日記×エッセイ...みち

 

 

ACIM Lesson93 「光と喜びと平安は、私の内にとどまる」 - 2017年04月11日(火)

今日、このワークをしていて思ったのは、
「わたしは誰かに罪があると思うことで、わたしには罪がないって、そう思おうとしてるんだな」
ということでした。

あの人に罪があるのが見えるから、わたしには罪がないってことだよね〜♪というそういう理論。

罪のバトンを、このバトンはあなたのものよ! キャーわたしに寄こさないでよ!、そんなふうにやりとりをするものだとわたしはずっと思っていたなあ、そう思いました。

「光と、喜びと、平安は、私の内にとどまる」
Light and joy and peace abide in me.

わたしは基本、ワークの時間を忘れません。今日は1時間ごとに1回のワークでした。
なぜわたしが忘れないかというと、気持ちがいいからです。ただそれだけです。
光、喜び、平安、自分の内にとどまっている、そう認識することから感じられる感覚を味わうことが心地がいい。
その上、これには保証もあるよ、と言われることもさらに心地いい。

私に罪はないということは、神に保証されている。
あなたに罪はないということは、神に保証されている。

それだけのこと。
ACIMを土台にして自分と接する、誰かと接することをするそれだけのことが、わたしにはそれだけでとても楽です。

今日の想念を土台にしていたら、自分が偉そうになってみたり、人の言動が鼻についたりということもない、、、いや、あったか。ありましたけど、それに対して少し間を持てて気づける感じでした。それから、その影響力が段違いに違いました。
影響力があるとそれをずっと考えているし、そうならないように、そうされないようにしなきゃ、挽回しなきゃ、誤魔化さなきゃ、弱みを見せちゃだめだ、、、そんな感じでエネルギーを使います。

そういうのがないんですよね。
今日の場合だと、不満がもやっと出た時に、まず「あ、不満が今出たな」って見て、そのあとは挽回もごまかしも隠すことも考えずに対応した感じ。
そうそう、もやっとしたとしてもその後はそれが引き続かずに爽やかな感じというのかしら。
おもしろいなあ。


話は変わりますが。
職場で人事考課があるので、半年を振り返ってみたり目標はなにかと考えてみました。普段わたしは感情的に主張をしないほうなので、こういうのは我慢できるけどこれだけは譲れない、これに対してのわたしの情熱はここまで、そういうものを珍しくハッキリ見れてよかったです。
これをやらないのであれば、やっていてもしょうがない、というものがわたしにある。
自分にそれがある、と自覚しただけで、とても楽です。


...




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