日記×エッセイ...みち

 

 

ACIM集中クラスを受けてきました - 2017年07月03日(月)

昨日はACIM集中クラスを受けました。
今回のテーマは「共創造性」。

いやあ・・・今季のクラスは毎回なんかしら、自分に対して「ぎゃー」とか「おおー」とか強い気持ちで思います。
「ぎゃー」に関しては、良かれと思ってやる場合も行動する前に聖霊さんに尋ねてみてはいかがか、わたしよ・・・と思い。
「おおー」に関しては、「あ、あれ?これ、そうなんだ?」と初めて気づいたという感じに。

共創造性。
今の自分を振り返って見てみて、共創造性を「やることを決めているけど、やろうとしていない」ということに気づきました。いい意味で。
意識的ではないので、自分がそれをやっていることをまったく気付いていませんでした。

少し前のわたしだと、「やることを決めているつもりで、やろうとしている」感じ。
やったほうがいい、やらないといけない、やることが正しい、そういう思考でいたからかもしれませんが以前はどこか決めかねていました。
それが今は「やる以外にない」って感じで、いつの間にかそうなっていたことに気づきました。
共にクラスに参加した方の言葉から、あ、あの時から変わったんだ、ということに気づくこともできました。あほかー!やってられるかー!とちゃぶ台引っ繰り返しの心境になったときから変わったんだなーって。

ほんの些細なことをやっている自分に気づきました。些細だけど、以前は全くやっていなかったことです。
まったくやっていなかったので、今それはとてもわたしにとって新鮮で楽しいことです。

「自分に参加しようとしてくれてるように感じてうれしい」
クラスを終えての帰り道にクラスメイトからその言葉を聞いて、あ、って思ったのは、この間「なぜかわからないけど楽しい」と職場の人に言われた時のことでした。ああ、これかも?と思いました。わからないですけれど。

それからその言葉を聞いて同時に興味深いなと思ったのは、今のほうがある意味「参加しよう!」としていないというか・・・。うーん、頑張っていないんだよなあって。参加しようってわたしは頑張っていない。
そして、今のほうが確かに行動とか結果、感覚として参加しているっていうのが自分でも感じられる・・・。
(参加したくないときも、それに自覚がしやすくなりました。単に感情が出るのではなくて。)

なんだこれは。

あと、クラスの中でまた傾聴のワークをしましたが、、、
自分の言葉をわたしはどれだけ聞いていないんだろうな?と思うことができました。
なぜかというと、自分が話す番の時よりも相手の話に耳を傾けるときのほうが、ぐうっとわたしの心が静かになって集中(というのか?)ができたからです。
いやあ、ひとつ箱が開いたらその中に開けていない箱が入ってるのを見つけた、そんな感じですな。


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