舞台は、中国・大連。 チャオ(チャオ・ベンシャン)は結婚を夢見る失業中の中年。 18回目のお見合いで、太っちょのコブつき女性と遂に交際が始まるものの、女には、自分の息子の他に、血の繋がらない目の不自由な娘:ウー・イン(ドン・ジエ)がいた。 継母である女は、ウーが邪魔で、意地悪をし、言いがかりをつけてチャオに押し付けてしまう。 チャオは、女に気に入られようと、ウーを預かり、ここから2人の繋がりが始まる。。。
11月に、同じチャン・イーモウ監督の『活きる』を見た時、まるで長編小説を読破した後みたいな壮絶な感覚があり、そのイメージが強かった私は、今回、「はっ?もう終わり?」と、拍子抜けしてしまった…。 97分というのは事前に知ってて見たけれど、それにしても、あまりにもあっけなく終わってしまったなぁ…という印象。
チャオの失業者仲間が何人も登場するんだけど、全員とっても良い味を出してて、演技も凄く上手なのに、絡み合いが少な過ぎて、非常にもったいないっ。
最低でも、あと30,40分は長くして欲しかったなぁと個人的には思った。 泣けましたよ。 ズーズーやっちゃいました。 でも、「さ〜、これから」と思うところで、もう終わりなんだもん(>_<)
ラストは、「見た人、どうぞ自分で想像してね」というパターンですわ。
ラストの展開は、2パターンあったとの事。
今のバージョンと、 あの工場が取り壊されちゃって(劇中、「閉鎖されてる」ってセリフが出てきますもんね?)、チャウとウーが元按摩室にたたずみ(こっちのバージョンでは、チャウは死んでないそうな)手紙を読んで聞かせるパターンだそうです。
悲劇さ加減からしたら、今使われてる方が断然、悲劇度が高いでしょうね?
頼りにしてた人が死に、目は不自由、貧乏、and独り、こんな絶望的な事は無いっす。 しかも、ウーはチャウが死んじゃった事も知らぬまま、どこへ行くのか独り旅立ったわけで…。
どちらかを選べと言われたら、今のバージョンの方が強く印象付けられると思うけれど、こっちを使うのなら、もうチョット深く掘り下げた上で、あのラストにもってくれば良かったのに。 そうすれば、もう少し、納得する人が多いんじゃないかなぁ…?
私が1番印象に残ったシーンはエンドロール。 杖の音が響いているのに、杖を見せず、ウーの上半身だけ。 そして、真っ暗闇に雑踏音が鳴り響く。 普通に考えて、あれは、ウーの目って事なんでしょうね。
主人公ウーを演じるドン・ジエは、プロフィールを見ると1980年生まれ。 わたしゃ、小学生(11or12歳)かと思ったよ。 今年23歳じゃん(@_@!) やたらと「美少女」という表現が使われてるし、実際、私は「美少女」だと思ってたし、「美少女」と呼びたくなると思うけど、23歳の女の人に「少女」はないよなぁ(笑)。 10kgダイエットして挑んだと書いてあったけど、確かに、この役はデブじゃ不釣合いだね。 あの継母と本物の親子になっちゃうし(爆)。
彼女は、動画より静止画の方が可愛い事が判明(私の目からするとね)。 あのチラシの写真は、良いとこ使ってますよ。
---
新聞にセンターテストの問題が載ってたので、目を通して見た。 私は2回も受けてる身なのに、9年も10年も経つと、記憶の底から忘れ去ってしまってるわ…。
それに、難易度云々より、これだけの量の問題を、よくも時間内に解いてたなぁ…と、、、当時は、こんなの普通だったかと思うと、なんかビックリ。 今やったら、時間内に最後の問題まで届かないうちに終わっちゃいそー。 (国語の一問目の評論、難しかったー(@_@!))
---
1,人は、歳をとると「いくつ?」と聞かれる回数が激減する。
2,モデルでオーデション漬けの毎日ならともかく、普段の生活の中で、自分の歳を書いたり、言ったりする機会ってのも、ほっとんど無い。
3,西暦より、年号の方が身近な日本人にとって、平成に変わってから、昭和からの計算がややこしくなってきている。 (ちなみに、今年は昭和になおすと78年です)
4,自分が今何歳なのか、たまに分からなくなる時がある。
5,段々もう、何歳でもよくなってくる(~_~;)
↑これが本日の私。
24節季の1つ、大寒でしたが、今日の磐田は暖かめでした。 お誕生日祝メール、有難うございました♪(嬉)
♪BGM♪〜『THE LWGEND Senri Oe GOLDEN 80’s COLLECTION』by:大江千里
≪≪ 昨日の映画は『ボーン・アイデンティティー』
|