日記×エッセイ...みち

 

 

今日見た夢(眠ってみるほう)とACIM - 2017年05月21日(日)

今日見た夢。

女性3人と共に、チェーンのコンビニで働いています。店長だけ男性です。
店長は、たくさん話す押しの強い女性(外部の方)の相談相手になっています。
わたしはそれを見てその女性に対して、気を引いてずるいなーと思いながら、その横の道をてくてくと枕を抱えながら歩きました。働いているコンビニへ向かいます。

お店につくと、わたしの他の店員の女性3人は店内で何かおしゃべりをしていて、わたしが帰ってきたので、じゃあ帰ろうかーと手を洗うために水道へ皆で向かいました。わたしは手を洗うために、枕をそっとカウンターの奥の台の上に置きました。
わたしはそこで働くことは初めてで皆に倣う感じです。
そのコンビニは忙しい時間だけ4人+店長で動かしていて、ピークを過ぎたら1人だけ働いてみんな帰るというコンビニでした。まだ日も明るくて、15時とか16時くらいの感じ。同じチェーンのほかのコンビニは24時間営業なので、なんかおもしろいなと思いました。



で、起床。

ずるいなーと思った感覚はとてもわかる感じがありました。

そして、わかるなーと思った後に、
「そうか。こういう時のわたしは、愛というものを、失うもの、奪われるもの、早い者勝ちなもの、得るために手段が必要なもの、と思っているんだな」
と思いました。
うおー、思ってたわー。

そんでもって、“これで仮に「失った」としても、その失うようなものをわたしは欲しいの?”と自分に問うてみると、わあ!微妙!と思いました。

夢の中の店長さんは、神の投影でしょ?わたしにとっての。
神さまにわたしの話を聞いてもらいたい的な。聞いてもらえてないと思ってる的な。
そう思ってみると、ACIMで述べられている神さまと全く一致しないので、なかなか興味深いものがありますです。


ちなみに、この夢を見た後の今日のACIMワークは、Lesson133。
「価値のないものに価値を置かない。」
I will not value what is valueless.

ですよねー!

(全然関係ないですが、原書で value と valueless と言葉を重ねてきているのを公式翻訳はちゃんと言葉を重ねて表現されていて、わたしは公式版のそういうところが好きです)

今日のワークの解説文では、価値のないものとあるものの見分け方が書かれていて、「全世界を包括する高邁(こうまい)な概念について話すのではなく、あなたにとって利益になることについて話をする。」と語り始めます。
なんかもうわたしは心の中で、・・・というか声にも出してましたが、歓声を上げながら読みました。
きゃー!イエスさんすてきー!
そうなのよ!概念について話されると、これまで自分がすでに学んできたものがあるからなかなか・・・という感じがあるのですよ!
きゃー。すてきー。

若干、テンションがおかしいのは認識しています。


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