2007年03月18日(日)
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仙人になりたいといった漢 |
山賊の養父、つまりあたくしの祖父がこの日逝去した。 癌を患っていたのだけれど、齢八十を超えるということもあり、病の進行も急激過ぎた印象ではなかった。 とはいえ、あの精気の塊のようだったじいちゃんの命が終に潰えた現実は、 やはり物悲しく、寂しいものだ。
じいちゃんは、ばあちゃんと一緒にずっと飛騨の山奥に住んでいたのだけれど、 3〜4年前くらいからだったか、叔父と家の離れで一緒に住み始めた。 山奥の大田舎から普通の田舎(笑)へと暮らしが遷ってからは、嘗ての豪傑さはすっかりなりを潜めたが、 それまでのじいちゃんは、何というか・・・・鉄人みたいな人だった。
生まれた土地や時代に反して、とても前衛的な考えをする人で、しかも発展的。 よっぽどうちらのほうが物事の常識というものにとらわれすぎているようにも思えるほど、 じいちゃんは自由であった。
もう、随分前の話だが。 まだ山奥に住んでいたころのこと。 あたくしたちが遊びにいった折、更に山の奥に入ったところの小屋で隠居をしたいんだよと言っていた。 何をするでもなくのんびりと暮らしたい。 そう言いたくなるくらい忙しくしていた人だったから、気持ちは理解したけれど(笑)、 あまりに俗世からかけ離れてしまう生活を希望していたので、周囲の人間は挙って
「そんな仙人みたいな生活・・・・( ̄∇ ̄;)」
と、半分呆れてそう言った。 しかしじいちゃんは、その言葉にすら満足そうに
「仙人になりてぇなぁ。そしゃ、霞を食うて生きていけるぞょ(笑)」
豪気の中に穏やかさを見せつつそんなことを言うのだった。 この人の言う隠居は、本当に書いて字の如く隠れ住むことなのかと、感心したっけ。 普段から、精進料理みたいなものしか食べていない暮らしだったから、 彼が霞を食って生きていくと言えば、何となくそういう現実もあるのかしらと錯覚してしまう。
彼と山賊、そしてあたくしは血が繋がっていないけれど、 やっぱり彼がいないと山賊は山賊ではなくなってしまい、そしてあたくしもいなかったのだろう。 血が結ぶ縁以外にも、濃密なつながりがあるということを深く知らされる。
次の誕生日までもてばいいなぁ・・・・。 そんなことを思っていた矢先の逝去であった。 あたくしは、じいちゃんと同じ誕生日なのだ。これも奇妙な縁である。
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