2007年03月17日(土)
半ば無理やりに厄をおとした


子供を産んでからというものの、めっきりきちんとモノが書けなくなった。
以前もPCばかりに向かっていると、筆は荒れるし、それはそれで大変だったのだけど、
きちんと呼吸を整えて、例えば美味しいお水を飲むとかして、「リセット!」を心がければ、
とりあえず原稿用紙には何とかモノが書けていた。


物心がついて以来、こんなに書かなかったのは初めてかもしれない・・・・というくらいに書いていない。
自分ひとりの世界にこもることが許されない環境になったということなのだろう。
ものすごくやるせないし、悲しい・・・・今まで出来ていたことがこんなにも簡単に適わなくなる。
あたくしはそこまで器用な人間ではないので、傍らに音速進化する有機物を抱えながら、
悠久のゆったり感で以って創作するという、凡そリズムの違いすぎる作業を並行することなぞ出来ない。
あんまり器用すぎるオノレというのも、不気味でイヤなので(笑)、
今ある自分を恨んだりはしないわけだけど、気が急くばかりの今の暮らしよりも
前のようなゆったり創作モードの方が好きといえば、好き。
何も考えずに、ほぼ空想して1日が終わることもよくあったから、幸せな話だよ(苦笑)。


少し前。
山賊と話をしていた時のこと。
実は昨年がかぞえで本厄だったんだよね(神社で生まれ年を見てきた)、そうか、厄年だったのか・・・・
ってことは、今年は後厄かぁ・・・・と、いきなり思い出して、あたくしが口にした。


「ほぅか、厄年やったか。」

「そういえば、去年、戌の日のお参りに行った時に、
厄除けのお祓いをしてもらってる人と一緒になったんだよね。
私もやってもらえばよかったんだけどさぁ、
ほら、厄年に子供を産めばそのまま厄落としになるっていうやん?」


「でもお前・・・・ホントに厄は落ちたと思うぞ。・・・・ホントによかったなぁ。」



山賊も思いがけず真面目な感じで言うもんだから、ちょっと面食らった。
けれど、彼が良かった良かったと言うので、きっと本当に良かったに違いないとこっちも思い込めた。
顔色悪く、幽霊のように自分の娘が暮らしていることに、この人はずっと心を痛めていたのだ。
親不孝に親不孝を重ねて30余年・・・・子を産んで、やっと親孝行が出来た気がした。
孫という存在を作ってあげられたということも勿論だけど、
あたくし自身も体調がすっかり回復し、健康に暮らせるようになったということ。


子を産んで、もうひとつ根本的に変わったこと。
今までは自分だけのために生きるのに必死で、無理とか無茶とかもいっぱいした。
不摂生だったし、無用心でもあった。
だけど今は、明らかにあたくしは自分のためだけに生きているのではない。
生きる価値を自分以外のところにだけ見出すのはまた問題だけど、
バランスさえ損なわなければ、自分の外にその価値を少し放出した方が楽だということにも気づいた。
人間、ずっと変わらずにいられたほうがいい部分と、そうでない部分とが混在している。
いつまでも前にこだわって、昔ばかりを見つめていてもだめなんだなぁと最近切に思う。
子が進化する同じスピードで、親も進化していかなければならない。
待ってくれと頼んで、待ってくれる相手でもない。デジタルに答えが出ることも少ない。


有機物同士のぶつかり合いなんだよなぁ。
あたくしは、自分の厄が落ちて、初めて自分がナマモノであるということを
コレでもかというほどに思い知らされている。
しかし、そういう感覚は悪くない。気持ちのいいものだ。

↑ほんのりとした希望ってことでw

血の通った動物であることを忘れなければ、まぁよしとするか♪
自分も含めた「人」に対して、優しくありたいもんだ。
忙殺されるようになると頭がぼんやりするけれど、そういうことを忘れたくないんだ。

あさみ


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あなたの毎日にずぅむいん・・・・

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