2004年12月09日(木)
16歳で花嫁修業


もう、昨日の日記は、我ながら、よく恥ずかしげもなくあそこまで吐露できたもんだなと
失笑モノであるが、あそこまで書いたら、逆に憂さも何も全部晴れて、
「もう時効なんだから」と半ば開き直り、当時のことを何でも言えてしまうような気すらしてきた。


よく「結婚すると女は変わる」・・・・「いや、出産すると第2段階の変身をする」・・・・などと
女性の神秘をあるがままに口にしてくれる殿方に、今までも色々な話を聞いてきたけれど、
まさか自分に、そのような変調が来るとは、あんまり想像していなかったので、
ちょっと不思議な気分。結婚とは、斯くも自分を変えてしまうものなんだなぁ・・・・
というか、「居場所」がカチッと定まったら、過去の整頓も悪事も何もかもを吐いても
全て笑い事として許されるような気すらしてきたのだ。・・・・多分、ぷよ2なら笑って許してくれるはず。


昨日、末尾に書いた事実。
これについて今日は書いておこうと思う。


実は。
あの頃、シンがどんな女の子が好みのタイプか、ということすら恐れ多くて聞けなかった。
恐れ多いというよりも、自分が彼のことが好きだから、恥ずかしくて・・・・そして「あまのじゃく」な故に
聞いたその日からそうなろうと努力してしまう自分を、他の誰かに見抜かれたくなくて、
敢えて、聞かなかったのかもしれない。
だから、今でもシンがどんな女の子が好みのタイプだったか・・・・というのをあたくしは知らない。

ところが。
あの頃、ヨシオの好みのタイプ・・・・というのはホント、詳細に渡って知っていた。
まだ彼のことを好きになってしまう前、あたくしはクラスメイトの1人が彼のことを好きだから
何でもいいから情報を仕入れてきてとのお達しに、素直に対峙し、ヨシオに対して
どうでもいいような質問でまずは外堀を埋めつつ、何となしに、核心に迫る質問を織り交ぜ、
彼の好みのタイプというのを聞き出すことに成功したのである。
彼は言った。

「着物の似合う人がえぇな。後は、味噌汁を上手に作れる人でないとダメや。」

意外と古風で和風な好みなんだなぁと、その時にはそのくらいにしか思わなかったけれど、
考えてみれば、中学3年の男子がこんなことを言うなんて、物凄く育ちに偏りがあるか
或いは老成しているかのどちらかである(苦笑)。
彼は、どっちかというと前者の方で、コレはその好みのタイプというのを聞いた後で知ったのだけど、
お父さんが、某有名K大学出身のお坊ちゃま・・・・そしてお母さんは、某有名お嬢様大学F女学院出身
ということが判明し「う〜ん・・・・なるほど!」と何かしらんけど、納得してしまったのである。
どうしてそんな血筋の人が、こんな片田舎で納まってるのかなぁ・・・・と不思議に思ったくらい。
2つ年の離れたお姉さんは、確か名古屋の有名女子高へと進学していたし、
2つ年の離れた妹がどうなったか、その消息はつかめないけれど、とにかく家柄からして、
お金持ちで、きちんとした学歴があって・・・・というふうなんだなぁみたいな印象を持った。
某有名お嬢様大学F女学院卒という肩書きを持っている彼のお母さんは、そりゃもう、
上品が服を着て歩いているような雰囲気で、普通のエプロンをして普通にお茶を出してくれたのだけど
こんな田舎町には似合わない感じだな・・・・と、当時から直感だけは鋭かったあたくしを驚かせた。
と、同時に、彼が普通にあたくしらと同じ中学に通っていることすら、俄に信じられなくなった。

で、本題に戻るが、このお母さんを見て「あぁ、なるほど」と更に納得したわけ。
和服がとても似合いそうだし、楚々とした雰囲気も悪くない。
加えて、きちんと花嫁修業をした上でお嫁にきている感じがするし、見た目で判断できるかどうか
それは問題だけど、確実に、彼が好みそうな味噌汁を作れそうな人ではあった(笑)。

中学3年から、こんなことを好みのタイプとして掲げている少年を口説き落とすのは大変だぞぉ・・・・と
後年、彼の周りに群がる独身女たちのことを、あたくしは黙って見守っていたのだけど、
あたくしが黙っていたのには、もうひとつ理由があった。


あたくしは、15歳で1度ピリオドを打ったつもりが、無意識のうちに、彼の「好み」たるやを
追いかけていたという事実から目を逸らしていたからだ。


見ての通り、あたくしはサイト運営や実生活の小物の趣味に至るまで、「和風好き」を通している。
自分が好きになって、コレが自分の好みなんだと思い込んでいたのだけど、陰の自分が囁く・・・・。
あの時、彼があんなことを言わなかったら、こんな趣味を持ったのか・・・・? と。


あたくしは、とあるきっかけを経て、16歳から着付を習い始めた。
それ以前から、和服に興味があったというのは自分のオリジナリティだと信じていたし、
他の子たちが当時習っていないような習い事をしたいという、個性の芽生えが
そういう行動に出させたんだと自分でもそう信じたかった。


けれど、今から思い起こしてみると、あの時、彼があんなことを言わなかったら、
こんなに和装に凝っていただろうか?
自分で着物を自由自在に着こなして、着崩れが起きないような着付方や、ちょっと変わった帯結びに
興味を示していただろうか?
実際にお友達と会う時にも「普段着」の着物を持っている・・・・なんていうふうになっただろうか?


高校時代以降の友人たちは、それを論って「こういうの、日野らしいよね♪」と言ってくれるけれど、
その起源を考えると、ヨシオの一言ナシでは構築されないような気がして、
しばらくはそのことを考えなかったくらいだ。
このことを掘り起こしたのはつい最近・・・・ホント、数ヶ月くらい前のこと。
結婚がちゃんと決まって、もうあたくしが前の姓を名乗らなくなってしばらくしてからだ。


結果オーライで、高校時代のうちに習っておいた着付は、芝居をやる上で、とりあえずは
恥ずかしくない程度にまで自分で何とかできるようになったし、所作も相応に身についた。
大学で、普段から和装をしている「日舞」専攻の子たちからも一目置かれるような
そんな着付とセンスを自分の中に取り込むことも出来た。
この時、ヨシオのことは全く頭になかったけれど、無意識のうちに
彼が好みだと言った女性に近づこうとしている自分がそこにはあったのであった。
誰かに「本当に和服が似合うわね。」と言われると、舞い上がるほどに嬉しかったし、
それが自分なんだと暗示をかけているフシも否めなかった。


上京してしばらくの間。
あたくしは、あまり外には出かけず、料理を一通りマスターした。
元々嫌いではなかったので、すぐに調味料の相性やら、火加減の機微、隠し味の何たるかは把握して
コレで、幾人かのオトコを落としてきたと言っても過言ではない。
高校を卒業するまでは、家事一切を母親にまかせっきりだったので、母親はその力量を知らないが、
あたくしを通り抜けていったオトコたちは、料理に関しては誰も文句を言わなかった。
何か特別な、すごい御馳走を作るというのではない。
冷蔵庫にあるもので、短時間に、そこそこのものを作る・・・・という方が、
男性の前ではウケるというのを短いスパンで悟ったので、それを着実に遂行した。
中でも、赤出汁の味噌汁は、スーパーに行ってもなかなか八丁味噌が手に入らないので、
実家に帰るたびに買って帰っていて、自分の好みの味で、人前に出しても恥ずかしくない程度になるのに
そんなに時間はかからなかった。
下準備さえしておけば、10分と経たずに味噌汁を持ってくるので、それで驚いていた男性もいたほどだ。

東京の男性は、赤出汁に免疫がなく、最初は「え!?」という顔をされるのだけど、
何度も家に来ているうちに、「あの味噌汁が食べたいんだけど」とリクエストする人も出てきた。
味噌煮込みうどんを作ってやったら、すごく感激した人もいた。
挙句、いつもお味噌汁じゃ味気ないなぁと思い、冷蔵庫をあさった時に

「う〜ん・・・・キャベツとベーコンくらいしかないなぁ。」

とあたくしが言うのを6畳間で聞いていて、キッチンからあたくしが戻ってきた時に
それがスープになっていたことに非常に驚いた男性もいたのだった。

「俺、てっきり野菜炒めが来るのかと思ったよ!!
キャベツとベーコンでねぇ・・・・へぇ〜!! スープになるのか!!」


そう言ってくれた彼のおかげで、料理たるや固定観念をぶち破り、発想の貧困さとサヨナラすれば
どんな簡単なインスタントに近いものでもサプライズになるのだなぁ、ということに気がついた。
この頃、あたくしは自分好みの味噌汁を作るのに、手間がかからない程度になっていた。


着付も出来るようになり、自炊もそう苦でもないとわかった時点で、あたくしはだんだんと
昇華を果たしていき、伸び伸びと生き生きとし始めた気がする。
自分からは男性を家に誘ったりなんて事、昔からは考えられなかったけれど、
2つの自信が自分を変えたのか、好きになった男性には、きちんとアプローチできるようになっていた。
クラス会や、同窓会でも、「日野って変わったなぁ・・・・」と男性に言われるようになった。

髪を伸ばしているのは和装のためなの、と、何年も切らなかった超ロングヘア。
それもあたくしのとっては、15歳の頃にグッと押さえ込まれていたセックスアピールの一部で
男友達をどんどん増やし、限られた女友達としか付き合わなくなったのも、
もっと自分に磨きをかけたいという、心の底からの願望がそうさせていた。

封印されていた「女性」の部分をとにかく遺憾なく発揮できるのはこの時期しかないんだわ・・・・。
中学を卒業してからのあたくしは、確かに変わった。
高校・大学の7年間の間に、今のあたくしの根本が構築されたわけなんだけど、
ファンデーションになったのは、何を隠そう、ヨシオのあの一言だったのだ。
今まで、自分でも見ない振りをしてずっと封印してきた一部。
誰にも言っていなかったトップシークレット。
だけど、嫁入りさえ果たしてしまえば、吐露するのもそれほど苦痛でもない。
今は、和装の所作も味噌汁の味も、ヨシオではない、別の人のものだから。
どうだ、と威張れるくらいに・・・・誰に対して、というと、彼の取り巻きだった女性たちに対してなんだけど
要するに、彼が与えてくれた一言で、あたくしは沢山の素敵な男性と巡りあえるチャンスをゲットし、
きちんと対峙する方法を学べた・・・・そういうわけだ。


自分でも思う。
今なら、相当イケる・・・・と。
ヨシオの前にきちんとした和装で現れ、恥ずかしくない味噌汁を作れる。


本当はね・・・・。
当時、凄くずるいことをしている気もしていたんだ。
友達に教えてあげるはずの情報を、自分で先取りして、それを自分の中に取り込もうなんて
こんなに虫が良すぎることってあるかしら・・・・と。
15の時はそう思っていた。
16になったら、そんなことはどうでもよくなっていた。
わざと記憶から2人の少年を抹殺して、素知らぬフリをするのは、仮面好きのあたくしには
別段、苦ではなかったけれど、いつの間にかそれが仮面ではなくなって、
自分のオープンなところを担う大事な一部分になっていたことを知ってしまい、
そこに歪みが生じたんだ・・・・大事な部分を隠し通して、辻褄あわせをしても絶対に歪みは生じる。
もうこれで、おかしな呪縛はなくなるはず・・・・そう信じたい。

何年も1人の少年のことが好きで、その隙間に突然入り込んだもう1人の少年の影響は
意外と、あたくしの人生に大きな何かを落としていっていたんだな。

↑まとめたらスッキリした。

多分、ヨシオのために着飾ることや、食事を拵えることなんて、
今後、絶対にないだろう。
だからきっと、こういう告白ができるようになったのかもしれない。
そういう意味では、彼には感謝しないといけないのかな?(笑)

「好きだったんだよ。」

とも、もう言わないと思う。これは確実に完結を迎えた、ひとつの物語だ。

あさみ


投票ボタンです。押すとアサミンジャーがはしゃぎます♪


あなたの毎日にずぅむいん・・・・

My追加




めーるはこちら♪

宿帖直通(BBS)