日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年08月08日(火)

先日の日記でこういうことを書きました。

自然に得られるというのはほんとうにいろんなものがあって、昨日は「人の話に耳を傾ける」ということの気づきを職場でしました。
あ!わたし今できてなかった!っていう気づき(笑)
それから、それで空気が変わると本人は意識してはいないかもしれないけど、やろうとしてるしやっている人の発見。これからのヒントにもなる。


これは職場の後輩が研修で宿題を出されたので、その日の出勤者で小会議のようなことをしたのでそれについて書きました。
宿題は、問題と思われるテーマについてKJ法で話し合う、というものです。

後輩は慣れない様子ながらもその場をうまく作っていて、わたしはよかったなあって思って、それでその会をリードしていた「やろうとしてるしやっている」後輩にメールをしました。
よかったよーって。リードに助けられたよーって。

そうしたら、お礼を言われました。
わたしは「すごい!」と感じたことを単に言っただけなので、それについて改めてお礼を言われたことに驚きました。
(2回も言われた)

話を聞くと、やりたくなかったんだそうです。
やる気もなくなっていたそうです。
上司にあんなことを言って・・・と思っていたのだそうです。

本人としては「あんなこと」と言っていましたが、失礼なことを言ったりしたわけではなく、職場で働く人の意見を平等に扱うような言葉を使っただけでした。ひとり一人の意見を平等に扱う。耳を傾け、受け止める。反論するために聞くのではなく、ひとり一人が何を感じて何を言おうとしているのか、どんな意見を持っているのかに耳を傾ける。そういった言葉使いをしていました。

その人の様子は職場でいつも見ているので、ああなるほどな、気になるんだろうな、とは思いました。

わたしにとっては平等に耳を傾けるというのは価値を感じていることです。そしてそれはいつもできているとは限らないものなので、だから「すごい!」って今回できていたその人に対してわたしは思ったのでした。

言ってみれば、わたしはただ「すごい!」って思っただけです。リードがなかったらわたしは忘れてたし(笑)
「すごい!」って思った、たったそれだけのことが「やる気を取り戻しました」って言ってくれることになったり、また、実際に更なる行動に動き出しているその様が見えて。

それだけのことでありつつ、それだけのことではなかったりするのだなあと思いました。

そしてそれはその人だけじゃなくて、後輩のその様子を見るわたしもまた、新たにすごく得られたようなまぶしいような感覚を感じていて、それでまた後輩に対して「すごい!」と思ったりして。

この切りのなさがいいなあ、と思いました。



追記。

これまで考えたことがなかったのだけど、ジャックさんのクラスへの関わり方でわたしはそれらを自然に学んでいたことを知りました。
というのは、ジャックさんはクラスの中でワークをする際に自分を生徒と同等の立場に置くことが多いのですが、わたしはそれを「普通」に捉えていることに今回気づきました。

権威のある人がその立場の役割しか演じないということはその人自身もしんどくなることも想像できますし、その役割が求められることもあるとわたしは今のところ思っていて、それに頭では「権威を持つ立場の人がやりがちなことをジャックさんはしないことができてすごいなあ」と捉えていた、みたいな感じがあるのですけど。
今回の自分の感覚を思い返すと、それとはなんか違うのですよね。そういうところからわたしは動いていないと感じました。

ジャックさんの意見も他の皆の意見と平等に扱っている。それに対する、「それは当たり前」というような感覚。権威がある(権威者として扱われやすい立場の)ジャックさんがいて、でもそういう方を平等に扱っている、それが当たり前、というような感覚。
わたしの中にその感覚があるんだなって、逆に今回のことで知った感じです。

上司の意見も部下の意見もこのような場では平等に扱う、それは当たり前という感覚。
すんなりと「当たり前のこと」って扱えていたのはだからかと、気がついた感じがあります。

ありがたいものです。


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