日記×エッセイ...みち

 

 

ACIMホームワーク - 2018年04月08日(日)

今回の宿題は、前回に引き続きこちら↓

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特別な関係性へと私の思いが迷い込むときは、聖霊とともに聖なる瞬間に入り、その中で聖霊が私を解放するに任せる。
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この宿題とともに一週間過ごしました。

2週目も1週目と同様に、自分がどれだけ特別な関係を作りたがっているのかを見ました。ふわあ〜ってその感じを感じるのですよね。これは「特別な関係を作ろうぜ」っていうわたしのエゴさんからのお誘いだな、みたいなものが、ふわあ〜と来ます。お誘いには基本乗らずに、こんな感じで特別な関係性を作りたがるよねーって見ていました。

そうやって見ていたら、過去のことも思い出しました。
自分が相手の人にとって特別と思われたい、こうしたら特別と思ってもらえる、と行動してみたりとか。そんでしんどくなってみたりとか。(作り物の自分なので)
逆に、自分にとっては普通のことをしているだけなのだけど、それを相手の方にとって特別なものと扱われて戸惑った、そういうこととか。

自分がそれをされると「特別だ」と感じることと、相手がわたし(誰か)にそれをされると「特別だ」って感じること、そういうものがあるなあ、と思いました。

それから他に思ったのは、わたしが特別な関係性を使うような物事の中に、そこにわたしの大切なものも一緒にあるっぽいぞ、ということですかね。
特別な関係性だけでなくそこには別の惹きつけるようなものもあって、それは「特別な関係性」をそこに使ってしまうとわたしを惹きつけるものをぼんやりした印象にさせてしまう、と気づきました。

というか、そもそも過去のわたしは特別な関係性になるとその居心地の悪さに、そこにあった自分にとって大切なものも含めて、ぽーいって投げていてそれ以前だったな、と思い出してみたりして。。。
10代、20代の頃はそれを「しょうがないよな。。。」って思っていたなあということも思い出しました。そんな自分が愛おしい! そして「ぼんやりした印象にさせる」まで来た、今の自分も愛おしい・・・。


で。
そういうことが過去あったなあ、そういうものが今あるなあ、それらを全部含めて持っていたいなあ、と思いました。

その後で、買ったばかりの本を読みました。山下良道著「光の中のマインドフルネス」です。
購入動機は、マインドフルネスのこの感覚をどう他者に経験してもらえるように伝えるかというのを考えていたからです。自分がマインドフルネスをしているのか確認したい、そういうクライエントさんに手助けできるようにと思って。
企業向けのマインドフルネスってありますけど、宗教に忌避感がある方でも使えますしメソッド的にありと思うのですけど、自分がそれを使って人に教えたいかっていうとそうではなかったのでした。
(その理由もこの本の中で書かれていて、そーのーとーおーりーと深く頷きました。エゴちゃん枠限定のマインドフルネスってびみょー、みたいな。)

わたしは自分が惹かれるものについて教えたいんですよね(仮に教えるとしたら)。教えることでわたしの惹かれるものに関してさらに一緒に学べるから。

本を読んだ感想としては、自分がまだ言語化できないふわっとした理解を言語化していただいているという感じで、そういうことか!と腑に落ちることがたくさんありました。いつの間にか移行していたり変化していたりしていると、自分で経験しているのに自覚がないのだな、ということも認識しました。

実践する前に読んだとしたら、わたしはたぶんチンプンカンプンでした。仏教がどんなかとか知識がないですしね。でも実践してきてるならわかります。これのことを仏教ではそういう風に表現するんだ、みたいな。実践者にお勧めの本です。

で。
その本の中で、エゴを使ってなんやかや、勝った負けたとやっているような層の自分に対して、そこを通過した別の層の私(もっと広い私)から慈悲を送る、というような記述がありました。

この記述はとてもわたしにフィットしました。これだ!という感じがとてもしました。今のわたしが解決したいもの、これだ!って感じました。

それで、「私が幸せでありますように」って、エゴの層に向けて祈りを送りました。
そうしたら涙が出てきました。

エゴさんって幸せを求め続けてるわけで、つまりいつも幸せではない、今幸せであろうとしない、そういうものなので、「この祈りってエゴを機能させなくしちゃう、溶かしてしまうようなものだなあ・・・」なんて、どこか思考が動きながらもすごく心地がいい感覚のなかにいました。

どこかこの感覚は覚えがあって、ジャックさんのクラスでの瞑想?それとも母が亡くなったときの感謝で溢れたあの感覚?みたいな感じがあるんですけど、今回わたしにとって貴重だったのは、「自分がそれに気づいて、自分が願おうとして、願った」「それができた」ということでした。

ジャックさんのクラスであっても、母が亡くなったときであっても、わたしは周りを受けてその感覚に入りました。それはありがたいことだし、人によってはそちらのほうが重みがある体験だとは思うのですけど、今のわたしにとっては今回の体験が重みがありました。

わたしが、そこに向かった、という経験。
わたしは、この感覚を他の人と共有したい。
自分が足を踏み出して参加をする、という形でそう感じたからです。

今回の宿題のなかにも「聖なる瞬間に入って」ってありますが、これが「聖なる瞬間」の感覚なのかな?と思った今週の経験でもありました。


ちなみに、この感覚は次の日の朝まで続いていたので、この調子で!と思っていたのだけど、日中を過ごしていたらなくなりました笑
1人のときはできた、見せてもらえたので、今度は誰かとやり取りをする時間にこの感覚を見せてもらいたい感じですねー。前に感じたのとは別の感覚を感じられると思います。楽しみ!




一見まったく別の話。
今、アンダーテイルというRPGの実況プレイを見てます。
マザーとかラブデリック系とか、敵と戦わないで経験を積んでいくゲームが好きなので、PC版をDL(1000円しません!安!)したのですけどプレイする時間が取れないため実況プレイを見ることにしました。

何人かの実況を拝見して、いちばん見やすいというか、このゲームに対しての愛があるなーと感じる実況(shunさんの実況)を拝見してますが・・・いいわあ、このゲーム。

何気にこの世界観とACIMとを組み合わせながら楽しんでいます。「見逃す」とかいいしさあ、ずっと自分にとってヒーローだった存在よりも友達を選ぶとか!熱い! 最高です。


追記。

あああ。アンダーテイル。
涙が止まりませんー。
これまでもゲームで泣いたことはあるのだけど、、、間違いなくいちばんわたしのこころを打っています。

まだ皆と友達になる前のそれぞれとのいろいろなことが、それが攻撃的なものや伝わりにくかったものであっても、それがとても懐かしく感じられて、そして主人公の力になっていく、、、ああすごいこれ。。。何この作者さん。。。



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