日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年10月25日(水)

選挙を通じて世の中には名もなき英雄がたくさんいるのだなと思う、ここ数日でした。
すごい。皆さんかっこいいです。かっこいい人たちが目にたくさん飛び込んでくる数日でした。
そうではないものもたくさん目に飛び込んできましたが、かっこよさの影響のほうがわたしには強かったようです。3.11のときみたいだ。



「どこでそういうおもしろい情報を得るの?」とよく聞かれるのですが、かっこいいな、好きだな、と思う「人」を追っていると自然に入ってきます。そういう人に自然に教えてもらえるということもあります。ありがたいものです。わたしがやろうとしてという力ではないから。



選挙は「無言の反抗」が反抗にならない、むしろ嫌っているものの応援になるということを知らない人はわたしの周りにも多数なので、「え?そうじゃないの?」と思うような機会を増やすだけで違うのかもねと思ったりもしました。
というか、選挙だけの話じゃないよね、これね。
日本人によく見るがっかりするような投票理由、しない理由もたくさん見ました。ここを踏まえる。



「これはエゴの誘惑だな」と自分の中の気持ちを認識しながら、「本当にわたしが望むものは何か」ということを指針に最近生きています。
エゴの誘惑もわたしが望むものではあるのだけど、絶対的な望みと比べるとそれは全く勝ち目がありません。でも誘惑はなかなか魅力的なものです。

誘惑されながら、危なっかしいなーと自分を見ながら、これは自分をあからさまにする行動なのかそれとも単にマウントしたいだけか、などなど確認しながら進んでおりまする。



「瞑想っていつもしているの?」
「セルフでプレゼンシングソマティクスをしてよくないことって起こる?」
「瞑想で外側を意識したいんだけど」
などなど問いかけがあって、自分はどうかな?と経験から話すことをしていると、これまでに自分が聞いたことがある言葉が自分の口から出てきて、「あー、言葉にするとこうなるんだ?」と思うのが最近おもしろいです。

言葉で聞いていたときの理解とは確実に異なることを、わたしは言葉で発している感じ。そしてそれが同じような言葉なのが興味深いのでした。

「瞑想で外側を意識したい」というものに対しての返事には「わからない」と言われたけど、わからないよなあ、とどこか納得しました。
言葉で言われてわかるものではないよなあって。

自分が経験したことから言葉にしていると、言葉で伝わるものと言葉だけでは伝わらないものとの違いが見えてきますな。それと相手を見る自分のまなざしがやさしくなるのを感じる。



先日あれ?と思ったこと。
わたしの態度で空気が変わった人がいました。
その人とはこれまでもそんな感じのやり取りがあって、これまでわたしは「こうすると不機嫌になるからしないようにしよう」と思っていました。また違う人とのケースでは、わたしの言動からフォローに入ろうとする行動を見ました。
今もわざわざやろうとはしませんが、先日空気が変わったときにふと感じたのは、「わたしがこうしたからこの人は不機嫌になるとわたしは思ってたな」「わたしがこうしたからこの人はフォローせざるを得なくなっているとわたしは思っていたな」ということでした。

わたしがそうするということと、その人が不機嫌になるということや行動することとをつなげて考えていたけれど、これってそれぞれ別のことだ、と思ったのでした。

お互いに影響しあうというだけで、原因結果ではないのだわ。
わたしの気持ちの変化としては、以前はやらないようにと自分を緊張させたり罪悪感を持ったりしてたところを、「あ、やっちった。まあいっかー。次やらないといいな。」と受け取るようになったところですかね。


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