日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年07月19日(水)

夢を見て自己嫌悪になったというので、その夢の話を聞きました。
周りの要望や意見に「あ、はい」と流されていくという夢でした。
最後は、その夢を見た人の友人はしょんぼりしてしまっていて、夢を見た方自身は他者から誤解されて褒められているという感じ。
びしっと友人の力になれればよかった、と言っていました。

それを聞いて、なるほどなあと思う部分がありました。
(わたしから見ると、本人は望んでいなさそうだけどそうしてしまう、みたいなことがある方なので)
そしてその一方で、流されまくって主人公になるというのもおもしろそうな物語だなあと思うのでした。

「あ、はい」
って受け入れてどんどん進めるってそれはそれですごいことと思うのでした。
嫌だなとか間違ってるなとかそういう気持ちを、流されていくことを選ぶことでなかったことにしてしまわないなら、すごくおもしろいなと思いました。
(わたしは嘘が嫌いなので、自分自身につく嘘もダメージがくるのでそう思いました)



夢の話になったので、わたしの過去に見た夢を話しました。
見ていた時は超恐怖だった夢。ドアが壊れる夢。以前日記にも書いた夢です。
入ってこないでね、と言えば入ってこないのに、自分だけが超怖がっている夢。

やばいんだよー超怖いんだよー、とひとしきり話して満足して。

その後にわたしはお昼休みに入ったので、その時にACIM関連のサイトをスマホで見ていました。
そこで、自分が「ドア」となる、という文章を読みました。

ひとつ思ったのは、わたしは以前、それを「誰かのためのドア」になる、というように受け取っていたなということ。

今はそう受け取っていないなということ。

自分が「ドア」になる。
単に、際にいるんだなと。今はそんな感じです。
吸う息と吐く息の間、みたいな感じで、際にいるんだなという感じ。
それはとても落ち着く場所です。

その文章を読んで、自分が見た夢の話をふと思い返しました。

そして思ったのは、
「あ、ドアが壊れるって、ありえないわ」
ということ。

自分がドアになるのであれば、それはありえないなということ。
壊れない。

過去の夢の中で、壊れて恐怖したのは自分と何かの間に置いたドア。
それは壊れるものなんだなあ、と思いました。
恐れたけどね。
恐れることなかったね。


...




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

MAIL