2005年01月21日(金)
ゴールまで根性!!


小山内美江子さんがどうやら病床に臥せっているようだ。
今日の放送分では、もう、別の人が脚本家としてスタッフロールに名前が出ていた。


そんなに悪いの? 小山内先生・・・・。


だってあなたは、自分の足を患っても、この国を飛び出して、ありとあらゆる貧しい国の
学校教育をより豊かにするために、一所懸命に頑張ってきたじゃないの。
あたくしは何度もドキュメンタリーを見たりして、この人のどこに、そんなパワーが潜んでいるんだろうと
感服を繰り返し、自分では真似はできないけれど、この人の力になれることがあるのなら・・・・
と、色々と考えてはそれを文章にもしてきた。


日本の教育界にメスを入れるのは困難だ。
でも、「子供たちの目線でいう大人」の立場としてならば、できることはもっとあるはずだ
ということを教えてくれたのも、この人だったりする。
無関心が一番良くない、自分の子供以外にも関心を向けなければならない、
そこで起こっている事件も他人事ではない、閉鎖的な学校という空間をもっとよく理解する必要がある。
等々・・・・あたくしなりに思ったことは、常々、手書きではあるけれど、明文化してみるように
努めてきた。この人がいるからこそ、まだまだ日本の未来だって捨てたものではない・・・・
そんなふうにも思ってきたんだけど・・・・。


人間の命は無限ではない。
25年間も同じキャラクターを根付かせて、じっと教育についての思慮を深めていた
この人にも、他の人と平等な「限界」がやってくるのだということを思うと、
正直、胸が痛い。


憶測の域を出ていない推測ではあるが・・・・。
彼女は病床にいても尚、ペンを離さずに持っているような気がする。
たとえ、放送に間に合わなくても、コレが自分の書きたかった主題であるということを、
世間に、皆に知らしめるために、普段に比べれば亀のように鈍いスピードでも、
着実に構築を続けていると思う。
メディアの時間の流れというものは恐ろしく早いので、彼女のペースに合わせてはくれない。


彼女の代わりにペンを取った脚本家は、一体どんな気持ちで、すでに出来上がりつつある
30人のキャラクター、そして出来上がっている幾人かの主要キャストたちを動かすべく
執筆したのだろうか・・・・。
小山内氏にしかわからない「感覚」「言葉遣い」「語彙」「雰囲気」それらを我々は
完成した作品に対して求めてしまう。
メガホンをとる監督が同じでも、表現の媒体である本の書き手が違うと、
どうしても誤差が生じてきてしまう。
この日の放送を見ながら、あたくしは、すでに生じ始めている誤差に対し、敏感に反応してしまった。
ここで彼は、こんなふうには言わないだろう。
言ったとしたら、心理描写的には物凄い激動があったと予測される。
では、その物凄い激動を裏付ける何らかのシーンというのは、どこかにあっただろうか・・・・?


あたくしの記憶を辿る限り、それはないと思われる。


昨日の「3年B組金八先生」の中で、金八先生は命の尊さについて語る。
遂には、乳がんで亡くなった自分の妻のことも語る。
涙ながらに語る彼の姿は、悪くはなかった。
良い・・・・とは言い切れない、何か釈然としない部分があったということだ。


劇中、元・天地先生こと、金八の妻・里美は、金八のことを「おとうちゃん」もしくは
「きんぱっつぁん」と呼んでいた。
金八先生も「おかあちゃん」としか呼んでいない。新婚の頃はそうでもなかったが、
娘の乙女、息子の幸作が生まれてからは、一貫してこの呼び名のままだ。

各シリーズで、物凄い事件が起こった時に、つい口から零れる「おかあちゃん・・・・」という言葉。
何度も何度も見てきた。
何かあると、ビールや酒を彼女の遺影の前においては酒を酌み交わしながら相談する姿も、
それこそ何度も何度も見てきた。


それがこのシリーズ・・・・しかもタイミングが悪い、小山内氏がとうとう書けなくなった瞬間に、
金八がこともあろうに、生徒の前で、妻のことを初めて「里美」と呼ぶのである。
これに、ちょっとした違和感を感じ、しかし、話していた内容も内容だったのでスルーしたが、
この直後のシーン。川原に向かって「ありがとなぁ・・・・里美〜!!」と叫ぶ金八。
これは、今までの歴史を紐解くと、ちょっとありえない気がする。


乙女や幸作がどれだけ大きくなって、自立し始め、そして母ではなく妻としての立場で
金八が遺影を眺める時も、彼の口から必ず出てきていた言葉は「おかあちゃん」だったのに、
ここにきていきなり「里美」・・・・。
確かに、新鮮な感じはする。
このシリーズで新しい試み、新しい環境、ビックリするくらいに行儀の悪い15歳・・・・
全て、小山内美江子が構築した世界である。
その中において、金八が亡くなった妻に対して、改めて「里美」と呼ぶその真理は何なのか?
恋をしていた時期に戻ったからか?
担任するクラスの中に、今まさに命が潰えようとしている生徒がいて、
自分が妻を亡くしたときの感覚に戻ったからか?


そんなものは関係ない。
明らかに、書き手の個性がすでに画面を通して、今までとは違う何かを放出してしまっているのだ。
たったこれだけのことなのに、今までのキャラが全く違って見えてきてしまう、
この現象って一体何なんだろう・・・・。
私が敏感すぎるだけなのだろうか? それとも、演者や監督は何か他のところに
思うことがあって、あえてそのままでGOサインを出したのだろうか?
次週からの番組の流れが、非常に気になるところではある。


小山内先生にはエールを。
あなたが吟味して作ったクラスが、無事に卒業式を迎えるまで、決してその目を逸らさず、
きちんと送り出してあげてください。
今こそ、あなたの根性の見せどころ。
あなたが作ってきた1人の教師と、今度の新しい30人は、やっぱりあなたの「子」です。
書き上げた時点で、役者と監督に采配は渡ってしまうけれど、それでもあなたの個性を
誰も潰せなかった。だから今こそ、ド根性でふんばって!!!

↑「限界」というものは平等にやってくるけれど。

あさみ


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あなたの毎日にずぅむいん・・・・

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