2004年09月07日(火)
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平和の中に潜む残虐性 |
ここ最近・・・・。 おや?? 同ジャンルの有志が150人くらい消えたな・・・・と奇妙な変化に気付いたんだけど、 アレだわ・・・・未更新のまま放置してある日記が次々削除されたのね。 あたくしはここを無料でお借りして、そろそろ5年。 このデータが吹っ飛ぶと、色々と困ることもあるので、定期的に更新することをここに固く誓う(苦笑)。
話はガラリと変わるが。
以前、この日記に「この手でぶっ殺すリスト」なるものが、心の中に存在する、ということを 書いたと思う。 健やかで平和な暮らしをしているんだから、そういうのも自ずと薄らいでいくものかと 自分でも思っていたんだけど、実はそうではないらしい(爆)。 日に日に膨らむ憎悪感や、意味のない嫌悪感に、少々頭痛を覚える日もある。
それは、相方・ぷよ2に対してとかじゃなく、今までに明らかにリストにランクインして 不動の位置を守っている輩たちに対してであったり、 もっと抽象的で、自分の手ではどうにもならないんだけど・・・・というものに対して そう思うことが、今でもやっぱり続いている。
で、輪をかけて強く思うようになったのは、「・・・・死ねばいいのに」という、勝手すぎる思考。 自分でも「勝手だなぁ・・・・」と思うし、思ったことをすぐ口に出して言うわけじゃないので、 何度も何度も前述のことを心の中で咀嚼するんだけど、咀嚼を重ねると、その思い自体が大きくなる。
でも、前にオーアエとかにも言われたっけ。 そう思うのとそれを具体的に実行するのは違うんだから、もっとそうやって自分以外の人に対して 憎しみを感じてぶつけていく方が、健康的だと思わないか?・・・・と。 その時に、何が正常で何が異常か・・・・という話にはならなかった。 どういうのが健やかな姿か? という論点だったと思う。
好意的な気持ちや相手を思いやる気持ちばかりが正義だと勘違いしてないか? 人間、誰しも、鬱陶しいと思う人間の1人や2人・・・・発展して、殺したいくらいの人間の1人や2人、 いてもおかしくはないんだ。それが普通の感覚なんだ。確かそんな話をした。 考えてもみろ、「正義の味方」というヤツは自分たちが設定した「悪」の言い分なんか聞かない。 徹底的に排除して、自分たちのテリトリーをきちんと守るのを名分として、 子供たちが喜んでそういうのを見ているんだ・・・・どこか、おかしいか?? 人間の本性なんていうのは、所詮、そこに起源するんだよ・・・・って。
あたくしはこの話をされた時、やっぱり「憎悪」や「嫌悪」という感情に対し、 明らかなる恐れや、それそのものに対する嫌悪を抱えていたんだけど、今はちょっと違う気がする。
クンと少し平常から上に行ったところで、あたくしの状態が停滞=安定していて、 前に言われたことが、今更ながらに胸に溶け込むように馴染むようになってきた・・・・そんな感じ。 だからこの場所にも、こういうことが書けるにまで至ったんだけど。 別に、個人攻撃や特定の人の誹謗中傷をしようというわけじゃなくて、あくまでもコレは、 今まで「壁」になっていた、あたくしの障壁になっていたもののうちの1つが取れましたよ〜♪ という、御報告なので、あんまり物騒に考えないでくださいな(笑)。
この国でも、本当は病むべきところではないところを病んで、本当に苦しい思いをされている方々が 沢山いる。・・・・軽症(何を以ってそういうのかは不明だが)らしいがあたくしもそうだ(った)。 たまに、「死にたい」とかいう文字もあちこちで見かける。
この、前後不覚の「死にたい」は言い換えれば「生きたい」のだから、あんまり気にしていないけれど、 たまに、まるで前世で何か悪業でも重ねてきたんじゃないかと疑いたくなるくらいに 同じようなことを繰り返し、同じようなタイミングで「死にたい」と何度も何度も言う人もいたりする。 ・・・・あ〜ぁ、と思う。 ・・・・知らない人でよかったよ、とか。 偽善者ぶって、「死んじゃいけないよ」とか、あたくしはもう言えなくなった。 口に出しては言わない。 心の中で「死んじゃいけない」、逆に「死ねばいいのに」と思うことは沢山あるけど。
他人に対してもそうだから、自分に対してもそうなってきた。 「死ねばいいのに」「死んじゃいけない」・・・・自分の中で自分に対し毎日、こういうのを繰り返しつつ、 きちんと生きている。
あたくしはある意味で、平和と共に、残虐性も同時に勝ち取った。 環境が変わったのも、何もかも、あたくしが「死ななかった」賜物で、 少しの我慢と、それ未満でいい向上心、前々から要求されていた「サボる」という概念、 コレが揃ったら、何もかもが巧くいくようになった。 人それぞれ、事情は違うと思うけれど、あたくしの場合、足らないとされてきたものが ここにきて満たされたのもあり、前よりうんと健やかになったと思うのだ。
今、式が迫っているので祝福の言葉を頂戴することもあるが、 たまに、世の中を巧く渡れない人から妬みの言葉を頂戴することもある。 決めたんだ。 八方美人のレベルを四方美人くらいにランクを落とし、切るべきところは切り捨て、 自分と相方の生活を守るのが今のあたくしの仕事なんだから、多少の残虐性も許せ、と。
その気も準備もないままに、結局、消去法で「生きている」のがあたくしは凄く嫌だったんだけど 色々と表現を重ねているうちに、毎日が取捨選択制になった。 選択肢があるのもないのも、増やすのも減らすのも自分の責任。 あたくしよりも劣悪な環境でも、幸せそうにそして、必死に生きている人たちがいる。 他人と比べるまでもないことなんだけれど、あたくしもその「必死さ」だけは見習おうと思う。 幸せは、その人のキャパシティに応じて、後からついてくるっていうのもわかったから。
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