日記×エッセイ...みち

 

 

鍼灸にっき - 2017年11月07日(火)

本当は施術時間は30-40分なのだけど、なんか長く時間を取っていただいてるなーと思ってたのですが、意識的にそうされてるのかな?と思いました。
わたしはあまり鍼を多く使えない(多くなると冷えてしまう)のだけど、長く時間を取ってもらっているかも。
わたしにとってそれのいい点は、自分の体を感覚することに集中する時間が持てるところ。30分間隔で入れられているときは、次の方が受付のところで待っている気配に気が取られたりすることもあるので、そういったことがなくて自分の体に集中できるのはとてもありがたいのでした。

話をすることが好きな鍼灸師さんで、わたしも鍼灸師さんが話す話題が好きなので受けながら雑談をします。
もっか意識して行っているのは、雑談をしつつも体を感覚し続けることです。
興味深いことは、体から離れて話に夢中になると体の反応として出てくることですね。例えば手汗をかいてきたりとか。そこで施術だけ集中するやり方に戻ってみたりとか、体の感覚から離れていたなと認識してみたりとか。

ちなみに体の感覚を感じながら雑談をしているとき、雑談といっても自分自身の経験に関係するような内容だからできるのかもしれませんが、わたしも会話の相手の鍼灸師さんに対して伝え返しのようなフォーカシング的な問いかけかたをしたりして、異種格闘技戦みたいなことになってるなーと思ったりしてます。
鍼灸師さんは鍼を使い、わたしは言葉を使い。

ということで、前半は施術に集中、後半は雑談もしながら施術みたいな感じです。

その雑談の何がわたしにとっておもしろいのか。
鍼灸師さんとの雑談のネタは、禅とか仏教とかそういったものや、それらの教えや考え方を実際の日常でどう行うか、みたいなものです(笑)
どちらかというと鍼灸師さんは質問者になってくれていて、「こういうことがあるんですけど、そういう時どうしますか?」とか「どういう意味ですか?」とか尋ねてくれるのですが、それがわたしにとっては自分の中にある感覚を探る、それを言語化する機会になっていて、それがとても助かっているし楽しく感じています。これはできてるなと認識したり、これはできてないですと言えたり、そういったことができることが。

わたしの答えを聞いて「そこがピンとこないところです」とか「深く入るようで怖い」とかおっしゃるのですが、そういうこともわたしには興味深い。

深いと思ってなかったけど深いところの話か、そうか、そうかも、と認識したり。
ピンとこない感覚もわたしに覚えがあって、あ、わかる、でも今そうしてないな、ということを認識したり。
でも、自分のそうした変化はほとんどが意識的なものではない(いつの間にかそうなってたもの)ので、説明がぱっと出てきません。

今のわたしの感覚との違いって何だろうな?わからないぞ?
昔のわたしと今のわたし、それぞれどういうことに意識が向いてたのかな?

問われて初めて疑問に思う感じ。

質問をされて、そういえばこの間そんな内容の文章を読んだばかりだな、と思い出したとしても、あらま、読んだ内容を伝えられるほどわたしはわかってないのだわ、と認識したりとか。(読んだことしか覚えていない)

でも最も、わたしにとっていちばーん興味深いのは、以前のわたしだったらそういうことがあったらすぐに調べて相手の人に伝えたりするのだけど、それをしようとしないことです。してもいいけど、しなくてもいい。
以前はそれは嬉々として行うことだったのだけど、それに意味があまりないと思ってきたというか、価値を感じなくなってきた感じです。
情報を入れるということ、相手が知らない情報を伝えるということに以前はわたしにとって価値があったのだけれど、現在はそうではない。
現在は、今の瞬間の真新しい自分で情報に触れるということ、その経験を共有すること、そういうことに価値を置いているなあというか。
(うまく言えてますか?)

担当の鍼灸師さんは、わたしへの施術時間は長く取ってもいいようなことをおっしゃってたし話をするのも楽しいようなので、同じ料金で自分の得てるものが多くなってるのですけど、win-winかなーとありがたーく受け取ってるところ。


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