日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年11月11日(土)

20㎏液体入りの段ボール箱を脛で思いっきり蹴っ飛ばし、しばらく時間が経っても痛かったので「青くなったかな?」と足を確認したら、ズボンが流血で赤く染まっていました。
周りにいた人に見せびらかしました。(なぜか得意げ)



一定の条件があるものについて、「そうは言ってもきっとこうなるから」「別の業者では大丈夫としてるものだから」「〇〇さんはいつもそれでやってるんだって」、だからいいよね、と意見を求められたので、「わたしはやらないけどね!」と答えました。わたしのそういうとこは強い(ぶれない)なと自分でも思います。

わたしが同意しなかったのもあり、大丈夫じゃないかもしれないけどそのまま続行しますか?と相手方に確認するということをしてくれました。
そうそう、確認大事。

ただ、このやりとりで自分の中に少々怒りが混じってるのを気づいたので、何に怒ってるのかしら、と振り返ったところ、わたしは過去に忖度のよくない面を見ていて、それによる自分に起こしていた影響に気づきました。

「思いやって」行ったことだとしても、それを相手に確認していない以上相手が望んでいることかどうかはわからない。
そして過去にわたしが見たものは、そうして自分自身をどんどん厳しい状況にしていくというものでした。

そうかー。
それを今も持っていたのだなあ、あの時に感じた嫌な感じを今も持ち続けていたのだなあ、と思いました。

そうしたら、怒りはなくなって「確認しよう」と思いました。
別の業者では大丈夫だから、について確認しました。比べてみよう、と思いました。

すぐに調べられるところで比べてみたところ、これは同じものではない、ということがわかりました。同じものに関してのものだけれど、同じ方法だけれども、同じものではないなと判断できるものが確認できました。
なので、それを説明しました。
確認大事です。




自分で言っていて興味深かったこと。
わたしは電子書籍も読みますが、使っていない人に先日「電子書籍ってどう?」と聞かれました。
そこでわたしが言ったのは、わたしは物欲があるのだと思います、と。
本屋さんに行くこと自体も好きで、本屋さんで自分の好きそうな本を手に取って手に入れて、家に持って帰って、、、そういう一連のことでもうかなり満足する、と。
読んでいないのに、手に入れた時点でとても満足する、と。
(手に入れなくても、本屋に並んでいるのを見ること自体で満足してることもあります)
それは触れるし、形を見れるし、存在を感じられるから。

電子書籍の場合は、その(わたしにとっての)甘いムードがない。
触れないから、即・情報、みたいな感じ。
ある部分では「物足りない」かもしれないけれど、それがないからこそのダイレクトさがあって、むしろそれはわたしにとって嫌いではないものです。

そういうことを自分の口から出てきた言葉で、わたしはどちらも好きなのだなあって確認した感じです。



ACIM勉強会。

うーん、なんでわかるのかな(笑)
今わたしが知りたいことが、しかもわたし自身はそれを言葉にもできていないことに関わるような言葉をいただくと、噛みしめることしかできません。もぐもぐ。

ACIMを学べば学ぶほど、わたしはACIMで書かれている実相から離れるようにこれまでずっと生きてきたんだなということがよくわかります。
だからこんなに惹かれるのかもしれません。

お値段お高い本ですけど、これをわたしは読み飽きることができるのを今のところ想像がつかないので、まだまだ何度も読めることでしょう。


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