2004年01月27日(火)
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「ありがとう」と「ごめんなさい」と「愛してる」 |
某番組のトークコーナーに渡辺裕之氏が出ていた。 渡辺氏といえば、女優の原日出子さんと結婚し、連れ子共々、明るい家庭を築き上げ、 「いい夫婦の日」には真っ先にマイクを向けられるような、おしどり夫婦の旦那様・・・・というのでも 有名な俳優さんである。
まぁ・・・・たとえ、その姿がかりそめであろうとも、実際、奥様である原日出子さんもいきいきと 仕事をなさっているのは事実だし、写真で見る限り、3人のお子さんも素直そうに伸びやかに 成長されていることは一目瞭然なので、きっと、お家でも良き父であり、良き夫なのだろう。
そんな渡辺氏が、こんなことを言っていた。
「『ありがとう』と『ごめんなさい』と『愛してる』という言葉は、本当にそう思った時に 人と直球勝負で対峙するためにも、よく使います。 妻に対してもそうで、子供に対しても勿論そうです。」
あたくしは、この言葉に少なからず感銘を受けた。
と、いうのも・・・・。 丁度、10年位前だったかなぁ・・・・もっと最近のことだったかなぁ・・・・。 ある人に言われたことがある。
「最近、物事全部を『すみません』という言葉で片付けてしまう人が多いけれど、 あれはあんまり感心しないな・・・・。少なくとも、『ありがとう』と『ごめんなさい』は きちんとその言葉で伝えたいものだよ。」
なるほどなぁ・・・・と、その時そう思ったので、あたくしは実践してみることにした。 『すみません』の回数をなるべく少なくしてみようと試み始めた。
「お店とかに入って、注文をお願いしたりする時に、『すみません』ってよく使うだろう? アレだって、『お願いします』というふうに言えばいいんだよ。 何でもかんでも『すみません』じゃなくって、ちゃんとした言葉があるんだから、 そっちを使った方が、より明確に相手に気持ちが伝わるんじゃないかな・・・・。」
お店に入ってオーダーをお願いする時に、ついつい使ってしまう「すみません」という言葉。 そうだよなぁ・・・・店員さんに気付いてもらえるように、大きな声で「お願いします!」って 言えばいいんだよなぁ・・・・。 渡辺氏の話を聞いていて、そんなことを思い出した。
誰に教えられたわけではないが、あたくしは閉ざされた部屋に入る時、必ずノックして、 返事の有無にかかわらず、一言「入ります」もしくは「失礼します」と言うのが クセになってしまっている。 そうでなければ「おはようございます」だったりするんだけど、これは高校時代に刷り込まれた 最低限礼儀のひとつだ。今でもよく覚えている。
あたくしは、芝居をするにあたってひとりで楽屋を使えるほど贅沢な身分ではないので 必ず誰かと同室になる。 楽屋となれば、異性こそいないけれど、それこそ今そこで着替えをしている人がいたり、 細かい作業や化粧をしている人がいたりするものである。 いきなりドアを開けて、驚かせるようなことはしてはならない。 また、ドアの開閉によって空気の流れも変わるので、自分の持ち道具の確認をしている人には その風圧が障壁になってしまう場合もあるので、細心の注意を払うべきなのだ。 ドアの開閉音を防ぐために、ドアを開けっ放しにして、代わりに暖簾をかける役者さんもいらっしゃる。 その時はノックのしようがないので、一声かけるようにする・・・・これが多分染み付いたのかもしれない。
この間の舞台稽古の時も、突撃小学生がいきなりドアを開けて突進してきたので、 一声かけておいた。
「部屋に入る時はノックをしようね。着替えをしている人がいるかもしれないでしょ? ここは女性の部屋で、あなたたちの後ろを、男の人が通るかもしれないのよ。注意しようね♪」
彼女たちにこれが浸透するのには、まだ数年かかるかもしれないが、女の子なので、 いずれこの事の重大さに気付く時が来るだろう。その時からでも遅くはない。 部屋を訪ねる時にはノックをする・・・・エチケットやマナーとして忘れてほしくないものだ。
でも、思うことがある。 大人たちがきちんと挨拶や礼儀を通していれば、子供たちにも少なからずとも 最低限のことは浸透する。 あたくしらが、「おはようございます」と挨拶をすれば、同じように返ってくるようになり、 やがては、向こうの方が先に「おはようございます」、「お疲れ様でした」、「ありがとうございました」 と、きちんと言えるようになっている。 これは素敵な輪廻だ。 強要するでもなく、見て習うという、極々単純な行為なのだけど、 大人がきちんとしていれば、自然と子供はそこから学んでいく。 だから、あたくしも、最低限のことはちゃんとしなくちゃな・・・・と思うのである。 彼女たちの3倍近くを生きてきた、数字上の「大人」としては、ね(苦笑)。
渡辺氏の話に戻ろう。 彼はこれに加えて、「愛してる」という言葉も、家庭内でよく使うと言っていた。 そんな言葉、恥ずかしくて、おいそれと使えないよ・・・・という人も多いだろうけれど、 彼は言っていた。
「普段から、きちんとその気持ちを伝えるようにしていると、逆に言葉に出して言わない方が 恥ずかしい感じがするんですよ。スキンシップも同じです。 自分が帰ってきたら、子供たちはとにかく飛びついてくるんです。 思い切り抱きしめてやれば、子供たちは安心して、普通に部屋に戻っていきます。 これがないとなると、寂しくてね(笑)。そういう時はそれも言葉に出して、ちゃんと言いますよ。 『あ〜ぁ、寂しいなぁ。』って(笑)。」
なるほどなぁ・・・・納得する。 熱々のラブラブカップルとはまた少しニュアンスの違う『愛してる』だということはちゃんとわかる。 親から子供へ伝える『愛してる』は、 男性が女性に語るそれよりも遥かに重みがあるということにも気付かされる。
彼のご長女が、ちょっとした反抗期だった時に手を上げたことがあるということも話に出た。 その時、渡辺氏は娘さんを別室に呼んで座らせて、きちんと話をしたという。 殴ったことも『ごめんなさい』という言葉で詫び、そして、『愛している』という言葉で以って 娘さんを納得させた。 勉強もそっちのけだった娘さんは、それ以来、「受験する!」と言って塾通いをし始めたという。 親として、新しい命の誕生に際し、上の子を蔑ろにしていた事に対しても 『ごめんなさい』という言葉で詫びたという。 娘さんも、胸の中に溜め込んでいたことを全部吐き出す機会に恵まれて、和解へとつながったようだ。 我が子に対しても、済し崩しに誤魔化すのではなく、回りくどい言い方をしないで、 直球勝負で『ごめんなさい』と言える親は少ないと思う。 だけど、実践している人がいる。 これは見習いたいなと思う。
あたくしにはまだ子供がいないけれど、例えば、うんと年下の子供に対しての会話の中で、 あれこれと示唆するばかりではなく、きちんと『ごめんなさい』という言葉も 自然に出てくるようにできたらいいなと思った。 幸い、今、そのような状況に恵まれているわけだし、子供たちに対しての目線の位置や 気遣いも、大人に対してのと同様にして、真摯に向き合えたら、 きっと、自分にとっても相手にとっても気持ちのいいやりとりになるだろう。
子供たちから学ぶべき点も多い。 だからそういう部分で感謝していることを、素直に『ありがとう』という言葉で表現できたらいいな。
あたくしは今、なるべく現場で、一番に『はい!』と返事をしようと心がけている。 すると、侍従長と競争になることがある(爆)。 でも、それでいいかな・・・・と思っている。 古橋パパには同じ現場に娘さんがいるわけで、娘のカナちゃんにも これがいい影響として残ってくれたらいいと思っているから・・・・。
今はただの、ひとりの『人間』だけど、いずれ、本当の気持ちを込めて『愛してる』と言える人に 恵まれることを、あたくしは切望している。 伴侶であったり、自分の子供であったり・・・・。 今の親に言うのもいいけれど、まだまだ照れがあるようで・・・・(苦笑) でも、新しい環境に恵まれたら、親に対しても素直に『愛してる』と言える気がする。 その環境に恵まれないとしても、いつかきっと心を込めて、誰かに『愛してる』と言える そんな自分になりたい。
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