2004年06月26日(土)
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かえるの先生/ストップ中の連載 |
昼間の庭の片隅に座り込むと ぐわぁぐわぁとひっきりなしに そこに川が流れているように かはずは友と歌を謡う 夜半のガラス戸を少し開けても やっぱりかはずは ぐわぁぐわぁと休むことなく謡い続ける
億倍はあろう人間の動かすくるまの脅威に 生命の危機を感じても かはずは動じず謡い続ける 醜悪な姿を厭がられても 水辺で謡い続ける音楽家たちよ
そんなに一所懸命で疲れやしないかい 息継ぎが苦しかったりしないかい
嗚呼、でも心配は無用だったね きみたち音楽家に残された時間は我々よりも短く そして今しかできない演奏を精一杯やっていることに意味があるんだ
わたしに残された時間はたぶん長い 少なくともきみたちよりは長い だから戸惑う きみたちのようにひたすらに 生きる力で詠うことが わたしにはとても難しいんだ
四季折々の花々に 空のご機嫌 風の流れ 欲張りに全部を感じようとするのが わたしの悪癖 ただひたすらに生きる力を見つめれば きみたちの仲間になれる気もするが しばらくわたしの先生として その姿をしっかと記憶に残させておくれ
嗚呼、珍しく、自由律散文詩なんかをおもむろに書いてしまったわ(苦笑)。 「朝美」が舞い降りてきているに違いない(確信)。 んっとね、たまぁになんだけど、「THE文芸」みたいなことがしたくなるの(爆)。
この日。 あたくしは寄稿をお休みさせていただいたのだけど、『雑』の105号が手元に届いた。 本当に息の長い文芸誌だ。 季刊誌・・・・年4回の発行で、105号目、ということは創刊から26年とちょっとが経って、 まるでそれは、あたくしの文芸人生の軌跡と同じくらいの長さで、 おいおい、ちょっと待てよ、引き算するとその年齢では文字も書けなかったんじゃ? と仰る方もおられましょうが、実は4〜5歳の頃には既に創作童話を作って、 妄想の世界に自分を飛ばしていたりしたので、そのように考えていただいて結構。 ここに寄稿を始めて5年くらいが経ったけれど、次の締め切りに間に合うように、 連載中の小説と、ちょっとしたエッセイの原稿でも用意しようかと考えている。
小説だけにしておけばいいのに、何でエッセイにまで手を伸ばそうと考えているかというと、 実は、105号の編集後記に、あたくしが結婚したということが律儀にも触れられていたので、 その感謝の意をきちんと、原稿の文面で皆様にお伝えしなければと思ったのだ。
100号創刊記念パーティの時に、あたくしの想像以上に『雑』の読者が多いということに気付かされ、 最近、1号おきにお休みを頂いていたことに関しては、本当に気が引けて申し訳なくて。 そろそろ、お金も貯まってきたし、負担金は何とかなりそうだし、 ここは思い切って、いつもより沢山のページを占領してみるか(笑)。
そういや、今回、うちの大学の伊東先生が、いつもの落語じゃなくて戯曲を載せてたなぁ・・・・。 あぁいうのを見ると、すんごく触発される。 得意分野だけじゃなくて、色んな分野に手を伸ばして、でもきちんと成功を納める。 伊達に古希を迎えた古典落語作家じゃないな・・・・(-。-) ぼそっ そこにある研鑽が、ズガン!!と作品に開花しているようで、若きあたくしにもいい刺激になった。
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