日記×エッセイ...みち

 

 

ACIM Lesson92 「奇跡は光の中で見え、そして光と強さはひとつのものです」 - 2017年04月10日(月)

今日のワークは、今日のわたしにとってはとてもやり難いものでした。

まったく心に響いてこなかったし、「あー!そうだよねー!」みたいな腑に落ちる感じもなく、そんな上滑りな感覚のまま、ひたすらに呪文のように今日の想念を唱えていました。
朝から夜までずっと腑に落ちなくて、ありゃー今日はそういう感じなのかー、って思いました。
そういう日もあるかーみたいな。

今日は体調もあまりよくなくて、鍼灸でからだ楽になってきたとすっかり思っていたのに、動悸はするわ、胸が痛いわ、意味不明の涙は出るわ、みぞおち痛いわ、お腹壊すわ、背中痛いわと、、、なかなかのフルコンボでした。

で。
仕事終わって家に帰ってきて、ご飯を食べたらだいぶ治りました。ご飯すごいと思いました。

でもワークは案の定、頭に、心に入ってきませんでした。
どうも「光と強さはひとつのもの」って思えなかったんですよね。

そして寝る前の、夜の長い時間の実践をしようと思って、Lesson92のページを読んだとたん、腑に落ちました。

「あなたは光を強さだとは思っていないし、闇を弱さだとは思っていない。」

今日1日、ずうっとそうだった、つまり、光を強さだと思えないし、闇を弱さだと思えない状態でわたしはずうっといたので、「あ!その通り!」ってとてもしっくりしました。
そうしたら腑に落ちました。

今日1日、ずうっと強いものと思えていた「闇」、それが弱さだと今日の最後に文章で読んだときに、本当にそれを弱さに、小さいものに感じました。

今日の日中、なぜか思い出していたのは、小学生の頃の教頭先生。
先生の思い込み、決めつけで勘違いされたまま超怒られた記憶です。
わたしは「目上の人にくちごたえをしてはいけない」と教わっていたり、大人の男性の大きな体、大きな声に慄いたりで、悔しいまま怒られて、その記憶を思い出しました。

それをずっとわたしは「強いもの」と思っていたんですけど。

あれ?って感じになりました。

教頭先生が小さくなって。
わたしの悔しがってる姿も小さくなって。

若干、どう扱っていいかわからない現在。


...




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