2001年07月31日(火) |
エンゼルスの入団テスト、誰か受けてみませんか? |
今日iモードでニュースを見ていたら、「エッ?」と思うような記事が書いてあった。 メジャーリーグのアナハイム・エンゼルスが、8月29日に福岡で入団テストをするというのだ。それもどういうわけか、八幡東区の桃園球場で。 だいたい、桃園球場は高校野球ぐらいしか使ってない球場である。 オフのときは、ガラの悪いにいちゃんがたむろしている場所である。 エンゼルスは何を好き好んで、北九州を、それもあんな球場を選んだのだろう。 普通は、東京かその近郊でやるはずなのに。 そのほうが、全国から人が集まるだろう。 強打者の多いダイエーの本拠地だから選んだのだろうか? 福岡は新庄の出身地だから、ああいうキャラクターの人間が多いと思ったのだろうか? 謎である。
ところで、誰かこのテストを受ける人はいませんか? この入団テストは、15歳から25歳までが対象らしい。 今日二、三のバイト君に聞いてみたのだが、あまりいい答が返ってこなかった。 こういうのはめったにないことだから、受けてみればいいのに。 下手でも参加賞ぐらいはもらえるだろう。 こういうテストを受けた、というだけでも将来何かの役に立つと思うのだが。
珍しく月曜日に休みだった。 今日は特に用がなかったので、久しぶりによく寝た。 目が覚めたら正午を過ぎていた。 昼食後に本屋にでも行こうと思っていたら、激しい夕立が降りだした。 今日の雨は凄かった。 一瞬周りの景色が見えなくなったほどだった。 前の家に布団が干してあったのだが、買い物にでも行っていたのだろう。布団を取り込んだのは雨が小降りになってからだった。 おそらく今日はあの布団では寝られないだろう。 雷も凄い音で鳴っていた。 かなり近くで聞こえ出したので、ぼくは慌ててパソコンのコンセントを引き抜いた。 前回の故障の原因は雷だったからだ。 まったく動かなくなったため、バックアップも取れずに修理に出す羽目になった。 結局ハードディスクを交換したため、大事なデータを失ってしまった。 こういう思いを再びしたくなかったので、必死だった。 雨が止むまで出かけられないし、パソコンも使えない状態なので、この間買った本を読むことにした。 が、そのまま寝てしまった。 起きたらもう5時前だった。 外を見ると晴れていたので、「さあ出かけようか」と服を着替えていると、また雨が降り出した。 昼間よりひどい雨だ。 「あーあ、出られん。もうやめた」とまた寝てしまった。 目が覚めると10時を過ぎていた。
結局今日は夕立のせいで何もできなかった。 でも、日頃の睡眠不足を少しは解消できたので、良しということにしておこう。
恥ずかしい(?)話だが、ぼくは選挙権を得てから23年、選挙に行ったことがない。 行かないのではなくて、行けなかったと言ったほうが正しいだろう。 20歳の頃ぼくは東京にいたが、住民票を移してなかったので、行くことができなかった。 こちらに帰ってきて、量販店に就職したのだが、量販やスーパーという業界は、日曜日に休むというのはタブーなのである。 とくに前の会社では、日曜日には早朝会議をやっていた。 早起きして出勤するため、選挙に行くこともできなかった。 会社は「選挙に行って下さい」ということを言っていたが、会議は必ずやっていた。 会社としては、選挙よりも役に立たない会議のほうが大切だったのだろう。 しかし、ぼくとしては会議がなくても行かなかっただろう。 仕事があると思えば、他に何もしたくなくなる性格だからである。 今の会社も基本的には同じような業種のため、なかなか行き出せないでいる。 もちろん今日も行ってない。
よく思うことだが、政府はIT革命を訴えるのなら、なぜ選挙もITでやらないのだろうか? 「パソコンや携帯電話からでも投票できます」ということにすれば、ぼくたちのように日曜日に休みの取れない業種の人間でも投票できるだろう。 不在者投票の必要もなくなるし、海外からでも投票できる。 確実に投票率はアップするだろう。
今日は戸畑の提灯山笠の競演会があったせいか、会社帰りは車や人が多かった。 ぼくの家のほうに向かって混んでいたわけではないので、別に問題はなかったのだが、戸畑駅方面に向かう車や人は多かった。
戸畑の提灯山といえば過去何度か見たことがある。 ただ、中日に市民会館前で行われる競演会は小学生の頃、一回だけ見たことがある程度だ。 今日がその中日に当たっていたため、車や人が多かったのだ。 戸畑の提灯といえば、昔は7月14日が中日だった。 この競演会を見て、博多祇園の追い山に流れるのが定番だった。 博多の追い山は、15日の午前4時59分に一番山がスタートするから、戸畑が終わってから博多に移り、時間まで中洲あたりで一杯引っ掛けるのが、当時の人の粋だったのだろう。 戸畑も博多も、ともに国の無形文化財に指定されている勇壮な祭りだ。 こんな有名な祭りを身近に見ることのできる福岡県民は幸せである。
さて戸畑祇園が終わったら、一応北九州市の夏祭りは終わるわけだ。 「わっしょい百万夏まつり」はあくまでも夏祭りの総集編に過ぎない。
今年は「北九州博覧祭」でも、フィナーレで市内や近郊の祭りを紹介するらしい。 だが、それだけを見るために高い入場料を払う人が何人いるのだろうか? 23日に行われた「HIROMI GOコンサート」のために入場料を払った人よりは確実に少ないだろうが、9月2日に行われる“よしもと爆笑フェスタIN北九州〜「笑う博覧祭」”よりも多いだろうか?
今日は午前中床屋に行ってきた。 髪を少し短くしたが、あまり変わってない。 最後に塗られるヘアトニックやヘアオイルが嫌で、家に帰ってからすぐに洗い流した。 でも、匂いが残る。この匂いがまた嫌だ。 若い頃はトニックやオイルを毎日つけていたのだが、白髪が増えてからつけるのをやめた。あのぬるぬる感が嫌だった。 今使っているのは無臭の「椿油」だが、これも3ヶ月に1回ぐらいしかつけない。 「椿油」は1,2滴で充分なので楽でいいが、ぼくにとってはこれも面倒だ。 結局は、ほとんど何もつけてない状態である。 それでも髪につやがあるし、枝毛や髪細りはまったくといっていいほどない。 それは、無添加石鹸で頭を洗っているおかげだと思っている。 無添加石鹸がいかにいいかは、手を洗ってみたらすぐにわかる。 1週間もそれで洗っていると、ツルツル・スベスベになる。 怪我などをしていてもしみないし、環境保護にも役に立つ。 しいて難点をあげるなら、価格が高いということだけだろう。 それでもいいものはいい。
以前シャボン玉石鹸の社長の本を読んだことがあるが、石鹸職人が時間をかけて作っている、ということを書いていた。 「石鹸作りにも職人がいたのか。さすが職人の国」と変に感動したのを覚えている。 石鹸といえば、昔から機械で大量に作っているとばかり思っていたからだ。 「椿油」の良さもこの本で知った。
さて、明日会社で何人のひとが床屋に行ったのを気づくだろうか。 前回は毎日会っているにもかかわらず、1週間気づかなかった人がいたが、今回はその記録を抜く人がいるのだろうか? 楽しみである。
今日は忙しかった。 荷が次から次に入るし、お客さんは途切れないし、ひっきりなしに電話が入るし、心身ともに疲れてしまった。 パソコンの前に座っている今も、まだ放心状態は続いている。 一つの救いは、今夜はあまり暑くなく過ごしやすいということだ。 風はないのだが湿度が低い。 夏の夜はこのくらいがいいです。
さて昨日の続きだが、高校に入ってから買い食いの中身が変わった。 コカコーラからお好み焼きになったのだ。 高校に入学して、ぼくはすぐに運動部に入った。 当時は痩せて貧弱な体をしていたので、クラブを続けていくには、まず筋肉をつける必要があった。 どうしたら筋肉がつくだろうかと迷っていた時、ある人が「昼食を抜いて練習すると筋肉がつくよ」と教えてくれた。 さっそくぼくはそれを実践した。 おかげで2、3ヶ月すると見違えるような体型になった。 でもまだ16歳、腹が減るんです。 ある時ふと「あの人は昼食を抜けとは言ったけど、帰りに食うなと入ってなかった。それなら帰りに食ってやれ」と買い食い生活が復活した。 当時学校のそばには、お好み焼き屋が10軒近くあった。 そのせいもあり、お好み焼きが定番になった。 ぼくがよく通ったのは「美代志」だった。 そこのお好み焼きはうまかった。 ソースが独特なんです。 今でもその店は健在で、「お好み焼きのおいしい店」としてテレビでも紹介されたことがある。
その界隈のお好み焼き屋は全部行ってみたが、他においしかったのは「種ちゃん」ぐらいか。 他の店にない「モツ入り」が気に入っていた。 この間その辺を歩いてみたが、もう「種ちゃん」はなかった。 逆にひどい店もあった。 床屋の隣に店を構えていたが、食べている時に床屋の匂いがしてくるんです。 あれはたまらんですよ。 「お好み焼きの中に髪の毛が入っているんじゃないか?」と疑ってもいた。
それにしてもあの当時はラーメン屋が少なかった。 バス停の前に一軒あった程度だ。 今その界隈はお好み焼き屋が減って、ラーメン屋が増えているという状況だ。 「珍龍軒」という、ぼくが北九州で一番おいしいと思っているラーメン屋もその中にある。 仮に今高校生だったら、毎日「珍龍軒」に通うだろう。
社会に出てからは買い食いをしなくなった。 するのは飲み会ぐらいだ。 車で通勤しだしてからは、それもなくなった。
小学校に通っていた頃は、買い食いを禁止されていたので、学校帰りに文具以外の物を買うという行為はあまりやった覚えがない。告げ口をする奴が多かったので控えていたのだと思う。
中学に入ると、学校ではそういう細かいことを言わなかったので、毎日のように買い食いをやっていた。 その中でも一番想い出深いのがコカコーラだ。 当時いくらだったのかは忘れたが、学校帰りに駄菓子屋によってコーラを飲んでいた。 今のように缶に入っているやつではなく、びん入りであった。 その店にはペプシコーラや7UPなども置いていたのだが、コカコーラにこだわったのには理由があった。 それは、キャッシュバックをやっていたからだった。 王冠の裏をめくり、「○○円」という文字が出ると、その金額をその場でもらえるのだ。最高額がいくらだったのかは忘れたが、お小遣いの少なかった時代、これはありがたかった。 最初は千枚通しなどでふたの裏をめくっていたが、「目を突いた」などの事故が相次いだため、簡単にめくれるように切れ目が入った。 ぼくはけっこう荒稼ぎをやっていたようだ。 二日に一度は当たっていたような記憶がある。 どのくらいの期間このキャンペーンをやっていたのかは忘れたが、あまりに好評だったため、その後何度かこの手のキャンペーンをやっていた。
そのうちキャッシュバックも飽きたのか、高校2年の頃は「ヨーヨー」などのグッズが当たるキャンペーンに変わった。 この「ヨーヨー」がまた大ブームを起こした。 各地でヨーヨーコンテストなども行われていたようだ。 しかし、ぼくはヨーヨーが下手だったので、わざわざ「ヨーヨー」をもらうためにコーラを飲むようなことはしなかった。 というより、その頃にはすでにコカコーラに飽きてしまっていた、といったほうが正しいだろう。 とにかく、「中学時代にコカコーラを一生分飲んだ」と言っても過言ではないくらい飲みまくったからだ。
それにしても最近のコカコーラは甘くなった。 炭酸も以前に比べると、減ったような気がする。 昔は「ゲップ」をすると涙が出たものだった。 缶入りというのも味気ない。 ビールにしてもそうだが、やはり王道は「びん入り」なのだろう。
暑い! 夕方、歩いて本屋に行ったのだが、今日ほど影を求めた日はなかった。 建物や電柱の影を見つけると、それに沿って歩いていた。 信号や踏み切り待ちの時は、わざわざ後戻りして、影のある場所に身をおいた。 街全体がサウナ状態になっており、すれ違う人もあまりいなかった。 いつもは大手を振ってウォーキングをしている、暑苦しいおばさんたちも見かけなかった。 途中、カラスが道の真中をヒョコヒョコと歩いていた。 何か獲物を探していたみたいだが、あまりの暑さに汗をかいているように見えた。 ぼくが「カラス、暑いのう」と声をかけると、カラスは「カー」と言って首をかしげた。
本屋に着いた時は、虚脱状態であった。 一人風呂から上がったような顔をして、本屋の中に入っていった。 全身びっしょりだった。 しばらく涼んでから、以前から気になっていた本『台湾論』を探した。 ない。歴史の所を探しても見当たらない。 政治、国際、哲学、どこを探しても見つからない。 もう一度歴史の所を探してみたが、やはりない。 「あれだけのベストセラーがなぜないんだ!」と思いながら、足元に目をやった。本が積み上げてあった。 『アメリカの鏡・日本』、と書いてある。 「えっ!」なんと5年前から探していた本がそこにあるではないか。 すでに、『台湾論』のことは忘れてしまっていた。 何も考えず、あたかもその本を買いに来たような顔をしてその本を買った。 そしてぼくは満足した顔で本屋を出た。 探していた本のことを思い出したのは、家に着いてからである。 「まあいいや」と、ぼくはページをめくった。 それにしても分厚い本である。 読了までに何ヶ月かかることやら。
それにしても暑い一日だった。
2001年07月23日(月) |
飲みながら書いています |
以前読んだマンガの中で、裁判官がオーム真理教の教祖以下を正座させ、判決を読み上げるシーンがあった。 「ごたごた言うな。お前も、お前も、お前も、お前も、みんな死刑だ!!」 今日はこんな気分だ。 詳しくは書かないが、今日はいろんな人からジャブ攻撃をされた一日だった。 仕事のこと、プライベートのこと、いろんなジャブが飛んでくる。 そのときは大した事はなくても、後になってじわじわと利いてくる。 それに合わせて、怒りも増してくる。 見るもの触るものすべてに、当り散らしたくなる。 で、最後に脳裏に浮かんだ言葉が、「ごたごた言うな。お前も、お前も、お前も、お前も、みんな死刑だ!!」だった。 時間を追って怒りが増してくるという感じで、今もまだ怒りが収まらない。 今日は飲みながら書いている。
さて、この時期に飲む泡盛は最高にうまい。 頭からアルコールが抜けていくのがよくわかる。 やはり泡盛は夏の酒だ。 10年程前の社員旅行で沖縄に初めて行った時の話だ。 初日、バス観光を終え、ホテルに着いたのは4時過ぎだった。 7時から宴会があるのだが、まだ少し時間があった。 友人から「宴会までどうやって時間をつぶそうか?」と聴かれたので、「沖縄に来たんやけ、泡盛飲まんと始まらんやろ」とタクシーに乗って国際通りに向かった。 小料理屋を見つけたのでそこに入ることにした。 「いらっしゃいませ。何にしましょうか?」 「泡盛お願いします」 「25度と50度がありますが」 「初心者やけ、25度にして下さい」 「水割りにしましょうか?」 「いや、ロックでお願いします」 運ばれてきた泡盛を一口飲んだとたん、ぼくたちは「なんかこれ、ラムネやないか!」と言った。 「すいませーん。50度にして下さい」 「割りますか?」 「いや、ロックにして下さい」 これがうまい。 時間の都合で5杯ほど飲んで店を出たが、そのあとの酔い心地のよかったこと。 暑さで、頭からどんどんアルコールが抜けていくのがわかる。 至福のひとときだった。 3日間滞在したのだが、海に行くこともせずひたすら飲みまくっていた。 あの感激が忘れられずに、こちらに帰ってからも泡盛を飲んでみたが、全然違う。 やはり泡盛はあの紫外線の下で飲むのが一番なんだろう。
ということで、ぼくはこの時期に泡盛を飲むようにしている。 しかし怒りはまだ収まらない。 もう少し飲むぞ!
今年のオールスター戦は盛り上がらない。 イチローや新庄といったスターがいなくなったせいもあるが、マスコミが既成のスターばかりを追っているというのも、一つの原因だと思っている。 既成のスターというのは、巨人の松井や近鉄の中村など、マスコミが必要以上に騒ぎ立てる選手だ。 他の選手は、こういった既成スター選手の添え物に過ぎない。 カメラはいつもこの二人を追っているし、何のことはない場面なのに「さて、ここで松井の登場です」などと言うし、本当にどうかしている。 「中村はこの時期に、もうホームランを30本近く打っているんですからねえ」と言いながら、カブレラやローズを引き合いに出すものの、中村より多くホームランを打っているダイエー小久保の名前は出さない。 彼らにとって小久保は既成のスターじゃないし、彼らのイメージするホームラン王ではない選手だから、添え物以下の扱いにしかしなかったのだろう。 今日はともかく、昨日は「どこの球場でやっているんだ!?」という気持ちにさえなった。 パリーグの投票数一位の城島のインタビューすらないし。 シアトルを見習え!
プロ野球の人気が落ちた原因のひとつに、マスコミというのもあるんじゃないだろうか!? 去年の日本シリーズでマスコミは、ホークスを「日本の敵」扱いしており、テレビの解説はセリーグ関係の人間ばかりを起用していた。 福岡では、テレビを見ながら地元のラジオ中継を聴くという現象が起きた。 つまり、テレビの音を消していたわけだ。 巨人一辺倒のテレビ放送に怒りを感じていたからだ。 おまけに負けるし、去年ほど面白くない日本シリーズはなかった。
とにかくマスコミがこういうことをやっていると、選手もファンも面白くない。 それで、メジャーリーグに目を向けることになる。 ところが、メジャーに目を向けさせているのもマスコミなのだ。 いいかげんにしろ! いったいおまえたちは、プロ野球をどうしたいんだ!?
今日は隣の直方市で花火大会があったそうだ。 地元出身の魁皇関の優勝もあって、今日はさぞ盛り上がったことだろう。 それにしても今日の魁皇は強かった。 最初から攻勢に出ていて、危なげのない相撲だった。 横綱武蔵丸を土俵際まで追い詰められはしたが、最後は余裕で投げ飛ばした。 ここ一番の運に見放されてはいるが、おそらく今の角界ではNO.1の実力の持ち主だと思う。 つくづく、今場所の活躍が先場所にできていたら、と思う。 もしそうなっていたら、今場所は横綱になって初めての場所になっていたはずだ。 まあ、来場所も優勝して、地元九州場所で横綱デビューしたほうが、本人も嬉しいだろうし、地元も喜ぶだろう。
さて花火大会だが、ぼくは満足に花火大会は見たことがない。 見たことのある花火大会といえば、地元では「わっしょい百万夏まつり」と「洞海湾花火大会」ぐらいで、直方のも芦屋のも関門海峡のも見たことがない。 直方はどこでやっているのか知らない。 芦屋は何度か挑戦したのだが、道路が渋滞してしまって、着いたときには花火大会は終わっていた。 関門海峡は何十万人もの人が訪れるのだから、最初から諦めている。 わっしょい百万夏まつりは、前に勤めていた会社が会場に近かったので、花火の日は会社の屋上でバーベキューパーテイーをやるというのが恒例になっていたのだが、仕事の関係でまともに見たことがなかった。 洞海湾も見たといっても、会社帰りに花火が見えたので、そこに車をとめてちょっと見たという程度だ。 学生の頃、小倉球場(現在の北九州市民球場)でKBC九州朝日放送主催の花火大会のアルバイトをやったことがあるが、そのときもKBCのアナウンサーにこきつかわれて、満足に花火を見ることができなかった。
最近見た花火といえば、福岡ドームの開幕戦の時だったろうか。 ドームの中だからそんなに大きなものじゃなかったし、そう何発も打ち上げなかった。 スペースワールドの花火も時々見るが、会社の帰り、信号待ちしているときに、たまたま上がっているのを見たというもので、その状況では一発や二発ぐらいしか見れない。
以上みてきたとおり、どうもぼくは花火大会とは無縁の人間らしい。 一度でいいから大きな花火大会を、見晴らしのいい場所でビールでも飲みながら、最初から最後まで満喫したいものです。
2001年07月20日(金) |
小学生みたいな日記になった |
今日は休みでした。 昨夜は、けっこう遅くまでパソコンの前に座っていました。 さて寝ようかと床につくと、今度は寒くて眠れない。 結局寝付いたのは午前5時を過ぎていたようです。 目が覚めると昼の12時でした。 半ば習慣のようにパソコンの前に座り、またインターネットでした。 インターネットとはいっても、見ていたのは新聞のデーターベースばかりだったけど。 2時間も見ていただろうか、いいかげん飽きて、さてどうしようかと外を見てみると、大変天気がいいのです。 ここ何日か休みのたびに雨にたたられていたので、部屋に引き込んでいるのももったいないと思い、少しドライブすることにしました。 とにかく暑いので、涼を求めて、春に花見をした千石峡(3月31日の日記参照)に行ってきました。 春はじじばばが多かったけど、さすがに夏ですね。 着いたのは4時を過ぎていたけど、まだたくさんの子供達が川で泳いでいました。 モヒカンのにいちゃんも泳いでいました。 エアコンの効いた部屋で涼むのもいいけど、やはり自然にはかなわないですね。 水面を駆けて来る風は気持ちよく、野鳥や蝉が奏でる自然の音楽は心地よいものでした。 もう少し自然に浸っていたいとも思ったのですが、渋滞に巻き込まれると嫌なので、1時間ほどして戻ることにしました。 しかし、自然に触れた後のカーエアコンというのは嫌味ですね。 なんか健康を害されているようで。 ということで、帰りはエアコンのスイッチを切って、窓全開で帰ってきました。
今日はこれだけの一日でした。
さて、いよいよ梅雨明けです。 昨日の詩は、今日書けばよかったと思っています。 あまり夏の詩がないんですよねえ。 このHPに載せている詩は20年程前の作品がほとんどなので、辛いとか 悲しいとか 疲れたとか、いわゆる青春の悩みというのが多い。 今読み返してみると、実にくだらん。 でも、その頃の自分からあまり抜け出せていないのも事実なんですよ。
さて、最近車の調子が悪かったんです。 ブレーキのかかりが良くなく、踏めばキーキー音もするので、「これは一度見てもらわんと」と思い、知り合いの修理屋さんに頼みました。 見積りをしてもらったところ、パッド交換・タイヤ交換・オイル交換他で、消費税を入れて5万5千円ということでした。 9月に車検なのに、なんでこの時期に5万5千円も払わないけんとか!? さらに追い討ちをかけるように、「もうすぐ10万キロやけ、何と何を交換せないけん。けっこうかかるよ」とのこと。 どうやらぼくは、金払いのいい星に生まれついているようです。 次から次と、出費が付きまとう。 おかげで、お金が貯まらない。 これでも自粛しているんですけどねえ。 2,3年前から自粛体勢に入り、今ではポケットの中にはいつも2、3百円しか入っていません。 かつてはCDや本を買うのに月5万円以上使っていたのです。 でも、最近はCDを買ってないし、本は月2冊程度に抑えている。 昼食も弁当持参にかえるなどして節約している。 なのに、いつもまとまった金が出てしまう。 一昨年の11月に10万円、去年の今ごろ4万円、どちらも車の修理代に使っている。 去年の11月はスピード違反の罰金だ。 楽器店に販売委託していたギターも売れ、やっと楽になると思った矢先に、その楽器屋が倒産。 結局ギターの代金は入ってこないままだ。 昔読んだ占いの本に、「ドラマチックな人生をたどる」と書いてあったが、こういうドラマが準備されていたわけだ。 でも、めげてないということは、わりと面白い人生なのかもね。
「ぼくの夏」
大きく開いた 空の下を 夏 君と二人で歩いていく 静かな風は 汗をぬぐって 蝉の輝きは 時を止める
遠くで子供達が 野球をやっている カビの生えた想い出が 日にさらされ 今にも飛び出しそうな ぼくの幼さを 君は笑って 見つめてる
そうだこの夏 海へ行こう 忘れてきた ふるさとの海へ 君と二人で 子供になって 忘れてきた ふるさとの海へ
お祭りの夜 二人で浴衣着て いっしょに 金魚すくいやろうよ
幼い頃の 想い出が ぼくの夏を 駆け巡る 一足早い ぼくの夏を 君は笑って 見つめてる
今日の朝方は寒かった。 おかげで体が冷え切ってしまい、今日は体調が今ひとつ優れなかった。 目はしばしばするし、頭はがんがんするし。 これも梅雨明けが遅れているせいなのだろう。 いったい、いつになったら梅雨は明けるんだろう? 今日ラジオで、「もう梅雨明けと言ってもいいんだけれど、佐賀の上空にある雨雲のせいで梅雨明け宣言できない」みたいなことを言っていた。 夏が短いと、何か損したような気がする。 梅雨明けが遅い年とか、台風が多い年とかは、本当に嫌だ。 冷夏も嫌だ。 「8月中旬までは比較的涼しいが、残暑は厳しいでしょう」などという長期予報が出ると、本当に泣きたくなる。 やっぱり夏は夏らしく暑くないと夏とは呼べない。 汗をかきながらスイカをかぶりつかないと夏とは呼べない。
2001年07月17日(火) |
日本語の歌を海外に輸出しよう |
今、全米で鬼束ちひろの「イノセンス」が話題になっているそうだ。 もちろん日本語である。 某企業のCM曲として使われているらしいのだが、そのCMは業界雑誌で全米一位の広告に選ばれたらしい。 選曲に関しては一部の反対もあったようだが、選んだ人は「この曲しかない」と直感したという。 やはり歌は言葉じゃなく心なんですね。
それはそうと、日本人歌手がアメリカ進出する時は、決まって英語の歌をうたう。 そのほとんどがポップスやロックだ。 ノリが悪い日本人が、下手な英語を聴かせても本場の人に受けるはずがないじゃないか。 ピンクレディ・松田聖子・ドリカム、あれだけ金を使ったのにうまくいかなかった。 何年か前の日米野球の時、両国国歌を吉田美和が歌ったことがあるが、それを聴いてメジャーリーガー達は笑っていた。 アメリカ国歌を歌うのが日本人で、しかもあの下手な発音でやるもんだから笑ってしまったんだろう。 ドリカムの「WINTER SONG」がヒットした時思ったことがある。 「なんでこの歌がヒットするんか!?」だった。 ありふれた曲調だし、英語は下手だし、この歌がヒットチャートの上位にいるのが不思議でしょうがなかった。 きっと、ドリカムという「ブランド」だけで売れたんだろう。 もし、日本人が英語の歌で勝負しようと思ったら、宇多田ヒカル級の英語力は必要になるだろう。
とは言うものの、かつて海外で話題になった日本人ミュージシャンがいなかったわけでもない。 坂本九,サディスティック・ミカ・バンド,Y・M・O、彼らは一時的なものであるにしろ話題になったのは事実だ。 これはオリエント風の曲調やその演奏技術など、いわゆるアイデアでの成功だったように思う。 今回もこの路線のものなんだろうか? でも、日本語の歌が話題になっているというのが嬉しい。 これからも、「ポケモン」はじめアニメの中で流すなどして、どんどん日本語の歌を世界中に送ってほしいものだ。 きっと、韓国以外は受け入れるだろう。
小泉さんは選挙戦の最中、名古屋場所の表彰式に出演(?)するのだろうか? 武蔵丸が優勝した場合、また「よくやった。感動した!!」と言うのだろうか? 果たしてXJAPANのHIDEは今ごろ草葉の陰で、自分たちの歌が自民党のCMで流れているのを喜んでいるだろうか? ところでTOSHIは、まだ洗脳されたままなのか?
保守党のCMで、扇のおばさんが言っている「私にも直せます」は、30年前にフジカシングル8のCMで自身が言っていた「私にも写せます」のパロディか?
青島幸男がまた参院戦に出馬しているが、赤塚不二男はまたバカボンのパパに「国会で青島幸男が決めたのか?」と言わせるのだろうか?
昔、最多票で話題を独占した田英夫は影が薄くなったのう。
おたかさんも影が薄くなったのう。 まだ「社会党」党首と思っている人がいるんじゃないか?
由紀夫ちゃん人形は気味が悪い。実際ああいう顔だったら、誰も票を入れないだろう。いや、一部のマニアは入れるかもしれない。 あの額と目のところは、古谷三敏の「ダメおやじ」やのう。
外務省の不祥事は、いったいどの党に影響するのだろう? 真紀子大臣は責任をとらなくてはならないのか?
共産党の志位委員長は変な顔。 ぼくは小学生の頃、社会科で共産党は改憲を主張していると習ったが、「憲法9条を生かす国づくりを」と訴えているくらいだから、今は護憲なんだろう。いつから日和ったのか?
小沢さんの顔はなぜいつも疲れているんだろう?CM撮影で疲れたか?
新自由クラブはいつなくなったんだろうか?
これはいつ頃の日記だったろうか?
「落ちこぼれの歌」 旺文社のいう通りにしても、 成績は伸びなかった。 一夜漬けを教えてくれなかったからだ。
旺文社のいう通りにやって、 計画書作りが嫌になった。 でも、就寝という言葉をこれで覚えた。
「赤尾の豆単」のかわりに、 「毛沢東語録」を読んでいた。
旺文社の中間・期末対策は、 ぼくらの学校の範囲とは違っていた。
「ラジオ講座」の時間帯は、 朝鮮語放送の声のほうが大きかった。
むかし使っていたノートに書いてあったが、すべて旺文社の批判である。 今あるかどうかは知らないが、ぼくが学生の頃は「○○時代(旺文社)」と「○○コース(学研)」という雑誌があった。 上の日記を読んでおわかりだと思うが、ぼくは「時代」のほうをとっていた。 小学校の頃はろくに勉強もせず遊びまわっていたのだが、その反動からか「中学に入ったら勉強せないけん」という自覚だけは持っていた。 さて、その当時は学習塾というのはあまり一般的ではなく、勉強というのはもっぱら自分でやっていくものだった。 しかし、ぼくは小学生の頃からほとんど勉強したことがなかったので、その勉強のやり方がわからなかった。 そこで、その勉強のやり方を「時代」に求めたわけである。 それが失敗だった。 そして上の愚痴に続くのである。 高校に入ってからも「旺文社」には拒否反応を持っていて、半ば強制的であった「旺文社模試」は3年間一度も受けたことがなかった。 「おうぶんしゃ」、今でも嫌な響きである。
2001年07月14日(土) |
イメージという言葉から |
この人はこんな人だろうと思っていると、裏切られることがよくある。 例えば、「真面目な人だなあ」と思っていたら、実はとんでもない食わせ物で、裏で嫌がらせをされていたとか、逆に「嫌な奴だなあ」と思っていたら、実はとてもいい人だったとか。 ぼくはさそり座生まれのせいか、イメージで人を判断してしまうくせがある。 「もっと人をよく見よう」という思いから、姓名判断や人相学を勉強したりもした。 そのせいか、初対面の人に対しては、あまり自分をさらけ出すようなことはせず、その人の観察ばかりやっている。 よく人から「人見知りする」とか「シャイ」だとか言われるけれど、そんな単純なものではないのです。 言い換えれば、そうぼくに言う人も、そういうイメージでぼくを見ているのでしょう。
考えてみたら、だれもがイメージで物事を見ているんですよ。 何も人物観に限ったことじゃない。 例えば、その地方のイメージというのもある。 関東あたりに行くと、九州といえばド田舎というイメージを持っている人が実に多い。 横須賀に親戚がいるのだが、そこのおばさんが初めてうちに来た時の話だ。 北九州に着いた時、街並みを見て度肝を抜かれたそうだ。 「九州といえばさあ、山奥ってイメージがあるじゃん。来てみてびっくりしちゃったよ。横須賀よりもずっと街じゃん」と言っていた。 もう30年程前の話だが、今の北九州や福岡の街並みを見たら、もっと「びっくりしちゃう」だろう。 ぼくが東京にいた頃、下宿のおばさんに「田舎(北九州)は空気がきれいでしょう?」と聞かれたことがある。 今はそこまでひどくはないが、あの頃(20年程前)の北九州の空気の汚さといったらなかった。 しかもそのおばさんは、その何年か前に八幡製鉄所を見学に行ったというのだ。 いったい何を見てきたのか。 阿蘇や九重あたりと八幡製鉄所がごっちゃになっているとしか思えない。 これも、「九州→ド田舎→空気がきれい」というイメージなのだろう。
人間というのは、イメージからは逃れられない動物だとぼくは思っている。 それは他の動物に比べ、知能が発達しているからだ。 イメージで物事を見るから、他の動物ではありえない、いろんな事件を引き起こしてしまう。 最近頻繁に起こる殺人事件から、あの腹立たしい教科書問題に至るまで、いや人類の歴史すべてが、イメージの産物だと思っているしだいである。
(追記) 九州人の立場から言わせてもらえば、九州(とくに福岡県)は古代からずっと大都市だったんですよ。 だから歴史上の事件が、他の地方に比べて多いのです。 日本史でも、関西や関東は、九州の人が開拓していったことになっている。 ただ都から離れているという理由だけで、ド田舎扱いしないでほしいものだ。
ぼくの部屋はエアコンがないので、夏はいつも窓を開けっ放しにしています。 そのせいで、いつもいろんな虫が飛び込んできます。 天井を見ると、5、6年前に飛び込んできたカメムシの死骸がまだ貼り付いたままです。 この時期この部屋で、一番お目にかかる虫は「蚊」と「カナブン」です。 蚊の顔は異様ですねぇ。 あんな顔で人間ぐらいの背丈があったら、他の生物はみんな逃げて行くでしょうね。 昔マンガで、蚊の顔をしたエイリアンを見たことがあるのですが、見ていてあまり気持ちいいものではなかった。 一方のカナブンは、臭い。 最近まで気がつかなかったけど、部屋に飛び込んできたら、においでわかってしまうんです。 一種独特のにおいです。 それにしてもカナブンは、どうしてあんなにムキになって部屋に飛び込んでくるんだろう? どこにでも体当たりでしょう。 痛くないんかなあ? この間飛び込んできたカナブンは、照明器具の角にぶち当たって、体液まで流していた。それでもしつこく体当たりするんです。 畳の上に醤油色した体液が滴り落ちるし、大変でした。 ほっとくと翌日死んでいることが多いので、いつもカナブンが入ってきたら捕まえて外に逃がすようにしています。 さて、今も畳のヘリをカナブンが歩いています。 もうそろそろ追い出そう。 いいかげん臭い。
誰かに告げ口されて、被害にあったことはありませんか? ぼくは前の会社にいた時、被害にあったことがあります。 何の関係もない部下の女の子と噂を立てられ、それを誰かに告げ口され、左遷されたことがあります。 2ヶ月ぐらいでその誤解は解けたのですが、結局そのことを告げ口したのは誰かわかりませんでした。 今働いている店でも、「以前ここで働いていた奴から、辞めさせられた腹いせに、不正をしている人がいる、と投書されたことがある」と聞いたことがある。 もちろん事実無根でだったらしい。 いるんですよ。どこの世界でも。「チクリ屋」が。
それを国家レベルでやっているところがあります。 例の従軍慰安婦問題。 元々は吉田某という人が、自分の売名のために、慰安婦を取り上げた本を出版したことに始まります。 それをマスコミが大々的に取り上げて、大騒ぎになった。 もちろん韓国にもその話が伝わり、今に至る大々的なキャンペーンになった。 「これは一大事」と日本の学者などが現地に行って調査したらしいのだが、そんな事実はいっさいなかった。 そこで吉田某を追求すると、「あれは嘘だった」と認めた、という。 でも、それを不満とする新聞があった。 朝日新聞だ。 とにかく朝日新聞は中国・韓国は正義、日本は悪者と思っているような新聞だ。 他社が誤りを認めて謝罪したのに対して、朝日だけは一切謝罪記事を載せなかった。 そればかりか、こともあろうに元従軍慰安婦を探すようなことまでしている。 中国や韓国で、日本の政治家はこんなこと言っている、とかいうのも朝日だ。 「チクリ」以外のなにものでもない。 こんな新聞のシェアが高いものだから、国民は惑わされてしまう。 さらに「大学入試問題は朝日から」といわれると読まんわけいかんでしょう。 いいかげんにしてもらいたいものだ。
※従軍慰安婦・・・実は当時金に困った親が、自分の娘を女郎屋に身売りしたというものです。たまたま軍隊相手に商売していた所だったので、従軍ということになったのでしょうが、軍隊とはまったく関係ない民間のもの(ピー屋)だったのです。 中には家を何軒も建てられるぐらい稼いだ娼婦もいたとか。そういう人が今日本政府を相手にして賠償金を取ろうとしているのが実体です。慰安婦訴訟起こしている人が、「あの時稼いだ金返せ」と別の訴訟を起こしていたという笑い話もあります。
通勤時、駅前で道路工事をしていたせいか、えらく道が混んでいました。 おかげで朝礼の時間に間に合いませんでした。 朝礼なんかどうでもよかったんです。 今日はメジャーのオールスター戦を見たかったのでとにかく早く着きたかった。 会社に着いたときには、すでに試合は始まっており、1回の表が終わったところでした。 とりあえず、イチローの第1打席からは見ることが出来ました。 試合のほうは、テレビで何回もやっていたので、ここで書くのはやめておきます。
今さら言うのもなんですが、メジャーというのは日本のプロ野球とはまったく違いますよね。 プロ野球は、何か企業という感じがするんです。 企業名をチーム名にしているというのもありますが、「実力ではなく、監督の好き嫌いでレギュラーになった奴もおるんやろうのう」とか、三振やエラーなどをすると「こいつ試合が終わってから、ミーティングで詰められるんやろうなあ」とか、つい余計なことを考えてしまうんです。 ファンも型にはまった応援しかやってないし。 福岡ドームに行くと、試合そっちのけで外野席の応援ばかり気にして、同じ身振り手振りをやっている人や、えらそうにドーム初体験の人に「こうやって応援するんよ」とか言って教えている人をよく見かけます。 ああいうのを見ると、「お前ら、何しに来たんか!?」とつい言いたくなります。 試合が終わってからも、ファンミーティングなんかやっている。
その点メジャーは違うようです。 彼らはレベルの高い草野球をやっているように、ぼくには思えるのです。 細かい事は抜きにして、自分の思いのままにプレーをしている。 「おれのプレーを見ろ!」という、彼らのあの慢心(?)が実にいい。 ファンも誇りを持って応援している。 しかも野球をよく知っている。
下手な応援の振り付けのビデオなんか売るより、正しい野球の見方のビデオを売ったほうが、日本のプロ野球界のためになると思うんですがねぇ。
2001年07月10日(火) |
日記をつけ始めてもうすぐ半年になる |
1月から始めた日記だが、改めて読んでみると、最初の頃に比べ文字数も増え、一応日記の体裁が整ってきているようです。 書いていることは最初の頃と基本的には変わらないが、最近は教科書問題など堅い内容にも触れています。 教科書問題や近隣諸国関係については、以前(7年ほど前)から感心があり、それなりに勉強していました。 しかし、まだまだ勉強不足で、一部感情的な思い込みで書いている個所もあるかもしれません。 誤りなどを見つけた場合は、随時書き直していこうと思っています。
それにしても一貫性のない日記ですねえ。 腹が出て困っているとか、眠たいとか、結局は長続きのしなかった山登りの話とか、教科書問題の翌日がクマゼミのナンパの話とか。 結局は持続性のない、飽きっぽい性格が浮き彫りになった観があります。 まあ、広く浅く、行き当たりばったりが、ぼくの流れだと思っているので、その辺は目を瞑って下さい。
さて、今日は会社の焼肉パーティでした。 甘栗ちゃんも参加していたのですが、彼女は最後まで食べていました。 みんなが片付けをしている最中も、皿を片手に黙々と口を動かしていました。 「甘栗ちゃん、もう終わりよ」と言うと、「サザエを食べるまで帰れないんですよぉ」とちょっと困った顔をしていた。 持って帰って食べればいいのにと思ったが、だれもそのことは言わなかったようです。 まだ食べている甘栗ちゃんを尻目に、みんな解散して行きました。 もしかして、まだ食べているんだろうか?
朝方、突然「わしわし」が鳴き出した。 5秒ぐらいだったろうか。 すぐに鳴きやみ、もう鳴かなかった。 ひょっとして、「ちょっと早かったかのう。おれだけしかおらんやん」とでも思ったんだろうか? そして「でも、土の中に戻るわけはいかんし、他の奴が出てくるまで待ち長いのう・・・」と途方にくれたか? それにしても蝉は、成虫になってから1週間しか生きられないのを知っているんだろうか? 知らなくても、彼らのプログラムされた1週間は実にあわただしい。 1、まず人前で鳴かなくてはならない。 初めて人前で歌った時のことを思い出してほしい。 あんなに緊張することはなかったはずだ。 2、樹液の飲み方を覚えなくてはならない。 3、小便のひっかけかたも覚えなくてはならない。 4、外敵から身を守らなくてならない。 特に人間の子は、残酷でしつこいから要注意である。 5、そして女を見つけなくてはならない。 もし見つからなかったら、一生童貞になってしまう。 仮に見つけても、失敗は許されない。 ビデオで予備知識を付けるわけもいかないから大変だろう。 6、死に場所も考えなくてはならない。
ところで蝉は7年間も土の中で何をしているんだろうか? その時点で彼女を探すわけもいかないし・・・ 大変やのう、蝉は。
今日のYahoo News 【日本の歴史教科書問題に関連し、韓国の再修正要求に対する日本の回答が不十分として「政府は駐韓日本大使の追放や在日韓国大使館の撤収などを含む強硬な措置を取るべきだ」との声明を出した。韓国政府は、措置として、日韓基本条約の再検討や政府高官の交流中断なども挙げた。】 はいはい、勝手にして下さい。 国交も断絶して下さい。 こちらは何も困りませんよ。 困るのは韓国系企業と在日コリアンぐらいだろう。
さて、昨日書いた日記がわかり辛いという声があったので、わかりやすく説明します。 性質の悪いチンピラを車ではねた、と考えればいいでしょう。 長い時間をかけ示談が成立し、損害賠償や慰謝料も払い終えた。 「やれやれ、これで普通の生活に戻れるぞ」と思っていたら、例のチンピラから「痛みが引かなくてねえ。また入院ですわ。ちょっと都合してもらえんですか?」と連絡が入った。 こちらが「それは示談の席で終わっているじゃないですか。あの時、後遺症についても話がついているじゃないですか」と言うと、「それは保険での話だろうが!あんたからは何の謝罪もなかったじゃないか!誠意を見せろ!」と凄まれ、しぶしぶ金を払った。 その後も彼は、いろいろ難癖をつけて「謝罪」という言葉を持ち出し、金を要求してくる。 さらに「あの時お前は、おれを殺す気だったんだろう。『父ちゃんは人殺しだ』とお前の子供に教えておけ!」と言い出す始末。 子供に本当のことを言おうとすると、「どうして嘘を教えるんか!ちゃんと本当の事を教えんか!そうせんと示談を取り消すぞ!」と言ってくる。
これが、戦後の日韓、日中関係の一面です。 日本からの資金援助や技術提供などに対しての謝意は、無いに等しいとのことです。 参考までに「私的日本史」から、「戦前と戦後」のくだりを掲げておきます。
そうだよ あのころ、 アメリカはジャイアンで、 中国はスネオだったんだ。 日本はというと、 ドラえもんなき のび太だった。
ところで今は、 中国がジャイアンで、 韓国がスネオなんだ。 相変わらず、 日本はのび太だが、 今はアメリカという ドラえもんがいる。 いまだジャイアンでもあるが。
2001年07月07日(土) |
いいかげんにしろ!韓国 |
家に帰って、いつものように『YAHOO!NEWS』を見ると、「またかぁ」というような見出しがあった。 【<歴史教科書>再修正受け入れなければ、韓国は「強力な対応」】である。 どうやら、韓国は【日本政府が韓国政府による日本の歴史教科書の再修正要求を受け入れなかった場合、日本の大衆文化開放の見直しなどの「強力な対応」を取る方針を固めた】らしい。 さらに【▽日韓閣僚協議の中断▽日本の国連安全保障理事会常任理事国入り反対▽国連などへの問題提起――などの対抗措置の実施を検討する】ということだ。
これは、友達のおばちゃんがうちの母ちゃんに「あんたんがた子はマンガばーっかり読んでうちの子にろくなこと教えん。あんたんがたがマンガ読ませるんなら、うちの子とは遊ばせんばい」と言ってくるのと同じことである。 子供じみた内政干渉はやめてほしいものである。 1945年8月15日は、どうして「玉音放送を聴く日本人」や「皇居二重橋前で土下座する日本人」ではなく、「解放を喜ぶ韓国人」の写真を載せないとならないのか? 日本の歴史教科書に、どうして韓国の英雄を載せないとならないのか? いったい韓国人は、日本人にどこの国の歴史を学ばせたいのだろう? いいかげんにしてほしいものである。
日本政府は彼らに「ガツン!」と言ってやれないのだろうか? 江戸時代に朝鮮通信使という使節があったが、彼らは来日すると決まって「豊臣秀吉の朝鮮出兵の件を謝罪をしてほしい」と迫ったらしい。 その時幕府はいつも「聞く耳を持たず」で通したという。 どうして今の日本政府はそれが出来ないんだろう?
それにしても、わが国はどうして韓国や中国に干渉されると、いつも過敏に反応するんだろうか? 彼らは、無知な金持ちのボンボンに、ありもしない父親の過去を吹き込み「お前の父ちゃんは昔こんな悪いことをしたんだ。許してやるから金を持って来い」と難癖をつけてくる、たかり野郎のようなものである。 「聞く耳持たず」で通せばいいのだ。 そしてひとこと言ってやればいい。 「これ以上干渉してくるなら、日本軍の復活を考える」と。
今日のニュースで目を疑うようなことが書かれていた。 コンゴ(旧ザイール)で、先月「魔女狩り」が行われ、約400人が殺害されたという話だ。 魔術を操ったと疑われた住民が「悪魔払い」を呼びかける群集のリンチに遭い、こん棒などで殺されたという。 コンゴは今でも魔術や呪術への信仰が根強いということで、おそらくそこの住民は、むかしの風習に従ったまでなのだろうが、何も21世紀の世の中に持ち込まなくてもねえ。 「魔女狩り」といえば、中世ヨーロッパの遺物じゃないか。 まだやっている国があったとは。 やはり世界は広い。
それにしても信仰というのは、心の安らぎを得られるが、集団化するとこれほど危険なものはない。 わが国は「魔女狩り」というものはなかったと思うが、いわゆる「宗教戦争」というのはあった。 「一向一揆」や「島原の乱」というのがこれに当てはまる。 「一向一揆」は、「戦死すれば極楽浄土に行ける」と言って信者を煽ったという。 もちろん無知な信者は、ありがたがって命を落としている。 大東亜戦争でも似たような一面はあった。 ぼくは常々、宗教団体というのは自分勝手な思い込み集団だと思っている。 一般社会に適応できないのか、いつも周りとトラブルばかりおこしている。 本人たちが「善かれ」と思ってやっている集団の「お題目」も、傍からすればただの「騒音」に過ぎない。 そういうのは、人のいないところでやってもらいたいものだ。
さて「魔女狩り」だが、魔女かどうかは知らないけど、魔女らしき人というのはけっこういますよね。 ・勝手な思い込みで人殺しをする人。 ・ありもしないことを触れ回って世の中を騒がせる人。 ・しつこく嫌がらせばかりやる人。 こういうのも一種の魔女ですよね。 こういう魔女の場合、どう対処したらいいんだろう? まさかこの国で「魔女狩り」をするわけもいかないだろう。 いっそコンゴにでも行ってもらうか。
「これでもか!これでもか!」と気合の入った雨が降っている。 でも、もう梅雨も終わりだろう。 今日の雷はなんとなくそんな気配だった。 むかし観天望気の本を読んだことがあるのだが、梅雨明けの時は東風が吹くと書いてあった。 最近は煙突が減ったので、東風を確認することが難しくなったのだが、その本を読んだ当時は「梅雨明け=東風説」は当たっていたように思う。 明日もし煙突の煙を見ることがあれば確認しておきます。
梅雨明けといえば、不思議と梅雨が明けた後、何日かは晴れないんですよね。 あれはどうしてだろう? 北上した梅雨前線が低気圧を呼ぶんだろうか? 素人のぼく達から見れば梅雨が続いているとしか思えないのだが。
今日、バカなニュースを見た。 「リバプール空港」の名前を「リバプール・ジョンレノン空港」に変えるというのだ。 「えっ?」これじゃあ、ポール・マッカートニーは怒るだろう。 ジョージ・ハリスンもリンゴ・スターも穏やかじゃないだろう。 ジョン・レノンは、確かにカリスマだったかもしれない。 でも、エリザベス女王から貰った勲章を返却したはずだし、最後までニューヨークにこだわっていたんだし、ソロになったあとは英国にプラスになったとは思えない。 何か腑に落ちないですね。 いまだに英国で現役やっているポールは、きっと面白くないと思うよ。 どうして、「ビートルズ空港」にしなかったのだろうか? 名前をつけた人は、ビートルズよりジョン・レノンのほうが上だと思ったんだろうか? ぼくは決してジョン・レノンが嫌いなわけではないけど、功績や知名度を考えたら、やはり「ビートルズ空港」にしたほうが自然だと思う。 世界中のファンもそれで納得すると思う。 ビートルズファン=ジョン・レノンファンだとは限らないのだから。
2001年07月03日(火) |
カラオケに行きました |
今日は高校時代の同級生とカラオケに行き、午前1時頃に帰ってきました。 久しぶりに古い歌(主にGS)を気兼ねなく歌えたので満足しています。 最近腹筋をしているせいか、以前より息が続くようになったみたいです。 腹筋は腹回り対策で始めたのですが、何に役立つかわかりませんね。 もしかしたら毎日やっているラジオ体操も、どこかで役に立っているのかもしれない。
それにしても、今日も暑かったですね。 大分では35度を記録したそうです。 暑さのせいで、家のエアコンのききが悪く、「ガス抜けか?」と思ったのですが、部屋を出てみると温度差があったので安心しました。 パソコンを修理に出しているし、その上エアコンもということになればたまりませんからね。 とにかく、今日の空の色は本当に真っ青で、夏本番を感じさせられました。 そんな中、畑仕事をしている人がいました。 うちの団地にちょっとした空き地になっている場所があるのですが、そこで家庭菜園をやっている人が何人かいるのです。 何を育てているのか知らないけど、わざわざこんな暑い日を選んでやることないのに。 その人たちは別に商売でやっているわけでもないのに、ホントようやるわ。 10時ごろから3時ごろまでやっていたようです。 ぼくなら倒れているでしょう。
ということで、今日はここまで。 もう眠たいです。
5月29日の日記に書いた「ギターが売れた件」ですが、今日ショッキングなことがありました。 6月末に振り込むと言っていたので、昨日からiモードで預金残を見ていたのですが、全然増えてない。 一抹の不安がよぎったので(あまりしたくなかったのだが)今日先方に連絡してみました。 すると受話器から「お客様の都合で電話を止めています」とのメッセージが聞こえてきました。 電話番号を間違ったのだろうと、もう一度番号を打ってみました。 でも、やはり同じ応対。 移転したと聞いていたから、電話番号を変えたのかと思い、104で聞いてみました。 電話番号は変わってない。 もう一度電話しました。 やはりかからない。 先方から貰っていた名刺に下関支店の電話番号が書いてあったので、そこに電話してみました。 ここも同じ応対でした。 そこで、古くから付き合いのある、楽器メーカーの人に電話を入れてみました。 「ええっ?知らんかったと? あそこ倒産したよ。資金繰りに困って、夜逃げしたよ。うちも被害にあったけど、最小限に押さえられた」ということでした。
ふざけるな、K楽器のT.I!! なにも好き好んでマーチンを手放したんじゃないんだぞ! お前のために何人の人が泣いているか知っているのか!? 馬鹿野郎!!
結局、お金は振り込まれなかった。
2001年07月01日(日) |
祭りばやしが聞こえる |
毎年この時期になると、3号線沿いで決まって聞こえる音がある。 「黒崎祇園(詳しくはここ)」のお囃子の音である。 ぼくは43年間、このお囃子に慣れ親しんでいる。 上のサイトを見ればわかるけど、元々は戦国時代の陣太鼓だったんですね。 どうりで血が騒ぐはずだ。 小倉の「チャンカ、チャンカ・・・」というあくびの出るような単調なリズムに比べると、ずいぶん勇ましいものである。 よく、小倉祇園のキャッチフレーズに「勇壮な太鼓祇園」とあるが、あれのどこが勇壮なんだろう? ただ、映画「無法松の一生」が当たったので有名になっただけじゃないか。 太鼓なら「黒崎祇園」のほうが勝っている。 九州夏の三大祭り、博多、戸畑は納得行くのだが、どうして「小倉祇園」が入っているのか? ぼくは不思議でならない。
さて黒崎だが、例年どおり7月20日が前夜祭、翌21日から23日までが本番になります。 人出はショーモナイ小倉祇園よりは少ないですが、祭り気分は充分に満喫できますよ。 行ったことない人は、太鼓の音を一度味わってみて下さい。 暇がある人は小倉と比べてみてはどうでしょうか?
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