つらつら - 2017年08月27日(日) 妙なテンションは収まったかと思いきや、まだ女子の体に慣れない(笑)みたいな状況は続いております。幸せでいいですけどねー。 わたしはこれまでずうっと、たぶん10代、20代のころから筋肉が固い感じでいました(緊張しやすいので)。 実はボディワークを習っていてもわたしは「筋肉が固い」という感じがよくわかりませんでした。誰かの体に触れてみて、そこで固さとか痛みはこれのことを言ってるんだなということなどはわかるのだけど、そもそもの柔らかい筋肉というのがよくわかっていなかった、筋肉は本来どういう感触のものなのか?というのがわかっていないというか。自分の体(筋肉)の固さを基準にしたりもするので、固い・・・のかな、普通かな?とか迷いが出るわけなのでした。 で、今。 指や手のひらで触れようとして、ではなくて、なんとなしに自分の体、例えば腕、手の甲、脚、それからお肌の手入れに顔に触れたときに、その感触がこれまでの人生で知ってる自分の体の感触ではないので戸惑う、みたいな感じが現在続いています。 というか、この前までは腕だけだったのに脚もそうなった!とか、もっとお肉の少ない骨ばったような手の甲などに柔らかさを感じるようになった!とか、へ?顔も?と、どんどん増している感があります。 寝起きの、まだ頭がちゃんと働いていないときに、自分の腕と腕がくっついていたり脚と脚がくっついていたりすると、「おにゃのこがいるっ!」みたいな感覚になります。 ACIMで「体は私ではない」みたいなことを言いますけど、意味は違いますけどすごくそんな感じです。「体は私」と思えるというのは、それだけ馴染んでいるんだろうなあとか思うのでした。そんで、長年馴染んでいたわたしの体は緊張で筋肉が固くさせている体のことなので、わたしが「わたしの体」と言ったときにはそれを指すのでございました。 だから、今のわたしの体はすーっごく居心地がいいけど、わたしの体って感じはしていないのでした。別に「受け入れられない!」とかそういうネガティブな意味ではないので、その慣れない感じを楽しんでいます。 先日、オードリーの若林くんのことを書かれた記事を読んで、カッコイイ!と思いました。 こちらの記事です↓ 「オードリー若林正恭は熱くてヤバい男」 山ちゃんの語る若林くんがカッコよく感じましてですね、それを熱を持って人に伝えたところ同意をいただけたのですが、その方の話を聞いていたら、あーそれもかっこいいんだけどわたしが思ったカッコよさはそこじゃないかも?という感じがしました。 でも、カッコよさというところで同意が得られたのでわたしはそこで満足したので、そのあとは意味を深く追いませんでした。 そうしたら今度は「ひよっこ」でみつおくんがカッコイイ。 うわー!カッコイイー!と思いました。 そこで、若林くんに対して感じたのと同じものに対してカッコイイと感じていることに気づきました。そこで初めて「あれ?わたしは何に対してカッコイイと思ったんだろう?」と思いました。 わたしにとってなにがカッコよく感じたのか。 それは、相手の力になる愛し方をするってところ。 感謝や喜びのようなものとともにその人自身がやりたいことに対して本気を出さざるを得ない、そういった愛し方をするところ。 いやあ、カッコイイです。 わたし個人のことを書きますと、「好かれる」ということに関してわたしはあまりいい感情をもっていないところがあるのでした。好かれることで自分のしたいことができなくなったとか好かれ方のアプローチに戸惑ったとかの経験があったので。 なので、すっごくわたしの中に浸透する感じがしました。好かれていいんだ、みたいな安心感というのか。好かれることにくっついていた罪悪感が消えたというか。 受け取って、自分の力にする。 そして、それに頼り切らないようにするー。 さんまさんのNetflixのCMの動画を見ました。 おもしろいなー。 ルールの中でやるのが楽しいってお話とか、おもしろく聞ける話ばかりでした。 年を取ると花鳥風月に行くとか、俳句に凝りだすとかも笑ってしまいました。あるある!みたいな。 わたしはもともとそういうところがある、もしくはさっさと年を取った?ので、逆に今度はもう凝らないってのもいいかもなーと思っているところです。 ...
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