2005年04月22日(金)
爆発スイッチはいつも右手で


あたくしも、寝相については人様のことを嘲り笑うことは出来ないのだが、
ぷよ2が数ヶ月前にやった爆笑顛末に関しては、十分にツッコミ甲斐があろうところ、
彼はその寝相の悪さゆえに、肩関節がいかれてしまったとかいうんだから始末に終えない( ̄∇ ̄;)
何と彼は、夜勤明けで帰ってきたその日、ヘトヘトに疲れていて、
恐らく寝返りを打った拍子に、オノレで肩関節を決める、所謂「脇固め」という技をオノレにかけた状態で
5時間ほど熟睡・・・・起きてくる頃には、すっかり腕が上がらなくなってしまっていた(爆笑)。


と、コレが数日前なら話はわかるんだけど、既にこれは2ヶ月も前の話(* ̄m ̄) ププッ
すぐに治るだろうとタカをくくって、病院にも行かず、ずっと「おかしいな・・・・」と言いながら
本日に至るというわけ(苦笑)。
年齢考えろよ・・・・(-。-) ぼそっ
いくら若い頃は自然治癒力に任せておけば何とかなったレベルのものでも、アンタもあとほんの数ヶ月で
みそじなんだよ??
加えて、上半身・・・・特に腹回りについてしまったその肉を、一体どう説明するわけ??
放っておいて治るんなら、とっくの昔に治っとるじゃろがいっ( ̄― ̄メ)
と、本日、無理矢理、接骨院に連れて行った。
言うだけじゃ聞かないので、強制連行( ̄^ ̄)


2ヶ月間も放置したせいで、肩周辺の筋肉はすっかり筋を違えたまま硬くなっており、
もっと早く治療にかかれば、もっと早く治ったかもしれないのに・・・・オノレの事でもこれだもんなぁ。
先が思いやられるよ(トホホ)。


今風にいうと「カイロプラクティック」というくくりになるのかなぁ。
整骨院、接骨院みたいなところ。
あたくしも幼少の砌はよくお世話になりました。
5歳の時に、右ひじを複雑骨折してからというものの、右ひじにつくべき筋肉がつかず、
常に、爆弾を表にさらして生活しているようなものだった。
そして、年に数回、同じ箇所で肉離れを起し、数日〜数週間、右を封印されるハメになるのである。
大人になってからは、よほど注意深くなったのか、中学・高校時代に右を封印していたことは1度もないが
大学に入ってから1度だけ、腕をついた瞬間に、また「グキッ!」とやってしまい、
しばらく封印していたことがある。それが今のところ最後の封印である。
幸い、ひとり暮らしをしていた最寄の商店街の中に、接骨院があったので、治療には支障はなかったけど
幼い頃は、地元の古〜い整骨道場にひとりで通っていたのだった。


同じ学区内には違いないけれど、歩くと結構距離がある。
右を封じられて頗るバランス感覚が悪いので、自転車にも乗ることを許されず、
あたくしは毎日、封印された右のために、その整骨院に通った。


今でもあるんかいな・・・・? つか、あのじいちゃん、とっくに成仏してるもんだと思ったけど、
今はどうなの?? と、サヨコにお伺いを立てる。
遠い記憶を遡ると、あたくしがよく世話になっている間に、一度、代がわりをしたような・・・・。
とはいえ、その選手交代も20年くらい前の話。
まだ元気にやってらっしゃるとのことで、とりあえずぷよ2をそこへ連れてくことにした。
診療時間外だったにもかかわらず、先生は快く治療を引き受けてくれた。

昔からあまり変わらない、住宅が犇く路地の中にその道場(柔道)はあって、
今でこそ道場はやっていないんだけど、初代〜2代目の途中までは、道場が確かにあった。
あたくしが覚えている限りでは、本日訪れた建物の外観は昔のままで、
おかしなノスタルジックに陥る(苦笑)。
右を封じられていた時は、ここの通りをひとりでテクテク歩いて、毎日同じような治療を受けて
お金を払って、寄り道ひとつせずに、また来た道を歩いて帰る。
学校から直行すればどんなにラクかもしれないなぁ・・・・と思いつつも、ここに来るには
まず家に帰ってからという暗黙の了解があったため、ランドセルを置きに、まずは家に帰ってたっけ。

整骨院は学校を挟んで、家とは全く逆方向にある。

同級生のクラスメイトたちも、ここの町内に住んでいる子が多く、全く変わり映えしない細い路地。
城下に近い場所なので、今でも長くそこに住んでいる人が多い。
都会に比べれば安いものだが、不動産として考えると、あの場所一帯は、売ればかなりの値段がつく。


昔は、その細い路地でいつも子供が駆け回っていたものだけど、今は少子化が進み、
閑散としたものだ。
新しいカイロプラクティック院は郊外にいくつも見つけたが、まさかぷよ2をここに連れてこようとは(笑)。


柔道の経験者である彼にとっては、昔ながらの道場併設整骨院との相性も満更悪くもなく、
しばらく、ここへ通うことになった。
駅までの通勤の道程の途中にあるので、便利には違いない。


その昔。まだあたくしが5歳の頃。忘れもしない5月の末日。
あたくしは、近所の用水にぶち落ちて、右ひじをコンクリートに強打。
ずぶ濡れのまま、近所のオバサンに引き上げられて、家から飛び出してきたばあちゃんに
抱えられるようにして風呂場へ連れて行かれたわけなんだけど、その間、右手がずっと
ダラリとしていて、伸ばすことも曲げることもできない。
これは大変だ! と、すぐさま、仕事から戻ってきたばかりのサヨコに連れられて
この整骨院を訪れたが、「ここではダメです。すぐに市民病院に行ってください!」と言い渡され
救急から処置室に飛び込んだ。
この時は切開手術をせずに、麻酔をかけられて、X線モニターで骨の状態を見ながら何とか結合させ
ギプスでグルグル巻きにされたのだけど、結合後、あたくしの右手は捩れたようになってしまい、
「前へならえ!」をさせられると、掌が外をむいた。
7歳の時の切開手術でそれは治ったが、肘にどうしても力が付かず、今に至る。
(リハビリが本当に嫌で、サボったからっつうのもある( ̄∇ ̄;))

以後、あたくしの右肘の爆弾は、年に1度以上は必ず爆発し、爆発すると、この整骨院へ・・・・という生活。
長く右を封じられていると、次第に左が常人以上に器用になり、
器用になるのはいいんだけど、メチャクチャにパワーをつけ(爆)、
文字を書く速度以外は、左の方が強くなり、ともすれば「左利き??」という感じにもなったんだけど、
実は、物心つく頃には、箸はきちんと右で持っていたので、封印さえなければ
右利きだったのかもしれない(笑)。

↑どうやって使ったらいいかわかんなくて(笑)

ハサミなんか、幼稚園児でもお道具箱の中に入ってるでしょ?
結局、裁ちばさみですら左で使ってた気がする・・・・( ̄∇ ̄;)
家庭科の時間の、「裁断」だけはどうも苦手なアサミンジャーなのであった。

あさみ


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