本当の意味で、ホントにホントに「自分が大好き」な人というのは、 同様に「自分以外の人のことも大好き」になれる素養を持っているんだなぁ・・・・と思うようなことがあった。 何か特別なことがあった、というわけではなく、ふとそう思わされた。
単なる究極ナルシストじゃなくて、そして完全体でもなくて、 ダメなとこもあり、出来ないこともあり、幼稚で、やんちゃで、自分勝手でも、 トゲトゲしてなくて、ふんわりとした人っているもんだ。 先日、詠んだ歌じゃないけれど、「自分勝手だけど・・・・でも」と他人から思ってもらえる人って それだけで幸せなのかもしれないなぁ、なんて思ったりして。
あたくし、今でも自分が結婚できたっていうこの事実が、不思議で不思議で(笑)。 う〜ん・・・・自他共に認めるファザコンだから(苦笑)、結婚できたとしても恐らくメチャクチャに晩婚、 もしくは、何だかんだと理由を付けて、結婚しないままだったかもしれなかった。 利己主義とか、個性論を持ち出す以前の問題で、 「ひょっとしたら、あたくしのような婦女子は非常に扱いにくいのではなかろうか?」 と、勝手にそう思いこんでいたフシもあり・・・・。 要するに、自意識過剰な上に自信がないという、全く以って始末に終えない状態が長く続いていた・・・・ ま、そういうこと(;⌒▽⌒A)
無論、そういう部分はすぐに更正出来るかというと、なかなかこれが難しいもんで、 今でもそういうのが、どこかしこかで続いていたりする( ̄∇ ̄;) 自覚して、正当化しなくなっただけでも随分な進歩だとは思うんだけど(笑)。
前に、ぷよ2がこう言ったんだ。
「夕雅先生がどうあれ、俺は幸せだからいいんだもんね♪」
ちょうど、発作を起こしている時・・・・もう、随分前のことなんだけど、ガツリと残った。 その瞬間は、「ホントに勝手なことを言うよなぁ。」と思ったのだけど、冷静に考えると こういうふうにたったひとりにでも言ってもらえるあたくしは、それだけで恵まれていて、幸せで、 え?みそじにして開花?(爆)・・・・ではないけれど、あたくしもちゃんとしてきたのかもしれないって そう思えたんだ。
そりゃ、今でもあれこれ不安になるよ(苦笑)。 これでいいのかなぁ、大丈夫かなぁ、どうなるんだろう・・・・これならまだいいけど、 過去のことをほじくりかえして、アレはアレでよかったんだろうかとか、あぁしとけばよかったのにとか、 枚挙に暇はない。(やめときゃいいのに、やりたくなっちゃうんだよなぁ(笑))
まぁ、そういうのも全部ひっくるめて、ただ虚勢を張るのをちょっと緩めるだけで、 その部分だけででも「ふんわり」できるようになるかも・・・・とやっと気付いた。 人間だもの、完全に虚勢を張るのをやめるのなんてムリムリ ┐( ̄∇ ̄)┌オホホ 上を見たらキリがないし、下を見だしたらこれもまたキリなし。 で、自分のいるところだけが標準で中流と安穏としているわけでもないし、 全部特別なんだ〜!!と叫べるほどのものでもない。 でも、天才的部分もあり、標準的凡人部分もあり、おまいサイテーだよみたいな部分があって、 初めて、笑えるのかもなぁ。
あたくしは、天才で中流で、そしてサイテー。 めざすは「ふんわり」。 最近、新しくなったあたくしの生きる上での目標。
よくよく考えたら、「全部ある」人生ってすごく贅沢!! 理想としている「ふんわり」が現存するかどうかはわからないけれど、 わからないから自分で創れるっていう醍醐味があることも、同時に忘れちゃダメだよなぁ。 予期不安がきたら、今日の日記を読み返すことにしよう。
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