2003年04月20日(日)
アサミンジャーの関東ぶらり旅�  嶌嚢發僚于颪ぁ廚隆�


みそひともじシリーズはちょいとお休みいたしまして、
やっと叶いました、関東進出の旅行記にお付き合い頂きとうございます。
本日、4月23日ですが、20日分からちょこっとずつ埋めて参ります。


さてさて。
雨もそぼ降る、岐阜羽島駅。道中、先が思いやられそうな悪天候の中、
あたくしは新幹線に乗って、一路東京へ!
本日、旅の初日は、大手町のパレスホテルで、「雑」100号刊行記念パーティがあるのです。
あたくしは以前買い求めた、紗の羽織を白いスリップドレスの上に羽織って
正に、和洋折衷的なカッコで挑みます。


東京駅に到着してから、大きな荷物はぷよ2にお任せして、
歩いてホテルまで向かう。
迎えてくれたのは、いつもお世話になっている、津田さん。
あたくしがゲラ原稿の提出が遅れても、それ以前に原稿の提出が遅れても、
辛抱強く、こちらの様子を窺ってくれる、優しいお人。
あたくしが「雑」にお世話になるようになったのは、確か84号くらいからだったような気がする。
以来、原稿を載せて頂いたり、色々な感想を賜ったり、その他諸々、
本当にお世話になっている方。

「雑」の会員メンバーの方々は、それぞれ別に仕事をお持ちで、
あの雑誌には、ほぼ趣味の領域で、御自分の好きなモチーフ、好きな話題で
毎号毎号を賑わせている。
そのメンバーの中に、実はあたくしの大学の教授(本当はもう非常勤講師らしいのだけど)
もいたりなんかして、まさに「重鎮」揃いのメンバーだったりするのです。

自己紹介もほどほどに、早速談笑が始まる。
本当に、内容の濃い話ばかりで、楽しませていただいた。
特に、同じ学科の先生だった伊東氏とはやっぱり話が弾み、
今、あの大学がどうなっているのかだとか、あの先生はお元気ですかだとか、
昔はこうだっただの、あぁだっただの、本当に色々なお話ができて、あたくしも感激至極。
先生の講義、あたくし、1つも取っていなかったのに、
同じ学科出身というだけで、ぐんと縦にも横にも人脈が広がった手応えみたいなものを感じました。



ちょっと光源が心許ない画像ですが・・・・。
左から伊東先生、あたくし、津田氏、そして津田氏の奥様、「雑」でのペンネームは小石川からすさん。
皆さん、とっても面白い作品を常に輩出してらっしゃいます。
伊東先生は本当は舞台美術が専門なんだけれど、「雑」では専ら、古典落語の新作を
次々と発表なさっていて、今ではそっちが本職になりそうな勢い(笑)。
ご本人も、楽しそうに落語用小噺を作ってらっしゃる。
一方、小石川女史は小柄な風貌とは裏腹に、とてもパワフルで、人間味溢れるエッセイや小説等を
書いていらっしゃる。
この日も女史にはあたくしの様相やら作品についての感想などを沢山賜り、
同じ女性として、素晴らしい勉強をさせて頂いた。


今回、100号に載せたあたくしの作品は、口絵の富士山と、
インターネットをモチーフにした、不倫小説(笑)。
あたくしは、この小説にあんまり自信がなかったものの、えいやっ!という気で寄稿した。
ところが・・・・。
案外、メンバーや読者さんの中では好評のようで、
次がどうなるか楽しみだと、正に、こちらを煽って奮起させてくださるかのような言葉を
これまた沢山頂戴した。
「あの不倫の話を書いた人でしょう♪ 面白いですね。」
と、席を替わってやってきて開口一番、こう言って下さる方もいた。
見も知らなかった人たちに「印象」を残せたのが、あたくしとしては作品の出来・不出来に拘わらず
とても嬉しいことだったのだ。


ところで・・・・。
このパーティの参加者をぐるりと見渡して、凄いな・・・・と思ったことがある。
言ってしまえば、高々、文芸雑誌・・・・しかも、同人誌のようなものだ。
それが、書き手だけではなく、いつも読んでいますとかいう常連読者の方々、
紙屋さん、印刷担当の方、製本担当の方、出力担当の方、それを運んでくださる方等々、
要は、作り手・受け手全てのパートが揃った、面白い和がそこにはあったのだ。
100号なんて、なかなか続けられるものではない。
今後、こちらも頑張りますので、面白い作品を書いていってください・・・・
そんな言葉を発してくれる、製本会社の担当の方。
皆がこの「雑」という雑誌を支えているのだなぁと、つくづく痛感すると共に、
あたくしもそのお仲間に入れてもらっているというのが急に嬉しくなった。


日を置いて、我が家に帰ってきてメールチェックをしたら、意外な人物から早速メールが届いていた。
この日。色々な方と名刺交換をしたのだけど、伊東先生に渡した名刺が、
そのまま、あたくしが割と直接お世話になっていた先生の目にも触れることになったらしく、
その先生からメールが届いていたのだ。
伊東先生は、古希を迎えんばかりの御高齢で、さすがにメールやネットには疎いと見え、
多分、研究室の先生に頼んだのだろう(笑)。
でも、あたくしは短いそのメールがやけに嬉しくて、一気に古巣の思い出を懐古した。
伊東先生が別れ際に、あたくしを激励してくれた上で「次に出す作品集は必ず送るから。」と
告げてくれたことを、あたくしはそれこそ胸に刻む思いでありがたく感じていたのだけど、
彼もそのことをきちんと覚えていてくれて、こんな形ではあるけれど
パーティの余韻をのせたメールを届けてくれたことを嬉しく思う。

彼にとってはそれこそ孫のような年齢のあたくしに対して、飛ばす檄やエールは
とても信憑性があるように思える。
「これからも頑張るんだ!!」と張り切っている先生を見ていることそのものが、
あたくしにも、まだまだチャンスも時間も余裕もあることを教えてくれているような気がするのだ。




これが、今回の出席者の皆さんです。
お仕事の関係で中座された方々もいらしたのですが、
皆さん、とても温かく、そして個性的で、
普段は誌面でしか拝見することのない名前と顔が一致するだけで、それはワクワクした集まりでした。
100号との巡りあわせ・・・・これもタイミングひとつなんだけれど、
それにあたくしが参加できたことは、何かのチャンスをきちんと掴めている事だと信じ、
これからも作品を輩出していこうと、堅く決心した日でした。







ここから新宿で待っているぷよ2と、この春から上京して専門学校に通い始めた彼の友人と合流した。
3人でお茶をしながら、おもむろにその彼の勉強しようとしている専攻を聞き出した。
コンピューター(ゲーム)ソフトの企画の勉強をするらしい。

あたくしとぷよ2はお互いに、彼に対してプレゼンの難しさについて語った。
企画に携わるのであれば、プレゼンほど難しくかつ重要なものはない。
ぷよ2もかつて、コンピューター系の専門学校に通っていたので、その頃の話をし、
あたくしは分野は違えど、1クリエイターとしての心構えを話した。
奇しくも、先程まであたくしが諸先輩方から色々な形で伝えられた「真髄」みたいなものを、
あたくしは彼らにも伝えることになったのだった。

そして、あたくしは再び「自覚」を促される。
何かものを「つくる」ということや、それを世に出すということの真意や
必要とされるパワー、人との関わり、どんな分野のクリエイターでも知っておいて損はないだろうことを
凝縮してあたくしは話し続けた。
自分で今一度、噛み締めるためにも・・・・。

役者としてのプレゼンは稽古場から始まるが、やはり本番を迎える時のあの緊張や
押し潰されてしまいそうなプレッシャーは、いつまで経っても慣れるものではない。
モノカキにしたってそうだ。
何度も推敲を重ねても上手くいかないこともあれば、
インスピレーションだけで掲載にこぎつけることもある。
そして、満場の拍手のような喝采を浴びることもあれば、お義理や痛烈な批判を受けることもある。
どんなアーティストでもクリエイターでも、多分、一度くらいは味わう、両極端な関門だけれども、
そういうのを越えていかなければ、次へは絶対に進めないものである。

あのパーティでも多分、あたくしはそういう色のものを体全体で感じていたに違いない。

↑電池切れが一番困るし┐( ̄∇ ̄)┌オホホ



ホテルにチェックインしてからが、あたくしにとっては修羅場だった。
張り詰めていたものが緩んだのと、疲れからとで、過喚起とか出ちゃったり( ̄∇ ̄;)
ついでに、別れ話も出ちゃったり(爆)<冗談交じりなんだけど♪
別れ話はまぁいつもの話なのでともかくとして、この日のフラッシュバックやら
バッドトリップは最悪だった。
せっかく、いい人々に出会えて、気分も乗ってきていたのに、
何で発作なのさ!? 何でトリップもバッドな方向なのさ!?


翌朝、目覚めた時に、ぷよ2にエルボーを喰らわしたらしいが、
素知らぬフリ・・・・というか、ちょっと記憶が曖昧で、断片的にしか覚えてないので
シラを切ろうとしたのだけど、肘が当たったかなぁ・・・・と自分でも自覚していたフシはあったので、
あれこれ理由をつけて、「あたしは悪くないもん( ̄^ ̄)」の方向で行くことにした(爆)。


そして、新宿経由で横浜に向けてぶらり旅は続くのであります〜♪
乞う、ご期待〜♪

あさみ


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