「お通夜には行ってきたんだ。アイツとは前に一緒に仕事をしたこともあるからね。 これからっていう、一番いい時だったはずなのに、 どうして自殺なんかしたんだか・・・・。 それにしても、僕の周りには、あぁやって自ら命を絶っていく人が多すぎる。 ヒロにしろ、新藤 (仮名:あたくしの恩師。自殺で亡くなった)さんにしろ・・・・。」
何年か前。まだ在京している頃。 舞台で共演した、大先輩役者でもあり大学の大先輩でもある、早瀬さん(仮名)が あたくしのバイト先の店を訪れ、店が終わってからどこか別の店に飲みに連れて行ってくれた その帰りのタクシーの中で、彼が呟くようにしてこんなことを言った。
「ヒロ」というのは、俳優の故・沖田浩之さんのこと。 数年前、自殺して逝ったのを覚えてらっしゃる方もいよう。 そしてその頃、まだ先生が自殺して1年と経っていなかったものだから、 早瀬さんは余計に沈痛な面持ちで、悲しそうに、冒頭のようなことを言っていたのだ。
つい先日、俳優の古尾谷雅人さんが、自殺したことは記憶に新しい。 長身でスラリとした独特の風貌と、味のある演技、 これからも、日本の映画やドラマに多大な影響を残していくのだろうと 誰もが信じて疑わなかった、そんな彼が自ら命を絶った。 まだ40代半ばを迎えるか否かでの突然の絶命。衝撃が走った。 彼の年齢が、丁度、あの頃の早瀬さんと同じくらいだった。 早瀬さんは、あたくしより20も年上なのだけれど、 風貌は、20代と偽っても不思議ではないくらいに若々しかった。
あたくしより20年も余分に生きているのだから、出会いや別れもその分彼の方が多い。 だけど、あたくしの目から見て彼は、痛々しい別れを他人より多く背負っているように見えた。 お父様も幼少の頃、早くに亡くし、大学時代に結婚を約束していた恋人にも去られ(死別ではないが) 早瀬さんは、年齢よりもいきいきとして若々しく見えるものの、 時折見せる、哀しみの表情は、俳優でなくとも畏れ多いくらいに深い信憑性があった。
「いいか、夕雅。この先、どんなに辛いことがあっても、自殺だけは考えるなよ。 お前も、先生が亡くなってわかったろう? 残された人たちはな、死んでしまった人より悲しくて辛いんだよな。」
「うん・・・・あたしもそう思います。 でも、先生は病気だったけれど、沖田さんはどうだったんでしょう・・・・?」
「さぁ・・・・どうだったんだろうな。 アイツは本当にいい役者だったんだよ。いい役者が早くにいなくなると、 それだけで、寂しくて悲しいよな。」
「・・・・はい。」
あたくしは当時、早瀬さんのことが、尊敬の粋を超えて、本当に好きだった。 20歳年上の彼が発する言葉の重み一つ一つが、いつでもあたくしの念頭に折り重なっていった。 あの年齢になっても、既婚歴はなく、現場ではモテモテなのに、ステディらしき人もおらず、 陰では、体の不自由なお母様を支えながら、簡素な家でひっそりと暮らしていた。
最初は冗談まじりだったのだけど、現場が同じだった時に、周囲に囃し立てられていくうち、 本当に好きになってしまった。 その現場では、あたくしが最年少。早瀬さんは上から2番目くらいのベテランさんだった。
演出家さんさえもが「お前たちが結婚してくれたらなぁ〜♪」などというので、 顔を赤らめながら照れたこともある。
役者さんたちは皆、どこか子供っぽいところがあって、無邪気で、だけど真摯で真面目だ。 早瀬さんも歳甲斐なく、冗談や遊び心がある人で、でもそれが魅力だった。 自殺された方々はきっと、真摯で几帳面な部分が強く出すぎていたのかもしれない。
今回、彼の言葉を思い出したのには2つの理由がある。 1つは、古尾谷雅人さんの逝去。 もう1つは、来週からこの地方で再放送される「3年B組金八先生」の第2シリーズに 沖田さんが出演しているから。 早瀬さんが言っていた、「ヒロ」という俳優の原点がそこにある。 アイドルを経て、歌手としてもデビューし、ドラマや映画にも本格参戦する前の原石の彼が 2日後には見られる。
早瀬さんとは、音信が途絶えてしまったままだ。 毎年、年賀状やらを欠かさず送っていたのだけれど、彼自身が筆不精なのか 返事が来たことは一度もない。 自宅の電話番号は知っているけれど、もう、その場所にはいないかもしれない。 そして・・・・。 ひょっとしたら、もう結婚なさっているかもしれない。
そうだったらいいな・・・・そう思った。 彼をひたすら愛してくれる人が存在することを想った。
思い出の1つとして、あたくしが早瀬さんと一緒にいてとても嬉しいと思ったことは、 あたくしのことを、決して子ども扱いせずに、一人の女性として見ていてくれたことだった。 当時、あたくしは23歳。 決して、若すぎる・・・・という年齢ではなかったけれども、 43歳(当時)の男性から見て、このくらいの娘がいても別に不思議ではないものだから、 「お父さん」的感覚で好きなのかなぁ、と自分でも思っていたのだ。 しかし、「明日も頑張ろうね。」 と、あたくしのことをぎゅっと抱きしめてくれた彼の温かさは お父さんでもお兄さんでもなく、一人の俳優で一人の男性だった。
彼が話してくれた「ヒロ」という俳優の話が頭から離れない。 それと同時に、彼そのものの立居振舞の姿の良さが、甦ってくる。
あたくしは、この芝居の本番が始まってからも、自分の出番がない時でも 袖から色々なシーンを色々な角度から覗いては、研究していた。 楽屋モニターだけではわからないことが沢山あったし、稽古場とは全然違う雰囲気なので とにかく見よう、見よう、と邪魔にならないスポットを探しては そこに立って、先輩たちの一挙手一投足を凝視していた。 そのことにほぼ同時に気付いたのが、演出家と早瀬さんだった。 中日を迎える前に、早瀬さんは自分が捌けてくるコースにあたくしがいることを知り、 あたくしの姿を確認すると、ポンと背中や腰の辺りを軽く叩いて笑顔で楽屋に戻り、 次の支度に入っていった。 あたくしは、誰にもわからないその無言のコミュニケーションが凄く嬉しくて、 今までで、多分科白も出番も一番少ないだろうこの芝居が、今でも一番楽しかったと思っている。
多分、この時に、一番沢山のことを勉強できたからだと思う。
早瀬さんのことは、今でも凄く尊敬している。 一人の俳優として。 一人の男性として。 人生を諭してくれた一人の先輩として。 「ヒロ」という俳優の存在を教えてくれた人として・・・・。
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