2004年12月12日(日)
リスペクトはできないがみそひともじ


昨日付けの文章を書き終えて、布団に入ったら、今の自分がどうしようもなく情けなくて、
涙がぽろぽろとあふれ出てきた。
畜生、こんなことで泣くものか、こんなことが理由で泣いているところなんか誰にも見せるものか、と
嗚咽に近い状態でグッと堪えていたら、あっさりとぷよ2に見つかってしまい、こう言われた。


「夕雅先生は考えすぎなんだよ。シンプルにいこうね、シンプルに♪」


殺意を覚える気力もなかった。
こうして、今、打ち込んでいる最中、実は声も出ない。
シンプルにいくつもりなど、毛頭ない。
だけど、いつものように、不安な時にあたくしがいつもする質問すら、口をついて出てこないのだった。
不安になると、景気付けにこういうふうに聞く。


「ねぇ、ぷよ2先生・・・・あたしって天才かしら?」


彼が笑って、絶対に否定しないことを知っているから、安心したくて聞くんだけど、
今日はそれが出来なかった。
鬼才の「漢」もどうやら、こんなあたくしと同じことを繰り返しながら生きているようで、
「漢」にとっては、いつまでも少女のようなこのあたくしが同じことをしていると知ったら、
きっと気を悪くするだろう(苦笑)。
いや、表現者たる者、誰しも根底では同じことを考えているに違いないんだ。

「これでいい」じゃダメなんだ。「これがいい」でないと。

それがたとえ自分の琴線に触れても、自分以外の誰かの琴線に触れなくては、どうしようもない。

誰か1人でいい・・・・「あいつはすごい」と自分のことを認めて、それを声高に言ってほしい。


こんな、煩悩の塊みたいなものを持て余しながら、日々、暮らしているようなものだ。
最後の「声高に言ってほしい」というのは、そうである人とない人と2つにパッカリと別れるだろうが
本心・本音を自分でしっかり探って、素直で正直な状態になれたら、必ずポロっと
このような欲求が出てくるはずなんだ・・・・自分の表現が完全なマスターベーションじゃない限り。


自惚れのためでなく、「あたしって天才かしら?」と聞くには相当の神経でないと
無理なんじゃなかろうかと思う人もいるかもしれない。
事実、そうなのかもしれない。
でも、緻密な計算を繊細な脳細胞で必死に叩き出して、得られた結果が、もしくだらないものだとしたら
卓袱台をひっくり返すくらいでは済まないのだ。
だから何度も同じ質問を、ある一定周期で聞きたがる。
「あたしって天才かしら?」


別に、ジーニアスである必要など、どこにもない。
ジーニアスになれなくてもそれでいい。
なのに、聞きたがる。
何の為か?
もがき苦しんだ軌跡を、はっきりとした記録として残しておくため。

こうして打ち込んでいる最中、今、実は声が出ない上に、薬のせいで指先まで震える。


本当は今日はこのスペースに歌を詠もうと思っていたのだ。
いつもとは全く別のコンディションで、あたくしは今、確実にとんがっている。
そういう時に選ぶことばは、どのようなものなのか、自分で今一度確かめてみたい衝動に駆られたから。
だけど・・・・ダメだ・・・・。
とんがっているから、どうしても自分のことばにGOサインを出せない。
いくつか詠んだが、駄作以下に見えて、上にのし上げることがどうしてもできない。
恥を恥として認めるために、のし上げることも敢えてやらなくちゃいけないんだろうなぁ。
あたくしは定型詩を詠む表現者なのに、定形に治まらない何かでいっぱいになって、
ちょこっと混乱しているようだ。
鎧を着込んで、身動きが取れなくなったときのことを思い出す。
過去、自己防衛のために、ガチガチの鎧で身を固めたら、今度は何にもできなくなってしまった。

今、そうなるのは非常にまずい。
もう2度と、ぷよ2に対して出さえ「あたしって、天才かしら?」と聞けなくなってしまうだろう。



咳ひとつふたつみっつと続いても音楽にすらならないノイズ


完結を迎えることが怖いのよあなたが好きと言った作品


三十年のうちこの手にペンを握ってたその年月は二十六年


死ぬ時は板の上でと決めていた弁当箱にぶちのめされて


風になれすぐさま今を駆け抜ける風になれ風になれ風に


今、と言った瞬間に今はなくなって小さな小さな昔になる


明けぬ夜はないというけどどうだろう白昼闇のまんまんなかだ


目線よりちょっと上にもある世界ちょっと下にも世界があって


削られてもこそぎとられてもわたしがきちんと残ればいいや


オペレーターの様に自在にフェイダーを上げ下げできればいいのにと思う


枠からはみ出す水滴は布巾できちんと拭き取られ
やがて乾いてからからになる存在もからからになる


一粒の米一粒の麦一滴の水があり
その上に生きていることを忘れてしまう愚かしさ



↑動かない旅



【私信】
 とある男性が昨日付けの文章に反応してくださいました。
 あたくしは思ったのです。
 ひょっとしたら、この男性になら、あたくしが言いたいことの何か一つでも
 伝わるんじゃないかって、そう思いながら自分が書いていたことを。
 何か、嬉しくて涙が出た。
 すぐに答えが出るわけもない、哲学的問題が、誰かを揺るがすなんて期待はしていないけれど
 それでも、やっぱり誰かに気付いてもらいたいという欲求は、「ここ」にある。
 そういうのに気付けただけでも、澱みから1歩だけ這い出られた気分になって、
 救われる。

 実は歌を詠みながら、相田氏のことばやジーニアスたちのことばが混ざらないようにと
 必死に努力している自分がいるのですよ。可笑しいでしょう。
 あたくしが感じたことは、あたくしだけのもののはずなのに、「努力」なんてナンセンスだと
 自分でもそう思うのですよ。

 でもね。
 相田氏のことばを借りれば「人間だもの」、影響を頗る受けやすいのです、我々といういき物は。

 この男性に、このことをメールで出せばよかったのですが、メールにしてしまうと
 個人的な思想の押し付けや、過多になりすぎる感謝の気持ちで、とりとめのない
 迷惑な文章ばかりを一方的に押し付けてしまう気がして、ここにこうして抑制の意も込めまして
 メッセージを。

 ありがとう。助かりました。養生します。約束します。


↑食、擲ちました(バカ)


そうなんです。。。。
本日まだ、何も口にしていないのです。この地に滾々と湧き出る、美味しいお水以外は。

あさみ


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あなたの毎日にずぅむいん・・・・

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