一昨日のテレ朝、ニュースステーションに椎名林檎嬢が何故かやってきていた。
ミュージックステーションにすらまともに出ているかどうかわからないというのに、
さすが「自作自演屋」と自称するだけあって、そこらのミュージシャンとはやることが少し違う。
「やること」というよりも、守備範囲が違うのかもしれない。
だから、彼女はニュースステーションで歌うことの方を選ぶのかもしれない。
あたくし、初めてニュース番組をビデオ録画しました(爆)。
ほとんど全部が、イラク情勢で、その中でほんの少し、お天気があったりスポーツがあったりするだけ。
イラク情勢を伝える中、久米宏は林檎嬢に話を振って、コメントを拾っていた。
あたくしは、その様子を見て「あら、このお嬢さん、こんな顔をしていたかしら?」と
素直に疑問を抱いた。
前に、カヴァーアルバムが発売された時に、
CSで特集を組んでいたのでそれもビデオに撮ってあるのだけど、
その時の顔ともまたちょっと違うので、産後の影響や親の顔とかいう変化ではなさそう。
自称「自作自演屋」というだけあって、メディアに出てくるときの彼女は
いつも別な顔をしている気がしてならない。
この日の彼女は、ほとんどすっぴんに近い顔をしていたように思うが、
本当に上手な化粧をしていると思った。
化粧をしてないように見せる化粧が、一番難しくて、厚塗りだったりする。
特に、最近のテレビ用のメイクは、下地から何から物凄い細かい粒子で、パウダーなんかも
市販されているものより数段上質なものを使ったりしている。
果たして、彼女がそんなメイク方法で自分の顔を演出しているかどうかは定かではないが、
そのくらいのことはやりかねなさそうなので、あたくしは素直に「巧いな」と思う。
作る楽曲や、唄い方にも特徴がある彼女だが、あたくしはこの日も彼女の事を見て
「このお嬢さんは、こんなふうに歌を歌う人だったかしら?」
と疑問を抱いた。
彼女の声には、こう突っ張るような緊張感が漂っていて、
時に人を貫かんばかりに突き刺すような声を出す。
この日の彼女は、メレンゲのようにふんわりとした声で、包み込むような歌い方をした。
この間発売されたニューアルバムの中から1曲、(「茎」とかいうヤツ)
そして、もうあまりにも有名すぎる「歌舞伎町の女王」をメドレーで歌っていった。
フルオケを組んでやるところあたり、彼女のこだわりが垣間見えるのだけど、
好き嫌いなく、様々なジャンルの音楽に触れて、今でもそれを貫き通しているあたり
彼女のポリシーというか、一女性としての普通の個性を普通にこなす難しさを思わせる。
母親になった彼女は、戦争とかテロとかに敏感になっているようだった。
日本にいる小さな子供を抱えた母親は、少なくともそういった恐怖を感じるのだと彼女は言う。
本能的で、野性的な「母性」を垣間見せる彼女は、あたくしから見ると
どうしても「母親」には見えなくて、やっぱり「自作自演屋」だったりするのだけど、
彼女もカメラの前から離れれば、きっともっと柔らかな「母親」の顔をするのだろう。
もっと素直に、「戦争が怖い」と言うのだろう。
彼女があの番組に出てきたその理由は、彼女のカリスマ性が先走りして
多分、それぞれに解釈されていることと思うけれど、
どうして、今、椎名林檎でなければならないのか・・・・という焦点でいくと
テレビ朝日が下したセレクトは、ちょっとモヤモヤしていて気持ちが悪い。
気持ちが悪い、というのには少し語弊があるかな・・・・ハッキリとした目的みたいなものが
見えてこないのが、ちょっと釈然としない。
彼女ならば、もっと直接的なメッセージを携えて、来てもおかしくはなさそうだから・・・・
というあたくしの、個人的思い込みみたいなものもあるけれど(苦笑)。
彼女があまりにも張り詰めすぎていたせいで、思いの丈が上手にこちらに届かない、といった感じか。
要するに、久米宏の拾い方が下手だったんだな(爆)。
オファーはどういった形で出されたのだろう・・・・?
録画されたニュース番組を見ながら、あたくしはそんなことを思った(笑)。
林檎嬢の方から「出たい」という申し出があったなら、彼女に、
制作側の方から「出てくれ」という申し出があったなら、そちらに何らかの手落ちがありそうだ。
でも、どんなニュース番組よりも新鮮な人選をしたコメンテイターにはなっていた。
コレは新しい。
さすが、ニュースに力を入れているテレ朝。TBSなんか目じゃねぇな(爆)。
これからも、ドラマなんかに現を抜かすことなく、頑張ってニュースを組み立ててほしいもんだ。
話はがらりと変わりまして。
今日の新聞に、教職員の異動、新任、退職者の詳細が書かれていた。
コレを見て、小・中・高とお世話になった先生がどうしてらっしゃるかとか、
大学を卒業して教員になった昔の友人の動向を把握するわけだけど、
自分が実際に地元の学校に通っている頃と比べて、知った名前はどんどん減ってくる。
その中で、唯一見つけた、高校時代の恩師(?)の名前。
退職者の中に先生の名前はあった。
計算すると、普通に定年を迎えてもおかしくない年齢だったので、
もうそんなに時が経ったのか・・・・とセンチメンタルな気分になった。
この先生は体育の先生で、喋り方や声にとても特徴があり、
あたくしは何でか卒業する頃には、ファーストネームで呼ばれるほどに親しげになってしまっていた(爆)。
別に、体育の成績がめちゃくちゃ良かったわけでもなく、
彼が顧問を努める部に所属していたわけでもないのに( ̄∇ ̄;)
・・・・たかが、演劇部だったという理由だけで、体育館のヌシ呼ばわりされて、
なかなか帰宅しない演劇部代表のあたくしなんかは、
体育教官室ではそういう扱いをされていたというわけ(苦笑)。
何年か前。
別の体育の先生が、やっぱり退職者欄の中にあって、「やっぱりな・・・・」
と思ったことがある。
この先生は、うちらが入学する前からそれこそ体育館のヌシ的存在で、
「アイツはもう絶対にこの学校に骨を埋める気でいるに違いない。」
と、同期やOB連中、果ては6期下のあたくしのいとこたちの間でも、
同じようなことが囁かれていて、それを成し遂げた彼は、正に期待を裏切らずに散っていった
伝説のヒーローみたいなものだった(笑)。
あの報せを新聞で見た時、同期連中の間ではどよめきみたいなものが駆け巡り
本当に「やっぱりな」といった感じだった。
この度、退職されたあの先生が異動すらせずに、母校で退職を迎えたことは
先の伝説体育教師と違って、ちょっと意外な出来事ではあった。
うちらが卒業して、丁度10年。時は確実に流れていた。
彼があたくしを呼びつける時、最初は
「ぅお〜〜い!! 演劇部ぅ〜〜!!」
だったのだが、入学してしばらく経つと、顔と名前を覚えてもらえたのか
「ぅお〜〜い!! 日野ぉ〜〜!!」
となり、ここまでは良かったのだが、うちらの横着さ加減も興が乗ってきた頃には
「ぅお〜〜い!! 夕雅ぁ〜〜!!」
になってしまった( ̄∇ ̄;) 同じ演劇部で副部長だったサナエは苗字止まりだったというのに・・・・
部長と副部長とでは、こうまで違うのかよっ!と一瞬、恨んだことがあったりもしたけど(笑)。
セクハラまがいのスキンシップも、今となってはよき思い出(爆笑)。
高校時代のあたくしは、何でか運動部員よりも体育教師にちょっかいを出される
そんな生徒でした。( ̄∇ ̄;)
この先生に限った話ではなく、
体育館を運動部員よりも我が物顔で縦横無尽に使っていた演劇部だったので
あたくしのことを名前ではなく「演劇部」というとんでもない代名詞で呼ぶ先生は
体育教官室に限らず、職員室にも実に多く存在した。全く以って迷惑な話だ。
顔を覚えたんなら、もう一歩頑張って、名前も覚えてくれ、頼むから(涙)。
生徒指導の先生は正に↑こんな感じで、ハッキリとあたくしを認識しているだろうに
名前が出てこなかったのか、いっつもあたくしのことを「おい、演劇部!」と呼ぶので、
用事が部関係のことだと思って、「はい、何でしょう?」と笑顔で振り向くと、
何のことはなく、変形制服を注意されるというマヌケた顛末で、
「・・・・だったら、名前で呼べよっっ!!(ぶつぶつ)」みたいなことも何度かあった。
うちらの代の演劇部は、OBたちと違って、体育教官室を敵に回していなかったので
懐かしく、当時のことを思い出してしまった。
先輩たちには「体育教官室は、敵地だ!!」と教えられたのだけれど
敵地とするより、味方につけた方が何かと便利がいいとあたくしやサナエなんかは、
ずるくピンと来てしまったので(笑)すぐに取り入らんばかりに、素直でいい子な演劇部を演じつつ、
彼らの隙を突いて、悪事を重ねた(爆)。
とかく、体育教師との攻防戦はうちらの宿命でもあり、そんな中で築かれた絆は、時間が経つと
なかなか面白いものだと気付かされる。
朝っぱらから、朝刊でなかなか衝撃的なものを見てしまったので、早速サナエにメールしてやる。
題名 つ、ついに・・・
小野ティー、退職・・・・(-。-) ぼそっ
(伝説体育教師)に続き、
南高に骨を埋める体育教師の悲哀を見た(苦笑)
そしたら、丁度昼頃にそのメールの返事が来た。
題名 Re:つ、ついに・・・
今お昼。奇跡的にまともな時間でハッピィ♪
時は流れてますなぁ。確実になぁ。
間もなくあなたにも記念日がきますね・・・。ハル。
・・・・・・・・・・・・・。
そうそう。
他人のことばかり気にしているあたくしですが、
同期の中で一番に年をとるあたくしは、皆様にちゃんとその記念日を覚えて頂いている
かなりの幸せモノなのですね。それに気付きました。
世は年度末。春休みなので、子供たちのはしゃぐ声が聞こえるようになりました。
宿題もない春休み。心なしか、夏休みや冬休みよりも子供たちが元気なような気がする。
春休みに誕生日を迎え、新しい歳に新しい学年。
あたくしにとって、この季節は本当にクッキリと区切りのつく季節だったっけ。
めちゃくちゃ元気に叫んでいたあの先生が、退職を迎えるほどの年齢だということに気付くと共に
自分も同じように年をとっていくのだなというのにも気付く。