”BLACK BEAUTY”な日々
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Boogie
初期ストーンズのリーダーであった故ブライアンジョーンズの死因を巡っては自殺説、他殺説と諸説入り乱れているが、他殺説に立った映画が公開されるらしい。
この事で今日友人とメールをやりとりしていたのだが、自分にとってリアルタイムで最も衝撃を受けたのはロニーレインというミュージシャンである。
ロニーレインは60年代、スモールフェイセズというモッズバンドでベーシストとして活動していた。その後、ギター兼ボーカリストのスティーブマリオットがハンブルパイという新バンドを結成するために脱退。バンドは解散の危機を迎えるが、当時ジェフベックグループに在籍していたロッドッスチュアートとロンウッドをメンバーに加え、フェイセズとして新たなスタートを切ることになった。
フェイセズは「世界一の酒量を誇った」とも言われる、元祖酔いどれロックンロール・バンドとして「ステイウィズミー」などのヒット曲に恵まれる。
ところが、ボーカリストのロッドシュアートが自身のソロワークにどんどん傾倒していき、フェイセズはロッドのバックバンド的な扱いを受ける事となってしまう。
それに嫌気がさしたロニーレインはフェイセズを脱退、ドラムのケニージョーンズは亡くなったキースムーンに代わりフーに加入。ロンウッドはストーンズに加入、ロッドはソロとして活動を始め、フェイセズは解散した。
解散後、ロニーレインは、スリムチャンスというバンドを結成し、「エニイモア・フォー・エニイモア」(74年)、「スリム・チャンス」(75年)、「ワン・フォー・ザ・ロード」(76年)と3枚のアルバムを発表。いずれもフェイセズ時代とは異なるアコースティック調で地味ながら哀愁を漂わせた、独自の世界を演出した。
順調に思えたロニーを、77年悪夢が襲う。彼の生命を奪うことになる多発性脳脊髄硬化症の発症である。 この病気は現在でも決定的な治療法がなく、ロニーは車椅子での生活を余儀なくされ、長い闘病生活に入る。
それでもロニーは車椅子でステージに上がり、極めて小規模でのツアーを行った。
そして1990年には待望の来日公演が実現した。同時期にはストーンズの初来日公演が、日本中を席巻しており、メンバーの名前さえ知らないような、無知なファンや芸能人らが東京ドームに集結していた。
ロニーの来日公演は渋谷のライブインで行われた。 車椅子に座ったまま、歌い続けるロニー。元々繊細な声がさらに繊細な声になっている。観客のほとんどの人が涙を流していた。
そして1997年、ロニーは帰らぬ人となった。
今でも俺はふと思い出したようにロニーのアルバムを聴く。 繊細で派手さとは無縁のアルバムだが、心に染み渡る穏やかな感覚は他のアーチストにはない、ロニーだけの大切な宝物だ。
もし、これを読んで頂いた方で興味のある方は是非彼の音楽に触れてみて欲しい。オススメはファーストのエニイモア・フォー・エニイモア」です。
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