夏コミ前日にWE WILL ROCK YOU.を見に行って、すっかりQUEENの曲に魅せられてしまった。なので、最終公演の日には有給を取って仕事を休み、京さんと朝から並んで当日券を買い、大興奮で最後の最後まで居残り、ラメテープを取りにステージ際まで行ったり、楽譜を取りにきたスタッフさんにもサイリュゥムを振ると、そりゃ何時までも興奮冷め遣らぬ状態だった訳だ。 ちなみに体調はコミケ後から更に悪かったんだが…なぜかこの日は絶好調に良かったな(笑) ボーカルはエイズで死んだんだよね、ずっと前に。とか京さんから聞いて、へー、とか思っていたり。 そういや名前は知ってるけど、活動してるとか新曲とかしらないよねーとか。 ところで、どんな曲歌ってるのさ。とか。 そんな状態なのに、あたしはクイーンと言うバンドの名前はずっと前から知っていたわけで。 深夜の宣伝で(たぶん日テレ)この公演の宣伝を見たのは梅雨前だっただろうか。絶対に行かないと後悔すると、そのとき確信に近い予感を感じていた。なんでかわからないけど、そう思って、京さんを誘ったけどそのときはいい返事をもらえなくて、仕方なく自分一人でも8月ごろ行こうと思っていて。 7月末に、イギリス公演のCDを買ったり。結局京さんも一緒に行ってくれたし、同じようにはまってくれたので嬉しかったり。 CDを聞いて、聞いたことのある曲が出てきた。10年以上前に聞いた曲で当時の友人が好んでかけていたものだった。 ボヘミアン・ラプソティー この曲は強烈に覚えていた。出だしのコーラス、その後のオペラ部分と頭に刻みこまれていて、急にQUEENが近くに感じた。 最初の公演を見に行った後、布団の中でいろいろ思い出した。 高校生だった頃、エックス(ジャパン)とかにはまっていてHIDEはQUEENが好きだと言っていた事とか。 それを聞いていた私に、エックス聞くならQUEENのような本格的(?)なものを聞けと言った友人とか。 ボーカルが死んだのはエイズのせいで、そのボーカルはゲイだったんだと教えてくれた友人とか(かく言っていた『彼女』はまだ元気なんだろうか。あのころ、随分体調が悪いと言っていたが音信不通だ) その頃、年頃のお嬢さん達はほとんどジャニーズ系で、当然のように光GENJIを歌い、少年隊を踊っていた中で、自然と男闘呼組(日本にはじめてラップを持ってきたのは彼らだと知っている人は何人いるのだろうか)に惹かれ、その後TM NETWORKで、エックスになって…とだんだんエレキが身近になるにつれ、QUEENと言う『神様』を皆が目標にしている事を知るようになる。 女王様? そう言って茶化していただけだけど、誰もが口を揃えて目標とし、信仰?する神様はどんな曲を奏でるのか。気にはなったが興味はなかった…英語は赤点だったから意味が全然わからなかったし、ヘビメタやビジュアル系だった自分にR&Rは好みじゃなかった。 今思うと、知らないうちにCMや店舗のBGM、好きなバンドの音の隙間なんかでQUEENは近くにいて、気付くのをじっと待っていたかのようだ。 最終公演の日に限定ベストソング集を買って(ちなみにこれは不良品だったので、現在交換を依頼中)聞いてるうちに泣けてきた。 大袈裟ではなく、泣けてきた。 初めての曲で泣くのは初めてだった。 「お帰り」と言われた気がした。 彼らの事は何も知らないけど、この声はもう新しい歌を歌ってくれないのかと思うと切なかった。 遅かったけど、遅すぎるというわけではない。 メンバーのブライアン・メイはそう言った事があるらしい。イギリスでWWRYの公演が決まった時らしいのだが。 その通りだ。 彼らを知るには随分遅かったけど、出会えたのだから遅すぎるということはない。 赤子の時に日本へやってきて、親と同じ世代の人々を魅了した彼らは、30年後の秋にまた日本へやってきて…彼らの子供達を魅了するのかと考えるとすごくどきどきする。 何てかくとうちの両親はQUEENのファンのようだが、母は彼らの名前しか知らなかった。そして父は彼らの名前も知らなかった。 ま、人生だってそんなモノだ。 いつだって自分の周りで起こる事、自分の中で起こる事が世界最大級の出来事なんだよな。 他人にとってはどうでもいい事ばかりなんだけどさ。 そして他人が言う最大級の出来事なんて、自分にとってはどうでもいい事なんだよな。
映画を見なかったわけでもなく、何も無かったんだが。 日記をサボっていたのはただの無気力なだけなんだなぁ。 腎臓を壊したらしく… 内科を受けたら、肝臓も弱っていると。 飲み過ぎだろうか(溜息) 気管なども弱っているらしいので、耳鼻科と循環器かも併せて受けろと。 そんなに体悪いのか。 ・・・・ ハヤテさんごっこ?(違)
|