2003年11月06日(木)
うれしさをあらわす単位はないものか




うれしさをあらわす単位はないものか数字を用意し待っているのに




こんな気分・・・・♪
造語能力には長けていると思っていたけれど、本当の喜びに出会うと、ことばを失ってしまう。
どうやって伝えようか、と、戸惑ってしまう。


ぷよ2はお習字の有段者。繊細な筆の動きは、多分あたくしなんか足元にも及ばないだろう。
だけど、そんなぷよ2が、あたくしの作品の「ここ」が良い、という言い方で褒めてくれる。
逆に、ここのバランスがまだダメだな・・・・とアドバイスもしてくれる。


「夕雅先生はね、へんとつくりで言うと、『へん』がとっても巧いんだ。
だから、つくりのバランスをもっと考えると、文字自体に味が出るはずだよ。」



あたくしは、お習字は学校でしかやってこなかったので、自分の文字のどこに『個性』があり、
何がダメなのか、というのが全然わかっていないのに、色紙に文字を書きつける・・・・という
商売を始めてしまった。
彼は、そのダメ出しを一手に引き受けてくれる。
有段者が見てくれるのだから、とりあえず、『確か』な何かがそこに付随するだろう。


「あとね、平仮名の『あ』とか『め』とかが、何か異様に巧いんだよ。
楷書体では色々と言われるだろうけれど、『個性』を追求する場合、これは強みになるはずだ。」



いつも書いている文字だ。平仮名なんて、特に何の気負いもなく多用する。
気付かないところに『個性』というものは転がっているものなのだなぁ・・・・と思う。
美しく、読みやすい字を書く人がいる。
これはとっても素晴らしいことだと思い、見習おうと、追随した経験がある。
やがて、それが自分のものになった時、それでもまだ、自分は「足りない」と思っていた。
あたくしは、多分、かなりのクセ字を書くほうだと思う。
が、「読みやすい」と言われたことは何度かある。
上手か下手かではなく、伝達手段として、有効か否かで人は判断するのだということを知らされる。


『人間味のある文字を書く』というのは、ある種の究極体かもしれない。
文字を見れば人が見えると、色々な人に言われた。
あたくしの書く文字は、今、500円の値がつくようになった。
800字程度で3000円くらいの価値があると判断されたこともある。
目で見た時の印象と、その中身が合わさると、また違った価値が見出されるのかもしれない。
あたくしが、少しじれったく思っているのは、そこでの評価がまだなされていないせいかもしれない。
PCをワープロ代わりにして原稿を書くようになって随分と経つ。
肉筆で書くのはプロットのみだ。


残された「色紙」というカンバスにあたくしが筆を入れる時、どれほどの緊張がそこにあるか
おわかりだろうか・・・・。
たった、みそひと文字を書き付けるのに、かなりの躊躇を経るのだ。


そして、最後は何もかもかなぐり捨てて、下書きも練習もなく、ただひたすらに書く。
渾身の一文字もあれば、後悔が残る文字もある。
でも、それがあいまってのひとつの「作品」だったりする。
あたくしの持つ、悩みや迷い、逆に無意識なほどにストレートな気持ちが
ぶっちゃけ、わやくちゃにそのカンバスに混在することになる。
それを、真正面から受け止めてくれる人がいる。
とてもありがたいことだと思っている。


昨日の追記分にも書いたけれど、山下実桜ちゃんのママ・和子さんから頂いたメールで、
あたくしは本当に目から鱗が落ちた気分だった。
うれしくて、うれしくて、こっちが泣けてくるくらいだった。
自分に迷いがあった上、ひょっとしたらやめてしまおうかと思っていた矢先の出来事だっただけに、
涙が止まらなかった。

ぷよ2も色々な見地で、あたくしの作るものを認めてくれようとしている。
自分なら、2倍出すさ! と堂々と言ってくれる。
2倍もの価値があるかどうかはさておき、そうやって背中を押してくれる人たちの気持ちを
あたくしは絶対に裏切りたくない。


浮き沈みが激しくて、どうしようもない、このあたくしを、大勢の人たちが支えていてくれる。
罪を重ねず、ご恩返しができるとしたら、あたくしはこれからも「作品」を輩出し続ける、
このことに集約されるのかもしれない。
ペンを投げず、筆を捨てず、一心不乱に「作品」と呼べるものを輩出し続けよう。

↑日常がそれを物語るのか・・・・と思った。


あたくしが、本腰を入れて歌を詠む時。
皆様は信じられないかもしれないが、ベッドで寝タバコしながら、
枕元に用意したメモ帳に、思い浮かんだフレーズを、ランダムに次々と書いていく。
ことばがなくなったら、しばらく休む。
また出てきたら書き付ける。
そういうのを、たった30分繰り返すだけで、10〜20首くらいが出来上がる。
使えないものは次々に削除するが、歌として使えなくても、フレーズとして残すことばがある。
そういうのを繰り返す。
でも、大概30分くらいで、厳選5首は必ず生まれるようになっている。
ただ、この「30分」が頗る長い時もあるし、光陰矢の如く・・・・という時もある。
しかし、24時間中のたった、0.5時間で
あたくしは、歌を作る。

↑世のジーニアスたちはどうなのだろう?

詠めなくて、泣く日もある。詠めるのが日常だと思っているからだろう。
つまらない思い上がりだ、と、思うようになった。
詠めなくて泣いた日のことを、悔やむのはもう止そう。
他人を慈しむのと同時に、自分も慈しまなければ、これからは生きてゆけない・・・・そう思う。
ひとりで歌を詠むということは、つまるところ、孤独な作業で、
それに負けていたら、あたくしはきっと死んでしまう。
ひとりで小説を書くということは、つまるところ、孤独な作業で、
それに負けていたら、あたくしはきっと死んでしまう。


この宵の袖濡らしたる我はなほ朝(あした)にわらふ花をこそ詠む


今日は、正にこの歌のような一日でした。

あさみ


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あなたの毎日にずぅむいん・・・・

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