| 2003年02月10日(月)
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ノスタルジア�◆ 曽个は辰砲覆譴个茲い里澄� |
ちょっと日記をサボると、明らかにガツンと得票数に響く、すっげーシステム・・・・エンピツ。 んでも、その方がわかりやすいっちゃあ、わかりやすいんだよな。 話題的にも何がウケるかっていうのも、非常にわかりやすくて(苦笑)、 俗物的にいってしまえば、あたくしのところに書かれる、「他人の不幸話」には 皆様の食いつきがいいようだ( ̄∇ ̄;)
かといって、そんなことばかり書いていられないし、 そんなことばかり追ってもいられないし、 第一、ここは文芸ジャンルじゃねぇの・・・・?ってのもあるし、 そういえば、色んなジャンルの人がここを登録してくださっているわけだけど、 そんなに「他人の不幸」が面白いのかしら・・・・?と 首を傾げたくなるような状況に、今正にあるといえる(笑)。 あと、バッシングね。 確かに、続けようと思えばいくらでも続くんだけど、 やりすぎると、ホントに筆が荒れるような気がするので、 あたくしとしては、別話題で、サクサク日記を書く方が、 書き手も、読み手も健康的でよろしいかと思われる。
某嬢のことだが、今は病院にも通って、どうにかこうにか暮らしていけてるようだ。 御家庭が荒れているのは、日記を読めば一目瞭然だったりして、 「あんなところに強制送還したのかよっ!?」と見る人から見れば、 あたくしたちは大悪人なわけですけれど、 あたくし自身は、実家に帰して良かったと思っている。 病院の先生が「家から出たほうがいい」と本人に忠告しようとも、 実際にその方がいいとわかっていても、 まずは、お家に帰して、そこから色々と決めていってもらうしかないからだ。 決まりつつあるのなら、尚結構。 とりあえず「健康」とやらを取り戻して頂きたい。
さて。 昨日の続きでも書こうかと思っている。
リエとは、実は同じクラスには1度もなったことがなくて、 なのにどうして、今日の今日までこのような関係が続いているのかというと あたくしも、かなり不思議(笑)。 唯一、同じエリアにいたのは、小学校の頃のブラスバンド(鼓笛隊)で、 女子限定のクラブがあったのだが、それに2年間、同じクラブに在籍していた というほんのささやかな交わりくらいしかない。 そのクラブ活動も、普通は週に1回で、繁忙期(爆)になると、 放課後とか昼休みとかの練習もあったりはしたのだけれど、 基本的には、週1回の関係だった。
女子限定のクラブは、3つあった。 バトンとフラッグとポンポン。 女子限定ではないが、ドラムクラブは構成員のほとんどが女子で、 男子は2人だけ。 同じく、金管楽器クラブは構成員のほとんどが男子で、女子は2人だけだった。 舞踊チームで括られた、バトン・フラッグ・ポンポンクラブは それぞれ、うちらの時代は定員が16名で、4色4人ずつという配分だった。 確か、フラッグの競争率がすごく高くて、あたくしも悩んだのだけれど、 後々の活動のことを考えると、舞踊チームの中では一番自由度の高いポンポンの方が 明らかに楽しそうだったので、 あたくしは、6年になってから決めればいいポジションを、既に5年のうちに獲得し、 6年になった頃には、何でか部長になっていた( ̄∇ ̄;)
さっき書いた、繁忙期というのは、9〜10月のことで、 9月に学校で行われる運動会での発表の他に、10月には市のお祭り(十万石祭り) があって、この祭りの一環として、市内の小学校は挙ってブラスバンドを結成し 駅前通りをパレードする・・・・という風習があった。<今でもあるのかな? ブラスバンドの他にも、スポーツ少年団ごとの集まりでの練り歩き・・・・みたいなのもあって スポーツ少年団に所属していても、ブラスバンドがあればそちらを優先せねばならない という不文律もあって、スポーツ少年団で活躍する6年生たちは ほとんど全部が、鼓笛隊の方に回ってきていて、 ほぼ学年全員で結成された鼓笛隊が、駅前通りを練り歩くという、 面白おかしいイベントのために、繁忙期が存在した(爆)。
さっき書いた、舞踊チーム・特別楽器チームのクラブに所属していない人々は 一体どのような形でこの鼓笛隊に参加するのかというと、 リコーダーと鍵盤ハーモニカでの参加なのだ。結構笑える。 あと、女子の中では花形とされる、指揮者。 学年から3〜4人選出され、そのうち1人がチームの一番前を先導する正指揮者で、 後は、楽器隊の前にそれぞれついて、音がバラバラにならないように束ねる 副指揮者というわけ。 この、指揮者というのは、舞踊チームなんかよりもよっぽど競争率が高くて、 毎年、たった3〜4つの席を巡って、熾烈な戦いが繰り広げられる。 しかも、女子( ̄∇ ̄;)
先生から、ちゃんとした条件が出される。
�’悗�高いこと<背が低いと、後ろまで姿が見えないから。 ��一定レベル以上のの音感、リズム感があること<確か曲の中にワルツもあったので(笑) �M儖佞気譴神�服が似合うこと(爆笑)<指揮者だけには特別な衣装が用意されていた。
この3つの条件を満たした、割と学年の中でもカリスマ性があるっぽい女子が 指揮者になっていった。 彼女たちは、繁忙期以外にすることはないので、週に1度のクラブ活動は、 特に面白くもなさそうなクラブに入っていた。 しかし、繁忙期の彼女たちはそれこそ、憧憬の眼差しで皆に見られる。 体操服にベレー帽という中途半端な格好をさせられる舞踊チームと違って、 可愛らしい衣装が彼女たちを待っている。 それぞれ身長も高いので、見栄えもする。 見栄えする子を、先生たちも選んでいる。
運動会という、小さな発表の場でも、結構すごい状態になったのだけれど、 コレが街へ繰り出すとなると、またすごいのである。 他の学校は、リングバトンがあったり、フラッグは男子限定だったりと また違ったアピールがあるのだけれど、 どこの小学校も、指揮者の衣装には凝っていた覚えがある。 男の子が指揮者をやっていた小学校もあった。 それはそれで凛々しい。
さて、わがM小ポンポンクラブだが。 フラッグやバトンと違い、動きが多彩なのが、唯一の芸(爆)。 バトンももう少しレベルの高い領域になると、すごいんだろうが、 小学生だもの、全員が全員、そんな高レベルなことができるわけでもなく、 適当な動きの組み合わせだった。 それはフラッグもそうで、せいぜい持ち替えか、指示、振る、この3つを 繰り返すのが関の山で、大した振りが付いていたとは思えない。 毎年の課題曲は、うちらの部でも真似して覚えてしまったくらいだ。 (何て我の強いメンバーなのだろう・・・・) オマケに、顧問の先生が若くて、しかも踊るのが大好き!という人で、 新しい振り付けをする時や、課題曲の練習となると、途端に威力を発揮する人だったので うちらはうちらなりに・・・・というか、うちらにしか出来んような動きを つけようと、部一丸となって(笑)新しい曲には気合を入れて振り付けをしていた。
とにかく、「踊るのが好き♪」というメンバーが集まってきていたみたいだった。
先生は、「行進の時に、足が上がっていないと綺麗じゃないから」と言って、 それこそ、足のつま先まで凝視して指導していたし、 「胸をはれ」だの「肘を落とすな」だの、基本中の基本については それはもう厳しかった(笑)。何であんなに気合が入っていたんだろう・・・・今思うと、不思議。
で、だ。 この前の年にやった曲を、もう1度うちらの年もやることになったというのが決まった時に、 うちらは青ざめた。 何で青ざめたかというと、そのほかの曲は先輩たちに教えてもらって、 完璧にマスターしていたにもかかわらず、その曲については、先輩たちも 自分らで振りを考えるのが精一杯だったらしく、その上、 「この曲、あんたらの時は多分やらんでいいと思うよ♪」という 独断と偏見で、きちんと教えてもらっていなかったのだ。 奇しくもだ。あたくしもリエも5年の時からその様子を見ているにもかかわらず、 あんまりにダサい振りだったせいか、ちっとも思い出せないのである(爆)。
先生に頼んで、前年の運動会のビデオを見せてもらったんだけど、 動きが小さすぎて、真似しようにも真似できず、 こんなのを真似するくらいだったら、うちらが自分で作る( ̄^ ̄) と、あたくしが啖呵を切ってしまったので(をゐをゐ・・・・この頃からかよ) 1から、作り直すハメになってしまったのは、まぁ良かれと思ってやったこと(爆)。
しかも、この曲。 3/4拍子・・・・所謂ワルツなので、行進曲と同じノリでは作れない。 バトンもフラッグも苦労しているようだった。横移動がせいぜいだみたいな感じで。 でも、うちらは違うもんね( ̄^ ̄)・・・・っつうか、4拍で1ターンだったのを 3拍1ターンにすればいいんだもんね♪みたいなふうにして、出来上がった振りは それこそ考案中は苦悶の一言に尽きるものの、かなりの傑作になった。 通称「時差」と呼ばれる、連鎖振りもふんだんに取り入れ、 「これは何があっても絶対に忘れるんじゃねぇぞ!!」みたいな勢いで、 当時5年生チームの、多分次世代を担う子らにも集中して教え込んで、 うちらの繁忙期は終わっていった。
舞踊チームには、待機中の基本ポーズというのがあって、 フラッグとバトンは手具を手に持ったまま、手を腰に当てるという ほぼ同じポーズだったが、(形状が似ているため) うちらは、ポンポンを腰のところに重ね合わせるように当てて、 肘を張った状態が、所謂「気をつけ」の姿勢であった。 この姿勢をとったときに、あたくしの場合、丁度ポンポンが、ケツの上に 乗った感じになるのである( ̄∇ ̄;) あたくしは、個人的に、自分の出っ張ったケツに当時から非常にコンプレックスを持っていて ケツのことを言われるのが、何より堪えた。
横幅は母親譲り、奥行きは父親譲りの、デカいケツ・・・・。 せめて、奥行きだけにしていただきたかったところ、思春期ともなれば 骨盤も発達し、要らない横幅までがどんどん広くなりつつあり、 自分の下半身の形状が本当に大嫌いだった。
周囲の人々(含・大人たち)は、あたくしのケツのことを「可愛い」と言ってくれたが、 本人にしてみれば、「このケツさえなければ・・・・」の一点張りだったのである。
それを・・・・だ。 男子が色目線で見ていたなんて・・・・当時それが発覚していたら、 あたくしはきっと発狂していたかもしれない。 リエがその事実を明かしてくれたのが17年後で本当に良かったと思っている。 コンプレックスがトラウマにならずに済んだので、とりあえずはめでたしめでたしだ。
自分の体型については、この頃から色々とコンプレックスがあったりして、 例えば、ケツだとか、O脚がひどいだとか、それから派生して運動神経鈍いよな・・・・とか 本当に色々あって、実は結構悩んでいたりもしたのだけど、 逆に、あたくしの体型が羨ましかったという子がいるという不思議な現実もあったりして、 本当に「隣の芝生は青い」じゃないけれど、個々人によって悩みも多種多様、 自分だけが悩んでいるんじゃないんだな・・・・と、当時から悟りきったことを考える マセたガキでした(笑)。
丁度、身長も体型も同じくらいの女の子がいて、その子は転校生だったのだけど 勉強も良く出来るし、可愛いし、運動神経もいいし、字も綺麗だし、 実は、鼓笛隊でも指揮者に選抜されるほどの子がいたのだけど、 彼女はあたくしにこんなことを言った。
「あたしね、●●君にこんなこと言われて、すっごいショック!! 日野さんが羨ましいよ・・・・」
その彼女が男子に言われた言葉とは・・・・
犯人はトモくんだったのだけど( ̄∇ ̄;) 確かに、小学5〜6年の当時で、彼女よりあたくしの方がサイズがデカかったのは確かだ。 中学に上がってからも、それぞれ成長はしたものの、差は変わらなかった。 彼女は、あたくしから見れば明らかに秀でていて、あたくしはそれがとても羨ましかったのだけど、 彼女は彼女なりに、色々とコンプレックスを持っているのだというのを知り 互いに羨ましいと思うことがあろうとも、口には出さないようになった。
そんなあたくし・・・・。 体型のコンプレックスは完全に消えたわけではなかったが、 中学3年の文化祭の時に、芝居の早替えで大黒の後ろに入って、 ブラ1・パン1のところをトモくんにキャットウォークから目撃されている。 これにはさすがのあたくしも激怒したが、見られて減るものならば、減って欲しいもんだ と、開き直り、事無きを得たのであった。
命拾いしたな・・・・(-。-) ぼそっ>トモくん
この後、高校に入ってからも、野球部のチアでポンポンを手にすることがあったが やっぱり、あたくしの場合「気をつけ」の姿勢になると、 ポンポンがケツに乗ってしまうのであった( ̄∇ ̄;) それから数年、ジーンズを選ぶ時も、スカートを選ぶ時も、 ウェストは入るのに、ケツが邪魔をして・・・・というイタい目に何度も何度も遭遇した。
今でこそ、サイズダウンして、洋服を選ぶのはとても楽しいが、 笑い話にしてしまうのには、かなり時間がかかった。 笑えないコンプレックスを抱えて生きているのよりは数段マシだが、 それでも、抱えたまま多感な青春時代を駆け抜けてきたあたくしにしてみれば イタいのに変わりはない( ̄∇ ̄;) 可愛いと、皆に言われようとも、イタいのは本人なのだから(苦笑)。
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