日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年09月05日(火)

「あの世にはお金や物は持っていけない」「思い出だけお土産に持っていくのよ」とか聞いたことがあります。
そうだなあ、とこれまで思っていたのですけど。
昨日ふと、あれ?この「思い出」、これまでわたしが持ってた意味合いの「思い出」は思考や思考から生まれた感情の意味合いが多く含まれていたのですが、それも「からだ」や「物」「お金」とかと同じでもしかして持っていけないのかしら?と思いました。
よく考えたら、「からだ」と「わたし」がイコールではないというのと同じように、「思考」「感情」が「わたし」ではないなと。わたしが思ったり感じたりすることではあるけど、その思考や感情自体が「わたし」ということではありません。

だからほんとうに、「経験だけ」持っていくのかしらね、と思いました。
この世界で生きました、生きるということをしました、そういった経験だけを持っていくのかしら、と思いました。

魂は完璧だから学ぶことはない、ということをスピリチュアルな教えで以前聞いていたのですけど、先日ACIM勉強会で「生きること自体が学び」という言葉を聞きました。

わたしは、それなら「なにが」学んでいるのか?とそこで思いました。
魂は学ぶ属性ではないし、かといってエゴが学ぶかというと・・・エゴが学ぶ???あやしいなあ。

そう思ったのですけど、しばらくするとそういった疑問と全然違うところに答えがある感じというか、「生きること自体が学び」、ただそれだけなのだな、「なにが」ではないんだ、と思いました。

書いては見たもののうまく表現できてませんなあ。


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