ACIM集中クラスに参加してきました。つづき。 - 2017年05月28日(日) 昨日の続きです。 わたしは「手をあてて感じる」というシンプル極まりない瞑想で毎回のように涙が出ます。昨日もそうで、また泣くんだなあ、と思いながら涙を拭きました。 今朝、目が覚めて。 昨日のワークをやってみようとふと思いました。手をあてて感覚するワーク。 初めは、昨日不快感があった丹田。それと一緒にハートチャクラに手を置きました。そうして布団の中にいるままで感覚してみました。 手の温度、そして手のほうでは体から感じる温度を感覚して、呼吸の出入りで体が動く感覚を感じて。 そうしたらやっぱり涙が出てきました。 やっぱり泣くのね、と思い、ふと、首にもやってみたい、と思いました。 というのは、以前ワークをしていただいた際にわたしがいちばんリリースしたのが首だったからです。 以前起きたことは以前のことなのですが、その時も例えば喉が痛いだとかそういうこともなくわたし自身は特に気にしていなかったので、ある意味今もそれと似た感覚ではあるのでやってみようかな、と思いました。お腹とかはお腹壊して痛いとかがあるので手をあてる機会はあるのですけど、首ってあまり自分では何もやってあげてないのですね。鍼灸ではやってもらっていますが、わたし自身がわたしの体に自分から参加するという意味では、首に対しては何もしようとしていなかった、という感じ。 何も起こらなければそれはそれで何かを確認できる、とやってみました。 今日も喉はやはり痛いわけではなく、でも風邪の引きかけみたいに喉が少しいつもと違うかな?という感じがあり、頭の後ろ側だったり首の後ろ側に手を置くと心地がよくて手を置いていたいなあという感じがありました。それからパソコンをよく使うということもあって、首の凝り自体はあります。 首の背面に手を置いて感覚してみました。 丹田とハートチャクラに手を置いたのと同じように感覚してみます。 手を首の後ろ側に沿うように穏やかに手を置いて、手の温度を感じて、手のほうでは首の温度を感じて、とやりとりをしてみました。 丹田とハートとの比較にならないくらい、ぽろぽろと涙がこぼれました。 んん??? そのあと、今日のACIMのワークの文章を読んでも泣く始末で。 こ、これは・・・?と起きてから第五チャクラを確認してみました。 第二チャクラ以上にまんまでした。 ちなみに参照させていただいているサイトさんはこちらです。 自覚としては、表現に困ったとか、言いたいけど我慢したとかそういうことはあまりなかったので、表現のチャクラである第五チャクラをそれほど気にしたことはなかったのですが、読んでみたら当てはまるものしかありませんでした。まんまのことを日記でも自分で書いていますし・・・「相手に怒られたくないから怒らせないように」とかね。 第五チャクラもコミュニケーション。そして言葉を発信することだけじゃなくて、相手の言葉に耳を傾ける、というのも第五チャクラ。 それから言葉だけではなく、触れたり芸術だったり、そのようなことでのやり取りも第五チャクラ。 ああ、わたしを示すチャクラだ、と思いました。わたしは本を読む時もそのように読みます。その作者とのやり取りを自分の中で楽しむ、みたいなことをします。 わたしは基本的に他者に興味を持ちにくくそれは弱点でもありますが、一方で他者を変えたいとかそういう欲求は出難い感じがあります。 個人主義というか。 でも、昨日このようなワークを他者に行なってその人が変化をした、印象が穏やかなものに変わった、朝のその人と何かが違うということを感じて。 そこに一緒にいることができたこと、わたし自身はその人を変えようとか思うこともせずただ一緒にそこで参加して変化を見せてもらって。 それが、本当に素晴らしい、本当に美しいと思ったんですね。 (わたしもそのように誰かに見せられていたらよいな) 占星術でわたしの火星は魚座で、弱いところ悪いとされるものにスポットを当てたくなる、そこに隠されている宝物を見たくなる、みたいなところがあるのですが、今回のクラスでは自分自身に対してその魚座が発揮された感じがしています。 それはジャックさんの表情を見て感じたことで、わたしはその時に自分の言っていることには気づかなかったのですが、ジャックさんの表情を見て「・・・あれ?」って思って、自分が言った言葉に意識を向けていました。 そうして、「・・・ああ、なんかわたし随分離れたところまで来ちゃってたんだなあ。そしてそこから動こうとしてるんだなあ。」って思ったのでした。 弱いところに惹かれるようなところがあるわたしは、今も一緒にいるそうしたこれまでのわたしに対して、そうしてまだ弱弱しい足取りながらも踏み出そうとしてるわたしに対して、とても愛しく感じました。 やっぱりこれを仕事としてやりたいものですなあ・・・。 あと、もう1個書いておこうかな。昨日のクラスでわたしに起こったこと。 手を当てて感覚するだけの簡単な瞑想のとき、その感覚をキープしたままでどのように周りのものが見えるのか、見え方がどのようにいつもと違っているのか。そして、その感覚をキープしたままで何が聞こえるのか、ということに意識を向けました。 見え方は、とても穏やかな視線でいつもよりソフトフォーカスで、心も落ち着いていて、みたいな感じでした。 わたしがおよよ?と思ったのは「何が聞こえるのか」というもので、クラスの中でシェアはしなかったですが、とりあえず鳥の声が聞こえて、葉擦れの音が聞こえて、それらの普通にも聞こえるものがより鮮明に聞こえてきました。 そして、その聞こえるものの奥に「静けさ」が聞こえました。他に音が聞こえているのに、同時に静けさが聞こえました。 言葉で表現するとそうなってしまうのですけども。 心が静かというのもあるのですけど、耳から聞こえるような感覚で「静けさを聞いた」と感じたのですけど、他の方々はこういうのをどう表現しているんですかね。。。 ACIMを学んでいる人にとっては、自分が聖霊と共にあるという感覚、聖霊に自分の体を通して行ってもらう、そういったものを自分の体の感覚を通して感じられるので、ジャックさんのワークはとてもおすすめです。 また、ACIMをジャックさんのように説明されている人や書籍をわたしは他に知りませんし、話を聞いている際に感じられる感覚を含めて、この上なくしっくりくるのです。 ちなみに今日も 「聖霊さん近い。近すぎるほど近い。パーソナルスペースって概念ご存知です・・・? うーん。そんなに近くなくても、、、」 という感覚で過ごしています。 追記。 他も読んでみよう、と先ほどのサイトさんを参照して全チャクラの説明を読んでいます。 もう一度じっくりと読み返してみると、自分に重なる感覚があります。あまりそういうことにはならないけどわかるなあというものと、わかるところあるなあというものと、よくわかる!というものとがあります。わからないなんてものはないです。まあ、バランスが取れているとき、取れていないとき、どちらかには少なくとも当てはまりますしねえ。 一度読んだときは「自分には当てはまらない」「しっくりこない」としていた文章も、そこで言いたいもの、エッセンスとしてはわかるものがあるぞ、と読めました。 今日は1日中ずっと眠くて、だらだらを楽しんでいます。録りためていたTVでも見よう。 さらに追記。 クラスでいただいた資料を読みました。まだ途中ですが。 わたしは本当に間違っていました。 鍼灸に通うことになった経緯と重ね、自分の体に感謝があふれました。 わたしはこの体と共に生きたい。 ...
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