夢 (睡眠時に見るほう) - 2017年04月08日(土) わたしはよく夢を見るので、なんでかなーと思って調べたのですけど、それは精神的に疲労があるからという情報に行き当たって、なんだかなあ、と思いました。 精神的な疲労でしんどい、と思っていたなら、そうなんだ!その通り!と喜ぶかもしれないのですけど、なんだかなあ、という感じ。 確かに疲れてないわけではないですが、なんだかなあ、って感じがしました。 というのは、わたしは夢を見ることが好きだからです。 楽しい夢はもちろんのこと、たとえ怖い夢であっても、起きるときに体が痛くなっていたりしても、好きなんですよね。 精神的疲労は望んでないけど、夢を見ることは望んでいる。 怖い夢が好き、というのは、自分にとってそこに必ず気づきがあるからです。物語も好きだしね。 ああわたし、そういう心の動きをするわ、とか、自分が作っているのだからそれはそうなのですけど、自分の感覚にいちばんしっくりする映画を見てるような感じです。 そして、視聴者(夢を客観視してる自分)としては、「主人公はこう思ってとどまっちゃうけどさ、別にここでごめんなさいって言ったりさあ、相手の人と直接話してみたりすればいい話なんじゃない?」みたいに、夢のシナリオの出来の悪さに対して責任感なくぶーぶー言ったりして、そしてそれが逆に、夢を見る自分に「なるほど。。。」と思わせたりして、そういうのがおもしろい感じです。 体の感覚のことについて。 体の心地よい感覚に慣れてきました。うーん、特別視しなくなってきたような感じ? 痛みやらドキドキやらもあって完全に心地いいわけではないのですけど、ベースが心地よい、そこに痛みがあったりドキドキが出てきたりする、そんな感覚というのか、そういうものに対して慣れてきました。 気持ちいいぞーって楽しんでいます。 ボディワークについて。 自分で誰かに施術したい、誰かに何かをしてあげたいって感じは少ないのですけど、「わたしはこれが、ここがおもしろいと思っているんだ」「ここが好きなんだ」「わかる?これなの!」ということを伝えられないことが嫌なので、もう一度復習しないとなと思っている現在です。 相手の人が耳を傾けてくれる、相手の人が理解ができる、相手がそういう状態だと感じられるときに、単に言語化できずに伝えられないのは、とてももどかしく感じます。 現在のわたしのエサはこれですね。 紫のACIMについて。 CIRCLE OF ATONEMENT のACIM。 グーグル先生に手伝ってもらいながら、直訳日本語しはじめました。 「グーグル先生、その単語はそういう意味じゃないと思う!」と突っ込み入れながらできるのは、公式版の日本語訳を読んでるおかげですが、わたしに英語の素養がないのでへんちくりんな日本語訳は避けられません。 へんちくりんでも、とりあえずやってみています。早く読みたいんだもーん。 それから、今わたしは脱「完璧主義」主義なので、あえて完璧じゃなく自分をしていくことに快感を得てもいます。 そう、「あえて」やってるんです。 たのしい! ACIMと英語という強力なタッグにより、やる気だけあるのですけどわたしはすぐに眠くなってしまうのでいつ読み終えるかわかりませんー。 ...
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