6m四方のコートの中に無言の戦士がひとり 同じ大きさ、ネットの向こうにはやはり無言の戦士がもうひとり 私たちは意思の疎通を必要としない 孤独な打撃手だった
爆発的瞬発力と強靭的持久力を求められ いつも息を切らせていた 脚はみるみるうちに太くなり どんな踏み込みにも耐えられるように シューズは鉛のように重く そしてどんなコースのシャトルも打ち分けられるように 究極に軽量化したラケットでも 時にずしりと利き手に沈むこともある
まだジャンプスマッシュが打てなかった頃 高く上がったライジングを持て余したこともある 左利きだから 嫌がらせのために 相手の顔の左側にわざとクロスコースでドライブを打ち込むこともよくやった
6m四方のコートの中にふたりで立つ時 私たちは意思の疎通になれていないものだから よくぶつかった 体もぶつかった ラケットが嫌な音を立てたこともある ぶつからずに済んだ時も コルクの音が床に当たる嫌な音が静かにこだましたことを思い出す 白いシャトルを拾うのがこんなに難しいのなら 孤独でいた方がうんとましだと 私はひとりを選んだ
相談者もなく ただひとりで動けるだけ動くんだ 拾えるだけ拾い 打ち込めるだけ打ち込む ハイクリアは高く そしてエンドラインギリギリまで飛ばし ネット際の攻防に終止符を打つため ヘアピンでシャトルをネットの向こうに押し込んだら バックステップですぐにセンターポジションまで戻っていた
自分が拾えなかったら負け あっさりとしているけれど 孤独とはそういうものだ
他人のせいにしなくてもいいから 勝つも負けるも自分次第だけれど 醜い感情を表に出さないために わざとそういうのを回避していたのかな
ひとりでいるとひとりぶん疲れる ふたりでいるとふたりぶん疲れる 生きていくのに楽はできない シャトルは嘲りながらも それを教えてくれていた
強く打てば強く返ってくるかというとそうでもなく あんなにも渾身の力を込めて打ち込んだのに あっけなくスピードを殺されて分が悪くなることもあった 打っても打っても響かない 生きているとそういうことってよくある
こぼれそうになったシャトルを 寸でのところで拾い ネットにひっかけながら押し込んだ一撃が決勝点になることもあった 気持ちよく スマッシュが決まれば後味も良いが こういう結末もあるということだ 一所懸命やっているのに 隙間に押し込んだ何かが たまたまその道すじの何かを決めてしまう 生きているとそんなこともある
初速は200km/hを余裕で超える なのに それが相手に届くまでに 頃合の速度になっている 打っても打っても響かない だけど 拾わないと前に進めない どこへ飛んでいくかもわからないシャトルとの追いかけっこは 人生 ここぞという時に とてもよく似ている 孤独なシングルス 衝突のダブルス メイビスの時代のバドミントンは 未成熟な私たちに かなり厳しい試練を与えていった
当時痛烈に感じたことがひとつだけある。 強さに比例して、性格が悪くなる・・・・ということだ(苦笑)。 まぁ、どんなスポーツでもそうだが、強靭な精神力=図太さがないと、ある程度のレベルに達せないんだと 15にして悟った瞬間でもあった。 フェアプレイと思いやりは似て非なるもの。 あたくしは若い頃、結構血の気が多く、究極の感覚派だったので どうもチームプレイは苦手なのであった(笑)。
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