどうしているんだろう? 彼はタモリの前はぼくの運転手だった。・・・と思う。
2001年08月29日(水) |
中年に義務教育を受けさせよう。 |
昨日みたいなおっさんを作らないためにも、国にぜひやってもらいたいことがある。 25歳、35歳、45歳になる男女に義務教育を受けさせよう。 25歳は初等中年学校に編入し、中年の心構えを教える。 35歳は中等中年学校に編入し、中年生活のチェックと軌道修正を行う。 45歳は高等中年学校に編入し、理想の中年を作り上げる。 すべて男女共学の1年制で、その間は仕事をしてはならない。 とする。 「えー?この歳になってまた学校かあ」と思う人もいるだろうが、良い面もある。 25歳で独身の人は、出会いがある。 35歳で倦怠期の人は、出会いがある。 45歳でバツ1の人は、出会いがある。 「初等で失敗したけど、中等か高等でまた探せばいいや。それまで適当に遊んどこ」と人生を悲観しなくてすむ。 この効果で出会いサイトは止めざるを得なくなり、迷惑メールも減っていくだろう。 もう一度修学旅行に行ける、というのもある。 政府は「もう二度と経験できないと思っていたでしょう?でも、もう一度経験できます」というキャッチコピーが使える。 遠足もある。 体育祭もある。 もちろんクラブ活動もある。 中年野球もある。 3大紙で高校野球をやっていない読売が主催すればいい。 「読売新聞主催 第1回全国中年学校野球選手権」となるだろう。 青春に対し中春という言葉ができるだろう。 「中春を謳歌しよう」と言ったり、「中春時代」という歌が流行ったりして。 教科書や教材や学用品が必要となるため、その方面の業種が潤い、景気も少しは回復するだろう。 学校は廃校になった校舎を使えばいい。 公立だけでなく、私立も当然できるはずだから、少子化で困っているところには朗報となるだろう。 そうなれば、私立のいい中年学校に入ろうとする人間も出てきて、中年学校進学予備校もできるだろう。
なんだ、いいこと尽くしじゃないか。 ちなみにぼくは来年45歳なので、北九州市立八幡西高等中年学校に入学します。 さて、受験勉強は必要だろうか?
今日、本屋に行ってパソコン関連の本を立読みしていると、「パソコン入門の本はないかね。市のパソコン教室で使うんだけど」という声が聞こえた。 「こちらでございます」と店員がぼくの立っている横に案内してきた。 いかにも市の関係者といういでたちの50代のおっさんであった。 おっさん「教材はどの本かね」 店員「といいますと」 お「いや、市のパソコン教室はどの本を使っているのかね」 店「私どもは存じませんが・・・」 お「決まっているんじゃないのかね」 店「教室によって違いますから・・・」 お「市の教室だよ。市の」 店「わかりかねます・・・」 お「困ったなあ。市で使うのに。じゃあ、一般的な入門書はどれかね?」 店「機材はウィンドウズMEと98のどちらをお使いでしょうか? 」 お「一般的なほうだよ」 店「以前は98でしたが、今はMEが売られていますので、一般的なほうといわれましても・・・」 お「市で使うんだよ。市で。そんなことも知らないのかね」 このやりとりを聞いていて、ぼくは頭に来ていた。 ぼくの性格からしてそこにいると余計なことを言ってしまいそうなので、その場を立ち去ったが、まだ二人のやりとりは続いていた。
だいたい、この本屋は市のパソコン教室指定の本屋でもないのだから、買うほうがどの本か調べてくるのが常識だろう。 それを「市で使う本だから、当然どこの本屋でも知っている」と思うほうがおかしい。 「市のパソコン教室では、この出版社のこの本をテキストとして使います」と市政だよりや回覧板に書いていたのだろうか? しかもどの機材を使っているかなんて、その教室に通っている人ぐらいしか知らないことじゃないか。 それにここは本屋であってパソコンショップではない。 自分の無知を棚に上げて、無理難題を吹っかけないでほしいものだ。 いくら市のパソコン教室のレベルが高くても、このおっさんは上達しないだろう。 わからないことを自分で調べるようなことはしないだろうし、自分の無知を教室のせいにするだろう。 そんな奴に上達はない。 おそらくこのおっさんは、ビデオも満足に扱えないのではないのだろうか? 公務員や大企業のお偉いさんには、この手の人が本当に多い。
しかし、この店の教育は行き届いている。 こんな客なのに、ちゃんと笑顔で応対していたし、言葉使いに何も落度はなかった。 ぼくが応対していたら、きっと顔色を変えムキになって「そんなに市のパソコン教室は偉いんですか?」とか「ちゃんと勉強してきて下さいよ」などと言っていただろう。
2001年08月27日(月) |
今日車を車検に出したため、久しぶりにJRで帰りました。 |
朝一番に「おはよう」と言ってカーショップの人が来たので、『なんだろう?』と思っていたら、「鍵」と言われた。 そうだった。忘れていた。今日は車検に出す日だった。 ということは、ちょっと困ったことになった。 今回の車検は代車を借りない約束をしていたので、帰りは公共の交通機関を利用することになる。 ところが今日は、いつものように会社に下着用の薄手のTシャツを着て行っていたのだ。 おまけに色も薄いグレーだったので腹が目立つ。 こんな格好でJR乗るわけいかん。 そこで隣の衣料品店に行きポロシャツを探したのだが、もう夏物が残り少なくなっており、いいのがないのだ。 ぼくは基本的にはオレンジ色やカラシ色、それも無地が好きなのだが、それがない。 あるのは薄いブルーやグレーの柄入り、胸のポケットにハイライトを入れたらにあいそうなものしかない。 中には派手な色もあるのだが、無地ではなくゴルフおやじが着るようなものばかりだ。 そこでポロシャツを諦め、Tシャツを探すことにした。 けっこういい色はあるのだが、サイズが合わない。 あるのはSサイズばかりだ。 「サイズはSでも、けっこう大きいよ」と店員がSを売りつけようとしたが、Lでも小さく感じるのにどうしてSを着ることができるのか。 とにかく店内にあるものを片っ端から探した。 「ナイキもあるよ」 「そんなんいらん」 いろいろ探した結果、「これは!」と思うのが見つかりました。 カーキ色の無地のTシャツ。 これならズボンの色にも合う。 値段も半額1000円になっていたので、これを買うことにした。
それにしても、会社からJRで帰るのは久しぶりだった。 会社から駅まで3キロほど歩くのだが、仕事帰りはけっこう疲れる。 先月の飲み会のときも歩いたのだが、あの時は休みだったし、酒も入っていたのであまり疲れは感じなかった。 その前に歩いたのは、一月の大雪の日だったか。 雪の中を歩くというのは、九州ではあまり経験のできないことなので、楽しみながら歩いたのを覚えている。 考えてみたら、今の会社に転職してから、普通にJR通勤をするというのは、今日が初めてではなかったろうか。 そんなことを考えながらも、悪霊にとり憑かれないようにと、お経を唱えながら帰りました。
2001年08月26日(日) |
チューヤンはどうなったか? |
そうか、今日巨人は負けたのか。 これでチューヤンは電波を降りるわけだ。 知らない人のために説明しておくと、先週の『進ぬ!電波少年』の終わりがけにT部長が登場、「8月26日の巨人VS中日戦にゲスト出演してくれ。でも、もし巨人が負けたら、チューヤンは電波少年クビ」という宣告をされたのだ。 で、今日負けてしまったので、宣告どおりチューヤンはクビになるわけである。
ある人が言っていた。 「巨人戦の視聴率が落ちたので、人気番組の“電波少年”を使って視聴率を上げようとしているんじゃないのか?しかも、『チューヤン、クビ!』というのがあるので、巨人ファン以外の電波ファンも見るだろうし」 そのとおりだろう。 日テレお得意の姑息な手段である。
だいたい巨人戦の視聴率が落ちたのは、イチローや佐々木がメジャーで活躍しているからというわけではなく、スカパーやケーブルTVの普及によるものじゃないのか? 「今までは仕方なく巨人戦を見ていたけど、全球団の放送やっているなら、好きな球団の中継を見よう」というのが実情なのではないだろうか。 それと巨人の人気にかげりが出たということもあるだろう。 「誰が努力もせんで優勝するチームなんか応援するか!」「どうせ今年も優勝するやろうけ、見らんでもいいやろ」「なんか!あの日テレの偏った放送は!」「選手も金で優勝したくせに、偉そうにしやがって」「来年はカブレラに金を使うんやないんか?」「パリーグのほうが面白いやんか」などなど、巨人に対する批判は多い。 チームやフロントの体質を変えないと人気はまだまだ落ちるだろう。
ところで、福岡は“進ぬ!電波少年”は地元放送優先のため、その週の土曜日に放映されます。 ということは、チューヤンに関しての情報は今日わからないわけです。 「“進め!電波少年”は今週で終わります」といい、予告なしで翌週から“進ぬ!電波少年”とタイトルを変えて始めたTプロデューサーである。 何か飛び道具を使うと思うのだが・・・。 うー、結果が知りたいなあ。 でも、土曜日まで我慢しよう。 もう見た人、お願いですから結果を言わないで下さい。
家に帰って風呂に入ろうと思っていたら、NHKで教科書問題の特集をやっていた。 思わず見入ってしまい、風呂に入るのが遅くなってしまった。 内容はどうでもいいのだが、ちょっと思ったことがある。 教科書採択は各地域で行ったのだが、もしそれを全国レベルでやっていたらどうなっていただろうか? ぼくは、扶桑社の教科書が選ばれていたんじゃないかと思っている。 なぜなら、どこの地区も扶桑社VS他7社で協議をやっていたのだから、どこも扶桑社は最終の選択肢に入っていたのだろう。とすれば、各地域で何票かは扶桑社に入っていたわけだから、全国的に見れば7社で分かれる票よりは絶対に多かったはずだ、と思うからである。 「つくる会」の人は、記者会見で敗北宣言とも受け取れる発言をするより、視点を変えて「たくさんの支持を得た」と、もっと胸を張っていたほうがよかったのではないのだろうか。
さて、最近また歴史の本を読んでいる。 エッセイの中にある「私的日本史」を更新するための史料集めである。 また「歴史を捏造・歪曲しよう」という思いにかられる、今日この頃です。
今読んでいるのは、佐治芳彦の「日本人の歴史」という本だが、そこにちょっと面白いことが書いてあった。 「応仁の乱」が日本の歴史の分岐点になるというのだ。 内藤湖南が唱えた説だという。 応仁の乱以降が今の日本の文化や生活に直接繋がる歴史であり、歴史を研究するなら、応仁の乱以降を研究したら充分である、と言う。 さらに、公家中心のそれまでの歴史というのは外国の歴史と同じようなものであるから捨ててもいいとまで言っている。 そう言われればそうだ。 たしかに、応仁の乱以降は庶民の歴史である。 それ以前に秀吉のような庶民出身の為政者はいないし、写楽のような庶民の芸術家はいない。 そのことをこの本では、「下克上」が生んだといっている。 そして今もその風潮は続いていると言っている。 まあ、芸能界などを見たらそう思えることはある。 それともう一つ、下克上が生んだものがある。 女性の地位である。 室町末期は女性の地位が高かったらしい。 以下は、当時のヨーロッパ宣教師が見た日本人観である。 財産について、ヨーロッパでは夫婦間で共有であるが、日本では夫婦各々が自分のわけまえを所有しており、時には妻が夫に高利で貸し付けていたらしい。 離婚については、ヨーロッパでは夫のほうが妻を離別するが、日本はしばしば妻が夫を離別する。 また、ヨーロッパでは妻は夫の許可なしに家から外出しないが、日本は夫に知らさず自由に外出する。 ということである。 全然変わってないやん。 うーん、下克上おそるべし!
2001年08月24日(金) |
霊の話 (霊を信じない人、ごめんなさい) |
昨日フジテレビとTBSで陰陽師の特集をやっていた。 映画の影響なのだろうが、同じ日に二つの放送局でやるなんて、よっぽど流行っているのだろう。 どちらの番組も同じ陰陽師が出て除霊をやっていたようだ。 あまり詳しく見てないので、なぜ除霊をやっているのか、その後除霊をしてもらった人がどうなったのかはわからなかった。 アンビリーバボーに出ていた家族がその後どうなったか、知っている人がいたら教えて下さい。
だいたいぼくはこういう番組が好きで、心霊特集などをやる時はビデオに録るなどして極力見るようにしている。 昨日はたまたま新聞のテレビ欄を見なかったので、ビデオ予約をしそこなったのだ。 霊、もちろん信じています。 いや、信じているというよりも、自分自身も霊なんだから、これは手足と同じように普通にあるものなのだ。 脳をパソコンと思ったらわかりやすいだろう。肉体は周辺機器である。 パソコンがないと周辺機器は動かない。 しかし、パソコンがあっても、それを操作する「人」がいないとパソコンは作動しない。 つまり、脳というパソコンを操作する「人」が霊なのだ。 あんたもあたしもみんな霊。この世は霊のオンパレードである。
では悪霊とは何かといえば、このパソコンを盗もうとする悪「人」である。 「魔がさした」という言葉をよく使うが、これは悪霊にとり憑かれた状態をいう。 だから、霊を信じない人はこの言葉を使うべきではない。 そういう人が悪さをした時は「魔がさしまして」じゃなく、「根っからの悪人でして」と言わなければならない。 信じてもない霊のせいにするな。
霊は眉毛と同じだ。直接その目では見ることはできないけれど、確かにあるものである。 ただ、眉毛の場合は鏡で確認することができるが、霊の場合はその鏡がないので、信じない人が出てきたりする。 「霊なんかおるわけないやん。見たこともない。おるならここに連れて来い」という人がいるが、そう言っている本人が霊なのだから連れて来いもなにもないものだ。 「見たことがないから信じない」と言う人は、人間不信を暴露しているようなものである。 テレパシーがある人意外は、誰も他人の心を見たことがない。 ということは、そういう人は心の見えない他人を信じないということになる。
「こんな科学万能の時代に、霊なんかおるわけないやん」という人へ。 霊が科学を創造したんです。
おそらく福岡県だけのことだろうが、最近マツモトキヨシのCMが話題になっている。 喫茶店で若い男女(おそらく男がナンパしたんだろう)が会話している。 「彼女、出身博多なの?全然見えないなあ」 「私、東京長いから」 「博多といえばさあ、今度マツキヨができるんだって」 今まで気取っていた女が、突然目を輝かせ、大きな声で、 「エッ、ちかっぱビックリ・・・」と博多弁らしき言葉でしゃべりだす。 あっけに取られている男に、女は小さな声で、 「チョービックリ」と言い直す。 このCMはニュースの後や番組と番組の間などでやっており、たまに見る程度なので、会話はちょっと違うかもしれないが、だいたいこんな内容だったと思う。
これを見て感じたことがある。 一般に東京の言葉は冷たいといわれるが、それは違うと思う。 実際多くの東京人と接したが、冷たいと感じたことは一度もない。 冷たいと感じるのは、地方出身者の東京言葉ではないだろうか? 無理矢理なれない言葉を使うので、感情表現がうまくできずに、腹に力の入らない口先だけの表現になってしまうのではないだろうか? それを傍で聞くと冷たく感じるのだろう。 このことは、メロディだけ知っていて歌詞を知らない歌を歌うのとよく似ている。 どうしても歌詞を追ってしまい、感情移入ができてないので、聞く側としては冷たく感じるものである。
二十年程前にぼくは東京に住んでいたが、東京言葉でしゃべるのが嫌いだったので、最初から最後まで北九州弁で通した。 しかし、それで不便するようなことはなかったし、友達もたくさんできた。 逆に東京の人間が、ぼくの北九州弁に感化されたくらいだ。 他の地方の出身者には、いつも「もっとふるさとの言葉を大切にしろ」と言っていた。 つまり「無理してなれない言葉を使うな」ということだ。
ところで「ちかっぱ(力いっぱい)ビックリ」は博多弁ではない。 大げさにビックリするところが、博多人らしいということだろう。 北九州の言葉でいえば「でたんビックリ」になる。
2001年08月22日(水) |
閑かさや岩にしみ入る蝉の声 |
今まであまり意識しなかったのだが、街の騒音というのは凄いものがある。 車の音・工場の音・工事の音・電車の音・船の音・電化製品の音など、いろいろな音がミックスされて、街の音を作っている。 言い換えれば、音が垂れ流し状態になっているということだ。 ぼくの家は、工場団地の真向かいで、港の近くで、JRの鹿児島線と筑豊線に挟まれ、国道3号線と199号線のバイパスに囲まれ、その2線を繋ぐバイパスがすぐ前を走っているので、夜でもかなりうるさい。
もし江戸時代の人が現代に来たら、耳を悪くしノイローゼになるかもしれない。 江戸時代は、上に列記した音がまったくなく、あるのは風の音・波の音・鳥の声・虫の声ぐらいだったろう。 大八車を引いて大声をあげ、暴走行為をする若者もいなかったと思う。 当時の騒音といえば、蝉の声ぐらいか。 自然環境のよさや、昆虫採集などの人為的な淘汰がなかったおかげで、今以上にうるさかったのかもしれない。 それでも、「お代官様、蝉の声がうるそうてかないませぬ。何とかしてくだされ」と訴えるようなことはなかっただろう。 「蝉騒音追放!」という立札もなかっただろうし、「藩は蝉騒音の原因である樹木を伐採しろー!」という抗議行動もなかったに違いない。 日本民族というのは、元来、自然と共存してきた民族である。 今と同じように、蝉の声を騒音として捉えずに、夏の風物詩として捉えていたことだろう。
それにしても、江戸時代はどのくらい静かだったのだろうか? 日露戦争の時、日本海海戦の大砲の音が数十キロ離れた港町まで聞こえたという。 いかに海の上といっても、今なら数十キロ先の音は聞こえないだろう。 この時にはすでに八幡製鉄所は開業しており、鉄道は引かれていたのだから、多少の騒音はあったはずだ。 そんな明治後期にしてこの調子だから、製鉄所も鉄道もなかった江戸時代はどんなに静かだっただろうかと考えてみたくもなる。 「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」 静寂きわまる世界を、ぜひ一度体験したいものである。
今回の台風はうまく北部九州を避けてくれたので、若干の風が吹いただけで終わった。雨も昼間にちょっと降っただけだった。 こんなことなら銀行に行っておくんだった。
台風といえば10年前の台風19号を思い出す。 この台風は、対馬海峡から日本海を通過して行った大型の台風で、各地に被害をもたらした。 青森のリンゴが壊滅状態になったのを覚えている人もいると思う。 その日ぼくは仕事だった。 大きな台風だというので、状況を見て店を閉めようということになっていたが、上の人間が優柔不断だったため、いつまでも閉店時間を長引かせていた。 午後7時で閉店の店だったが、5時を過ぎた頃から客足は途絶えて、5時半には店内にお客が一人もいない状況になった。 すでに近くのデパート「井筒屋」は店を閉めていた。 それを見て近隣の量販店や商店街の店は次々と店を閉めていった。 おそらく5時半の時点で店を開けていたのは、ウチぐらいだっただろう。 それでも上は閉店の指示を出せないでいた。 「1円でも多く売る」という店の方針がそうさせていたのだ。 テレビでは「JRが運行を見合わせた」というニュースをやっていた。 当時ぼくはJRで通勤していたが、これでバスで帰らなければならなくなった。 続けて西鉄北九州線も不通になり、6時を過ぎた頃には西鉄バスも運転をまもなくやめると言い出した。 それでも店を閉めない上司に「店にお客さんは誰もおらんやないですか。もうすぐバスもなくなるというのに、いつまで店を開けとくつもりですか!」とぼくは突っかかっり、独断で部下を帰らせた。 そうこうしていると、突然店の照明が消えた。 「やれやれ、やっと終わったか」と思ったが、消え方がおかしい。 どうしたんだろうと事務所を覗いて見ると、なんと停電したというのだ。 シャッターは下りず、店は開いたままだった。 結局店を閉めたのは6時50分、ほとんど通常と変わらない時間だった。 もはや西鉄バスも動かなくなっており、ぼくはいよいよ帰れなくなった。 仕方なく、おそらくまだ働いているであろう友人に電話し、「どうせ帰れんのやけ飲みに行こうや」と誘った。 そして2時近くまで友人と会社の不満をぶちまけあっていた。 帰る頃にはもう風はおさまっていたが、ぼくの会社に対する不満はおさまらなかった。 そしてぼくは一つの決断をした。 2ヵ月後、ぼくは11年勤めた会社を辞めた。
2001年08月20日(月) |
動物愛護野郎を批判する |
今日は台風の影響か、あまり暑くならなかった。 おかげで昼食時にはエアコンを入れずにすんだ。 会社の食堂のエアコンは壊れて温度設定が利かなくなっているので、暑過ぎるか寒過ぎるか両極端で、ちょうどいい温度にならない。 これはクーラー病にかかりやすいぼくにとっては大きな問題だ。 この温度差が本当の意味での頭痛の種になっている。 食後必ず昼寝をするのだが、エアコンが寒く感じる日には、そういう理由から車の中で寝るようにしている。
さて、今日はそのエアコンの恐怖もなかったので、ゆっくり寝れるなと思っていたところに、一人のパートさんが入ってきた。 そのパートさんが手に猫の餌を持っていたので、ぼくが「あ、猫飼っとるん?」と声をかけた。 ここから話が発展していき、寝ることができなくなった。 「猫は可愛いもんね」から犬の話になり、「だいたい、犬をしつけるというのはおかしいよね。あれは立派な動物虐待やん。お手をしつけられる犬の気持ちを考えたことがあるんやろうか?喜んでするとでも思っとるんかねえ。鎖につないで自由を奪うし。服を着せるなんかもってのほかやん。ちゃんと自然に対応できる体毛を持っとるんやけ必要ないやん。あんな暑苦しいもの着せられて、それこそ動物虐待よねえ」とぼくはまくし立てた。 相手は「ふんふん」と聞いているだけだ。 「動物愛護の人は、動物を飼ったらいけん。漁場のオオカミ的な存在のいるかを殺して何が悪い。顔がかわいいけ、いい動物とでも思っとるんやろうか。それよりも犬にお手をさせることに文句を言え!」と続けた。 さらにこの話は、アメリカ批判からユダヤ問題にまで発展した。 そして最後に行き着いたのは、「聖書の民は日本人だ!」だった。 今、ものすごく眠たい。
2001年08月19日(日) |
何かいいダイエット法はないでしょうか? |
最近コーヒーをよく飲んでいる。 寝起きに一杯、出勤前に一杯、帰宅後に一杯、寝る前に一杯といった具合だ。 なぜ好きでもないコーヒーを飲みだしたかというと、「コーヒーを飲んだら痩せる」と聞いたからだ。 どうも脂肪を分解する力があるらしい。 もう一ヶ月ほど続けているが、今のところ効果はないようだ。 ただ、ブラックがだめなのでちょっと砂糖を入れているのだが、このぶん太ったかもしれない。
そういえば、ひと月ほど前に「思いっきりテレビ」で紅茶に生姜を入れて飲んだら痩せるといっていた。 さっそく飲んでみたが、飲めるもんじゃなかった。 確かに続けたらいいのかもしれないが、「今日もあの味とお付き合いか」という思いがストレスに繋がるかもしれない。と思ってやめた。
痩せる歩き方があるそうだが、これもきつそうだ。 第一慣れない歩き方で、足にマメができたらどうする。 そうなれば、自ずとその歩き方を潜在意識が避けるようになるだろう。 そして、「こう歩かないと痩せられない」「でもマメつくってまでするべきことか?」などと思ってしまい、またストレスが溜まるだろう。
痩せるツボは、探すのが大変そうだ。 もし違うツボを押していたらどうするか。 例えばそのツボの横に、食欲をそそるツボがあったりして、間違えてそのツボを押してしまったらどうするか。 こう考えるとストレスがたまりそうなので、これもできない。
こんなのに頼らずに、地道に寝る前の腹筋をしていこうかなあ。 でも、「毎日必ず腹筋をしてから寝ることにしよう」などとルールを作ってしまうと、寝るのがストレスになってしまうだろう。
やはり、おいしく食べて遊びながら痩せられる方法を見つけるのが一番だと思うのだが・・・。 そういえば昔一人で忍者の修行をしていたことがある。 あれは痩せられる。 あれを復活させるか。 目をつぶって歩く修行とか、後ろ向きに走る修行とか、溝のふちを歩く修行とか、気配を殺す修行とか、いろいろな修行がある。 小学生の頃買った「忍者入門」という本に書いてあったことを実践していたわけだが、いい忍者になる秘訣として「早寝早起き。お父さんお母さん先生のいうことをよく聞くこと。毎日勉強を怠らないこと」と書いてあった。 当時できなかったことを、今さらできるわけがないし、この歳ですることではない。 うーん、何かいい方法がないかなあ?
2001年08月18日(土) |
靖国参拝の日を建国記念日に変えよう。 |
今回の小泉参拝でぼくが思ったことは、8月15日は俗に言う終戦記念日(本当はこの日ではない)だから参拝するということになっていたのだろうが、では「日清・日露他の戦没者に関しては何もしなくていいのだろうか?」ということだ。 先の大戦は負けたからするのであって、勝った戦争は特にすることはない、ということにはならないと思う。 やはり同じように参拝してほしいものだ。 でもねえ、日清・日露の終戦記念日といったって、誰も知らないでしょう。 だいたい、終戦記念日という日が存在したのかどうか。 そこでぼくは提案したいのだが、この際日本の礎を築いた「英霊を祭る日」を決めてはどうだろうか。 日本が負けた日にお参りしてもらって、英霊達は嬉しいだろうか。決してそうは思わないと思う。 ということで、その日は日本国のもっとも大切な日である2月11日にしたらいい。 建国記念日の一連の行事にしてしまえばいいんだ。 8月15日どころではない騒ぎになるとは思うが、理屈は通ると思う。 日本という国を創ってきた一人なんだということになれば、靖国神社に祭られているすべての英霊も遺族の方も納得するだろうと思う。 例えば、新日鉄の殉職者慰霊祭(招魂祭と呼ぶ)は創業の日に行っている。 そして決まって、「礎になったあなた達のおかげで、ここまで来れた」とやっている。 新日鉄に限らず、他の企業もおそらくそうだろうと思う。 結局、こういうことはめでたい日のほうがいいということだろう。 中韓の声にも「建国行事ですから」と突っぱねたらいい。 それでもなお「やめなさい」と言ってくるようなら、そんな国と付き合うことはやめなさい。
「かわいそうな中国の人たち、かわいそうな韓国の人たち。私たちが助けてあげる。そう、私たちは良識のあるいい日本人なのよ」 教科書問題から靖国参拝まで、一連の騒ぎの中にこういう考え方を持っている人が多く見受けられた。 いかにも他人の痛みがわかっているように振る舞う人たち。 だけど、これが差別だということが、まったくわかってない。 このことについてどう言い訳しても、相手を弱者としてみているのだから、差別だと言われても仕方がないだろう。 決して友人と対等につきあう態度ではない。 大人が子供に対する時の態度だ。 言い換えれば、相手を対等な国と認めてない態度だ。 身体障害者は、憐れみをもって接してくる人を極端に嫌うという。 彼らは普通に接してほしいのだ。 だけど身体障害者を可哀想な人という前提で見てしまう人は、普通に接することができない。 心無い親切、余計なお世話、満面の作り笑顔、やることなすことが嫌味になってしまう。 こういう人は、本当の意味での人の痛みがわかっていない。 実はこの「身体障害者=可哀想な人」という気持ちこそが差別心なのだ。 おそらくそういう人たちは、こんな簡単なこともわからないだろう。 今回の中韓国人擁護派の人たちはどう見ても、それと同じ気持ちで一連の行動をやっているとしか思えない。 「中韓国の人=可哀想な人」という差別心。 「中韓国人の味方=良識あるいい人」と思う浅はかさ。 日本と中韓国がまともな関係になった時、おそらく中韓国の人はそういう人たちを相手にしないだろう。
だいたいデモに参加する人の気が知れない。 おそらくその大半が、デモの内容をよく把握してないんじゃないんだろうか? そこには自己顕示欲というものがあるんだと思う。 「おれはこういう市民団体に入って、こういう抗議をしているんだぞ。おれは偉いだろう。どうだ恐れ入ったか!」とでも思っているんじゃないのか。 なぜなら一部の人を除いては、立ち振る舞いがいかにも臭い、と感じられるからだ。 1ヶ月ほど前のニュースで、「つくる会」の教科書の不採択を求めるビラを配っていたおばさんにインタビューしているのを見たことがある。 インタビュアーの「どうしてこの教科書に反対するんですか?」という質問に対し、このおばさんは「だって、教育勅語が載ってるんですよ」と答えた。 この臭さ! 全然説得力がないじゃないか。 おそらくこのおばさんは、「こう聞かれた時はこう答えましょう」というマニュアルどおりに受け答えしたのだろう。 自分の考えを持っているのなら、もっと気の利いた受け答えをしたはずである。 左翼系のテレビ朝日のニュースだったからその答で充分と思ったのか、「なぜ教育勅語がだめなんですか?」などという質問はしなかった。 もししていたら、このおばさんは答えることができなかったと思う。 なぜなら、教育勅語を読んでいないからだ。 もし読んでいたとしたら、いくら上の命令でも「教育勅語が載っているから」というのが理由にはならなかったはずだ。 なぜかといえば、教育勅語を否定するなら、親孝行や夫婦が助け合うことや兄弟や友人と仲良くするということから、他人に迷惑をかけないということまで、すべて否定しなければならなくなるからだ。 こんな人間の基本を否定したら、その人の人格が疑われるだろう。 おそらくそのおばさんは、その目で教育勅語の内容も読まず、人から聞いただけで、「そうか、教育勅語は軍国主義なのか。それならデモに参加しないと。あわよくばテレビにも出れるだろうし」と思ったのだろう。 デモなどをやる人には、この手の洗脳され人間が本当に多いものだ。 思い込みだけで突っ走る。 デモの主催者はそういう人間を利用することが多い。 要は単純だからだ。 ということは、そのおばさんはただ利用されただけだ。 デモに参加するなら、自分を確立した上で、趣旨をよく吟味してから参加しろ!
神社の話です。 ぼくを含めて多くの人が、神社を宗教の場とは思ってないと思います。 よく神社で酒盛りをやっている人たちを見ますが、宗教の場なら酒盛りなんかはやらないでしょう。 以前国東半島に海水浴に行った時、神社の境内を海の家代わりに使ったことがあります。 もし宗教の場なら、絶対にそういうことはさせないでしょう。 おそらく、お寺や教会なら「不敬」とか「不謹慎だ」とか言われるでしょう。 だいたい神社に教義なんかありますか? お寺や教会みたいに、「一日一善」とか「隣人に優しく」とか「親に孝行しよう」とか書いているのを見たことがあますか? 「世界人類が平和でありますように」と書いた、神社とは関係のない五井昌久の広告塔があるぐらいじゃないですか。 経本や聖書みたいなものもないし。 どうして、宗教だと決め付けるのでしょうか? 「あの人は○○神社の熱心な信者さん」とかいわれる人がいますか? 「○○神社宮司の説法」なんて催しがありますか? 「あの神社にお参りするとご利益がある、とかいうじゃないか。これは宗教じゃないのか?」とかいう人もいますが、「佐川急便のふんどしに触るといいことがある」というのとどこが違うのでしょうか? ご利益があるから宗教というのなら、佐川急便も宗教ということになる。
じゃあ、神社とは何か? ぼくは先祖を敬い、地域の人と仲良くやるための場だと思っています。 例えて言えば、公民館や集会所みたいなところです。 長い歴史と「和」の精神で作り上げた、日本人の知恵です。 宗教ではありません。文化です。 拍手やお祓いも文化です。古くはごく自然にやっていた、日本人の礼儀や習慣です。 祭っているのは神。でも、ゴッドではありません。日本人の言う神とはカミ(上)、つまり先祖です。 だから、ひざを交えて宴会もやるし、海の家もOK。 そういうたてと横のコミュニケーションをとる場だから、何でもありなわけです。 甘えの許される場所なのです。 宗教法人になっているのも、神社をどう捉えていいのかわからないので、「とりあえず宗教ということにしとけ」ということになったのだと思います。
テレビを見ていたら「神社は宗教の場だから、憲法違反である」などと、バカたちが吼えていましたね。 小難しい理屈ばかり並べやがって。 いったいあんたたちは墓参りをすましてきたのか!? ご先祖様は泣いているぞ!
いつものように外でタバコを吸っていると、白い小さなものがゆらゆら動いていた。 「何だろう?」と覗いて見ると、一匹のアリが発泡スチロールを運んでいるのだ。 それも自分の体の数十倍もあるものを。 それにしても、何でよりによって発泡スチロールなんかを運んでいるのだろう。 食べ物でもないし、そんなにいい匂いがするものでもないのに。 おそらく、あんなものを巣に運んだら、仲間からひんしゅくをかうだろう。 「お前またー、何を持って来たんか!? 食い物でもなさそうやし。どうするんかこんな大きな物。こんなの巣の中に入らんやろうが! また女王に怒られるぞ。知らんけの」とか言われるんだろう。 アリがティッシュを好きなのは知っていたが、発泡スチロールが好きだったとは知らなかった。
しかしアリはよく働くなあ。 ほとんど一日中働いている。 「いつ寝るんだろう?」と余計ながら思ってしまう。 「ここに餌があるぞー」と誰かが合図を出すと、どこからともなくゾロゾロと集まってくる。 それも、ダラダラ歩くんじゃなく、足早に餌に向かっていく。 そしてせっせと巣に持ち帰る。 実に働き者であるが、ある学者の話によると、アリの中にも一生懸命働くアリと、そこそこに流すアリと、まったく働かないアリがいるそうである。 まったく働かないアリ ―みんなが餌にたかっている時、周りでウロウロしている奴らがそうか? でも、奴らはボーっとはしてない。一応働く姿勢は見せている。 要領だけは心得ているようだ。 たまには、餌を持って帰ることもあるのだろうが、実戦で鍛えてないから勘が鈍り、ろくでもないのを持って帰ってしまうのだろう。 最初に書いたアリもその一派のアリなのだろう。 まあ、アリの巣コロリを持って帰るアリよりはいいかもしれない。
2001年08月13日(月) |
やはり小泉さんには15日に参拝してほしかった |
ワイドショーを見ていると、突然ニュース速報が入った。 「何だろう?」と見てみると、『今日靖国神社に参拝する意志を固めた』とのこと。 最初のうちは「よし、小泉さん偉い!」と思ったのだが、よく考えてみると、このニュースの文章はよくわからない。 『靖国神社に参拝する』意志を今日固めたのか、『靖国神社に今日参拝する』意志を固めたのか、どちらにも取れるニュアンスだ。 ぼくとしては前者の意味で捉えていたのだが、しばらくテレビを見ていると、結局それは後者の意味だった。 そのあとの報道特別番組も続けてみたが、小泉さんの歩き方は堂々としたものがなかったような気がする。 記者会見も歯切れが悪いものだったし、何か拍子抜けしてしまった。 近隣諸国(といっても中国と韓国だけだが)や野党の非難を避けるために、奇襲戦法をとったのだろうだが、菅直人あたりからまた「公約を平気で破る」とか言いわれるんじゃないのだろうか。 おそらく小泉さんもそう思っているだろうが、とにかく残念だ。
ところで、今日は4時から各局靖国神社の中継をやっていたのだが、どういうわけかフジ系は何もやってなかった。 テレビ東京系がやらないのはわかるけれど、普通フジはやるだろう。 靖国とか教科書とかに関して、一番敏感な産経新聞の系列の放送局がなぜなんだろうか? その時間、こちらのフジ系のテレビ西日本では「警部補・古畑任三郎」をやっていた。 きっと、福岡の人は小泉純一郎より古畑任三郎のほうが大切なんだと判断したのだろう。
2001年08月12日(日) |
今NHKで「北九州博覧祭」の再放送を見ています。 |
明日は休みなので、ちょっとゆっくりしています。 今NHKで「北九州博覧祭」の再放送をやっています。 ふーん、萩尾みどりは黒崎出身だったのか。 実はぼくも黒崎出身なんです。 2歳くらいまで住んでいました。 まあ、今もあまり変わらんところに住んでいるんだけど。 でもせっかくの全国放送なんだから、高倉健も呼べばいいのに。 地元出身じゃ一番メジャーなのに。 それと、舛添要一も呼べ。 あの人は北九州出身が恥ずかしいのか、あまり北九州の話をしない。 北海道や東京都の知事選に出馬するくらいなら、どうして福岡県知事選に出ないんだろう? きっと目立つほうに走りたがる性格なんだろうなあ。 わけわからん人だ。 八幡高校から東大に行ったのが恥ずかしいんかのう? 自慢できることなのに。 それとも八幡東区の大蔵出身が嫌なのか? あそこは田舎だからわからんでもない。 でも、自分の出身地はもっと誇りに思ったほうがいいと思う。 ぼくは東京にいた頃、八幡出身だといってみんなに自慢していた。 何せ日本史に出てくるところだからだ。 「日本の近代化は八幡から始まった」と教科書に書いているくらいだから、これは自慢に値する。 舛添さんもこの辺を切り口にして自慢しまくればいい。 そうしたら衆議院議員でも、福岡8区で当選できるだろう。
ああ、やっとNHKは終わったか。 なんかわけのわからん番組だった。
「HPのタイトルが“頑張る40代!”というのはわかるけど、どうして日記までがそうなんだ?」と聴かれたことがある。 答は簡単で、いつも「寝る時間を削って、ああじゃない、こうじゃないと必死に言葉と格闘しているからそう付けた」ということにしている。 最初このサイトを始めた頃は、「日記をつけるぐらい簡単なこと」とたかをくくっていたが、実際始めてみると、これが大変な作業だった。 そんなに毎日毎日、ネタは転がっているものではない。 で、新聞やテレビやHPから情報を得、それにコメントをつけていこうと思ったが、それも飽きっぽいぼくの性格からして続かない。 例えば小泉さんを追っていこうと思っても、何日か経つと飽きてしまって、どんな話題があっても興味が湧かない。 そうなると、気の利いたコメントなんかできるはずもなく、「まあ、このことはいいや。ほか探そ」ということになってしまう。 でも、さっきも言ったとおり、そう毎日ネタは転がっているものではない。 「寝る時間を削って・・・」というのは、「何もネタを考えられないから寝られない」といったほうがいいと思う。 実は仕事中にも考えている。 わざわざ手帳まで用意して、「何かネタが転がっていたらメモしておこう」などと構えているのだが、実際にメモしたことは一度もない。
とにかく今夜もその「ネタ」と格闘している。 今日はいったい何時に寝られるんだろう? 日記のタイトル“頑張る40代!”はそういうところからつけました。
2001年08月10日(金) |
谷内六郎展に行ってきました。 |
昨日下関大丸で始まった「谷内六郎の世界展」に行ってきました。 朝から車で行ったのだが、途中門司港付近で渋滞に遭い、着いたのは12時前でした。 門司港の渋滞は、帰省と明日行われる「GLAY」のコンサートの影響だとラジオで言っていたが、おそらく「GLAY」のコンサートのために帰省を早めたと言ったほうが正しいと思います。 他県ナンバーの車は若い人が多かったようです。
さて谷内六郎だが、「行ってよかった」というのが感想です。 ぼくはあまり絵がわかる人間ではないのだが、この人の作品はよくわかる。 絵の中に言葉が見えてくるのです。 さすが「絵の詩人」と称えられた人だけのことはあります。 一時間以上かけてじっくりと鑑賞しましたが、何か創作意欲が湧いてきた気がします。 「この人とは逆に、詩の中に絵を描けたらどうだろうか?」 「そうするためにはどうしたらいいんだろう?」 「いっそ詩風を変えてみようか」 などと、帰る道々考えていました。 ちょっと詩から遠ざかっているので、いい刺激になったようです。 本当に行ってよかった。
今日は、雨が降ったり止んだり、晴れたり曇ったりの複雑な天気だった。 おかげで夜は過ごしやすい。 でも、雷が鳴っている。 夜の稲光は気味が悪い。 空が赤く見える。 空が赤く見える時、不思議と古い記憶みたいなものが蘇ってくる。 それも嫌なイメージで。 その古い記憶というのは、今生の記憶ではなく、前世の記憶なのだ。 おそらく前世、戦場か空襲の中か、どちらかで逃げ回っていたのだろう。 そこで赤い空を見たのだろう。 そしてそれが今でも印象深く残っているということは、そこで命が絶えたのだろうか?
それに関連して、もう一つ嫌な思いをするものがある。 赤十字のマークだ。 あのマークを見ると、何か切なく息苦しさを覚える。 今の人生で赤十字の世話になったことはない。 救急車の世話にもなってない。 でも、あのマークを見るのは嫌だ。 とてつもなく恐ろしいのだ。 やはりこれも前世の記憶なのだろうか?
他にも、時々現実ではない風景が目の前に現れることがある。 その風景というのが、一、二時代前の古い日本の街並みで、何か記憶にある風景なのだ。 この風景が現れた時も、何か切なく息の詰まる思いがする。 考え合わせてみると、ぼくは前世も日本人で、生きていた時代は戦前から戦時中で、戦場か空襲の中か、どちらかを逃げ回ったあげく負傷してしまい、病院に収容された。しかしそこで死んでしまった。という推理が成り立つ。
さて、ようやく雷は収まったようだ。 そろそろ寝ます。
2001年08月08日(水) |
今日は「八幡大空襲の日」です。 |
今日は「八幡大空襲の日」です。 皿倉山の「八文字焼」は気がつかなかったけど、おそらく出ていたと思います。 八幡大空襲、この話は小学生の頃からさんざん聴かされた。 八幡駅前の防空壕の入り口を爆弾で塞がれ、多くの人が死んでいったといいます。 この防空壕に入れなかった人が助かった、という皮肉な話もあります。 当時は実際体験した人が多かったので、今のように「侵略戦争をした日本の罪」などというバカなことを言う人はいなかった。 純粋に、無差別殺人をしたアメリカへの怒りにあふれていました。 そのとき犠牲になった人たちも、いわゆる「戦争を起こした日本」を恨んで死んだ人はいなかったと思います。 おそらく、「アメリカの馬鹿野郎!」と叫んでいたと思います。
さて、この八幡大空襲の翌日、つまり8月9日、数機の爆撃機が小倉の造兵廠を目指して飛んでいたそうです。 ところが前日の八幡大空襲の煙と曇り空のため、目的地が確認できず、たまたま晴れていたところに一つの爆弾を落として行きました。 そこが長崎だったのです。 おそらくその時も、長崎の人たちは「戦争を起こした日本のせいでこうなった」とは思わなかったでしょう。 やはりそこには「アメリカ憎し!」があったと思います。 もし、アメリカが言うように「戦争を早く終わらせるため」の原爆なら、2発も投下する必要はなかったと思います。 ところで、その爆弾を投じた人間は、1ヵ月後に長崎を訪れたそうです。 果たしてその時、その人は「長崎の人に大変申し訳ないことをした。でも、戦争を早く終わらせるために仕方なかった」と弁明したのでしょうか。 当時アメリカ人の持つ日本人(ジャップ)のイメージは「猿以下の獣」だったといいます。 獣相手なんだから、何でもありだったわけでしょう。 「猿以下の獣」に誰が「罪の意識」を持つでしょうか。 誰がまともに謝罪するでしょうか。 世論に対しても、あとから綺麗事でもなんでも並べて誤魔化しておけばいいんだし。
大空襲や原爆投下は、国際連盟で「人種差別撤廃」を叫んだ日本人に対する欧米人の回答、つまり見せしめだったとぼくは思っています。 彼らは「白人に逆らったらどうなるか、よく覚えとけ」くらいの気持ちだったのでしょう。 ふざけるな! 今日は「八幡大空襲の日」です。 「アメリカ憎し!」の思いを抱いた大勢の人たちが亡くなった日です。 ―黙祷
2001年08月07日(火) |
携帯向けの詩集を作りました |
携帯向けの詩集を作りました。 今までは日記形式でやっていたため、つい面倒くさくなって更新ができてなかったのですが、今回はパソコン向けと同じ詩を掲載しました。 興味のある方は読んでみて下さい。 今度いつ更新するかわからないので、なるべくゆっくり読むことをお薦めします。
それにしても疲れました。 パソコン向けは縦書き表示なので、それを横書きに直して、リンクを張り直して、と、ぼくにとってもっとも苦手な細かい作業を強いられました。 まだ全部チェックしていません。 リンクの張り違いなどがあるかもしれないので、その時は連絡して下さい。
ところで、詩のサイトを独立させたのはいいのだが、本家の「頑張る・・・」のコンテンツが減ってしまいました。 何かまた始めようとは思っているのですが、億劫で・・・。 「私的日本史」を「筋向い・・・」から引っ張り出そうと思ったのですが、全然更新してないので、表に出すのは抵抗を感じてしまう。 仮に更新するにしろ、今の時点では本からの引用になってしまうだろうから、私的にはならないし。 困ったもんです。 まあ、何か継続できそうな企画がまとまったら、日記ででもお知らせすることにします。
2001年08月06日(月) |
詩集のサイトに書いてある言葉 |
もう一つのサイト、「詩集 吹く風」のトップページの最後に『一灯を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一灯を頼め』という江戸時代の儒者 佐藤一斎の有名な言葉を載せている。 「言志四録」の一つ「言志晩録」の中にある言葉である。 「言志四録」といえば、西郷隆盛が愛読していたことでも知られるが、戦前はけっこう愛読者がいたらしい。 ぼくは20代後半から30代中頃にかけて、この手の本をよく読んでいた。 「論語」「孟子」「菜根譚」「老子」「荘子」「伝習録」「言志四録」「徒然草」「臨済録」「盤珪語録」「呻吟語」「酔古堂剣掃」など数えたらきりがない。 手当たりしだい、かつ中途半端にそれらを読んでいた。 精神的に追い詰められた時期だったので、これらの人生の書を手に取ったわけだが、いつのまにか内容というよりは、言葉の流れのほうが好きになっていた。
いろいろな本を読んだ中で、先の佐藤一斎の言葉と、「臨済録」の『随処作主、立処皆真』という言葉が今でも残っている。 どちらも奥の深い言葉です。 突き詰めればどちらも同じ意味であるが、ぼくはこれらの言葉を解説ではなく、実際に体験したことで深く理解していったので、説明が難しい。 理解するには一種の「悟り」というものが必要になるだろう。 もし、「どういう意味だろう?」と思った方がいたら、ぜひ探求してみて下さい。 きっとプラスになりますよ。
最近、詩のホームページを開設したり、バナーを作ったりで、寝るのが遅くなっている。 ここ4,5日、寝るのはいつも午前3時を回っている。 そのせいか、今はまだ午後11時を過ぎたばかりなのに、もう疲れが出てき始めている。 周期的に強烈な睡魔が襲ってくるのです。 こうなると何もする気が起きない。 でも、最低日記だけは書き上げなければ、と心に鞭打って頑張っています。
このホームページを立ち上げた頃、やはりこういう状態に陥って、膀胱炎みたいな症状になったことがある。 結局前立腺だったんだと後でわかった。 何日か寝不足が続くと決まっておしっこの出が悪くなる。 そういう時、つい「もう歳なんだ」と弱音を吐いてしまうのだ。 若い頃はもっと無理がきいたのに。 中学・高校の頃は一週間ぶっ続けで「オールナイトニッポン」を聴いても平気だった。もちろん学校には行っていました。 それでクラブやっていたんだから、やはり若かったんだろう。 でも、そのイメージが今でも離れないようで、「3時間も寝れば大丈夫やろ」などと勝手に思い込んでいる自分がいる。 危険なんですよね、この手の思い込みが。 これからはもっと体のことを考えないと。 と言うことで、今日はもう寝ます。
母親が急に大きな声を出すので、「どうしたんだろう?」と覗いて見ると、なんとムカデがいるのだ。 ぼくは新聞紙を丸めて、2,3度叩いて殺した。 それにしても、団地の3階なのにどうしてムカデがいるんだ? 壁を伝わって来たというのはわかるのだが、そんなに地上が住みにくくなったのだろうか? この夏、とくに思ったことだが、ぼくの家は昆虫の宝庫になってしまっている。 蟻、カナブン、コガネムシ、てんとう虫、ナメクジ、蚊、蝿、ゴキブリ、トンボ、羽アリ、蝶、蛾、カメムシ、蝉、それに今回のムカデ、いったい何の用があって地上7〜8mの場所を選ぶのだろう。 何年か前に網戸を外してから、ずっとそのままになっているので仕方のない面もあるのだが、それにしても数が多すぎる。 昨日の話だが、さて寝ようかと思っていると、突然「ワーシ、ワーシ・・・」などと言い出した。 よく見ると、部屋の壁にクマゼミとまっているのだ。 トイレに行っている時に入ってきたらしい。 それからが大変だった。 捕まえるのに2,30分を要してしまった。 おかげで朝寝坊してしまい、今朝は遅刻寸前だった。 昼間は睡魔との戦いだった。 思い切って部屋にエアコンを付ければいいのだが、今のところそのつもりはない。 したがって部屋の窓は全開になり、この状態は続くだろう。 当分、昆虫達との共存を強いられるわけだ。 秋になった時、ぼくの顔は少し昆虫顔になっているかもしれない。
午前中、郵便局と銀行に行ってきた。 いつものように歩きです。 9時半ぐらいに家を出たのだが、もうすでに暑い! 郵便局に着いたときは、汗びっしょりだった。 ぼくは最近あごに汗をかくようになったのだが、これが嫌いだ。 あごが冷っとして何か気持ち悪い。 休みの日にはひげを剃らないので、汗がひげにまとわりつき、さらに気持ち悪い。
さて、帰りにちょっと寄り道して、小学校を見てきた。 もちろんぼくの通った小学校(先輩に高倉健がいる)だが、変わってしまっていた。 昔校舎だったところが運動場に変わり、運動場だったところが校舎になっていた。 ぼくたちの頃は木造だったが、立派な鉄筋の建物になっている。 ところで、今日気がついたのだが、今は夏休みに学校のプールを開放しないのだろうか? 近所の子供が何人か遊んでいる姿しか見えなかった。 ぼくたちの頃は、1時間単位でクラス別に開放していた。 その日ばかりは、通学での使用禁止になっていた自転車で行っても怒られなかった。 夏休みの楽しみは、そういうところにもあった。
8月1日、11日、21日と3回あった登校日も、今は平和教育などで日にちも変わり、回数も減っているらしい。 平和教育などといいながら、「日本人は(つまり我々の先祖)は悪いことをした」と教え込んでいるんだろう。 そんな、国や先祖に誇りを持たせない教育が、今みたいな乱れた世の中を生んだともいえるだろう。 尊敬すべき先生から「私達は、凶悪な殺人犯の子孫です!」などと言われたら、子供達はいったいどんな気がするだろう。 「どうせおれたちは凶悪な殺人犯の子孫だから」と言って、好き勝手なことをやるバカも出てくるだろう。 殺人を犯した少年が、「先祖はもっと悪い事したやろうが!」と開き直ったらどうするんだろうか?
さて、最近は外で遊ぶ子をあまり見かけなくなったが、いったい何をしているんだろう? ぼくたちの頃の夏休みと言えば、外で思いっきり遊ぶことができることが何よりも嬉しかった。 クーラーを持っている家なんてなかった時代だが、それでも涼しい所でじっとしていることなんかなかった。 確かにいじめもあったけど、それなりにみんな外で仲良く遊んでいた。 外から帰ってがぶ飲みする水のおいしさを、今の子供達は知っているんだろうか?
今日も暑い一日だった。 昨日のおいちゃんではないが、噴水やプールなんかを見ると本当に飛び込みたくなる。 そういえば、最近海水浴に行ってない。 海に行くことはよくあるのだが、泳ぐところまでは到ってない。 10年前に沖縄に行った時、万座ビーチで泳いだのが最後だった。 地元で泳いだのはもっと遡って、20年前芦屋海岸に会社の人と行った時だ。 会社の人とは、Oさんというぼくより3つ上のドルーピーみたいな顔をした男性である。 他の人が仕事の都合で行けず、しかたなく二人だけで行ったのだ。 Oさんは「しんちゃん楽しいねえ、楽しいねえ」を連発していたが、男二人で海水浴に行って何が楽しいだろう。 20年前と言えば、Oさんは26歳、ぼくはまだ23歳だった。 「海パン姿の若い男が二人っきりで、じっと海を眺めながらかき氷を食べる図」を想像してみて下さい。 気持ち悪いのう。
あれから20年、別に海水浴が嫌いなわけではないのに、どうして行かなくなったのだろう。 家から、一番近い脇田海水浴場まで車で15分、県内でメジャーな津屋崎海水浴場まで40分。 関東でいえばすぐそこが湘南、という位置にある。 それでも海水浴に行かないのは、近すぎるからなのだろうか。 それとも「疲れるのが嫌」という世間並みの中年になったからなのだろうか。 おそらく今年も海水浴には行かないだろう。
暑い! こう暑いと勘や思考能力がなくなってしまう。 最近、日記のネタに詰まっている。 パソコンを前にすると何も考えられなくなるのだ。 「今日何があっただろうか?」とか「何か面白いニュ-スはないだろうか?」とかいろいろ考えたりニュースを見たりしているのだが、「おっ」と思うようなことがあったとしても、思考がついてこないので話が広がらない。 仕事中にも、例えばタバコを吸っている時に、「今日の日記は何を書こうか?」などと思っているのだが、「そのうち何かあるだろう」というところに落ち着いて、その後も気にはしているのだが、結局答が出てこない。 その原因はすべて、暑い! に尽きる。 でも、そう毎日ネタは転がってないよね。
ということで、今日もくだらないことを書きます。 この間の月曜日に、あの酔っ払いのおいちゃんが騒ぎを起こしたらしいのだ。 うちの店の敷地内に噴水があるのだが、そこであのおいちゃんが水浴びをしていたらしいのだ。 それも真っ裸で。 そのあと、うどん屋の前でパンツ一枚で昼寝をしていたとか。 とうとう、このおいちゃんも酒と暑さでおかしくなったか? 店長は「もう勘弁してくれ」とこぼしていたらしい。
それにしても、ぼくはこのおいちゃんが羨ましい。 このおいちゃんこそ、何事にも縛られない、まったくの自由人なんだろう。 人目をまったく気にしてないし、店から追い出されたり警察に連行されたりしても、へとも思わずに舞い戻ってくるし。 好き勝手なことをやっているし、嫌なことははっきりと嫌と言っているし。 ぼくもこのおいちゃんを理想として生きてみようかなあ。
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