日記×エッセイ...みち

 

 

- 2017年09月06日(水)

「あの世にはお金や物は持っていけない」「思い出だけお土産に持っていくのよ」とか聞いたことがあります。
そうだなあ、とこれまで思っていたのですけど。
昨日ふと、あれ?この「思い出」って・・・?と思いました。
これまでわたしが持ってた意味合いの「思い出」は、思考だったり思考から生まれた感情だったりの意味合いが多く含まれていたのですが、それらのものも「からだ」や「物」「お金」とかと同じで、もしかしてあの世に持っていけない類ですか?と思いました。
「からだ」と「わたし」がイコールではないというのと同じように、「思考」「感情」が「わたし」ではないよな・・・と。
わたしが思ったり感じたりすることではあるけど、その思考や感情自体が「わたし」ということではありませんものね。

だからほんとうに、「経験だけ」持っていくのかしらね、と思いました。
この世界で生きました、生きるということをしました、そういった経験だけを持っていくのかしら、と思いました。

魂は完璧だから学ぶことはない、ということをスピリチュアルな教えで以前聞いていたのですけど、先日ACIM勉強会で「生きること自体が学び」という言葉を聞きました。(テキストに書いてある言葉ですけど、ひとりで読んだときは何も思わなかった箇所でした)

わたしは、それなら「なにが」学んでいるのか?とそこで思いました。
魂は学ぶ属性ではないし、かといってエゴが学ぶかというと・・・エゴが学ぶ???あやしいなあ。

そう思ったのですけど、しばらくするとそういった疑問と全然違うところに答えがある感じというか、「生きること自体が学び」、ただそれだけなのだな、「なにが」ではないんだ、と思いました。

・・・と、ここまで書いては見たもののうまく表現できてませんなあ。

これまでずっとわたしは観念的なことに惹かれて生きてきていまして。
でも自分が人間だという認識、自覚をあまりしていなかったなあって最近思いました。(言葉にするとすごい話ですが)
だから、ちゃんと食べ物をおいしく食べて、快適な住み心地かどうかにもっと意識をもって、そういった生きる欲求を楽しんだらもっといい感じになるなあと思っているところです。
これまではそれらを軽く考えてたというか、軽く考えようとしてたというか、その自分のした決定自体をすっかり忘れたというか、、、
だからもう一回、新たにやってみようって感じなのでした。


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