| 2005年06月14日(火)
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宮沢賢治研究の中で感じた恐怖 |
大学時代の話。 3年次にもなると、パンキョーさえきちんと抑えていれば、単位に余裕が少しは出てきて、 授業の選択枠もちょっとは自由になり、 自分の学科の必須科目以外に、他学科の面白そうな講義を受けたり もっと短絡的に言えば、他学科にしかない取り易そうな講義に人気が集中するなんていう現象が 極々当たり前に垣間見ることが出来た。
3年次の単位取得状況で、4年次はかなり自由になり、本当に面白そうな授業を受けるために 別学科の講義に出たりしていた。 あたくしと同じ学科、同じ専攻で、たまさか同じ文芸の講義を取ったふくちゃん(♂)は、 そこの先生に2人して物凄く気にいられて(笑)、先生の部屋に呼ばれてコーヒーを頂いたり、 レポートを書くために見に行った、とある舞台の打上にまでお誘いいただいて、 何だかよくわからないまま、役者やスタッフの皆さんとおでんを頂いたり・・・・なぁんてふうに 1年間、やたらと目にかけていただいた。
この講義。文芸の基本的研究の講義だった気がする。 で、後半が宮沢賢治一色になるような、そんな感じの授業だった。 既に、あのかさばるシラバスは全て破棄してしまったので、講義の正式名称は覚えていないけれど、 本当に偏ったクラスだった(笑)。先生の持っていき方が、そもそも偏っているから、 生徒側も偏った人間しかサヴァイヴできないというシステム(爆)。
この年、宮沢賢治研究の講義は、2つあって、1つは別の先生がやっている講義だった。 内容はまるっきり違うもので、賢治に対する切り込み角度も真逆と言っていいほどカラーが異なっていた。 どういう縁だったかは忘れたが、結局、きちんと授業に出てみようという決め手になったのが 上記の講義で、物凄いクセのある研究内容に最初はついていくのがやっとであった(笑)。
宮沢賢治作品におけるポエジーについて・・・・いうレポートを提出せよ( ̄^ ̄)などという課題が出た時は、文章を書くのが大好きなこのあたくしですら、涙が出そうになった。 演劇学科の教授陣と違って、相手は文芸学科の教授・・・・モノカキのプロたちなのだ。 子供が書くような感覚的作文だと、即欠点(爆)・・・・書き直しが許されるうちはまだよかったが、 本当に、本気を出して本気で書かないと、評価対象にならないということもあった。 で、演劇学科の教授陣程度ならば騙せるあたくしの文章は、文芸学科の教授にかかると一刀両断!
「それっぽいことを書いて、誤魔化そうとするな。 君の持っている筋の通った意見は一体どこに書いてあるんだ!?」
と、わざわざ、赤ペンでチェックを入れた後、余白にそのようなことを書かれて メチャクチャへこんだこともあったのだ。
この授業についていけるかなぁ・・・・と不安に思っていた矢先、この先生の魅力に先に気付いたのは 確か、ふくちゃんだったと思う。
「あのセンセー、メチャクチャっぽいけど、相当面白いこと言うよ。」
などと言いながら、その授業は絶対に休まずに出ているので、あたくしも彼についていくみたいにして 講義を休まずに通い続けた。違う学科の講義なので、同じ学科の好がいると何かと心強い。 通いなれた演劇棟とは違って、授業も文芸棟であるので、見知った顔にバッタリというのもなかったし。
演劇学科の変わり者2人組は、すぐに先生につかまるようになった(笑)。 あたくしも、この先生にはどんなレポートを出せば通用するのか、2、3回、別テーマで書いてみて やっとコツをつかみかけてきたところだったので(笑)、先生が気にかけてくれることが 素直に嬉しかったりした。 何より、幼い頃に1度ハマった宮沢賢治を、もう1回、じっくりと研究しなおすこと自体は 楽しい「作業」だったので、とにかく「感じる」ことに重きを置いているこの先生のカラーに あたくしは「合っていた」ということになるのかもしれない。 (それに気付くまでに随分時間をかけたんだけど)
先生はあれこれ捏ね繰り回して字数だけ稼いだ文章よりも、直球勝負の素直な文章を好んだようだ。 1つのことをきちんと主張するにしても、裏付けが必要だったり、合理的な論点が必要だったり、 「文芸」という世界でも色々とルールや基本概念があるものだけれど、 感じたことをそのまま流れに沿って書いたものを、とても高く評価してくれた。 しかも、彼の目はやはり大学教授だけあって、節穴ではなく(爆)、 参考文献として提示した課題図書を、全部きちんと読んでいるか否かを、レポートを読んだだけで 一発で見抜く、鋭い観察眼を持ち合わせていた(当然ですが( ̄∇ ̄;))。
宮沢賢治のほかに、パブロ・ピカソについて書かれた文献も読まされたりしたんだけど、 あたくしにとって、パブロ・ピカソという人間は、「青の時代」以外は特に何ら感銘を受けるものではなく 加えて、絵描きの気持ちがさっぱりわからなかったので、レポートにも何を書いていいのか分からずに、 「青の時代」のことばかりを重点的に書いたら、あっさりと欠点になった(爆)。 この欠点を取り戻すのに、宮沢賢治の作品レポで、どれだけ根性を見せたことか(爆笑)。
その根性が買われてか、きちんと認めてくれたのか、晴れてあたくしとふくちゃんは 「鹿踊りの始まり」の舞踏観劇のレポで、見事、江古田文学に掲載決定♪ 江古田文学というのは、主に、うちの大学の文芸学科が作品発表をするために発刊されている文芸誌で でかい本屋に行けば普通に店頭で売っている。値段がついているのだ。
今、当時の掲載文を少し読み返してみたのだけど、あたくしの書いた文章は、完全に 宮沢賢治の世界を「恐怖」として真っ向否定してあり、賛辞、礼賛の流れは1つもなかった。 ただ、「恐怖」を肉体のみで再現した演者たちへの礼賛だけは憚らず、ご丁寧に、 自己反省の文章までそのまま掲載されているではないか(苦笑)。
宮沢賢治の作品が好きだったはずなのに、どうしてこんなふうに「恐怖」を感じてしまうのか、 どうしてあんなにも「緊張感」の漂う作品が多いのか・・・・とあたくしは今でもそう思う。 幼い頃は、ただ「好き」のような気がして読んでいたけれど、それでいいのかという問いかけは 今でも尚、続く、あたくしの永遠のテーマみたいなものだ。 怖いので、あまり読み返しをしないのも、そのせい。
そんな姿勢のあたくしですら、この先生は、「考えている」という理由だけで広く受け容れてくれた。 昔は好きだったけれど、今はちょっと・・・・という話を、直接先生にもしたことがあったと思う。 その話を先生は、目を輝かせて興味深く聞いていてくれた。
「どこが怖いと思う?」
「君が思う『恐怖』って一体なんだい?」
「面白いことを言うね。演劇を学んでいる視点でいくと、宮沢賢治はそんなふうにも見えるんだなぁ。」
宮沢賢治なんて面白くない、大っ嫌い・・・・というわけじゃなく、ただあたくしは「怖い」というふうに 表現し、そう言ったあたくしを先生は「面白い」とした。 文芸学科内で決裂しているとも噂された、もう一派の宮沢賢治研究の講義に出ていたら、 あたくしの積年の謎は解明されただろうか? 恐らく受け容れられず、そのまま封印されていくのがオチだったかもしれない。
あたくしが出会った最初の作品は、有名な詩、彼にとっては最後の作品「雨ニモマケズ」だった。 小学生の頃だった。 山賊に言われ、この詩を必死に覚えて、今でも一言一句間違わずに暗誦できる。 そこから宮沢ワールドの扉が開かれたのだけれど、あたくしにとっては進めば進むほどまるで迷宮。 あるときを境にピッタリと前進するのをやめてしまった。 大学在学中に丁度、賢治生誕100周年で、本屋の一角に文庫や絵本や様々な宮沢賢治の作品が 平積みされていたけれど、それを手にすることもなかった。 その中には、「雨ニモマケズ」等を収録した簡易的なものもあったし、 前述した江古田文学も丁度、宮沢賢治特集と称して同じコーナーにあったりしたんだけど・・・・。 今でも同じ・・・・やっぱり怖い。 大学でみっちり研究したら、余計に『恐怖』を具体的に感じるようになってしまった(苦笑)。
しかし、この講義を開いていた先生は、あたくしのそんな姿勢を絶対に否定せず、 表現者としてのあたくしやふくちゃんの姿を確認するために、卒業制作の作品を きちんと見てくださった。 その上で、文芸棟の先生の部屋で感想を賜り、更に研究の材料にしたり、表現の認識を深めたりと 大学教授らしい側面を発揮していらっしゃった(笑)。 好きなものには猪突猛進的この先生は、さすがうちの大学の先生・・・・とでもいうか、 ちょっとぶっ飛んだ格好をしていたし、考え方そのものも、かなり破天荒ではあったけれど、 最初にふくちゃんが言っていた通り、かなり面白いことを授業で毎回発言していた気がする。
あたくし、齢30を越えて思うのですが、人生最初の3分の1までに、読んだ本の量が とてつもない影響でか、残りの3分の2で読破した本は本当に少ない。 その最初の3分の1までに読んだ本の影響がとっても強いせいで、 未だに宮沢賢治の世界と、現実世界のボーダーが怪しくなっているのかもしれない。
あの時、取ったあの講義の後半、あたくしは思いの丈をレポートにぶつけて、 結果、最初はそんなに熱心な学生ではなかったはずなのに、きちんとした評定を頂いて オマケに、あの破天荒な先生とも仲良くなれて、面白い結末を迎えた。
通常、大学4年生といえば、学業に専念するよりも就職活動に忙しかったりするものだけれど、 就職活動をしなかったあたくしにとって、あの1年間に学習した成果が、 人生史上、一番実りあるもののように思えてならない。 宮沢賢治研究は、正直、肉体的に苦痛だったけれど、後に残ったもののことを思うと、 演劇学科の実習以外では、一番面白かった授業だったかもしれない。
学生の勝手な言い分なんだけど、そうであってほしいという正直でドストレートな願望も込めて。
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