ACIM Lesson106 「静かにして、真実に耳を傾けることにしよう」 - 2017年04月24日(月) 現在、おとといからの続きで自分自身に対して怒りや悔しさを持っているからか、それとも体調回復のおかげかわかりませんが、「これと同じシチュエーションの時に、以前は相手の人にムカついてたよね?」なーんていうことに全く自分が反応していないことに気づきます。 今、それどころではない。 同じようなシチュエーションで怒りどころか、「物事ってそういう風に動くよね」と納得したりとか、むしろその人の思っているわたしのほうがある部分ですごく上等で、「そうだったらよいけどなあ」と思ったりとか、変な話そういうことしかなくて、興味がそちらに行かないというか。 わたし、自分に対して怒るってあまりないのですよね。一般的にはよくあることなのでしょうか。 罪悪感は持つことあっても、誰かに怒りを感じることはあっても、自分に対して怒り・・・ないんだよなあ。 自分を責めるとかでもないから、なんか怒っている時の熱い感じはあるのだけど気分としてはすっきりしてるし、体が痛くなるわけでもないし、なんか元気いっぱい!みたいな感じもあります。 で。 今日のACIMのワークはLesson106。 「静かにして、真実に耳を傾けることにしよう」 Let me be still and listen to the truth. 怒りでうるさい(?)のを静かにして耳を傾けて、また湧き上がってきたものを静かにして耳を傾けて、というように今日は進めました。 「今日、私は神の使者であり、私の声は私が受け取るものを与えるための神の声でもあります。」 I am the messenger of God today, My voice is His, to give what I receive. 別にこの文章について扱ったわけではないのですけど、一昨日にクラスを受けたことで、この文がこれまでとは別の感覚で読めます。 これまではもっと、「想像上のもの」じゃないけど、自分でその様をイメージをしてそこから心地よさを受け取る、みたいなそんな感じというのか。 今日はなんかもっと手に触れる感じが強いというか、 「それがいちばん近道なんでしょ!わかってるってば!やるって!」 と、まるきり八つ当たりで返すみたいな、そういう感覚でした。 それにすーっごい近い感覚はすぐ思い出されて、子供の時、やらないとなーとわかっているけど始めずに他のことをやっている、そういう時に親に「やったの?」と聞かれた時の反応です。 まんまだなー。 こういう状態のわたしをどう連れて行こうかね、子供の頃のわたしはどうだったっけ?と思ったので、ネットで検索してみました。 いくつか読んでいちばんしっくり来たのはこの記事。 「今やろうと思ってたのに」を聞いたら子どもの成長を逃したサイン 主体性の現れ・・・わかる気もします。 さて、自分を育てよう。 ...
|
|