つらつら - 2017年06月01日(木) 昨日の続きです。 「身体は露呈する」というテーマでしたが、本当にそうだなあと感じました。 デモを見せていただいて、自分の身体にもセッションしていただいて、そして自分も施術をして(ワンツーマンで見ていただけて)、そんな感じでなかなか贅沢な感じだったのですけど。 昨日、自分の身体を施術してもらうとなった時に、どこが気になるかなーどこをやってもらおうかなーと思ってみると、わたしは足首とふくらはぎでした。 ふくらはぎはいつも(小学生の頃から)張っているんですよね。足首は可動域があまりないような感覚がするし。 そうして歩いて感覚してみると、あれ?足の裏の地面への着き方がおかしいぞとそこで初めて気づきました。それから足の着き方と連動している感覚なのですが、からだの外側(横側)は使っている(固くしている)のに体の中心線はすかすかしてるぞ?と感じました。 すかすかした感覚のことはこれこそ気づいていなかったので、「へええ〜〜」と自分で驚いてしまってその場ではシェアすることにはなりませんでした。驚きすぎ。 そんなこんなでワークしていただいたのですけど。 プレゼンシングソマティクスは、今持っているより強い痛みは与えない穏やかな施術で、もし痛みを感じたらそれはやりすぎの信号になるので施術者に伝えます。 で、昨日施術を受けた時もとても穏やかで、 「今どうなってるの?わたしの足!」 「目をつむって感じていると、どう動いてるのかよくわからない!」 みたいな感覚も受けましたがとても穏やかで痛みもありませんでした。 ですが。 夜、ふくらはぎが攣って目が覚めました。 足が攣るってわたしあまりなくて、人生で2、3回目とかそんな感じなのですけど。 ええ?足が攣る?なんで?みたいに思いました。施術は穏やかだったし何か運動したわけでもないし、理由が見当たらなかったからです。 (ちなみに、足が攣った時ふくらはぎをとんとんとして感覚したらすぐに治りました) そうして今日1日過ごしていたら気づいたのは、いつもに比べて足首が超動く!ということ。それから、ふくらはぎが超疲れてる!ということでした。筋肉痛でもあります。 足首が自由に動く分、これまで使わないできた筋肉を自動的に使うことになってるかしら、と思ってはいます。 (それが合ってるかはわかりません) こういった一連のことに、わたしの今を表しているととても感じました。 足首に可動域が少ないことやふくらはぎが張ることはもうずっと長い間のことなので、いつしか当たり前のようにというか、改善したいとか思うこともなくなっていました。 でも、「今」のわたしには「気になるもの」になっていました。 前に足を進めるのには、足首が柔らかいほうが歩きやすい。 これまでは特になくても大丈夫だったんです。そうであっても困らなかったんです。 身体だけの話ではないなあと、からだから知る感じがあるなあということもあります。 からだの外側だけ固く使っていたんだなあとか。 足首に可動域が少ないということは、前方か後方に偏ったまま動きがあまりないってことだなあとか。 後方は過去って言うよなあとか。 本で読んだから、人がそう言ってたからそう思う、という感じでは思わないのですけど、自分の感覚と照らすとどこかに「うんうん」とうなづく感じがあって、でもちゃんと「そうだ」みたいな感じにはしようとせず、ちょっとあいまいな感じをそのままに感じています。 あと、もうひとつ気づいたのは「違和感」について。 「この人はこう言っているけど・・・なぜか本当にそうだとは思えない」 こういう感じがあった時に、なんでそう自分が感じているかがわからないことってこれまで結構あったんですけど。 わたしがなんかこの人に対して思い込んでいたりするのかな?と自問してもなんかしっくりこなかったり。 で、この違和感の正体も知ることができました。 「数分前にこの人はAはしないって言ってたのに、今はAをしている話をしてる」みたいな、そういう矛盾を聞いたときに違和感を感じていたことがわかりました。 本当にわかりやすくそういう矛盾を言っている人もいますけど(政治家さんとかにも見ますが)、もっとわかりにくーく自覚のない表現というのはあるなと確認しました。 結構自分はそういうのに気づけていると思っていたので、あ!これもそうか!みたいに思って、まだまだですねえと思いました。 話が変わりますが。 ACIM集中クラスの時の録音を聞き返してみたら、「わたしのお母さんみたいだな」と声を聴いての自分の印象について感じました。 わたしは外見以外は母と似てるってあんまり思ったことがなかったのですけど、わたしが母に対して好きだなあと感じていた要素を自分の話し方を録音を通して聴いて、そう感じました。 自分の持ってる自己イメージと自分、違うとは思ってたけど思ってた以上に結構違うっぽいぞ?と改めて思いました。 で。 数秘で見てみたらおもしろいことがわかりました。 母親がハートで求めていたもの。そしてわたしが調和されているときの表現。 その数字が同じでした。 だからわたしが母の好きだったところに似てくるというのは、わたしにとって「うまくいってる」、そういう指標になるなと思いました。 ちなみに言えば、母が調和されているときの表現と、わたしがハートで求めていたものの数字も同じでした。 そして人生のテーマ(なにを練習するか、体験するか)の数字は二人とも同じです。 おもしろい関係性だったのだなあ。 ...
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