2005年07月16日(土)
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クマの仔、トラの仔、人の子 |
病院へ行ったら、丁度、双子用ベビーカーに乗せられた赤ちゃんに遭遇した。 ぷよ2と2人で、
「あぁいうのは、直列型と並列型があるけれど、どっちがいいんだろうね?」
なんていう話をしていた。 親類縁者、知人友人に近く双子が生まれたという話を聞かないので、 本当は本人たちに乗り心地を聞いた方がいいんだろうけれど、本人どころかその親にさえ 赤の他人だと聞くのを憚られる(笑)。 6〜7年前に、中学の時の同級生が双子を産んだという話を風の噂に聞いたんだけど、 彼女とはもう疎遠になってしまっていたので、今はどうしているのかも・・・・。 多胎児は、産むのも育てるのも一気に済むが、やっぱり大変!! なんていう話を聞いたけれど、 奇蹟の授かりもの(特に一卵性)には違いないので、競いながらもすくすく育て〜♪と エールを送りたい気持ちでいっぱいになります^^ それにしても、直列型と並列型・・・・どのようなメリット&デメリットがあるのかしら? ちょっと気になってました(苦笑)。
その翌日に「アンビリーバボー」の再放送を見ていたら、シロクマ(ホッキョクグマ?)の 人工哺育奮闘記なるものがやっていて、こっちも興味深かった。 人間の赤ちゃんになら、母乳が出ずとも市場に色んな人工乳が出回っているから、 多少のリスクはあれど、極限の栄養不足には陥らないけれど、 これまで、ホッキョクグマの人工哺育の限界は2ヶ月半くらいで、 大人にならずに死んでいってしまう例ばかりだったんだそうだ。 そのクマが、今や5歳。立派な大人に成長するまでの生育記録を追ったものだった。 元々、極寒の地で生まれ育つのが本当なので、初乳さえ飲んでおけばある程度の免疫力がつくし、 ウィルスそのものがあまりいない環境で暮らしていくので問題はないそうなんだけど、 初乳も飲めず、育児を放棄してしまった野生ではない母熊の近くで育てることも不可能で、 そんな中、ありとあらゆる手段を模索して、クマと24時間一緒に生活した飼育員の話だった。
黒目がちの愛らしい姿が、後に体重300kg級にまで成長するという現実は、 人間といつまでも始終一緒・・・・という生活に無理が生じる予感すら残酷に思えたりする。 動物園という場所は、元々、人間のエゴだったり、自然界で淘汰されてしまった動物たちの集まりなので、 どこからどこまでが慈善、ここからはエゴというふうな線引きも難しいのだけど、 いずれ、じゃれているうちに、クマの本領(本能)を発揮する時が来て、 まだ力の弱い人間(=子供)が、一緒に暮らす中で物理的に傷ついたら本末転倒だ。 元来の生活区域が違うもの同士が、一緒に暮らすということの難しさをひしひしと感じた。
そんな流れで、地上波で放送された映画「トゥー・ブラザーズ」。トラの兄弟の話だ。 人間も含めそうだけれど、どうして動物の赤ちゃんはあんなにも黒目がちで可愛らしいのかなぁ。 物語の流れは、そう取り立ててすごくいい!と絶賛するには至らないのだけど、 事情はともあれ、別々の人間のところにやってきてしまったトラの赤ちゃんがそれぞれの成長を遂げ、 クライマックスのピンチで、野生の本能だけでは切り抜けられないところを、 人間が教えた曲芸の応用で、命をつないでいくところなんかは、なかなかいいと思った。 獰猛な動物には違いないけれど、仔トラがじゃれる姿はなごませてくれる。
今まで生息していた場所から、無理矢理に人間の世界にやってきても適応しようとする 彼らの姿がいじらしい。 恐らく、半分以上がフィクションで、多少CGも使われているだろうから、 あれがトラの生態ですと言い切るには厳しいだろうけれど、 それでも、目を奪われるのは、仔トラが無器用に親の後を追っかけたり、動く何かに具に反応したりと、 人間とそう変わらない「本能」を遺憾なく発揮しているところかもしれない。
前に何かで聞いた。 動物の赤ちゃんが黒目がちなのは、他の動物の攻撃から身を守るためでもあり、 また親の母性本能をきちんと刺激して、ある程度まで大きくなるための指針のようなものである、と。 人間もそれに当てはまると聞いたことがある。人間も同じ哺乳類だから。 それに、稀なことではあるけれども、産みの親と育ての親が違う場合が、人間にも少なからずある。 赤ちゃんは、生き抜くためにあのような姿で未熟な状態で生まれてきて、 誰かの手を借りながら、人間にいたっては身振り手振りから言葉までを模写して習得し、 意思の疎通を確立してようやく生きていける。
以前、オオカミに育てられた少女というのが話題になっていたことがあったけれど、 彼女にあらゆる生きるすべを教えたオオカミは、立派な親で、 詰め込むように人間の常識を後から与えたとしても、それが彼女にとって幸せかどうか、 恐らく、オオカミとの意思の疎通の方が容易かったであろう彼女は、 「親」と引き離された後、数年後に亡くなったらしいことを聞いた。
何が是で何が否であるかというのは、コレも人間の勝手なエゴが表出しやすいところなので 本当にどういうふうにも言えないところなんだけれど、 ひとつの命が潰えようとしている時、人間だろうがトラだろうがクマだろうが、 手を差し伸べようとするのは同じなんだなということ。 強いものが弱いものの餌食になるというのは自然界の知られきった定石だろうけれど、 反面、強いものが弱いものを守ってやるというのも、自然界においては極々当たり前の 本能の領域なんだなぁと思った。 人間にはコレに加工された「知恵」や「情報」がつきまとうけれど、 とにかく「オノレの仔を守ろうとする」という本能に、種族同士の線引きはないんだなぁ・・・・。 そんなことを思った。
そういえば最近、動物園などに行ってないなぁ。 昔は大学の課題もあったので、動物園に入り浸り、炎天下、カンガルーの檻の前で5時間以上も 粘って観察したこともあったけれど(苦笑)。 あんな狭い敷地の中では、お得意の跳躍も封じ込められて、イライラするだろうなぁ・・・・と、 昼寝するカンガルーのなまめかしいウェストラインに魅了されつつ、半ば同情していた。 この時、あまりにもカンガルーの前に陣取りすぎたため、飼育係の人に変な目で見られた(笑)。 あたくしが見ている中、カンガルーたちは2度の食事を終え、本当は夜行性に近いのに 夕方近く閉園の時間が近づくと、中の檻へとわらわらと帰っていくのでありました。 カンガルーの全てを知りたかったので、1日だけでも寝食を共にしたいとまで考えたのは 単なる若気のいたりですが(笑 当時19歳)、それは彼らの生態を良く知るという意味だけでなく、 檻の中での生活が如何なるものかというのを、身を以って体験したいというのもあった。 まぁ・・・・如何せん、好奇心旺盛な年頃でしたから( ̄∇ ̄;)
その反動でか、あれ以来、動物園には行っていない。 他の動物よりも、カンガルーが気になって仕方なくなるだろうから(苦笑)。 動物園の動物が、せめて、きちんと人に愛されているということを願って・・・・。
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